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はてなキーワード: ドイツ人とは

2024-12-13

バレンタインの悲しい思い出

中学生の頃に白人ドイツ人友達がいた。近所に同世代の子供が自分しかいなかった事もあり、よく遊んでいたのでかなり仲が良かった。

小学生の頃に大学先生だった父親に連れられて日本に来ていた。まあまあな田舎だった地元では結構目立つ存在だった

彼は消臭力ミゲルくんみたいな美少年美青年?)で、とにかくモテた。(以下ミゲルくんと呼ぶ)

同学年はもちろん上下の学年にもモテてたし、話しかける勇気がない層も含めるとかなりの数のファンがいただろう。

一緒に電車に乗って街に遊びに行ったときには社会人らしき成人女性から話掛けられて連絡先を貰っていた(もちろん自分無視されていた)。まぁそれについては今考えるとヤバいなと思うけど

 

そんなモテモテの彼だからバレンタインデーにはとんでもないことになる。学校チョコを持っていくのが固く禁じられている為、放課後に彼の家にチョコを渡しに来る女子が大挙して押し寄せるのだ。田舎で1つの家に人だかりが出来るのは餅まきの時ぐらいしかないのだが、それに匹敵するほど女子の群れが出来ていた。

 

もちろん自分蚊帳の外なのだが、自分の家のチャイムを鳴らす女子が現れた。

急いで玄関に走りドアを開けたのは自分ではなく母親だった。

母親ミゲルくんの家の盛況に気づいていたのだろう。そしてその中でもミゲルくんではなく自分の息子にチョコを渡してくれる女子が現れたのだと思ったのだろう。

増田友達が来てくれたよ!」

母が嬉しそうに呼びに来る。

でも自分は気づいていた。彼女たちは自分チョコを渡しに来たのではないのだろうと。

 

「これミゲルくんに渡してくれる?」

目立たないタイプ女子2人組から、きれいに包装された小箱を受け取る。

ミゲルくんに直接渡す度胸のない女子からチョコ配達係に任命されたのだ。

やっぱりねと思いながらも、ミゲルくんに渡すことを約束した。

2人が帰った後、自室の学習机に備え付けてあるの一番広い収納スペースに小箱を保管し、夜になってからミゲルくんに渡した。

 

その日一日母はご機嫌だった。けれど何をもらったのとかは聞いてこなかった。思春期で恥ずかしがるだろうからとの気遣いだろう。

それが苦しかった。母に申し訳なかった。異性から見向きもされない息子でごめんって。(ちなみに裏で一部の女子から金魚のフンと呼ばれていた)

 

ミゲルくんとは高校別になって会う頻度が減り、高1の夏休み終わり頃に彼は父親と一緒にドイツへ戻った。

というような話をブラックウォッシュ関連の話題で思い出した。

誰が悪いとかいう話では無いので気持ちの持って行く場所が分からず、未だに思い出しては傷ついている

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(補遺1)

 anond:20241213001612の補足編(多分続くので1とした)である

 こんな話題に食いつく人などいないと思ったが、いたので嬉しい驚きだった。今回はコメントを見てみたいと思う。あとやっぱりヴィルトゥオーゾ系の曲はまた別に七選作ろうと思う。超絶とパガ超パガ大が別にあるとはいえ演奏会練習曲集1つとノルマの回想だけではさみしい。

リストリスト

前期のブコメちょっと笑ったが、実はリストの両親のスペルはListである(マジ)。

ピアノソロ曲じゃないけど、リストピアノ協奏曲第1番を聴くと過度にゴージャスでなんか笑えてくる。フリードリヒグルダチェロ協奏曲を聴いたときの笑いに似た感じ。

トライアングル協奏曲命名リスト政敵エドアルト・ハンスリック)ねw スター時代の曲だが、実は循環形式を大々的に活用した野心作で、ピアノソナタ ロ短調の前段階にあたる曲の一つという。

6,7年前だけど中学校音楽で習ったよ

今はやるのか。前期編でうかつに音楽史上の重要性はバッハベートーヴェンに劣ると言ってしまったのだが、音楽史上重要作曲家というのは、ナショナリズム時代様式となった近代以降現在までの歴史認識の上で成り立っていることが多い。バッハが再評価されたのはドイツナショナリズムの高揚なくしては考えられない。ベートーヴェンだってそうだろう(彼の曲にはフランス革命への共感という要素が強くあるが、一方でドイツ民族古典の頂点とみられている)。リストナショナリズム歴史認識からは扱いにくい。リスト音楽史上最も評価されているのは新ドイツ派の旗手として、特に交響詩様式確立させたことであり、紛れもなくドイツナショナリズム文脈だ。ピアノ表現技法を著しく拡大させたという点については、扱いが薄い。ピアノ楽器王者だが、一方で知名度の壁を貫通して義務教育レベルまで到達してくるピアノ曲がどのくらいあるか。タールベルクをはじめとして同じような貢献をした19世紀ヴィルトゥオーゾたちの名前ピアノ史を詳しく調べなければ出てこない。

