大阪モノレール11・豊川駅
「大阪モノレール」の「万博記念公園駅」と「彩都西駅」を起終点とする支線「彩都線」の各駅を途中下車で順次訪ねている。
今回は、「万博記念公園駅」から3つ目駅の大阪府茨木市の「豊川駅」をミニ探索する。
「豊川駅」で下車する。
ホームの北方向には、「彩都」のビル群が見える。
ホーム下の改札内には、「モノドリンク」のリフレッシュコーナーがあり、「モノレール文庫」もある。
改札口は階上で駅舎の南側である。
そこからは、旧「西国街道」の東西の両方向が見える。
また、駅舎の東側はロータリーである。
駅舎の階段を降り、北へと進む。
「勝尾寺川」へ合流する「箕川」を渡る。
進むと、「国道171号線」との交差点に出る。
そこにはホームセンター「ニトリ」もある。
「国道171号線」を北へと渡り、脇道を進む。
左手に神社の杜が見えて来る。
式内社「須久久神社」の二座の内の一である「春日神社」である。
そして、社号柱・鳥居の左手には、「月の清水跡」碑が建っている。
「清和天皇」が上皇となり、箕面の「勝尾寺」を訪ねた折にこの地にも立ち寄り、里人と「観月の宴」を催したとされる。
里人が桃の花を「山の井」の清水に挿して歓待し、上皇はこの井戸を「月の清水」と命名したと云われている。
尚、この「春日神社」は、「中臣鎌足」の従兄弟の孫である「中臣清麻呂」が隠居して、隠居地の宿久庄の須久久山と春日山にそれぞれ神社を創建し、両社とも須久久神社を称したことから、「元須久久神社」と云われる。
鳥居を潜ると石段、その先は鹿のレリーフが描かれた「春日灯篭」が立ち並ぶ参道である。
その先に「二ノ鳥居」が建ち、その先は再び石段参道となる。
石段を登り詰めたところは境内である。
「春日灯篭」が並ぶ。
社務所のような「清水老人憩いの家」がある。
正面は社殿である。
一対の狛犬が祀られ、そして拝殿である。
そして、本殿である。
拝殿本殿は、平成22年に不審火により焼失したため、24年に再建されたものである。
尚、祭神は春日神の「天児屋根命」、「武甕槌命」、「経津主命」、「比売大神」」の4神である。
社殿を俯瞰するように道が上へと通じている。
この道を登ると、用途は分からないが広いグラウンドの様な場所へと出る。
車でこの場所へも来られるようで、轍の跡がついている。
そしてこの地点で「豊川駅」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、「万博記念公園駅」から3つ目駅の大阪府茨木市の「豊川駅」をミニ探索する。
「豊川駅」で下車する。
ホームの北方向には、「彩都」のビル群が見える。
ホーム下の改札内には、「モノドリンク」のリフレッシュコーナーがあり、「モノレール文庫」もある。
改札口は階上で駅舎の南側である。
そこからは、旧「西国街道」の東西の両方向が見える。
また、駅舎の東側はロータリーである。
駅舎の階段を降り、北へと進む。
「勝尾寺川」へ合流する「箕川」を渡る。
進むと、「国道171号線」との交差点に出る。
そこにはホームセンター「ニトリ」もある。
「国道171号線」を北へと渡り、脇道を進む。
左手に神社の杜が見えて来る。
式内社「須久久神社」の二座の内の一である「春日神社」である。
そして、社号柱・鳥居の左手には、「月の清水跡」碑が建っている。
「清和天皇」が上皇となり、箕面の「勝尾寺」を訪ねた折にこの地にも立ち寄り、里人と「観月の宴」を催したとされる。
里人が桃の花を「山の井」の清水に挿して歓待し、上皇はこの井戸を「月の清水」と命名したと云われている。
尚、この「春日神社」は、「中臣鎌足」の従兄弟の孫である「中臣清麻呂」が隠居して、隠居地の宿久庄の須久久山と春日山にそれぞれ神社を創建し、両社とも須久久神社を称したことから、「元須久久神社」と云われる。
鳥居を潜ると石段、その先は鹿のレリーフが描かれた「春日灯篭」が立ち並ぶ参道である。
その先に「二ノ鳥居」が建ち、その先は再び石段参道となる。
石段を登り詰めたところは境内である。
「春日灯篭」が並ぶ。
社務所のような「清水老人憩いの家」がある。
正面は社殿である。
一対の狛犬が祀られ、そして拝殿である。
そして、本殿である。
拝殿本殿は、平成22年に不審火により焼失したため、24年に再建されたものである。
尚、祭神は春日神の「天児屋根命」、「武甕槌命」、「経津主命」、「比売大神」」の4神である。
社殿を俯瞰するように道が上へと通じている。
この道を登ると、用途は分からないが広いグラウンドの様な場所へと出る。
車でこの場所へも来られるようで、轍の跡がついている。
そしてこの地点で「豊川駅」のミニ探索を終了したのであった。