はてなキーワード: 連鎖とは
紀元前5世紀、クシナーラーの沙羅双樹の下。80歳を迎えた釈迦(ブッダ)は、右脇を下にした「ライオンの臥姿」で静かに横たわっていた。弟子のアーナンダが悲しみに暮れる中、ブッダは最後の言葉を残した。
これがブッダの入滅(パリニルヴァーナ)のシーンである。火が完全に消えるように、欲望と無明の炎が尽き、輪廻の連鎖が断たれた瞬間だった。死後、遺体は7日間、在家のマッラ族の人々によって花と香で供養されたが、それはあくまで簡素なもの。特殊な防腐処理も、死化粧も、豪華な棺も、念仏の繰り返しもなかった。在家の人々が香木で火葬(荼毘)を行い、遺骨(舎利)は8つに分けられ、ストゥーパ(記念塔)に納められた。僧侶(比丘)たちは遺体の供養に煩わされず、ただ修行に励むよう指示された。これが、原始仏教における「死」の扱い方である。
一方、今日の日本で「仏教式」と呼ばれる葬儀は、まったく異なる様相を呈する。
死後すぐ、遺体には防腐処理(ドライアイスやエンバーミング)が施され、死化粧で生前より整えられる。棺に納められ、通夜・葬儀の間、数日間安置される。僧侶による念仏や読経が繰り返され、家族・親族が交代で付き添う。儀式が終わると、重い棺を男手で担ぎ、霊柩車という特別に装飾された車に詰め込む。火葬後、骨が残る。骨壺に入りきらない大きな骨は、骨折りと呼ばれる作業で割り、小さくして納める。
原始仏教の視点から見れば、これは明らかな矛盾である。ブッダは「諸行無常・一切皆苦・諸法無我」を喝破した。
長期間保存し、化粧を施し、特別な車で運び、骨を丁寧に折って壺に納める行為は、むしろ「死への執着」を増幅させる。ブッダ自身は入滅後、弟子たちに「私の遺体にこだわるな。法(教え)を守れ」と諭した。火葬も、在家信者が行う世俗の習慣に過ぎず、僧侶が主導する儀式ではなかった。
大乗仏教の「方便」が日本独自の家制度・祖先崇拝と結びつき、江戸時代の檀家制度で「葬式仏教」が完成した結果である。
そんな非人間的な行為の場であり連鎖なのに、見ている最中は米兵の状況に否応なしに没入させられ感情移入してしまう映画の魔力っていうのはすごいと思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4786714807519055810/comment/haniwa75
凄いよねこれ。
「全員が赤を押すのが最適解なんだから、赤を押す以外ありえない」って氷河期が切り捨てられた時の思想そのものなんだよ。
「皆でちゃんと勉強して就活すれば良かっただけなんだから、まともな学歴もないバカは消えていい」って言われて実際多くの人がまともな職につけなかったのが氷河期世代。
本来であれば氷河期世代は「いや、人間は完璧じゃないんだから誰かがそれを支えあうべきだ」って考えるべきなんだけど、
彼らの心は復讐に染まってるから「次は俺達は全員で蹴落とす側に回る。バブル世代に蹴落とされる悲しみを味あわせなきゃ」って考えてる。
そして今回は見事に氷河期世代が口を揃えて「俺は赤を押すぞ。青を押した馬鹿どもはざまーみろ死ね」と言ってる。
何が恐ろしいってそれは単に内包化されたトラウマの奴隷になってるだけなのに「俺は賢いから正しい選択をした」とマキャベリぶってる。
実際には幼稚な復讐心に囚われている自覚さえない人間、彼ら風にいえば「賢くないから蹴落とされるような人」でしかないのにその自覚もない。
凄いよこれ。
彼らは自分たちが苦しんだことで何かを得たつもりになっているけど、実際には何も得ることなくただ苦しんだだけであって、そして次の世代にもそれを連鎖させるだけの貧乏神にしかなってないんだ。
わーい!
まあ私はいつものゲームの積みゲーのっていっても落ちものパズルのぷよぷよのぷよを積むとかそういう意味じゃなくて壁を折返しての多段のたくさんの連鎖ができないせいぜい4連鎖ぐらいまでしかできないんだけど連休は5連休ぐらいあるのかしら?ってそのぐらいな勢いで挑む感じなのよね。
このゲームをやっぞ!って勢い余っているところはいいんだけど、
ゲーム以外になにかお利口さんになることはないのかしら?って、
本屋でも覗いてトミーフェブラリーの川瀬智子さんが掛けている赤い縁の眼鏡をクイッとあげたらなんかもの凄くお利口に見える感じのゴールデンウイークの過ごし方にならない?
本屋さんに行っても、
本を買って満足するのが関の山親方もそう言いそうなぐらい読まないそれこそ積みゲーもとい積み本になっちゃうのよね。
でもそういった時は、
何か本を買うぞ!って意気込みで行くのではなくって、
本を見に行くって、
向こうから声を掛けてくるような気がする私を呼んでいる、
そう!
なにのお惣菜を選ぶか迷っていたら一向に3つセット買うことができないし、
ここはお惣菜の声に耳を傾けて、
端から飲む気満々で『プラグマタ』もプレイする気ないでしょ?って一発でバレちゃいそうな感じ。
私思ったのよね。
よりどり3セット1000円セールで3つお惣菜セットを買ってきて、
おつまみにするでしょ?
