気ままに途中下車:恵美須町駅から天王寺七坂(その1)
明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
関西の鉄道路線において、各駅下車をほぼ終えたので、引き続き気になった駅周辺の再訪問を行っている。
今回は、大阪メトロ堺筋線の駅で、大阪市浪速区の「恵美須町駅」の周辺のミニ探索である。
「恵美須町駅」で下車し、地上へと出る。
駅上は南北の「堺筋」と東西の「国道25号線の交差点「恵美須」である。
交差点の東南方向の商店街を通して「通天閣」が見える。
そして国道を東方向へと進み、高速道路を潜り、「松屋町筋」を横切ると、右手に天王寺動物園の北端、そして「一心寺」の伽藍が見えて来る。
国道沿いに「天王寺七坂」の一番南の「逢坂」の石柱が建っている。
その歩道の向かいに「安居神社(安居天満宮)」の社号柱、そして注連縄柱が建っている。
また、「通天閣」も見える。
一旦、過ぎてきた「松屋町筋」まで戻り、北進する。
右手に「安居神社」の石の鳥居が建ち、参道が奥へと続くのが見える。
それをやり過ごし北進すると、「天王寺七坂」の「天神坂」の入り口となり、これを東進する。
「天神坂」の石柱が建っている。
その先に「天王寺七名水」の一つの湧き水跡がある。
少し戻って、小路を南へ行くと、「安居神社」の鳥居、石段があるので、これを昇る。
登り詰めると境内である。
正面は一対の狛犬と「拝殿」が祀られている。
また、「拝殿」の右手前には「天満宮」の「撫で牛」も祀られ、「拝殿」の背後は「本殿」である。
「本殿」の祭神は、「少彦名神」、「菅原道真公」、「素盞鳴命」とされている。
この「安居神社」の創建は、一説には飛鳥時代であるとされている。
そして、「道真公」が大宰府で薨去した後、この神社に祀られ、神社名も「安居天満宮」とも称されるようになったとされる。
この神社には、もう一つの重要なことがある。
それは「真田信繁(幸村)公」である。
「大坂の陣」にて、豊臣方の大将として戦ったが、大軍の徳川方には勝てず、この神社内にて戦死したとされている。
神社境内には、「幸村公」が祀られている。
そして、その背後の幕の中は最期の地であろうと思われる。
また、境内の北の端には、「幸村公」の地元の信州上田市から、サクラの木の奉納がなされている。
その他神社には境内社が祀られている。
先ずは、「玉姫稲荷神社」である。
そして、「金山彦神社」、「金山姫神社」、「淡島神社」が祀られている。
「安居神社」を後にして、もう一本北の「清水坂」へと向かう。
「清水坂」の名付けは、坂の南にある「清水寺」によるとされる。
坂を登り詰めたところに、折り返すようにその寺号柱が建っていて、その参道を進む。
「寺門」があり、入ると墓地である。
そして、その先は「清水の舞台」である。
舞台の横に「鐘楼」があり、「あべのハルカス」も良く見える。
寺院伽藍へは石段を下りて行く。
この「清水寺」は、和宗総本山「四天王寺」の支院で、新西国三十三箇所客番札所である。
また、この寺院には、大阪市内唯一の天然の滝とされる「玉出の滝」がある
そして御朱印を頂いたところで、「恵美須町駅」のミニ探索を終了したのであった。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
関西の鉄道路線において、各駅下車をほぼ終えたので、引き続き気になった駅周辺の再訪問を行っている。
今回は、大阪メトロ堺筋線の駅で、大阪市浪速区の「恵美須町駅」の周辺のミニ探索である。
「恵美須町駅」で下車し、地上へと出る。
駅上は南北の「堺筋」と東西の「国道25号線の交差点「恵美須」である。
交差点の東南方向の商店街を通して「通天閣」が見える。
そして国道を東方向へと進み、高速道路を潜り、「松屋町筋」を横切ると、右手に天王寺動物園の北端、そして「一心寺」の伽藍が見えて来る。
国道沿いに「天王寺七坂」の一番南の「逢坂」の石柱が建っている。
その歩道の向かいに「安居神社(安居天満宮)」の社号柱、そして注連縄柱が建っている。
また、「通天閣」も見える。
一旦、過ぎてきた「松屋町筋」まで戻り、北進する。
右手に「安居神社」の石の鳥居が建ち、参道が奥へと続くのが見える。
それをやり過ごし北進すると、「天王寺七坂」の「天神坂」の入り口となり、これを東進する。
「天神坂」の石柱が建っている。
その先に「天王寺七名水」の一つの湧き水跡がある。
少し戻って、小路を南へ行くと、「安居神社」の鳥居、石段があるので、これを昇る。
登り詰めると境内である。
正面は一対の狛犬と「拝殿」が祀られている。
また、「拝殿」の右手前には「天満宮」の「撫で牛」も祀られ、「拝殿」の背後は「本殿」である。
「本殿」の祭神は、「少彦名神」、「菅原道真公」、「素盞鳴命」とされている。
この「安居神社」の創建は、一説には飛鳥時代であるとされている。
そして、「道真公」が大宰府で薨去した後、この神社に祀られ、神社名も「安居天満宮」とも称されるようになったとされる。
この神社には、もう一つの重要なことがある。
それは「真田信繁(幸村)公」である。
「大坂の陣」にて、豊臣方の大将として戦ったが、大軍の徳川方には勝てず、この神社内にて戦死したとされている。
神社境内には、「幸村公」が祀られている。
そして、その背後の幕の中は最期の地であろうと思われる。
また、境内の北の端には、「幸村公」の地元の信州上田市から、サクラの木の奉納がなされている。
その他神社には境内社が祀られている。
先ずは、「玉姫稲荷神社」である。
そして、「金山彦神社」、「金山姫神社」、「淡島神社」が祀られている。
「安居神社」を後にして、もう一本北の「清水坂」へと向かう。
「清水坂」の名付けは、坂の南にある「清水寺」によるとされる。
坂を登り詰めたところに、折り返すようにその寺号柱が建っていて、その参道を進む。
「寺門」があり、入ると墓地である。
そして、その先は「清水の舞台」である。
舞台の横に「鐘楼」があり、「あべのハルカス」も良く見える。
寺院伽藍へは石段を下りて行く。
この「清水寺」は、和宗総本山「四天王寺」の支院で、新西国三十三箇所客番札所である。
また、この寺院には、大阪市内唯一の天然の滝とされる「玉出の滝」がある
そして御朱印を頂いたところで、「恵美須町駅」のミニ探索を終了したのであった。