『和泉国・淡輪城跡』
大阪府泉南郡岬町淡輪(たんのわ)にある淡輪城跡である。
源義経の家臣であった佐藤忠信の子がこの地に地頭として住み着き、居館を構え淡輪氏を称したと云われる。
南北朝では南朝方に与し、功があったとされる。
戦国時代、淡輪徹斎の娘は豊臣秀次の側室「小督(ここ)の局」となったが、秀次の死に連座させられ、斬首されたと云われる。
大坂の陣では、徹斎の長男重利は紀州浅野氏の家臣となり、次男重政は大阪方として分かれて戦った。
重政は塙(ばん)団右衛門と共に紀州から登ってくる浅野軍と戦ったが、味方の統制が取れず、樫井川の合戦で戦死、淡輪城も廃城となった。
淡輪城の跡として土塁のみが残されている。
現地説明板によると、城跡は約500坪で、土塁の左手アパート状の建物と、その奥に広がっていたとある。
跡地は私有地となっていて、フェンスで囲われていて、探索不可である。
周りから雰囲気を味わうことだけで留めなければならないのは残念である。
城跡の一本北側の道路に浄土宗西林寺がある。
大坂の陣以前の400年以上も前の創建だそうである。
寺門や本堂を見るにそれは頷ける。
淡輪氏の城とこの寺、何らかの一体機能を果たしていたのかもしれない。