量多過ぎるのよ!
3つって買い過ぎ!
私のハイボールのおつまみ多すぎ問題に口を覆い隠して悲鳴を上げるぐらいなの。
多すぎて食べきれないわって。
これが居酒屋おつまみ3種盛りだったら1000円でかなりリーズナブルに思えるので、
そういった時は、
よし!ここは居酒屋おつまみ3品1000円セット!って呪文を唱えるとそんなに価格が高くなく感じるからそういうことは、
心に思っても口に出した方がいいと思うわ!
そういうのに耳を傾けたら、
知らないコーナーの棚の本の『マンガで分かる虚数入門』って本も、
マンガで分かるなら買って読んでみる?って
漫画の絵で騙されると思ったけれど、
その漫画の登場人物の台詞が膨大すぎてマンガのコマの1コマの大半を占める台詞で、
これならなんか文字だけの本を読んでいるのと変わらないぐらいの迫力のセリフで吹き出しいっぱいにキャラクターが登場人物しゃべっているの!
登場人物が愛くるしいだけで、
難しいことしゃべっていることには変わりないのよね。
私が確定申告初めてするときに緊張して『マンガで分かる初めての確定申告物語』を読んだけれど、
確定申告博士の言っているマンガのコマの中の吹き出しの台詞が難しすぎて全くよく分からなかったそれが私のマイファーストマンガで分かる物語だったのよね。
もっと早く気付くべきだったわ。
マンガで分かるシリーズで本当にわかった人っているのかしらって思うぐらい私のポンコツな頭脳は、
それこそトミーフェブラリーの川瀬智子さんが掛けている赤い縁の眼鏡をクイッと上げるぐらいではお利口さんにはなれないんだなぁって。
でも何の気なしに本屋さんにいって本を眺めているのだけでも楽しいからそれもいわばレジャーの一つといってもいいかも。
あれってさ、
シーディー屋さんのシーディー眺めててもそんなグッとこないのに、
ゲーム屋さんのゲームのパッケージを眺めていてもそんなにグッとこないのに、
本とレコード屋さんは眺めているだけでも、
なんかエモイというかグッとくる所があるのよね。
それこそ針?針すなお先生じゃない方の針を落として聴く?って全くよく意味が分からないけれど、
針すなお先生のようにヘッドホンを上下逆に装着して私はもの凄く今審査してますよ!ってぐらい、
あのジャケットの大きな表紙には圧倒されて見ているだけでも楽しいそうよね。
なんかそうやって一所懸命レコードを棚から持ち上げてパパパっと手際よく見て探している人を見るとただならぬなんかレコード好きな人に見えちゃう。
私がここでトミーフェブラリーの川瀬智子さんが掛けている赤い縁の眼鏡をクイッと持ち上げても、
誰もきっとこの人はレコード好きなんだなって思ってくれないじゃない。
でも今どきレコードないけれどレコードのジャケットが可愛いから買っちゃう!ってのもあるのかもね。
実際レコードって買ったとて、
私聴き方が分からないわ。
持て余しちゃう!
だから辛うじて私が行ってそこで辛うじてお利口さんを演じられることができるであろうトミーフェブラリーの川瀬智子さんが掛けている赤い縁の眼鏡をクイッと持ち上げることができると言えば、
やっぱり本屋さんなので、
目的もなしにぶらり本屋さんの売り場を端から端まで売り場をぶらぶらしているのがあっているかも知れないわ。
そう思ったら、
本屋さんにはそういう意味でじっくり時間を掛けて行ってないなぁって。
良い機会なので
せっかくのゴールデンウイーク行楽地はどこも人が多いそうだから
ゲームクリアするんだい!って勢いだけのある事ばかり言ってるけれど、
そんなゲームの合間に本屋さんに行って気分転換するのいいかも知れないわね。
もういつも無計画なのに、
ゴールデンウイークは有意義に過ごすんだい!って勢いだけは一丁前なのよね。
あらよ出前一丁も驚くほどの一丁前なのよね。
でも絶対にショート動画を見入っちゃって時間が溶けちゃっていた!って事態に陥ることは絶対に避けたいわ!
とにかく凄い自信なのには間違いないわ!
うふふ。
とくに深い意味はないんだけど、
赤いパッケージのお気に入りの豆乳の銘柄のものが深い味がして好きなのよね。
それと時々トマトジュースいや
また買いに行かなくちゃ!
起きたときに一杯飲みたい冷たいシュワッとしたものと言えばそうよね!
