はてなキーワード: 実証とは
ただ、ウサギみたいに単純に怠けていたからでもなく、構造上の問題があるわけでもなく、
私の考えでは、否が応でもこうなる運命だったというか、経済学的にもそうなる運命だったと実証されるのではないか、
と考えている、つまり、みんな悪くて、みんな悪くないのである…😟
ただ、そのどさくさに紛れて、ブラック企業したり、政府や大企業が弱者を切り捨ててきたのは許せない、
それは第二次大戦中に大政翼賛だった大人たちが、終戦後にくるっと手のひらを返して、教科書に墨を塗るような行為である…😟
ソニーでは開発が中止され、人材はボストンダイナミクスとかに移ったように思うし、
東芝なんかも、ドイツ人の研究者が冷遇されて追い出されたりしてる、
社会学には2つの極端なアプローチがあります。一方は、統計的・因果推論的に厳密にデータと解釈を分離し、反証可能性を担保する科学的手法です。
もう一方は、自分のイデオロギー・ナラティブ(構造的抑圧、弱者発見、権力批判など)を支えるためにデータを「都合よく選ぶ」(cherry-picking)手法です。この記事では後者を「ストーリーテラー(Storyteller)」と分類します。
統計・大規模調査・因果推論手法(差の差法、操作変数法、傾向スコアマッチングなど)を用い、相関関係と因果関係を明確に区別。
データ事実(Results)と研究者の解釈(Discussion)を厳密に分け、矛盾するデータも提示し、反証可能性と頑健性(robustness)を担保する。社会科学として「科学」の基準を守る。
「社会科学」の看板を借りて、自分のイデオロギー・ナラティブ(物語)を広める人。データはあくまで「自分のストーリーを魅力的に補強する道具」に過ぎず、都合の良い部分だけ選び(チェリーピッキング)、相関を即因果にすり替え、解釈をデータに混ぜ込む。文学的・運動的アプローチが強く、X(旧Twitter)やメディアで声が大きい loud minority として目立つ。
自説に有利な数字・事例だけか、全データ範囲と感度分析を示すか。
相関を即「構造的抑圧が原因」と断定し、因果推論手法名を明記しない。
結果セクションですでに文学的なナラティブ(「これは権力の証左」)が入っていないか。
質的研究・批判理論(Foucault、Butler、上野系)が先行し、計量・因果推論論文の引用が少ない。
批判されると「文脈が違う」「差別者」とレッテル貼りするか、データで再検証を提案するか。
X・メディアで構造批判・弱者発見・PC擁護が熱く、エンゲージメントが高い。
論文・発言・X投稿をチェックすれば、9割以上見分けられます。
ストーリーテラーは、社会学を「科学」ではなく「物語を語る運動の場」に変える存在です。彼らはデータを使いつつも、最終的に一貫した
を構築・拡散します。これは、イデオロギーを補強するための選択的物語化です。データは「証拠」ではなく「感情を揺さぶる小道具」として機能し、矛盾データは無視するか、「より大きな構造のせい」として相対化されます。
• 1970-90年代の「質的転回」(qualitative turn)でインタビュー・参与観察・理論解釈が主流化した歴史的土壌がある。
• X・メディアでは「弱者発見」「構造批判」といった感情に訴えるストーリーがエンゲージメントを稼ぎやすい(loud minority効果)。
• 結果、学問の「科学性」が薄れ、活動家ごっこのイメージが強まる(古市批判の核心)。
「弱者が弱者のままで尊重される社会を」「頑張っても報われない人がいる」 → 努力や個人の責任を「環境・構造のせい」に還元し、永遠の被害者像を描く。
例:東大入学式祝辞のような「恵まれた環境のおかげ」強調。データ(合格率差)を使っても、逆差別や努力差はスルー。
「家父長制・資本制・権力構造がすべてを決めている」 → 格差・ジェンダー・移民問題を「システムのせい」に帰結。解決策より批判が優先。
例:家事=「不払い労働」、教育格差を即「構造的抑圧」と断定。
「日本人は多文化に耐えられない」「加害者性・反省不足が原罪」 → 戦後教育の延長で、日本人全体を「構造的加害者」に位置づけ。
例:日本社会の「単一民族神話」批判や、歴史問題での自虐的ナラティブ。
「異性愛規範・性二元制がマイノリティを抑圧」「性自認尊重が正義」 → ポリティカルコレクトネスを「進歩の物語」として語り、反対意見を「差別」と一蹴。 例:女子枠反対を「弱者男性のワガママ・ミソジニー」とレッテル貼り。
「政府・権力の干渉が学問の自由を脅かす」「新政権のツッコミどころ」 → 学術会議問題などで「権力 vs 専門家」の二元論を展開。
「相手は差別者・歴史修正主義者・ミソジニー」 → 都合の悪い女性政治家を「中は男」と属性攻撃するなど、二重基準を隠した攻撃的ナラティブ。 ラベリング理論を武器化。
結果、社会学は「文学の亜流」や「運動の道具」と見なされやすくなります。
代表的発言:「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」(2019年東大入学式祝辞)
代表的発言:「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」(2026年頃、女子枠反対論に対するnote引用・投稿)
代表的発言:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」(2024年、立憲民主党集会での高市早苗氏批判)
代表的傾向:「病ませる社会」が弱い人を症状化させる(近年、人生相談・社会病理関連発言)
代表的発言:「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」(2020年、学術会議任命拒否問題時) → 権威主義・体制批判。
ネット右翼を「1%未満の愉快犯」と矮小化するなど、日本社会の構造・歴史ナラティブ批判。
「学術会議法人化法案が可決されてしまいました。日本は、アカデミーの自律性を弱めることに加担した国の列に加わりました。」(2025年、X投稿) → 学問の自由危機ナラティブ。
大規模調査データで家族・格差を統計分析。因果推論を意識した学術告知中心。
X・メディア・学術会議・ジェンダー/PC分野で目立つのは圧倒的にストーリーテラー。彼らのナラティブは感情に訴えやすく拡散されやすい一方、実証派は論文・データで静かに勝負するため声が小さい。結果、社会学は「科学」より「物語を広める運動」が強まりやすい構造になっています。社会科学を本当に科学に戻すには、実証派がもっと積極的に声を出していくことが重要です。
