JR奈良線5・山城多賀駅
「木津駅」、「京都駅」を起終点とする「JR奈良線」の駅を順番に訪ねてみる。
今回は木津駅から4つ目の京都府綴喜郡井手町の「山城多賀(たが)駅」である。
「山城多賀駅」で下車する。
この「多賀」という駅名・地名は駅の東に鎮座する式内社「高(たjか)神社」に由来するとされている。
その「高神社」であるが、欽明天皇の540年に天王山の東嶽に神霊が降臨し、社宮を建てて祀ったことが始まりである。
その後、聖武天皇の731年に勅願により、橘諸兄が「多賀神社」の名で遷座し、その後、高御産日神の名より「高」の字を採って「高神社」となったものである。
その後も、多賀神社と高神社の名が繰り返されたが、現在は地域の名は「多賀」、神社の名は「高」で落ち着いているとの経緯を有している。
その「高神社」へと向かう。
高神社は、「山城多賀駅」の東方数百mのところにある。
ホタルの生息地で知られる南谷川を渡り保育園を横に見て、参道が山へと繋がる。
林間の参道に入ると一ノ鳥居がある、その左手に玉垣に囲まれた標柱が建っている。
そしてその先には、二歳大明神、その先に二ノ鳥居がある。
長い参道が続く。
最後は石段となり、境内へと繋がっている。
境内の手前には舞殿、そして正面に割拝式の拝殿がある。
時節柄、茅の輪も設けられている。
拝殿の背後は本殿であるが、瑞垣に囲われた本殿前には灯篭が置かれている。
本殿の祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理姫命である。
多数の境内社が祀られている。
拝殿右手には、素戔嗚尊と櫛名田姫命の一ノ御前神社、左手に天水分之神の祈雨神社、宇加之御魂の稲荷神社が祀られている。
更に左手に、長覆屋があり、多くの境内社が祀られている。
そしてその隣に、応神天皇と神功皇后の誉田(ほむだ)神社も祀られている。
このように多くの神が祀られているのは、この多賀地区が3村の集落に分かれていて、それぞれに氏神が祀られていたが、平安時代の初めに村間の争いがあり、以後、合祀されたためと考えられている。
多賀(たが)の高(たか)神社へ参拝した所で、今回のミニ探索を終了した。
今回は木津駅から4つ目の京都府綴喜郡井手町の「山城多賀(たが)駅」である。
「山城多賀駅」で下車する。
この「多賀」という駅名・地名は駅の東に鎮座する式内社「高(たjか)神社」に由来するとされている。
その「高神社」であるが、欽明天皇の540年に天王山の東嶽に神霊が降臨し、社宮を建てて祀ったことが始まりである。
その後、聖武天皇の731年に勅願により、橘諸兄が「多賀神社」の名で遷座し、その後、高御産日神の名より「高」の字を採って「高神社」となったものである。
その後も、多賀神社と高神社の名が繰り返されたが、現在は地域の名は「多賀」、神社の名は「高」で落ち着いているとの経緯を有している。
その「高神社」へと向かう。
高神社は、「山城多賀駅」の東方数百mのところにある。
ホタルの生息地で知られる南谷川を渡り保育園を横に見て、参道が山へと繋がる。
林間の参道に入ると一ノ鳥居がある、その左手に玉垣に囲まれた標柱が建っている。
そしてその先には、二歳大明神、その先に二ノ鳥居がある。
長い参道が続く。
最後は石段となり、境内へと繋がっている。
境内の手前には舞殿、そして正面に割拝式の拝殿がある。
時節柄、茅の輪も設けられている。
拝殿の背後は本殿であるが、瑞垣に囲われた本殿前には灯篭が置かれている。
本殿の祭神は、伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理姫命である。
多数の境内社が祀られている。
拝殿右手には、素戔嗚尊と櫛名田姫命の一ノ御前神社、左手に天水分之神の祈雨神社、宇加之御魂の稲荷神社が祀られている。
更に左手に、長覆屋があり、多くの境内社が祀られている。
そしてその隣に、応神天皇と神功皇后の誉田(ほむだ)神社も祀られている。
このように多くの神が祀られているのは、この多賀地区が3村の集落に分かれていて、それぞれに氏神が祀られていたが、平安時代の初めに村間の争いがあり、以後、合祀されたためと考えられている。
多賀(たが)の高(たか)神社へ参拝した所で、今回のミニ探索を終了した。