『泉佐野市・火走神社』
大阪府南部の泉佐野市大木地区に鎮座する式内社「火走(ひばしり)神社」の社頭の社名標柱である。
火走神社へはJR阪和線日根野駅からバスにて犬鳴山方面へと樫井川を遡り、阪和高速道路を潜り、谷へ入ったところの中大木バス停下車が最寄りである。
この日根野地域は、今では関西国際空港への分岐点として知られるが、古代から中世は、五摂家の一つの九条家の荘園「日根荘」で、火走神社も含め国の史跡に指定されているところである。
日根神社の社頭は、南の犬鳴山にある「七宝瀧寺」へ向かう道に面している。
神域は狭く、鳥居脇に一対の狛犬も祀られている。
そして長門(撮影は内側から)を潜ると境内で、正面に拝殿が祀られている。
拝殿の奥には本殿が覆屋に護られた本殿が祀られている。
本殿の祭神は、軻遇突智(かぐつち)神、事代主神、天児屋根命、素戔嗚尊、大年神、稚日女尊(わかるひめのみこと)である。
尚、軻遇突智神は、イザナギとイザナミの神の間に生まれた子で、火の神である。
出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまうという謂れがある。
本殿の左には丹生神社、右には幸神社が祀られている。
このうち幸神社は国の重要文化財に指定されている。
火走神社の社号は、南北朝時代に、南朝方がこの谷に皇居を造営して、後村上天皇を迎えたが、北朝方の足利勢がこの皇居に攻め寄せ、丹生神社の社前で激烈な山岳戦となつた。
この時、丹生明神の神殿の扉が開き、その中から火箭を手にした夥しい神兵がどつと繰り出し、北朝軍の頭上に火の矢の雨を降らしたので、攻め手は忽ち敗退したと伝えられている。
このことにより後村上天皇は非常に喜び、「火走」の社名を奉ったとの説である。
また別説では、かつては男巫が火の上を走り渡る神事から名づけられたともされている。