はてなキーワード: 米沢とは
県庁所在地の都会度比較はお国自慢的な話でさんざん語り尽くされてるテーマだと思うが、県庁所在地以外の街についてはあまり語られてない気がするので、実際のところどうなのか興味が湧いている。
下記のような分野別にポイント加算して、総合点の大きい都市を都会度上位としたい。
◼︎人口
◼︎交通
新幹線駅20ポイント、空港20ポイント(リムジンバスで直に移動できればOKとする)、私鉄20ポイント(3セクを除く)、バス以外の都市交通20ポイント、高速道路20ポイント(東名等の幹線と繋がっていること)で合計100ポイント
◼︎商業
百貨店20ポイント、大型化電量販20ポイント(ヨドバシ、ビック等)、大型書店20ポイント(紀伊国屋、ジュンク堂、丸善等)、シネコン20ポイント、プロスポーツチーム20ポイントで合計100ポイント
◼︎文化
大学20ポイント、動物園20ポイント、水族館20ポイント、博物館20ポイント、美術館20ポイントで合計100ポイント
各都道府県から最低一つは選出、人口少なくてもエリアの拠点的な要素あれば採用
◼︎北海道
◼︎東北
弘前、八戸、一関、大館、能代、横手、石巻、白石、酒田、鶴岡、米沢、郡山、会津若松、いわき
◼︎甲信越
◼︎関東
高崎、太田、佐野、日立、土浦、つくば、柏、船橋、成田、川越、秩父、川口、八王子、立川、町田、川崎、相模原
◼︎北陸
◼︎東海
熱海、沼津、富士宮、浜松、豊橋、岡崎、大垣、高山、桑名、四日市、伊賀
◼︎近畿
◼︎中国
◼︎四国
◼︎九州
北九州、久留米、佐世保、鳥栖、別府、延岡、都城、八代、霧島、鹿屋
◼︎沖縄
さて、どの街が上位に来るかな?
記事への反応やブコメで集まった、皆さんの考える「中堅以上の回転寿司」が旅先でとても参考になるので、自分用にまとめようと思う。
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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9 | 沼津魚がし鮨 | 3.37/214人 (沼津店) | 静岡/千葉、東京、神奈川 | 注文した寿司が席まで流れてくる「流れ鮨」発祥の店らしい。でかネタ |
6 | にぎりの徳兵衛 | 3.21/82人 (仙台駅前店) | 福井、山梨、岐阜★、静岡、愛知★ /宮城、三重、京都、大阪 | |
5 | 魚魚丸 | 3.07/30人 (豊橋店) | 岐阜、静岡、愛知★ | 読み方は「ととまる」。マグロの解体や藁焼きショーが楽しめる |
3 | 回転割烹 寿司御殿 | 3.47/99人 (有松店) | 愛知 | 系列に回らない店もある |
2 | まぐろや石亭 | 3.41/97人 (瑞穂本店) | 愛知 | もりもり寿しと同じ会社。マグロ推し |
1 | 沼津すし之助 | 3.46/142人 (沼津本店) | 静岡/東京、神奈川★ | 「こぼれ寿司」が登録商標 |
1 | 魚磯 | 3.48/331人 (伊東店) | 静岡 | |
1 | 魚どんや | 3.49/247人 | 静岡 | 非チェーン店 |
1 | 海転寿司丸忠・ 回転寿司丸忠 | 3.30/63人 (サンロード店) | 岐阜、愛知★、セントレア /長野、三重、奈良 | |
1 | 大漁亭 | 3.39/37人 (西尾店) | 愛知 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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9 | にぎり長次郎 | 3.10/11人 (平針店) | 滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山 /埼玉、東京、愛知 | |
9 | 大起水産 | 3.30/147人 (堺店) | 京都、大阪、兵庫、奈良 | |
3 | 寿しのむさし | 3.46/169人 (京都駅八条口店) | 京都 | |
