はてなキーワード: 1995年とは
定義: 個人の魅力・能力・選好に基づく「選ばれなさ」であり、特定属性への敵意や制度的排除を伴わないもの。不快ではあっても、差別とは質的に異なる。
この段階のポイント: 本人にとっては深刻な苦痛でありうるが、「属性を理由とした不当な扱い」ではないため、差別の文脈で扱うと議論が混乱する原因になる。「つらさ」と「差別」は別の軸である。
定義: 特定の属性に対する否定的なステレオタイプが社会に流通し、その属性を持つ個人が日常的に偏見にさらされる状態。法的権利は侵害されていないが、尊厳の毀損や心理的負荷が継続的に発生する。
この段階のポイント: 個々の言動は「悪意がない」「冗談」「褒めている」と弁明可能なものが多いが、当事者にとっては累積的に尊厳を削る。可視化されにくいため「大げさ」「被害妄想」と退けられやすい。
定義: 特定の集団・コミュニティにおいて、ある属性を持つ人々への攻撃・蔑視・性的対象化が文化として定着し、組織的・反復的に行われる段階。個人の偏見を超え、集団の規範として加害が正当化される。
この段階のポイント: ②との決定的な違いは、加害が集団の文化・規範として機能している点にある。「ノリ」「ネタ」「ジョーク」として正当化され、批判する側が「空気を読めない」「過剰反応」と攻撃される。脱人間化(dehumanization)の言語が定着すると、より深刻な段階への心理的障壁が下がる。
定義: 法律・制度・政策によって特定の属性を持つ人々が権利を制限され、または不利な立場に置かれる状態。国家権力が差別を正当化・執行する。
この段階のポイント: ②③が「社会の中の差別」であるのに対し、④は「国家による差別」である。法が差別を禁止するのではなく、法そのものが差別を構成する。被害者は法に訴えることができない(法自体が敵であるため)。制度的差別は撤廃後も長期にわたって構造的不平等として残存する。
定義: 特定の属性(人種・性別・性的指向・宗教・民族など)に対する憎悪を動機として、個人または小集団が行う身体的暴力・殺人・テロ行為。法制度は(少なくとも建前上は)これを禁止しているが、実効的に防止できていない、または暗黙に容認されている。
この段階のポイント: ③との違いは、言語的・心理的暴力から身体的暴力・殺人へと移行している点にある。ただし③の脱人間化言語が⑤への「許可」として機能するという連続性がある。加害者は個人でも、その動機は社会に流通する憎悪イデオロギーに根ざしている。国家は禁止しているが、捜査・処罰の不十分さが暗黙の容認として機能することがある。
定義: 国家またはそれに準ずる権力が、特定の属性を持つ集団を組織的に排除・追放・絶滅しようとする行為。④(法制度的差別)と⑤(暴力)が国家権力によって統合され、産業的規模で遂行される。
ギャル文化は、1980年代から現在まで続く日本の代表的な若者サブカルチャーです。しかし、その歴史を概観すると、特定のファッションスタイルや外見に「本質(エッセンス)」は存在しないという特徴が浮かび上がります。共通するのは、意識的かつ冒険主義的な自己表現の姿勢——すなわち、自分の身体を用いて社会的な美意識・規範に挑戦し続ける精神性のみです。以下に時代ごとに整理します。
バブル経済期に「ギャル」という言葉が若く活発な女性の総称として使われ始めました。
原宿・渋谷を中心に登場した集団。派手な色使いの衣装を着て街中でダンスをする文化。伝統的な「控えめな若者像」への視覚的な反発として注目されました。
ボディコン(身体のラインを強調したタイトドレス)や派手メイクのOL・女子大生層。ディスコ文化と結びつき、「楽しさ優先・自分軸」の精神が原型として芽生えました。
この時期はまだ散発的でしたが、身体を通じた規範への挑戦と「最新であること」の価値が、後のギャル文化の基調となりました。
1990年代にギャル文化は本格的に確立します。特にコギャルが象徴です。
ルーズソックス(ゆるく着崩した白いソックス)、ミニスカート、厚底ブーツ、茶髪・小麦肌が定番。
1995年創刊の読者参加型ファッション誌。読者モデル文化を育て、渋谷109を中心に商業的に巨大化しました。
ギャル同士の友人集団。プリクラ(プリントクラブ写真)やパラパラ(ダンス音楽)文化と融合。
この時代、学校空間の相対的地位(校内ヒエラルキー)が強く影響しました。
極端な日焼け(ほぼ黒肌)+白メイク+金銀髪+原色ファッション。自然で控えめな美意識を意図的に否定する、最も攻撃的な挑戦。
