はてなキーワード: 体育会とは
会社にオリックスファンの後輩の女性がいる。彼女は毎朝キラキラした目で「昨日の試合見ました?」と話しかけてくる。私の日課はその女性からオリックスの選手がどうだとか、今後の試合はどこでやるとか、先週は仙台まで試合を見てきただとか、いわゆるオリックスの推し活話を聞かされるのだが、なぜそこまで「推し」の存在ができるのかよく分からない。
「◯◯選手のホームランすごかったですよ!あの瞬間会場が沸いて、私も思わず立ち上がって…」
彼女の目は輝き、声のトーンが上がる。その姿を見ていると、何かに熱中できる彼女が羨ましくもある。一方で「そんなに熱くなれるものって何だろう?」と不思議に思う自分がいる。
思えば私の人生で推しはいなかった。中学時代、周りの友達が嵐やKAT-TUNにハマってCDを集め、コンサートのチケットを必死に取ろうとしている横で、私は「ふーん、そうなんだ」と思っていた程度だ。
というか、もう少し主語を大きくすると物事にそこまでのめりこむ経験がなかったように思う。大学時代そこそこの体育会を続けていたりしたが、引退後はたまに後輩の応援に行くくらいでさっぱりである。「あの頃は青春だったなぁ」と懐かしむ程度で、OB会にも半分義務感で参加している。
長く続いている趣味も特になく、アニメもたまに見る、音楽も流行りをたまに聞く、スポーツもテレビでたまに見る、以上、という感じなのだ。「たまに」の連続。深くではなく、広く浅く。それが私の生き方だ。
冷静になって他の友人を見回すと、サッカーが好きで毎週見に行くとか、好きなアーティストのライブによく行くとか、車が好きでしょっちゅう整備しているとか、みんな何らかの推しやのめり込む趣味を持っていたのだ。SNSを見れば、推し活あるあるで盛り上がる投稿に「わかる〜!」とコメントが殺到している。世の中は「推し」のある人間で溢れているようだ。
そこでこれを機に自分に推し活ができない原因をなんとなく考えてみた。
よく言われる器用貧乏というものだ。最初からいろいろと何でも出来ちゃえば、そもそものめり込む動機もない。「これができないから頑張りたい」という原動力が生まれにくい。
しかし、これは自分に当てはまらないと感じる。大学時代のゼミでは「君は要点をつかむのが下手だね」と言われ続けた。職場でも「もう少し要領よくできないか」と上司に言われる。どちらかというと要領は悪いのでこれは当てはまらない。
そこで私は以下の3点が推し活ができない原因と考えた。
子供の頃、親が「うちは貧乏だから」という話をよく聞かされていたため、自然とお金がかかるものは避け、親におねだりすることは一切しなくなった。
小学4年生の時、クラスメイトがみんな持っていたデジモンのおもちゃが欲しくて、母に「友達みんな持ってるんだよね」と遠回しに伝えたことがある。すると母は「そういうのに流されるのはダメ。うちにはそんなお金ないからね」と言った。それ以来、欲しいものを口にすることはなくなった。
ただ、大人になってから気付いたが、別に貧乏ではなくむしろ裕福な方だったのだろうと思い、なぜあそこまで悔しがりながら辛抱強く我慢していたのか、たまに虚しくなる。実家の本棚を整理したら、母の「節約生活のすすめ」的な自己啓発本がずらりと並んでいた。あれは母の趣味だったのか…。
話はそれたが、推すためにも金がかかる。オリックスファンの後輩は、遠征費、グッズ代、チケット代など、月に3万円ほど「推し活」に使っているらしい。「それだけあれば…」と考えてしまう自分がいる。投資信託を増やすとか、老後資金に回すとか。
今は給与的に正直何不自由ないくらいにはサラリーマンをやれているので、なんてことはないのだが、なんとなくこの出費に意味はあるのか?と考え、結局手が伸びない。「楽しいから」という理由だけでお金を使うことに罪悪感がある。
推すきっかけには友人関係のなかで生まれてくるものもきっとあるはずだが、私は残念ながらあまり友達が多くない。大学の同級生とはほとんど連絡を取っておらず、職場の同僚とも飲み会以外で会うことはない。
