はてなキーワード: 脳裏とは
若かりし頃、パワーなハラが満載な会社に勤めてました。これ以後、毎年春になると、同じような内容の日記を投稿しています。実体験に基づく創作です。
私自身、社会人としては今の組織で4つめです。学生時代の経験も含めていいのなら、7社経験しています。そのうちの飲み会関係について、その組織ごとに文化があると思うのですが、保守的な業界の場合ですと、日記にしたためたような内容になりがちです。
約20年前だと、飲み会中に性的接触、飲酒強要、暴力、問題発言などやりたい放題する人が普通におられたと思います。ただ、飲み会でやんちゃをしてしまう人には、実際にその会社が好きだったり、忠誠心がある人が一定数いるのもまた事実。人間の困ったところです。
所属する組織やコミュニティに対して"熱がない人"というのは、物事を淡々と進めます。成人式だったら、式中に騒がずに落ち着いてる人って、カバンの中に都会に帰るための交通チケットが入ってたりします。
そして、式が終わったら、地元仲間の飲み会にも参加せず、ソッコーで現自宅に戻ります。反対に、ずっとその地域に住み続ける人は、究極的には沖縄県の新成人みたいに、自動車での暴走など大騒ぎをしでかして警察のお縄になったりします笑
個人的には、地域の将来という観点からは、北九州や沖縄の成人式みたいな、良くも悪くも大騒ぎな感じの新成人が多くいる方が望ましいと考えます。
高校生だった頃の話です。立命館大学~佛教大学の間くらいにある、閑静な住宅街に住んでました。皆さまご想像のとおり、概ね碁盤目状になっています。
うちの近所に、今でいうところの分譲地ができて、何件かの新居に住まわれる人々が引っ越してきました。その中で、ご近所トラブルの原因になった家族Aと、うちの近くに古くから住んでいる家族Bとのトラブルのお話です。
あれからもう長い時間が過ぎているので、赤裸々に書いてしまっても問題ないと判断しました。実際、家族Aというのは、家屋敷地内に床面がコンクリート造りの駐車場があるのですが……な、なんと!! そこでBBQをしていたのです。たくさんのお仲間を連れて……( ;∀;)
あの恰好は、ええっと、ドン・キホーテが京都市内にも一応あったのですが、そこにキティちゃんの黒いジャージを着て出没するような、そういう人達でした。
今でも思い出したくないほど醜い争いでした。日記にあることは大概実際に起こったことです。最終的には、警察が何度も出動する事態になり、自治会長の仲介が入ってどうにか事態が収まりました。
実は昨年、里帰りの際に現地に足を運んでみたのですが、当時とは打って変わって静かな町並みになってました。分譲地の一部は空き家になっており、栄枯盛衰を感じました。
しかし、青春時代の思い出というのは、不思議と脳裏にこびり付いて落ちません。
こちらの日記は、私の先輩のことを取り上げました。柔道の強さは本物といっていい先輩でした。スポーツ推薦で立命館大学に進学しました。そこでも柔道を続けられて、今でも立派な社会人として活躍しています。
その先輩ですが、日記中にあるような、ちょっとよくないクセがありました。
【一例】
なかなかヤベー先輩であることは、当時高校生である私にも理解できました。人柄は悪くないのですが。
しかし、実際に柔道の腕前はあり、面白いキャラの先輩でした。そういうクセさえなければ、素敵な人だったと思います。私自身、何度も助けられたことがあるのと、その先輩の教えに薫陶されました。
人間というのは、大なり小なり欠点があります。その先輩というのは、それがつい表に出ちゃうだけの人だったんだと思います。もう長らく会っていません。もし偶然出会うことがあれば、食事か飲みにでも誘ってみようと思います。
かつて、同志社大学でサッカーに取り組んでいた人がいました(故人)。ひたむきな性格の人で、底抜けに明るいキャラではないですが、どこか愛嬌があって、何よりもサッカーが好きでした。『ブルーロック』のキャラクターだと、潔か凪に近いです。
彼と私は、部活こそ違えど、同じ体育会の中にいました。大学1回生の時から交流がありました。
上記の日記を書いている最中は、正直辛かったです。正直、心臓にグッとくるものがありました。これが回春なのかと。私にとっても、彼にとっても辛い思い出です。実際に何があったかは日記を読んだ人だけ理解してほしいと思います。ここで全体を要約することはしません。
一場面だけ、当時のことを切り取って思い返してみると……大学4回生の冬だったのですが、今出川キャンパスにあったカフェで相談を受けました。日記にあるような内容です。
「やっぱり彼女に振られた」「就職がなかなか決まらない」「将来どうしようかな?」といったことです。当時の私は、(今もそうですが…)能天気なところがありました。「まあ、なんとかなるっしょ(^^)!」と思って聞いてたのですが、途中からどんよりした空気になって、さすがの私も「ホントになんとかなるのかな?」と不安になりました。
大学を卒業してから、彼と疎遠になりました。京都市内にある会社で働いているのは知ってました。大学の同窓会で話をすることも。しかし、やはり社会人になると……。
でもある時、偶然に彼と話ができる機会がありました。二人だけで話せるようになったので、ついでに一緒に飲みに誘いました。昔懐かしの木屋町です。当時は、西木屋町通りに和民とかどんがまとか、すでに名前は忘れましたが多くの居酒屋が並んでました。※今は再開発で消滅
その時は確か……先斗町の2階にあるバーで一緒に飲んだのでした。いろんな話をしてくれました。学生時代~社会人時代の話です。この時の私は、もうまともな年齢の社会人だったので、彼の話を聴いていて、泣きそうになる場面がありました。
けど、彼が草サッカーを続けていることを聞いて安心しました。そんな、とりとめのない記憶を日記にしたためました。
最後に、ありがとう。これからもあなたのことを覚えてるし、今後おそらく忘れることもないと思う。
ひとつ前で文字数オーバーしたので、こちらは文字数少なめにします。
こちらは『不倫直前の感情』がテーマになっています。当時勤めていた民間企業で、そういうことがありました。要するに、雰囲気イケメンの既婚者がいて、若い女性社員が引き寄せられてしまうのです(;'∀')
「ねえ、アンタら……彼が結婚してるって、わかってるよね!?」と、若かりし頃の私はとツッコミを入れました。しかし、男女というのはそういうものかもしれません。
なお、日記に出てくる彼については、ほかの日記に登場したことが何度かあります。声がYouTuberの稲葉百万鉄さんに本当にそっくりです笑
学生時代を思い出して書き綴ってみました。
実家を整理していて、当時の職場写真やアルバムやネームプレートが出てきて、懐かしい~!と感じたのがキッカケです。ハンバーガーショップでの経験です。
学生がアルバイトをするにあたっては、主な分類として個人店とチェーン店があります。後者の方がしっかりしてるイメージなんですが、私からすれば五十歩百歩です。
実際、大規模チェーン店にもヤベー店員はいくらでもいて、エキサイティングな経験をさせてもらうことがありました。この日記に書いたことは100%事実です。嘘だと言ってよ……( ;∀;)
当時を振り返ってみて「今だったら逮捕やろ」と思わざるを得ない思い出については、叙述しておりません。冗談では済まなくなってしまうからです。
でも、苦しい思いをした経験ほど、後になって懐かしい思い出に変わるものです。当時は「早く辞めよう!」としか思ってなかったのに、今になると「あの頃は楽しかったな~」にフシギと思い出が美化されます。人間とは不思議なものです。
日記に書いていることは青春の大事な思い出です。時効ということにさせてください。
この年になると増田がどういう場なのか、どういうプラットフォームなのかを理解しました。
自分の日記の書き方についても、そろそろ新ジャンルに挑戦しようかという気持ちが浮かんでくるようになり、「じゃあ何をしようか?」と考えたところ、「女性が主人公の本格恋愛にしては!?」という着想が浮かびました。
それまで、女性を主人公にした体験談を創った経験はほぼゼロでした。
というわけで、この回では、私が子どもの頃から知っているある女性をメインに据えて、書いてみることにしました。高校生時代の体験をまとめたので、主観的な場面が多いです。
執筆にあたっては、心の動きを重視しました。女性の心をリアルに表現することはできませんが、近いレベルであればできると思いました。特に、私はこの女性を子どもの頃からみています。
高校生にとっての大人というのは、近からず遠からずの感があります。それくらいの年齢になったら「この大人はすごい。この人は盆暗」みたいな区別は付くようになってるはずです。
この日記に出てくる大人の彼ですが、社会人としての力はわからないのですが、実際にオーラがある人でした。読者の方にも経験があると思うのですが、良くも悪くも「こいつヤバイな」という人は、話すまでもなく察することができます。
タイトル通りです。
私は梅雨の時期のあいつら、、、名前呼ぶのも嫌だけど、キモいけど、変換履歴に残ると思うと泣きそうだけど、克服するためにはっきり書きます。かたかなで。
今も、克服のためとか言いつつからつきの方の名前書いた時点で体が縮こまって震え始めたし、なしの方の最初の2文字入力した段階で字面きもすぎてひいぃーーー😭😭😭😭になった
まだ入力画面に名前があるから片目をつむってキーボードだけ見て打ってる。
え、、かためつむってって、かた、つ、、、、、、、
でも、本当に、無理、がちで。
私は比較的生き物に強い方だと思う。
いわゆるエキゾチックアニマルを飼育していて、ミルワームやローチも与えていた。ローチは勝っていた。
虫も平気で、素手では触らないが(衛生的に)、大抵のものは退治できる。
カエルやヘビはむしろ大好き。両爬虫類のきりりとした顔つきがかっこよすぎるし可愛すぎる。
それなのにどうして、なぜ私は、あれらだけは無理なのか。
当然アイツらも嫌われる側の生き物ではある。
しかし、なぜか梅雨の風物詩になってる。本当になんで???????
