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2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2023-07-21

anond:20230721200947

都会のエリートが羨ましい

死んだ目して薬局ドンキバイトしてる女じゃなくて女子アナみたいな良い大学の女と家庭作れるなんて羨ましすぎてしばきたくなる

九州筑豊田舎だわ

2023-06-04

anond:20230604122431

筑豊まれだけど半グレというか一般人狙いの多さを考えると関東というか東京都市部が圧倒的に治安悪いよ

今の筑豊ちょっとヤンキー多めでマナーが悪い人が多いくらいの割と普通田舎でヤーさんや半グレ一般人巻き込む類の事件は減った

2023-01-19

anond:20230119111930

こういうの見るとやっぱ田川とか小倉とか筑豊公立中学から久留米大附設とか県立トップ校受かるやつって超人だと思う

高みを目指して勉強頑張ってるのバレたら妨害されるような地域だろ

2023-01-05

anond:20230105180947

怖くないよ福岡県でも北九州筑豊だよ

つい最近4月15日にも、北九州市の小倉駅前の植え込みで、手榴弾らしきもの発見される事件があったばかり

2022-12-10

anond:20221210111951 anond:20221210125214

▼ 女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

最高米俵5俵(300キロ)を背負った記録があります

体験コーナーで、30キロラム、60クログラムの重さにあなたも挑戦してみませんか。

 

▼ 地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

 

モンゴルの女戦士 (神話におけるアマゾネス)

イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳女性戦士墓地を、

今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチ女性戦士の墓が発見された。

 女性男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団長アルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルアマゾンとも言えるこの女性男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。

大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。

戦士女性戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。

考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。

ロシア考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪女性の墓を発見した。

その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、

ハリンスキー教授結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴルからウランバートル大学教員学生のチームが参加した。

発見物をロシア研究所で研究し、モンゴの博物館返還する。

 

[MONTSAME] フブスグルから女性戦士墓地発見
https://montsame.mn/jp/read/221297

2022-10-18

anond:20221018003149

博多喰種とか、北九州喰種、筑豊喰種とかだと、凄いヤクザ感出てくるな。

2022-09-16

anond:20220916171902

中洲でもおやくざさんとすれ違ったことはない

中洲風俗24時で閉まる(空いているのは飲み屋カラオケスナック

筑豊新飯塚駅前の深夜JKが怖いくら

一般のお客さんがおいてたスーツ上着ビールこぼしたとき

怒り&酔った博多弁怖かったな

2021-07-17

anond:20210717151708

男と女なんて物は無い、性差なんて物は存在しないって考えは新興宗教だな

脳科学生物学的・歴史的 知見だと思う

 

ーーーーーー

▼ 第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか|ナショジオ | 研究室に行ってみた。東京大学 認知神経科学実験心理学

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/?P=2

「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文データ男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」

 

 現在の知見では、少なくとも形態上、男女の脳に違いはない、ということになっているそうだ。しかし、「男女の脳」「脳梁」といったキーワード検索すると、驚くほどたくさんの結果がヒットして、「脳梁が太いか女性はおしゃべりで、感情的」みたいなことが平気で書いてある。

 

▼ 地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

▼ 女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

最高米俵5俵(300キロ)を背負った記録があります

体験コーナーで、30キロラム、60クログラムの重さにあなたも挑戦してみませんか。

 

モンゴルの女戦士 (神話におけるアマゾネス)

イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳女性戦士墓地を、

今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチ女性戦士の墓が発見された。

 女性男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団長アルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルアマゾンとも言えるこの女性男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。

大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。

戦士女性戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。

考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。

ロシア考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪女性の墓を発見した。

その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、

ハリンスキー教授結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴルからウランバートル大学教員学生のチームが参加した。

発見物をロシア研究所で研究し、モンゴの博物館返還する。

 

[MONTSAME] フブスグルから女性戦士墓地発見
https://montsame.mn/jp/read/221297

2021-07-01

anond:20210701173643

性差とか宗教だぞ

 

第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか|ナショジオ | 研究室に行ってみた。東京大学 認知神経科学実験心理学

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/?P=2

「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文データ男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」

 

 現在の知見では、少なくとも形態上、男女の脳に違いはない、ということになっているそうだ。しかし、「男女の脳」「脳梁」といったキーワード検索すると、驚くほどたくさんの結果がヒットして、「脳梁が太いか女性はおしゃべりで、感情的」みたいなことが平気で書いてある。

 

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

最高米俵5俵(300キロ)を背負った記録があります

体験コーナーで、30キロラム、60クログラムの重さにあなたも挑戦してみませんか。

2021-03-30

anond:20210330174119

筑豊はどうでもいいけど筑豊本線は思い出いっぱいでウッとなる

おいべっさん行きたいな〜!

