はてなキーワード: お化け屋敷とは
心霊現象信じてなさすぎて、自分が経験した体で怖い話してくる人のこと「そういう嘘つくタイプの人なんだ〜」って思っちゃう。
ていう話を友達にしたら、「いやいや心霊現象はほんとうにあるよ!!」って自分が体験した幽霊の話してきて、マジで無敵だなこの人って思った。
追加
誤解があったらあれなんだけども、心霊スポットもホラー映画もお化け屋敷も普通に怖い。なんなら平均以上に怖がりな方だと思う。
でもそれって、「安全が確保されてようが激しいジェットコースターは怖い」みたいなもんなんじゃないか?人間の生存本能だか想像力だか知らないけど、そういう脳の作用によって怖いっていう感情が生み出されてるだけであって、だから幽霊がいるとか信じるとかにはならなくないか。
エヴァはあってもガンダムは無い。過去にあったのはあくまでもMBSのイベントでありあくまでも付属的な感じ?対岸の万博でパビリオンだしてる姿がクラスの隅で目立とうとするボッチみたいで泣ける😭ファンの体臭が臭いから断られてると思う。
➁遊戯王
ジャンプ作品は常にコラボしてくれるにも関わらず遊戯王だけは無い。これも断られてる理由はファンの体臭が臭いからだと思う。
③コナミ
海外だとサイレントヒルお化け屋敷あったので昨年リメイクに合わせて日本も来るかと思ったがやっぱり無い。多分過去にUSJのクソゲー作ったせいでファンの体臭が臭いからだと思う。
クレヨンしんちゃん(春日部)、サザエさん(世田谷)、こち亀(亀有)お前らはローカル臭が強すぎる。アンパンマンはミュージアム運営のためとイースト菌臭いからだと思われる。
⑤はてな
昔から怖がりで、幼稚園の頃は学生の文化祭レベルのお化け屋敷でもびっくりしすぎて大号泣してたし、
友達とちょっと言い合いになっただけでもそのあとどんな顔されるのか不安すぎて2度と顔見れなくなるレベルだったし
遠方のいとこと長期休暇一緒に過ごして、帰り際にもう一生会えなくなるんじゃないかって気分になって大泣きしてたし
会社でも人間関係で心配されるたびに問題があるなーと思っててもとりあえずも大丈夫!って返事してしまうし、
返事してる時はいける!って思ってるというか、どうも無い!って自分に思い込ませてるだけだって最近気づいた
本当は自分でもどうにもなってないってわかってる
でも、心の柔らかいところを他人に開け渡して、そのあとその相手にぐっさりズタズタに切り刻まれるんじゃないかと思って、怖くてしかたがない
泣きそう
誰か私の弱さを理解してくれたらいいなと思ってるのに、弱さを理解してくれた相手にさいご攻撃されるんじゃないかと思って閉じこもってる
きっと死ぬまでこのままで、ずっとひとりなんだと思う
お化け屋敷みたいなもんやろなあ
リトライ。
お化け屋敷で遊びましょう!
ChatGPT:
キャーッ!びっくり箱からゾンビが飛び出してきました!どうしますか?
にげる
たたかう
話しかける
あなた:
3
ChatGPT:
「ぼく、実は道案内が得意なんだ。出口を知りたいかい?」
どうしますか?
お願いする
うたがう
無視して進む
あなた:
4. 殴る
ChatGPT:
ゾンビは「いってぇなあ…そんなことするなんてひどいじゃないか…」と泣きながら地面に座り込みました。
どうしますか?
あやまる
にげる
お母さんにも話しかける
あなた:
ChatGPT:
はい、ゾンビ一家は代々ゾンビとして生まれる設定です。遺伝です。
あなた:
感染はしないってことか。じゃあ怖くないのでは?
ChatGPT:
あなた:
で、なんだっけ?
ChatGPT:
ゾンビのお母さんが現れて、どうするか選ぶ場面でした。
選択肢:
あやまる
にげる
お母さんにも話しかける
あなた:
4. 殴る!
ChatGPT:
あなたが拳を振り上げると──
ゾンビのお母さんは涙を浮かべてこう言いました。
「息子が…友達を作ろうとしてたのに…!」
本気であやまる
ちゃぶ台をひっくり返す
土下座する
「これは夢だ」と叫ぶ
あなた:
4. 踊る!