Xやメディアで目立つ文学的・批判理論寄りの事例をピックアップ。統計・因果推論重視の実証派とは対照的に、「構造批判」「ナラティブ」「弱者発見」が優先されやすいパターンを示します。
「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」 「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」 (全文は東大公式HP掲載。医大不正入試を挙げ、女子学生の入りにくさを統計で指摘しつつ、新入生に「恵まれた環境のおかげ」と諭す内容)
「家事は不払い労働」「愛の行為だからお金に換算できない」で本当に正しいのか? → 断固として「不払い労働」と呼ぶ。 (1980年代から一貫。家父長制と資本制の搾取構造として位置づけ)
努力や個人の責任を「環境のせい」に還元し、弱者発見を強調。統計(医大合格率1.2倍)を挙げるが、解釈は「構造的女性抑圧」一色で、男性の努力や逆差別(例:理3類の微妙な数字)はスルー。家事「不払い労働」論も、男性の家事・育児負担増やDV被害男性のデータは無視しがちでダブスタ。ポストモダン的「客観性への懐疑」を体現し、「がんばっても報われない社会」を前提のナラティブ優先志向。
高市早苗氏について:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「女性がどういう歴史を歩んできて、どんな目に遭って今まで生きてきて、政治がそれに対して何をしないといけないのか一度も考えたことないのだと思う」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」 (会場爆笑。TBS「サンデーモーニング」出演者としても知られる)
通常なら「女性政治家への性差別」「属性攻撃」「トランスフォビア」と猛批判する側が、自ら女性議員を「中身は男」と貶下。女性首相誕生を「恥ずかしい」と選別し、政敵のイデオロギーを「女装」喩えで攻撃。フェミニストの権威を盾に、都合の悪い女性を「名誉男性」扱いする典型。古市批判の「文学的」路線を超えた、感情的・属性依存のイデオロギー亡者ぶりが露呈。
「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」 (UNESCO報告書を巡る議論で、反対論を「弱者男性のワガママ」と一蹴)
女子枠(ポジティブアクション)を「構造的抑圧是正」と位置づけ、反対意見を即「ミソジニー」「弱者男性のワガママ」と人格攻撃。教育社会学者としてデータ(格差統計)を使うはずが、相手の動機を悪意で決めつけ、議論を封殺。 **弱者男性の「ワガママ」を問題視しながら、女性枠優先の「ワガママ」はスルーする二重基準。
「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」 (菅政権批判の文脈で投稿。学問の自由より「政権叩き」の文脈を強調)
学術会議を「専門家」の聖域として守り、外部(政権)批判を「新政権のツッコミどころ」と一蹴。自分たちの権威を盾に、任命拒否自体を問題視しつつ「本当の危機は大学改革」とずらす。ポピュリズムを非難しながら、左派迎合的なナラティブを優先。実証派なら「学術会議の実質的影響力や再現性問題」をデータで検証するはずが、イデオロギー優先。
「ネット右翼の数はネット利用者の1%未満」「愉快犯」「言説の広がりは深刻」。 近年も『日本社会のしくみ』などで「大企業型・地元型」の暗黙ルールや二重構造を批判し、右傾化ではなく「左が欠けた分極化」と分析。
日本社会の「暗黙のルール」やナショナリズムを構造的に解体するが、自陣営(左派)の歴史解釈は絶対化。ネット右翼を「少数愉快犯」と矮小化しつつ、反対意見の広がりを「深刻」と警戒。データ(調査比率)を使うが、解釈は左翼迎合で「日本人原罪論」の延長。
「援助交際を主体的選択」「まったり革命」と肯定的論じる(後に一部修正)。
安倍銃撃事件で統一教会問題を「世直しとして機能した」「安倍の死で瓶の蓋が取れた」と発言。
初期はサブカル肯定的だったが、近年は統一教会・安倍批判で「構造的問題」を強調。事件を「自力救済」の文脈に置き、社会包摂不足を政権のせいにする。データ(非正規雇用拡大)を使いつつ、左翼迎合のイデオロギー優先。
ダブスタ・レッテル貼りが特に目立ち(田中・本田)、権威を盾にした体制批判(西田・上野)が学問の看板を借りて活動家に寄りやすい。Xで目立つloud minority。実証派(計量社会学)は論文で勝負してるから静かだが、社会学を「科学」に戻すにはこうしたアホ発言の構造的問題を暴くしかない。
2026年、早起きを強行する内巻に代わって、穏やかな早起き、軽量な朝の流れがネット上で流行したライフスタイルとなった。これらの習慣は振り回されず、続けやすく、睡眠と代謝の研究にも有効であることが実証されている。いったいやる価値があるのか。私たちは科学的な結論ではっきり言った。
1.1徐行+3回深呼吸
目が覚めるとすぐに起きないで、30秒寝て、ラブグッズ、3回腹式呼吸をして、再びゆっくり座って。
1.2朝からコップ1杯の温水(35~40℃)
起きて15分以内に200-300 mlの温水を飲み、氷水、濃いお茶を飲みません。
窓を開けて自然光を浴びて、その日の3つの最も重要なことをリストアップして、冗長なリストをしません。
体位性低血圧とめまいを避け、朝の血圧を安定させ、朝の不快感リスクを下げる。
夜間の水分流失を補い、血液を希釈し、腸蠕動を刺激し、便秘と朝の眠気を改善する。
自然光はメラトニンを抑制し、覚醒度を高める、タスクの簡素化により、不安が軽減され、終日の実行力が向上します。
睡眠不足で無理に早起きすると、免疫力が低下し、疲労が激しくなり、早起きよりも規則が重要になる。
3.2朝の高強度運動は推奨しない
空腹部の激しい運動はパニック、低血糖を引き起こしやすく、ディルド、軽く歩き、延伸することはより安全である。
3.3朝食抜き=効率割引
良質な朝食は血糖値を安定させ、午前中の眠気や注意力の低下を避ける。
おわりに
2026流行の早起き習慣の核心は、内巻きではなく、リズムに従い、軽く実行することだ。ゆっくり起きて、温水、朝の光、極めて簡単な計画、すべて科学的な根拠があります。「自分を早起きさせる」よりも、十分な睡眠+規則正しい+穏やかな朝の流れが、本当に効果的で、長く続けられる健康的な選択です。