推し活をしている人たちを見ていると、SNSで仲間を見つけたり、現地で知り合った人と交流したりと、コミュニティの中で推し活を深めているように見える。オリックスファンの後輩も「ファンクラブのLINEグループがあって、みんなで遠征計画立てるんですよ〜」と楽しそうに話していた。
私にはそういう「一緒に熱くなれる仲間」がいない。もし誰かに「このアーティストいいよね」と言っても、「へー」で終わりそうな気がする。推し活の楽しさの半分は共有体験にあるのかもしれない。
私は感受性不足な面がある。映画とかで泣いたり、結婚式とかで泣いたりする人、正直よく分からない。友人の結婚式で周りがハンカチで涙を拭いている中、私だけ「写真撮っとこう」と冷静にスマホを取り出していた。
感動する体験が少ないのかもしれない。オリックスファンの後輩は「初めて生で見た試合で、逆転サヨナラホームランが出て、その瞬間からファンになった」と言っていた。そういう「心震える瞬間」に出会ったことがあるだろうか。思い返しても特にない。
あるいは、感動する回路が弱いのかもしれない。何かを見て「すごい!」と思っても、すぐに「でもまあ、別に…」と打ち消してしまう。常に一歩引いて物事を見ている。
で、この3点が組み合わさるとどうなるか。
どれが初期のきっかけかはわからないが、3点が相互に連関しているように思う。
お金がない→人付き合いが悪くなる→推し活のきっかけも生まれにくくなる→感受性が育たない→人付き合いが悪くなる→…
こんなサイクルが私の中で永遠に回っているのかもしれない。貧乏性のせいでお金を使わないから友達と一緒に推し活ができず、友達がいないから感動体験が生まれにくく、感動体験が少ないから「これにお金使おう!」という衝動も生まれない。
ただ、最近ふと思ったのは、「推し活ができないこと」自体が問題なのか?ということだ。別にみんながみんなのめり込める何かを持っているわけじゃないし、持っていなくてもそれはそれでいいんじゃないか。
でも、オリックスファンの後輩が試合後に「最高でした!」と目を輝かせて話すのを見ると、どこか羨ましくもある。何かに全力で打ち込む姿、心から楽しんでいる姿は、やっぱり美しい。
そんなことを考えながら、今日も私はオリックスファンの後輩の熱い推し活トークを聞くのだった。「それで、宮城選手がどうしたって?」
自分にとっての「推し」、いつか見つかるだろうか。それとも、推し活のない人生を歩み続けるのだろうか。どちらでもいいような気もするし、何か変わりたいような気もする。
そんな、どっちつかずの気持ちも、私らしいのかもしれない。
ごくごく普通の40間近のブサイク独身非モテ無職がここから成り上がれるルートをだれか考えて欲しい
▶️地方国立大卒工学部時代は卒論教官と合わなくてアカハラとまでは言わないまでも精神的なダメージで自殺未遂しながらなんとか卒業
▶️就活でも女子に人気のバックオフィスとかの内勤は美人ちゃん達がどんどん内定してくなか延々と売れ残って唯一面接の進んでた金融IT系に就職
請負下っ端の開発兼テスター兼監査要員で連日のシフトの夜勤プラス残業に体が持たず、心身症という曖昧な病名で多量の薬を飲み始める。休職とかの制度はないと言われて新卒で働いた会社は5年ほどでほぼ首扱いで放り出されることになる
▶️睡眠に問題を抱えながら金融系のコンサル会社に潜りこみ、多少は得意だったエクセルやアクセスでのデータの管理や更新をしたり、数値分析をしたりするようなスタッフとして働くなかで対顧客折衝(説明から契約まで)のスピード感や会社同士の腹の読みあいが苦手すぎて業務に苦手感が生まれついに薬漬けになりながら入社一年半ごろには適応障害の診断で一年程休職して退社した