こっちもきっと連休中無くなりそうなので
ストックまた注文しておかなくちゃ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
連休を挟むので、
「理解ある彼くん」に寄生する戦略が最終的に破綻してしまう理由は、主に以下の4つの要因に集約されます。
「理解ある彼くん」との関係は、本来あるべき助け合いの夫婦関係ではなく、実態として「寄生者と寄生被害者」の関係になりがちです。
資料では、「オン(職場)で人を不快にさせる人は、オフ(家庭)ではさらに人を不快にさせる」という厳しい現実が指摘されています。
能力不足を抱える女性は、パートナーが良かれと思って提案する「教育」や「支援」を拒絶してしまう傾向があります。
パートナーとの関係が危うくなると、「自分から逃げていかない存在」として子供を欲しがるようになりますが、これがさらなる破綻を招きます。
このように、「能力(特に社会的・実務的能力)の欠如」という根本的な問題を解決しないまま、特定の個人に依存して解決を図ろうとすること自体に無理があるため、理解ある彼くんとの関係も最終的には「離婚エンド」や「共倒れ」に終わるリスクが非常に高いと言えます。
生存戦略としての「性の安売り」が結局は破綻してしまう理由は、大きく分けて以下の4点に集約されます。
「性の安売り」やセックスボランティアという形態であっても、他人と関わる以上、スケジューリング、礼儀、コミュニケーションといった「当たり前の常識」が求められます。
「性の安売り」が通用するのは、多くの場合、若さや容姿という期間限定のボーナスがある間だけです。
「無料」や「安売り」という条件に群がるのは、往々にして社会的に余裕がなく、要求水準だけが高い層になりがちです。
資料では、性の安売りを「自分のカーストの低さや劣等感をごまかすための手段」や「他人を使った自傷行為」と表現しています。
結局のところ、社会で生きていくための「実務的な能力」の欠如を、性の提供という「代替手段」で埋めることは長期的には不可能であり、それが破綻の根本的な原因となります。
ユダヤ教超正統派(Haredi)がその好例であり、日本の戦前・戦後の農村共同体(特に東北や九州の伝統的農村)も似た構造を持っていました。
外部の影響(個人の自由、キャリア優先、少子化文化)を遮断し、「大家族こそ正しい生き方」という規範を内面化させる。
出産・育児・労働(または家事労働)の二重・三重負担を「当然の役割」として美化・正当化する。Harediでは女性の就業率が80%超でも大家族を維持しており、日本の旧農村でも「子だくさんで働き者」が美徳とされました。
世俗教育を制限し、共同体内の価値観だけを伝えることで、子供の選択肢を狭め、「抜けにくい」構造を作る。
Harediは現在6.2〜6.5人、日本の戦前農村も平均4〜6人台が普通でした。
このモデルは、文化・宗教・共同体圧力をレバレッジにして、選択の自由をある程度制限することで人口を維持する「低コスト・高効率」の人口プールと言えます。
Harediの男子は世俗教育が極端に不足するため、現代社会で自立しにくい。日本の旧農村でも、長男以外は教育機会が制限され、貧困の連鎖が起きやすかった。
生まれながらに「この道しか選べない」状況に置かれる。脱コミュニティのコスト(家族絶縁、スキル不足、孤独)が極めて高く、「本当の選択」ではなく「強制された選択」に近い。
出産と労働の両立は「美徳」として称賛されますが、身体的・精神的コストは非常に大きい。長期的に見て、女性の健康問題や価値観の変化(若い世代の就労意欲上昇)が蓄積すると、モデル自体が揺らぎ始めます。
Harediの場合、兵役免除や低就業率がイスラエル全体の財政・国防・経済に負担をかけています。日本の旧農村も、都市化が進むと「人口流出+高齢化」の問題を抱えました。
先進国の低出生率問題を考えるとき、このHaredi型モデルは一つの極端な解として参考になります。しかし、現実的に先進国で適用するのは困難です。なぜなら、現代の価値観(個人の自由、ジェンダー平等、教育の機会均等)が強く根付いているからです。
設定はこうだ。
実は妻の住んでいる場所は自衛隊の官舎であり、どこからか「近々現地に行くらしい」という噂を聞きつける。
何処まで本当かは分からないがそれは高市が右翼やトランプに媚を売るための無意味で危険な任務のようだと知る。
ソレに対して妻は「私は自衛官を夫に選んだが、こんなことで殺されることまでは受け入れられない!日本死ね!」と叫ぶ。
どうだろうか?
