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はてなキーワード: 雪山とは

2025-02-15

雪かきは考えてやれ

世間で言われてる一人でやるなとか、携帯持ってやれとか、頭上にも注意しろとか、そういう話ではない

雪かき除雪による雪山を周囲に撒いて溶かす際の話だ

雪山壊していかないと、次の降雪時に雪のやり場が無くなったり、現状でも視認性が悪くて事故の原因になったりするので崩す行為自体積極的にやれ

問題はやり方だ

増田の周りを見ているともっと考えてやれよと思うことが多い

車道に出て車道から作業する

 → 作業物、車両双方にとって危ない以外の何物でもない。仮に監視役を付けるにしても危険には変わりないので歩道からやってくれ

車道にばらまく

 → これ自体ギリギリ許容できる(道路管理的にはよくないが) 問題交通量が多い場所でばらまいていることだ。こちらも監視しながらであれば危険回避やすくなるが

   走行車の数10m先にばらまいている姿もたびたび目にする。車に当たる危険性を考えてくれ。なお、ちゃんと注意しているといっても、雪かき除雪は重労働だ。疲れで判断が鈍ることも忘れてはいけない。

   自分も当然のことながら周囲の安全第一だ。

夕方以降にやる

 → 仕事関係などで仕方ない点もあるだろう。状況によっては別に問題はない。状況とは、夜間の気温が1℃以下にならない場合だ。小学校で習っていると思うが、水は0℃で氷になる。夜間の気温が

  下がれば雪が溶けない、または、溶けた雪が再度氷になるため、交通事故歩行者の転倒を誘発する危険性があるからだ。

  注意してほしいのは朝2時ぐらいに1℃になってそれまでに溶けるからいいだろうと考えるのは誤りである点だ。雪が溶けても乾くまでに時間がかかるため、氷になる可能性はある。

  運転手歩行者が注意しろというのは確かにその通りではあるが、あなた危険性を上げてもよい理由にはならない

これらを気を付けていただき作業を行うようにしてほしい

安全安心第一ということは常に頭の中に入れておいてほしいと思う

2025-02-12

anond:20250212131249

早めに染めると、黒毛の頂上に雪が被ったようなだけの雪山になるからギリギリがええよ。

2025-02-04

anond:20250204073523

雪山で滑落とか死ぬわけないしな

雪ってもこもこふわふわしてるからこいつ雪エアプだぞ

あんな柔らかいモノで死ぬとかない

2025-01-29

anond:20250129133100

救助する気がないとか言ってるならお前が飛び込んで救助してこい

こんなの雪山雪崩遭難を捜索するのと変わらん

2025-01-18

ガチャピン中の人などいなかった

 子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たち真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。

 ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキースキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物動作しか言いようがなかった。

 確かに人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピン場合、頭の上から足の先まで完璧シンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである

 さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツスキースノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみ構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しか映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。

 その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。

 もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしかテレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムック存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。

 さら子ども向け番組世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組マスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。

 また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間声優存在するとしても、そのピッチトーンを常に一定に保つの至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。

 その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。

 以上のような理由から、私は「ガチャピン中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情からガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキージャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである

 では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間性質によるのだろう。未知や不思議ものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピン超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈はるか凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。

 私はむしろ大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子もの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコ笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルガチャピン”だったのだ。もし、あのころ私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界もっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。

 思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。

 だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピン中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジー証明であり、あの緑色恐竜いつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋気持ちは、決して間違っていなかったのだ。

 誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たち大人になるにつれ忘れかけた好奇心冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつ生命”——それがガチャピンなのである

 きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たち子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。

 そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピン中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。

 こうして振り返ってみると、ガチャピンテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピン勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たち自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界もっと広がるのだと教えられる。

 結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割ひとつではないだろうか。私たち想像余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピン中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。

 そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントステージで、そして私たち想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日自分を取り戻すためにも

2025-01-08

社会人年末年始お絵かき振り返り

今年は微妙だった

背景を話すと、仕事しているとほとんど没頭できない。一週間に平日は1日、2日かければいいほうだし、土日も家の都合で丸一日ぶっ続けで描くという時間は取れない。

とすると、得られる成果はしょっぱい模写のみ。。いや、模写がしたいわけではないのだ。作品を作りたいのだ。

1年を通して例外が3回だけある。それは、ゴールデンウィーク夏季休暇、年末年始連休の3回。この連休は1週間がっぽり描く時間を確保できる。これでどこまで行けるかが勝負になってきている。

