はてなキーワード: 夜尿症とは
小さい頃はほぼ毎日悪夢にうなされており、寝るのが恐怖だった。押し入れで寝てみたり、ぬいぐるみと寝てみたり、友だちが旅行土産でくれたリーンと澄んだ音が鳴るペンダントを着けて寝たり、色々試したが悪夢からは逃れられなかった。恐怖のあまり夢の中で気絶して目が覚めるため、ぐっしょり寝汗をかき、恥ずかしながら夜尿症もあった。悪夢が避けられないなら、なんとかして夢から脱出するしかない。夢の中で「これは夢だ!これは夢だ!」と念じながら目を閉じて開いてみる。ひたすら訓練していると、全然ダメなときもあればただ違う悪夢に移行することもあったが、中学に上がるか上がらないかの頃には、7〜8割くらいの確率で成功するようになった。成功率を上げるコツは、寝る前に、天井や部屋の風景を記憶すること。夢の中で目を閉じ、それらの風景を思い浮かべながら目を開けると、成功することが多い(と思っているだけで、実際はとてもリアルな風景の別の夢に移行している可能性はあるが、悪夢から脱出できているなら成功とカウントする)。
高校卒業後、一人暮らしを始めた。歳を重ねたことで精神が安定したのか、勉強してバイトしてどっと疲れて深い眠りにつくようになったからか、気楽な一人暮らしでリラックスできたからか、悪夢を見ることは大幅に減っていった。当然ながら憂鬱な夜もあり、その日はほぼ確実に悪夢となるが、この歳にもなると慣れてきたもので、9割ほどの確率で悪夢から目覚めることに成功する。そこで気づいたのだが、眠るのは楽しいというか、幸せだ。目が覚めるとよくわからないが頭がスッキリしている。パソコンの不調が再起動で直るのも人が眠るのも同じ仕組みなんだろう。布団に入り、あとは寝るだけだと思うと、ほとんどの日は楽しい。しかし、残念ながら楽しい夢から”覚めてしまう”ことも増えてきた。夢から覚める訓練をしすぎたからか、夜通し眠れた試しが無い。えちえちな夢にて、いざ…と思った途端に、後頭部が天高く吸い上げられるような感覚に襲われたが最後、目が覚めてしまう。そのときは、悔しくて悔しくて、何度も歯を食いしばった。
その日も、えちえちな夢の最中に天へ召される感覚があった(”昇天”していないにもかかわらず、だ)。完全に意識は覚醒してしまったが、あまりに悔しくて目を閉じたままえちえちな夢の続きを妄想していた。この状態を”夢うつつゾーン”とする。ここ夢うつつゾーンでは、意識は一応覚醒しているので妄想は続いており、身体も動かせる…と思っているのだが、実際には身体は眠りについているようで、”意識の中で体を動かしている”状態になる。具体的にいうと、実際にはちんちんに触れていないのだが、触っている(触られている)と脳が勘違いしており、その感触も非常にリアルである。しかも、実際に触る(触られる)よりも遥かに感度が高くなっており、異常に気持ち良い…あれ…これヤバイかも!?……と目が覚めると、あれこそしていないものの、我慢汁がすごいことになっていた。童貞時代にこの夢うつつゾーンの快感を覚えたことでしばらくどハマりし、初の対人行為の機会に恵まれた際、「良いは良いけど、期待してたよりは…」と勝手に失望してしまった。相手に申し訳ない。
数年後、そういったことをする相手もおらず、Twitterで素人のハメ撮りを漁っていたら「脳イキ」している女性を見た。そういったジャンルのAVがあるのは知っていたが、白目とか絶叫とか全く興味が無いので完全に無視していたジャンルだ。しかし、その動画はそれらのイメージとはあまりにも違っていた。俺が夢うつつゾーンでえちえちタイムを楽しんでいるときの感覚と、その女性のイキ方が、妙にシンクロするというか、親近感しか無いのだ。動画では、散々イカされた後、簡単な催眠術のようなものをかけられた女性が、おもちゃも何も無しにしばらくイキ続けていた。催眠術(笑)演技(笑)と、大半の人が思うだろうが、あれはおそらく本当というか、俺の知っている夢うつつゾーンと同じ…。いつものあれが、まさか脳イキと呼ばれるものだったとは。とゆーか、夢うつつゾーンにいながらも他者の性的介入がある状態なんて、そんなものは、気持ち良すぎるのではないだろうか?羨ましくて羨ましくて、歯を食いしばりながらシコった。