だが私はこれを投稿することをやめた。
理性があるからだ。
誇りがあるからだ。
こんなものを伸ばして高市に牽制を入れてもどうせ世界は良くならない。
世界を変えたいなら憎しみの連鎖ではなく喜びの連鎖を起こさなければ。
ロシア軍のベテラン爆発物処理班の主人公はISと戦うシリアで地雷処理のインストラクターを務めていた。現地の気のいい仲間たちに対して温かくも厳しい態度で訓練を課していたが、ある日現地民の女とイチャイチャしてたところ基地のど真ん中で大爆発が起きほとんどの部下を喪ってしまう。失意の彼はしかし現場での地雷撤去が忘れられずロシア政府が支援するシリア軍に同行。彼の地雷処理の旅が始まる。
みたいな話。
ちなみに、マッドマックス怒りのデスロードの原題とはなんも関係ないです。
それでさぁ、欧米列強連合の末席に位置するJAP LANDSの人間としては設定が草生えすぎて。
まぁロシアはもともとアサド政権支持だったからロシアで作られた映画的には何もおかしくはないんだろうけど、こっち側の価値観としてはアサド政権 is evilって感じだったから主人公たちが支援する正義のシリア政府軍がテロ組織や反政府組織と戦うぜ!って設定はさすがに草生える。貞操逆転世界かよ。
お行儀がよくて”西欧側の”倫理的な人類はこの時点でもう見る価値ない映画だなって思うと思う。
なーにがフューリー・ロードじゃい。お前らロシアの道程自体がフューリー(憤怒の)・ロード(路)じゃい!ちなみに原題はPalmyra(主人公が目指す都市の名前)で、英題はOnce in the Desert(砂漠にて)。実際問題、映画の中でフューリーなロード要素全くないからこれは配給会社が悪い。
で、映画自体の出来はどうだったかって言うと、普通に面白いんだよね。
特にあらすじにも書いた基地の真ん中で爆弾が大爆発するシーンはマジでよくて。遠景での大迫力の爆発シーンから、ド派手に吹き飛ぶ兵士たち、まき散らされた鉄球でトラックが穴だらけになって中の人たちは貫かれて死亡し、飛び散った破片で脚は吹き飛び、吹っ飛んだ兵士が戦車の砲塔にぶつかってへし折れ、転がってきた車に兵士が押しつぶされる。この世の地獄じゃ(ノブ)というのをきっちりしっかり見せてくれていてサービス精神満点で非常に良い。
このシーンだけでも見る価値ある。
それ以外にもお仕事映画としても楽しくて、序盤の地雷処理レクチャーシーンもいろんなタイプの起爆装置を解説してくれていて知識欲的にも嬉しいし、ちゃんと途中での爆弾解除シーンとそして最後のシーンにも生きてくる。ジャイロ起爆装置強すぎるだろ。地雷以外にもブービートラップから自爆ベストといろんな種類の爆弾を見せてくれて、その処理方法も多岐にわたる。装甲車型のロボットで全部爆発させながら道を確保するとかは、そういうのあるんやなぁって興味深かった。
まぁ主人公のジジイがそういうキャラって設定だから飲み込むしかないとしても単独行動しすぎ、命令無視しすぎでそんなわけある?ってのはぬぐえないんだけど、作中でも「地雷処理ってのは常に自分だけしか頼れるものがない作業なんだ」ってのが繰り返し登場するので、まぁ、テーマとリンクしてはいるんだろう。実際、やりすぎて任務を解除されるし。つーか、単独で自爆テロ犯を制圧するっていうご都合展開自体はこいつも軍人だからいいとして、その自爆ベストを勝手に持ってきて危うく爆発するシーンはさすがにアホすぎて。
あとは主人公が妙に執着している現地民の女がいるんだけど、見てるこっちからすれば基地の爆発こいつが犯人やろ!としか思えないので主人公もその疑惑を確認するために追いかけてるんだろうと思いきや、現場で拾った彼女の携帯の家族動画見てニヤニヤしてるし、再会した後に普通にセックスしちゃう。お前発情しとっただけなんかい!
ここが一番よくわからんかったな。
主人公が国に残してきた娘とすれ違いながらも通話するシーンが結構登場して戦場と平和な日常の対比がされていて、それ自体は別にうまく行ってなかったんだけど、終盤に娘が「こっちには戦争はない」って主人公に語るシーンがあって、今の情勢から見たら笑っちゃうと同時に、4回地雷解体に失敗して指も3本吹っ飛ばされても戦場でしか生きられない主人公と平和な日常を享受する一般市民の断絶を感じてちょっとエモかった。
終盤、話は現地で誘拐された主人公の元教え子の救出に移っていくんだけど、最終的に人質交換になり生きて彼の身柄を貰い受けるが自爆ベストを着せられていた。機構的に解除ができないので主人公がそのベストを預かり、教え子を逃がし爆死する。そして、そんな目にあっても教え子は再び地雷処理のために現地に戻る。主人公の別名「already(すでに爆発している)」を継いで、というのも戦場でしか生きられない地雷爆破中毒者の連鎖と、そんな目にあっても正義のために戦う人たちがいるというプロパガンダの両方をうまく兼ねていて意外に脚本も頑張っていた。まぁ主人公のガバを取り返せるほどでもないけど。
あと、ズイーンって効果音と共に高速ズームバックして基地や遺跡、戦場の全景を移す演出が8回くらい登場して笑っちゃう。お気に入りなんやろなぁ。
まぁそんな感じかな。