リストの両親はドイツ系だが、ドイツナショナリズムに含めにくいオーストリア人※でしかハンガリーまれ(ということはハンガリーではリスト少数民族になる)、生活パリフランス語話者とつかみ所がない。ショパンパリ活躍したコスモポリタン的な人物ほとんどの曲がピアノ曲だが、生まれも育ちもワルシャワからそう遠くない近郊地帯で、リストのように辺境の生まれではない。何よりポーランド分割に憤り、ロシア皇帝直々のお誘いを断ってでも「亡命ポーランド人であることを貫き通した生き様は、ナショナリズム歴史認識に乗せやすい。彼の「革命」(op. 10-12)などが記憶されているのも多分にそのせいのはずだ。

オーストリア支配するハプスブルク支配多民族帝国チェコスロヴァキアハンガリールーマニアetcの「民族牢獄」と呼ばれた)なのでドイツナショナリズムによる国家統一不可能である歴史上「大ドイツ主義」が挫折したのはそのせい。

生演奏を聞いた伊藤博文が「連れて帰れないか」と言ったそうな。

そう言い出したので慌てて西園寺公望が止めたという話がありますけど本当なんでしょうかね。無理を言ってでも連れて来てくれれば、日本音楽界も違ったものになっただろうになぁ。

巡礼の年イタリアチョ・ソンジンが最高だった。ダンテで涙出た(リサイタルで聴いた)けど、音源は出してないんだ。。。/ロルティも好きです。

浜松ピアノコンクールライブ映像があるがやばいhttps://www.youtube.com/watch?v=_nG3CyuNC00/このライブ録音のCDがほしい)。本当に15歳だったのかこの人(結果は優勝)。

有名なラ・カンパネラはパガニーニ練習曲に含まれる曲。改訂を経て、軽薄だけどわかりやす演奏効果の高い第3稿を決定稿としたリスト時代を見抜く目があったと思う。

やべぇよやべぇよガチの人来ちゃったよ・・・

いつも見ております。おかげさまでピアノ協奏曲のオレイニチャク盤に巡り会いました。ありがとうございます

コメントしたアーノンクールこと「コスモピアニスト」氏はショパンラヴェルCDレビューを大量にHPに書いている(https://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/index.html)。

ショパン元カノマリーとの関係をぜひkwsk(もはや音楽関係ない。いや、むしろ音楽性に影響があったとか?w) あの時代作曲家界隈のドロドロネタで本が書けそうですね。

サロンありがちなドロドロした人間関係の方がもはや興味あるの分かる。正直私にはちんぷんかんぷんなので誰かマリーに焦点当てた本書いてくれないか

良し悪しはさておき重要曲としては音楽史的にも無調のバガテルは外せないのでは?

え?入れたけど

学生時代エステ荘の噴水を弾いて大人になりローマ近郊のエステ荘の噴水を見に行きました ^_^ https://maemuki.hateblo.jp/entry/2013/01/26/005305

リンク拝見しました。10年以上前にこの記事読んでました。実は私はこの記事を読んで本格的に「エステ荘の噴水」に開眼しています。そんな人が逆に読んでくださって本当に嬉しい。

クラシックはよーわからんけど超絶技巧ピアノといえばワイはやっぱり東方Projectピアノアレンジが好きやで(以下略

話題についていけないならとっとと負けを認めればいいのに

https://anond.hatelabo.jp/20241212212539

 言及でついた※から後者の下についてるコメント(前者の反論?)がいうように勝ち負けの問題ではないから好きにやれば良い。それよりたったこれだけしかないんですか? もっとあるでしょ東方アレンジやってる奴。MIDI音源で作ってる人も含めて。ピアノ編曲の善し悪し含めて知らん奴に布教してくれたら最高や。