反省したと思ってるときは単独トラバが主だったのにそうじゃなくなると複数トラバつくようになるって絶対不自然だろう。
これは俺が署名してないのでも俺とみなされた投稿には複数トラバついているのでも実証済み。
署名もついてないのに、一人ならわかるが、一斉に何人も俺だと思うってのがおかしいわ。
二回謝って二回とも俺が反省してないことがわかるトラバするようになったら複数トラバがつくようになってるんだから推して知るべしだ。
dorawiiより
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「男の方がリーダーシップを発揮するのに向いていると思う理由を教えてくれ。
男の方がプレッシャーに耐えられると思うんだ。
女は運転中とか普通の会話とかちょっとした口論でプレッシャーに耐えきれず、すぐに感情的になって崩れるよ。」
▼Deanの発言
「俺は昔、この主張(『女より男の方が感情的じゃない』という主張)について一日中議論してたんだ。これは世界で一番好きな議論トピックのひとつだよ。
特にmisogynist(女性蔑視主義者)を叩くのが大好きで、このポイントに関しては、経済政策とかでトランプ支持者を叩くより、個人的にずっとやりがいがあるんだ。
『生物学的に男の方が女より感情的だ』って? もちろん、認めるよ。
じゃあ俺が言うよ――男は女に比べて、意思決定を感情で導きやすいという俺の主張を。
まず第一に、
・男の方が、ほぼすべての暴力犯罪の大部分を犯している(必要のない暴力も含めて)
・男の方がお金を持っているのに、平均的に女より生活の質が低い。なぜだろう?
・男の方がハードドラッグを乱用しやすい――未処理の感情を処理するための不健康な対処法として。
一方で、俺は思うんだ。女の方が理性的な思考プロセスに頼りやすいのは、平均的にEQ(感情知能)が男より高いからだ。EQってのは、感情を理性的に処理する能力を測るものだよね。
生物学的に、女はストレスや痛みに男より耐えられるように設計されている。進化の結果だよ。子供を産めるように(産まなくてもいいけど)、平均的にストレスや痛みに耐えられる。脳の樹状突起(dendrites)がもっと多いからだと思う。
それが社会でも実証されてる。例えば女性外科医の手術だと、患者が死亡したり術後に悪くなる確率が有意に低い。女の方が手術というストレスに上手く対処できるからだ。
男はどうか? ストレスを感じたり怒ったりしたら? 国中の暴力犯罪の92%を犯しに行くんだよ。
だからこれらの理由、そして他にもたくさんある理由から、俺はこう信じてる――男は女に比べて、意思決定を感情で導きやすいと。
『合理的な男はいない』とか言ってるわけじゃない。俺自身、合理的な男だと思ってる。
『論理的な男はいない』とかも言ってない。俺は論理的な男だと思ってる。
『良い男はいない』とも言ってない。
ただ、平均的に見て、女の方がここでは優位に立ってると言ってるだけだ。
さっきお前が挙げたポイント全部――お前は『俺の主張の裏にデータがある』って言ったよな?
じゃあそのデータはどこから得たんだ? 自分で考えただけか? ただ箇条書きで並べただけだろ。
出典はあるのか?」
「は? 切った? マジかよ……
フォーブスが調べてたやつ知ってる? フォーチュン500のCEOの10%しか女性じゃないのに、リーダーシップに女性が30%以上いると、企業が財務パフォーマンス上位20%に入る確率が上がるって研究だよ。」
「チャットで『ソース出せないからキックされた』って言ってる人が何人かいるみたいだから、ちょっと待って。
女性外科医が患者アウトカムを良くするっていう主張の出典は、アメリカ医師会(AMA)とアメリカ医師会雑誌(JAMA)。1.4百万人の患者を10年間追跡した研究だ。
オタク文化やサブカルチャーにおける「ステレオタイプ享受文化」は、BL(やおい)のseme/uke二元論、ロリコン漫画の「ロリビッチ」(幼い外見ながら性的に積極的なキャラクター)、オタクに優しいギャル、エルフ、ケモ耳・ケモミミなどの極端に理想化・誇張されたトロープを意図的に消費するものです。これらの表現は、「現実には存在しない」ことを前提としたファンタジーとして成立しており、現実の人間(ゲイ男性、実際の少女、特定の民族・文化)をそのまま反映・再現するものではありません。むしろ、現実の多様性を無視・簡略化・美化することで、安全な逸脱や欲望の出口を提供する点に価値があると、ファンや創作者は位置づけます。
これに対し、ジェンダー学者(特にフェミニズム・クィア理論寄り)は、この文化と根本的な緊張関係にあります。主な批判は以下の通りです。
• BLでは、seme(支配的・男性的)/uke(受動的・女性的)の役割分担、rape as love(非合意を愛に転化)といったトロープが、現実のゲイ男性の関係性やアイデンティティを歪曲したステレオタイプとして問題視されます。
• ロリコンや萌え系では、女性キャラクターの性的対象化(巨乳強調、オタクに優しいギャルなど)が「ジェンダー規範の再生産」「女性蔑視」と批判されます。
• エルフやケモ耳などのファンタジー種族も、時に「異文化のステレオタイプ化」や「エキゾチック化」としてクィア理論から警戒されます。
ジェンダー学者の中には、Mark McLelland(オーストラリア・ウォロンゴン大学)のように、ファンタジーを「現実害のない安全弁・transgressive sexual fantasiesの共有」 と擁護する立場もあります。
ファンタジーは女性や若年層の性的主体性を解放し、社会的タブーを安全に探求する場だと評価します。
一方で、Helen Wan Wei Luo(コロンビア大学)のような論者は、BLのトロープが「patriarchal status quo(家父長制の現状維持)」を間接的に再生産すると指摘し、再考を促します。
特に深刻な緊張が生じるのが「非実在青少年」(fictional underage characters、18歳未満として描かれる漫画・アニメの性的描写)です。日本国内では東京都青少年条例改正案などで「非実在青少年による性交などを肯定的に描写」する作品を不健全図書指定の対象とする動きがあり、BLやロリコン・ショタコンが巻き込まれやすい構造です。
