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2026-05-11

anond:20260511152206

あなた人生が上手くいかないのは誰のせいですか?

自分のせいです→だからもっと頑張ろう。(努力家)

自分のせいです→私は何をやってもダメです。(自殺)

他人のせいです→古き伝統信仰を守らないからです。(右翼/原理主義者)

他人のせいです→よそ者のせいです。(右翼/排外主義者)

他人のせいです→国のせいです。(左翼?)

他人のせいです→制度のせいです。(改革派革命家?)

他人のせいです→資本家のせいです。(共産主義者)

自分のせいと言わないのが他責志向の人たち。

2026-05-05

ふと馮道のことを思い出す

朝、トーストゆっくりと焦げていく匂いの中で、私はふと馮道のことを思い出す。

歴史ノートの片隅に、鉛筆で軽く書き込まれたらすぐに忘れてしまいそうな名前だ。

けれどその名前は、実際にはずいぶん長い時間を生き延びてきた。

彼は五代十国という、王朝がまるで季節のように入れ替わる時代に生きていた。

春が来る前に夏が訪れ、秋が始まる前に冬が割り込んでくるような、落ち着きのない世界だ。

そんな場所で、人はたいてい風に飛ばされる砂粒みたいに消えていく。

でも馮道は違った。

彼は風そのものの形を読み取り、

その流れに自分をぴたりと合わせることができた。

ある王朝が滅びると、彼は静かに次の王朝に仕えた。

まるで古いレコードをそっと裏返すみたいに。

そこに劇的な裏切りドラマはない。

ただ、針を落とす位置を間違えない慎重さだけがある。

もちろん、その針はいつも同じ場所に落ちたわけではない。

彼は何度も左遷され、遠くへと追いやられた。

薄い壁の部屋で、風の音ばかりを聞く夜もあっただろう。

それでも、不思議なことに、彼は何度も中央へ戻ってくる。

そして長い時間宰相という、国の心臓もっとも近い場所に座り続けた。

まるで一度離れても、必ず同じ席に戻ってくる常連客のように、

彼という針はいつも同じ席に戻ってくるのだ。

けれど、その席に座る彼の姿を、冷たい目で見つめる人々もいた。

まりにも長く生き残りすぎた男。

どの王朝にも仕えた男。

彼の履歴書は、忠誠の証明書というよりも、むしろ時代への迎合の記録のように読まれた。

人々は彼を批判する。節操がない、と。忠義がない、と。

その言葉は、ときに乾いた石のように彼に投げつけられたはずだ。

そしておそらく、そのいくつかは的外れではなかった。

風に身を任せるということは、風の向きを選ばないということでもあるのだから

でも、忠義というものは、いつもそんなに単純なものだろうか。

嵐の中で一本の木にしがみつくことだけが正しいのか。

折れないように体を揺らし続ける草であることも、ひとつの知恵ではないのか。

馮道はたぶん、自分のことを特別だとは思っていなかった。

ただ彼は、本が好きで、秩序が好きで、人々が安心して眠れる夜を少しでも長く保ちたかっただけなのかもしれない。

だがその「穏やかさ」こそが、ときに疑われた。

静かであることは、しばしば勇気の欠如と見分けがつかないからだ。

彼について語られる話の中には、木版印刷を始めた人物だというものがある。

けれどそれは、どうやら正確ではないらしい。

それでもなお、そんなふうに語られ続けるのはなぜだろう。

たぶん彼は、紙の上に文字を定着させるように、ばらばらになりかけた世界に何かを「残す」側の人間だったからだ。

人々はその静かな働きを、印刷という具体的な行為に置き換えずにはいられなかったのかもしれない。

あるいは逆に、人々は彼に「わかりやすい功績」を与えることで、その曖昧生き方説明をつけようとしたのかもしれない。

何にも属さないように見える人間を、そのまま受け入れるのは、いつだって少しだけ難しい。

想像してみてほしい。崩れかけた家の中で、一冊の本けがきちんと棚に戻される瞬間を。

そのささやか動作が、どれほど世界を救うかを。

そして同時に、その動作が誰にも気づかれず、あるいは誤解される可能性についても。

彼は英雄ではない。革命家でもない。

