『京都・北野天満宮』
菅原道真公の聖蹟二十五拝の第二十五番目の北野天満宮である。
かつての平安京の西大宮通、現在の御前通を北上すると今出川通と交差する所で天満宮に突き当たる。
鳥居を潜り暫く行くと右手に豊臣秀吉が開いた北野大茶会とその時の太閤井戸、そして左手に道真公の母君を祀る伴氏社が鎮座する。
神門である楼門を潜り、左手に絵馬殿を見て北に進むと、日月星の彫刻が掲げられている三光門と云われる重文の中門に至る。
中門を潜ると冒頭の本殿に至る。
本殿は桃山時代建築による権現造りで、国宝となっている。
北野天満宮は、道真公が大宰府で亡くなってから都に落雷などの災害が多発したため、時の朝廷が道真公の左遷を撤回し正二位を贈ったが、それでもおさまらなかった。
道真公の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)に託宣があり、そして近江国比良宮の神官らにも同様の託宣があったことから、朝廷によりこの北野の地に道真公を祀る神社が創建された。
その後、一条天皇から「北野天満宮天神」の称が贈られ、更に道真公には正一位・右大臣・太政大臣が追贈されたとの経緯を辿っている。
北野天満宮は、道真公墓所の大宰府天満宮と共に、天満宮の総帥とされている。
北野大茶会に茶菓を提供した境内にある長五郎餅店を見て重文の東門から退出する。
そこには上七軒歌舞練場があり、その背後に室町以来の茶屋街が広がっている。