『京都・元離宮二条城』
京都市内の中心部にある世界遺産元離宮二条城の国宝二ノ丸御殿である。
二条城のその他の殆どの建造物は重要文化財でもあり、文化財の宝庫と云える城である。
二条城は将軍となった家康の徳川家と天皇家との交流施設として創建されたものである。
当初は将軍宣下された家康の賀儀を第一の目的とされた。
その後、2代将軍秀忠の娘和子、東福門院が後水尾天皇に入内する時大改修された。
その時の普請奉行は城造りの名手、藤堂高虎である。
そして、3代将軍家光の時の後水尾天皇の行幸のため改修されたが、その時の作事奉行は、これも庭造りの名手、小堀遠州が務めた。
このように二条城には徳川の建築の名手達が次々と係わり、天下普請と云われる多くの大名達も関わって完成されたものである。
もちろんのこと、徳川は二条城の築城改修の都度、天皇が住まいする御所にも、城以上の改修を加えることは忘れていなかった。
二条城へは東大手門から入る。
番所の前を通り、二ノ丸の塀に沿って回り込むと唐門に到達する。
唐門を潜ると最初の写真、二ノ丸御殿の車寄せに達する。
二ノ丸内に入ると狩野派により描かれた多くの国宝絵画のレプリカがあるが、雰囲気は醸し出されている。
二ノ丸を出ると、その西には本丸がある。
本丸の南西の隅に天守台の石垣が残されている。
この天守については複雑な経緯があるが、最終5重の天守は、江戸の中期に落雷で焼失し、以後、再建されていない。
天主跡から本丸を眺め、本丸を離れ、北の庭園、清流園の茶室香雲亭を眺め、城内の一周を完了した。
城外に出ると、東南には櫓、北側の猪熊通りが突き当たるところには北大手門がある。
二条城は幕末に15代将軍慶喜が大政奉還を宣したところでもあり、江戸時代にはいくつかの歴史のターニングポイントになった場所である。