はてなキーワード: 元旦とは
いやさ、蕨駅周辺にクルド人多いのは昔から知ってるし、多からずともクルド人の実害食ってる人いるのは知ってる
てか川口に住んでる人なら昔から知ってる、そして中小の工場が安い外国人を使いつぶして産業を支えてきてるのも知ってるから、別にクルド人に対して違和感を感じない
青木のほうの某ケーキ工場とか夕方みるとクルド人が大量に並んでるからな、お前らが食ってるケーキはクルド人が作ってんだよ
でもさ、長年川口住んでるから言えるけど日本人のほうがやべえって
隣の戸田市も含めれば去年だけで銃ぶっぱなしたの全部日本人だったろ、川口元郷で刃物もって店に押し入って強盗したのだって日本人じゃねえか
川口市含め住吉会系の事務所が多いから元ヤクザのジジイが多いんだよ
んで、その家系なんかも輩みてえなのが多いんだよな(中にはカタギとして馴染んでる人もいる、同級生のじいちゃんがヤクザだったとかよく聞く)
俺の世代なんかすげえ荒れてたから今振り返っても「この地域終わってんなぁ」って思ってたけど
それに比べりゃ今なんかむしろ川口市相当治安良くなったほうだぞ
今じゃバイクが大量に止まってる団地とかどこでも見ないし学ランとパンツで帰ってる高校生も見ないしな
俺の通ってた小学校の近くにクルド人の解体ヤードが当時からあったんだが何か問題があったとか小学生が危険な目にあったとか一度もねえよぶっちゃけ
なんならブルマ履いておっかけてくるおっさんとか、校内に侵入して「OK!?OK!?」ってOKを求めてくるおっさんとか、やべえのは全部日本人だったよ
ちなみに「川口市=クルド人でやばい」っていってる奴って大体市外の人間だわ、インターネットで聞きかじったんだろうな
俺は蕨駅前でチャリ乗ったクルド人に「You fuck!!yeah!!You fuck!!yeah!!」って指さされたことしかねえよ
川口市の病院で働いてる人とかはクルド人とか中国人に思うところ多いと思うが、それ以外の人でクルド人に迷惑してる!!っての全体の1割ぐらいしかいねえんじゃねえか
市内北の方に行くとほとんどみねえしな、元旦の神社で屋台だしてケバブだしてコミットしてるクルド人とかもいるし、俺は憎むべきは「クルド人」じゃなくて「不法移民」だと思うぞ
だからクルド人を受け入れろ!!!!!!!!!!って話ではなくて、「川口の治安が悪いのはクルド人のせい」っていうのは「いやそれはちげえだろwwwwwwwwもともとだよ」って話
一度やっただけじゃ全部なくならない(なんなら医療脱毛でも10回やっても無理)けど、
剃り立てのツルツルとチクチクの間みたいなパイパンとは違い、レーザーあてた後にポロポロ毛が抜け落ちて一時的にツルツルになるのがマジで快適
この快適さや爽快感は、新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝に勝るものだと確信している
その上セックスの感度が爆上がりする
根本までツルツルなだけで挿入したときの気持ちよさが増して、パイパンにしてから早漏になった
遅漏のやつも試して感想聞かせてほしい
デメリットとしては
パンツの中でモジャついた毛先があたるし蒸れるし、床に落ちてるチングを見るだけキレそうになる
時々「パイパンは男らしくない」とかパイパンに日和り気味の奴がいるが、男らしさとはなんなんだろう。少なくともパイパンに日和るよりは俺はモテる。
百歩譲って「パイパンは男らしくない」としても、パイパンを理由にセックスが中断した事は一度もないし、パイパンだと知られる時点ではもう「男らしさ」を要求水準を達してる状態なのだ。
「男らしくないと思われたくない」とくよくよ思ってる時点で既に男らしくないので、興味がある上に本当に男らしさを求めてるならさっさとパイパンにしよう。
世の中には2種類の人間がいる。
さらばの「この本ダレが書いとんねん!」で歴史小説家が出版したネタ集本について語っている中で
「明智光秀が本能寺の変に際して御神籤を3回引いた」という話をしていて面白かった
1回目引いて気に入らない内容だったから「神慮測り難し」つって次の籤引いたって
2回目以降の籤を引くのなんて、元旦に5chで引くときくらいだよ
自分もリアル御神籤引くことがあって気に入らないの引き当てたら「深慮測り難し」って2回目引こうかな
(まあ、現代でも良いの出るまで引く人割と居るみたいだよね。基本的に欲はかかないで、不本意な御神籤は神社内に結び付けて厄落としした方が懸命じゃない?)