3 | 弥一 | 3.44/84人 (宮街道店) | 大阪、和歌山 | 甘味もおすすめ |
3 | 力丸 | 3.16/37人 (JR姫路駅店) | 兵庫 | 関係ないけどウェブサイトのURLの「俺が回転寿司だ」感がすごい |
2 | 北海素材 | 3.55/18人 (イオンモール和歌山店) | 大阪★、兵庫、和歌山 | |
2 | 函館市場 | 3.06/39人 (京阪宇治店) | 滋賀、京都、大阪、兵庫/岡山 | 函館の朝市とは無関係です |
2 | 金太郎 | 3.52/45人 (城南店) | 兵庫(淡路島) | |
1 | すし道場 | 3.56/160人 (桑名店) | 三重 | |
1 | 廻鮮寿司 海座 | 3.35/39人 (近江八幡店) | 滋賀/福井 | 系列に回らない店もある |
1 | 流れ鮨三代目おとわ | 3.41/47人 (池田総本店) | 京都、大阪、兵庫 | |
1 | 京・朱雀すし市場 | 3.33/67人 | 京都 | 非チェーン店 |
1 | 回転寿司 がんこ | 3.47/148人 (エキマルシェ大阪店) | 大阪 | 和食などの飲食メインの会社の系列 |
1 | 喜十郎 | 3.20/41人 | 大阪 | 非チェーン店 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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10 | 北海道 | 3.65/115人 (皆生店) | 鳥取、島根 | 社長の北海道での修行経験が名前の由来らしい |
6 | すし丸 | 3.23/26人 (潮見店) | 岡山、広島/東京、徳島 | |
3 | しまなみ | 3.44/56人 (曙店) | 岡山、広島★ | |
2 | すし鮮・すし辰 | 3.44/143人 (すし辰ekie店) | 広島 | |
2 | たかくら | 3.49/252人 | 山口 | 非チェーン店。遊漁船もやってる魚屋さんの店 |
1 | 大漁丸 | 3.46/105人 (みなとさかい店) | 鳥取 | |
1 | 海都 | 3.07/36人 (岡山駅前店) | 岡山★、広島、山口/福岡、佐賀 | |
1 | すし遊館 | 3.23/87人 (唐戸店) | 岡山★、広島★、山口/香川 | |
1 | のん太鮨 | 3.14/30人 (紙屋町店) | 広島、山口★ | 系列に回らない店もある |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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7 | すしえもん | 3.39/73人 (宇和島本店) | 愛媛/東京、兵庫、福岡 | 元メジャーリーガー岩村明憲選手の兄が経営 |
5 | 寿し一貫 | 3.29/16人 (太田店) | 徳島、香川、愛媛、高知★ | |
4 | ここも・びんび三昧 ・天天丸・てんてん丸 | 3.50/12人 (ここも志度店) | 香川★、愛媛、高知 | 同一グループで複数ブランド名 |
2 | 廻る寿し 祭り | 3.00/4人 (脇町店) | 徳島/京都 | |
2 | しんせんや | 3.54/57人 | 愛媛 | 非チェーン店 |
1 | 太助寿司 | 3.27/20人 (米沢店) | 愛媛 | 非チェーン店 |
1 | お寿し通り | 3.33/26人 (古川本店) | 愛媛 | 非チェーン店 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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5 | 寿司虎 | 3.58/52人 (都城店) | 熊本、宮崎、鹿児島 | |
5 | めっけもん | 3.58/47人 (国分店) | 熊本、鹿児島★ | 「文春オンライン 全日本ローカル回転寿司 西日本編」第1位 |