この長期休暇を活かす自分の中の固定戦術としては、数日をつかって模写→模写→模写→模写→模写→... と模写を繰り返しまくる。そこまでしてようやく、描ける自信とイメージが湧いてくるので、ようやくオリジナルを1枚かけるという感じ。(没入するルーチンにもう一つ工程を挟んでいたりするが、流石にこれはここでは書けないよなぁ。)

しかもこの感覚毎日リセットされるので、1日10時間かいて、ようやく最後の1時間オリジナルを描けるか描けないか。という感じ。

なぞらえれば、吹雪の中の冬の雪山登山するようなもの

山頂を目指すには、雪をかき分けて道を開く必要がある。しかし夜はふもとのベースキャンプに戻らなければならない。毎日ベースキャンプからキロもあるいて入口に到着して、それから道を開墾する。今日は5キロあるいて2キロ開墾する。次の日は開墾するまでに歩く距離が7キロにのびる。進めば進むほど開墾に使える時間は少なくなる。1週間でどこまで到達できるか?時間との勝負

そして次のシーズンではまた雪が積もっているので、開墾を0からやり直し。

1年間でチャンスはたった3回だけ。一回失敗したら次は3ヶ月先か、半年先か。

これは効率が悪い!悪すぎる。。

本題に戻ると、今年の貴重な年末年始の長期休暇のお絵かきアタックの成果は微妙だった。

具体的には構想を温めて3年くらい描き続けてる作品があって、それをこの長期休暇ですこしでも進めたかったのに結局、それには着手できず、オリジナル(模写じゃないもの)を1枚描けただけ。

枠というか、ルーチンから逸脱できずにかなり不完全燃焼に終わってしまったという感覚

敗因分析としては、年末仕事がクッッソ忙しくてコンディション上げに失敗したこと

事前のしこみ(構想をねったりとか、事前に資料を集めておいたりとか)なしに、いきなりほっぽりだされると大抵うまくいかない。

ただ、今回はそれ以前に没頭する深度が浅かった気もする。

最近残業80時間かいってたから、普通にダメージが蓄積していたのかも。

あるいは、やっぱり体力が衰えがあるのか。10時間ぶっ続けで描くのがそろそろ辛くなってきている。体勢を維持するのに胸が詰まって息が苦しいし、視力は下がる一方だし。

体力だけじゃないな。頭の方も劣化している。

むかーし見た「ドラえもん」の長編映画で、のび太の部屋の畳の下が異世界とつながるところから話がはじまるのだが、ストーリーが進むごとにだんだん異世界入口が遠くに離れていき、最終的にはただの床に戻ってしまう、というシーンがあるのだが、まさにそんな感じ。

年月を経るごとに、自分の中のイメージは色褪せていき、遠のき、現実感を失い、いま、向こうの世界とのリンクは断たれつつある。

やうやう暗くなりけり、という感じ。

2025-01-07

死体役はハードである

から死体役はハード

つらい姿勢で長時間死体役を務めるのはあるあるであり、過酷労働だ。

体力的に若い頃にしかできないと言う役者もいる。

これがモブがする仕事かというと、そうでもなく重要人物がやったりもする。

最近だと田中圭が長時間死体のまま雨に打たれて冷えて震えだすというエピソードがあったが、まあ役者あるある…というところではなかろうか。

さすがに全裸のままという状況は稀だろうが、そこは多分全裸になれることを条件にしているのだろうし。

話を聞くたびに役でも水の中で死ぬとか、雪山死ぬとかはしたくないと思う。

まあ確かに残忍なバラバラ遺体人形場合が多いが、そうでないリアリティというのも否定できない。

ベッドで死んでる役とか見ると「快適な死に方だな」と思うが、そんなのばかりでもつまらないし。

時間短縮は業界全体に意識してあげてほしいと思うものだが、今回普段死体役をしないお姉様俳優たちが大河ドラマ愚痴たことで、話が大きくなったようだ。

これを機に改善してあげてもいいのではないか

インティマシーコーディネーターの件についてだが、現在国内公認されているコーディネーターは女二人、男一人らしい。

しか過激作品はすべてコーディネーターをつけるべきだ、という風潮がでかくなってしまっている。追いついていない。まだ発展途上で、時間がかかることなのだが、上記の三人が国内で授業等をして、アメリカに行かずとも認定できるようになったそうなので、あと二年もすれば国内でも多くなるだろう。やりたい人は多そうだ。それほど今必要とされている仕事なのだ