海外ジェンダー・クィア研究では、仮想児童ポルノ(virtual child pornography)として法規制の対象となりやすく、McLellandは「yaoiファン(主に女性)を巻き添えにする過剰立法」と警告します。一方で、児童保護の観点から「たとえ非実在でも、児童の性的対象化イメージが社会規範に影響を与える」とする批判は根強く、ファンタジーが「現実の児童虐待を間接的に容認・正常化する」との懸念が交錯します。
ジェンダー学者とステレオタイプ享受文化の対立は、「ファンタジーは現実から完全に切り離された遊び場か、それとも現実の価値観に影響を与えるものか」 という根本的な認識の違いにあります。
国際的にはクィア理論の影響で「表象の責任」がより重視される方向にあります。結局、ファンタジーの価値は「現実と混同しない」線引きにかかっている——という点で、双方の議論は一致しますが、その線引きの厳格さや「害」の定義で決定的に食い違っています。表現の自由とマイノリティ保護のバランスをどう取るかは、今も学問的・社会的に unresolved な課題です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce3ba4b78e537b7372a568659b8d399561b38391/comments
位置情報で無実の証明に使えるパターンだってあると思うが、都合のいい部分だけ警察だけがスマホ位置情報を利用できるとなると国民側の利益にはならない
スマホの購入者も通信費の支払いも利用者なのだから、利用者がグーグル申請したら無実証明できる仕組みがあってもいいと思うけど
位置情報だけでなくジャイロセンサやマイクや環境音声、移動すればその移動手段や速度、周囲のWifiやBTなどとの距離や切り替わりなどの近隣電波も拾ってるはずであり
プログラマとそれ以外の人って世界の捉え方からして違いすぎて、そのギャップが毎日嫌になる。プログラマってパソコンが存在しなくてもプログラマなんやなって毎日思う。以下、嫌な点の列挙
・プールプルーフの考え方がない。あらゆる分野のエンジニアは、「人は基本的にヒューマンエラーを起こす無能」という前提で環境を作るが、そうでない人は、啓蒙したり、ミスを叱って気を引き締めさせることで解決する。(特に私はヒューマンエラー多めの人間なのでつらい)
・カプセル化や疎結合を意識していない。部署ごとの役割の境目が曖昧なので、たしかに「他部署のミスを発見できる」とか「例外的なことが起こった時に融通が利く」のようなメリットはあるが、他部署の都合も把握していないといけないと、意識すべきことが膨大になる。
・水平思考ができない。自分の主観はいつだって正しくて、押し付けて良いと思っている。プログラマは常に「自分は間違ったことや、ソースがないことを喋っているかもしれない」と気をつけて喋っているというのに! 主観と主観がぶつかったときは常に、地位が高い方の主観が正しい。
・業務の持続可能性をついて考えていない。業務の全容は人の脳内にあり属人的で、業務内容を次世代へ引き継ぐときもフローチャートや手順書に起こしたりしない。OJTでは、知識が必要になったり、例外的な事が起こったら、場当たり的に知識を教える。知識を断片的に、枝葉から順番に覚えることになる。(なんなら、そうやって業務内容を容易に理解させない事で、属人的な業務をこなしている上司の威厳や上下関係を担保しているのではと疑いたくなる)
・弊社ではようやく「手順書を書こう」というムーブメントが起こり始めているのだけど、みんな(プログラマと比べて)命令を厳密に記述するのがド下手。「ここまで書けばわかるでしょ」という、複数の解釈ができてしまう記述や、前提知識を多分に要する記述が多い。というか手順書に限らず普段のOJTでもそう。
・エンジニアの「チョットワカル」の精神がない。なんでもいいので学問を1つ本気で学んだことがある人はみんな「自分は途方もないくらい無学だ」ということをわかっていて謙虚なのだが、そうでない人は傲慢で、「新人の方が自分より業務内容に詳しい」という状態が許せない。
・新人が、プログラミングであらゆる既存のルーチンワークを解決できることが実証されると、(そのルーチンワークをしている自分の尊厳が失われるためか)集団で無視する。
プログラマとそれ以外の人って世界の捉え方からして違いすぎて、そのギャップが毎日嫌になる。プログラマってパソコンが存在しなくてもプログラマなんやなって毎日思う。以下、嫌な点の列挙
・プールプルーフの考え方がない。あらゆる分野のエンジニアは、「人は基本的にヒューマンエラーを起こす無能」という前提で環境を作るが、そうでない人は、啓蒙したり、ミスを叱って気を引き締めさせることで解決する。(特に私はヒューマンエラー多めの人間なのでつらい)
・カプセル化や疎結合を意識していない。部署ごとの役割の境目が曖昧なので、たしかに「他部署のミスを発見できる」とか「例外的なことが起こった時に融通が利く」のようなメリットはあるが、他部署の都合も把握していないといけないと、意識すべきことが膨大になる。
・水平思考ができない。自分の主観はいつだって正しくて、押し付けて良いと思っている。プログラマは常に「自分は間違ったことや、ソースがないことを喋っているかもしれない」と気をつけて喋っているというのに! 主観と主観がぶつかったときは常に、地位が高い方の主観が正しい。
・業務の持続可能性をついて考えていない。業務の全容は人の脳内にあり属人的で、業務内容を次世代へ引き継ぐときもフローチャートや手順書に起こしたりしない。OJTでは、知識が必要になったり、例外的な事が起こったら、場当たり的に知識を教える。知識を断片的に、枝葉から順番に覚えることになる。(なんなら、そうやって業務内容を容易に理解させない事で、属人的な業務をこなしている上司の威厳や上下関係を担保しているのではと疑いたくなる)
・弊社ではようやく「手順書を書こう」というムーブメントが起こり始めているのだけど、みんな(プログラマと比べて)命令を厳密に記述するのがド下手。「ここまで書けばわかるでしょ」という、複数の解釈ができてしまう記述や、前提知識を多分に要する記述が多い。というか手順書に限らず普段のOJTでもそう。
・エンジニアの「チョットワカル」の精神がない。なんでもいいので学問を1つ本気で学んだことがある人はみんな「自分は途方もないくらい無学だ」ということをわかっていて謙虚なのだが、そうでない人は傲慢で、「新人の方が自分より業務内容に詳しい」という状態が許せない。
・新人が、プログラミングであらゆる既存のルーチンワークを解決できることが実証されると、(そのルーチンワークをしている自分の尊厳が失われるためか)集団で無視する。
■ まず前提:テーマは何か?