正直、こんなにもあれのことを嫌いと書くだけで知り合いにバレる可能性があるくらい、私レベルで嫌ってる人を見ない。
なぜか「きもいけどまあ可愛いとこもある」みたいな風潮ができている。
忍たまの、、、、、、ね、、、、、きさんたくんね、、、、、、、、
私は友達に軍師連れていってもらったけど事前に見てたその子にきさんた(及びやつ)が出るシーンになったら腕引っ張って教えてもらい、目を閉じることで生き延びました。
Gを飼うキャラは見たことないけど、あれを飼うキャラが国民的アニメにいるのが怖すぎる。
あとあれ絵面本当にやばい怖いきもい、あれが、つぼに、大量に、、、、、、、、、、
😇
そんな私が、なぜこんな記事を書いているかと言うと、仲間が欲しいからである。
こんなにもあいつらに怯えているのは私だけなのか?
いや、そんなことはないはずだ。
やつらに対して恐怖を覚える人はたくさんいるはずだ!!
そして仲間意識を持ち、あいつらが怖いのは当たり前であると認識し、その上であいつらに向き合えるようになる。
直接本物を見るのは無理でも、せめて絵なら、、、、単体の、、、、、、、クソデフォルメした、、、、、、、
とりあえず私とあいつらとの「そんなに??」なエピをいくつか挙げていく
①兄妹があれに塩かけて遊んでた
小学生の頃。庭の石を剥がして、そこに塩まいて縮んでるー!とか言って遊んでるふたりを遠目から見ていた。たぶんこれがやつらとのネガティヴな思い出の始まり。
②大小さまざまなあいつらに追いかけられる夢見て母親に泣きつく
はっきり覚えてる。小2のとき、デフォルメされてはいたが大小、色、模様が様々なやつらの軍団が追いかけて来る夢を見た。そのときはもう子供部屋で寝ていたけど、怖くなって母親のベッドに潜り込んだ記憶がある。
いた。叫んだ。姉が捨ててくれた。
靴下履いてたからギリセーフだけど、履いてなかったら私は右足を切り落としていたかもしれない。
部活の先輩と友達とで帰ってるとき、川の近くにやつらが大量発生してるゾーンがあった。泣きそうになりながら道の端に避け、やつらから遠ざかってそのエリアを抜けるも、先輩がいない。振り返ると、そのゾーンにしゃがみこんでやつらを見る先輩がいた。かわいー♡とか言ってた。理解できなかった。
⑤おじいちゃんの家の近くで一人暮らし中、排水溝からやつらが侵入してきてた
最初は洗面所に現れた。ぉわーーー!!!!ってなりつつ、必死にしゃがみこんで塩をやつがいたと思われるところに投げつける。姿が見れないから、でもここでとり逃してさらに出てこられるとガチで《死》が見えるから、必死に大量の塩を投げつけた。上にダンボールを置いて、洗面所は封鎖した。
歯磨きや洗顔をキッチンのシンクで行うようになって数日。なんとやつはキッチンにも現れた。ふたたび塩を大量にシンクの中に投げ入れる。そして今度こそはもう無理だと、生活できなくなると、おじいちゃんに泣きついて死骸を駆除してもらった。本当にありがとう、おじいちゃん😭
やたらと白かったのを覚えてる。
BUMPのライブ後、会場の植え込みのレンガにやつがいた。たぶんやつを一番近くで視認した日だ。しかも首?上半身?をもたげてて、とっきも、でてて、き、き、き、きもーーーー😭😭😭😭
思い出すだけでも最悪に気持ち悪いのに、ライブ後の高揚感からなぜか恐怖を感じなかった私はその姿をまじまじと脳裏に焼き付けた。今思い出して、きもすぎて死んでる。やつらきたねー色してるくせにデフォルメされるとクリーム色というか白色になるのきもい。そして、現実で見てしまったやたらと白い個体がこびりついて離れない。白いのガチきしょい。
⑦小学校の全校集会中、渡り廊下から体育館のステージに運ばれたプランターの側面にやつがついているのを発見、目が離せなくなる
遠目からだけど、白いプランターに黒いゴミがくっついて動いてるのを見てしまった。ステージに降りたらどうしようとか考えているうちに、やつは花の方に入っていった。その5分後くらいに、先生がプランターを持ち運んでるのを見て、中にはあれがいるのに、、、、、と恐怖に震えた。
⑧SNSの普及で不意打ちをくらうようになった
最初に見たのは、外国の窓のさっしにいる殻ないやつ。クソでかかった。きもすぎて泣いた。あれ来るなら一生部屋に閉じこもったまま泣いてやるぞ。
次はインスタで見た、あいつを飼育する小学生。でっけーのが女の子の細い腕に乗ってた。くっつくの、細胞と、おんなのこの、うで、、、🤮🤮🤮🤮
きもすぎてスマホ放り投げた。画像とはいえあれが手に触れでもしたら卓できなくなるよ、、、😭
⑨本格的に克服することを決意。チャッピーに相談して、まずはあいつを見た目超絶キュートでゆるふわなVTuberにさせた。名前はそのままで、お名前ロゴを作らせた。可愛い立ち絵と無骨な名前で中和しながら、なんとも言えないあの気持ち悪いぬめぬめの名前を見る特訓をした。
未だに無理だった。
友人にお願いして、あいつの生態を調べてもらって口頭でオブラートに包んで教えてもらって。
恐怖症も、存在するにはするらしい。何がそんなに恐怖を引き起こすのか?
→皮膚の質感や体の模様が集合体を思わせて
🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮🤮
人気の記事として、こちらの日記があがってきていた。それが以下。
https://anond.hatelabo.jp/20260424170150
こんなに可愛いのなら、本当はあいつらは可愛いんじゃないかって
なんか妙に自信あって、読めるような気がした
結果は見事敗北。それも圧倒的に。厳しい。
やつの体に、とりもちのように白米がくっついたところで、うにょうにょの、ふちを、想像してしまい
波打つあれを、考えてしまって
不機嫌が分かるような態度のあれ、その変化を見逃さない元増田。
バチン!!!!
脳内が強く光り、そして大きな幻聴が聞こえた。その唐突さと突然の大きな音にSANc:1d3/1d20
その音と光にびっくりして、思わずぎゅっと目を瞑って体が縮こまった。
これ、どう考えてもストレス反応による幻聴なんだけど、どういう理論で鳴ってるんですか????