ブコメにあった

詳しくない分野の熱烈なテキストを読む快楽は他に代え難い。みんなどしどし書いてほしい。

というコメントの通りである

リストは手が大きい。彼の曲は日本の小柄な女性はいくら手を広げても弾けない曲がある。そしてその曲の美しさよ。どうやっても届かないあの美しさに悔しさと羨ましさで恍惚となってしまう。

本当にそうだろうか。確かに、ロルティペトロフ、あるいはヴォロドスのようにその恵まれまくった体から繰り出される力強い響きと(特にロルティは)恐ろしく繊細な音色コントロールを見ると、恵体こそがリスト大前提のように思われる。パガ超を弾ききったフィリペツ(ノルマでは映像を挙げた)もそうだ。しかし、前期で紹介したノ・イェジンのように、小柄な体で「ノルマの回想」を立派に弾いている人もいる(映像あった/https://www.youtube.com/watch?v=gostiJcVod4)。PTNAのコンクール映像などを見てみると、小柄な日本女性ピアニストリストの曲に果敢にチャレンジしている動画結構ある。昔何かのコンクールリスト編の「ギョーム・テル」序曲を弾き出した勇者がいてぶったまげたことがあったが、その人も女性だった(探したら映像があった/https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。アムラン同様大変なテクニシャンであるティーヴン・ハフも痩身小柄な体型をしている。何度かコンサートに行ったが「ダンテを読んで」では顔を真っ赤にして渾身の力で演奏していた。そう考えると、小柄な女性リストは弾けないというのは、何かを間違っているだけなのではないか日本人が無理してドイツ人のような歌唱法を真似して喉を痛めるみたいな話を声楽をやっていた人からいたことがあるのだが、似たような問題なのでは?

追記

anond:20241213202638 で以下のような有難い指摘があった(リストハンガリー人としての意識からLisztと綴ったという旨)。なるほどと思うと同時に、自分の話は出典が思い出せなかったので、消しておいた(できれば何か出典があると助かる)。

マジャル語ではszの綴りで/s/を表すので

音通リスト発音させるためにLisztと綴ったのだ。

単なるsはマジャル語で/ʃ/になるから

Listだとマジャル語読みでリシュトになってしまう。

ファーストネームリスト自身はFerenczと綴っていたことがうかがえる。

それと多分同じ人だと思うが、ハンスリックの上の名前はまったくの誤記で、こちらも感謝する。訂正しておいた。

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1. 超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれ、チェルニーの影響下にあった「48」や、パガニーニの影響で改訂した「24」と比べてみると明らかに内容的に充実し、演奏効果も増大している。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 この曲もこの時期に改訂されて完全版になった。初版第4曲は単音アルペッジョになりおとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げたおかげで今日までよく知られている。

 パガ超と違い録音が多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるが、穴がなく安定している。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを買えば良いだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。非常に高水準の演奏だと思う。

3. ピアノソナタ ロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

 (追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソンゲルナーレーベル覚えてない)の演奏もの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTube動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09oコンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな

5. ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6. タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

anond:20241211120632

なぜか敵(かたき)役がナチスドイツイメージなのでドイツ人が切れた、とか、、

2024-11-30

11月

11月。私は、フロと出会った。

ベルリンの、秋だった。

彼はルドウという、東京でいうと府中のような所に住んでいた。

穏やかで大きな家が立ち並び、お行儀よくベンツ玄関先に停まっている。

道路日本における未開の地、名古屋のように広く、礼儀正しく整備されている。

空がひらけている。

私はコンサートを見終えた後、深夜11時ごろに彼と出会った。

彼は相変わらず、といってもその時は初対面だったが、眉尻の下がったあまりにも優しい世捨て人のような風貌で、パンクな黒いパーカーを着ていて、手をあげ、私にやあという合図をした。

彼の身長は私とあまり変わらないくらいだった。

私はヒールを履いていて、私の身長は165センチ位ある。

彼はたぶんそれをどこかで気にしていて、同時に気にしていないと私は思う。

今、二人が出会たことを思い起こすと、その時から3週間は経っているのに、胸が張り裂けそうで、ただ喧しいくらいの大きな声で「アイシテル」と叫びたい。まるでサンボマスターボーカルの人みたいに。愛してる、フロ。愛してる、愛してる、愛してる…。