この動画は
涼宮ハルヒの憂鬱 が
を、岡田斗司夫 が語っている内容です。
■ 核となる主張(超要約)
皮肉屋
「やれやれ」系
理想は
でも現実は
👉 そんな存在は現れない
結果:
何も起きないまま年齢だけ重なる
👉 これを「深刻な影響」と言っている
③ 作品としてはめちゃくちゃ優れている
評価は意外と高い
約80点(かなり上位)
理由:
✔ オタク文化への影響が深い
④ ただし問題点もある
主にこの2つ:
同じ話を繰り返す構成
👉 実験としてはすごいが
👉 視聴体験としてはキツい
キョンは基本
ツッコミ役
👉 これが「理想の男像」として広まった
岡田の核心はここ👇
普通の名作は:
でもハルヒは:
👉 行動ではなく“振る舞い”を変えた
つまり
どう喋るか
どう構えるか
どう距離を取るか
ハルヒは:
👉 「別に…」みたいな反応
終わる条件:
👉 つまりこれは
■ なぜ「深刻」と言われるのか
まとめると:
→ 受け身が「かっこいい」になった
✔ キャラだけ真似る
→ 中身のない態度が増える
👉 結果:
■ ただし重要な補足
これはあくまで
であって、
かなり誇張も入っている
■ 客観的に見ると
実際の評価はこう:
文化的影響:非常に大きい
■ 一言でまとめると
IMARCグループの最新レポート「日本のグリーン水素市場:業界動向、シェア、規模、成長、機会、予測2026-2034」によると、日本のグリーン水素市場規模2025年には1億870万米ドルに達すると予測されています。IMARCグループは今後、市場規模は2034年までに8億4870万米ドルに達し、2026年から2034年にかけて年平均成長率(CAGR)25.65%で成長すると見込んでいます。
詳細な市場分析については、無料サンプルPDFをご請求ください。https://www.imarcgroup.com/report/ja/japan-green-hydrogen-market/requestsample
グリーン水素は日本のクリーンエネルギーの未来をどのように変革するのか?
政府主導の水素戦略:日本の水素基本戦略と2050年までのカーボンニュートラル目標は、グリーン水素の生産、インフラ整備、そして複数の分野にわたる商業展開を直接的に支援する強力な政策環境を構築している。
再生可能エネルギーの統合拡大:太陽光発電や風力発電への投資増加は、電気分解によるグリーン水素の製造に必要なクリーンな電力を供給しており、日本における再生可能エネルギーの成長と水素供給拡大との関連性を強化している。
産業・運輸部門における導入事例:鉄鋼製造から燃料電池車、海運に至るまで、日本中の産業が、規制圧力とネットゼロ事業目標の追求を背景に、化石燃料の実用的な代替手段としてグリーン水素の採用を始めている。
日本のグリーン水素産業は比較的新しく、2050年までに経済の脱炭素化を目指しています。そのため、政府は水素の国内生産、貯蔵、利用目標を定めた包括的な水素基本戦略を策定し、国内外の投資家が日本の水素経済に参入するための基盤を築くことが期待されています。こうした公的資金の投入、明確な規制、そして日本のエネルギー安全保障への注力強化といった要素が相まって、予測期間における日本のグリーン水素市場の成長を牽引していくでしょう。
イノベーションと国際協力が市場を牽引している。日本は燃料電池や水素貯蔵システムを含む水素技術の開発において主導的な役割を果たしている。オーストラリアや中東諸国など再生可能エネルギーが豊富な国々との協力協定は、日本に国内生産を補完するグリーン水素の安定的な輸入をもたらすだろう。世界的なエネルギー企業と日本の大手商社は、2024年11月にアゼルバイジャンで開催されたCOP29の会合で、グリーン水素を用いた海水淡水化プロジェクトを含む再生可能エネルギーおよびグリーン水素プロジェクトで協力するための覚書に署名した。
日本では、産業部門と運輸部門がグリーン水素の主要なエンドユーザーとして台頭しつつあります。消費者の需要増加と政府のインセンティブ強化に伴い、重工業とモビリティ分野におけるグリーン水素の利用拡大が見込まれます。日本水素基金は、水素の製造、貯蔵、輸送、利用プロジェクトへの投資を通じて、国内外における低炭素水素サプライチェーンの構築を目指し、2024年9月に4億ドルを超える資金拠出をもって設立されました。水素エコシステムの発展は、イノベーション、政策インセンティブ、そして需要拡大と相まって、日本のグリーン水素セクターの成長を支えています。
その他
発電
その他
この市場調査レポートは、市場構造、主要企業のポジショニング、成功戦略、競合ダッシュボード、企業評価象限など、競争環境に関する詳細な分析を提供します。さらに、主要企業すべての詳細なプロファイルも含まれています。
・株式会社ジェラ
2024年11月:大手グローバルエネルギー企業と日本の大手商社が、アゼルバイジャンで開催されたCOP29において、再生可能エネルギーとグリーン水素プロジェクトを共同で推進するための覚書(MOU)を締結した。このプロジェクトには、海水淡水化やグリーン水素製造に関する取り組みも含まれ、日本のより広範なエネルギー安全保障とカーボンニュートラル政策に沿ったものとなる。
2024年9月:日本水素基金が正式に設立され、4億米ドルを超える出資約束額が計上された。この基金は、大手自動車メーカー、エネルギー企業、産業企業からの支援を受けており、生産、貯蔵、輸送、利用プロジェクトを含む国内外の低炭素水素サプライチェーンへの投資を目指している。
2025年3月:日本の経済産業省は、GX(グリーン・トランスフォーメーション)ロードマップの一環として、鉄鋼、化学、重工業分野を中心に、産業施設におけるグリーン水素の実証プロジェクトを支援する新たな補助金制度を発表した。