4 | 寿司まどか | 3.04/37人 (アミュプラザおおいた店) | 熊本、宮崎、大分、鹿児島★ | |
3 | 水天 | 3.51/182人 (別府店) | 福岡、熊本、大分 | |
2 | 若竹丸 | 3.30/28人 (藤沢店) | 福岡、長崎★/神奈川 | |
2 | 亀正くるくる寿司 | 3.59/435人 | 大分 | 非チェーン店 |
1 | すし大臣 | 3.21/26人 (鳥栖本店) | 福岡、佐賀 | |
1 | 玄海丸 | 3.24/62人 (天神店) | 福岡 | |
1 | 海鮮処 寿司 海人 | 3.48/163人 | 福岡 | 系列に回らない店もある |
1 | ひょうたんの回転寿司 | 3.54/339人 | 福岡 | 系列に回らない店もある。回るほうも回らないほうも大行列 |
1 | 一太郎 | 3.47/76人 | 福岡 | 非チェーン店 |
1 | 寿司じじや | 3.25/23人 (諸岡店) | 福岡、熊本★、宮崎、鹿児島 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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2 | 海來 | 3.48/321人 | 那覇空港 | 非チェーン店 |
1 | 鮨人 | 3.31/40人 | 石垣島 | 日本最南端の回転寿司。系列に回らない店もある |
エクセルで集計したデータの整形に使った。非プログラマーに優しいシンプルなテキストエディタ。ずっと使ってます。
食べログで検索して点数と店名引っこ抜く作業で使った。AIと違って命令したことだけを忠実に実行する。
ちなみにBing AIに回転寿司店の名前一覧を渡して「それぞれの公式サイトURLひろってきて」って言ったら見つからないものは捏造してきた。
専守防衛の自衛隊を合憲と認め、自公政権下でも、よりまし政府・民主連合政府の段階でも自衛隊を存続させ活用するという提案には同意。
綱領上の位置づけや憲法解釈問題についても納得できる整理がされている。
付け加えるなら、自衛隊の反国民的・反民主的部門の廃止・改革も取り上げたい。
一方、米帝評価や核抑止抜き日米安保についてはなかなか難しい。
松竹氏は本書で「日本周辺で平和と安定の環境がつくられ、国民多数も他の野党も『アメリカの通常兵器にも頼る必要がなくなった』と考えるようになれば、『日米安保抜きの専守防衛』の段階に進む」と述べる。
しかし、次の疑問が出る。
①安保条約がある下で「日本周辺で平和と安定の環境がつく」ることが可能なのか?すなわち、安保条約を廃棄してこそアジアに平和の環境をつくることができるのではないか?
②核抑止抜きの日米安保といっても結局は軍事同盟にほかならない。軍事同盟を必要悪として認めるのか?暫定政権構想で日米安保は一時的にタナ上げする、というのなら理解できるが。欧州左翼党グループもNATOからの離脱を基本方針としているようだし、非同盟のスローガンは掲げたいところ。
③核抑止抜き日米安保になったとしても、中国や北朝鮮は在日米軍基地をミサイル標的にするのをやめないのではないか?台湾有事の際に中国からミサイル攻撃を受けないようにするには在日米軍に撤退してもらうしかないのではないか?
④氏は在日米軍を合憲と位置付けていると思われる。憲法で許容される軍事力は専守防衛に必要な必要最小限度ということであれば、在日米軍はその限度を超えていると思うのだが、そのあたりどう整理するのか?
⑤氏が核抜き安保を主張する理由は、それが今よりましだからなのか、それとも核抜きであってもやはり日米安保は必要なものだからなのか、どちらなのか?言い換えれば、自公・改憲志向政権を打破して野党連立政権を目指すためのやむを得ない譲歩なのか、それとも、現在の台湾情勢や中国情勢などから導きだされる必然的な選択なのか?
⑥従来話法で端的に言えば、アメリカ帝国主義の侵略性にたいする過小評価にならないか?