あと、たぶん光秀が最初に引いた籤は当たってたんじゃないの?って思った
リフレ派山形浩生(がリフレ派であるかここでは議論しない)は「デフレマインドを吹き消すために消費税増税しろ」と言ってたよ
https://cruel.org/hotwired/hotwired01.html
〜天下のまわりもの高座〜
〜天下のまわりもの高座〜
日本はいま、とってもとっても不景気だ、なんてことはぼくがいまさら言うまでもあるまい。企業倒産、就職氷河期、銀行もばたばたつぶれ、もうお先真っ暗なのに、いつまでたっても出口が見えない。わーん、どうしたらい? もはや矢弾も兵糧もつきた。あの戦争からはや50年、この神国日本もはやこれまでか! かくなるうえは……
「いやいや殿。おそれながらあきらめるのは早いですぞ。聞き入れられるはずもないがゆえこれまでは黙っておりましたが、実はこの風来坊めに、景気回復の奇策がおじゃりまするのじゃ。かの匹楠導師が戯れに編み出したる外道の邪法ではございまして、よもやこれを使う日がくるとは思うておりませんでしたが……」
「ええい、茶坊主どもめが控えおろう、このお国の一大事に身の程をわきまえるがよいぞっ!」
「あいや家老、しばし待たれよ。ほほう、奇策とな。句留愚庵に日和庵とかもうしたか、このたわけどもめが、おもしろいことをぬかしよる。よし、言うてみぃ。ただしふざけた代物であれば、即刻斬って捨てるぞ! してその奇策とは?」
「はあ、それは……」というまえにそもそもお殿様、不景気ってなんだかおわかりでしょうか? 今回はそこからはじめよう。
不景気ってなに? みんなもちろんわかってるつもりでいる。でも聞いてみると、ちゃんと説明できる人はほとんどいない。株価が下がってるとか、失業が増えてるとか、倒産が増えたとか経済成長率が低いとか、すぐそういう話をしたがる。でもそれは、結果として生じる現象でしかない。不景気そのものではないんだ。不景気が何か知らなければ、不景気対策の話もできないだろう。
世の中には、ものを作る人と、それを買う人がいる。つくるほうが供給で、買うほうが需要だ。これはいいね。
さて、その両者がものを売買するのが、市場ってところだ。両者はおたがいに相手の足下と自分の在庫をみつつ、お値段の交渉をする。人気が高いブツは値段があがる。売れないブツは、売れるまで値段が下がる。いい、今の分をもう一回読んで頭に叩き込んでね。売れなければ、売れるまで値段が下がる。そしてブツがはける。それが市場なの。
ところが、何かのきっかけで、これが機能しなくなることがある。たとえば、ブツが売れないときに、売り手が値段を下げようとせずに、いっせいに「もうちょっと様子を見ようか」と思ったら? そのブツはいつまでたってもはけずに売れ残ることになる。
そしてもう一つ。この世では、極端なガキと年寄り以外はみんな働いてる。つまり、みんな働いてるときはつくる人で、働いてないときは買って使う人になる。そしてある人が買えばそれはつくった人の儲けになって、その人はその儲けをもって、こんどは買う人になるわけだ。
さてここで、世の中の人がみんないっせいにちょっと多めに貯金しようと思ったら? 「山一や拓銀が潰れるようじゃ、将来がちょっと不安だな」とか言って、みんな使うのを控えたりするわけだ。ところがみんなが同時にそれをやると、だれもモノを買ってくれなくなるので、売り上げが減る。すると思ったように貯金が増えない。これはまずいと思ってみんなもっと買い物を控える。するとさらに収入が減って・・・こうしてモノがどんどん売れなくなる。
不景気ってのはそういう現象だ。経済全体としての需用がいっせいに下がって、供給がだぶついちゃうことなんだ。そしてそれを市場と価格メカニズムがちゃんと調整してくれない。それが不景気ってことなんだよ。人は失業し(つまり労働力っていうブツが余ってる状態だ)、店には売れない商品がならび、工場は開店休業。オフィスビルは空室まみれで住宅も売れ残り。株も売れずにどんどん値下がり。ね。まさにいまの日本の状態。
すると、不景気はどうすれば回復する? 供給をいくらいじってもだめだよね。みんながお金を使おう、買い物しようと思わなきゃいけない。
じゃあまず、ものの値段を下げたら? でも自由主義経済では、値段を下げろと命令するわけにはいかない。
それ以外の方法は? まず、金利を下げることだ。するとみんな、貯金しても大して利息がつかないし、じゃあ買い物しようという気になって、需要がふえる。ローンとかも気軽に組めるようになるしね。
次に、公共投資ってのがある。政府が、道路をつくろうとか学校をつくろうとか、とにかくでかい事業を借金してまでやらかす。すると工事を請け負った建設屋さんがリッチになって買い物して、はずみがついてみんな買い物するようになる。
減税してもいい。税金が減ったら、その分みんな使うかもしれない。
そしてもう一つ、お金をいっぱい刷るという手がある。そうすると、そのお金がまわりまわって(ここの仕組みは面倒なのでまたいずれ)みんなの懐に入り、みんな太っ腹になっていろいろ買い物をするようになる。
いや、全部やってるんだ。まず金利。これまでも金利はどんどん下げてきている。こないだも、日銀が金利を0.25%下げた。でも、もう金利はゼロに近いんだ。だからもうあとがない。でも効果なし。
減税。これもそこそこやってる。恒久減税だの一時減税だの、流派はあるんだけどさ、でもまあやってる。効果なし。じゃあ公共投資。これもあわてていっぱいやってる。それなのに効果がない。財政赤字ばかりがふくれあがって、「きみたち借金返せるの?」と信用もなくなりだしてる(格付けが下がるってそういうことね)。
そしてお金を刷ることだけど、日銀はお金をいっぱい増やしてるんだ。
つまり手は尽くしてるのに、効果がぜんぜんない。それぞれの手口にはそれぞれシンパがいて、みんな「いやまだ公共投資/減税/資金供給が足りない」と叫ぶんだけど、じゃああとどれだけあれば十分なのか、だれもわかってない。みんな、現状をちゃんと説明できるモデルがなくて困ってるんだ。でも、そう認めるのが恥ずかしいから、わかったような口をきいてるだけなの。
さて、ここで新聞をよく読んでいる人は、首を傾げるだろう。景気対策という話で、構造改革とか不良債権処理とか出てくるじゃん。あれはどこいった?