2026年1月:業界団体と政策規制当局は、日本の2034年までの長期水素供給戦略を支援するため、沿岸部の複数の工業地帯を優先的な水素輸入・貯蔵拠点として指定し、国家的な水素港インフラ整備構想を推進した。
将来の市場見通し
日本のグリーン水素市場は、日本の強固な政策枠組み、再生可能エネルギー容量の拡大、クリーン水素ソリューションに対する分野横断的な需要の高まりを背景に、予測期間を通じて力強い成長を維持すると予想されます。電解槽技術の段階的な規模拡大、グリーン水素製造コストの低下、そして国際的な供給パートナーシップの拡大は、いずれも2034年までの持続的な市場拡大に貢献すると見込まれます。
日本のグリーン水素市場とは、再生可能エネルギーを利用した電気分解によって生成された水素の生産、流通、利用を指し、その過程で二酸化炭素排出量は一切発生しない。
Q2.日本のグリーン水素市場の現在の規模はどのくらいですか?
日本のグリーン水素市場は2025年に1億870万米ドルに達し、2034年までに8億4870万米ドルに達すると予測されている。
Q3.日本のグリーン水素市場の成長を牽引している要因は何ですか?
主な成長要因としては、水素基本戦略を通じた政府の政策支援、日本の2050年カーボンニュートラル目標、再生可能エネルギー投資の増加、そして産業・運輸部門における導入拡大などが挙げられる。
Q4. 日本におけるグリーン水素に対する政府の政策支援はどのように行われていますか?
日本は水素基本戦略を策定し、規制上の優遇措置を導入するとともに、グリーン水素生産インフラと産業の脱炭素化を対象とした専用基金や補助金制度を立ち上げた。
Q5. 日本におけるグリーン水素の主な消費分野はどれですか?
日本におけるグリーン水素の主要な最終利用分野は、重工業、発電、運輸(燃料電池車や船舶を含む)、製造業である。
高い生産コスト、国内の再生可能エネルギー用地の不足、大規模な水素インフラの不足、そして他のクリーンエネルギーとの競争などが主な課題として挙げられる。
市場は、政策枠組みの拡大、国際的な供給パートナーシップ、および複数の産業分野における需要の増加に支えられ、2026年から2034年にかけて年平均成長率(CAGR)25.65%で成長すると予測されている。
注:現在の範囲を超える追加データ、詳細情報、または洞察が必要な場合は、喜んでお手伝いいたします。カスタマイズサービスの一環として、お客様の具体的なご要望に合わせた情報を提供し、それに応じてレポートを更新いたします。
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IMARCグループは、世界で最も意欲的な変革者たちが永続的なインパクトを生み出すことを支援するグローバル経営コンサルティング会社です。同社は、市場参入と事業拡大に関する包括的なサービスを提供しています。IMARCのサービスには、徹底的な市場評価、実現可能性調査、会社設立支援、工場設立支援、規制当局の承認とライセンス取得支援、ブランディング、マーケティングおよび販売戦略、競合環境分析とベンチマーク分析、価格設定とコスト調査、調達調査などが含まれます。
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大学院では科学哲学なんて学ぶカリキュラムの余裕はないし、広く自然科学を学んだ人ではなくて、医師から転向して2、3年実験しただけの人が「オレは生化学者だ」などと言い出して、しかもその手の人はロジックによる実証主義者のことが多いしで、モデル化できる現象のみが生物学だと思ってるからね。
実証的な態度は大事だけど、証明するまで信じないという論理実証主義があまり行きすぎると、くだらない仮説の反証に認知コストを費やすことになって、実に不合理。
初犯でも執行猶予なしの懲役刑にして、離島の刑務所で面倒を見て刑期満了時はそこで釈放する
接近禁止命令はあまり効果がなく抜け道すらあるのは米国でも実証されてる有様なので、物理的に切り離すしかない
飛行機か長距離船舶を使わないと被害者に接近できない地域に隔離して、万一加害者が飛行機か船を使おうとした場合はキャッチする
https://www.wpi-aimr.tohoku.ac.jp/jp/achievements/press/2023/20230523_001620.html
安定性や可逆性を有する電極材料や電解液が課題となっており、数十サイクル以上の繰り返し充放電可能な電池は、これまで報告されてきませんでした。
本研究成果は、天然鉱物でもあるコベライトの構造・形態制御によって、資源性に優れるカルシウムを主体とした高エネルギー密度型電池が、長期繰り返し充放電可能となることを実証しました。この知見を活かして、さらに電圧の高い正極材料への展開も期待されます。
https://advanced.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/advs.202512328
陽イオン輸送の遅さと、主に負極表面の不動態化による不安定なサイクル性能は、高性能CIBを実現する上で依然として重要な課題となっています。
まあ20世紀の、1970年代ぐらいまでは、そういう理論が大真面目に語られていたころもあったんだ。
それはだいたいこういうの。
「WW2の悲惨な被害があって、それを今は全員が悲しんでて、全員戦争をやりたくないじゃん。
でもその気持ち、WW1終わった直後も全員あったじゃん? だから国連とかできたし?