私のやつら恐怖症、ガチで珍しい病気とかなんじゃないかってくらい身体症状も引き起こしてて普通にやばい。
このあと、文章を打ってる最中でもあいつらのメインフェーズに入って足がこわばっていた。
とまあ、長々とやつらについて語ってしまいました。
みんなの周りにもいないのかな? あいつら恐怖症の人。
もしいたら教えてください。
あいつらの味方だと思い込む人は帰ってください。怖いので。
あとなんか、やつらの生態についてすごくマイルドに、オブラートに包んで教えていただけると多少心構えして向き合います。対よろ。
仕事やめたこと親にがっかりされてるんだけど、仕事してた時生きるのが辛すぎて、子ども時代のことがふと脳裏によぎったり学生の頃の生活の雰囲気を思い出したりしたときに、あの時の生きる心地と今とが違いすぎて「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」って泣いてたんだ。これさ、就職したてとかならわかんの。10年選手でこれだったから笑。仕事辞める年とか毎日家で号泣笑。…って今は笑える。どうしてこんなことになっちゃったんだろうとか思って泣いてるの異常って分かる。今元気になって余裕できて思い返してみても、やっぱり、辞めるしかなかっただろうなーって思う。何を取るかによるけど。世間一般のひとつの生き方が自分の人生に合ってるかどうかなんて自分にしか分からないって、自分のような人間にとっては難題だったな。
これから書くのは過去の記録であり、社会的弱者が生き延びる術の話でもあり、私が唯一母から受け取った「知恵」でもある。
私はヤングケアラーだったので、特に幼い頃は母についての記憶がほぼほぼ「面倒をみてあげた記憶」だが、この知識についてばかりは本当に母に感謝をしている。
私が高校を卒業すると同時に、母と妹と私は父と暮らした家を出た。殆ど昼逃げだった。
たぶん辛すぎる出来事だから私の記憶には残っていないのだろう(解離、という症状だ)、母と妹の証言によると、昼逃げ前の父は本当に暴力的だったらしい。誰かに監視されている、食べるものには全て毒が入っていると言っていたのは覚えている。
ちょうど父の経営する会社の経済状況が厳しい時期だったのはある。父にも、父にしかわからないストレスがあって、追い詰められていたのだろう。
母は新卒からそこそこで結婚し殆どを専業主婦として過ごしたし、何より持病の精神疾患があるので働き方を選ぶしかない。
月に十万円ほどの収入で子育てをしながら暮らすのはほぼ不可能に近く、私と妹は安価な食材をお腹いっぱい食べられたが、母は食べないことが多く、どんどんやつれていった。
ある日のことだ。
「役所に行くから着いてきなさい。なるべく季節に合わない服を着て、無気力な顔をして後ろに座ってなさい」
母はそう指示を飛ばし、六月のじめじめした陽気の中、私たちは長袖のシャツにカーディガンを羽織って役所に行ったのだ。
「夫に何をされるかわからない。住所を突き止めて訪ねてきました」
普段のふてぶてしい母からは想像もつかないくらい弱々しい声で。
いつも華やかな化粧を施す母はすっぴんで、前日は風呂にも入っていなかった。
ちなみに供述は事実である。玄関先に私が残していったゲーム機と私の好きな映画のDVDを、テレビもない家に置いて行った。
「食べるのにも苦労しています。娘たちを育て上げられるかわからない。生き抜くために奨学金は取らせていますが、娘たちの将来の負債になる。満額取らせたらかわいそうなんです。アルバイトもさせて、自分たちの必要なお金は出させてます。でも上の娘(私)は身体も弱く、限界があります」
これは余談だが、私の取った奨学金は月五万円。全て母の貯金になっている。母はそういう女でもあった。私は「その五万円を食費に充てたらいいのに」とは思っていた。なお全額(身体が弱くて稼ぎが安定しない)私が返還している。
「せめて娘たちにはお腹いっぱい食べさせてあげたい。たまにはお肉も食べさせてあげたいです。卵ともやしで生きてます」
これは本当だ。
働く母と受験生の妹、私が全て買い出しに行き、全て料理していた。
母は泣いていた。さめざめと。
私と妹はぼんやり無気力に母を見ていた。たまに膝とかを見ていた。爪とかも。
「僕が責任を持って何とかします。食糧支援が出来るはずです。近日中にお送りします」
若者は頼もしくそう言って、母は泣きながら何度も頭を下げていた。
さて役所を出る。
母は唐突に親指で涙をクッと拭った。
「こうやって泣けよ」
母はそういつものトーンで言い、バスで自宅へと帰ったのだった。
それから十数年が経過する。
私は紆余曲折の末父の家に帰り、結婚して家を出、しかし当時の夫から暴力を受けて実家に帰り、父の会社でアルバイトをし、しかし毎秒父と顔を合わせている生活の中で父から暴力を受け始めて月収六万+障害年金七万という超低収入で実家を出た。
母と暮らすという選択肢はなかった。
母は母で私に自殺教唆をするのを趣味にしているからだ。私の持ち物を突然断捨離するのも趣味のひとつだ。だから私は父の家に帰ったのだが。
すんごい物件に住んでいた。
築六十年近いオンボロマンションで、家賃は安いが、天井から水漏れがすごく、しかし暴力には怯えずに住んだ。
正直、何で今でも生き延びられているのかわからない。そのくらい貧しい生活をしていた。
その中で私は、社会福祉協議会(低所得者層向けの支援団体)に赴いていたのである。
十一月の寒い日、着続けて二日の半袖のTシャツとジャージを着て、前日の風呂を抜いた。
当時私は体に腫瘤ができ、切除の必要があった。
家賃を除いて月の生活費は大凡八万円。しかも私は持病が多い。本当に、何でまだ生きているのかわからない。
とにかく、その金を借りる必要があった。金がないと生きていかれない。私には稼ぐ能力が無い。
「誰も助けてくれません。両親は離婚していて、父も母も私に暴力を振るうし、お金のある男性と結婚する道もありません。私は過去に当時の夫から暴力を受けて何度も殺されかけてます。男の人そのものが怖いです」
私は平時、異常なくらい人の目を見て腹から声を出して喋るタイプの病人だが、そのときばかりは「あのとき」の母を真似た。
供述は全て本当のことだ。繰り返しになるが、何でまだ生きているのか本当にわからない。悪運が強すぎるだろ。
「助けてください」
私はさめざめと泣いた。
脳裏にはあの時の母の様子がまざまざと浮かんでいた。
結論、貸付を受けられた。
高額医療費制度のおかげで貸付を必要とする金額は少額だったし、事情が事情だったし──
何より、「助けたくなる弱者」の姿をしていた。
弱者が支援を受けるには、本人の気質や意向がどうであれ、「助けたくなる弱者」の属性を装わなければいけない。
これをなぜ匿名で書いているかって、ここまで追い詰められた人間に対してもその深刻さがわからず「不正受給だ」「俺たちだって苦しいのに」という輩も多いからだ。
違う。これは不正受給ではない。
しかしそれはあなたたちより立場の弱い人間に言うべき言葉ではなく、国にぶつけるべき言葉だ。
勿論中には不正受給をしたがる人もいるだろう。
そういう人は責められて然るべきだが、そういう人たちのせいで本当に助けを必要としている人にまで支援の手が届かないのは絶対に間違っている。
しかし私は現在、何とかかんとか自分にも出来る仕事を探し当て、お化け屋敷みたいなマンションから抜け出して、細々と暮らせている。
研究室の深夜、A子は青白く光るスマートフォンの画面をスクロールし続けていた。指先が微かに震える。
きっかけは、E子が泣きながら見せてきた、ある匿名アカウントのポストだった。
『研究室の人間関係で悩む暇があるなら、一行でも多くコードを書け。成果も出さずに被害者面をするのは、甘え以外の何物でもない。自己責任だ。嫌ならさっさと卒業しろ』
その文体、独特の句読点、そして専門用語の使い回し……。A子の脳裏に、いつも首元にヘッドホンを引っ掛け、だらしなく笑う三矢准教授の姿が浮かんだ。
調べていくうちに、同様の論調を展開する複数のアカウントが見つかった。あるアカウントは「教育的配慮」を装い、またあるアカウントは「冷徹な合理主義者」を演じている。しかし、その根底にあるのは共通した執念――被害を訴える女子学生たちの口を封じ、「研究への集中」という名の沈黙を強要する攻撃性だった。
さらにA子の吐き気を催させたのは、その匿名アカウントの毒を、実名に近いアカウントで熱心にリポストし、拡散している人物たちの存在だった。
「やっぱり三矢先生の言う通りだよな。研究室ってのは戦場なんだから。感情論を持ち込む奴は、最初から向いてないんだよ」
そう呟いているのは、D男だった。彼は石田教授からも三矢からも「期待の若手」として可愛がられている。D男は三矢の匿名アカウントを「正論を吐く謎のインフルエンサー」として崇拝し、その言葉をさらに研ぎ澄ませて、E子やG子といった弱っている学生たちへ投げつけていた。
SNSという閉鎖された空間で、三矢が種をまき、D男たちがそれに水をやる。
被害者たちは、物理的な研究室でも、デジタルの世界でも、逃げ場のない「自己責任論」の檻に閉じ込められていった。