いずれにしろ、本書が提案する、安保・防衛政策に関する全党員のブレーンストーミングは必須だろう。
マスコミ報道では「党首公選」が大きくクローズアップされているが、それはあくまで党内における安保・防衛政策(それ以外の政策も含めてもよいが)についてのブレストのための一手段と考えるべきだ。政策論争や基本路線論争なしの党首公選は意味がないからだ。実際に党内討論が活発に行われているのであれば「党首公選」などしなくてよいのである。党大会代議員による選挙でもよいくらいだ。
しかし、日本共産党は61年綱領確定後数十年にわたり党内で路線論争や政策論争をしてこなかったものだから、党内討論のやり方・おさめ方が未経験で不慣れであり、中央も中間指導機関も積極的に討論する気風を醸成してこなかった。大会決議案はいつも大会3~4か月前に発表され、支部総会→地区党会議→都道府県党会議→大会という「全党討議」のプロセスを経るが、実際のところは「決議案を"学習"して"全面実践"しよう」という見出しが赤旗に堂々と見られる程度の"全党討論"なのだ。
この慣行を打破するには、「党首公選」というやり方が一番効き目があるのは確かである。末端の党員でも議論に参加しやすいからだ。たとえば「○○の政策を掲げている池内か米沢に投票したい」とか「私は、神谷と坂井推し。理由は△△だ」とか人物評をきっかけにして政策討論を起こしやすいし、投票という自分の行動を決めるものだからその分討論も真剣になる。
ただ私見だが、党首公選を実施するなら党員候補制の復活をお勧めする。入党して6か月間は党員候補で党首公選の選挙権はない、6か月ちゃんと活動したら党員と認められ党首公選の選挙権を持つことができる、という制度設計にしないと、党首選挙のためだけに一時的に入党する十条党員が増えてしまい、支部活動に支障をきたすからだ。
気がつくと増田は図書館から借りた一冊の本を手に持っていた。題名も覚えている、米沢穂信「満願」だった。図書館の場所が分からず友人aに聞いたのち自転車で図書館に行った。図書館に着いたのだが、気がつくと自転車は消えていて、何故か自分で本を本棚に戻していた。その時の風景は本屋と図書館を合体したような場所であった。何というかショッピングモールの本屋に図書館にある読書台がポツポツある感じ。そこに友人aもいた。が、友人aに対する増田の興味は薄く友人aも気がついていなかったので無視して満願を本棚に自分で戻しに行く。驚く事に満願はシリーズ作品では無いにも関わらず「満願2」「満願3」が本棚にあった。とりあえず満願を本棚に戻す。そこから少し意識が飛ぶ、気がつけば図書館の外にいた。増田は自転車を駐輪場に置きに行っていて、そこで子供用のカゴがついたママチャリに乗る女性に会った。子供が一緒居たかどうかは記憶にない、そして増田は気がつけば彼女を姉御と呼んでいた。正直タイプだった。増田の好きなアニメキャラの特徴を全て併せ持つ様な女性だった。久しく恋愛感情を忘れていたが、増田は夢の中で彼女と付き合いたいと思った。図書館の中に入ったはずが気がつけば彼女とゲームセンターにいた。完全にデートだ。しかし、甘い時間は長くは続かない。そこで目が覚めてしまう。凄く贅沢で甘美な夢だった。巨大な忍者ハットリ君軍団に追われる夢を昔見たが、それ以来初めて忘れられない夢を見た。
https://togetter.com/li/1389079
やっとこういう内情が出てきたか、という感じ
20年以上コミケに行ったり行かなかったりしているが、電車男のあたりくらいからか、かなり規模が大きくなり、いろいろ無理があると思い始めている
スタッフも歴戦の勇者であり、あの規模をボランティアで廻しているのはすごいと思うが、だが、20年前の、正直オタク以外に趣味があり、コミケ以外
にオタクがまともに扱って貰える場所がなかった時代と比べ、スタッフの意識は全然違う