ロシアが支援するシリア政府軍とかいう西欧倫理観的にバカアウトな部分をとりあえず見ないものとすれば普通に楽しい戦争アクション映画だった。完全に個人的に惜しい点があるとすれば俺がハート・ロッカーを見てないか見ても一ミリも覚えてないので、地雷処理のプロが戦場に心を残してしまった作品としての到達度の比較ができないところくらいかな。でもたぶん、あっちは監督の趣向からしてもエンタメアクションとかじゃないと思うから前前別物だと思う、知らんけど。
あれと同じなんだよな
山火事では一旦燃えやすい落ち葉や倒木に火が付くと、生木内部の水分が周囲の炎により蒸発して過熱され、高温のガスとなって有機物を燃やすんだ
まあ今俺が考えた理屈だけどな
「将来の夢」についての思索
4年C組 10番 胡蝶 夢
僕の将来の夢は、サッカー選手になることだった。しかし、昨日の夜、寝ている間に僕は自分がサッカー選手になった夢を見てしまった。つまり、もう夢を叶えてしまったのである。夢を叶えてしまったのだから、新しい夢を考えるべきだと感じるし、実際に考えようともするが、また寝ている間に夢で夢を叶えてしまったら意味はない。ということで、僕の将来の夢は「睡眠中の夢によって実現不可能なもの」であるべきだと直感したが、そんなものは存在しない。僕はこれからどう生きていけばいいのだろうか。
母について考える。生まれてきてから、僕は比較的いい子だったと思う。この私立の小学校に在籍できているのも、僕がいい子だったからだ。母が「いい子にしなさい」ということを強く強調していたので、非常に重要なことなのだろうと、僕はいい子をしてきた。母がいい子になることを求めるのはおそらく、僕が将来いろいろな選択肢を持てるようにということだろう。つまり、将来僕が色んな夢を実現可能な状態になっていることが望ましいと判断したから、いい子であることを求めたのだ。それは非常に愛のある態度だと思う。しかし、僕はもう夢を叶えてしまった。
父についても同じことが言える。父は美人な母を手に入れるため努力してきたのだと思うし、そこは尊敬する。しかし、もし父がその過程を「睡眠中の夢」として先取りしてしまっていたらどうなっていただろう。その場合、今こうして呼吸をしている僕は、父が見ている夢の登場人物に過ぎない。僕が「僕はここにいる」と主張したところで、それは父の脳内物質が見せているバグのようなものだ。そして当然、その父自身も、さらに高次な存在が見ている夢の一部である可能性を否定できない。世界は誰かの夢の連鎖であり、僕たちは実態のないホログラムかもしれないのだ。そう考えると、現実とは一体何なのだろうか。
先生に課題として出されたのでこの作文を書いたが、僕は「将来の夢」を考えることを通して、この世には意味がないことに気が付いてしまった。起きている間に叶えた夢でないと意味がないという大人の理屈が、僕にはよくわからない。僕は寝ている間の夢の中で努力し、サッカー選手のキャリアを全うした。時間的にもしっかりと数十年単位の苦労と努力を経験したのだ。だからもう、僕は人生を全うしたも同然である。
もろもろ説教を垂れてくる大人がいることは理解するが、根本的な問題は「生きる意味」そのものであり、惰性で生きている僕たちではこの問題を解決することはできないのだ。僕の思索は、ここで終わる。ただ一つ言えることは、夢とは夢程度で実現可能なのだから、夢が叶わないこと、現実が思い通りにいかないことに対して悲観する必要もないということだ。これは人類の安息を意味すると思う。
話は変わるが、今日の二十分休みは、チャペルに行って神父様にこの話をしようと思う。マリア様はこの話をどう思うのかどうか知りたくなった。
戦後日本の歴史を「左翼勢力と法治国家の戦い」という軸で概観すると、左翼(主に日本社会党・社民党、日本共産党を中心とした勢力)がイデオロギー優先の「反体制闘争」を展開し、これに対し政府・体制が法治主義・国家主権・現実的秩序維持を掲げて対峙してきた構図が浮かび上がります。
日本社会党(現・社民党)は、1970年代以降、北朝鮮との関係を深め、帰国事業(在日朝鮮人の北朝鮮送還)で共産党とともに役割を果たしました。北朝鮮による日本人拉致問題が表面化した1990年代~2002年の小泉訪朝時まで、社会党系は「拉致は存在しない」「北朝鮮の主張を真摯に受け止める」姿勢を崩しませんでした。
拉致被害者家族の訴えを「右翼のプロパガンダ」と退け、国家主権侵害という法治の根本問題を棚上げ。2002年以降も土井たか子氏ら党指導部が北朝鮮寄りの発言を続け、党内離党者まで出る事態に。
これは左翼が「弱者(在日・平和勢力)」を守る名目で、実際の被害者(拉致家族)に置き去りにした典型例です。
日本共産党は資本主義の「搾取」を糾弾しながら、自らの機関紙『しんぶん赤旗』の運営で同様の問題を抱えています。近年表面化したのは、党地方議員による自治体職員への赤旗押し売り・強要です。新宿区では管理職50人超が「心理的圧力」を感じて購読(一部10年近く)、区長がハラスメント調査を実施。庁舎内集金や「断れば恨みを買う」空気があり、他自治体(金沢市など)でも同様の指摘が相次ぎました。
さらに党内部では、赤旗配達専従者の無報酬・過酷労働が「ブラック企業」と内部告発されています。
• 党は「搾取のない社会」を標榜するが、自らの労働者を「永遠の党員被害者」として動員。
• 法治国家(公務員の中立性・ハラスメント防止)の枠組みを、議員特権で揺るがす構造。