ただ現状、コーディネーター自体がすべての現場ですべてのキャストフォローする、というのは現実的に無理で、ある役者のある場面について対応するという状況であるのだろう。

いろいろ考えるべきだと思うが、一つ思うのは誰か一人が悪だと認定しても意味がないということで、その「怒りポスト」が誰かを死に追いやるということを、我々はさんざん見てきたということだろう。

一対一の問題でない以上、慎重に発言することも、今の時代に求められるアカウントブランディング力ではないだろうか。

2024-12-07

推しの子は実写を見ろ

まあ概ね評価は出てると思うが実写レベルではゴールデンカムイレベルに持っていってる。どっちも同じ雑誌だなぁ。

さらに同じ部分といえば、ゴールデンカムイと共に作者が脚本に絡んでいることと、スタッフ原作ファンということ、またどちらも再現したいものに口出しされないために製作主幹事が賭けていることかもしれない。推しの子にいたってはアマプラ制作と思われたが東映100%出資だった。

ゴールデンカムイに関しては脚本というより北海道雄大自然(植生にこだわった結果多くが北海道ロケになった)と役者たちの「爪痕残すぞ」レベルの怪演の数々、またキャスト原作理解度の高さ、衣装小道具舞台を始めとする裏方チームの異様な熱気を感じる部分が見どころになっている。

脚本は「原作ファン」「原作をできるだけ再現すること」「その上でコンプラ時間短縮すること」「キャラを損なわないこと」に力を入れたようだ。

推しの子脚本監督もまた「原作ファンなのだゴールデンカムイと違うのは「時間が短いこと」だろう。

まずゴールデンカムイ企画というのは金でぶん殴ったような動き方をしている。山﨑賢人を雪山に8ヶ月拘束して1本の映画1シリーズドラマ撮影している。それをおそらく、何年も続けるつもりだ。異常である

推しの子場合常識的企画とも言える。

ドラマで前日端的にやって映画で締める。いつもどおりの実写で時間がない。

とすればなにが必要かと言うと、原作再構成なのだ

取捨選択だけでは補足できない。何が必要で、何が要らないのか、さらに補うものはなにかを考えて「面白いものは何か」を突き詰めなけれないけない。

これは失敗した実写をたくさん見てきた。多くは低予算で、スケジュールも短く、かつ「なぁなぁ感」があるものだ。

しか推しの子予算があるし、ブレイク前夜の若手を使って、他の作品と重ならないようスケジュール確保をした。キャラクター研究役者と深堀した。監督脚本漫画のシーンを全部記憶したそうだ。

裏付け証拠として、あのちゃんYouTubeがあるだろう。「MEMちょの気持ちを知りたくて」と撮影途中から始めたようだ。正直売れっ子なので役作り時間ないと思ってたが、しっかりしていた。故に実写のMEMちょ、滅茶苦茶いい。

キャラ解釈を守り、若手だけでは不安定な部分をベテランで固め、若手の新しい面を引き出すことができた実写は、連載原作でどうしてもブレたキャラクター性を再度固めている。

ストーリーに関しても、連載で人気や盛り上げる部分を意識するがあまりおざなりになった部分を、実写スタッフは見逃さない。作品真剣向き合った結果だし、間違っていない取捨選択をしている。

漫画は一人、編集入れても二人か三人、作画で四人程度の少人数で作るものだ。

からこその作家性を楽しめるのだが、莫大な人と金が動くときに、そこには保険必要になる。

大勢の人が一つの作品に関わると、もしかしたら作家性は薄まるのかもしれない。

しか作品を守る意味も込めて、メディア化というもの真摯映像作りが求められるのだろう。推しの子メディア化の問題真摯に向き合ったように見えた。

推しの子原作は終わりを迎えた。

この終わりはきっと原作を追っていた人だけが受け止めればいいと思う。

終わってみて、ああすればよかったねってとこは変えてしまえばいいし、それこそがメディアミックスの意義ではないのか。

誰もがガラスの仮面みたいに描き直せるわけでもないのだし、今回ドラマを見てつくづく思ったよ。

からならまだ間に合う。推しの子ドラマを見ろ。

推しの子ってめちゃくちゃ面白いんだぜ。

2024-11-30

認知症に対抗するための明晰夢

いわゆる認知症は以下のような特徴を持つ

現実認識できなくなり、妄想世界現実認識するようになる

妄想世界がどんなに現実に有り得ない展開を繰り広げても本人は気付けない

・ふとした拍子に現実世界へ戻って来る

 