そのくらいに彼は衝撃を、私の人生を大きく変えた人だった。

彼は本当に誠実だった。真摯で、当然ヨーロピアンさながら紳士で、真剣すぎるくらい真剣で神経質だ、人生事柄に対して。

愛している。

実をいうと、私たちワンナイトだった。

私がアプリで彼に寝ようと誘った。

彼は、後から聞いた話でいえば、ただ友達として出かけたかったので、面食らったと言っていた。

それでも彼は、パンクな骸骨の描かれた、着古した彼の黒いパーカーを着てやってきた。彼は27歳なのだが、そのラフな歩き方、なんて可愛らしいんだろう。

さて、なぜ彼がそんな尻軽な女の面食らわせてきたメッセージに応じてのこのこやってきたかといえば、もう簡単だった。答えは、「僕は日本女の子が本当に本当に好きだから…」だそうである。幸あれ、フロリアン天国

そうして私たちはルドウの夜に邂逅した。今は彼を深く愛している、しかし、私はその時彼を愛していなかった。

暗い、暗い地方の闇夜だった。小さいガス灯を思わせるオレンジ道路灯が目に滲んだ。幼いころ、行楽から帰る首都高速の、父の運転する後ろからまなじりに涙を溜めて眺める首都高の街灯みたいに。私は、ただ地方のような広く、文化的に浅く、人の暮らすただの町にいた。(ルドウは正しくは村だ)

そしてベルリンマツモトキヨシであるDMドラッグストアの前にいた。23:45。シャッターは降り、背後にはバス停が寂しく光り、完全に町は休息して沈黙していた。

今、私の股から男の精液が零れ落ちる。私は先ほど過ちを犯したばかりだ。さあ、今、書かなければ。私を、ルドウにこのパソコンが連れて行ってくれる。繋ぎとめて。フロリアン、フロ…。しかし不義を犯した女に彼を呼ぶ資格などない。ああ。

そうして私たちは、ルドウを歩き始めた。

彼は最初に尋ねたのだ、ドライブがいい?散歩がいい?

散歩がよかった。そしてそれを伝えた。

彼は非常に控えめな口調で自分散歩を愛していることを告げた。

私たち英語は拙かった。フロリアンあなたドイツ人なのにね。(ドイツ語英語は非常によく似ている。)

愛している。ああ、繋ぎとめて…。

さて、我々は拙い英語のようなものを駆使し、日本について話した。彼は日本庭園が好きだと告げた。

侘び寂びの話をした。

ルドウの秋の道が流れていく、私たちの歩が進む度に。私は非常に感嘆の声を上げ、何度もルドウという町を称賛した。

彼は東京の方がプリティだと言った。

フロはルドウに生まれルドウに暮らしている。

私たちは寝た。

そして寝た男女の例によってピロートークをした。

翌朝私たちは新しい白い朝、ルドウの退屈さを前面に押し出したみたいな住宅街の朝を歩き、彼はその時に私に伝えた、ルドウに生まれたんだ、と、そう言った。

そうだ、いい調子だ。パソコンキーボード。そうだ、私たちは寝た。

我々は非常にアニメの話で意気投合し、彼は私を気に入った(ように見えた、少なくとも。)

そしてふっと、道が交差点になったところでフロリアンが言った。僕の家はここから歩いてすぐなんだ。

私は彼のお眼鏡に適ったようだ。喜んでお受けし、我々は本格的にルドウの住宅地の画地に割き入りこんでいった。

彼の家は普通に平屋でびっくりしたのを覚えている。あ、普通に実家?!と。

ベンツが停まっていた。芝生は大変健康そうに、茂っていた。

部屋に上がる。玄関ハリウッド映画で見たアメリカ居間のようなものが広がっていて恐縮した。似顔絵がある、おそらくフロではない誰か家族の…。バラ。活けられている。奥に見える暗い、秩序と富を感じるキッチン

フロはいきなりキスをするようなことはしない。彼は真摯なのだ

そのため我々はお馴染みのオタク的ゲーミングPCの前に、ゲーミングチェアによっかかり、当たり前にYouTubeを広げ、検索語句を伝え合い、タイプし、そして、たまに肘を触れ合わせ…。きゃあ。修学旅行イケてる男女みたいだ。ははは。

そしてやっぱりときめいてしまう。あなたを愛している。好んでいる、かな、正しくは。

話はお互いの好きな音楽ジャンルの話になり、移り、成り、そして宴もたけなわになった。彼はふとベッドを見、ベッドに腰掛け、私はベッドにあったぬいぐるみを彼から受け取り、ぬいぐるみの鼻で彼の鼻にキスをした。彼は大変可愛らしく笑い声を立てた。ふふっ。そう、顔は笑顔だった。ああ、フロリアン