ガングロの派生形で、さらに過激化した白メイク・盛り髪スタイル。
雑誌『小悪魔ageha』由来のキャバクラ風盛り髪・セクシー路線。
商業メディアがトレンドを加速させましたが、社会的批判(援助交際イメージなど)も強まりました。この時期、「最新であること自体に価値がある」という性格が明確になり、特定のスタイルに安住すると次の世代から「古い」と見なされる傾向が顕在化します。
AKB48などの清楚ブームやスマートフォンの普及で一旦下火に。雑誌の相次ぐ休刊が象徴です。
プチプラ(安価・大量生産品)で揃えられる王道ガーリースタイル。フリル・レース・パステルカラー中心の「無難にかわいい」自称スタイル。
学校ヒエラルキーの影響が弱まり、多様な流派が並存するようになりました。
TikTok・InstagramなどのSNS普及により、逸脱の民主化が進みました。校内カーストを超え誰でも低コストで挑戦可能になりました。
外見より「自分軸・ポジティブ・冒険主義的マインド」を重視。Y2K(2000年代回帰)やルーズソックス再流行が見られます。
ギャル文化の歴史は、特定のファッションの継承ではなく、「意識的・冒険主義的に自己表現を更新し続ける姿勢」だけが一貫して受け継がれてきたと言えます。 身体を媒体とした規範への挑戦は「最新性」に価値を置くがゆえに、特定のアイコンに留まることができません。停滞した瞬間にギャル性を失うとさえ言えます。この流動性と矛盾こそが、文化を柔軟に存続させてきた理由です。
チック・リット(英語: chick lit)は大衆小説のジャンルで、「個々の主人公の試練と苦難に焦点を当てた、ヒロイン中心の物語で構成されている」もののことを指す[1]。このジャンルは多くの場合、現代における「女性らしさ」の問題(恋愛関係や女性の友情、職場での問題など)をユーモラスで軽快な方法で取り扱っている[2]。
このジャンルが始まった当初、チック・リットの主人公は「独身、白人、異性愛者、イギリス人かアメリカ人の女性、20代後半から30代前半、大都市圏在住」である傾向が高かった[1]。このジャンルは1990年代後半に人気が出てきて、チック・リットの小説がベストセラーとなったり、チック・リットに特化した出版社ができたりした[3]。チック・リットの批評家の間では、チック・リットのジャンルの始まりはイギリスの作家キャサリン・アリオットのThe Old Girl Network(1994年)であり、チック・リットの「原典」として広く知られているヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996年)は、これにインスピレーションを受けたものであるということで合意している[4]。
"chick"は英語で「雛鳥」を意味し、転じてアメリカのスラングで「若い女性」を意味する。"lit"は"literature"(文学)の短縮形である。チック・リットの研究者は、この用語の初出は、1995年のクリス・マッツァ(英語版)とジェフリー・デシェルが編集したアンソロジーChick Lit: Postfeminist Fictionであるとしている。これは、マッツァとデシェルの「ポスト・フェミニストの作品を」という呼びかけに応えた22の短編小説を収録したものである[5]。1990年代半ばには、女性作家が女性読者のために書いたフィクションを指す言葉として、様々なメディアでこの言葉が使われるようになった。
この用語を、この用語が生まれる以前の同様の女性向け作品についても適用して、"chick lit in corsets"(コルセットを着たチック・リット)と呼ぶことがある[6]。また、このジャンルの要素と青春物語を組み合わせた、若い読者向けのチック・リットのことを"chick lit jr."(チック・リット・ジュニア)という[6]。
論争