これはまさに夢の特徴と同じではないか

夢はどんな突飛な展開でも夢と自認することが出来ず、朝目が覚めてから「変な夢だったなあ…」と自覚する

まり変な夢を夢と看破できるよう訓練を積めば、いざ認知症になっても「今自分は夢を見ている」と自覚して、早めに現実世界に戻って来れるはずだ

そういった夢という自覚のある夢を明晰夢と呼ぶ

明晰夢を見る訓練はまだ認知症になっていない今から積むしかない

 

今日は惜しいところまで行った

家族で引っ越さなければならなくなり、一階がモール直結で人が平気で行き来する狂った一軒家に向かった

これは夢だと気付いて、今自分マンション住まい、引っ越す必要はどこにもないと自分に言い聞かせた

しかし、一軒家を出たところで眼前に広がった鎌倉雪山海辺がとても美しく、夢から覚めたくないと思ってしまった

そこから記憶あやふやだ、きっと夢の世界を堪能してしまったのだろう

元の家に帰るために大海原を泳いだ映像がうっすら脳に残っている

 

二度寝したところ、また夢を見た

何かの試験を受ける夢だ

ここでも夢だと気付くことができ、自分最近資格試験を受けたばかりで、他に試験を受ける予定はなかったと自分に言い聞かせた

しかし夢から目覚めようとしても上手く目覚めることが出来なかった

ただ席を立ったり座ったりしただけだ

焦っているうちに場面が切り替わり、自分教室の外で荷物カバンに詰めていた

教室から脱出できてホッとしたのが良くなかったのだろう、またもやそのまま夢の世界に取り込まれしまった

高校時代同級生が何人か出てきて楽しく会話をした

 

明晰夢といえば「夢を夢と自覚した上で自由コントロールできるようになる」のがよく言われる最終目標

だけど自分は違う、夢と自覚したらすぐに現実世界に戻れるようにしたいのだ

それは夢のコントロールに比べれば非常にもったいないことで、実際にそういう惜しむ気持ちがあるからこそ、自分はまだ夢に囚われてしまうのだろう

もし逆に夢をコントロールできてしまったら、認知症に対抗するという自分目標は達成できない

ただ認知症発症した状態で目の前の妄想コントロールできるようになるだけだ

まりに居心地が良くて、かえって現実世界に戻れなくなるかもしれない

 

今日はどんな夢を見るだろうか

2024-11-20

役所デジタル化で「高齢者への対応」が問題になるが、今75歳の人はWindows95が発売された時45歳だったのになんで使えないのか?

いま75歳の人でも、Windows95の発売時は40代それから30年。なにしてたん?という気持ちになりますよね。

当時は「パソコンちょっと…」と言えば使えずとも許され「自分アナログなんで」と謎に誇らしくアピールする手合いが多かった

その手の「アナログなんで」の人が、じゃぁ綺麗な字を書けるか、絵を描けるか、手を動かして何か作れるかっていうと大抵できないんですよねぇw

雪山太郎

@yukiyama2003_2

@avr2vfr その時代だとまだ「パソコンを使える奴はキモいオタク」って印象が世間一般的にあったか

40代とかで家庭を持った人がパソコンを出来るとかって逆にマイナスイメージがあって社内的にヤバいから手を出さなかったとかあるかも

けっきょくは周りに合わせてセーブしてたってことか

怠慢とゆーよりは世間の目を優先したんだな

2024-11-18

おすすめ雪山おせーて

最近登山にハマってて、まだまだ初心者なんだけど標高の高い雪山チャレンジしたい。

オススメがあれば教えて欲しい

2024-11-16

4Kってそんなに良いか??

2年くらい前にソニー4Kテレビを買った。

民放BS放送だと通常のBS放送(2K)とBS4Kで同じ時間帯に同じ番組放送しているので比較してみた。

登山番組とか世界各地の大自然風景を扱った番組比較して思うのは、4Kってそんなに良いか??ってこと。

かに通常のBS放送(2K)より若干は鮮明かもしれないけれど、そんなに大差はないし、何よりも4K放送は画面が暗い。

番組の空の青さとか緑の鮮やかさとか、雪山の頂きの白い輝きとか、通常のBS放送(2K)の方が輝かしく見えるのに対し、4K放送は画面が暗く色褪せて見える。ちなみに画質設定は通常のBS放送(2K)もBS4Kも同じである

ソニーテレビ問題があるのか?それともオッサンになって視力が衰えたことが原因なのか(運転免許証更新の時に「次回までに眼鏡を作ることをお勧めします」と言われた)?