そして一度ハグし、それから…。ああ、私は自分の取ったアクションしか仔細に書いていないではないか

フロリアンには強い、強いエンパシー共感性)がある。私は共感する力はとても弱い。

おそらくフロリアンだったらもっとこの文章を違う風に書けただろうなと思う。しかし、私は書いている。今、私は書いているのだ。

トラウマが目の前を歩いてよこぎる…。垂れゆく精液…。ああ、ああ。嘆かわしい。

しかし私には私の視点しか思い出すことはできない。恐縮だ、ご容赦あれ。

私たちはそ…っと、本当に自然に、風のように、しかし照れくさく、春風のように、期待を孕んでキスをした。直後めちゃくちゃ口臭が気になって、私から頼み込んで歯磨きを二人して始めた。なんて滑稽な。

満を持してキスをする。交わされる腕。彼の口元は本当にふんにゃりと湿っていて心地が良く、性感において気持ちがよかった。要はキスうまい質の口に生まれついていた。

そして、キス自体も。

彼は全身全霊をキスという言語で伝えるかのように私を愛した。本当に、驚異的な宇宙が彼の中と、二人の間にこだましていた。

そして私が横たわりたいと言った。

二人は横になった。フロリアンが私にまたがり、彼が心をキスで満たし、伝える。私は口臭を気にしながら、少しづつ応える。息が上がっていく。

彼は自分から私の服を脱がせなかった。なぜかはこうして今になっても分からない、不可思議だ。

しかし彼は私の背中にそっと手を差し入れ、円を描くようにさすった。私は感じた。

我慢ができなくなるまでそれは続いた。

卑怯な言い方だったと思う、だがまあ、私は問うた。何かしたいことはない?あなたがしたいこと、なんでも、私は叶えたい。

すでにその時彼のことを大分好ましく思っていた。

服脱ぐ?と彼は言った。愉快な話である

私がオーダーし、彼が私の服を脱がせた。スカートパンツ自分で脱いだ。

ああ、私はとても眠い

寝ようと思う。

私たちは愛し合った。

そして翌日の飛行機ももう何もかもをかなぐり捨てて彼を、おそらく彼も、昨夜ってやつを反復した。舌で、心の目で、何度も、何度も。何度も何度も。

私は、もう彼に恋に落ちていた。

そして私は彼に付き合いたいと迫る。

彼は私に愛を返そうとし、しかしいろいろな私の自分勝手さに嫌気がさす。

私は自分を見つめなおす。

彼は私の新しい人生を、彼の言葉を用いて拓く。

私の新しい、喜ばしい生が彼の作品として私が生き続ける間続く。

彼に連絡先をブロックするように話し、それは実行される。

私、男友達と寝る。

現在、狂ったようにパソコンに向き合う。

フロリアン、私はもうあなたには会う資格がない。

でも、おいしいものを食べて、生きていくよ。あなた生命をくれたから。

もう言えないかもしれない、この言葉がある。

愛してる。

2024-11-18

斉藤の再選によせて または パワハラって減ってんだなあ

パワーハラスメント報道がたくさんされていたが、これを現実味を持って実感出来る人が減ってる気がする。

それだけ世の中からパワーハラスメントが減ってるって事じゃないかなって思った。良い時代です。これは素直によいことです。ただ、これによってパワハラって事の具体的なイメージが無くなって来ている、実感として悪い事だという事がイメージしづらくなってるんじゃないかな。

これは、他の同種のうねり(繰り返す波)に、戦争関係のれきしがある。戦争のものも、そして、戦争を直接知っている世代と接したことがない世代も増えて、戦争が起きないようにすると言う施策活動が力を失っている事がある。これが振り戻しが実際に現れたわかりやすい例だと思う。


中国の台頭とか、アメリカ第一トランプ政権から圧力などに直面する前。

日本防衛費無茶苦茶削られてて、GDP1%と言う枠の中で、港湾の整備費や飛行場修繕費など、それって防衛費じゃないよねみたいな金まで支出されてカツカツだった。

実はアメリカですら、9.11を迎えてしまう前はそうだった。これは、戦争現実の脅威と考えられなくなっていたからだ。

逆方向には、草の根平和活動とか、そういったものバカにされる風潮もそれだったと思う。戦争反対ってなんだよ、戦争なんて起きるわけないだろ、みたいな。

その状態ヨーロッパなどでも起きていたし、彼らにとってアフガニスタンとか中東系の戦争は違う世界戦争だったわけだけど、その状態を付いたのがウクライナ危機であり、ウクライナ危機は同じヨーロッパ人が侵害されたと言う事で一気に動いた。