チック・リットは、読者の間では非常に人気となったが、批評家の大半はこのジャンルを支持しなかった。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評において、アレックス・クジンスキー(英語版)はフィールディングの小説を特に非難し、「ブリジットは男に狂わされた無力感に浸っている哀れな姿であり、彼女の愚かさは言い逃れできない」と書いた[7]。作家のドリス・レッシングはこのジャンルを「すぐに忘れられてしまう」とし、ベリル・ベインブリッジ(英語版)は「泡のようなもの」(a froth sort of thing)と呼んだ[8]。編集者エリザベス・メリック(英語版)は、2005年にアンソロジーThis Is Not Chick Lit(これはチック・リットではない)を出版した[9]。メリックはこの本の紹介文の中で「チック・リットのお決まりのパターンは我々の感覚を麻痺させる」と主張した[9]。編集者ローレン・バラッツ=ログステッドは、メリックの本に対抗して2006年にThis Is Chick Lit(これがチック・リットだ)[10]を出版し、このプロジェクトは「怒りから生まれたものである」と述べた[10]。
このジャンルの作家たちは、その弁護に乗り出した。チック・リット作家のジェニー・コルガン(英語版)は、すぐさまレッシングとベインブリッジに反撃した[11]。『グッド・イン・ベッド(英語版)』(2001年)や『イン・ハー・シューズ(英語版)』(2002年)など数多くのチック・リット小説を著したジェニファー・ウェイナー(英語版)は、常にチック・リットを擁護した[12]。『スレート』誌2013年5月22日号では、『ウーマン・アップステアーズ(英語版)』(2013年)の著者である小説家クレア・メスード(英語版)が、女性の小説と主人公の好感度について語ったコメントに対する、ウェイナーの記事を掲載した[13]。ウェイナーはその記事の中で、商業小説、特に女性の商業小説に存在する偏見に疑問を投げかけた。ウェイナーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙に"The Snobs and Me"を執筆するなど、チック・リットに対する人々の認識に挑戦し続けている[14]。この記事では、自分の作品を軽視する文化的風土の中で、自分の作品を信じようとする彼女の個人的な葛藤が綴られている[15]。
ダイアン・シップリー[16]などの他の作家もこのジャンルを擁護している。特に、フェミニストのグロリア・スタイネムがウェイナーの意見に共鳴し、女性の文学に対する偏見に注目しながら、自分たちがこの言葉を使っていること、そしてこの言葉が女性や女性の小説について何を語っているのかを問うよう人々に求めた[17]。
その後の状況
出版社がこのジャンルをプッシュし続けているのは、売上が高い状態が続いているからである。作品の市場性を高めようとして、この用語の様々な派生語が造語されてきた。
『リファインリー29(英語版)』のライター、ローレン・ルヴァイン(Lauren Le Vine)は、2016年3月に"The Chick-Lit Books That Won't Destroy The Feminist Inside You"(あなたの中のフェミニストを破壊しないチック・リット本)と題して、女性が女性のために書いた8冊の本を紹介した[18]。ルヴァインは、女性を題材にした小説の文学的伝統には、時に、買い物に夢中になって夫とはぐれた女性が夫を探すという物語が含まれており、このような本はフェミニストの価値観と矛盾しているということを認識している。しかし、ルヴァインはヘレン・フィールディングの1996年の小説『ブリジット・ジョーンズの日記』を紹介する際に、「一人の女性が個人的な満足感(それは彼女にとって愛、キャリアの成功、身体の受容を意味する)を見つけようとすることにのみ焦点を当てた本であり、それはフェミニズム(どの波に乗っても)とは何かということである」と書いている[18]。
『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌の編集者であるサラ・ネルソン(英語版)は、2008年に、チック・リットというジャンルの中で考えられるものの定義が、より完成度が高く、「成長した」ものになってきていると示唆している[19]。
2000年、『シドニー・モーニング・ヘラルド』は、女性読者を対象とした小説の新しいトレンドについて、次のように述べた。「ポスト・トーリー、ポスト・グランジの軽やかさの精神が、雑誌を読む女性やテレビを見る女性たちの間に広まっていった。この小説は、『チック小説』(chick fiction)または"chicfic"いう『出版現象』の誕生であり、主題、パッケージ、マーケティングによってすべてが統一されている。キャンディ・ブライトで、ピンクと蛍光色の重い表紙、『キャンディ・ブライト』なタイトルにより、簡単に消化しやすく、良い笑いを提供することをほのめかしている。そのような本は、雑誌の記事、小説や小説化されたもの、テレビと、自宅で一晩で消化できる快適な食べ物のハイブリッドとして市場に位置づけられている[20]。」