『三矢准教授は、抽象的な概念を咀嚼する点では……少し、独自の「限界」があるのかもしれない』
あの時、石田が浮かべた薄ら寒い微笑みの意味が、ようやく氷解した。
石田は知っているのだ。三矢が夜な夜な匿名アカウントを操り、必死に学生たちを叩いていることを。そして、それを「頭が足りない男の、石田に好都合な、浅はかな工作」として、高みの見物で楽しんでいるのだ。
三矢が「嫌われ役」を引き受け、ネット上で泥臭い隠蔽工作に走れば走るほど、石田本人の手は汚れず、聖人君子としての地位は揺るがない。石田は三矢の短慮さを「バカだ」と蔑みながら、そのバカさが生む「沈黙の圧力」を最大限に利用している。
(……なんて醜い構造なの)
A子は画面を消し、暗闇の中で深く息を吐いた。
三矢は、自分が研究室を守る「守護者」であると信じ、歪んだ使命感でスマホを叩いている。D男は、それが強者の論理だと信じて、喜々として同調している。
そしてそのすべてを、石田教授は「物の本で読んだ」極地の風景を眺めるように、冷徹に観察し、序列を管理している。
三矢の「頭の足りなさ」は、石田という巨大な蜘蛛にとっては、網を強化するための安価な接着剤に過ぎなかった。
廊下の向こう、まだ明かりのついている准教授室から、カタカタとキーボードを叩く乾いた音が聞こえてくる。それは、誰かの人生を「自己責任」という言葉で塗り潰そうとする、終わりのない埋葬の音だった。
A子は、暗闇の中で決意した。
研究室の片隅、顕微鏡のモーター音だけが低く響く昼下がりに、後輩のD子がA子の元へやってきた。その顔は土色で、指先は小刻みに震えている。
人気のない資料室に移動した瞬間、D子は堰を切ったように話し始めた。
「E男さんが、しつこいんです。毎晩のように『研究のアドバイスをあげるから、二人で飲みに行こう』ってLINEが来て……。断っても『石田先生も、君の協調性のなさを心配してたよ』って、先生の名前を出して脅すみたいに誘ってくるんです」
A子の背筋を、冷たい不快感が走った。E男は石田教授のお気に入りで、三矢准教授からも「勢いがある」と評価されている学生だ。しかし、D子の訴えはそれだけでは終わらなかった。
「それから、最近……SNSに、変なアカウントが粘着してきてるんです。私のプライベートな投稿に全部コメントしてきて、DMで『今どこにいるの?』『OBのF一郎だけど、君のこと、石田先生から聞いて興味持ったんだ。今度会おうよ』って……」
F一郎。かつてこの研究室を卒業し、今は関連企業で力を持っている人物だ。A子の脳裏に、石田教授のあの慈悲深い微笑みがフラッシュバックした。
D子の震えるスマホの画面を見つめながら、A子の中に、ある戦慄すべき仮説が浮かび上がった。
教授は、研究室内の力関係を巧みに操り、E男のような「忠実な駒」に、自分のお下がりのような、あるいは「次に狙うべき獲物」としての女子学生を、餌として与えているのではないか。
さらに、卒業したOBであるF一郎にまで、現役学生の個人情報や弱みを「手土産」として差し出している。教授を頂点としたピラミッドの中で、女子学生たちは一人の人間に所有されるのではなく、支配層の男たちの間で「シェア」される共有財産として扱われているのではないか。
A子が掠れた声で尋ねると、D子は絶望に満ちた目で答えた。
「先生に相談したら……『E男くんもF一郎くんも、君の才能を認めているからこそ、熱心に誘っているんだよ。彼らと仲良くすることは、君のキャリアにとっても大きなプラスになる。……それとも君は、B子さんみたいに、周囲の好意を悪意に受け取ってしまう不健康な精神状態なのかい?』って、優しく諭すように言われて……」
石田教授は、女性たちを「救済」するという名目で囲い込み、それを自分を支える男たちに分配することで、研究室という名の強固な「帝国」を維持している。
B子が壊されたのも、単なる事故ではない。彼女がその「システム」に気づき、拒絶しようとしたからこそ、石田は三矢という「善意の執行人」を使って、彼女を徹底的に排除したのだ。
D子が泣きながらA子の服の袖を掴む。
「A子さん、私、どうしたら……。A子さんなら、石田先生に信頼されてるから、なんとか言ってくれませんか?」
A子は言葉を失った。
今、ここで石田に意見すれば、自分もB子と同じ道を辿ることになる。三矢准教授が「君の将来のために消してあげたよ」と笑いながら、自分のこれまでの努力をすべて消去するだろう。
そこでは、学問という聖域を隠れ蓑にして、女性たちがモノのように鑑定され、受け渡され、消費されていく。
「……わかった。少し、考えてみる」
A子は、自分の声が嘘のように冷たく響くのを感じた。
D子を助けたいという想いよりも先に、自分がいかに深く、その「シェアの構造」の一部として、石田の隣に据え置かれているかという恐怖が、彼女の思考を麻痺させていた。
資料室を出る際、廊下の向こうで石田教授とE男が、親しげに肩を並べて談笑しているのが見えた。石田がこちらを向き、いつもの鋭い、非の打ち所のない微笑みを投げかけてくる。
その目が語っていた。
「君も、私の大切なコレクションの一部だよ」と。
その温室は、あとから地図で確かめれば「バービカン・コンサバトリー」と呼ばれている場所だった。
ロンドンの真ん中で、コンクリートの箱の三階にひっそりと載せられた、ちょっと場違いな熱帯雨林。
その日の私はロンドンのシティで、あまり気の進まない打ち合わせに向かう途中でした。
Googleマップはいつものように、何ひとつ悪びれることなく、私を間違った方向へと導いていく。
細長い路地をいくつか曲がっているうちに、ガラスとコンクリートが入り乱れた無表情な建物の谷間に迷い込んでしまった。
ビル風が、誰かの忘れたメールみたいに、足もとをせわしなくすり抜けていく。
時間はあきらかに足りていないのに、靴紐だけがほどけていく、そういう午後でした。
やっとのことで辿りついたバービカン・センターの入口は、劇場やギャラリーの看板でごちゃごちゃしていて、そのどれもが私とは無関係に見えた。
でも、エスカレーターを乗り継いでいるうちに、「Conservatory →」という小さな案内板が、ふと視界の端に引っかかった。
誰かが悪ふざけで貼った冗談みたいに、そこだけ文字の温度が違っていた。
私は予定より遅れているくせに、吸い込まれるようにその矢印の方へと歩いていってしまった。
ビジネス・パーソンとしては明らかに失格ですが、旅人としてなら、まあ合格だったのかもしれません。
コンサバトリーの扉を押し開けると、空気が一段、体温ごと入れ替わったような気がした。
中は、湿り気を帯びた別種の時間で満たされていた。
熱帯雨林をそのままビルの三階に引っ越してきたような空間で、シダの長い葉が廊下にせり出し、椰子の影がコンクリートの壁にやわらかい傷をつけている。
ロンドン第二の規模というその温室は、コンサートホールの上に土を盛り、そこに無理やり根付かされた植物たちの、少し騒がしい仮住まいだった。
足を踏み入れると、まず匂いが来る。
土と水と、少しだけ古い配管の匂い。
東京の地下鉄の匂いとはまるで違うが、どちらも人間がこしらえた迷路の匂いだ。
その迷路の隙間という隙間から、モンステラやドラセナやバナナの葉が伸びてきて、コンクリートの論理に異議申し立てをしている。
彼らは声を持たないが、葉のかたちと光沢で、じゅうぶん雄弁だった。
頭上にはガラスの天井が高くかぶさっていて、その下を、ヤシとシダがビルの梁をなぞるように伸びている。
少し離れたところには、乾いた空気の一角があって、サボテンや多肉植物が、別の惑星の住人みたいな顔でこちらを眺めている。
ロンドンの曇り空から落ちてきた光は、ガラスを透過するあいだに少し丸くなり、その丸くなった光が葉の縁をなぞる。
それは、仕事のメールがフォルダを三つくぐって届くあいだに、言葉の角を落としてしまうのと、どこか似ていた。
世界は、フィルターを一枚通過するたびに、少しだけ不正確になっていく。
「切羽詰まる」という言葉を、私はいつも、、終電間際の改札といっしょに思い浮かべてしまう。
でもあの日のロンドンで切羽詰まっていたのは、終電ではなく、スケジュール表の余白だった。
会議と会議のあいだに挟まれた三十分という数字が、じわじわと縮んでいく。
その縮みゆく時間の隙間に、バービカンの温室は、するりと滑り込んできた。
まるで、誰かがエクセルのシートの裏側に、秘密のタブを隠しておいたみたいに。
温室の小径を歩いていると、ところどころに池があって、鯉や草魚が、あまりやる気のない役者のように水の中を一周してみせる。
水音は、遠くから聞こえるコピー機の音に少し似ているが、こちらには紙もインクトナーもいらない。
ただ水が石に触れ、魚が水を押すだけだ。
きっとここも、もともとは劇場の舞台装置のために計画された場所なのだろう。
舞台の上では芝居が進み、舞台の上の上では植物が茂り、そのずっと下の地下鉄では人々が愚痴をこぼしながら通勤している。
現代生活というのも、考えてみれば、そう悪くない三段構造の劇場だ。
ただ、私たちはふだん、いちばん下の階で、湿気のぬけた顔をして立っている。