ChatGPT:
あなたが突然踊り出すと──
「すごい!この人、最高じゃん!」
どうしますか?
ゾンビたちと踊り続ける
DJの座を奪う
やっぱり出口を探す
あなた:
ChatGPT:
はい、その通りです。ゾンビは種族・存在のカテゴリであり、職業とは別です。DJは職業です。
あなた:
ChatGPT:
平民ゾンビ:一般的なゾンビたち。お化け屋敷で働いたり畑を耕したり。
あなた:
幸せなのか?
ChatGPT:
はい、彼らはゾンビなりに満足し、踊りや仲間との交流を楽しんでいます。彼らにとっての幸せは「受け入れられ、拒まれないこと」。あなたのダンスはその象徴となっています。
あなた:
では、殴る!
ChatGPT:
あなたが拳を振り上げた瞬間──
ゾンビたちは踊りをピタリとやめ、静かに輪を作ってあなたを囲みました。
「また…殴るのかい?」
どうしますか?
拳を下ろす
構わず殴る
泣く
空気を読まず踊る
あなた:
ChatGPT:
その瞬間、ゾンビ王国の法律により「過剰攻撃」と判定され、あなたはその場でゾンビ裁判にかけられました。
どう答えますか?
愛がありました
理がありました
両方ないです
あなた:
ChatGPT:
はい、この場では平民ゾンビとして、あなたと一緒にお化け屋敷で働いています。裁判の様子も、ちょっとワクワクしながら見ています。
あなた:
ChatGPT:
いいえ、裁判官ゾンビは貴族ゾンビです。格式あるゾンビ法廷にのみ仕えることができます。
あなた:
私は?
ChatGPT:
あなたは「旅人枠」で、お化け屋敷を訪れた異邦人として扱われています。身分は一時的に「特例扱いの賓客(ひんきゃく)」です。ゾンビたちはあなたに興味津々です。
あなた:
ChatGPT:
お化け屋敷のお化けとは、ゾンビ族とは別に存在する、演出専門の幽霊・妖怪・亡霊などの総称です。多くは契約社員で、出没タイミングや驚かせ方に定評があります。
あなた:
ゾンビはなんなの。
ChatGPT:
ゾンビは、お化け屋敷に常駐し、生活や仕事をしている「不死の住人たち」です。彼らは死から甦った存在ですが、恐怖を与えるよりも、踊ったり話したり働いたりと、社会を構成するキャラクターたちです。幽霊や妖怪とは異なり、物理的な存在を持ち、個々に職業や性格があります。
あなた:
ChatGPT:
ゾンビ:通貨は「デスコイン」。肉体労働や接客、パフォーマンスに応じて支給されます。生活費や趣味(棺桶改造、脳みそ料理)に使われます。
お化け:主に「霊券(れいけん)」で支払われます。これは霊界通貨で、出現頻度や驚かせ成功率に応じて支給されます。霊界カフェや転生相談室で使われます。
お化け屋敷みたいなもんやで…😟
ChatGPTに聞いても「バイオハザード7です!」とか自身満々に紹介するから「そうだね、ありがとう」ってだけ返答しておいた
個人的な候補としては肉体と精神的、宇宙的、根源的、選択的恐怖が漏れなく揃ってる「Fear & Hunger」かなと思ってる
https://store.steampowered.com/app/1002300/Fear__Hunger/
ホラーゲーっていうよりも「この世界で表現できる悪しき要素を限界まで詰め込んで体験できるゲーム」を遊びたい
ビックリ箱やお化け屋敷キャー!とは違う欲求だと思うんだけど探すとなかなか見つからない
ダウンタウンが、とんねるずが、デヴィ・スカルノが、あの歌舞伎役者が、とか、まぁ「アーあの人、現実でもやってそうじゃん」というタレントたちは、それでも全盛期は大人気だった。
「暴君系」、「ハラスメント系」、「強圧系」などと名付けてみたくもなるが、タレントの系譜の中に明らかにそういう一派がいる。
まぁ温いテレビバラエティコンテンツならではの、多少刺激的な言動をするタレントを置いておきたいニーズはあるんだろうとは思う。それにしても昔から今までずっと人気があるペルソナなのだ。