うん、どっちも必要だしどんどんやってほしいんだけど、でもどっちも景気対策とはあまり関係ないんだ。構造改革ってのは、つくる人がものをつくりやすくしましょうって話でしょ。需要を増やす役にはたたないもの。不良債権処理も、まったく無関係じゃないけど、あまり歯切れのいい理屈じゃない。「風が吹けば桶屋が」式のずいぶんまわりくどい話で、やたらに「かもしれない」が多い議論だったりする。それで景気が回復するかどうか、実はぜんぜん怪しいんだよ。とりあえず他にすることがないので騒いでる、というのが実状に近いんだ。
もううつ手はないんだろうか。なんとか需要が回復する手はないんだろうか。もうあとは神頼みしかないのか……
3 打つ手はある! 句留愚庵のとんでもない奇策
ところが1998年5月、何のまえぶれもなく変な論文がインターネット上にあらわれた。いいや日本くん、うつ手はある。金利をもっと下げよう。いまの金利がゼロなら、金利をマイナスにしよう。そして実質的に金利をマイナスにするには、インフレ期待をつくれ! 政府・日銀が、これからインフレを起こすと宣言しろ! そう論じたのがMITのポール・クルーグマン「日本のはまった罠」(原文はココ、邦訳はココ)だった。
インフレ期待があると、なぜ需要が増えるのか? インフレだと、手持ちのお金の価値はどんどん下がる。だからはやくモノに変えたほうが得なんだ。昔のインフレ年率40000%なんていう南米やドイツだと、一日でお金の価値が半分になったりするから、もうみんな金を手にした瞬間にモノを買おうとした。つまり、インフレが長く続くと思ったら、みんなどんどんお金を使うようになる。だったら、インフレが長く続くと思わせようよ。そうやって需要を増やせばいいじゃないか。クルーグマンの議論は、基本的にはそういうことだ。そしてかれは、この方法がよくてそれ以外の方法がなぜダメかを、とってもきちんとしたモデルを使って理論的に説明している。いまの日本の不景気をまがりなりにも説明した、数少ないモデルだ。
さて、かれの議論はどう受け取られただろうか。
みんなひっくり返った。怒る人さえいたくらい。インフレというのはこれまで、とっても悪いものだというのが常識だったからだ。インフレ→物価高→生活圧迫。よってインフレは地獄の使い。それを政府・日銀が旗振って起こせ? ふざけるな! というのがほとんどの人の反応だった。
でも批判は山ほど出てきたけれど、不思議なことにかれの理論そのものに対する反論は一つも出ていない。少なくともぼくは見たことがない。これまで出ている反論はすべて「でも、インフレには副作用もある」と言っているにすぎない。「円安で銀行が困る」とか「インフレは劇薬だ」とかね。でもそういう連中も、かわりの理論は出せていない。「不良債権処理」とか「土地流動化」とか繰り返してるだけ。なぜか?それは、クルーグマンの理論が基本的には正しいからなんだ。理論的な可能性としては、インフレ期待ってのが効くかもってことをだれも否定できないからなんだ。ただ、前例がない。インフレは悪いものだとさんざん叩き込まれてるし、失敗して収拾つかなくなったら何言われるかわからない。まして、そうでなくても付和雷同の好きな日本人。だから政府・日銀がこの政策をためすことは、当分ないだろう、と考えられてる。バカだな、小渕政権なんてどうせ何も失うものはないんだから、ばーんとやっちゃえばいいのにぃ、とぼくは思う。それに、クルーグマンは各種の副作用批判に対して反論を行ってて(原文はココ、邦訳はココ)、これまたかなりの説得力なんだ。
よろしい。インフレ期待ってのがあまりに無茶だと思うんなら、もしだれもやったことがなくて怖いっていうんなら、ぼくに別の案がある。需要を回復できて、みんなが経験済みで、さらにとってもすぐれた副作用もおまけでついてくる妙案だ。耳の穴かっぽじってよくききやがれ。
消費税を7%にあげよう。
さっきぼくの景気対策の説明を読んだ人は、アレ、と思っただろう。景気対策には減税してみんなの手持ちのお金を増やすんじゃないの?