さらNHK8K放送を行なっているけれど、それって需要あるのか?

一昔前、CDより高音質のSuper Audio CDブルーレイオーディオ喧伝されたが、あまり普及しなかった。多くの人々はCDよりも音質の不安定ダウンロードストリーミング音楽聴くようになった。

4K放送未来はあるのか?

2024-11-13

冷え性の俺がマジで買って良かったもの3選

冷え性(末端冷え性)の俺がマジで買って良かったと思ったもの

モンベル メリノウール アルパイン ソックス(2860円

https://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1118418

分厚い靴下雪山登山でも使えるらしい。

今までユニクロヒートテック靴下など厚めの靴下(1000円くらいの物)を色々試してきたけど、これは全く違うレベル暖かい

最初靴下に3000円も出すのは躊躇ったけど、その価値は十分にあったと思う。

難点は分厚すぎて靴が履けなくなること。

履けないことはないけど靴がちょっと広がってしまうかも。

毎日履けるよう何足か買い足すつもり。

さらに1ランク上のメリノウール エクスペディション ソックス(3520円)も試してみたい。

https://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=1118416

超極暖ヒートテッククルーネックT(2990円)

https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E461011-000/00

分厚いヒートテック

ヒートテックと言えばペラペライメージがあるがこれはトレーナーくらいの厚みがある。

しっかりとした暖かさがあり、今くらいの季節ならこれ一枚で部屋着として使える。

肌触りが良いところも気に入っている。

これも毎日着られるよう何着か買い足したい。

超極暖ではなく極暖(1990円)もある

https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E450529-000/00

こちらも悪くはないが、超極暖を知ってしまたからには1000円ケチらずに超極暖を買えとしか言えない。

電気マット 45cm×45cm(3000〜4000円)

https://yamazenbizcom.jp/category/22104/65048.html

こういうの。

在宅勤務の時に椅子に敷いたり、リビングで座る時に敷いたりしている。

何というか必要最小限のエネルギー効率良く暖められるという感じ。

ストーブはやはり電気代が気になるし、エアコン乾燥したり調整が難しかったりでなるべく使いたくない。コタツだと椅子に座れないし。

電気マットは場所を問わず電気代も気にせず使えるのが素晴らしい。

選外

電気毛布

一生布団から出られなくなるくらい暖かくて気持ちいい。電気代がかからないのも良い。

ある意味一番のおすすめだけどみんな使ってるだろうから選外で。

耳当て

モンベルで買った2000円くらいのやつ。百均とかの安物じゃなければ何でもいいと思う。

冬の散歩のお供に。

充電式カイロ電気カイロ

Amazon検索したら色々出てくる。2000〜3000円くらい。

期待せずに買ってみたが、思ったよりは温かさを感じられた。

手がかじかんで動きが鈍くなってきた時に緊急回避的な感じで使っている。

冬の散歩のお供に。

2024-11-11

anond:20241111120853

もう5年前だな

本当あっという間だ

雪山に登るとか何やってんだか

2024-10-26

YouTube雪山キャンプとかやってるのを見てちょっと憧れるけど

よく考えたら

ストーブが消えたら死ぬ

換気不十分でも死ぬ

寒さで車のバッテリーが上がって動けなくなっても死ぬ

実はあれとんでもなくヤバい事をしてるんじゃないだろうか

2024-10-25

名探偵コナン史上最も重要事件10選(ではなくて)

流行に乗る。

名探偵コナンに追い付くために読んでいたほうがいいエピソードは既にいろんな所でまとまっているし、10エピソードどころではおさまらない。

なので読んでほしい回を下記に書く。(傑作集とでも言うべきか)

というのもコナンの人気エピソード投票はよくしているのだが、どうしてもキャラクター活躍する回とか、話が大きく動いて流れが変わる回とか、幼少期のアニメ視聴者が絵的インパクトのみで記憶に残ってるとか、妙にネットでこすられた回がピックアップされてしまうのだ。