▶️躁鬱の気配もすこし感じながらも、躁の万能感の時期にたまたま決まったITコンサルのアシスタントスタッフが性に合っていて通院しながらぼちぼち働けたが鬱の時には途端に仕事とかどうでも良くなってしまって休みや遅刻も多かった。その時期社内の業績が悪くて外部からの採用のテコ入れをやってた影響もあってバリバリ体育会どんどん飲め飲め系のオラオラした人員が増えて、地味で不真面目な自分には当たりが強くなって、体力的にもスキル的にも続けられそうだったけど精神的に厳しくて辞めた。ここは五年働いた。
▶️前職辞めたらスッキリ爽快で今思えば躁でノリと勢いでなんとかなってしまって小さな会社の営業事務に潜り込んで二年経ったけど、小さい会社だからこその人間関係や先行きのなさに精神がおかしくなってきてるのを日々感じている。連休あけにはもうやめるというつもりがある
▶️最近、デエビゴでの寝つきも悪いし、将来を悲観するような夢ばかり見て二、三時間で目が覚めて眠れない。特に週明けに向けてはデエビゴ倍量飲んでも1ミリも眠れないまま朝になる。もう精神が無理だと思う。
▶️生憎と理解ある彼くんもいないし、学生時代の友達も結婚や出産で10年以上疎遠だし、家族とは一社目辞める時に精神科にかかってたことが気に入らなかったそうでそこから没交渉
▶️どの職場の経験も浅すぎてアピールにもならないし、職歴の多さとマネジメント経験の無さで書類落ちが300超えた。面接はオンラインで20社くらい、二時面接まで行ってお断りが5社だった。
アピールできる資格も基本情報と秘書検定2級とFP3級くらい。精々オフィスソフト一通り使えるけどVBAとかプログラミングとか全くわからんから、ITに行くのも難しい。事務職行くには経歴も年齢も資格も微妙。
▶️通院してるからできたら9-17時の職場が良い、体力的にもシフト勤務で生活リズム崩れるのは無理だから完全週休2日の残業が多くない仕事がいいし、貯金も考えたら手取り25万か額面400万あたりは確保したい
誰か一人を全員が嫌っていたりするのも、緩衝材みたいに嫌われてる人の周りに置かれたりするのももう嫌だ
▶️回転資金集めからVlogとかやって小金を稼いでカフェでもやるか?とか思ったけどコーヒーも紅茶も飲めないから軽トラとかでたこ焼き屋台か何かやるしかないか?免許ないんだけど
最近うちの会社もパワハラ研修なんかに力を入れるようになってきて、それ自体はいいことだと思うんだけど、
パワハラやりがちな上司の例に必ずと言っていいほど「体育会系出身の人」っていうのが出てくるんだよな。
で、自分はまさに大学時代バリバリの体育会剣道部だったので、なんとも言えない気持ちになる。
そりゃ学生時代は上下関係は厳しかったけど、先輩に失礼のないように礼儀や作法を習ったってだけ。
自分は中間管理職なんだけど、パワハラ研修講師の人事の偉い人が「〇〇課長はバリバリの体育会系だったから気をつけないとな!」とか冗談めかしく言ってくるのも正直イラッとする。
こないだ4月付けで自分の配下に転勤してくる若い奴が挨拶で部長に電話かけてきたんだけど、「今度の上司の〇〇課長は剣道部で超きびしいから気をつけろよ!ハハハ!」とか言われてて、変なインプレッションを植え付けられているようでなんか正直やりづらい。
ブラックながらもなんだかんだやれていたが、経営者が変わり、輪をかけてブラックになった
いつパワハラの火の粉が飛んできてもおかしくないという雰囲気だし、斜陽産業なので業績を求められてもどうしようもない
俺はどうしても面接を突破できないのだ。今の会社は、スポーツ紙に載ってた中途採用の募集に新卒カードを切って入ったものであって、まともに面接を勝ち抜いたわけではない
ぶっちゃけ、地方駅弁でもこういう会社からすれば国立大の新卒がやってきた!となり、俺の人となりとか志望動機なんかはジャッジされることなく就職できたわけだ。つまり面接での成功体験がない
なので、今更転職しようにも、ただでさえ面接に通らないのに年齢も重ねているので、無理。つまり詰んでいるわけ
で、なぜこうにも追い詰められているかというと、親が悪いんだよね