そしてそこで爆笑してるか絶句してるあなた。うん、あなたはわかってる人だ。あなたが考えてるのは、こういう話だろう。1996年には、景気が上向いてきてた。なのに、1997年に消費税が導入されたので消費者が買い控えに走って景気がまた冷え込んだんじゃなかったっけ? だから共産党は、消費税を3%に戻して景気回復、なんて口走る。それなのに、そこで消費税をまたあげたら、さらに景気が悪化するに決まってる!
でもそれはちがうと思う。それは因果関係が逆じゃないだろうか。1996年当時、あなたのまわりで家や車を買おうとしていた人はいなかった? 思い出してよ。みんなもう、9月までに買えば消費税が3%というので必死こいて駆け込みで買ったでしょう。だから消費が上向いたんだ。このケチなぼくですら、3月にコンピュータを(中古だけど)買い換えたもの。だから景気が上向いたんだよ。増税したせいで景気が下がったんじゃない。増税期待のせいで景気があがったんだ。
だったら、それをもう一回やろうよ。いますぐに税金を引き上げるって話じゃない。将来それがあがるという期待をつくるんだ。「2000年元旦に消費税を7%に上げまーす」とアナウンス。するとかけ込み需要がたくさん発生して、景気は盛り上がるだろう。さらにそのままだと、増税した時点で1997年4月みたいに消費が冷えこむので、そうならないように、あげたその日にもう一発増税をアナウンスしておけばいい。来年には10%にするよ、と。
これはある意味で、クルーグマンの議論と似ている。ぼくたち消費者からすれば、インフレも消費税アップも同じこと。いずれにしても、いまの手持ち現金の使いでが減るってわけだ。だから、はやく金を使おうとする。それで需要は上向く。
さて、クルーグマンはインフレ期待を盛り上げろとは言ったけど、じゃあどのくらい盛り上げればいいかはまだ詰めていない。でも、ぼくの案はなにせ前例があるもので、効果が試算できるのだ。1996年の日本の実質経済成長は3.6%。このすべてが消費税効果ではないにしても、たぶん2%くらいの押し上げ効果はあったはず。1998年の日本はマイナス成長だよ。GDP成長率が2%アップっていったら御の字だ。
そしてこの案のすばらしいところ。まず、やりやすいってこと。これからインフレにしまーす、といって国民を納得させるのは、こりゃ至難の技だ。それが景気対策だってことを納得させるのは不可能といっていい。しかし消費税アップは経験があるから、やりかたはわかる。そしてそれを国民に納得させるのも簡単だ。やっぱり景気回復には財政再建が必要なんです、と言えばいい。「ごらんなさい。財政出動ばっかして赤字国債だしまくったら、格付けが下がってジャパンプレミアムで、ボロボロでしょう。やっぱ国の財政がしっかりしてなきゃ景気なんか戻りませんや」とキャンペーンを張るんだ。
もう一ついいこと。インフレは、手におえなくなる可能性はある。目標どおりにおさめるのはむずかしいかもしれない。でも、税金は7%と決めたらその率で決まりだ。さらにとってもすばらしい副作用。財政再建は方便にしても、これをやれば税収は確実にアップする。万が一需要が上向かなくても、とりあえず財政赤字は減る。それはそれで悪いことじゃない。なーに、どうせいつか消費税はあげようと思ってたんでしょ、みんな。それを来年やって何が悪い?