日本台湾情勢に、スプラトリー諸島問題などで現実問題として認識されたわけだ。

ただ、これはそのまま防衛意識が高いままで警戒がされていたら、中国ロシアなどの暴発など、こういったことが起きていただろうか?と言う議論がある。


一方で今回のモラハラパワハラ斉藤が再選した件も、それなのではないか

まり、世の中からパワハラが大きく減っていて、それに晒されている人が少なくなったから、実感を得られていないのではないか

たかつて石原慎太郎らが仕掛けた怪文書などによる選挙工作昭和選挙ファンタジー扱いされつつあり、実際に痛い目に遭ったことがある人、あるいは痛い目にあった事のある人から情報を見聞きする事が少なくなったのではないか

その結果、それらを問題視する人の声をリアリティ持って受け止める事ができず、問題への支持が広がらず。

一方で「不倫問題」のような、現代でより身近に現れて、インスタントに分かりやすく「経験」と結びつきやすい、実感を得やすものが登場し、共感を得やす問題によって印象が上書きされたことによって、ご覧の有様になったのではなかろうか。


愚者経験に学び、賢者歴史に学ぶ」と言う言葉ある。これは元々ドイツ人ビスマルク格言だが、この「経験」は意訳で、実際には「失敗」という言葉が宛てられている。どうやらそちらの方が原文の意図に近いらしい。

愚者は失敗に学び、賢者歴史に学ぶ

そして、私も含めてほとんどの人が「歴史に学ぶ」事のできる領域は、恐らく自分の専門分野のみなのだ

それ以外では愚者なので、今回のようなことは無数に引きおこされて、歴史は繰り返してしまうのだと思う。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。しかし、忘れて熱湯を飲んで死ぬようなことになったら致命的だ。

大事な事は、できるだけ小さな失敗に留めて、そこから多くの事を学べるようにすることぐらいしかない。

各自衝撃に備えねばならない。

2024-11-16

英国植民地になった事がなくてもフランス人ドイツ人英語できるんだから

単に言語体系が違いすぎるせいだよ

つーか戦後は実質米国植民地なんだから、その時に日本国を徹底して排除して英語統一してくれてたら今こんなに苦労しないで済んだのに

うぃっちわっち(丁稚)

@Witchwatch99

Q:日本人はなぜ英語が苦手なのですか?

A:英国植民地になった事が無いからです

https://x.com/Witchwatch99/status/1857548640002388078

2024-11-13

安部晋三暗殺された週の米国工作員ものビビり様は非常に興味深かった

先日ドイツ人和歌山失踪死亡したあとも、いつも日比谷公園でうだうだしてた白人系のお客さんがあっという間に消えたし

震えて眠ってるかなぁ

2024-10-18

ピラティスとは何ですか?


ピラティスとは、ドイツ人看護師のジョセフ・H・ピラティス氏が、第一次大戦で負傷した兵士リハビリのために開発したエクササイズです。 体の深層部にあるインナーマッスルを強化し、体全体のバランスを整えることで、背筋が伸びた美しい姿勢、しなやかで自由自在に動く肉体など、理想的な体と健康に導いてくれます