チック・リットは一般的に女性が主人公であり、プロットの中でその女性らしさが重要なテーマとなっている。ほとんどの場合で現代世界を舞台としているが、歴史上の時代を舞台とした作品もある。扱われている問題は、しばしば消費主義よりも深刻なものである。例えば、マリアン・キーズ(英語版)の『子持ちクレアの逆転勝利』(Watermelon)は、現代世界で母親であることに悩む主人公を描いている。宗教的なチック・リットの市場も成長している。他のタイプの大衆小説と同様に、著者や出版社は多くのニッチ市場をターゲットにしている[3]。主人公の民族、年齢、社会的地位、配偶者の地位、キャリア、宗教などは様々である。goodreadsでは、チック・リットは恋愛小説のサブジャンルとしては扱われていない。それは、チック・リットは、プロットに恋愛の要素が含まれていることもあるが、恋愛関係と同じくらいにヒロインの家族や友人との関係が重要であることが多いからである[21]。チック・リットのやや厳しいジャンルルールにより、チック・リットの作家が異なるジャンルに進出するのは難しくなっているが、チック・リットは歴史小説に結びつくこともできる。
女性作家の中には、自分の作品が「チック・リット」というレッテルを貼られるのを避けるために行動している人もいる。例えば、『ガーディアン』紙の2010年の記事によれば、ユーモア作家のD・J・コンネルは、自身の作品がチック・リットとされるのを避けるために、ペンネームを「ダイアン」から「D・J」というイニシャル表記に変更した[22]。コンネルは、女性名でユーモアを書くことは、自身の作品を危険にさらすことになり、チック・リットのレッテルが貼られた場合、その作品は真剣に受け取られないだろうと言った。別の例では、作家のルース・ギリガン(英語版)は、自身の作品がチック・リットとみなされることで、どのように一般の人々、エージェント、出版社から軽蔑されたかについて書いている[23]。ギリガンは、大学のキャンパスでの性的暴行についての小説で新しいスタイルを試したが、出版社は明るい花のような表紙を提示し、ギリガンはこれを失礼だと感じた。
そして今どう思う?
あんたはこう歌った
1995年、もう30年前だ
あの頃は「不確実性の時代」なんて言ってたっけ
それはもっと後か? まぁどうでもいいや
なぁ桜井、あん時、こんな世界になるなんて思ってなかったよな?
俺は思ってなかった
ぼんやり思っていたとしても、こんなリアルには想像できていなかった
「核戦争で一瞬で簡単に全滅できるほど、人間はきれいな存在じゃない。もっとダラダラと苦しんで滅ぶ」みたいなことを筒井康隆が言ってた気がするな、間違ってたらすまん まぁ関係ねぇか
俺は覚悟なんてできてなかったし、今もできてない
身体と頭が衰えていく中でどんどん貧しくひもじくなっていくなんて
なんかよく分からない正義も何もない戦争ばっか起こる時代になるなんて
そんな覚悟をお前は歌ってたのか?
ごく個人的なことを全世界の大事のように思えたあの頃はよかったよな
本当に酷い時代に「酷い時代だ」なんて歌が流行るわけないもんな
俺たちは幸せだったのかもしれないな
「1980年代のストーカーは「スター・ストーキング」と呼ばれる、著名人に対するファンの執拗な付きまとい行為を示す言葉だった」
とあるように、元々は有名人に対するファンの付きまといに限定される言葉だった。
接客業の店員やYouTuber等に対して客が一方的に入れ上げるような事例は入れてもいいけれど
元交際相手との痴情のもつれを入れるのはおかしいだろうと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC
ストーキングで追いかけられる対象が動物から人間に明確に変わったのは1970年代で、パパラッチと連続殺人が影響を及ぼした[10]。ロウニーとベストの1995年の著作によると、1980年から1988年のストーキングは雑誌上で「心理的レイプ」や「度を越えた付きまとい」として扱われていた[11]。ニコルによると、ストーカーが人に追いかけ繰り返し嫌がらせをするという意味合いになったのは、1989年にレベッカ・シェイファーがロバート・ジョン・バルド(英語版)に殺害された事件だとされる[12]。この事件はアメリカの法律、警察機構などに影響を及ぼし、ストーキングがモラル・パニックの対象として扱われるようになった[13]。1980年代のストーカーは「スター・ストーキング」と呼ばれる、著名人に対するファンの執拗な付きまとい行為を示す言葉だった[14]。しかし、この付きまとい行為の対象は一般人にまで拡大した