沖縄では戦後、米軍統治下の「独自性尊重」教育から始まり、復帰後も反基地・反日・「平和教育」が左翼勢力により定着しました。これが「教育産業」として機能
• 最近例:辺野古沖事故(修学旅行船転覆)で「偏向教育ではないか」との指摘(自民党部会)。
• 教科書検定でも「日本軍が住民をスパイ扱いして殺害」との記述が合格。
• 沖縄の若者が「永遠の被害者(基地被害者)」として位置づけられ、法治国家(安保・防衛)への対立を再生産。経済的自立より「反基地依存」が固定化。
2019年前後、入管施設で長期収容抗議のハンガーストライキ(ハンスト)が急増(約200人規模)。一部は仮放免(一時釈放)を得る手段として使われ、釈放後すぐに記者会見・デモで「ヒーロー」としてスピーチ(例:イラン人・クルド人男性が東日本センター仮放免後、品川で制度批判)。
• 模倣効果でハンスト連鎖 → 健康被害(栄養失調・死者発生、ナイジェリア人餓死例など)。
• 入管当局は「仮放免を餌にハンストを誘発する」と苦慮。前科者も約4割。
• 左翼勢力は「人権」を掲げ法治(退去強制・収容の適正運用)を攻撃するが、結果として収容者全体の健康を害し、弱者を「永遠の被害者」にした。
これらの事例に共通するのは、左翼勢力が弱者(在日労働者、沖縄県民、不法滞在者)を「体制との戦いの道具」として利用し、解決より対立の永続化を選ぶ点です。これは極めて残酷な手法です。
・被害者は本当の救済(労働条件改善、基地負担軽減、移民問題の法的手続き)を得られず、「永遠の被害者」として政治的に消費される。
・法治国家の枠組み(主権・法の支配・現実的秩序)を破壊することで、左翼の存在意義を維持。
・結果:社会全体の分断深化、資源の浪費、真の弱者救済の遅れ。
戦後史を通じて、左翼は「平和・人権」を錦の御旗に暴力的デモ(成田管制塔占拠など)や事実無視を繰り返しました。左翼の「弱者利用」戦略は今も形を変えて続き、移民政策・教育・歴史認識で影響力を残しています。
弱者を真に守る道は、被害者化ではなく、法治の下での解決です。こうした歴史を直視しない限り、日本社会の「共生」は絵に描いた餅に終わります。
中国の南北朝時代(特に八王の乱以降)と、ローマ帝国末期(3世紀〜5世紀)は、異民族の大量移住と軍事力依存という点で、驚くほど構造が似ています。どちらも「文明の中心」が異民族の武力を頼るようになり、最終的に帝国の崩壊・大混乱を招いた点が共通しています。
・後漢後期から異民族(五胡:匈奴・羯・鮮卑・氐・羌)を辺境防衛のために積極的に中華域内に移住させ、兵として動員した。
・西晋の八王の乱で王朝が弱体化すると、異民族が一気に反乱・独立し、五胡十六国という極端な分裂時代が始まる。
・結果として、漢人と異民族の虐殺の応酬と強制移動が300年近く続き、隋が統一するまで泥沼化した。
・3世紀の危機以降、ゲルマン民族(フランク族、ゴート族、ヴァンダル族など)やフン族を「連合軍(foederati)」として大量に受け入れ、帝国軍の主力として活用した。
・特に4世紀後半以降、ゲルマン部族を帝国領内に定住させ、軍事力として依存する「蛮族化」が進む。
・最終的に410年に西ゴート族がローマを略奪(ローマ sack)、476年に西方ローマ帝国が滅亡する。
・両者とも「自らの軍事力が衰えたため、異民族を大量に移住・傭兵化して補う」という政策を取った。
・最初は「防衛力強化」のための方便だったが、異民族の人口増加と軍事力の掌握により、帝国の統制が効かなくなり、最終的に崩壊・大混乱を招いた。
・異民族が王朝そのものを次々と建てた(前趙、後趙、前秦、北魏など)。
・漢人と異民族の民族単位での虐殺応酬が極めて激しく、朝廷交代のたびに前王朝の皇族・名族がほぼ全滅するパターンが常態化した。
・出自主義(家柄重視)が強かったため、「一族誅滅」が政治の標準手段となり、残虐性がより組織的・報復的になった。
・異民族は基本的に「連合軍」として帝国の中に留まり、独自の王国を建てるまでには時間がかかった(西方では5世紀中盤以降)。
・ローマ人は異民族を「蛮族」と見下しながらも、文化的に同化させる努力をある程度行った(キリスト教化など)。
・ただし、410年のローマ略奪やヴァンダル族による北アフリカ占領など、残虐行為はもちろん存在した。
八王の乱から唐成立までの約300年は、中国史上でも特に残虐で混沌とした時代でした。後漢末期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まった民族対立の連鎖は、ローマ帝国末期の「蛮族依存」と構造的に非常に似ています。
自前の正規軍を疎かにし、異民族の武力に依存すると、結局その異民族に帝国を乗っ取られるリスクが極めて高い。
最初は「労働力・兵力確保」のつもりだったのが、人口増加と軍事力の掌握により、帝国の内部から崩壊を招く。
中国は隋・唐で再統一され、異民族は最終的に漢化・吸収された。一方、ローマは西方で完全に崩壊し、ゲルマン諸王国が中世ヨーロッパの基盤となった。
中国の場合は民族単位の虐殺応酬がより長期化・激化し、ローマの場合は帝国の分裂と蛮族王国の成立という形で決着しました。
後漢〜西晋の胡人移住政策も、ローマのfoederati政策も、短期的な軍事力補強には寄与しましたが、最終的には文明の崩壊を招く原因となりました。