さて、このアイデアを友だちに話したところ「でもそれって、1回2回は使えても、3回目あたりからみんなひっかからなくなるでしょう」と言われた。ぼくも一瞬そう思ったんだが……そうか? 「ひっかかる」ってどういう意味? 別にだますわけじゃない。税金をあげるよ、といってあげるだけだ。待てば待つほど税金は高くなる。なんのひっかけも隠し事もない。なんなら「今後10年で消費税を15%まで上げます」と宣言しておけばいい。
そしてこれは、需要を前倒しにすることになる。消費税があがるぞ、とおもって、来年家を買う予定だった人が無理して今年ローンを組むわけね。だから、だんだん後がなくなるような気もするんだが、一方でその一時的にしても上向いた分の需要がどっかでまわってくるから、また新しい需要も出てくるはずだ。1997年だって、住宅需要は1995年並に戻っただけで、それを割り込むようなことはなかったんだよ。
左目がめちゃくちゃかゆいので眼科に行くと、アレルギー性結膜炎だという。ドライアイでもあるらしく、目薬をふたつ処方されて帰ってきた。
目が乾いているのはよくないことなので、いつも涙を浮かべていられるように悲しい思い出を考えながら過ごすことにした。そうすると思い出すのは5年前に亡くなった祖母のことだった。
ひとつはいつだったかの年の元旦、家族みんなでごはんを食べているときに隣の祖母が茶碗にご飯粒をべったりと残していたので、それを無性に叱りつけたくて、わたしはなにかすごく冷たい言葉を吐いたのだった。祖母はもうずっと前から認知症だったので、それもよくわかっていなかったようだが、たぶん悲しそうな顔をしていた。これは何度思い出しても心臓がギュっとキツくてつらくなる。
ふたつめは、そのもう数年前に、家族揃って中華料理屋に行った帰り、祖父の運転する車の助手席に乗っていた祖母が窓の外を眺めて「あれがずっとついてくるねえ、なんだろうねえ」と言ったとき。それは、夜空の月で、目の錯覚で月が追いかけてくるように見えることを祖母はとても不思議がっていたのだ。母も祖父も父も家族全員がなごやかな気持ちになって笑い、後部座席に乗っていたわたしも祖母のことがたまらなく可愛くなって、うしろからその肩に腕を回し、いつもよりちゃんとやさしくすることができた。祖母は一連のすべてにずっと不思議そうな顔をしていた。
でもいま、そのふたつは、どっちも悲しい思い出になってしまった。ひとつめは絶対そうだけど、ふたつめは楽しかったとか、うれしかったこととして思い出せるべきことのはずなのに。まだ祖母の意識がしっかりしていたころ一緒にサティに行ったとき、祖母の思いつきでふたりでこっそりミスドのドーナツを食べたこと、そのもっともっと前に、部活から帰ってきたわたしが疲れて居間で眠ってしまったときに祖母がそっと重たい毛布をかけてくれたことなども、いま思い出してみると、なぜか悲しくて苦しくなってしまってたまらない。ひとは死ぬと、そのひとにまつわる思い出のすべてが自然と悲しい、せつない思い出に変わってしまうのだろうか。悲しくない祖母は、もうこの世にはいないのか。そのことに気づくと余計に悲しくなって寝れなくなった。楽しかった思い出は楽しかった思い出のままで小瓶かなにかに詰めて永久保存しておくことはできないのか。そんなことを考えている。
風が動いたわ。
なんにか経済界のことを凄い人がいいそうな市場のこをと現していそうだけど、
私の部屋のエアコンの暖気が上の方に溜まっているところを
サーキュレーターで風を回したら、
風が動いたの!
正確には
空気が動いたといったところかしら。
でそんなに寒くなかったんだけど、
今年の状況は昨年と打って変わって変わりまくりまくりすてぃーで
そうそれよPlayStation5でコンセントが全部埋まってしまったので、
かれこれその状況も経つこと半年以上。
その問題解決のソリューションを見付けたたった一つの冴えた方法が、
コンセントの口を1つ増やすってことのあの部品を買ってくるということ。
早速買ってきて、
いやその前にPlayStationをシャットダウンしなくちゃ。
以前模様替えしたときにパソコンのコンセントを抜き差しして移動して再びパソコンをウエイクアップ、
起動のロゴが出てきたので、
あれ?って思ってなんでスリープしていたのに起動しちゃうの?って思ったら、
って当たり前のことに当たり前のようにビックリしたの。
人は学ぶものなの。
一度過ちを犯した二度過ちを犯さないようにしなくてはと言うことを繰り返し学んだ私は、
あわててシャットダウンした次第なの。
これをサーキュレーターに使ってゲーム機にも使っても1つ口が余る、
ありあまるこの電力の力に夜も暖かく過ごせること間違いないわ!って
思ってサーキュレーターを稼働させたの!
