『伯耆国・打吹城址』
鳥取県倉吉市打吹山204mにある打吹(うつぶき)城址である。
打吹城は南北朝時代の終わりごろ、伯耆国の守護所として山名氏が築いた城とされる。
その後、山名氏が力を失い尼子氏の城となった。
しかしその後、毛利氏に奪われ、吉川元春が城に入ったが、羽柴秀吉と毛利氏との和睦により羽衣石城主の南条氏がこの倉吉の旧領を回復し城主となり、麓に備前屋敷を構え、居住した。
そして関ヶ原の後は、米子城主となった中村一忠の所領となったが、中村氏は嗣子なく改易となり、倉吉は鳥取藩主池田氏の所領となり、城は一国一城令により廃城となったという経緯を辿る。
打吹城址へは麓の打吹公園がら登山道が整備されている。
階段を上がった鎮霊神社は南条備前守の屋敷跡である。
遊歩道に従って登って行く。
林の中を上がって行くと備前丸跡という削平地がある。
説明によると、更に上に越中丸や小鴨丸という郭跡があるようであるが、特定できない。
途中には石垣の残骸も散見する。
200m近くの登山で、山頂の本丸広場に到着する。
頂上には冒頭の石碑が設けられている。
また頂上からは、日本海方面が見えるが、少し遠い。
下山は東側からとしたが、両側は深い谷である。
比較的しっかりとした石垣が残っている。
また土橋らしきもある。
倉吉の町が近づくと、街全体が見下ろせ、近くは旧の文化ゾーン、遠くは倉吉駅の方向が見える。