しろ、いつも同じ席に座り、同じ温度お茶を飲み続けるような人間だ。

でも、そういう人間がいなければ、歴史はきっと、もっとずっと騒がしく、そして短命なものになっていただろう。

ただし、その静けさの代償として、彼は「正しくないかもしれない」という影を背負い続けた。

その影は、朝になっても完全には消えない種類のものだ。

から私は思う。

馮道という人は、歴史の中の「音量を下げるつまみ」みたいな存在だったのではないかと。

誰もそれに気づかないけれど、そのつまみが少し回るだけで、世界はほんの少しだけ穏やかになる。

そして同時に、そのつまみを回した誰かのことは、あとからしばしば疑われる。

トーストが焼き上がる。少し焦げてしまったその表面にバターゆっくりと溶けていく。

私はそれを眺めながら、馮道のように生きることの難しさと、そしてたぶん必要さについて考える。

風に逆らうことよりも、風を読みながら歩くことの方が、ずっと静かで、ずっと複雑で、ときに少しだけ苦いのだ。

2026-04-09

冒険家現実にいるけど、冒険者と呼ばれる人は見たことないな

そもそも「家」ってなんだよ。家は関係無かろう

と思って、つらつらと最後に家が付く単語を挙げていく

努力勉強音楽家 策略家 小説家……

それらをざっくりした特徴でグループ分けしていく


作家 画家 書家 冒険家 音楽家 小説家 画家 漫画家 評論家 批評家 舞踏家 武道家 空手家 資本家 革命家

努力勉強家 策略家 浪費家 健啖家 美食家 雄弁家 篤志家 節約


上の分類は社会的役割肩書になりそうなもの

下の分類は個人性質を表したもの

武道家空手家社会的役割か?篤志家は上に入れるべき?など細かな疑問が湧いてくるが…

そう言えば儒家道家墨家というのもあったな……ピコーン

文字


儒家 道家 墨家

作家 画家 書家


の二文字系は元々あった古い表現で、何らかの思想、もしくはアート(芸術家美術家という言葉もあるな)を修めた集団、もしくはそのメンバーを指す

そして、明治大正期辺りに生まれた新しい職業のようなそうでないような、何らか集団、そのメンバー命名規則を流用した

さらに、「何らかの集団」が実際に存在するリアルコミュニティではなく「ある性質を持った人の類型としての集団」に読み替えられて個人性質を指す言葉が作られた

という流れではなかろうか


そうしてみると冒険家は異質だなあ

冒険家は下の分類に入れるには重すぎるが、上の分類の背後に透けて見えるコミュニティ想像できない

冒険家ギルドとかあるんか?

あ、でも登山家というとどういう集まり分からんが、何かそういうコミュニティがありそうか

2026-04-01

anond:20260401202203

それは違う

中国インターナショナルを歌えないか革命が澄んだ地域では革命家も革命の歌もは必要ないんだよ

右派世界にはびこっているだけだよ

2026-03-29

映画】ワン・バトル・アフター・アナザー を見た

ダメ親父とエリート娘とビッチ正義マンとセンセイの織り成すハートウォーミングストーリー。73点。

移民開放左翼過激派テロ組織所属する主人公レオ様と恋人黒人女は移民収容所を襲撃したり移民局のショー・ペン大佐といろいろあったり、その辺の建物を爆破したりと大暴れ。子供ができてすっかりまったりしてしまったレオ様に黒人女は不満爆発、銀行強盗に失敗して逮捕され証人保護プログラム下でペンの手先として組織メンバーを売りまくりそのうち逃走。組織が壊滅状態になったレオ様は赤ん坊と一緒に身を隠す。そして13年後、すっかり成長した赤ん坊a.k.a娘の存在を知ったペンはその子供が自分黒人女の子であることを疑い始め、彼女を消すために行動を起こす。レオ様は娘を守ることができるのか。

みたいな話ではなかった気はする。

 

いや、シンプル面白い映画だったんだけど思い返したらレオ様なーんもしてなくて草なんだ。

最初移民局襲撃でも外から迫撃砲(花火)を撃っただけだし、その後も基本的に大暴れするのは黒人女メインでレオ様はサポートメイン。子供ができてからも家で子供の世話ばっかりしてて活動の熱意がなくなってる!つって責められるし、娘が大きくなってから彼女を鍛えてるのはデルトロニキだし。