俺は喘息もちで、体を鍛えろということで無理やり柔道をさせられてて、辞めさせてももらえず、そこの体育会的な指導で性格がねじ曲がった。理不尽に怒られたり怒鳴られたりすることをたぶん人よりも怖がってたし、故にそもそも就職したくなかった。だから志望動機が思い浮かばない。
漏斗胸で、体力もなく運動神経もない。そもそも社会である程度の地位にいる人はまず、性格とか頭の良さとか以前にそれらの土壌として体がタフだ。俺はそうじゃない。運動が嫌いだし、今更体力づくりなんてしたくない。運動が好きな個体であればせっせと運動してただろうね
3月生まれで4月生まれと比べると明らかなディスアドバンテージを背負わされた。生まれるのが一週間遅ければ東北大くらいには行けただろう
弟が実際に発達障害なんだが、その腐った遺伝子の影響は俺にも表れていて、精神科に行ったとき、失念したが何らかのコミュニケーションの値が一般の人より高かった。ニュアンスで言うなら、発達障害のボーダーが80くらいで一般の人が20が平均のところ、俺は60とか
俺は学生時代からちょっと変わった奴と言われていて、結局それは医学的に正しかったわけだ。障碍者みたいな滑舌でしゃべる変な奴なんて面接に通るわけないよね。最初から、もしくは公務員でも、ホワイトに入れてたら人生こうはなってなかったかもしれないけどね
親ガチャというが、これは言葉としてはちょっとおかしいので、俺ら世代でネットに転がってたスヌーピーの名言(笑)の「配られたカードで勝負するしかないのさ」を元に話を続けるが
カード配るのは親なんだよね。俺はこれらのクソカードを親に押し付けられたわけ。「実力も運のうち」ってハーバード大の教授も言ってるわけだが、実際に俺はそういう意味ではまったく運がなかったね
こういうのを他責思考とかって言ってくる奴いると思うんだけど、逆。矢印を自分に向けて、向け続けて、結局自分を突き抜けて親にまで向かったって話。遺伝子レベルでの、究極の自己否定だから、これ。
俺は別に虐待されたわけじゃない。まあ今のポリコレ社会からしたら怪しい部分は少々あったが、両親は俺に愛情を注いでたと思う。彼らは彼らなりにベストを尽くしたと、赦そうとした時もあった。けど、結局人生の苦境に立たされると、配られたカードがクソという事実に向き合わないといけないわけ
子育ては結果だから。仕事も試験も試合も、結局は過程がどうあれ結果がすべて。子育てもそう。そして、それをジャッジするのは子自身なんだよね。
「僕は両親から虐待されてたけど東大入れましたあ~親ガチャなんてありません~」とか言ってる若者いたけど、親はお前を東大に行かせるためにあえて虐待してたんだよ?って話。これをどう否定するの?このケースは過程に愛がなかっただけ。結果がすべてだから。虐待してくれてありがとうって言えや
精神が幼稚だとか、努力してないとか、意志が弱いとか、人生の選択を誤ったとか。これらって全部俺のお脳が発するものであって、お脳が悪いんだったら結果として出力されるものも悪いものになるに決まってるだろ。で、ハッタショ気味の俺のお脳の良し悪しは結局俺の親が配ったものなんだよね
で、俺は親のせいで人生苦しいことだらけな訳。「結局悪いのは親じゃん」って理解したのは大学生で就活に失敗しまくってた時。その時に、死のうかなって思って、包丁持って腹に充てて30分くらい突っ立ってたことあるんだよね。
あれから約20年、死ななくてよかった幸せな人生だったかって言うと、NOなんだわ。もちろんいいこともあったが、苦しいことの方が圧倒的に多かったなって思うね
俺は産まれてきたくなかったし、死にたい。そもそも俺を出生させた時点で親はクソなんだわ。産むならせめてまともなカード配れや。これは今から産む奴にも言うけど、まともなカード配れないんなら産むな
とはいえ死ぬのは怖いんだよね。生物なんだし生存本能があるんだから仕方ないね。なので「じゃあ死ねよ」で話は終わりませーん簡単に使える安楽死施設あるんなら話別だけどね。首吊り失敗してもう二度と自殺企図できない体になったらどうするの?お前が養ってくれるの?