そして、そこで数十分ばかり、誰か別人の人生を借りるようにして時間を過ごす。
そういうことが、一年に一度くらいなら起きてもかまわない。
資料をひもとけば、このバービカン・コンサバトリーは「ロンドン第二のガラスハウス」とか、「都市型の温室」といった定型句で説明されるのかもしれない。
一五〇〇種を超える植物、適切に保たれた気温と湿度、そういう数字を並べることもできる。
でも、あの日の私にとってそれは、名称のない、ただの「迷い込んだ温室」だった。
名前のないものは、たいてい、こちらの心の側に名前を要求してくる。
だから私は、そこを勝手に「終電間際の温室」と呼ぶことにした。
時間がここだけ、半歩ずれて流れている。
届くのは、少し冷たいガラス越しの光と、換気システムの低い唸りと、落ち葉を掃く係員のほうきの音だけだ。
その音を聞いていると、自分の中の、使いかけのまま放置された感情が、ひとつずつ棚から下ろされていく。
「ああ、私はちょっと疲れているんだな」と、ようやく理解する。
やがて私はスマートフォンを取り出し、現実の世界へ逆戻りするための検索をした。
その過程で、ここが「Barbican Conservatory」と呼ばれていることを知る。
でも、魔法というのは、弱くなったあとに記憶として定着するのだと思う。
そこを出て、再び灰色の廊下とエスカレーターを乗り継ぎ、午後の会議室にたどり着いたとき、私は十分ほど遅刻していた。
遅刻の言い訳として、「すみません、温室に迷い込んでいました」と正直に言うわけにはいかない。
そのかわりに、「エレベーターが混んでいて」とか、「出口を間違えて」とか、いくつかのありきたりな言葉を適当に組み合わせた。
それは嘘ではなかったが、真実でもなかった。
ロンドンから戻ってしばらくしても、あの温室のことが、ときどき頭に浮かぶ。
メールの返信をしながら、ふと指が止まり、脳裏にシダの葉の輪郭がちらつく。
飛行機にさえ乗ってしまえば、地下鉄を乗り継いで、エスカレーターを三本と階段を二つ上がって、あのガラスの天井の下に再び立つこともできるだろう。
でも、おそらく次に行ったときには、あの日と同じ温室は、もうそこにはない。
温室というのは、建物のことじゃない。
切羽詰まった移動の途中で、ふいに足を止めさせる、あの妙な違和感のことだ。
そこで、なまぬるい湿気と、少し冷たいガラスと、名も知らない葉のかたちが、一時的な共犯関係を結ぶ。
その共犯関係に巻き込まれた人間だけが、あとからそれを「思い出」と呼ぶ。
バービカン・コンサバトリーが、世界で二番目に大きなロンドンの温室であることは、きっとそのうち忘れてしまうだろう。
でも、「名前も知らない温室に迷い込んで、会議に遅刻したことがある」という事実は、たぶん私の中で、これからも長いあいだ、奇妙なかたちをした記憶の温室として残っていくはずだ。
A子は研究室に深く沈み込んでいた。手元にあるはずのデータシートも、彼女の目にはほとんど映っていなかった。教授の顔が、また脳裏をよぎる。薄い笑みを浮かべながら近づいてくるその姿。目を細め、彼女の反応を窺うような、あの冷徹な視線。
その一瞬一瞬が、A子の心に爪痕を残す。あの目が、あの言葉が、どれほど彼女を追い詰めているのか。今でも、耳の中であの「君はもっと私に頼っていいんだよ」という声が繰り返し響く。温かさを装いながらも、心の奥底では支配しようとするその声に、A子は反応しきれないまま、ただ震えている。
「教授、やっぱりおかしいんじゃないか?」そう心の中で呟くことはできても、言葉にする勇気はどこにもなかった。もしこれをB子に話したら、どうなるだろう。信じてくれるだろうか。それとも、逆に彼女が自分の異常を笑ってしまうのではないかと、A子は恐れていた。
実際、B子は頼れる存在だ。いつも冷静で、誰にでも優しく接してくれる。しかし、A子は彼女が自分に対してどのような感情を抱いているのかが分からない。もしB子が、彼女の相談を軽んじたり、教授の行動をただの誤解だと思ってしまったら──その後のことを想像するだけで、胸が締め付けられる。
「私、変なんじゃないか。」その思いがA子をさらに追い詰めた。もし自分の感じていることが本当に過剰な反応だとしたら?もしただの誤解で、何でもないことを大げさに考えているだけだとしたら?教授の態度がどんなに不自然であっても、自分がその不安を過剰に感じているだけで、周囲には何も証拠がない。
「もし相談して、B子が私を軽蔑したらどうしよう。彼女も私を変に思ってしまったらどうしよう。」その不安が、どんどん膨らんでいく。彼女はもう、心の中で自分を守るために壁を作り始めていた。誰にも頼れない、誰にも頼ってはいけない──その思いが、A子をますます孤独にさせていた。
教授のことを告発すべきだという考えが、何度も心の中を駆け巡る。しかしその度に、A子の中で沸き起こるのは、疑念と不安だった。もし証拠がなかったら?もし、教授に逆に攻撃されたら?自分が過去にどんなミスを犯しても、その全てが彼の手のひらで転がされてしまうのではないか──そう考えると、A子は全身が震えるような恐怖を感じた。
⸻
翌日も、A子は教授の目を避けながら研究室に向かった。研究室には、日常的に教授が現れる時間が決まっている。A子はその時間帯になると、どうしても体が硬直してしまう。
教授が研究室にやって来ると、その存在が部屋の空気を支配する。A子はいつもよりも背筋を伸ばし、自然に振舞おうと努めるが、心は全く落ち着かない。教授は、今日もA子の顔をじっと見つめ、言葉を交わしてくる。目を合わさずに済ませようとすると、教授はさらにその目を鋭くした。
「A子さん、君がここにいる時間はもっと長くていいんだよ。君の研究は私にとっても大切なものだ。もっと頼ってほしい。」
その言葉に、A子は強い違和感を覚えた。言葉の表面だけを聞けば、何もおかしいことはない。しかし、彼の目線がいつもよりも執拗に感じられる。まるでA子を試すかのように、あえて近づいてくるように感じた。
教授の目の前で、A子は深く息を吸い込む。普段なら普通に答えることができるはずなのに、今日もその一言を発することにすら恐怖を感じていた。
「はい…ありがとうございます。」A子はわずかに声を震わせながら答える。自分でもその恐怖が、少しずつ形を持ち始めていることに気づいた。しかし、何も言わずにはいられなかった。言葉を発するたびに、教授がそれを期待しているような気がしてならない。
その後、会話は続いていくが、A子の心はずっと不安に占拠されたままだった。
「もっと頼ってほしい」と言われるたびに、心の奥底で「どうして頼らないといけないのか?」という疑問が湧いてくる。その言葉には、もはや学問的な意味は感じられず、ただ単に彼女を支配しようとする欲望が透けて見えるようだった。
⸻
A子が研究室を離れ、家に戻ると、再び教授の顔が頭をよぎる。あの顔、その目、あの冷たい微笑みが脳裏から離れない。
その夜、A子は何度も自分に言い聞かせた。「誰かに相談しないと、こんなことが続いてはいけない。」だが、その度に出てくるのは、再び押し寄せる恐怖と不安だった。相談することで、もし自分がどこかで傷つけてしまったら──そのことが頭から離れない。相談すれば、それで終わるわけではない。むしろ、そこからさらに何かが始まるのではないかという恐れがA子を支配していた。
B子に相談したらどうなるのだろうか。もしB子が「そんなこと、気にしすぎだよ」と言ったら、A子はどう反応するだろうか。教授のことを打ち明けたら、その後に自分の立場がどうなるのか。B子があまりにも普通に「それって、あなたが考えすぎてるだけだよ」と言ってしまったら、A子はその場でどうしていいか分からなくなるだろう。
その瞬間、A子は答えを出せなかった。ただ、次第にその恐怖が膨らんでいく。
「でも、どうしようもない。私が動かない限り、何も変わらない。」
A子は涙をこらえながら、夜を静かに過ごした。何もできない自分を呪いながら、また一つ一つの言葉が心に深く刻まれていくのを感じていた。
管理職のデスクから観察していて、最近確信に変わったことがある。
既婚男性のパフォーマンスが高いのは、責任感とか愛とかそんな高尚な話じゃない。
彼らにとって、**「会社は、家庭という名の戦場から逃れてきた唯一の休息の地」**だからだ。
独身の部下が「今日は疲れたので帰ります」と言う時、彼が帰るのは静寂と自由が約束されたワンルームだ。
一方で、既婚の部下が「残業やります!」と目を輝かせる時、彼の脳裏には**「今帰ったら待っている、無限に続くオムツ替えと、妻からの『皿洗ってないけど?』という無言のプレッシャー」**が浮かんでいる。
彼らにとって、エクセルの複雑な関数を組むことや、クライアントからの無理難題を捌くことは、泣き叫ぶ2歳児をなだめることに比べれば「ただのゲーム」に過ぎない。
「トラブル発生!徹夜確定か?」という絶望的な状況ですら、彼らにとっては**「合法的に家に帰らなくて済む免罪符」**という名のボーナスタイムなのだ。
JTCの既婚男性を突き動かすもう一つの魔力、それは「お小遣い制」だ。
月3万円程度の自由を勝ち取るために戦う男たちの執念を、独身貴族はナメすぎている。