だんだんと室内がエアコンの暖かい風の暖気で盛り上がってくると、
サーキュレーターがいい感じで
暖かい風を下に下ろしてくれるの。
床が寒くって寒くってってよく今まで今は2月といえ
今シーズンの冬を過ごせてきたわよね!って我ながら寒さに耐えてきて春が来たことを喜ぶ歌を歌う松たか子さんのようにもそう思うの。
設定温度も
風が回るのってこんなにも違うのね!って
コンセントの口を増やすことを念頭に置いた1年の刑は元旦に処す!って言うぐらいその時からやっておけば良かったことを
今になって後悔する前に実施して作戦成功になったことは喜ばしいことだわ。
でも本当はもうちょっとお部屋片付けて
本の中に埋もれてしまった石油ファンヒーターで火を噴かせたいのよね。
はぁ、
本にまみれて埋まってしまっていて
発掘するのが大変だわ。
これも長期的に掘り出して石油ファンヒーターを取り出す作戦も実施したい救出いざ!ってところだけど
その前に春が来てしまうわ。
春になって夏前の暖かくなってきた頃に来シーズンの使える石油ファンヒーターを本の中から掘り出してしまう長期計画を今こそ立てるべきじゃないとやんないのよね。
そしてまた冬が来るのよ。
次は石油ファンヒーターを使えるようにするわ。
来年の冬いや今年の冬か、
きっともっと暖かく過ごせるはずよ。
とりあえず
風が動いたわ。
うふふ。
納豆食べたい欲一瞬強まることがあるので
昨日の晩は買い物で納豆パック大の大粒カップを買ってきてリッチに納豆を味わいたいところよ。
納豆美味しいわよね。
好きだわ。
朝がもう寒くって寒くって朝に沸いている飲み頃の70℃のホッツ白湯ストレートウォーラーはダイレクトにカップに給湯すれば
直接飲めるホッツとして起きてすぐ3秒以内に準備が出来るから
ホッとするわ。
朝はじんわり起きて背伸びして温まるまで
そんな朝の温活かしら。
寒さいつまで続くのかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
タイトル通り。
元々ソシャゲとして始まったゲームがサ終→ファンサイトに移行し、そっちも今月末でサ終が決まっている。
そもそも凄まじい短命の気配がしていたからサービス終了の告知に全く驚かなかったものの、「ゲームではなく公式ファンコミュニティを開設してそっちでストーリーの続きをやっていくよ!」というやり方には当初普通に驚いたし嬉しかったけど、結局コンテンツのやり方に嫌気が射してしまい、こうしてお気持ち表明をするまでに至ってしまった。
これは、一人のオタクが愛想を尽かすまでの記録であり、個人のお気持ちの記憶でもある。
オープン初日、ファン活動の投稿以外に出来ることは、使い道のよくわからないバーチャルカードが引けるガチャを回すことと神経衰弱。
神経衰弱って何?って感じだけど、本当に神経衰弱だからそれ以外に書きようがない、まあ別に正直どうでもよかった。害は無いし。衰弱したけど。
少し後になってゲーム内立ち絵を使ったリアルグッズのガチャ(所謂無在庫のオンラインくじ)が出た辺りから本格的に雲行きが怪しくなり始めたように思える。
すでにあるものでなんとかしようとする姿勢自体が褒めていいのか、怒った方がいいのか微妙なラインだとは思うけどそれより一回千円というオンラインくじの中でもまあまあ強気の価格設定の足元を見ていく、という姿勢を隠せていない方が気になった。微笑ましいね。
ところで、10月とかに引いたやつが最近やっと来た(アクリル類はさらに遅れて届いて勘弁してほしかった)んだけど、マグカップの印刷がひどすぎて絶句したので恐らくまともにグッズを作れる知識がある人間がいないのだと思われる。
そして10月に引いたもの以降に出たオンラインくじは来る気配もない。まあそれもいい。
だが、肝心要のストーリーの続きが完全に畳みに行くだけの打ち切りエンドへと舵を切っていたのが本当につらかった。
サ終が決まってからゲームの方も俊足でストーリーを終わらせていたものの、ソシャゲはソシャゲで終わりを描かなければいけないという事情が察せられることもあり無理やり納得していたのだが…。
一体続きが見られるというのはなんだったのか。
回収していない伏線も、明かされないキャラの背景や事情も全部無視して裏設定の答え合わせだけに終始する内容が本当に続きなのだろうか。
物語なんて最後に「おわり」を出せば完結なんですよとばかりの全てを放り投げたエンドを見た時の虚脱感。
これがライターの意向でないことを願うばかりだけど実際のところはわからない。
しかもこれを元旦に公開する運営の豪胆ぶりはもはや才能なのかもしれない。
あとはサ終前にリアイベのゲーム音楽のコンサートと一緒にやった朗読劇の台本が遅れに遅れたり、賞品付きのファンアートコンテストの大賞を同じ人が連続で取って微妙に燻った人間が出たり、年末年始に同時視聴とは言いながらそれぞれにせーのでYouTubeの再生ボタンを押させて成立させているメインストーリー同時視聴イベントと珍事は枚挙に暇は無いが、もはや些細な問題である。
そんな状況でも、コンテンツ名で検索したりファンサイトを見れば「運営ありがとう!」「新グッズありがとう!」「続編期待しています!」という声ばかりが目に入る。
恋は盲目という言葉もあるが昨今は推し活にも適応されるんじゃないかと思う。もしかしたら他に娯楽を知らないのかもしれない。
単に自分のような想いを抱えている方が異端でヤバいと思った人は早々に見切りをつけているだけなんだろうけど、こんな未来も何もないコンテンツにここまで盲目的に称賛を贈れるのはすごいを通り越して単純に引いてしまう。