というわけで、八方塞がりな訳だが、今の会社に居続けるのももう限界がきたなという感じなので、すべてをかけて転職しようかなと思ってる。デイトレード等も当然だめだったしな
とはいえ、失敗する可能性の方が大。だから、この転職が失敗に終わったら、苦しみに満ちた俺の人生を「親に返す」しかないかなって思ってるね
そのぐらいの覚悟をもって転職活動をしないといけないんだろうなって思ってるね
子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動や芸術の成績はよかった。
自己紹介は必要最小限にしたい。今は四年制大学でスポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校の全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器のメーカーに入社(スポンサー契約)してプロになった。
※柔道にプロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味。
回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。
新卒で入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球やサッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。
当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生が全日本の主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから。
※ところで、この日記はとても長い。ゆっくり読まれることを推奨する。
次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校の先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。
どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校の柔道部の監督に相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校が指導者を探しているということだった。
さっそく面談のアポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手が高校教師に転向するなんて思ってもみなかったんだろう。
トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道部顧問)として赴任することになった。
指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活がインターハイで活躍していた。
だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。
そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。
とまあ、そんな経過で柔道部顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会止まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である。
部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。
例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からのあだ名は苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。
800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。
こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道のプロとして言わせてもらうと、不可能に近い。
難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいうレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。
困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。
柔道部の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。
校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型や制服など、生徒指導担当の教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装やマナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。
こちらの高等学校の偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学や高校のテストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。
柔道に青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校も大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。
でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係の書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道』だって、全ページの隅々まで目を通してた。
何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち。向上心がない若者に未来なんてあるか。
俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。
それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。
当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会・公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。
・試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない
※ベンチプレス80kgのチクビの子。最後は設備の測定限界の160kgまでいった。
俺のストレスは有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。
なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。
ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。
大会は二日間あって、初日は団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。
チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子がバタバタと大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。
その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。
ほかに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道の練習をしないらしい。それでいて、団体戦も個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。
この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ちを我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。
成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重も相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。
彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。
毎日の練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。
夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手に寝技で抑え込まれている時、竹刀で背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。
T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリの芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。
振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導に最後までついてきた。
そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。
さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステルに宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。
一応は、監督の意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮が必要ということだった。最初の宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。
女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である。学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。
ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会の個人戦だって、誰一人として出場できなかった。
責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。
この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である。
マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。
ところで、俺がいた高校の柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである。女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校だから本当に存在しようがないのだが。
気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。
その子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。
このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間のイメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である。未成年はそこまで柔らかくはない。
などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素な恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。
胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。
ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。
マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為の最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。
「持ってる。財布の中」
「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」
「いないよ」
「えー、だってH慣れてるじゃん」
「慣れてないよ。下手くそだろ」
「……ほんとですか?」
「うん、本当」
「うそだー」
「本当だよ」
マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。
顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それから、マネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。
行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。
次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。
マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。
この子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。
大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。
T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。
柔道の場合、一試合の時間が野球やサッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合に必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである。
ここでいったん切る。
次です
広告代理店のインターンキツすぎもう無理……みたいなツイートを見かけて、クリエイティブを全面に出しているような文化部でもゴリゴリの体育会系なノリってあるよなぁ、と思った