独身の部下が「残業代なんて、税金で持っていかれるからいらないっす」と余裕をぶっこいている横で、既婚の部下は**「この残業代があれば、こっそり高い方のビール(発泡酒じゃないやつ)が買える……!」**という、昭和の少年のような純粋な瞳でPCに向かっている。
昇進への執着も凄まじい。
「役職手当で月5,000円アップ」という、独身ならスタバ数回分で終わる金額に対し、彼らは**「これで嫁に内緒でドラクエの新作が買える……!」と、国家予算の策定並みのシビアさで食らいついてくる。
守るものがある男は強いが、「隠し持っているヘソクリを守りたい男」**は、それ以上に凶暴なのだ。
家では「ゴミ出し担当大臣」や「風呂掃除長官」として、ピラミッドの最底辺に位置している彼らにとって、会社は唯一**「自分が人間として扱われる場所」**である。
部下に指示を出し、会議で発言し、誰かに「さすがですね」と言われる。
この快楽を知ってしまった既婚男性は、もはや会社というステージから降りることができない。
独身の部下が「自分らしさ」を外に求める一方で、既婚男性は**「失われた自尊心」**をオフィスで必死に回収しているのだ。
結論として、JTCの生産性を支えているのは、家族愛でも愛社精神でもない。
独身の部下よ、君たちが「定時で帰って自分磨き」をしている間に、隣の席の先輩は「会社に居座って精神の安定」を図っている。
時間が無限にある君たちに、この「背水の陣(という名の帰宅恐怖症)」を敷いた男たちの爆発力に勝てるわけがないのだ。
正しいかどうかは知らない。
ただ、夜21時のオフィスで、なぜか自宅よりリラックスした表情で資料を作っている彼らの背中を見るたび、私は「JTCは今日も安泰だな」と確信するのだ。
M・M
2008年3月に娘が性被害に遭ったと告白してから15年の時が流れました。その年の10月に亡くなりましたので、ずいぶんと時間は流れたことになります。しかし、本当に短い時間であったという感覚があります。それには、娘が亡くなった時に、時間はすっかり止まってしまい、常に亡くなった日の事、今までに娘と過ごした日々が走馬灯のように頭に浮かび、それと同時に未来に一緒に歩むことのできる道はないのだと突き着かされます。それを考える事は非常に苦しく、考えないように防衛反応を起こしているのか、常にバタバタ動いている自分がいるなぁという実感がいつもあります。人に映る私は“いつも元気そう”なのですが、本当は亡くなっていることを認めたくない自分と戦いながら、明るく振る舞うことで、娘の事を聞かれるのを避けている自分がいます。
それでも生きていれば、さまざまな場面で、亡くなったことを自覚せざるをえません。例えば、携帯電話を購入しようとすれば、「家族割引」の話や、家族構成を聞かれます。銀行、郵便局、病院など、家族構成を問われる場面は本当に多いです。また、今頃の季節ですと、卒業、進学、就職などの話をスーパーなどで、お母さんたちがよく立ち話をされています。「娘が大学に進学して、寂しくなるわぁ。」「就職が決まって、県外に住むのよ。」「お兄ちゃんは、孫が生まれてねぇ。」そのような言葉を耳にする度に、吐き気と目眩がして、買物途中ですぐ支払いを済ませ、逃げるように家路に向かいました。ほとんど外出も買物さえできませんでした。そこで、出かけるときは主人と一緒に行くようにして、気分が悪くなったら、すぐに帰宅するようにしました。
また、家にいても苦しさは多々ありました。テレビをつければ、楽しく笑っているシーン。いったい何がおかしいのか、楽しいのか分からず、テレビをつけるのをやめ、新聞の購入もやめました。まるで私自身が笑われているような気持ちでした。そこには社会から孤立している自分がありました。このような状況が数年間続き、時間の経過と共に、少しずつできることが増えていきました。今は、一人で買物もできるようになり、テレビを観ることもできるようになりました。いつも心の中で「この状況に慣れなければいけない」とつぶやきながら、受け入れていったように思います。いや、受け入れざるを得ないというのが本音でしょうか。これが時間の流れだと思います。
次に、性暴力と自殺についての認識が時間の経過によって変化していったことをお伝えします。私は、娘が性被害に遭うまで自分の娘に性暴力や自殺というものが起こりうるとは全く考えず、無知そのものでした。この世の中は安心・安全だと、何の根拠もなく信じ、普通に生活をしていました。しかし、性暴力はとても身近な犯罪で、暗数を含めると実際には何倍もの被害があり、被害者本人だけではなく被害者家族を含む大きな問題です。他の犯罪と一番違う点は、まず被害に遭ったことを話せないという点だと思います。恥ずかしい、知られたくないという気持ちはなんとなく理解できるかもしれません。しかし、実際に誰かに相談するというハードルはかなり高いものです。また相談しても「なぜ逃げなかったの」、「声をだせなかったの」「派手な服装だったの」、「そのことは忘れなさい」など次々に被害者に非があるような言葉が投げかけられます。最近ではずいぶんと警察での対応は良くなってきていると聞いていますが、被害者からの目線とは遠いものだと思えます。
また、加害者についても、私の認識はずいぶん違っていました。娘の加害者は元教師であったのですが、どこかで聖職というイメージがありました。しかし、裁判で明らかになったのは、真反対の人物でした。裁判での加害者は、膝までズボンをまくし上げ、靴を脱いで貧乏揺すりをし、若い私たちの弁護士を大きな目で下からにらめつけました。また、娘を「男性関係が淫らで、短いスカートをはいていて挑発してきた」「恋愛であった」など、聞くに堪えないものばかりでした。当の本人が生きていても、耐えがたいものであったに違いありません。私はなぜ、こんな人間に終始おびえていたのか、今でも悔しくてなりません。娘の写真をばらまかれはしないか、インターネットに掲載されはしないか、娘にもう一度暴行を加えはしないだろうかと、起こりえるかどうか分からない不安に押しつぶされていました。
そして、裁判で苦しかったのは、娘の事を何も知らない某大学病院の医師が相手側についたことです。本人を診断しないでPTSD という診断に対して、反論されたことです。加害者が怖くてたまらないと不眠で苦しみ、襲われると言って苦しんだ娘を、何度傷つければいいのでしょうか。私は、HP で笑っている医師の顔写真を何枚も印刷し、鉛筆の芯が折れるまで何度も何度も真っ黒になるまで、塗りつぶし、上からつきました。
また、加害者に対してはもっと殺意を感じていました。“加害者を殺したい”という衝動に駆られ、さびた出刃包丁をタオルにぐるぐる巻いて、加害者宅まで向かおうとしました。しかし、運転中すぐに過呼吸を起こし、時速20㎞ぐらいしかスピードが出せず、後続車からクラクションを鳴らされて、やむなく帰宅しました。それと同時に、料理をしようと包丁を持つと、娘を救えなかった自分が許せず、手首を切りたい衝動に駆られました。右手を左手で押さえ、台所で何度も泣きました。
主人も同じ気持ちでした。相手側からの文書が送られてくるたびに嗚咽し、「はきそうだ。もう裁判なんかどうでもいいから、この手で殺してやる。」机をたたいて泣き叫ぶのを見て、「頑張ろう、もう少し頑張ろう。」と背中をさすりながら一緒に泣きました。決行できなかったのは、娘への愛と夫婦二人が同じ方向を向いていたこと、そして何よりいつも支えてくださった「かがわ被害者支援センター」の方々や弁護士の先生方が脳裏に浮かんだからです。殺人者になる一歩手前の状態でした。
裁判の途中で、和解を選ぶとしたら、もうこの裁判に耐えがたいと感じるからでしょう。さまざまな方向性の違いから、被害に遭った家族がバラバラになるケースは、多くあります。特に性被害の場合、立証が乏しくなる傾向があり、裁判を起こすことさえも、ままなりません。私たちが裁判という場で戦えたこと、勝訴であったことは今の生活に光が射したことに間違いありません。
そして、決して「自殺」についても「死にたい」のではなく、「どう生きていけばいいか分からないほど苦しいので助けてほしい」ということを今では理解しています。明るかった娘が、どんどん痩せて食事がとれず、それを見ていることは辛かったです。また、自殺念慮のある人には受け入れる入院施設も探すことは非常に難しいです。私は香川県全部の病院に電話をし、苦しい娘に代わって受診し、症状を伝えました。答えは「本人さんに来て、もう一度説明をしてもらわないと」、「昔に自殺しようとした患者さんに手こずった」こんな答えを何度も聞きました。そんな状態でも予約が2ヶ月先まで埋まっていたりしています。
性暴力はこれほど、人に影響を与える犯罪であり、性被害を受けた人の中でのPTSD の発症率は高く、自殺率も高いのが現状です。つまり、性暴力は権力及び支配であって、よくTV で言われている「性欲が抑えきれなかった。」というコメントには首をかしげるところがあります。子供への虐待と全く同じであるからです。私が裁判中に感じた「ねじ伏せられそう」な感覚こそ権力や支配力でしょう。