昔のコミケ参加者、スタッフにとって、あの場所は「普段迫害されている自分たちが唯一後ろ指指されずにいられる場所」だった。そこを守るためにスタッフ
今はコミケに行かないオタクも多いし、オタクが昔ほど迫害される時代でもない。コミケで買えなくても通販網が整っているので本も買える
二十年頑張ってきたスタッフは年も取り、体力もなくなり、自分たちの声が上に行かないことに絶望し、こうして止めていく
若い人は激務を知っているのでなかなか参加したくない。もうボランティアの報酬を上げないことには人は集まらない
スタッフ不足で開催できない日がいつか来るかもしれない
今回で終わるPRESSや、紙のカタログ等、運営の出す物には昭和臭がある。
それはそれで手作り感があってよいものではあるが、運営が米沢さんから変わって、基本的な方針は受け継がれているとは思うが、重鎮化しすぎていることと、
彼らの高齢化により、今のオタク界のニーズをどこまで取り込めているか難しい
今回だって、運営3人衆はどこまで下の事情を分かっていたのだろうか。当日彼らがスタッフに混じって汗をかいてあれこれするわけがない
20年以上も繰り返され、ボランティアスタッフは言えば動く駒のような物だと無意識に感謝の心も忘れているのではないだろうか
だからといって、全然違う人がトップになるとこれはこれで今までのコミケはなくなるだろう。それが毒薬で一気に消える可能性もある
難しい
数年前、オリンピックで開催できないかも、という話が来たときから、周囲の古参オタクがよく言っていたが、
無理して開催する必要があるのか。会場をわけたり落選率を上げたり、日程を増やしても現場が苦労するだけだ
「休めばいいじゃないか。それで金を稼がないと生きていけない営利企業でもないんだから」
しかし、今回も次回も、超無理矢理に会場をわけ、日程が増え、一般から金を取り強行されている
今回のトラブルを見るにつけ、「だから無理して開催すんなよ」としか言えない
企業なら分かるが、儲けはない、有志の集まり、ボランティアだ、と言うのであれば、無理して開催する必要はないのだ
なのに来年も5月に廻してまで強行する予定であり、そこにはコミケオタク業界で生きている人たちの利権が垣間見える
もう大きくなりすぎて、停止することで倒産するかもしれない印刷所等のしがらみがあり、止められないのだろうと思う
結局はこれだ。
最終的にこれなんだと思う
大規模化してしまったことにより、もうコミケ上層部の一存で止められるイベントではなくなってしまい、その規模になったら当然経営の透明化
も必要であるのだが、ボランティア、営利企業でない、のお題目の下に収支は一切不明
それでもここ以外に息を吸える場所がなかったオタクばかりの昭和時代では見逃されていた物の、令和となり、オタクもそれなりの知名度と立場
を持ってしまった現状では、コンプライアンスにメスが入るのも仕方がない
開封して一通り動作を確認したところ、ある1点の動作が少し気になった。
その動作は、意識して確認しない限りはほとんど気づかれないが、その動作をよく使う人なら絶対に気づくタイプのものである。
仕様にもこういった動きをするとは書かれておらず、また自分が使っている外部デバイス等の問題でもないことが確認できたため、メーカーに問い合わせたところ、センドバック修理するから送ってくださいとの事。
この「気になった動作」は以前一度経験しており、ドライバの更新で改善したため、その旨を伝えてセンドバック修理を実施。
本体の回収は速かったし、伝えた問題に再現性があることも認識したようだったので、これは大丈夫そうだなと思って数日。
私『はい、原因はドライバだと思うんですが、ドライバは修正されないんでしょうか?』
なぜこちらがドライバだと再三言ってるにも関わらずガン無視なんだろう?