https://anond.hatelabo.jp/20260423123541
https://anond.hatelabo.jp/20260422180001
なんか考え方としてはつながる気がするんだよね
命は大事だよね※1
大事な命って奪っちゃいけないよね
↓
肉食反対→ヴィーガン
↓↓
↓↓
↓燃料を燃やしたり水を貯めたりして自然環境に影響があるのはなんとなく自然ぽい※3
↓(直接死んでる所をみない・直接的影響ではないから)悪くない
↓
死刑反対
↓
死なないなら生きていくのによりよい生活をするのに「尊厳のある命」の定義は何だろう
↓
声をあげることができるもの→クジラやその他人間と接触してるような生き物
権利を主張できるもの※2 ※1命の再定義にループして「命大事エコーチェンバー」が無限増幅する
↓
みんな自分のしたい事を言えて、自分の嫌な事を言えるから尊重しよう
↓
↓
自分たちの主張を聞き入れないやつとはコミュニケーションがとれない
↓
↓
三国時代(220-280年)は、確かに戦乱と残虐行為に満ちた時代でした。しかし、そこにはまだ「英雄のドラマ」と「一定の格式」が残っていました。曹操や諸葛亮のように、教養・統率力と残酷さが同居する人物が多く、敵将の降伏を厚遇するケースも少なくありませんでした。
三国時代や唐代以降と比べても、「民族単位での大規模虐殺」「朝廷交代ごとの皇族・名族の根絶やし」「強制移動の頻発」という特徴が極端に目立ち、単なる戦乱を超えた「文明の崩壊と民族対立の泥沼」といった様相を呈しています。
西晋(265-316年)が統一を果たした直後、皇族同士の権力争いである八王の乱が勃発します。 八人の王(皇族)が互いに殺し合い、短期間に大量の皇族が処刑・自殺・暗殺されました。この乱は単なる宮廷内紛ではなく、:「朝廷の交代=皇族絶滅」:という悪しきパターンの始まりでした。
晋は乱の影響で極度に弱体化し、北方の異民族(五胡)を傭兵として大量に呼び込みました。これが後の大混乱の直接的な引き金となります。
後漢は北方の異民族(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌など)を「胡人」と呼び、辺境の防衛力不足を補うために積極的に中華域内へ移住させ、兵として動員しました。 特に:西涼(現在の甘粛省・青海省あたり)の軍閥は、:胡人の騎馬戦力を基盤とした強力な勢力として台頭しました(董卓や馬超の西涼軍が典型例です)。
この政策は一時的に国境を安定させましたが、結果として大量の異民族が内地に定住する事態を招きました。三国時代にはまだ抑えられていた民族間の緊張が、西晋の衰退とともに爆発的に表面化したのです。
西晋の崩壊後、北方(華北)は:五胡十六国時代と呼ばれる極端な分裂期に入ります。:匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の五つの主要異民族が次々と王朝を建て、漢人王朝も含めて20近い小王朝が乱立しました。
・石勒(後趙、羯族)は漢人を大量に坑殺(生き埋め)する「漢人殲滅政策」を実行。
・冉閔(漢人)はこれに報復し、羯族を民族ごと殲滅しようとしました(数十万人規模の虐殺)。
・各王朝の交代のたびに、勝者側が敗者側の民族・皇族を根こそぎ殺すパターンが繰り返されました。
北方の北朝と南方の南朝に分裂した後も、残虐性は収まりませんでした。
鮮卑族の北魏が華北を統一しましたが、皇族・貴族の粛清が絶えませんでした。:河陰の変(528年)は、:爾朱栄が北魏の王公貴族約2000人を一度に虐殺し、洛水を血で赤く染めました。
宋・斉・梁・陳の各王朝交代のたびに、前王朝の皇族・名族がほぼ全滅する:「禅譲の茶番」が繰り返されました。:幼い皇帝を無理やり即位させて形式的な禅譲を行わせ、用済みになったら即座に殺害するという、偽善的で残酷な手口が常套化しました。
589年に隋が南北を統一し、618年に唐が成立することで、この長い残虐時代はようやく終わりを迎えます。 隋・唐は科挙制度を拡大し、血統ではなく能力による官僚登用を推進することで、門閥貴族の力を弱め、中央集権を強化しました。しかし、唐の成立も北周の関隴貴族(鮮卑系混血が多い)を基盤としたため、完全な「漢人王朝」とは言えない複雑な出自を持っていました。
英雄同士の知的な激突と、一定の格式が残る「名士の戦い」の時代。
民族間の生存競争が激化し、民族単位の虐殺応酬と一族誅滅が常態化。教養と残虐さが分離し、文明の形式すら崩壊した。
科挙による能力主義が広がり、士大夫階級が成立。門閥貴族の血統支配が崩れ、比較的安定した時代へと移行。
後漢後期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まったこの混乱は、中国史の中でも特に暗く、虚無的な時期と言えます。
ローマ帝国末期が異民族の軍事力に依存し、崩壊の遠因となったのと似た構造を持っています。
この時代は、単なる戦乱ではなく、「出自主義の呪い」と「民族対立の連鎖」がもたらした、人間社会の極限的な暗部を象徴しています。
https://anond.hatelabo.jp/20260423130021
https://anond.hatelabo.jp/20260422180001