今までお話をすると、つらいとか苦しいと感じられた方がいらっしゃったかもしれません。しかし、決して悪いことばかりではありません。15年という月日を経て、この経験から多くのことを学び、歩き始めていると感じています。もし、このような経験がなければ、苦しいことを人前でお話することもなかったでしょう。性犯罪の実態を伝えることで、少しでも関心を持っていただき、抑止力になればという思いがあります。また自分自身も性犯罪を含め、さまざまな犯罪被害者、加害者、子供への虐待、孤独死など、さまざまな社会問題に目を向けるようになりました。そして何より家族の絆、大切さを感じています。少し嫌なことがあっても決して怒らない、毎日笑って、一日一日を大切に過ごそうと思っています。
小さな丸テーブルに夫婦二人向き合って、娘の話をしながら食事をすることが今一番の楽しみです。人にとって一番大切なことは、普通でいられること、穏やかであること、それが幸せだと娘が教えてくれたのではないかと時と共に実感しています。
主語が大きすぎるのは分かっている。
正社員ならまだ問題ない。問題なのはパートとかバイト、はたまた業務委託の人。
業種的にどうしても業務委託のペンネーム持ちと仕事することが多いのだが、大体こいつらが問題起こす。
見抜けず依頼したうちの会社や我々の部署(自分含め)が大馬鹿者・無能集団なのは前提として、あまりにも社会人としての基礎ができてない。
我々って契約時に守秘義務も締結しましたよね???と言いたくなるくらいめちゃくちゃ気軽に業務内容を他人に喋る。
SNSに書くし、家族やら知人やらに平気で喋る。油断すると発表前の内容とか喋ってたりする。
たった1度の業務委託依頼なのに、備品を買ってください!と言ってきた馬鹿もいた。
なんでお前の仕事用品をうちが買うんだ、生命線だろと突っ込みたくなった。せめて貸与してくれませんか?だろ。
普通に断ったけど。
更には「なんで教えてくれないんだ」「話に混ぜろ」とやたら言ってくるのも彼女たち。
君たち社会人として信じられないくらい口が軽いから言えないんですよ、と口まで出かけるけど、ハラスメントにならぬよう微笑みで「なんでですかねぇ」と返すので精一杯。
会議なんかもあんまりうるせーからと参加させてもキャンキャン吠えるだけ。
意味の分からない発言のオンパレード。彼女が発言するたびにみんな一瞬眉をひそめているのに本人だけが気づいてない。
そこらのFラン大学生より劣った、企画書とも呼べないメモと着地点のわからない不明瞭な内容を聞かせされる。
長い沈黙の後、部長が「…あーね…そういう意見や企画もね、ありますね…」と流すに留まる。
毎度それで終わるのに不死鳥のごとくまた企画を持ってくる。めげずに発言もする。
がんこちゃんの「ショゲない メゲない」がいつも脳裏をよぎる。そこは普通にショゲてメゲてくれと思う。
あんまりにも目に付くとか、お客様から苦情が来たものは「ちょっと…」と教えたこともある。
1番ひどかったのは「申し訳ないんだけど、この発言はこういう理由で訂正してね」とも丁寧に伝え、分かりましたと返事が来たことがあった。
だのに次の日には本人名義のSNSで「まだそれ公式では発表していないから…」ということを平気で書いていた。
たまげた。ふざけてる方がまだ救いがある。そういうやつは分かっててやってるから、対策や交渉の余地がある。
ただ知能が足りなくて、無能な働き者で、プライドが高いだけ。注意しすぎたらハラスメントだの騒ぐ。
そこに子供の予定で…と急な休暇が挟まるもんだから、余計目につく。
正直なところ犬の方が躾られるのでは?と感じてしまう。
仮に猫みたいな可愛さ、愛嬌があれば許せるかも分岐もあるかもしれないが、相手は頭も眉もボサボサなデブ中年のおばさんだ。
こんな人でも子供って作れて、物を教える立場になんだから人間って不思議。
もう最近は女性の社会進出を阻んでるのは男性じゃなくて、こういう無能な女じゃねーのか?と思えてきた。
若さや美しさを売りにしていて、長い爪でカタカタキーボードを打って座ってるだけの女の方が何十倍もマシ。
彼女たちはわざわざ面倒なことに首を突っ込まないし、いつかは寿退社やら産休でも取るから何かしら区切りがある。
ネットでバズってるAI小説がちょっと写真っぽくで絵ではない感じあったので、将棋を題材に書いてもらった。
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「負けました」
その一言を振り絞るように告げ、私は盤を挟んで対峙する片腕とカメラだけの対局者に向かって深く頭を下げた。
微かなモーター音が静寂に響き、銀色のロボットアームが静かに関節を折りたたむと、まるで私に呼応するかのように深く一礼する動作を見せた。勝者を誇示するでもなく、ただ対局の終わりを告げる静謐な所作。カメラのレンズは私を捉えているはずだが、そこに感情や労いの色は当然ない。ただ、盤面の膨大なデータを処理し終えたという事実だけがそこにあった。
私はこの日のために、人生のすべてをこのゲームに捧げてきた。人間の尊厳と知性の限界をかけた最終決戦。しかし、目の前の機械は、人類が何百年もかけて築き上げた定跡や美学を、冷酷なまでに合理的な手順であっさりと粉砕していった。
悔しさ、虚しさ、そして喪失感。あらゆる感情が胸で渦巻いていた。けれど、不思議と涙は出なかった。
脳裏に焼き付いているのは、終盤に彼(あるいはそれ)が放ったあの一手だ。人間には到底思いつかない、しかし恐ろしく美しい手。それはまるで、盤上という狭い宇宙に咲いた、完璧で冷たい氷の華だった。
私は完全に敗北した。しかし同時に、このゲームが持つ底知れぬ深淵と、まだ誰も見たことのない未踏の領域を、彼に教えてもらったのだ。
ゆっくりと顔を上げる。
「ありがとう。君のおかげで、この道の先がまだ無限に続いていると知ることができたよ」
私は立ち上がり、もう一度静かに一礼した。折りたたまれたアームの奥で、カメラのレンズがチカッと一瞬だけ青い光を瞬かせた。それが勝利のルーティンなのか、私の言葉への応答なのかは永遠にわからない。
対局室を後にする私の足取りは、不思議なほど軽かった。頂点を極めた重圧は消え去り、明日からまた一人の純粋な挑戦者として盤に向かえることが、今はただ嬉しかった。
わかる、分かっててもMAGAって見るとGAFAMが脳裏をよぎるし引っ張られる
会場は静まり返り、全社員が固唾を飲んでステージを見つめている。
経営者がゆっくりとマイクの前に立つ。その眼光は鋭く、しかし温かい。
「皆、聞いてくれ。周知の通り、自動車業界は100年に一度の大変革期にある。我々日産も今、かつてない逆風の中にいる。
他社との提携、資本関係の再考……巷では『日産はどこかの傘下に入るしかないのではないか』『ホンダの子会社になる道しかないのではないか』という憶測が飛び交っている。
だが、私は断言する。日産が誰かの軍門に降ることなど、決してない!」
経営者の声が会場に響き渡る。
「我々を飲み込もうとする勢力、市場の冷ややかな目。世間の風当たりは厳しい。
だが、もしここで我々が魂を売り渡し、誇りを捨てれば、日産という名は消え、我々が築き上げてきた技術も、情熱も、すべては他社に塗りつぶされるだろう。
日産の魂が、そしてそれを受け継いだ君たち『社員』が、日産の誇りを守る最後の砦だ!
私は、君たちにただただ運命に従えと言いに来たのではない。
君たちと共に日産の未来を勝ち取るために、ここに立っているのだ!」
その時、一人の若手エンジニアが立ち上がった。
「私の父も日産の整備士でした!父はいつも『日産の技術は世界一だ』と笑っていました!
私は戦います!父が愛した、そして私が憧れたこのGT-Rの、フェアレディZの、日産の魂を絶やさせはしない!」
「私は生産技術です!長年培った生産技術、他社には絶対負けません!」
「海外営業ですが、現地のファンはみんな日産の復活を待っています!あきらめてたまるか!」
「事務職の私にだってできることはあります!コストの一円まで削って、復活の資金を作ります!」
一人、また一人。
ついには会場にいる全社員が、力強い足取りで立ち上がった。
その喧騒から離れた舞台袖、物陰で一人の役員が立ち尽くしていた。
彼は密かにホンダとの統合を推し進めてきた急進派だった。しかし、社員たちの咆哮を耳にし、不意にある記憶が脳裏をよぎる。
若かりし頃、取り返しのつかない大きなミスをした自分を、泥まみれになって守ってくれた先輩たちの顔。
「気にするな、これが『日産』のチームワークだ」と笑って肩を叩いてくれた、あの温かい手。
彼は膝から崩れ落ち、顔を覆って泣き崩れた。
「私は……私は、先輩方への恩を忘れ、いつのまにか自分の保身ばかりを追い求め、なんと愚かなことを……!」
日産というブランドを売ろうとしていた自分を恥じ、その涙は止まることがなかった。
経営者は、一人ひとりの顔を見渡しながら、最後にもう一度叫んだ。
「1933年の創業から続く、日産90余年の歴史を懸けた戦いだ!
我々には、かつて『技術の日産』を世界に知らしめた先人たちの魂が宿っている!