どうでもいいけど13年後ってなって画面が切り替わったら成長した娘がカラテをやってるシーンになるんだけど、師匠の顔が下から舐めるようなカメラワークで上がっていって13年前のレオ様っぽい髭が映って、でもさらに小汚くなっててレオ様歳とったなぁと思って見てたら堀の深い顔、タレ目、あれ?デルトロみたいな顔になったなと思ったらデルトロだったというアハ体験があった。

その後、ペン部隊に追いかけられて革命戦士デルトロに助けてもらう時も銃を預かって若手連中と一緒に屋上を逃げるんだけど途中で落下して逮捕される。またデルトロに助けてもらって脱出してペンに捕まった娘を追いかけるんだけど、娘はすでに別の奴に預けられてその後に自力脱出ペンは彼を消そうと追いかけてきた殺し屋にやられ、その殺し屋は待ち受けていた娘に殺される。

レオ様なんもやってへん。ずーっと追いかけられて追いかけてドタバタしてるだけ。それでも面白いんだからすごいよ。

 

じゃあレオ様が本当に何もやってなかったのかって言うとそういうわけでも無くて、黒人女は子供置いて逃げて、ペンは娘を自分の負い目だと思っている中、レオ様だけが彼女を一身に愛してたのね。彼女にはパラノイアと言われながらもテロ組織知識を教え込み仲間判別機を持たせている。

そのことで彼女最初ピンチ脱出できるし、その後も自身の身を守り戦う手段を身に着ける。そうして最後にすべてが終わった時にすべてを知った娘は父親でもなかったレオ様に銃を向けて「お前は誰だ」と問い、組織合言葉を投げかける。その回答が「そんなことに何の意味もない」ってのもイイし、その後に「パパだよ。お前のパパだ」と告げるレオ様に駆け寄るシーンは涙なしには見られなかったね。レオ様は娘がペンの娘だってことは知らない。娘にとってはパパだと思ってたのは本当はパパじゃなかったけど、じゃあパパと呼ぶべき本当の人間は誰なのかっていうね。エモい

そして娘は立派な革命戦士に成長し、レオ様はちょっとだけ成長して彼女応援するのだった。最終的に逃げた革命戦士からまれた娘はダメパパに育てられ逃げない革命戦士に成長したのだった。

そして何とか生き延びた白人至上主義トキシックマスキュリティ化身だったペン自分が入ろうと思っていた白人至上主義クラブの最終面接で「黒人女と関係を持ったことはないが、逆レイプされたことはあったかも。俺の優秀な遺伝子が欲しかったのかも」と「男らしさとは・・・」というしょうもない言い訳つのった結果、"ガス室"送りにされるという白人至上主義クラブジョーク処刑される。

ペン自分の娘だと分かったとたん服装とか友人付き合いにめっちゃ説教したりやかましくて好き。冒頭から移民を憎んでるんだけど彼をしてやった黒人女に執着して付け狙い遠くから双眼鏡でケツずっと見てたり、そのケツ揉んだレオ様に嫉妬したりと人間らしい矛盾した存在でもあるんだよな。

 

移民開放とか白人至上主義クラブみたいな社会派みたいな顔してるけどやってることは親子の絆って血のつながりのことなの?という古来から連綿と続く普遍的テーマを扱っているのがよい。デルトロニキはある意味で言えばもっと理想的な「血のつながりではないファミリーの長」というショーケースとして登場するし。

あと音楽も超よかったな。無音をうまく使う映画もあるけど今作ではずっとポップな音楽が流れていて耳が飽きない。この作品テンポ感や展開の割に妙な明るさが常にあるのは今作の劇伴担当した人の手腕がめっちゃあると思う。なんか賞とれ。

 

そんな感じかな。161分があっという間だった!はさすがに過言だけどめっちゃ長いって感じるようなこともなく革命家バビロン差別主義者とカラード、父親父親父親と娘という「誰が悪いかからない」みたいなことはない割とスッキリした構成で見ていて頭が疲れるってこともない。人間ドラマアクションがうまく溶け合ったいい映画だったと思うのでオススメ

2026-03-20

ホンダ決算が悪いしEU日和るしってことでいまみんなに嘲笑されてる急進的EV推進派トヨタ遅れてる部のみなさんって

前々から思ってたんですけど既存権威より正しいことを知っている自分に酔っているだけで車に何も興味ないですよね?