2024-10-16

アニメは30年もすれば「ダッセwwww今どきアニメかよwwww」って扱いになると思う

歴史物語ってるんだよね。

50年前ぐらいまでは「軍隊オタク」が世界トレンドだった。

世界一かっこいいはずのドイツ人ですら「ナチ Ist cool!」だったからね。

でも気づいたら軍隊オタクは格好悪くてキモくてニキビ面でカードショップみたいな臭いがする連中って扱いになっていった。

それこそバブルが弾けるようにあまりにも突然にそれはやってきたんだよ。

他にも「皇族王族好き」や「ヤクザ好き」といったブームがあったけど、完全にキモくてダサくてどうしようもなく時代遅れななにかへと変わった。

時代の変化はいだって突然だ。

綺羅びやかだろうが庶民派だろうが関係ないんだ。

今、アニメ世界的に凄いブームCOOLだ。

アニメ好きといえば言語化能力障害があって死ぬまでバージンの憐れな生き物だった。

それがいまや「アニメが好きなのが普通。未だにアニメを叩いてるような老害って太陽の季節センズリしてるような奴らでしょ?」って扱いだ。

スピードブームが来てるね。

まり、このバブルが弾けるまでのタイムリミットも早いってことだよ。

10年は持つと思う。

20年後、怪しいよね。

30年後、多分きっとおそらくもう駄目だろう。

アニメなんて未だに好きな奴って、手紙を認めるとき俳句にしてそうwww」ぐらいの扱いになっててもおかしくないよ。

2024-10-12

anond:20241012160445

ドイツ人あんなに愚かだったとはなぁ

ヒトラー日本国民を羨ましがったのにも納得

ドイツ見てると日本のほうが先の大戦の「本当の反省」ができてたなって感じるよな

ドイツナチス反省をした結果今のイスラエルを生み出して結果的パレスチナ人を殺してるわけじゃん。

まりドイツ人は現在進行系でパレスチナ人を殺してるわけよ。ナチスから何一つ変わってない。ナチスドイツは今現在も生きている。

一方我らは先の大戦中韓への犯罪という狭い枠組みではなく人類に対する犯罪として正しく認識しているか宗主国であるアメリカの行いを除いて全ての戦争犯罪を正しく非難できている。

イスラエルの行いをドイツ人が称賛しているのと違い、中国ウイグルへの行いを強く批判しているし、ロシア侵略イスラエル虐殺非難できている。

日本戦後教育が正しかたことの証明だろこれ。

2024-10-02

ハマス言い訳にすればジェノサイドをしてもいい」という風潮を放置し続けたら、最終的にユダヤ人世界中虐殺して回るようになる

なぜならユダヤ人自分たちに「ジェノサイドをしても許されるだけの道徳的優位性」があると本気で信じているから。

彼らの被害者ぶりっ子に負けて「仕方ないよね。自分たちジェノサイドされたし、今回は流石に相手に非があるよね」と口にした途端にそれを錦の御旗としてくる。

「じゃあ今度はドイツ人を皆殺しにするぜ!ヒトラーに対する復讐なので道徳的に正しい!そうだよな!?」と拡大解釈をするのは目に見ているんだよ。

そしてドンドン広げて最終的に「ユダヤ人以外の全ての人類は、ユダヤ人一方的に殺されても許さなければいけない。なぜならユダヤ人被害者であり、道徳的優位に立っているから」ということにされてしまう。

この未来が見え透いているから、皆してユダヤ人の「ジェノサイドしてもいいよ券」のおねだりを抑え込もうとしているんだよ。

流れ見えてない奴がまだいそうなので簡単にまとめました。

これでも分からない奴はもう救いようがないので黙っててください。

anond:20241002100148

1938年のミュンヘン会談があるよ。

ヒトラーチェコスロバキアドイツ人が多く住んでいるズデーデン地方割譲要求した。

断られたら戦争も辞さな覚悟ヒトラーだったが、イギリスフランス仲裁によってその地方ドイツ割譲された。

anond:20241002060039

ただ、愚かで短絡的な方法を取ったからこそ

短期的にユダヤ人を殺すことができたとも言える

合理的なやり方をやっていたら長期的には負けていただろう

長い目で見ればドイツ人も完全に負けている

今回も世界ユダヤ人に思い知らされることになる

そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎もっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙あいだに、棒になって出る。 「ありがとう書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題わからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生あくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんものだと思ってるから若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎社員に知った者があるからその男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか存在無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞記事もっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまたから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子かぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙法則は変らないが、法則支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操教師竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレット結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子結婚信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しか先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生ハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

https://anond.hatelabo.jp/20241002005940

一二

 演芸会は比較寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。

 それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由説明して聞かせた。三四郎承知した。

 夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。

「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しか三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。

「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから

 先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである

「雨になるかもしれない」

「降ると困るでしょう」

「出入りにね。日本芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」

「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかいからでしょう」

「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」

 三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。

「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋簡単な芝居ができそうなものだ」

先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」

「君ギリシアの芝居を知っているか

「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」

「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」

 また与次郎悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しか斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。

 先生それからギリシア劇場構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいドイツ人の説によるとアテン劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうであるもっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。

 さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である

「どうです、せっかくだからはいりになりませんか」

「いやはいらない」

 先生はまた暗い方へ向いて行った。

 三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである

 入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである

 舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっと与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。

 幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かい談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどもも与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。

 あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。

 隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。

 すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。

 そのそばにいる男は背中三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいあいその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎あいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。

 すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎背中をたたいた。与次郎くるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。

 この連中の一挙一動演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分ひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。

 そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレット写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。

 このハムレット動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。

 その代り台詞日本である西洋語を日本語に訳した日本である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎ハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうであるしか三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。

 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。

 ハムレットオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなもの結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。

 幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下からはいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。

 本来は暗い夜である人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。

 夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……

 あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎はいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。

「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」

 三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。

「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」

演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」

「いけないたって、しかたがないじゃないか

しかたがないったって、いけない」

 三四郎言葉だんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、

「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである

風邪だろう」

風邪だろう」

 両方で同じ事を言った。しばらくしてから三四郎与次郎に聞いた。

「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」

「美禰子さんの事を? どこで?」

学校で」

学校で? いつ」

 与次郎はまだ思い出せない様子である三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、

「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。

「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか

「きまったのか」

「きまったように聞いたが、よくわからない」

「野々宮さんの所か」

「いや、野々宮さんじゃない」

「じゃ……」と言いかけてやめた。

「君、知ってるのか」

「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。

「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」

2024-09-20

長崎出身女友達ができた

つい最近長崎出身女友達ができた。

で、俺と俺の友人と彼女の三人でさっきまで飲んできたんだよ。

これが結構面白かった。彼女は俺のドイツ人友達に会うのは初めてだったんだけど、最初からすぐに打ち解けて、あっという間に仲良しになってた。

その友達、めちゃくちゃ日本語ペラペラなんだよね。それで彼女に「長崎って、カステラのところやろ?」って聞くと、彼女もすぐに「そうですそうです!」って笑顔で答えてさ、今度は彼女が「ドイツバームクーヘンですよね!?」って返して、それに友人も「せやで!」って答えてさ。

なんとなく俺も話に乗っかって、「カステラバームクーヘンも一緒じゃね?」って言ったんだよね。正直、そんなに違いがわからんし。

そしたら「全然うから!」「全然ちゃうわ!!」って二人同時にツッコんできてさ、ビール吹いたw

二人の反応がシンクロしすぎてて、まじで面白かったんだよなぁ。

そんな感じで、飲んで騒いでさっき帰ってきて、今すぐ寝て忘れる前に日記代わりに書いてるんだけど、もう限界に近いわw

酔ってるとこうやって頭に浮かんだこと書きたくなるんだよねw 明日になったら読み返して恥ずかしいんだろうけど、まぁそん時に消せばいいし。

大学って面白いわ。

2024-09-09

anond:20240909104136

海外日本より高速道路の車速が速い国が多いので、その走行安定性のため重くしているはず。ドイツ人設計がヘタだし製造組立は堂々と東欧二級市民やらせから質が低いのは勿論 >車重が重い

2024-09-03

三次の射影

プロット

数学世界には無限可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則

三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。

登場人物

ドミニクシュタイナー(Dominik Steiner)
アレクサンドラ・イワノフ(Alexandra Ivanov)
ケンジ・タカハシ(Kenji Takahashi)

本文

ドミニクシュタイナーベルリン研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。

その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女ロシア数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデル研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性論理性を冷静に評価した。

パリでの国際数学会議で、ドミニク自身研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉論理精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学普遍性に魅了されているようだった。

発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。

シュタイナー教授あなた理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクス適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」

ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。

「イワノフ教授非線形方程式は確かに複雑系挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」

アレクサンドラは再び問いかけた。

「そのリスク承知していますが、社会変革は非線形過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます複雑系理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」

ドミニク彼女意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。

社会変革が非線形であるという見解理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデル必要です。」

その時、ケンジ・タカハシがゆったりと発言した。

シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学美学観点から異なる提案をさせていただきますリーマン幾何複素解析観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります特に複素平面上での調和関数性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定パターン法則が見出せるかもしれません。」

ドミニクケンジの言葉に耳を傾けた。

タカハシ教授あなた視点は興味深いものです。調和関数性質社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデル提示していただけますか?」

ケンジはうなずき、淡々と答えた。

「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性がありますリーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的エネルギー視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができますエネルギー収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」

アレクサンドラケンジの意見に応じて言った。

「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系シミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」

ケンジは静かにうなずいた。

「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系シミュレーションと補完し合う可能性です。単独アプローチでは見落とされがちなパターン収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」

会議が終わると三人はほとんど同時に立ち上がった。

三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。

一方その日のパリ過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。

2024-08-26

お前らの嫌いな外国はなに?※ここだけ外国人差別OK

弱者男性の俺はアメリカ人フランス人ドイツ人が嫌い

理由はひたすらに押し付けウザイから

次点北欧の国々

その次が大分離れて中国韓国


一応リベラルフェミニストのために言うが、嫌いな外国の話なんで日本とか答える奴は外人在日になるぞ

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