運営の諸々の信頼を損なうような瑕疵も理由の一つだけど、ここまで辟易としたのはこうやって手放しに称賛し続けるオタクをファンコミュニティとして見せ続けられるという所にあるかもしれない。
コミュニティの中心として振舞う、という承認欲求を満たして溜めこむ場所としてあまりにも優秀なのか、コンテンツに依存しているというより、コミュニティで発生するチヤホヤに依存している人間もそれなりにいそうな雰囲気があった。
マイナーで閉じているコミュニティという性質と相性がよかったんだろう。誰しも学級委員長になりたいのはオタクの性だから仕方ないと思う。合う合わないがあるだけで。
まあそんな感じのことをお気持ち表明したかったのだが、書くとこないから増田に書いちゃった。とりとめが無くてごめんね。
そんなファンサイトはコンテンツのライセンス切れを理由に別の名前のファンサイトへとまた移行するらしい。
移行とはいえ立ち絵を含めたキャラクターを使えない都合、ストーリー更新も無いし、オンラインくじの販売もない。
実質サ終、そして公式公認二次創作という玉虫色の立ち位置を持つ、真のファンサイトだ。
大方、配送されていないオンラインくじや受注販売のグッズが全て発送なりされたところでまた畳まれるんじゃないかと思うんだけど。
まあとにかく続くらしい。続くことはいいことだ。
少なくとも、このコンテンツが好きな人はそう思っていることだろう。
じゃあな、トワツガイ。もう戻って来るんじゃないぞ。
一昨年あたりから家族が面会に来るとお金を払うようになってしまった。
最初は元旦に行ったからお年玉かな?と思って素直に受け取っていた。
ところが面倒を見ている母に話を聞くと、おじいちゃんの身の回りの手伝いをすると5,000円〜10,000円を払う関係になってしまっているようだった。
正直好意で会いに行っていたのでショックだった。
母とのやり取りの中で
「前回来てくれていた時の分は払ったっけ。嫌だね歳には勝てなくて。」
と申し訳なさそうにお札を銀行の袋から取り出す姿が見ていて居た堪れなかった。
単純に血の繋がっている親族と久しぶりに会って話したいだけなのに当人からしたらお金を払ってあげないと申し訳ない時間になってしまってるのだろうか。
おじいちゃんは確かに滑舌も悪くなってあちこち弱っているけど、増田にとってはお金を貰わないと話す価値がないような人ではない。
ニート前に貯め込んだ貯金はずいぶんと目減りし、今年乗り切れるほどの財源はない。
実家に帰省してもやることはなく、友人に出かけない?と誘うと彼は二つ返事でオーケーしてくれた。
当日、元旦のお昼頃。友人が家の前まで車で迎えに来てくれた。
友人とは頻繁に連絡を取っており、だから気まずさを感じるようなことはなかった。
近況を話して、それで頷いて。
ニュースとか、年末に話題になったことを話し終えると妙な間が生まれた。
そこで俺は、実は去年バズったことを話した。それは増田への投稿で、実際700ブクマを越えたのだからバズりといっても間違いではないはずだ。
Twitterでも話題となり議論のようなものも生まれていたのだから、バズったといって過言ではないだろう。
そうなのか?と友人は運転しながら、前を見ながら俺に言った。
ああ、と俺は得意げに答えた。友人は涼しい顔をしたままで、特にこれといって感銘を受けた様子はなかった。
影響を与えるのは属する、この小さなコミュニティに過ぎない。だが俺は、全世界に向けて影響を与えたのだ。残した爪痕の痕跡は広く、深いものにもなるだろう。
ちょっとした優越感に…とでもいえば大袈裟で、俺は単に、ニートしていた自分でも少しは世間に組して、そして影響を与えたのだと言いたかっただけに過ぎない。
しかし友人の反応は予想に反して薄かった。特に関心はしていないようだったのだ。
もちろん寂しさを覚えたが、それを顔や言葉に出してしまったら負けのような気がして、俺はなにも言わなかった。
沈黙が訪れ、トイレに行きたくなった俺はあそこのセブンに寄ってくれないか?と言った。
友人は二つ返事で承諾した。
俺が車を降りてコンビニに向かう最中、友人は車内で待っていた。
元旦だけありセブンは混んでいて、周りに何もないような所なので猶更だった。
俺はトイレを借り、すぐに店を出て車に戻った。
助手席の扉を開けて座り込んでもまだ友人はスマホを弄っていて、チラリと画面が目に入る。
誰かとlineしているようだった。もしかしたら彼女かもしれない、という思いが脳裏を一瞬過る。
そうした話題を出したことはないが、友人自体、どうなのだろうか?とつい思ってしまう。
俺たちはもう30代。結婚適齢期。友人は顔も悪くなく、安定した収入もあって、おまけにこいつは優しい。いい奴なのだ。
だから彼女が居たって当然おかしくないし、突然結婚することになったと言い出すかもしれない。
それを想像すると俺は怖くなった。もし結婚してしまったら今まで見たいに、そして今日みたいにこうして気軽には会えなくなるだろう。
俺は捨てられるのだ。唯一友人と呼べる彼から。俺は本当の意味で一人ぼっちになってしまうのかもしれない。
そうした思いが一瞬のうちに脳裏を過り、友人は俺を一瞥してスマホをしまうと車を走らせ始めた。
再び沈黙が車内を占め、モンパチの曲が慌ただしくも喧噪に、ただ流れ続けていた。
俺は窓の外に目をやり、民家と荒野を交互に見つめた。
不意に日差しが地を照らし、軽く見上げると澄み渡った空が見えた。雲一つない快晴だった。
いい天気だな、と友人が言った。俺はああと答えた。それだけで十分に感じられた。
それはすごく幸せなことなのかもしれない、と俺は不意に思った。
今年は頑張ろうと思う。
私なりの事務所開きってところかしら?