31年か…。人の物心がつくのを七歳前後だとすると、いま三十代後半くらいまでの人にとっては知識として知っている事件ではあっても、空気ごと知っている事件ではないのだと思う。
事件が起きた1995年3月20日の朝は当時付き合っていた彼女の家にいた。前の晩から泊まってて、リビングのソファで寝転んでたんだけど、つけっぱなしのテレビで速報が流れて、相当やばいことが起こったらしいとわかった。いまみたいにスマホで全部同時に流れてくる時代じゃないから、テレビのテンションがそのまま部屋の空気になるんだよな。
当時のオウム真理教というのは危険な何かというよりも異様な何かで、もっと正確に言うと、異様なんだけどテレビが半分おもしろがって消費していた何か、だった。変なポーズをして、変な歌を歌って、選挙にも出て、空中浮揚がどうこう言って、教祖の麻原彰晃はどこからどう見ても汚らしいデブのおっさんなのに、信者はみんな同じ方向を向いて彼を崇拝している。明らかにおかしい。でもその奇妙さがあの大量殺人に直結する種類のものとしては受け取られていなかった。
いま振り返るとオウムって不思議なくらいテレビに馴染んでたんだよな。馴染んでたという言い方も変だけど、少なくとも世間はまだ、あれを純粋な恐怖としてだけ見ていなかった。変な宗教、変な教祖、変な信者、って笑いと嫌悪と薄気味悪さのあいだをふらふらしている対象だった。ネタにしていいのかだめなのかよくわからないし、とにかく変な奴らくらいの感じで受け取っていた人は多かったと思う。
なんというか、後から歴史として見ると最初から完全に邪悪なテロ集団に見えるんだけど、でも当時の俺らにはもっとぬるく見えてたというか、ある意味普通に受け入れてたんだよな。今じゃ信じられないと思うけど。
あなたのような若者が真剣に「国を守るとは何か」を考えることこそ、私が国民に求めた精神的な自立そのものだ。
私の国、トルクメニスタンもまた、地政学的に厳しい場所に位置している。
アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン……周囲に力強い国々がひしめく中で、私はどうしたか?
その答えとともに、あなたの悩みに「トルクメンバシュ流」の答えを授けよう。
まず、あなたの直感は正しい。核兵器とは、「使うための兵器」ではなく「使わせないための脅し」に過ぎん。
あなたが言う通り、核を持つことは他国への強烈な挑発となり、周辺国を刺激して不必要な軍拡競争を招く。
そして、核は一度持てば維持するだけで莫大な黄金(コスト)を食いつぶす「金食い虫」だ。
もしそれを打ち放てば、その地はもはやメロン一つ実らぬ死の大地となる。それでは国家を豊かにしたことにはならんのだ!
私が1995年、国連で認めさせたのは「永世中立国」の地位だ。
だが、私が選んだのは「ただ祈る平和」ではない。「どの国とも組み、どの国とも組まない」という、極めて戦略的な平和だ。
核を持つ代わりに、私は「天然ガス」という神の恵みを武器にした。
あなたが危惧する通り、もし日本が核を持てば、それは東アジアの均衡を根底から覆す。
「盾」が欲しいだけだと言っても、他国はそれを「槍」と見なすだろう。
攻撃の口実を与えるというあなたの見解は、極めて冷静で「ルーフナマ」の知恵にも通じるものがある。
武力だけで国は守れん。国を守るのは、国民の「この国は素晴らしい」という誇りと、他国が必要とする価値(資源や技術)なのだ。
日本の友よ。核を持つ・持たないの議論に明け暮れるより、日本がいかにして「世界から必要とされる存在」であり続けるかを考えるのだ。
日本に核はいらん。その代わりに、日本には世界に誇る技術と文化があるではないか。
もし日本に、我が国の天然ガスのような圧倒的な「強み」があり、それを世界が欲しがっているならば、誰も日本を攻撃しようとは思わん。
私の国では、永世中立を宣言した記念に「中立の塔」を建て、その頂上で私の黄金像を回している。
日本も、憲法をどう変えるかという形式にこだわるより、「日本という国がどう世界と向き合うか」という魂(ルーフ)の部分を磨き上げるべきだ。
どうだ、お前の心の霧は晴れたか?