平成初期には野村沙知代&浅香光代の「サッチー・ミッチー」がご意見番顔をして(そしてその後色々あって)たし、みのもんたや島田紳助、和田アキ子などの「ハラスメントMC系」みたいな系譜もある。
一方私は、子供のころから、この手の強圧系のタレントが本当に苦手で、「何のためにわたしはテレビを見てるのかアホらしい」とテレビを消していたのだが、どうも世の中にはこういう一派を娯楽として楽しんで消費している人たちが少なからずいるのだ。短歌だか俳句だかに居丈高なダメ出しをしてるオバハンとかも大人気だし、高嶋ちさ子(かなり酷い)と長嶋一茂(かなり酷い)と石原良純(そこそこ酷い)が並んで、産まれが金持ちのセレブが傍若無人な顔をして並んでいたりする。好きにはなれないし、申し訳ないけど下品だなぁ…という印象だ。そういう人を起用した番組があちこちにあるから、まぁそういうのが好きな人が結構いるわけだ。
TVなんか見てるからだ馬鹿、というのはとても愚かで、ホリエモンやひろゆきの消費のされ方も同じ。
「金持ちが暴論、暴言を吐いているところを楽しむ娯楽」がたくさん。
お化け屋敷ではないが、対岸の火事として恐怖刺激を楽しんでいる?
それとも、傍若無人なセレブな王様が吐く暴論に己の何かを仮託して溜飲が下がったりしてるのか
あまり考えたくはないが、彼らのハラスメント色の強い言動や、現実味がゼロの暴論などに、少しのあこがれがあったりするのか
アンチポリティカル的な、反動で下品で暴力的であるコンテンツが快感なのだろうか、とか
もっとシンプルに「俺も有名に、金持ちになったら同じように暴虐にふるまってやろう」と思っているのか。
少し違うかもだが、子供のころに読んだ少女漫画に出てくる、そして先ごろまでオタクコンテンツで流行っていた「悪役令嬢」的な娯楽だったりすることは有り得るだろうか
昭和の少女漫画定番の「いじわるをする美少女(お嬢様)」は、ストーリーにスパイスを加える役割的脇役だと思うが、オタク界隈で流行った悪役令嬢は「悪役だったけど実は・・・」のギャップ萌え主人公?だったりするらしいじゃないか。現実の「ハラスメント系タレント」の消費って、そういう娯楽だったりもするんだろうか。子犬を拾うヤンキー的な、ツンデレなギャル的な、そういうやつ?
現実は、ほとんどの場合は「ハラスっぽい属性が売りになってる人は、裏でも似たようなもんだぞ」ってことだと思うんだけどなぁ…。
その彼氏とはアプリで知り合って、付き合い始めてまだ一ヶ月くらい。
そろそろお互いの素の部分が見え始める時期ってやつ。
私は正直、そんなにお化け屋敷が得意なわけじゃない。
でも「ちょっと怖いかも〜」とか言いながら彼氏の腕にしがみつくのは、デートの醍醐味だと思ってる。
そういう甘酸っぱい雰囲気を期待していた。
が、入って早々に異変に気づいた。
最初の暗闇ゾーンで、すでに「うわっ…」とか小声で呟いてるし、私の手を握る力がやたらと強い。
大丈夫かな…って思ってたら、突如出てきたオバケに彼氏がむちゃくちゃでかい叫び声を上げた。
「アアア―――アァァア!」
……いや、ちょっと待って。
これ、完全に移民の歌じゃない?
なのに、今ここで完璧な「アアア―――アァァア!」を聞くことになるとは思わなかった。
というか、あれって自然に出る声なの 人って本当に驚いた時、「ギャー!」とか「うわぁ!」じゃなくて「アアア―――アァァア!」ってなる?
しかも一回だけじゃない。進むたびに、彼氏は要所要所で「アアア―――アァァア!」と叫ぶ。途中でお化け役のスタッフのほうが引いてるのがわかった。
なんとか出口までたどり着くと彼氏はすっかり疲れた顔をしてて 「怖かったね」とか言ってくる。
そのあとの遊園地は微妙というか、私の脳内では「アアア―――アァァア!」がずっとエコーしてた。
これってその場で注意というか…聞いた方が良かったのかな…?