この経験を踏まえ、今自分が覚醒しているのか夢うつつゾーンにいるのかきちんと把握したいと思うようになった。夢うつつゾーンギリギリの所で実際に手を動かしてシコれたら、さぞ気持ちいいだろうからな。目を閉じてうとうとしつつ妄想しつつ全身に神経を張り巡らせていると、眠りにつく前はまず四肢の感覚がなくなると気づいた。この状態で手を動かす(と思い込んでいるだけで実際には動かせていない)。ちんちんに触れると───感度3000倍。というのは言いすぎだが本当に気持ちよくて仕方がない。もうこのまま目が覚めなくてもいいとすら思ってしまう。この、四肢の感覚がなくなったかのような感触に気付けると、脳イキへの道は近い。電車で疲れていつの間に半分寝てた!なんてときがあるが、俺調べだとあのときは結構四肢の感覚がなくなるくらい気持ちよく半寝できているので、ぜひ一度意識してみてほしい(当然だが電車で脳イキ試すのはやめてくれ)。
昔はよくうさんくさいテレビ番組で芸能人が催眠術にかけられていたが、多忙で睡眠不足な人が催眠術にかかりやすいというメカニズムは今となっては理解できる。ああいうのの中にも、マジで一瞬かかってる人は案外いるのかもしれない。つまり俺が言いたいのは、脳イキを手伝ってくれる店があれば教えてほしいってことと、同じようなことをしている同士とか睡眠不足の人とかは催眠術かかりやすいだろうから気をつけていこう、ってことだ。
いつかその日が来るとは思っていたが、ついに、自分は孫の顔が見れなかったんだと老いゆく母に泣かれてしまった。流石に堪えたが、自身の性格上どうしようもなかったような気もしている…
私は人生で一度も恋愛をしたことがない。もちろん人に好意を持つことはままあるが、世間で言う恋愛感情と他者への好意は少し違うようである。誰かを恋愛対象として好きだという気持ちがよくわからないことに、今まで随分悩んできた。中学生でようやくオムツが外れた夜尿症持ちであったので、そういうことに目覚めるのも人より何年か遅れているのかもしれない、脳の発達段階や精神年齢が人より幼いのかもしれないとも思った。悩みすぎてついに自分は異常者なのではないかと友人に相談すると(答えづらいことを言われて友人も困惑しただろう)、まだそういう人に出会っていないだけだよと慰められ、そういうものかと思っているうちに突然の恋に目覚めることもなく34歳になってしまった。
私は容姿が悪く明るい性格でもないので、男性から告白されたことがない。要するに真喪であるため、きっと都合のいい言い訳を用意して現実逃避をしているに過ぎないのだとも思う。普通に生活していては男性との縁が皆無であることをよく知っていた両親は、積極的に見合いの話を持ってきた。両親は資産家であったのでそれなりに良い伝手も多くあった。特に母は躍起になっていたが、肝心の自分は果たして結婚したいのかどうかすらわからなかった。家庭を持てば、きっと子供だって作ろうとするんだろう。性行為は抵抗なくできるのだろうか?何よりもし子供が生まれたとして、親になりたいのかもわからない親を持つ子供はシンプルに気の毒だと思った。
婚活市場で、私の強みは男性のアピールポイントとよく似ていると思う。身長が170cmあり、昔で言う3高の条件も満たしている。しかし逆に言えば女性としてのアピールポイントを何一つ持ち合わせていなかった。容姿、性格の良さ、年齢、家庭的であること…家事のほぼすべてを家電とダスキンに任せている自分には、最後の項目すら無縁なのであった。
本気度のかけらもなく、家庭的でもなければ容姿も性格も悪い高齢喪、そしていい年をして結婚したいのかどうかもさっぱりわからない。どう考えても男性が自分と結婚するメリットがなかった。時間を割かせる申し訳なさと自身のやる気のなさとで見合いはすべて断ってしまった。
母方の従姉妹は女の子と男の子に恵まれ、二世帯住宅で3世代仲良く暮らしている。それを伯母が母に同情の体で自慢してきたのだという。
私は姉に負けたんだ、悔しいよと泣く母に、こんな娘でごめんなさいとしか言いようがなかった。
学級委員「ちょっと!また掃除サボってる!そういうの困るんだけど!!!」
イケメン「おこりんぼさんだなぁ、もう少し肩の力抜きなよ」トン
学級委員(...!なんか頭触られた?!)