同じモデルで別の個体でも再現するんだからハードウェアが原因じゃないのは明らかなのに。
だいたい、同じモデルで別の個体でも再現するのに、部品交換して終わりですっていうのがおかしい。
「部品交換したんだから文句言うな」みたいなことだろうと思うが、それになんの意味があるんだろう。
かつてノートブックで一世を風靡したメーカーの話だけど、怒りを通り越して悲しくなってしまった。
問題の動作は代替案で解決できないものではないので、それて使っていこうと思うが、こういう経緯を経て戻ってきた個体を果たして信用して使えるのだろうか。
PC全体として見れば決して悪くない、むしろファンの多いモデルだけに、新品で買って数日でこんなことになってしまい、いたたまれない。
【追記返信】
>DELL
まあそういう事なんですよね。
しかしこれ、やられてみると本当に納得いかないんだなぁと改めて思いました。
「たぶんドライバ直さないと治らないと思いますので、もし可能であれば社内でもエスカレーションしてください」みたいな感じでは伝えたんだけど。
いちおう担当者の名前も貰ってるけどサポート用の偽名だと思う。
世知辛い。
エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーはエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである。
しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアム・フレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為をエロと称するのであれば、その意味で泣きゲーがエロゲの一ジャンルであることは間違いない。
泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったかの技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。
2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。
だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。
ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。
そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。
その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからである。エロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。
例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーはエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である。
人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」の構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ、少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性は友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。
男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。
『DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。
さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲーの元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。
努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇をきっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。
「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。
難病物は概ね、主人公とヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したものを涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一『ノベルゲームのシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福な日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである。
この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。
前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2の桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公の勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。
1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチのシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。
おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。
そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴的である。もし泣かすという意思で作られたものを泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初の泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。
MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。
とはいえエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである。
ToHeartで泣かせる物語構造が確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.のスタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインのルートで導入された。
当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。
本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独でジャンルを成立させられることを示していた。
今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。
6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。
特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチをKanonは泣かすという目的で採っている。
Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代の泣きゲーの金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物である。リアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。