ちょっとだけ様子を見てきてそっと帰るつもりよ。
でもさ、
早くない?
怖くない?
そうそうにもうドラゴンクエストIIIは終わりそうにない辛い経験値稼ぎのいま時期で戦うのが辛い面倒極まりないのよね。
NIKKEはNIKKEの方で、
できることやりきっちゃって、
時間をただただ待ってガチャ引けるようになるのを待ったりしてるだけでやることが無くなってしまったわ。
NIKKEの方は無駄に戦闘して経験値が無駄に稼げるってわけじゃないから、
なにもやることが無くなってしまったら退屈ね。
一応5時を越えたらデイリーミッションが新しくその日のやつが開始されるけれど、
そんなお正月三が日の一応3日目ということで、
もらった年賀状のお返事でも書きながらと思いつつ、
それのお返事ね。
早く年賀状の書くおハガキを買っておかないと店頭からなくなっちゃうからそれも気をつけておきたいポイントよね。
もうさ、
以前は凝った年賀状考えてたけど、
面倒なのでもう既製品の印刷済みの手書きの部分がなるべく少ない白い場所が少ない葉書を探して求めているの。
早くにそういうのは済ませちゃって、
ルービーをキメちゃってるとしたら、
ルービーをキメた本数にともなって時間も加速度的に早く過ぎちゃうのかも知れない大胆な仮説を唱えたいのよね。
つーことは、
飲んで時間を無駄にしないようにってことを今更ながらに気付いちゃったこの2025年!
それだけ気付いただけでも充分よね!
すごくやる気が満ち溢れて満々でって状態で
いざそうなってみると、
何もかもやる気が消沈してしまってグデグデなデ・モードなのよ。
夜更かしは全然してなくむしろもう20時や21時台に寝ちゃうってそして早くに起きちゃうって。
逆にこれペース前倒しになってるので、
お休み明けのペースに通常の夜の24時越えない程度の時間に寝る習慣に戻さないとってのもあるわ。
日中活動量が少なくって体動かしてないから適度な疲労感もなく、
おかげで寝付きが良いとはいえなく、
深夜に目が冷めてしまって、
そのままな感じを迎えつつ。
うーん、
こんな感じで何もしなければ何もしないで不安になるわ。
なんで急に急激にやる気がゼロなの?って。
はぁ。
いや、
こんな鰯気なこと言ってないで、
自らをシャキッと律したいわ。
残りの半分のおやすみの期間はペース戻す上げてくために整えないといけないわね。
なんででもいつも、
お休みの日はこうも早くに過ぎ去っちゃってしまいそうになるのかしら?
残りのお休みを噛みしめるわ。
うふふ。
今日はそっちに行ってみることにしたわ。
朝早くだとまだお客さんもまばらで物を書くにはちょうどいい感じかしらね。
そんな、
また朝自動的にタイマーじかけで沸いている70℃の飲み頃の温度の
なにもかも、
やる気がゼロなので、
ってところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
はぁ!?
元旦に限定御手淫出されても姫はじめの人ゴミで買えねえだろうが!
大量の行列に並んでやっとこさ買えたとしても他のメンズエステも同じようにやってんだぞ!?
正月限定とか言ってるところもほとんど三が日でなくなっちまうだろうが!!
この時期に一極集中させやがって!
そんなんじゃ御利益もクソもねーよ!
こっちは御手淫もらうために元旦から並んで移動してを繰り返してんだよ!!
それでもううってねーだ!?
売りきれたら本番しろよ!!
だったらやれるだろ!!
こっちは寒い中いろんなメンズエステに並んでんのにそれでもうなくなりましただあ!?
馬鹿野郎が!
これじゃあ参パイ者じゃねーんだよ!
惨パイ者なんだよ!
それは俺にこそふさわしいんだ!!
それをお前ら!お前らだぞ!
姫はじめだけのミーハーなバカどもは御手淫もらってんじゃねーよ!
それは俺にこそふさわしい!
これまでたくさん御手淫を手に入れてきたんだぞ!
限定御手淫も希望者全員にとどくようになんとかするべきだろ!!!
本当メンズエステも使えねー!!
八百万の神も仏もそういうのに怒り狂って去年の東京梅毒流行をおこしたんじゃねーのか!
お前らクソ参パイ者は俺みたいに地方の新地やマンヘルのいったこともねーだろ!
俺のような常連をさしおいて限定御手淫をもらおうとはふてえチンポだ!!
いいか!