五胡十六国時代〜南北朝時代における漢人勢力と異民族勢力の虐殺応酬の具体例を、時系列に沿って整理して詳述します。
漢人が異民族を、異民族が漢人を、互いに「根絶やしにしよう」とする応酬が繰り返されました。
• 漢人を「奴隷以下」と見なし、特に知識人・貴族層を徹底的に虐殺。
• 特に有名なのは、「漢人殲滅政策」。漢人を「一族ごと」殺すケースが多く、捕虜を坑殺(生き埋め)したり、城ごと焼き払うような残虐行為が記録されています。
• 石勒自身は晩年になって漢文化を取り入れようとしましたが、すでに漢人側の深い恨みを買っていました。
• 石勒の死後、後趙が内乱に陥った隙に、漢人の養子だった冉閔がクーデターを起こして後趙を滅ぼし、冉魏を建国。
• 冉閔は「漢人至上主義」を掲げ、羯族(石氏一族を含む)を民族ごと殲滅する政策を実行。
• 洛陽や鄴を中心に、羯族の男女老若を問わず数十万人規模の虐殺が行われたとされ、「一日で数万人を殺した」という記録もあります。
• これが五胡十六国時代で最も大規模な「民族単位の虐殺」の一つで、羯族はほぼ壊滅状態になりました。
• 苻堅は氐族でありながら漢文化を深く学び、漢人官僚を積極的に登用して華北統一を目指しました(淝水の戦い前は比較的穏健)。
• しかし淝水の戦い(383年)で東晋に大敗すると、前秦は急速に崩壊。
• 敗北後、漢人や他の異民族(鮮卑・羌など)が一斉に反乱。苻堅は捕らえられ、姚萇(羌族)によって屈辱的な処刑を受けました。
• その後、前秦の残党に対する漢人勢力の報復殺戮が各地で発生。苻氏一族もほぼ壊滅しました。
ここでも「異民族の統一王朝 → 漢人を中心とした報復の連鎖」という応酬が見られます。
• 北魏末期、権臣**爾朱栄(鮮卑系)**が洛陽近郊の河陰で、胡太后と幼帝を殺害した後、北魏の王公貴族・高官2000人以上を一度に虐殺。
• 対象は主に漢人中心の貴族層で、「血が川のように流れ、洛水が赤く染まった」と記録されています。
• この事件の後、漢人側も鮮卑勢力に対する反撃・粛清を繰り返し、北魏は東魏と西魏に分裂して崩壊の道をたどります。
高洋(文宣帝)は鮮卑貴族を徹底的に弾圧・虐殺。「鮮卑を皆殺しにすべき」と公言するほどで、鮮卑人の大量処刑が相次ぎました。
宇文護や宇文邕は、逆に漢人官僚を重用する一方で、旧来の鮮卑貴族を粛清。民族の力関係が逆転するたびに虐殺の対象が変わる応酬が続きました。
漢人が異民族を虐殺 → 異民族が漢人を虐殺 → また漢人が…という悪循環。
三国時代は「敵対勢力の指導者や軍を倒す」レベルが多かったのに対し、この時代は「特定の民族全体を弱体化・根絶やしにしよう」という発想が戦略として出てくるのが異質です。
三国時代のような「残虐だが教養がある」人物が少なくなり、残虐行為がより原始的・集団的になる。
https://anond.hatelabo.jp/20260423130021
https://anond.hatelabo.jp/20260423123541
https://anond.hatelabo.jp/20260422174519
日本以上に深刻な状況にある国々のデータが注目を集めています。
少子化の原因について、人種や社会階層ごとの興味深い分析がなされています。
「日本は不幸な国か」という点についても、統計に基づいた議論が行われました。
家庭環境の崩壊が子供の精神に与える影響についても言及されています。
総括すると、少子化はもはや日本固有の問題ではなく、経済発展、医療の進歩、そして都市化に伴う「家族の解体」という副作用が、世界中で一斉に噴出している現象であると捉えられています。
経済発展、教育費、そして家庭環境が出生率にどのような影響を与えているかについて解説します。
経済発展は、社会構造を根本から変えることで出生率の低下を招くとされています。
教育費は、特に生活水準を維持しようとする層において、少子化の直接的な原因となっています。
家庭環境や男女のパートナーシップの在り方も、出生率に深刻な影を落としています。
このように、「経済発展による子供の価値の変質(労働力からコストへ)」、「高い生活水準を維持するための教育費の高騰」、そして「都市化と無責任化に伴う家庭の不安定さ」が、相互に絡み合って世界的な出生率の低下を引き起こしていると考えられています。
ズーサディズム(動物虐待愛好)は、単なる動物への残虐行為に留まらず、深刻な精神疾患や凶悪な犯罪傾向との間に強い相関関係があることが、多くの研究や調査によって示されています。
ズーサディズムは、特定の精神病理やパーソナリティ障害の兆候として位置づけられています。
動物虐待は、将来的な対人凶悪犯罪の予兆となることが多く、法執行機関も重視しています。
「リンク(The Link)」と呼ばれる概念は、同一家庭内で動物虐待、DV、児童虐待が同時多発的に起こる関係性を指します。
動物への殺傷行為から対人暴力へとエスカレートしていくという考え方は「卒業仮説」として知られています。
猫の悲鳴が人間の子供や女性の声質に似ているため、子供を傷つけたい欲望を持つ「ペドサディスト(小児加虐愛好家)」が、猫を子供の代用品として虐待するケースもあります。これは、自身の暴力的なファンタジーを現実化させる前段階としての役割を果たしています。