学級委員「ちょ、なにすんのよ!」
イケメン「百会。」
学級委員「ひゃ、ひゃくえ?」
イケメン「耳介(耳たぶ)の上端を結んだ垂直線と正中線が十文字に交差するところ。また、耳介を前方に折り曲げ、その上端を結んだところに取れと書いてある本もある。熟練した鍼灸師は、そのあたりを指先で触診し、やや凹んだ感じのするところを百会としている。中風七穴の筆頭に位置づけられており、脳血管障害やその後遺症である半身不随や言語障害などに効果がある。てんかんや自律神経失調症・不眠症などの神経・精神の症状から夜尿症、痔核などにも効果がある。」
学級委員「...///」(恋に落ちる)
恥ずかしくて人には言えないぽんこつっぷりっぷりを吐露してみる。
・夜尿症が成人後数年まであった。さすがになくなったけど、未だにホテルとか泊まると少し緊張する
・海外でレンタカーで事故って60万円払ったことがある。警察呼ぶとか知らなかった。
・100万円払った矯正放置してる。2年間。行かないといけないのはわかってるけど怒られそうで怖い。
・トランクルームの解約ができてない。空気のために毎月払ってる。
・ジムの解約できてない。
こうやって書いてみると3こめ以降はやればいいじゃん、って気持ちになるけど怒られそうで怖い。なんなんだろうなこの感じ。わかる人いたらコメント欲しい。やってみたら大したことないよ、というのはわかっているものの
思えば最近頭がぼーっとし、文字を打つことも面倒くさく感じ、何に対してもやる気が起きず、集中力が散漫としていた。
家は裕福な家庭で、比較的余裕があった。お金を下さいと言えば5.6千円は中学生の頃から手に入っていた。高校になり、有難いことにアルバイトの面接に合格し、アルバイトを始めた。最初はパソコンを打つだけだったが、それ以外の事もさせてくれるようになり、色々と仕事をしていた。
しばらく経ち、職場の先輩から飲みに行こう、と言われた。最初は物凄く抵抗があり、居酒屋という場所も今まで1度も行ったこともなく、門限も8時だった為、そんな所にはいけなかった、興味もなかった。バイトを初めて、親も門限を黙認してくれいた。
「え、お前酒強いんじゃね?もうちょっと飲んでみたら?」そう先輩は言った。次先輩とご飯に来た時は、自分でお酒を頼むようになっていた。
お酒を飲むのは楽しいし、愉快になれるし、節度を守って飲んでいれば、大丈夫だと思っていた。
高校3年生になり、仕事のレベルも上がり、後輩もできある程度の事は任されるようになった。でもストレスは沢山溜まり、その分お酒の量も増えていき、気づけば週3回、居酒屋に行くのが日常となっていた。バイト代は殆ど居酒屋に使い、足りなければ遊びに行くと言って親からお金を貰っていた。自分は仕事で認められていた。問題ないと思っていた。自分のお金だ。どう使おうが自由なんだ。自分がアル中になる訳が無い。自分の中で抵抗はあるものの、そう正当化して、納得させていた。
そう思うまま、大学生になり、東京で一人暮しを始めた。大学に通うのが楽しみだった。やっと大学生になれた、そう思っていた。
でも世の中はコロナウイルスでそれどころじゃなく、授業は全てオンライン。友人関係を築くのが苦手だった自分は何も出来なかった。幸い大学初のグループワークで仕事で得た知識が役に立ち、学年1位の賞を撮った。その影響で友達も出来たが、オンラインなのであまり話すこともなく、馴染めなかった。
1人なので誰の監視もない。親にも何も言われない。大丈夫だ。そう思ってコンビニで缶ビールを5.6本買う日々が続いた。美味しかった。チューハイが甘く苦手な自分はビールばかり飲んでいた。
気づけば毎日の様に寝酒をしていた。毎日10缶開ける日もあった。お酒が無いと眠れなかった。頑張って寝ようともした。3時まで粘っても寝れず、結局コンビニに行っていた。
授業の欠席も続いた。1限は必ず欠席していた。まぁいっか。甘えていた。度々来る授業のメールも全部無視していた。コロナのせいだもん。誰かが助けてくれるよ、そう思っていた。でも世の中はそうではなかった。
大阪でアルバイトをしていた会社の縁で、東京でも系列の会社で働いていたが、欠勤続きで上の方の人と話し合いをする事になった。これ以上休むようなら働いてもらう事は出来ない。そう言われた。*