2020-07-25

anond:20200725063320

そう言ってるんだが?

でもそれも正確じゃないけどな

 

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

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2020-07-16

anond:20200715233142

性差とか宗教だぞ

  

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

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2020-07-07

anond:20200707083937 anond:20200707083852

地の底の声―筑豊炭鉱に生きた女たち

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-736.htm

女丁持:庄内米歴史資料

http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/syounaimai_siryoukan.html

山居倉庫での米の出し入れは、女丁持という女性労働者が背負って運んでいました。

最高米俵5俵(300キロ)を背負った記録があります

体験コーナーで、30キロラム、60クログラムの重さにあなたも挑戦してみませんか。

2020-05-31

anond:20200531124826

筑豊地区炭鉱地域だったんだけど、筑豊の人は博多より交通の便がいい北九州に出てくる。

北九州も製鉄など工業都市だったからもともと気質が荒っぽい。

暴力団活動も活発。

2020-05-29

どうして北九州で第二波?

ほぼ筑豊の猿のせいです。でも地方の現状を現しているとも思います

実際都市部以外での新型コロナ対策なんてあってないようなものテレワーク自粛?持ち帰り限定?とか無いです。都会からは見えてないでしょうし、そんな田舎者SNSアカウントフォローしていないでしょう

結果、筑豊DQNみたいな行動力化身みたいなのが気力と無頓着で新型コロナのまま遊び回り、解除した都市部に再び新型コロナを持ち込んだのです。博多じゃなく北九州なのは筑豊の猿は博多じゃ虚勢張れないからです

東京時間差で今週末から解除なので6月半ばには本当の第2波が来るでしょう。やはり北関東人間が集まる池袋、あと大宮辺りじゃないか

2018-09-28

福岡Iターン勢として、東京から移住検討する皆様の質問にお答え

という記事を読んで、北九州市出身者として引っかかりを覚えた部分がある。

落ちていない。福岡市近辺の人間にそう言うと、治安が悪いのは北九州とか筑豊の話だと返ってくる。 確かに福岡市でそういう危険を感じたことはない。そういう人を見かけたこともない。その点では前に住んでいた西新宿の方が良くなかった。

(中略)

とは言え、福岡市について言えば「修羅の国」というレッテルはだいぶ煽りすぎていて、普通東京都心部と同じ感覚で過ごせる。要は治安のいい場所悪い場所があって、悪い場所は避けましょう、そうすれば大抵安全ですという感じ。

https://gist.github.com/hdemon/f77609f29c22f42b7e19

北九州市出身福岡市にも長いこと住んでいたけど、いずれも同じように普通暮らしていたし、危ない目にあったとかいうこともない。はっきり言って北九州市に関してもだいぶ煽り過ぎだと思いますけどね。一部のまとめブログとかの、面白おかし話題集めできればなんでも良いみたいな人間たちのせいで、あまりにも雑で偏ったイメージが広まりすぎててなんだかなという気持ち

あと「危ないのは福岡市じゃなくて北九州市筑豊のほう」みたいな文言は、こういう話題になるとネットでもそれなりに見かけるけど、失礼なこと言ってるなと思う。無意識で言ってるのか何のかはわからないけど、実際の街をみてきた身からするとすごく風評を煽っているように見えるし、あまりにも風評現実を塗りつぶしているようにも思う。

福岡はすごく治安が悪い」というような事をあなた東京で聞いていて、でも実際は違ったというのなら、北九州筑豊に関しても同じである可能性があるとは思わなかったんだろうか。移住によってその土地の悪い印象がある程度払拭されたというのは伝わってきたけど、結局は風評に流されていることに変わりはないように感じた。

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