大阪モノレール17+16・蛍池駅+柴原阪大前駅
大阪府門真市の「門真市駅」と大阪府豊中市の「大阪空港駅」を起終点とする「大阪モノレール本線」並びに支線の「彩都線」の各駅を途中下車で訪ねている。
今回は、既に訪問した「蛍池駅」と「柴原阪大前駅」の両駅に関わる戦国時代から江戸時代に掛けての遺構を訪ねることにする。

「蛍池駅」の西側には、駅に沿って商店街があり、一本西の道の「旧蛍池公民館」前に陣屋跡の石碑が建っている。

江戸時代を通して機能した「麻田藩陣屋跡」の石碑である。
外様大名の「青木一重」によって築かれた陣屋である。
「大坂の陣」で豊臣氏が滅ぶと、青木氏は再度家康に召しだされ、1万石の所領を安堵され、この地に陣屋を築いたとされている。

この「麻田藩陣屋」にまつわる遺構が、「柴原阪大前駅」の近辺にあるので、一駅戻ってみる。
「柴原阪大前駅」から「中央環状線」を挟んで南側に、変わった造りの鐘楼が見えるので、行ってみる。
地図でも確認できる。

行ってみると、「正安寺」、「常楽寺」と並んだ寺院で、コンクリートの造りは「常楽寺」である。

「常楽寺」は浄土真宗の「存覚上人」の旧跡とされていると同時に、「刀根山城跡」である。
戦国時代、「織田信長」の軍が伊丹の「荒木村重」の「有岡城」を攻める時に城塞化して本拠としたとされる謂れがある城である。
残念ながら遺構は無いが、雰囲気はある。

「常楽寺」の東側に道路を挟んで、趣のある建築物が建っている。

「麻田藩陣屋門」が移設されたとされる。
江戸時代末期の建築で、陣屋の西門とのことで、「豊中市有形文化財」である。

今度は、「柴原阪大前駅」の北東方向の春日町まで移動する。
そこには「甘露山 報恩寺」という浄土真宗本願寺派の寺院がある。
長屋塀に囲まれていて、そして寺門は南向きである。

境内に入ってみると、左手に「鐘楼」、正面は「本堂」である。

そして、右手に「麻田藩陣屋表玄関」が移築されている。
建築年代は不明とのことであるが、小大名居館表玄関としては貴重なもので、「豊中市有形文化財」に指定されている。

これらの他にも「麻田藩陣屋」の遺構があるとのことであるが、探索はここまでとした。
今回は、既に訪問した「蛍池駅」と「柴原阪大前駅」の両駅に関わる戦国時代から江戸時代に掛けての遺構を訪ねることにする。

「蛍池駅」の西側には、駅に沿って商店街があり、一本西の道の「旧蛍池公民館」前に陣屋跡の石碑が建っている。



江戸時代を通して機能した「麻田藩陣屋跡」の石碑である。
外様大名の「青木一重」によって築かれた陣屋である。
「大坂の陣」で豊臣氏が滅ぶと、青木氏は再度家康に召しだされ、1万石の所領を安堵され、この地に陣屋を築いたとされている。


この「麻田藩陣屋」にまつわる遺構が、「柴原阪大前駅」の近辺にあるので、一駅戻ってみる。
「柴原阪大前駅」から「中央環状線」を挟んで南側に、変わった造りの鐘楼が見えるので、行ってみる。
地図でも確認できる。



行ってみると、「正安寺」、「常楽寺」と並んだ寺院で、コンクリートの造りは「常楽寺」である。



「常楽寺」は浄土真宗の「存覚上人」の旧跡とされていると同時に、「刀根山城跡」である。
戦国時代、「織田信長」の軍が伊丹の「荒木村重」の「有岡城」を攻める時に城塞化して本拠としたとされる謂れがある城である。
残念ながら遺構は無いが、雰囲気はある。


「常楽寺」の東側に道路を挟んで、趣のある建築物が建っている。



「麻田藩陣屋門」が移設されたとされる。
江戸時代末期の建築で、陣屋の西門とのことで、「豊中市有形文化財」である。



今度は、「柴原阪大前駅」の北東方向の春日町まで移動する。
そこには「甘露山 報恩寺」という浄土真宗本願寺派の寺院がある。
長屋塀に囲まれていて、そして寺門は南向きである。



境内に入ってみると、左手に「鐘楼」、正面は「本堂」である。


そして、右手に「麻田藩陣屋表玄関」が移築されている。
建築年代は不明とのことであるが、小大名居館表玄関としては貴重なもので、「豊中市有形文化財」に指定されている。



これらの他にも「麻田藩陣屋」の遺構があるとのことであるが、探索はここまでとした。