終わった。終わった、全てが終わった。でも飲んで寝れば解決出来る、その日も1人で居酒屋に行き、ビールを4.5杯飲んだ。アル中が怖かった。検索して診断もした。すぐに病院に行けと書いてあった。この事実を隠したかった。社会では活躍出来ているキラキラした自分でいたかった。しかも未成年。親から何と言われるか分からない。大学も辞めさせられるかもしれない。
その全てを差し置いても、お酒は美味しかった。忘れさせてくれた。全てを忘れた。お酒をのんでいれば何でも良かった。
この頃からだった。たまにおもらしをする様になった。でも自分は小学6年生まで夜尿症だったのだ。大丈夫だ。そう思って自分を正当化した。ここで辞めていればよかった。気づいていればよかった。
また、視界も狭くなり、ぼーっとする時間が多くなり、記憶も曖昧になった。思い出したくても思い出せず、顔を洗ってもぼーっとしたまま。別にいいか、と思っていた。
「お前、手が震えとるんちゃうか?」
全くの無意識だった。父親は開業医、すぐに診断された。アルコール中毒やね、そう言われた。
震えが止まらなくなった。現実から逃げ出したかった。涙が止まらなくなった。冷や汗が止まらない。震えが止まらない。
そんな状況の中、この文章を書いた。
10代が普通にSNSをするこの世の中、お酒と触れ合うことは稀ではないと思っている。またYouTuberなど、憧れている人が飲酒をしている姿を見ることも容易に出来る世の中だ。カッコイイなどの憧れを抱いてしまう未成年もいるだう。お酒を飲める機会が来てしまえば意志の弱い未成年は飲んでしまうかもしれない。憧れ、その感情はどれ程強いものか分かっていないはずだ。私もその1人だ。
お酒全てが怖いと言う印象は持たなくてもよい。でも1歩間違えると憧れの人から遠ざかる、足を引っ張るものでしかない。
自分の禁酒をするという意思を固くする為、この文章を書いた。憧れるような人に近付けるようになりたい、その気持ちを持って、今後生活をして行こうと思う。
※その後自主的にアルバイトは辞めました。※全ては自分のせいだと自覚しています。
追記----
様々なコメントをお寄せ頂きありがとうございます。深夜の投稿だったので見逃されて終わるだろうと思っていましたが、100user行きそうで正直焦ってます。
今朝、意思では無力だと父親からも告げられ、専門の病院にかかることになりました。正直この先がどうなるかも分からず、怖くてたまりません。コメントして下さいました本は全てに目を通して見ようと思います。
またコメントにもありましたが、アルコールが未成年にとって容易に手に入るようなこの世の中に凄く大人は問題意識を持って欲しいです。(他責にしている訳ではありません。すみません。)TikTokで「アル中」だと言う事をコンテンツ化し、まるでカッコイイかのように演出し、大手ニュースメディアも度々ストロング系チューハイを度々取り上げています。今この身に置かされてから、初めてその怖さに気付きましたが、もっと違うものであるべきだと思います。
最後に、こんな匿名のどこの誰かもわからない奴に、沢山の親切なコメント、ありがとうございます。復活したらここにまた投稿します。
P.S. 嘘松ではないです。私のかなりリアルな実情まで身バレを恐れて記したものですので、どなたかの役に立てばと思い発信しています。
私も母子家庭育ち。
私の姉が5〜6歳くらいのときにやっぱりチックになってた。
姉はチックだけでなく夜尿症もあったけど、普段は友達も多く普通に元気な子供だった。
私はチックや夜尿症はなかったけれど、夜寝てるときの指しゃぶり癖が小学3年生くらいまで治らなかったな。
私は姉と違って友達がおらず絵ばっかり描いてる根暗な子供だった(笑)。
私たちが小学2〜3年生くらいのときは、放課後は学童クラブに行かされていたけれど、元増田さんのご近所には学童クラブはないのだろうか?
ちなみに、姉のチックと夜尿症は小学校高学年になるころにはおさまっていたと思う。
かなりひどい確認強迫や常同行動やこだわりがあり、それはまるでチックのかわりに表れたかのようだった。
姉は高校を卒業するころに統合失調症を発症。強迫性障害と統合失調症の併発でえらいことに。
私は拒食から過食に転じるタイミングでうつ病を発症し、20代半ばで双極性障害に診断が変わった。
元増田さんを脅すわけではないが、子供のころのちょっとした問題は、思春期〜青年期〜成人期の精神疾患発症を予測するのかもしれない。