阪急電鉄京都線27・烏丸駅
「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
今回は、「大阪梅田駅」から26番目で、京都市下京区にある「烏丸(からすま)駅」である。

「烏丸駅」で下車する。
駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
また、地下ホーム内に、トイレがあるのは珍しい。

地上へ上ると、そこは「四条烏丸」の交差点である。
今回は、「四条烏丸」の南西方向に鎮座する「菅大臣神社」を訪ねてみることにする。
先ずは、「四条通り」を西へと進む。

「室町通り」と交差するので、これを南下する。
直ぐの右手に、花道で知られる「池坊短期大学 池坊文化学院」がある。

更に南下する。
「仏光寺通り」との交差点を西へと進む。

しばらく進んで行くと、右手(北側)の住宅の前に、「菅家邸址」の石碑が立っている。

そして、道路を挟んだ左手(南側)には、鳥居や社号柱が建てられている。
「菅大臣神社」の北参道である。
こちらにも、「菅家邸址」の石碑が立っている。
この辺り一帯が、「菅原道真公」の「菅家」の邸宅であったものとうかがわれる。

更に西へと進み、交差する「西洞院通り」を南下する。
少し進むと、左手(東側)は「菅大臣神社」の正面参道であり、鳥居、社号柱が立っている。

鳥居を潜ると、「天満宮降誕之地」の石柱も立っている。
「菅原道真公」の生誕の地とされているところである。
そして「冠木門」を潜り、参道を進む。

左手の「手水舎」に「神牛」が祀られている。
その背後は、「稲荷神社」である。
そして北参道となるが、参道には趣のある町屋が建っている。

正面参道には、「二ノ鳥居」が建ち、その先は「拝殿」、「本殿」である。
「本殿」の祭神は、「菅原道真公」、「尼神(あまがみ)」、「大己貴命」とされている。

この神社は、「道真公」のの薨去の後、この地に間もなく創建されたとされる。
そしてこの「菅大臣神社」は、明治になって「松浦武四郎」が定めた「官公聖蹟二十五拝」の第三番でもある。
また境内には、多くの梅の木が咲き、「道真公」が大宰府へ左遷に当り(当時は自宅)、
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
と詠み、以来、「飛梅の地」ともされている。
その他、境内には、幾つかの境内社や、「神牛」、「灯篭」などが祀られている。
そして、南の参道から退出し、「烏丸駅」のミニ探索を終了したのであった。

今回は、「大阪梅田駅」から26番目で、京都市下京区にある「烏丸(からすま)駅」である。

「烏丸駅」で下車する。
駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
また、地下ホーム内に、トイレがあるのは珍しい。



地上へ上ると、そこは「四条烏丸」の交差点である。
今回は、「四条烏丸」の南西方向に鎮座する「菅大臣神社」を訪ねてみることにする。
先ずは、「四条通り」を西へと進む。



「室町通り」と交差するので、これを南下する。
直ぐの右手に、花道で知られる「池坊短期大学 池坊文化学院」がある。



更に南下する。
「仏光寺通り」との交差点を西へと進む。


しばらく進んで行くと、右手(北側)の住宅の前に、「菅家邸址」の石碑が立っている。


そして、道路を挟んだ左手(南側)には、鳥居や社号柱が建てられている。
「菅大臣神社」の北参道である。
こちらにも、「菅家邸址」の石碑が立っている。
この辺り一帯が、「菅原道真公」の「菅家」の邸宅であったものとうかがわれる。



更に西へと進み、交差する「西洞院通り」を南下する。
少し進むと、左手(東側)は「菅大臣神社」の正面参道であり、鳥居、社号柱が立っている。



鳥居を潜ると、「天満宮降誕之地」の石柱も立っている。
「菅原道真公」の生誕の地とされているところである。
そして「冠木門」を潜り、参道を進む。


左手の「手水舎」に「神牛」が祀られている。
その背後は、「稲荷神社」である。
そして北参道となるが、参道には趣のある町屋が建っている。



正面参道には、「二ノ鳥居」が建ち、その先は「拝殿」、「本殿」である。
「本殿」の祭神は、「菅原道真公」、「尼神(あまがみ)」、「大己貴命」とされている。



この神社は、「道真公」のの薨去の後、この地に間もなく創建されたとされる。
そしてこの「菅大臣神社」は、明治になって「松浦武四郎」が定めた「官公聖蹟二十五拝」の第三番でもある。
また境内には、多くの梅の木が咲き、「道真公」が大宰府へ左遷に当り(当時は自宅)、
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
と詠み、以来、「飛梅の地」ともされている。
その他、境内には、幾つかの境内社や、「神牛」、「灯篭」などが祀られている。
そして、南の参道から退出し、「烏丸駅」のミニ探索を終了したのであった。