それとも、日本も我が国のように「永世中立」を宣言し、富士山の頂上に黄金の像を建てて太陽を追いかけさせるべきだと思うか?わっはっは!
宮崎勤事件って犯人が逮捕されたのが1989年7月で、報道されたのもその直後くらいだったから、翌年にはすっかり忘れられてた
ほんの一時期的なものだよ
一応、裁判自体は2006年の上告審まで続いてたようだけど、間にオウムや酒鬼薔薇事件といった色んな凶悪事件もあったし、その頃はもう世間は忘却の彼方だったよ
就職氷河期が何故かオタクバッシングの最大の被害者のように振る舞っているけれど、
少なくとも氷河期世代とは時期がズレるんだよ。
岡田斗司夫がオタキングとか言って堂々とメディアに出てたじゃん。
そもそも「オタクだという『だけで』」差別や迫害されてた時期なんかないよ
学校でいじめられたりするのは「オタク」だからではなく、「根暗」や「不細工」や「運動音痴」が原因な事が大半だし、それは今と変わらない
いじめ自体に反対するならわかるけど、「オタク」を理由にするのは的外れ。
宅八郎とかもあくまでTPOを無視してコスプレしたりの行動が面白おかしく消費されただけであって、「オタクだという『だけで』」ネタにされていた訳ではない
オリコンの歴代ランキングにおいて、男性ソロアーティストのアルバム首位獲得作品数は、長年 氷室京介 と 長渕剛 がトップを争ってきました。
2016年に氷室京介がベストアルバム『L'EPILOGUE』で首位を獲得した際、長渕剛の持つ12作の記録に並び、それ以降この二人が歴代1位タイで並んでいます。
その他の主な記録(2026年時点)
福山雅治(11作): 氷室・長渕の記録に迫る歴代2位(タイ)のポジションです。
堂本剛(11作): ソロプロジェクト名義を含め、福山雅治と並ぶ記録を持っています。
矢沢永吉(10作): 2025年10月に最新作『I believe』で1位を獲得し、自身の持つ「合算アルバム1位獲得最年長記録(76歳1ヶ月)」を更新しました。
長渕剛と氷室京介は、それぞれ1980年代から2010年代にかけてコンスタントに首位を獲得し、男性ソロとしての金字塔を打ち立てています。
氷室京介と長渕剛は、特定の時期にリリースするアルバムがほぼ確実に1位を獲る「連続首位」の勢いが非常に強い時期がありました。
氷室京介: 1988年のソロデビューから1990年代にかけて、オリジナルアルバムだけでなくベスト盤も高確率で初登場1位を獲得し、短期間で作品数を積み上げました。
長渕剛: 1980年代後半の『LICENSE』から1990年代の『JAPAN』まで、出す作品すべてが社会現象化し、1位を逃さない時代が長く続きました。
2026年現在のオリコン集計データに基づくと、アルバムの「通算売上枚数(トータルセールス)」では、氷室京介が長渕剛を上回っています。
アーティスト名 アルバム通算売上枚数 主なミリオンセラー作品
ベスト盤の爆発的ヒット: 氷室京介は1995年発売の『SINGLES』が130万枚以上、1998年発売の『Collective Souls』がミリオンセラーを記録するなど、ベストアルバムが極めて高い売上を記録しています。
ミリオンセラーの数: 氷室京介はオリジナルアルバム『Memories Of Blue』(1993年)でもミリオンを達成しており、90年代のCDバブル期の売上が非常に高くなっています。
長渕剛も『JAPAN』(1991年)がミリオンセラーを記録していますが、彼のキャリアは「シングル」のインパクトも非常に強く(『乾杯』『とんぼ』『しあわせになろうよ』など)、アルバムだけでなくシングル売上の比重も高いのが特徴です。
最新の売上動向やランキングの詳細は、オリコン ニュースなどの公式サイトで随時更新されています。
2026年1月現在のオリコンランキングデータに基づき、男性ソロアーティストのアルバムに関する「首位獲得作品数」「単体最高売上」「通算売上」の3項目でトップ5に入るアーティストの記録をまとめます。
単独のアルバム作品で最も売れたのは河村隆一の『Love』です。
