はてなキーワード: 麻原彰晃とは
消費税廃止 - 財源は行政改革による11兆円―政府が癒着をなくしさえすれば、消費税など必要ない。
医療改革 - 患者本位の医療と新しい医学の創造―これは誰にとっても切実な問題。早急に実施。
教育改革 - 明るい学校と知能教育の推進―子供達の健やかな成長のために。
福祉推進 - 豊かで充実した長寿社会を目指して―安らぎに満ちた毎日を。
国民投票制度導入の構想 - 真の国民国家であり続けるために―今の政治は不満だらけ。国民投票制度を導入すれば、消費税強行採決のような事態も防げるし、汚職議員も私達の手で解職できる。金権・腐敗政治の温床を一掃できる。
真理党(しんりとう)は、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙の時、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(松本智津夫)が党首となり結成された宗教政党。
個人的には立花孝志はSNS時代の申し子というより、あの時代のテレビを思い起こさせる。
オールドメディアの人たちは立花孝志のことに眉を顰めているけど、1990年代だったら間違いなく、テリー伊藤がバラエティ番組で起用して街頭の素人に悪ふざけさせていたし、田原総一朗が「朝まで生テレビ」に呼んで、「どんどん言ってやって!」とけしかけていたよ、絶対。
事実、麻原彰晃が「朝まで生テレビ」やビートたけし、とんねるずの番組に出演していたことは有名。サリン事件以降、報道では麻原の過去映像が膨大に放送されたが、こうした番組での出演シーンは絶対に使われなかった。テレビ局の無責任隠蔽体質は、今に始まったことでは決してない。
1990年代にテレビがどれだけ下品だったのかを忘れた人が多すぎる。芸人による性加害スレスレのエピソードトークなど日常だったし、当時なら「中居くんも運が悪いよなあ」とさすがに公然ではなかったにせよ同情されていただろう。40歳以上なら鮮明に記憶しているはず。
https://x.com/Annoying_Temm/status/1838197474038567001
今日は音MAD界隈で発生している、よくわかんないレスバについて、知っておこう
双方の意見をまとめていくよ
まず、音MAD作者としての著作者に関する姿勢についての議論として始まる
赤さんの主張
・『Vital怪電波さんが 「水着回とかより机バンッて叩いてくれる方が嬉しい(から、アニメ素材はもっと机をバンって鳴らす素材を提供しろ!)」と主張していた 』と理解している
・音MAD作者はアニメを素材として使っていて、それは著作権違反であり、違法である
・そのため、音MAD作者は著作者に対してそのような指図をするような態度を取るべきではなく不適切である
Vital怪電波さんの主張
・音MAD作者として、「水着回とかより机バンッて叩いてくれる方が嬉しい(アニメの中にそういう場面があると嬉しくなる)」と主張している
・「アニメ制作者はもっと机を鳴らすべき」とまでは主張していない
総評: Vital怪電波さんはアニメ制作者について指図したわけではない。したがって、赤さんの主張は的外れであると思われる。
Vital怪電波さんの主張
・しかし、著作者でない人間がその違法性をやり玉にあげる必要はない
・第三者がそれを過度にやり玉に挙げ、批判するのは単なる攻撃行為であるし、おこがましい
・音MAD作者としては、違法なことを理解して、その上で音MADを作っている
赤さんの主張
・違法なことに対しては自分が被害者であることを関係なしに非難して良い
総評: おおむねVital怪電波さんのほうが正しい。著作権法に則れば、著作者がそれを指摘しないかぎり親告罪であり、問題にはならないと考える。
しかし本件とは別に、違法なことを行なっているという自覚についてはしっかり理解していく必要がある。
黙認状態であるとはいえ、度を過ぎた行為に対しては批判はしかるべきである。
麻原彰晃の子供達がどれほど苛烈な差別を受けたかは、調べればすぐにわかる
また、コンクリ事件の犯人の娘は被害者と同じ目に遭えばいい、という書き込みはネット上に溢れている
そんな状態で犯罪者が子供を産むのは、憎まれる不幸な命を生み出すことにしかならない
加藤の弟も彼女と別れる羽目になった。その他にも様々な差別を受けて自殺に至った
以前にも、興信所を雇って相手親族まで調べて完璧な相手と結婚できた、という話がバズっていた
そんなことをすればもちろん、犯罪者の親族のいる者は結婚できない。
それでも結婚を義務付ける、異性を余らせるのは許さない、というのなら、
麻原彰晃がかつて90年代前半にテレビや雑誌に出演していたことを何かメディアへの批判みたいに使う人をそれなりに見るけど
結局、麻原彰晃(的なもの)自体をメディアに出してはいけない・いけなかった具体的理由って何なの?
「カルト教祖だから」というなら、その社会にどう受容されてるか否かを問わず宗教関係者全員メディアから追い出せ(NHKの「こころの時代」も廃止しろ)って規模ならまだ分かるが、「あそこだけはダメ」ってのはただの趣味じゃん
「麻原みたいなのをテレビに出して面白がっていたから〜」という良くある憤りのあとの接続が良くわからんのよ
麻原がテレビに出て「実は弁護士殺してました、すみません、自首します」なんて言うわけないんだし
なんなら87年の片岡鶴太郎の番組に出てた時点では(薬事法違反とかはあるが)大犯罪犯してなかったからセーフで、90年代の生ダラ出演はアウトみたいな線引きでもするのかね
社会的影響力なんて、(麻原の対談相手でもあった)ビートたけしはフライデー襲撃したがいくらでもテレビ出てるし、他の芸能人は言わずもがなじゃん(オウムもサンデー毎日やTBSと揉めてたけど)
結局「サリン撒いた連中が、自分の身近にいた」と言う恐怖や複雑さに耐えられなくて、なんかメディアとか受容の問題にしてるんじゃないの?
「ある(発覚前の)犯罪者、宗教指導者がメディアに出ていました」から導き出されるのが、「テレビはなんかあやしいあやふやな奴を出すな!」「なんか、こう、時代の空気を反省しろ!」なのって、発想が貧困過ぎんか?