――一方で、ToHeartもONEもKanonも加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴である。ハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である。
興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。
知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故で幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。
そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。
しかし、彼女が無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。
もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔で幸福な記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。
悲劇の象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。
ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。
MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである(個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。
そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。
男女関係の修羅場をシリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公が修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。
誰を切り捨てるかは、プレイヤーに選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。
さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である。
家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である。加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。
襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。
なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである。
……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である。
例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇的シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である。
また、集団間の絆も広く扱われていく。
『うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である。
ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決とはいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。
これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である。
ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。
そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤーに凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。
そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。
泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要な位置に少女の悲劇と愛が配置されている。
そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である。
としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。
そう捉えるならば泣きゲーの歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。
いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である。
例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢を最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くものが2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。
また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトルは以下略)。
昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやすい泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである。
リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後の若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲーの元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。
かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解の一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。
「何も感じさせない」がサービスの基本
うまく仕切ることができて、だれも不満を感じないようにすること。買いたいと思った物が、なんの苦もなく手元に届き、いらいらや不愉快な思いをさせない、いわば何も感じさせないことこそが、実はサービスの基本でもあるわけです。
少ない人員で、いかにこのサービスの基本を実現するか。それは、3時間半をどのようにプロデュースするかにかかっているとも言えます。
1往復目は、お客様は今すぐほしい物をお買い求めになる傾向がありますから、お客様主体です。2往復目以降からが、わたしたちのプロデュース力にかかっているとも言えます。キーになるのは、どの区間で何を売るか、販売のタイミングです。
たとえば、お弁当とお土産を放送で紹介して、同時に販売したらどうなるでしょうか。お客様にとってみれば、お弁当とお土産が同時に買えるので、メリットがあるかもしれません。でも、それでは一人のお客様と対応する時間が長くなり、お弁当がほしいと思っているすべてのお客様の手には届かないことになります。
