『菅公聖蹟・子安天満宮(岡山)』
岡山市北区十日市東町に鎮座する子安天満宮である。
道真公が大宰府へ左遷されその赴任の船旅で児島の内海を通るルートを選択し、当時は貝殻塚であったこの地で下船、休憩したと云われる。
その時、近所の海人の妻が難産で苦しんでいるのを目の当たりにし、安産祈願の詩を詠んで与えたとされる。
するとたちまちのうちに無事に子供が生まれたと云われる。
感謝した海人人らが道真公の腰を掛けた石の上に祠を設け、祀ったのがこの天満宮の始まりである。
その腰掛石は現在も保存、祀られている。
天満宮の拝殿・本殿はそう大きくはない。
訪れた時は、氏子の方々が祭事の打ち合わせをされていたようで、何台かの車が境内を賑わしていた。
余談であるが、近くの南区浜野と云うところに吉備国「内宮」が鎮座している。
内宮であるから天照大神を祀る神社である。
戦国時代の創建と云われる。
太平洋戦争の岡山空襲で焼かれたが、表門は江戸時代のままで残っているとのことである。