今回はそういうの無しで行きたいと思う。

順不同だ。あと見るなら原作おすすめする。アニメ原作からちょっといじってるし、漫画の絵が良いんだよコナンは。

ミステリー作家失踪事件

19巻に収録された3話構成エピソードだ。

行方不明推理小説家を探すというもの。鍵は作家が残した原稿にある暗号ミステリーである。この暗号を解くまでのコナンが良い。あまり知られていない蝶ネクタイ変声機の弱点も知れる。推理小説好きは好き。

奇術愛好家殺人事件

20巻に収録された5話構成エピソード

原作で読んでほしいと先に書いたが、これはトリック漫画ならではの構図の絵が美しいのが特徴だ。

雪山山荘燃えさかる吊り橋、何も起きないわけがないと知ったあの頃を思い出す。

天狗伝説殺人事件

11巻に収録された3話構成エピソード

これは初期作品でなかなかにインパクトが強い絵面が楽しめる事件だが、これがあるから名探偵コナン国民的になれたのではないかと感じる。こんなん誰が思いつくねん、という事件

殺人犯工藤新一/新一の正体に蘭の涙

62巻に収録された6話構成エピソード

この辺は入れとかないと誰かに刺されるかなと思った。コナンの設定を生かした事件で本当に唯一無二だと思うが、その中でも特に驚きが強く展開が読めないので面白い

県警の黒い闇

86巻~87巻に収録された5話構成エピソード

まぁこれはなんというか来年映画のために見とけよってかんじではあるのだが、好評だったからメインに長野県警が選ばれたわけで、それは大事なことだろう?

コナン唐突にくるグロ回が好きなのだが、長野県警が出ると大体グロいので良い。コナングロなら平気~って人もこの回はヒェッとなるかも。多分作中ベスト3に入るグロさ。

36マスの完全犯罪パーフェクトゲーム

97巻に収録された5話構成エピソード

まぁこれもなんというか来年映画のために見とけよってかんじでは(以下同文)

97巻ともなると人物相関図がややこしくなるが、かなり緊張感があったのでそういう楽しみ方もできるし、出てくる暗号コナンを読んでいればいるほどミスリード的なお遊びがあり、ほどよい難易度だった。ぜひ一旦解読してみてから進んでほしい。

殺意コーヒー香り

60巻に収録された3話構成エピソード

地味な話ながら地味にファン人気があるエピソード。地味なファンに人気があるエピソードとも言おうか。地味に面白くて地味に残るものがあるシンプルで良い回だ。結構悲しい話。

黒の組織と真っ向勝負 満月の夜二元ミステリー

42巻に収録された6話構成エピソード、だがベルモット編の終結とも言えるのでそこまでの流れを見ている方が良い。

とにかくここまでの流れの完成度が高く、すべてがうまく行っている。ある種の名探偵コナン一部完結といった感じもあり、おそらくここまでを読み込めば名探偵コナンラストが予想できるのではないか…といった考察もある。もちろん80巻以降毎回のように重要情報を出すようになったので全巻読まないといけない仕組みなのだが…。

正直この事件が入っていない人気投票系のエピソードランキングは信用していない。これは必ず入っておくべき、と思う二元厄介オタク

毒と幻のデザイン

74巻~75巻に収録されている6話構成エピソード

一回読んだだけだと理解できず、何度も見返して「なるほど」となったので印象深い。謎一つ一つはクイズ番組であるようなものなのだが、それを事件に繋げて複雑化していくのでなかなか読めない。

あ、これも長野県警出てるから来年映画のために…いや、これは読まなくていい。

大体このエピソードライト層におすすめしてくるファンとは関わらない方が良い。

でもこの場はそういうのを書いていい場所だと聞いたので。

二十年目の殺意 シンフォニー連続殺人事件

23巻に収録されている6話構成エピソード

お札を見せるやつねって言ったら覚えてる人多いかな。

毒と幻のデザインと同じくコナンと平次の共闘と言っても、上の話と違ってこれをおすすめしてくるコナンファンはとても優しい。大事にした方が良いと思う。このエピソードは完成度が高く、映画を見たかのような満足度がある。


1000話超えてるのであれが入ってないとかこれが入ってないとかあると思うけど、まあそういうのは各自おすすめしてください。

2024-10-15

anond:20241015165830

親が転勤族だったのが災いして、昔住んでた地域に行くことになった。当然行きたくないお金無駄だって騒いだけど、両親が思い出になるからって言い切って結局行くことになった。