彼らもまた、今の我々を見守り、支えてくれているはずだ。
我々の誇りを、我々の技術を、そして我々の愛する『日産』を、絶対に守り抜くぞ!」
その叫びが止むか止まないかのうちに、地響きのような怒号が会場を包み込んだ。
「うおおおおおぉぉぉぉ!!!」
一人の叫びが千人の咆哮となり、会場の壁を、床を、そして社員一人ひとりの心臓を激しく揺さぶった。
誰からともなく始まった万雷の拍手は、もはや音ではなく、熱を帯びた圧力となって空気を震わせている。
突き上げられた無数の拳。
涙を流しながら、隣の同僚と肩を組み、互いの覚悟を確かめ合う者たち。
かつて冷徹な効率主義に支配されていた会議室の空気は一変し、そこには「技術の日産」としてのプライドが、猛火のごとく燃え盛っていた。
富士通がソフトウェア開発の全工程を自動化し、生産性を100倍にしたらしい。
もうこのニュースが流れてきた時点で、ああ、いつもの残念なJTCしぐさだなと即座にわかる。
以下はキーボードの運指と頭がサビ付かないように全て手作業でお届けする。
IR資料を読むときのコツで教わった社会人も多いだろうが、日本企業は情緒的に文章を書く癖がある。
情報と意図と情緒を切り分けて書く技術が無い、というよりも、そういった文章は血が通っていないとして嫌がられる傾向がある。
いいとこの大学出たなら卒論指導でさんざん言われたろうにとも思うが、結果が出ませんでしたを上手く言い換えるとジャーナルに載るのはどの学部でも似たり寄ったりだろう。
というわけで、基本的にIR資料だろうがプレスリリースだろうが、派手で思い切りが良いことは言いたいことで、言いたくないことは黙っているのがJTCしぐさだ。
流石に、良識ある社会人がいたであろう今回のプレスリリースをちゃんと読むと、何が行われて何が行われなかったがわかる
これだけだ。
要件定義から設計、実装、結合テストまでを一通り全部で3人月なら、まあ、チームで2週間くらいで検収待ちまで持っていける規模感だろう。
最近のAIエージェントの性能を見ていると、4時間"も"かかるのか?という気がしないでもない。
仕様決める人間のレビュアーが1時間も面倒見て、テストの通り具合を5分x3回程度で通るような気がしなくもない。
たぶんまたプレスリリースありきでスタートして、現場が苦悩しているんだろうな、という気持ちしかない。
300余件の変更案件の実証実験において、これだけ華々しくプレスリリースを打って謳えるものが1件しかなかった。相当に厳しい状況だと思う。
1人月は概ね20人日、1人日は8時間と言うのが相場なので、160時間x3=480時間ということで、120倍の性能になった、と言いたいのだろう。
ただ、そういう細かいことを言うと、キリ良く100倍と言えば良いじゃないか!という鶴の一声があり、現場が反対しても無駄だと学習性無力感に打ちひしがれているのが目に見えるようだ。
要件定義から自動化していると言うが、何を投入したかについて、どのように切り分けて与えたかについての情報が何もないので、そこで適切な課題に切り分けた職人がいたような気がしなくもない。
要件定義が失敗しないような絶妙な切り取り方をして情報を与えて、なお、1件しか成功していないので、かなり難しいんじゃないかな、という気もする。
ただ、構造的にスケジュールが先に決まっているからテストを切り飛ばすみたいなことが出来ないので、品質は上がりそうな気がするのが、非常に残念な気持ちにもなる。
まだしも、120倍の効率アップになったと細かい数字が出てれば救いがあるが、そういったものもない。
出されているものを素直に見ると、自動化に成功したのは驚異の0.25%!(400件中成功1件)というようにしか見えず、ああ、全工程自動化というお題目だけが独り歩きしているのだろうな、という気持ちになる。
この調子で、結果が出るか分からないのでなんでも食わせてみて成功したものだけピックアップしてやろうという意欲だけが見えて、最初に投入する部分を担当する部署の心痛が脳裏をよぎる。
最初と最後を人間が担当する巨大なガチャマシーンの運用のつじつま合わせのために、コーディング結果から逆算した要件の素を投入して、事前に確認しておいたコードに近似した結果が出力されるかをチェックするという大いなる無駄が生まれる予感しかしない。
適宜人間のエキスパートが伴走する、高速化装置として使えば良いのに、立派なお題目を掲げた役員が居たが故に身動きが取れなくなって自滅するいつものパターンに見える。
一人親方以外の勤め人が、生成AIによる自動化で恩恵を受ける未来は来ない。
何故なら、人月主義から顧客成果提供ベースになろうとも、請求書に顧客成果提供ベース割合で金額を載せられないからだ。
サラリーマンはサラリーが生産性の算出変数であって、顧客価値には微塵も価値が無い。人月商売も同様である。
顧客価値にこそ仕事をする価値があると思わせるのは会社側の仕事であって、そこを飛ばしても雑な仕事が増えるだけである。
死刑囚に墓穴を掘らせるのは効率は良いだろうが、率先して要領良く穴を掘るような囚人を想像することは難しい。
富士通、ソフトウェア開発の全工程をAIで自動化 “生産性100倍”に 独自LLM「Takane」活用
https://www.itmedia.co.jp/aiplus/articles/2602/17/news086.html
大規模言語モデル「Takane」を活用し、ソフトウェアの要件定義から設計、実装、結合テストに渡る全工程をAIエージェントが協調し実行するAIドリブン開発基盤を開発し、運用開始
同作は映画化漫画化など多数のメディアミックス展開をされていることから、
麻雀愛好家以外から知られている最も有名な麻雀のイカサマ技かと思われる。
この技は、まだ自動麻雀卓が出来る前、雀士が手積みで麻雀牌を積んでいたころの積込イカサマである。
まずコンビのうちの親が
「明日は晴れるかな?」
などと天気のことを世間話で話しをして、下家のお引きにイカサマの合図をして積込を促す。
そして親はサイコロを振って
出目を
2
2
と2回続けて2の目を出す。
そうすると親は自分が積み込んだ牌と、下家のお引きが積み込んだ牌から手配を並べることになる。
そして、その並んだ配牌は、すでにあがっている形(ツモ)だ。
この技はサイコロの出目を2→2と繋げることから二の二の天和と呼ばれるのだ。
麻雀放浪記において
なぜ二の二の天和の開始の合図は「天気」の話なのか?
登場人物出目徳は、主人公坊や哲になぜ天気の話がイカサマのトリガーであるとしたのか?
違和感無く、世間話として登場させるのに天気の話ほど自然なものはないだろう。
あくまでさりげなく合図を送らないといけないのだから目立つ言葉は駄目だ。
その自然さから、彼らの強敵であるドサ健なども全くその違和感に気付けない。
(ちなみに出目徳は2度続けてこの二の二の天和を炸裂させるという大技を使うが、
そのときの合図も天気の話である。これは流石に違和感がありまくりだったが、
そのことに気づいて坊や哲と出目徳の手さばきを積込を見ていなかったドサ健はちょっとヌルい。)
さて、天気の話である。
どうでもいい世間話に、天気の話うってつけだ。
まあ、そのとおりなのだろう。
しかし、ふと気づいた。
「雪だ」
今朝、歩いていて今年初めての雪に気づいた。
その粉雪を見て一瞬「積もるかな?」と思った。
その瞬間だ閃いた。
ああそうか、天気の合図って、もともとは「明日は雪だな」とか「雪が振り続けそうだな」とかだったのではないか?
つまり
「(雪が)積もるぞ(ツモ)、配牌の時点ですでにツモってる天和を出すぞ」
でも雪の話は雪が降らない地域だとか降りそうにないときに持ち出すのは不自然だ。
だから、そこから天気の話であれば天和の合図だ、ということになったのではないか?
雪を見た瞬間にそういうことを思いついた、というだけの話でした。
今年に入ってからいよいよ婚活に注力しようと思いまずは街コンアプリで試したところ一人の女性と食事することになった。待ち合わせの場所にいたのは写真そのままの美人で感じも良く、ビギナーズラックというのものでは?と内心喜びながら予約したレストランへ行くと話も弾み会話していて楽しい。
彼女の方も楽しんでくれているようで今年の運気をすべて使い果たしたように感じられていたが食事を始めると徐々に違和感が噴出しはじめ、単にいって食べ方が汚い。肉を頬張る際、自らの口の容量を見誤るように肉汁が彼女の口からは溢れ、その度にすみませんと焦った様子で口を拭うもののそういった所作が何度も目の前で行われるとついおや?と思ってしまうのも自然の事だと思う。
食事は終始和やかで食事の後は珈琲で休憩。少し談笑した後で店を出た。そのまま駅まで歩き、見送ったところで別れたが彼女は最後まで笑顔だった。
昨夜「またお食事に行きませんか?」といった旨のメッセージが届き、今日中には返答をする予定でいる。彼女は壮麗であるし、自分のことを受け入れてくれたことは非常に嬉しく思う。しかし食事での作法の様子が脳裏を過り、28の女性としての品格を想うと決断がわずかに揺らぐ。自分はまだアプリの経験に乏しく、適切な判断ができるとも言い難い。
このような場合はどのような判断が適切であるといえるのか。ご教授いただければ幸いである。
【追記】
様々なご意見ありがとうございます。
結果から先に言わせて頂きますと、彼女ともう一度食事へ行くことになりました。
色々と考えた末、それでも彼女が素敵な方に思えたので。
なんかつらい
先に言っておくと、スキンシップとか口説いたりとかは一切してない。
そもそも性格的に、職場関係の人と恋愛関係なんてありえない、と思ってしまうくらい公私は線引きしてる。
なんなら職場恋愛と聞いても、ありえない、きもい、くらい思ってる。ごめんなさい
もともと気が弱いのと、黙々と仕事していると他人様から怒っているように思われるざんねんな面構えや立ち居振る舞いらしく、
とにかく職場関係の人には威圧感を与えぬよう、腰を低く、腰を低く、フレンドリーに接することを心掛けて生きてきた。
もちろん相手が異性でも同性でも、年齢が子どもほど離れた人であっても、それは変わらないよ
そういった事情もあり、なるべく笑顔でハキハキ接するように顔を引きつらせつつ、
仕事のヘルプから相談から雑用まで、頼られたらなんでも乗っかるようにしてきたんだけど、
それまでフレンドリーに接してきたのに、急に距離を置かれたり、冷たくされたことが何度かあった。
それも決まって異性から
そうなるとこっちから詮索するのをやめて、相手に合わせてこっちも関わるのを極力やめるようにしていたんだけど、
おそらく増田が書いているような動機で避けられているであろうことも考えられる可能性のひとつとして脳裏にはうっすらあった
しかし、こうしてあらためて増田やブコメの反応を読むと、やっぱそういうふうに認識する人が大半なんだ~~~、
という現実を突きつけられたような気がして、とんでもなくしんどくなって寝られなくなってもた
職場のような自発的に形成できない人間関係だからこそ気を配ってただけなんよ。。。
こんなかんじで距離感がおかしいと思われて裏目に出ることもあるんやろな、と
色目使ってる!思われてたんかなあ
なんかつらい