なんか時間が経ったら戦争嫌だって気持ちを、忘れてしまったんっぽいんだよね。
だから世界の全員が、WW2嫌だった~!、という気持ちを忘れなければ、次の戦争は起きないんじゃないか」
ガキのころ、公民館で戦争被害者のお話を聞いて、いかに戦争が嫌だったか?という気持ちを刷り込まれなかったか。あれこそが、同じ発想に基づいている。
まず戦争嫌だという気持ちとか、冷戦期通してぜんぜん効果を発揮しなかったのが実証されたし
理論的にもゲーム理論だの地政学だの歴史研究だのが進んでかなり精緻になって、民衆のお気持ちの話だけする意味なくなったし
アメリカ同時多発テロのときには、「戦争」とか「平和」の定義が変わって、国と国とが争うのを辞めるだけじゃあ何も防げなくなった。
お前が、前提が違うと思ってるリベラルのおじいちゃんおばあちゃん方は、その辺のことが分かってないの。不勉強で頭が固いから。自分が大学生ぐらいのときに学んだことを、今も信じてるだけなんだね。
ミノフスキーさんは、こどものころから空を見上げるのがだいすきでした。
星がきらきらひかると、「あの星のまわりにも、ぼくらの知らないルールがあるんだろうな」と、いつもかんがえていました。
中学生になると、ミノフスキーさんは、理科のじかんに習った「電気は目に見えないけれど、ちゃんとある」というお話に、むねがどきどきしました。
「見えないけれど、たしかにそこにあるものを、ぼくも見つけてみたいな」と、心の中でそっときめました。
大人になったミノフスキーさんは、「物理学」という勉強をしている先生になりました。
とくに、小さくて目には見えない「素粒子(そりゅうし)」とよばれる世界を調べるのが、とてもすきになりました。
ある日、先生は、宇宙で使う「核融合炉(かくゆうごうろ)」の研究チームに入ることになりました。
それは、のちに「ミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉(ねつかくはんのうろ)」とよばれることになる、大きな実験装置でした。
「ここなら、まだだれも知らない何かが見つかるかもしれない。」
ミノフスキーさんは、まい日ノートをひらき、数字やグラフでびっしりにしていきました。
あるとき先生は、実験データの中に、小さな「くせ」のようなゆがみがあることに気づきました。
「これは計算ミスかな?」と何度も何度もやり直しましたが、やっぱり同じようなゆがみが出てきます。
「もしや、まだ名前のついていない、見えないつぶつぶがあるのかもしれない。」
先生はそう考えて、新しい粒子がある、という仮説(かせつ)を論文にまとめ、学会で発表しました。
ところが、その仮説は、それまでの教科書のルールを大きく変えてしまうような内容でした。
「そんな粒子は聞いたことがない!」という学者さんたちが多くて、ミノフスキーさんの発表は、ほとんど信じてもらえませんでした。
中には、「そんな粒子なんて、作り話じゃないのか」と言う人まであらわれ、先生は「詐欺師(さぎし)」とまで呼ばれてしまいました。
それでも先生は、ノートをとじませんでした。「数字はうそをつかない。きっと、いつか分かってもらえる。」と、心の中でくり返しました。
ある夜、おおきな実験炉のそばで、先生はひとり、機械の音を聞きながらデータを見つめていました。
グラフの線が、いつもとちがうところで、ふっと折れ曲がっているのです。
「ここだけ、電波がとどきにくくなっている……?」
通信機のテストでは、ある条件のときだけ、電子機器がうまく動かなくなることが分かってきました。
「やっぱりいるんだ。目には見えないけれど、電波やビームのじゃまをする、ふしぎなつぶつぶが。」
先生の胸は、高なり、手はすこしふるえていました。
・同じ条件で何度も実験すること
を、何か月もくり返しました。
たくさんの実験と計算のすえ、「ふしぎなつぶつぶ」の存在を、ほかの研究チームもたしかめることができました。
宇宙世紀0069年、ついに新しい粒子の存在が実証され、世界じゅうの学会で正式にみとめられました。
その粒子は、発見者の名前から、「ミノフスキー粒子」と名づけられました。
「ぼくの名前がつくなんて、少しはずかしいけれど、うれしいな。」と先生は、すこしだけほほえみました。
ミノフスキー粒子の発見は、宇宙世紀の科学や軍事技術に大きなえいきょうをあたえました。
このできごとは、「ミノフスキー・ショック」と呼ばれ、のちに教科書にも書かれることになります。
ミノフスキーさんは、じぶんの古いノートをめくりながら、学生にこう話しました。
「新しいことを言えば、さいしょは笑われるかもしれない。まちがっているかもしれない。でも、あきらめずに考えつづければ、本当に世界を変える発見になることもあるんだよ。」
本稿は、日本のECサイト「楽天」に代表される高密度情報型デザインと、書物文化に見られる静的・省略的デザインとの対照を軸に、現代の情報嗜好と知的傾向の分岐を検討する。
近年の統計によれば、日本では「1か月に1冊も本を読まない」者が6割を超え、読書離れが急速に進行している一方、ECサイトにおける視覚的デザインの工夫が購買意欲を有意に高めることが報告されている。
本論では、これらのデータを参照しつつ、楽天的デザインに親和的な層と、これを忌避する層の間に見られる情報処理様式と時間意識の差異を、読書行為の変容という観点から理論的に位置づける。
デジタル空間のデザインは、単なる視覚表現ではなく、そこに関与する主体の認知特性や価値観を反映する文化的装置である。
楽天市場のようなECサイトでは、価格情報やポイント倍率、キャンペーンバナーなどを画面上に高密度で提示する設計が長らく採用されてきた。
一方、近年のECトレンドとしては、ホワイトスペースを活用したミニマルなレイアウトや「視覚的な疲労を軽減するクリーンなデザイン」が推奨されるなど、楽天的デザインとは対照的な志向も強まっている。
