京阪電鉄交野線 宮之阪駅(その2):百濟王神社から百濟寺跡へ
関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
前回、大阪府の枚方市と交野市を結ぶ「京阪電鉄交野線」にて、「宮之阪駅」で下車し、駅の東方向の高台に鎮座する「百濟王(くだらおう)神社」を訪問した。
今回は、その東隣りの「史蹟 百濟寺跡」を訪問することにしている。

この「史蹟 百濟寺跡」は、2.2ヘクタールの都市公園として整備されている、わが国でも数少ない一つである。
朝鮮半島の「百濟国」滅亡の後、日本へ渡った「百濟王氏」一族が朝廷の重用を受け、この地を治める「河内守」に任じられ、奈良時代に、氏寺「百濟寺」並びに祀廟(後の「百濟王神社」)を創建したとされている。
下記は、「百濟寺跡」の鳥瞰図である。
この中で、西の回廊跡、西塔跡、金堂跡、南門跡は遺跡として残ってきた部分である。

左手の「百濟王神社」の境内から、東の「百濟寺跡」へと進む。
先ずは、全体の眺めである。
そして、神社の玉垣に沿った「西回廊礎石」、東南方向の「築地塀」の風景である。

矢印に沿って、右手(南側)へ回ると、先ずは「南門跡」、そして復元された「中門跡」が見られる。

「中門跡」の西北方向には「西塔跡」、そして北側は「金堂跡」である。

そして「中門跡」の北東側には、復元された「東塔跡」である。

中央の「金堂跡」の北側には、「講堂跡」、「食堂跡」、そして「北門跡」へと続く。

更に、これらの西側には「西北院跡」がある。
そして、寺院とは関係ないと思われるが、北西方向に、全国高校ラグビーの覇者の「常翔啓光学園」の校舎が見える。

東方向へと進む。
神社の北参道で、鳥居が設けられている。
そして、桜の花が盛りである。(4月11日)

そして、南方向の風景である。
復元された「北回廊跡」とその先の「東塔跡」、更にはこれも復元された「築地塀」である。

そして、「築地塀」の切れ目が「百濟寺跡」への東側の入り口である。

この入り口から「百濟寺跡」とその先の「百濟王神社」を眺め、「宮之阪駅」周辺のミニ探索を終了したのであった。

前回、大阪府の枚方市と交野市を結ぶ「京阪電鉄交野線」にて、「宮之阪駅」で下車し、駅の東方向の高台に鎮座する「百濟王(くだらおう)神社」を訪問した。
今回は、その東隣りの「史蹟 百濟寺跡」を訪問することにしている。

この「史蹟 百濟寺跡」は、2.2ヘクタールの都市公園として整備されている、わが国でも数少ない一つである。
朝鮮半島の「百濟国」滅亡の後、日本へ渡った「百濟王氏」一族が朝廷の重用を受け、この地を治める「河内守」に任じられ、奈良時代に、氏寺「百濟寺」並びに祀廟(後の「百濟王神社」)を創建したとされている。
下記は、「百濟寺跡」の鳥瞰図である。
この中で、西の回廊跡、西塔跡、金堂跡、南門跡は遺跡として残ってきた部分である。

左手の「百濟王神社」の境内から、東の「百濟寺跡」へと進む。
先ずは、全体の眺めである。
そして、神社の玉垣に沿った「西回廊礎石」、東南方向の「築地塀」の風景である。



矢印に沿って、右手(南側)へ回ると、先ずは「南門跡」、そして復元された「中門跡」が見られる。


「中門跡」の西北方向には「西塔跡」、そして北側は「金堂跡」である。


そして「中門跡」の北東側には、復元された「東塔跡」である。



中央の「金堂跡」の北側には、「講堂跡」、「食堂跡」、そして「北門跡」へと続く。



更に、これらの西側には「西北院跡」がある。
そして、寺院とは関係ないと思われるが、北西方向に、全国高校ラグビーの覇者の「常翔啓光学園」の校舎が見える。



東方向へと進む。
神社の北参道で、鳥居が設けられている。
そして、桜の花が盛りである。(4月11日)



そして、南方向の風景である。
復元された「北回廊跡」とその先の「東塔跡」、更にはこれも復元された「築地塀」である。



そして、「築地塀」の切れ目が「百濟寺跡」への東側の入り口である。



この入り口から「百濟寺跡」とその先の「百濟王神社」を眺め、「宮之阪駅」周辺のミニ探索を終了したのであった。