どっちも似たようなものではあるけど個人的には微妙に違うと思っていて、語弊を恐れずに言うなら吹奏楽部は集団主義の極北にある存在、演劇部は強烈な個人主義を盲目的な大義(show must go onみたいなの)で束ねた集団
こういう文化部にある“体育会性”って、いわゆる「コッカラッス!」とか飲み会全裸芸みたいな豪放磊落なものではなく、とにかくねちっこいし陰湿
師弟関係に似た上下関係の強さとか、パワハラ紛いの精神論や根性論が創作美学/哲学の名の下肯定されていることとか
運動部も先輩後輩の上下関係はしっかり叩き込まれるけど、それはどちらかといえばヤンキーの支配構造に近いものであって、基本的には年功序列に従うと思う
一方文化部の上下関係の場合、年次の大小は元より、センスや才能というような個々人の実力差も力学の決定に大きく関わっていると感じる だからよく拗れる
エンタメやメディア系の企業は概してこの側面を有しているので(とはいえ広告代理店の営業部門なんかは単純に体力勝負だとは思う)、合わん人にはとことん合わん文化だろうな
https://anond.hatelabo.jp/20240915210019
就職し最低限やっていくための処理能力、常識をもった大卒を効率的に供給している
これは受験に全く労力がかからないことを考えると十分ペイしていると思われるし
最近のブルーカラー労働は現場仕事だけしていればいい層は少なく
最初はブルーカラーだけでもすぐ次の職位(チームリーダークラス)でホワイトカラー能力を要求する構造になっているので
そこでわざわざリスキリングするより最低限の4大卒をとったほうが生産性が高いので
一方、むしろ今余っているのはCランクぐらいの、非専門職でプライム市場上場文系総合職を狙うも
新卒就職でそこに行けず、かといって専門知識もないのでFラン4大と同じレベルの就職しかできない層だ
この層はそれなりの大学に入ってしまったことで妙なプライドがつき、適正な就職先を選べなくなり
低待遇の中小事務職や公的セクターなどを非正規で転々とする羽目になることが多い
もちろんこういうところを出ても本人のソフトスキル(コミュ力、顔、やる気、体力など)が高ければ
普通に新卒でそういったところの総合職に入れたり、歩合制の営業で成り上がれたりするが
問題はそういった能力は大学教育で後から身につく可能性が低いということだ
部活や体育会も任意参加で、もともと能力ややる気がある人間を選別しているだけだし
ソフトスキルが低い人間は4年後変わらないどころか、モラトリアムでサボってもっと低くなることも珍しくない
逆に、こういう大学に自力で勉強して入れる層は処理能力や常識はすでに高卒時点で備えている
もちろん、これらの層にとっても自発的に学問や専門能力を伸ばしたりする方向なら大学も意味があるといえるが
非専門職の文系総合職の新卒就職としてやっていくためには価値の低いスキルセットだ
単純に本人の将来のためになっていない
文系総合職のうちこれらの中間層がつけた職種は明らかに減少しておりこれからも増えることはない
ソフトスキルと学力、どちらも兼ね備えたトップ層を除いたら、学力に偏った能力を持つ層は
エンジニア、IT、医療、法曹、学者、といった専門職につくほうが社会のためでも本人のためでもある
だからFランではなくこれらのCランクで専門性のつかない文系大学をつぶしてリスキリングと専門性獲得のために
作り変えるほうがよほど理にかなっているんだよな
今月、グーグルマップの口コミで被害を受けた人達が訴訟を提起したニュースを見た。
若い子はグーグルマップは見ないんだろうけど、中年世代はネットの口コミを見てお店などに行く。民間企業にとっての悪質レビューは死活問題である。特に、飲食店といったサービス業はそうだ。
自分自身、被害に悩んでいるかもしれない。かもしれないって書いたのは、被害を受けているのは市役所で、私はそこの従業員だから。直接の被害者ではないけど、ひどい口コミが気になって心が痛い。
庁舎の場所をクリックして、口コミを上から10~20くらいまで見てもらえればわかってもらえると信じている。
私は結構前からここで働いてるけど、市民からの視線が気になってしょうがない。
そりゃあさ、確かにひどいことをする職員だっているよ。どこの会社だってそうでしょ。
勤務中に、市民の人が聞いてないからって「障がい者は採用試験受けるべきじゃない。あれらは、いざという時に市民をまもれんじゃろ!」と言ったり、飲み会の場で「結婚してない奴は人間性が不十分。未熟な人間が多い」とか言ってる昭和生まれの年配職員がちょこちょこいる。
もっとひどい人だと、夏祭りなどのイベント行事が終わった後の食べ物・飲み物を全部持って帰ったり、失敗した職員を人から見えない廊下に立たせてる管理職もいる。
労働組合の幹部の人だと、国や県の職員も混ざっている宿泊研修の時に、「私は日本国旗の掲揚係にはなりません。あんな戦争を起こした国の国旗には触りたくもない!」と言って、周囲をざわつかせた人もいる。
最近だと、市民か業者の人と窓口で言葉のやり合い(ののしり合い)になった後で、その職員の人が自分の机に帰ってきたところで、上司とか先輩が、
「増田、お前。男を上げたのお。お前は漢よぉ!!」
みたいな、体育会の職場だったりもする。今時「男」って……。そのほか、差別や暴言とかのハラスメントもあるけど、ここであまり書くべきじゃない。
※私が特定されたらどうするの、ていう人もいると思うけど、自己責任だから覚悟してる。福山市には正規・非正規を合わせて職員が約6000人以上いる。
冒頭の話に戻るけど、インターネットの口コミでひどいことを書く人達のことが理解できない。あの人たちは全員匿名だと言っていい。卑怯すぎる。
何度もグーグルに削除申請したけど、ぜんぜん消えない。もしかしてこれって、市長とか総務部長の名前で削除申請を出さないと、消えなかったりする……?
もやもやした感じが止まらないし、無情な口コミが増えていくのも納得できない。
私はグーグルマップを飲食店探しに利用してるから、完全スルーもできない。
私は一体、どうしたらいいんだろう。できれば不当な口コミは全部削除してほしいと思ってる。
わかる。わかるよ。
モテなくはなかったけど、人を好きになることなんかなかったし、結婚願望もなかったんだけど、すごくタイプな人だったから結婚した。
もちろん結婚(というかお付き合い)してから浮気も不倫もしてない。
仕事柄、大学生と接する機会が多いんだけど、昨年の秋に知り合った体育会の男子学生がいる。
話す機会も多いので、結構頻繁に連絡取るようになると「あれ?なんかめっちゃ好きかもしれない」って思うようになった。
他の人と話しているところみるとモヤモヤするし、仕事で手伝えることあったらなんでもやりたくなるし、返信遅いとちょっとムカつく。
いまは、時間が経てばそのまま落ち着くことを期待してる。
そして2001年12月20日発売の男性同性愛者向けポルノビデオ『Babylon Stage 36 実録ザ・ドキュメント 本当にあった体育会ワイセツ話』にて通称「ECZN」と呼ばれる登場人物が「なんだよ…お前のケツ、ガバガバじゃねえかよ」と発言した。
ここから、TDNスレで「しまりがない」「気合が入ってない」「だらしない(レ)」「杜撰である」的な意味の定型として10.の用法で使われるようになり、専らやる気のない物や事柄に対しては大体「ガバガバ」の一言で済むようになった。
いやそもそも淫夢作品内では物理状態を指す普通のごく用法やないかい
これで由来扱いってガバガバでは?