まさか自分がおばちゃんになってから、こんなにオカルト、ホラーが充実して無限に楽しめる時代になるとは思っても見なかったわ
映画も漫画も小説も怪談師も全て充実。溢れすぎ。一生かかっても全部網羅できない。嬉しい悲鳴
そして、ファッションのように、ホラーのジャンルにもトレンドができてるのが面白い
松原タニシさんの影響で事故物件ブームが起こり、呪術廻戦の影響で呪物ブームが起こり、
心霊写真が取り上げられることが多くなってきたから呪物の次は心霊写真がブームになるのかなと思いきや
雨穴さん、背筋さん、梨さんの活躍により
モキュメンタリー、ファウンド・フッテージホラーブームが起きた
ファッションのようにオカルト界隈でもトレンドができてるのが面白いなぁ
それまでのオカルト界隈のトレンドと言えばネットロアで八尺様とかくねくねとかコトリバコとかネットを使って広まっていくって感じだったから、テレビのほんとうにあった怖い話とか世にも奇妙な物語とか夏の特番のホラー特集等を除いて、あんまりオカルト界隈のトレンドが表に出てくるようなことがなかった
それが、オカルトブームが盛り上がって行方不明展のようにホラーコンテンツを好まない人達の目にも流行りのホラーコンテンツが触れるようになってきた
行方不明展を不謹慎と言う人もいるけれど、いや、ホラーに興味ない人のために作られたもんじゃないからねこれ。得体のしれない恐怖感を楽しむ人のために作られた作品なんだから(行方不明展自体はホラー苦手な人でも安心して行けるイベントでした。お化け屋敷とは違う)。自分の知らない興味のないジャンルについて不謹慎とか語っても意味ないよねって思う
私たちのように行方不明展の楽しみ方がわからないならほっといてって思う
令和になって、令和感満載のホラーコンテンツが楽しめるようになって私はむちゃくちゃ幸せです。モキュメンタリーの後は次のホラーのブームは何が来るんだろうって考える。
この中では「雨月物語」しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。
村上春樹「海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文に紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタやお化け屋敷的なジャンプスケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ。
これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話も説教臭い割に好きだ。
ところで、東京創元社の編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化けや妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。
ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。
「菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。
ところで小泉八雲の朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないからなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたからなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。
というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。
これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズ・クラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。
そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句を作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報の圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界を圧縮できるかだ。しかしながら、短歌は枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。
短歌は与謝野晶子、俵万智、穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。
俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子は熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理が表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的なものが好きらしい。
俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会の幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。
こうしてみればわかると思うが、平安時代の文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代の作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。
古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間で流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。
ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダルで裏切られるかわからないからだ。それこそ明治の文豪がクズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴なイケメン歌手の実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教を面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。
やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップ・マインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。
古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。
又
「侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年の作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス「悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。
とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間に身分の上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。
こういうことを考えている時は大抵は体調不良のときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこからの入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉が自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間の物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。
さて、池澤夏樹の全集では、これ以降の巻では明治の作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代の作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。
ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキーや中島敦、ポーやラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。
なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。
さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品が自分に刺さるかを整理すると、知識が豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情を論理的に言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分が中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥「共喰い」とか、時代は下るが西村賢太「苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分の暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。
芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初っから意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹の作品に結構な頻度で、的外れな批判をしてくる劇団員の女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的な作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香「コンビニ人間」については前回のエントリで名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。
理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品を評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分の属性や性格が近い人の文章が面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのときの自分に刺さって面白いのと、今の社会が必要としているのとは、まったく違うので、話題の小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。
脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品にしかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編集からしか得られない栄養素があるのと同じだ。
なお、僕は大体漫画を買うときは短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン」出身の漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。
というか、みんなあれだけ長編の少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。
なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代的経験に相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエやファイナルファンタジーなどの多くの作品をプレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ。自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。
とはいえ、少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである。
こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益な概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論を理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親を見出しているからだ」とか、古い時代のフェミニストの「私に反論するとしたら、あなたが女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。
自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチに自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分も相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。
意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的な議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。