幼い頃よく遊んでいた雪山で、高二の自分クラスメイトスキーの手伝いをした。一度も滑れなかった。ずっと転びまくる奴を起こして、止まり方を教え続けた。10万円くらいの大金を親に支払ってもらって。

いまだになんであの時止めなかったのかと思う。

2024-10-08

anond:20241007213249

雪山道行かなかったら、積雪地帯タウンユースでもFFでいけるかな。

今の所、または出ない予定だけど。

2024-10-05

熊の夢で目が覚めた

湖の散歩道を歩いてたら広く整備されたところがあり

整備されて綺麗だな、山の奥に遠くの雪山が見えててすごいなとスマホ写真撮ってたら薪を抱えたおばさん二人がやってきたので、整備されてる方ですかと声をかけたら、どこの言葉わからんけど全く聞いたことないような方言で喋り出して

二人が動かなくなり視線の先には熊がいるのがわかって熊の動きに合わせてゆっくり歩いて、落ちてた木の枝をひろってとりあえず武器にするかとしてるところで目が覚めた

かなり緊張感のある夢だった

2024-09-27

クラムボン」って普通にアメンボだよな

クラムボン」というのは、雪山を登るときに靴に付けるスパイク、いわゆるアイゼンのことだろうと推測するのが自然である

綴りは「Crampon」で、普通に読めば「クラムポン」あるいは「クランポン」だが、まあ濁音と半濁音の表記揺れくらいはよくあることだ。

もちろん現在でも使われている言葉である

https://www.kamoshikasports.com/product-list/113

で、昔のアイゼンって、見るからアメンボの形なんだよな。

https://funq.jp/peaks/article/583188/

というわけで、『やまなし』に登場する「クラムボン」はアメンボのことだと思われる。

東北の雪暮らしクランポンのことを知った子どもアメンボあだ名をつけていたとかなのかもしれない。

それは分からないが、作中の描写はすんなりと理解できる。

まり水面を跳ねるように移動していたアメンボが魚に食べられたのだろう。

このクラムボンアメンボ説は、俺が考えたわけではなく、古くから提唱されていたものだ。

http://yamanasi.yoimikan.com/kuramubon.html

それが今では理由もなく否定されて「答えは人それぞれ」みたいな甘っちょろいことが言われている。

プランクトンくらいならまだわかるが蟹の泡とか母親説とか何なんだよと。

連想ゲームじゃねーんだぞ。

真面目に考えた末に別の考えが出てくるならいいが、ありえそうもない妄想を「両論併記」的に書き並べるのは作品に対しても不誠実だろう。

追記しておくと、作中で子蟹たちは泡のことをちゃんと「泡」と呼んでいるので泡説は否定できる。

ここまで泡説が多いのは、小学生意味のわからない単語出会ったとき、とっさにその近くに書かれた単語を当てはめるからだろう。

子蟹たちがクラムボンの話をしているあいだ、地の文では泡の描写がされている、だからクラムボンとは泡のことなんだ、というのは安易な読み方で、想像力だとかの問題ではない。

2024-09-04

anond:20240904141533

他の趣味でも続けようと思ったら一生続けられるだろ……。

まあ雪山登山とかエクストリームアイロンがけみたいな危険なやつは無理だけど。

2024-08-23

anond:20240822203137

「体力」をなにか物理的なエネルギー(あるいはお金のようなもの)と思うのが間違いの元なんだ

そりゃ確かに人間カロリーを消費して生きているしそこから逃れる術はないが

摂取カロリー消費カロリーが量そのものとして影響してくるのは雪山遭難したときくらいだ

使わなければ溜まっていくようなものではないし使えば減るようなものではない

2024-08-18

anond:20240818211839

雪山抜けるまでは苦痛レベルでつまら

西部開拓時代に興味ないとそこから先も楽しめないと思う

セーブは基本オートセーブ

2024-08-01

anond:20240801163942

一般登山道で行くか、コース外行くか

雪山行くか

の2つが大きくリスクを変えるので、話してどこかで釘させるならそうするとよいよ

例えば、北アルプス槍ヶ岳は、一般登山道で行くならそれほど危険ではないけど、

北鎌尾根とか行くと難度がぐっと上がる

道なき道をロープとか駆使して行くパターン

雪山は、どんなに気をつけても雪崩と滑落のリスク一定量ある

どんな山に行くかにもよるけど

あと、心臓病とかの発作のリスクあるなら、人里離れたところに行くのは怖いよね

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