3位 平井 堅 『Ken Hirai 10th Anniversary Complete Single Collection '95-'05 "歌バカ"』 約138万枚
(※氷室京介『SINGLES』は約130万枚、長渕剛『JAPAN』は約110万枚で続きます)
キャリア全体を通じたアルバムの合計売上枚数では、氷室京介と長渕剛が上位を占めます。
1位 氷室京介 約1,200万枚以上
3位 福山雅治 約700万枚〜
4位 平井 堅 約600万枚〜
5位 河村隆一 約500万枚〜
(※正確な数字は変動するため概算値です)
1995年、PHS(パーソナルハンズオンシステム)が登場し、通信業界が劇的に動き出したあの頃。家電量販店の店先や特設ブースでは、派手なハッピを着た販売員が道行く人を呼び止めていました。
販売員:「はい、いらっしゃい!今なら空クジなしのスピードくじやってますよー!そこのお兄さん、運試しに一枚どうですか?無料ですよ!」
販売員:「おっ、いいの引きましたね。……えーっと、うわぁ!すごい!おめでとうございます!特賞のDDIポケット、最新端末当選です!」
販売員:「そうです!カエルがダンスしてるやつですよ。このシャープ製の端末、本来なら数万円するんですけど、今この場で契約していただければ、本体代金は0円! タダでお持ち帰りいただけます!」
通行人:「タダ……。でも、月々の料金が高いんじゃないの?」
販売員:「そこがPHSのすごいところなんです!携帯電話(セルラー)に比べて基本料金も通話料も格安。月々の基本料は2,000円台ですし、通話料も1分数十円。お兄さん、公衆電話探してテレカ使うよりずっと便利ですよ。」
通行人:「確かに、最近みんな持ってるしな。でも、これってどこでも繋がるの?」
販売員:「DDIポケットは今、基地局を猛烈な勢いで増やしてますから!地下や移動中は少し弱いところもありますけど、街中ならバッチリです。何よりこのサイズ、見てください。ポケットにスッポリ入る。だから『ポケット』なんです!」
販売員:「はい!事務手数料だけ後日請求されますけど、今日の持ち出しは0円です。身分証はお持ちですか?免許証があれば、15分ほどで開通してそのままお渡しできます。お兄さん、これが『自分専用の電話』を持つチャンスですよ!」
販売員:「ありがとうございます!よし、シルバー一台売約済み!お兄さん、これで今日からモテモテ間違いなしですね(笑)」
1995年7月にサービスが開始され、携帯電話が高嶺の花だった若者を中心に爆発的に普及しました。
「本体代無料」という売り方は、新規契約者数を稼ぐための当時のスタンダードな手法でした。
現在のY!mobile(ソフトバンク)のルーツの一つ。音質の良さと、後の「ウィルコム」へと繋がるデータ通信への強さが特徴でした。
あの頃の、少しノイズ混じりのクリアな音声や、アンテナを伸ばして電話をかけるスタイルは、今となっては非常に懐かしい光景ですね。
実際に起きた(とされる)英雄譚を一般サラリーマンの自分はどう飲み込むべきなのかという問いを突き付けられた映画だったけどそれはそれとしてトーゴーは可愛いしデフォーはシブいし映像はキレイ。64点。
1925年のアラスカ。ジフテリアが大流行し街がピンチになるもブリザードが吹き荒れ航空機輸送は困難。しゃーなし危険な陸路を偏屈なノルウェー人のウィレム・デフォーとハスキー犬トーゴー率いる犬橇隊が挑む。実話に基づいた奇跡のハートフルストーリー。
まず映像がよかった。
ブリザード中の映像なんかは流石にこれCGだなぁって思うところも多かったけどその映像自体もめっちゃ不自然っていうよりはうおーすげ―って感じだし、特に氷結した湾を渡る際にどんどん氷が割れていくスペクタクルは「んなわけない」と思いながらも手に足握る緊張感があった。引きのショットで見られるバカみたいなスケールの雪山とその中の犬橇隊って構図はやっぱり自然のすさまじさを実感できる。
こいつずっとおじいちゃんやけど逆にずっと老けないなって思うデフォーはあの顔の持つままの意思が強く偏屈だけど情に厚い部分もある職人キャラをうまく演じていた。あの彫りの深すぎる顔と雪山がまた会うのよこれが。