ではどうするのか……。それはその時の時間帯や状況によって異なりますが、お弁当が積まれてくる前に、まず放送をかけてお土産を先にお買い求めいただけるよう、段取りします。お客様を、お土産のほうに誘導するわけです。時にはゆっくりと時間をかけて回って、お客様が購入しやすい状況を作ります。コーヒーも利用が集中しないように考えます。
もう少し具体的に言うと、こんな感じで段取りをつけていきます。寒い時期はホットコーヒーがよく売れるので、20分しかない郡山~福島間も必ずワゴンを押して「温かいコーヒーはいかがですか」などと声をかけながら回ります。コーヒーを飲みたいと思っている大半のお客様に、この20分でお届けすることができるからです。
そうすることで、次の福島から米沢までの1往復では、コーヒーの利用がぐんと減るのです。こうなると、ここでは別の品物の販売に力を入れることができます。お客様に興味を持っていただけるように放送をかけたり、お客様と会話を交わしながら丁寧にお土産を販売していくことも可能になります。
このように、飲み物やお土産を先にお買い求めいただくように誘導することで、米沢からは、時間との勝負のお弁当を集中的に販売することができるわけです。
飲み物やお土産やお弁当を2~3回に分けて買っていただくことには、もう一つメリットがあります。お客様と販売員の距離が縮まり、お客様が販売員に声をかけやすくなるのです。「お土産をもう一つ頂戴」と買っていただくこともあれば、「お世話さま」「お弁当おいしかったわ」「さっきはありがとう」などと、最後に声をかけていただけることもあります。こうしてお客様に満足していただくことで、わたしたちもやりがいを感じることができます。
二言目の相乗効果
特性のアンパンを売っていた時、買ってくださったお客様に「生地がもちもちしていて、すごくおいしいんですよ」と一言添えます。すると次に通った時に、「いやあ、さっきのアンパン、たしかにおいしかった。もう一つくれる?」と言って、追加注文をいただくことがあります。
すると、このようなお客様とのやり取りを聞いていた近くのお客様が興味を示し、「そんなにおいしいのなら、わたしも」と、お客様の輪が広がる、といったことがよくありました。
もちろん常にそうなるわけではありませんが、お客様の「おいしい」は、周囲のお客様に対して、何よりの宣伝効果があります。
そして、そのような言葉をいただけるかどうかも、最初にこちらから一言添えているかどうかで、大きく変わってくると思うのです。
お客様にしてみれば、単に黙って商品を差し出した相手よりは、一言でも言葉を交わした相手のほうが、次も気軽に声をかけやすくなりますし、さらにご自身の感想も口に出しやすくなるでしょう。
商品をお渡しする際に一言添えて言うことは、べつにお客様からお褒めの言葉を引き出したいがためにやっていることではありませんが、そのような思わぬ嬉しい効果もときにはある、ということです。
それに、お客様と交わすこうした会話は、車内に和やかな雰囲気をかもし出します。
旅の途中の些細な出来事かもしれませんが、たった一言から「あの時新幹線で食べたアンパン、おいしかったな」といった思いを多くの方に残せたら、素敵だなと思います。
山形駅でご乗車された50歳くらいの女性のお客様は、「ああ、間に合ってよかった!でもお土産、買えなかったのよね」とおっしゃいました。
こういったお客様のためにも、車内販売ではお土産も用意しています。
わたしは早速山形のシベールというお店のラスクをご案内しました。全国的に人気のあるラスクなので、このお客様もよくご存知で、今まではわざわざ山形にあるお店に買いに行っていたそうです。
その商品を新幹線でも扱っていることを知って、とても喜んでいただき、二箱お求めいただきました。
お買い上げいただいたシベールを袋に入れながら、山形のお店までわざわざ買いに行かれているというさきほどの話を思い出し、「このラスク、東京でも手に入ることをご存知ですか」と申しました。
わたしは、車内で販売する商品、特にお土産やお弁当など、地域限定で販売しているような商品は、ほかにどこで売っているかをなるべく把握しておくようにしています。それは商品情報の一つだと思うからです。情報を持っているから、このようなお話もできたわけです。
お客様は、虎ノ門(注: 現在は銀座)にある山形県のアンテナショップでたまに販売しているのはご存知でしたが、ほしい時になかなか手に入れられないご様子でした。そこでわたしは「日本橋の三越さんにも入っていますよ」とご案内しました。
お客様は、「週に1回は三越に行っているのに、気付かなかったわ。是非行ってみるわ」と、嬉しそうにおっしゃってくださいました。
時間にすれば、30秒にも満たないかもしれません。こんな会話を交わしたあと、わたしはまた車内販売を続け、そのお客様の近くに戻ってきた時に、そのお客様が手招きをされます。
「お姉さんとラスクの話で盛り上がったら、家族にも食べさせたくなっちゃった。あと二箱頂戴」と全部で4箱もお求めいただきました。
東京駅が間近になった時、またそのお客様とお会いし、こんなことをお尋ねになります。「実はうちの主人、新庄に転勤になりそうなんだけど、新庄ではラスクは手に入らないわよね」と。たしかに新庄にはお店がありません。
その時にわたしは名刺をお渡しして、「お客様、わたしたちは365日新幹線で新庄に行っております。お客様が駅まで取りに来ていただければ、お渡しできますよ。よろしければご連絡ください」と申し上げました。
すると、大変喜んでくださって、東京駅では「お姉さん、さっきはありがとう」と手を振って降りて行かれました。
このお客様、どこのどなたか存じませんが、この日、この列車だからこそ出会えたお客様です。
「東京でも手に入るの、ご存知ですか?」とたった一言お客様に申し上げただけで、こんなにも喜んでいただくことに繋がりました。
言葉をかけない配慮も必要
たとえば、お菓子はいっぱい持っているけれども、車内でどうしても何か買いたいと言ってわんわん騒いでいるお子さんがいます。でも、親としては絶対に買いたくないと思うわけです。だから、そこを通る時には子どもの気を引かないように通ります。
あるいはお昼前で、お母さんとしては、今お菓子を子どもに食べさせたくないという時もあります。そういう時も、お子さんを刺激しないように注意します。
また、お客様によって、元気に明るく対応したほうがいい場合もあれば、静かに対応したほうがいい場合もあります。
悪いところよりも良いところを見る目が必要
人の欠点を探すのは、すごく簡単なのです。ここがだめ、あそこができていないというのは、すぐに分かります。しかも、それをただ指摘するだけの指導は、決していい効果を生まないのです。
売る側が気持ちよく現場に立てなければ、お客様に喜んでいただくことはできないはずです。だから、わたしは、販売員を乗務に送り出す時には、たとえ、遅刻してきたような時であっても、「気をつけてね」と、注意をするだけにとどめています。
なかには、しかりつけてしまう人もいますが、それではかえってマイナスだと思うのです。売る側も買う側も、心を持った人間であるところが、接客業の指導の難しいところでもあるのでしょう。
ガチンコのドキュメントストーリーに思えるものを見せて隆盛を極めたのがモーニング娘。
だから、秋元康に対してやいのやいのブーイングを飛ばしてしたり顔になっているのは、完全に運営側の思う壺。
本当に嫌いなら、何も言わない方がいいし、AKB商法を非難する=AKB48のファンであると何も変わらない。
AKB48が恋愛禁止っていうのは、「プロレスは真剣勝負」と同じものだと考えるべき。
AKB48のファンには二種類ある。本気でAKB48のメンバーは彼氏を作っていないと思っているのと、そのルールが本当にあるという前提で乗っているのがいるわけだ。
米沢、平嶋がやったことって言うのは、つまりプロレスラーが「試合の結果は決まっています」ってカミングアウトしちゃう行為で、他でもないメンバー自身が明かしちゃいけないのよ。
作ってもいいけど、彼氏がいることは墓場まで持っていかなきゃいけない。
なお、Perfumeは総合格闘技。いろいろなものが決まっているはずのアイドルに、本当にシュートを持ちこんじゃったから革命だし、後にも先にもこういうアイドルは出てこないだろう。