ある調査によると、「1か月に1冊も本を読まない」と回答した者は6割を超え、数年前の調査から大きく増加している。
このような状況は、視覚情報の大量消費を前提とするウェブ環境と、静的・継時的な読書体験との間に、選好や習慣のレベルで断絶が生じている可能性を示唆する。
楽天的デザインの志向原理は、「即時的理解」と「報酬感覚」に集約される。
新規UIについてユーザビリティテストやA/Bテストを反復し、「操作性」と「わかりやすさ」を定性的・定量的に評価する枠組みが整備されていることは、「ユーザーが短時間でお得さやメリットを理解し、すぐに行動できる設計」が企業側にとって合理的であることを示している。
視覚デザインが行動に与える影響については、ファッションECサイトを対象としたオンライン調査が参考になる。
ある調査では、15~69歳の男女100名に対し、「デザインされたページ」と「文章のみのページ」のどちらが購入意欲を高めるかを問うたところ、過半数が前者を支持し、後者は一桁台にとどまった。
この結果は、情報の「量」だけでなく、「視覚的構成」が購買行動を強く規定することを示す。
楽天的知性とはすなわち、こうした視覚的・即時的な情報環境に最適化された判断様式であると言える。
これに対し、書物のデザインは、伝統的に情報量を統制し、余白と行間によって「読者の内的処理」に委ねる構造を維持してきた。
読書離れの進行は、この「時間を要する認知様式」が、スマートフォンやSNSを中心とした即時的情報処理様式と競合し、相対的に不利な選択肢となっていることを意味する。
したがって、「楽天的知性」と「読書的知性」の対置は、単なる趣味嗜好ではなく、情報処理コストと報酬構造の差異に根ざした構造的分岐とみなすことができる。
では、この分岐を超えて、楽天的知性と読書行為を再接続することは可能だろうか。
EC分野の調査が示すように、視覚的にデザインされたページは、文章のみのページに比して明確に高い購買意欲を喚起しうる。
この傾向を読書の文脈に適用するならば、「読書したくなる本のデザイン」を設計する余地があることになる。
具体的には、以下のような方向性が考えられる。
章ごとに要約やインフォグラフィックを挿入し、視覚的な「到達点」を明示すること。
紙・電子を問わず、読了進捗を可視化し、小さな達成感を連続的に与えるUIを導入すること。
QRコードやリンクを通じて、関連資料や動画・図解にアクセスできる多層的テクスト構造を提供すること。
これらは、伝統的な読書観からすれば「楽天的すぎる」異端と映るかもしれない。
しかし、ユーザーの本音や行動データを基にUIを不断に更新していく実務的枠組みがすでに存在する以上、読書体験側もまた、利用者の認知特性を前提とした再設計を回避することはできないだろう。
本稿は、楽天的デザインと読書的デザインの対立を、現代日本における情報嗜好と知的様式の分岐として整理し、いくつかの実証データを通じてその背景を補強した。
「不読率」が多数派となったという事実は、読書行為がもはや自明の文化資本ではなくなった現状を示し、
一方でEC調査は、視覚的に構成された情報環境が行動喚起に非常に強い影響力を持つことを明らかにしている。
「楽天的インテリジェンス」を単に俗流と切り捨てるのではなく、現代の支配的認知様式の一形態として理解し、それに応答するかたちで読書メディアを再デザインすること。
この課題を引き受けるとき、読書文化は「静的知性」と「動的知性」の二者択一を超え、それらを連結するハイブリッドな知的実践へと移行しうる。
その反論は典型的な、一事例から一般原理を否定するタイプの自己放尿的思考だ。
まず、「中華は計画経済でレアアースを引き当てた」という主張には、重大な理論的混同がある。それは資源の存在と資源の発見・利用・配分を区別していない点だ。
レアアースは引き当てたのではない。地質的に存在していた。問題は、それをどの制度が効率的に発見し、採掘し、供給し、価格付けしたかである。
ここで重要なのは、価格理論の基本命題、すなわち、資源配分は分散した知識とインセンティブ構造に依存するという点だ。
市場は価格を通じて情報を伝達し、資源を最も価値の高い用途に導く。この自動操縦装置を無視して、国家が見つけたという物語に還元するのは、分析として粗雑すぎる。
中国のレアアース支配は、①市場的要素の導入(部分的自由化)+②環境規制の意図的緩和+③低賃金労働+④国家による輸出制限というハイブリッド構造の産物である。
これは純粋な計画経済ではない。むしろ歪められた市場のケースだ。
レアアースの国際市場で中国が優位に立った最大の理由は、他国が環境コストを内部化し、中国がそれを外部化したことにある。
これは比較優位ではなく、規制の非対称性によるコスト歪曲だ。つまり、ここでもまた制度的自己放尿が起きている。
さらに言えば、中国の優位は持続的ではない。なぜなら、価格シグナルが機能すれば、以下の調整が起こる。
これはまさに価格理論の教える動学的調整過程であり、一国が資源を独占し続けるという静学的発想自体が誤りだ。
第二に、一時的優位を制度の優位と誤認する動学無視の自己放尿。
さらに決定的なのは、中国自身がすでに計画経済から逸脱している点だ。
改革開放以降の成長は、国家統制ではなく市場メカニズムの部分的導入によって説明される。
これはまさに経済的自由の拡大が繁栄をもたらすの実証例である。
「中華は計画経済でレアアースを引き当てた」という主張は、地質と制度、静学と動学、発見と配分を混同した理論的自己放尿である。
そして皮肉なことに、その誤解に基づいて「日本も政府主導でやるべきだ」となると、それは誤った教訓に基づく政策的自己放尿の輸入になる。