んで今作の主役の一人でもあるハスキー犬のトーゴーね。子犬期はやんちゃなクソガキ感がある演技をちゃんとしてるし、成犬期になってからも人懐っこさとリーダーシップの両方兼ね備えた名犬なんだなって見ていてわかるようにちゃんと演じられていてとてもよい。他の犬たちも演技が上手でね。特に子犬期のトーゴーが大脱走するパートとか、最初は脱出に頑張るトーゴーをワクワクした感じで見ていたのがだんだん飽きてきて成功したら大盛り上がりって言うのをちゃんと演技デザインされていてほんわかした。
ちなみにトーゴーは東郷平八郎からとられていてこれは日露戦争の日本海海戦で東郷がロシアのバルチック艦隊を壊滅させて北欧がヒャッホーしていたという文脈からでデフォーは今回はノルウェー出身という話なので「噛ませ犬が大逆転」の象徴としてその名前を付けた。歴史の教科書でもトーゴービールとか習ったなぁと思い出しましたよ。
まぁ話としては元々はワクチンがある街まで大往復する予定だったのが途中でリレー形式に変わってデフォーは最も過酷で最も長距離を走ることになる。
作品としては走って何度も危機に面するもトーゴーとデフォーの絆で乗り越えていく1925年の犬橇隊と、身体が弱く陽キャすぎるトーゴーに犬橇の才能を見いだせずに何とか追い出そうとする1915年のデフォーの奮闘をカットバック形式で描いていく。絆で危機を乗り越える→その絆がどうやって芽生えていったのかを映すのらせん構造になっていて緊張感を途絶えさせないいい演出だなと思いました。
ただ個人的にめっちゃ気になったのが今作の大見せ場でもある氷の張った湾をショートカットする展開。行きと帰りで2回あって行きは大ピンチを潜り抜けて、帰りはウルトラデンジャラスピンチを潜り抜けそこなって最後はトーゴーに過大な負荷をかけてギリ脱出するんだけど。
これさすがに蛮勇では。
もちろん今にも死にそうな病人がいるから1日でも早くワクチンを届けたいのはわかる。1日のショートカットで温存できる体力もわかる。でもそれで自分たちが全滅、行きだったら「もうワクチン取りに行ける人いません」、帰りだったら「ワクチンは海の底」で町が全滅しかねない状況で、他に方法がないならまだしも実在はする迂回路がある上でこの極大リスクをとる必要はあったのかとサラリーマンの俺は思ってしまったよ。
結果的にトーゴーは極大の疲労とストレスで身体を壊し犬橇からは引退。その後、デフォーは「俺には何の覚悟もなかった」と自分の無策と逸りを悔いていたので彼自身もこの選択が正しいことだったと思っているわけではないということなんだろうけど、見ていてなんかモヤモヤしてしまった。俺も年取ったってことやな。
敢えて言うなら「その1日」の重みをもうちょっと作中でデザインできていればよかった。嫁さんが「夫は行けそうなら行く人よ!」って言ってたけど、じゃあそれは蛮勇やなってやっぱなっちゃうし。その1日が重要なんだともっとわかりやすく示してくれてれば納得感が上がったかも。
そして実話ではこの大輸送で実はトーゴーは無傷でピンピンしてるしそもそも湾は割れてないしで、何の話やってんと思わんでもないんだけどまぁそこは実話ベースのフィクションだから……
そしてその後、やたらとバルト(相撲取りではない)を敵視する視点が入って、ははぁ~んこれはバルト(1995年のアニメ映画、今作と同じアラスカ大輸送をテーマにしている)で一発当てたユニバーサルに対する今作を製作したディズニーの確執だなと思ったりせんでもないが、実際のところトーゴーが正しく評価されたのは2000年代に入ってからのことなので「まぁ言っとかないとな」という感じではあったんだろう。
ちなみにバルトは最終的にワクチンをもってゴールインした犬。新聞などでも大きく取り上げられ長らくこの大輸送でのヒーローとされていたが、実際に走った距離はトーゴーの5分の1程度とされており最近ではいろいろと見直されている。と映画内で説明があります。
そんなこんなで「大自然の美しい映像」「犬と人間のハートフルストーリー」「犬と人間の職人としての生きざま」「大スペクタクル」とこの手の作品で見たいと思える映像はほとんど見られるので、犬好きにはマストでオススメ。ネコは出てこないのでネコ好きにはマイナス。