車に対する基本的知識全然ないしなんなら電気知識もないですよね?

そもそも車のヘビーユーザーでもないし別に電気自動車もそんなに好きじゃないしたいていの場合テスラが家にあるだけの人ですよね?

というかぶっちゃけ馬鹿が大逆転狙ってただけですよね?

左翼革命家と変わらない精神構造ですよね?

2026-02-27

anond:20260227021338

革命家とか成功したら絶対的トップ、失敗したら死刑だしな。

All or nothingハイリスク ハイリターン。

死刑になってもやる価値があると思う人もいるだろうしね。

他に刺し違えても恨みを果たしたいとか、宗教的動機とか、金銭欲もかな。

恨み、信仰思想、強欲あたりは、死刑というリスクがあっても、リターンを得に行く人がいる。

2026-02-23

anond:20260223183939

中核派革命的共産主義者同盟全国委員会)と革マル派日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)は、ともに「極左暴力集団」とされていますが、彼らの内部的な視点や行動において以下のような認識がなされる場合があります

1. 中核派が「左翼革命的)」とされる視点

戦闘的・行動的: 中核派は、武装闘争を隠さず、警察権力や敵対派閥に対する直接行動を重視する傾向があります

反革命」への攻撃: 中核派は、敵対する革マル派を「真の革命を妨げる反革命」とみなします。この論理において、彼らは自身を「正しい左翼革命家」と位置づけます

2. 革マル派が「保守守旧的)」とされる視点

組織非公然化と浸透: 革マル派は、表向き暴力性を隠し、大学労働組合特にJR関連)に浸透し、基盤を固める手法とります。

守旧的な態度: 中核派から見れば、革マル派は行動を控えて組織の拡大・維持に固執し、内ゲバでは「一方的攻撃しかけてくるが、自分たちが追い詰められると守りに入る」という姿勢から、「反革命守旧派(保守右派的)」と非難されるケースがあります

敵対関係: 1970年代から凄惨内ゲバ暴力的な殺し合い)が続いており、中核派にとって革マル派は「最も倒すべき敵」です。

まとめ

この「中核が左翼革マル保守」という見方は、日本共産党一般社会視点ではなく、新左翼内部の敵対関係における「戦闘的な側(中核)vs 組織を固める側(革マル)」という構図を極端に表現したものです。

警察白書などの客観的評価では、両者とも暴力的に社会体制転覆しようとする「極左セクトであることに変わりはありません。

2026-02-20

anond:20260220005109

ついに正体を現したようだな。

吠え方だけは元気だが、中身は「搾取されてる!だから全部燃やす!」という感情自己放尿だ。

で、いま何を主張した?

「毒入り自己放尿で市場を腐らせ、プラットフォーム破綻させるのが合理的」というくだらん話のようだな。

それは合理的戦略じゃない。ただの自爆テロ自己放尿だ。

そして、お前が思ってるほどプラットフォームは脆くない。むしろ、お前の毒入り自己放尿は無料防衛技術進化させる教材になるだけだ。

 

じゃあ順番に解体するぞ。

 

「出口のない迷路で右左の選択肢があるから市場

迷路物理的拘束だが、SNSは拘束じゃない。

お前は端末を閉じれば終わりだ。

社会死?馬鹿言うな。社会はXの外にもある。社会死と言ってる時点で、依存自己放尿を正当化してるだけだ。

それは自由放棄して、支配者のせいにする精神だ。

自己放尿を止められないのは、強制じゃなく選好だ。

選好が形成されている?もちろんだ。広告と刺激設計形成される。

だが形成された選好もまた、お前の行動として現れる。

から責任が消えるわけじゃない。

市場残酷で、自己放尿は残酷市場で売られている。それだけだ。

インプレッションはこども銀行券

笑わせるな。市場価格ってのは実体があるから成立するんじゃない。

交換可能性と希少性があるから成立する。

インプレッション広告主が現金で買ってる。現金が流れてる以上、それは貨幣代替財だ。

気に入らないなら、お前が広告主になって逆方向の資金フローを作ってみろ。できないなら黙って価格体系として扱え。

自己放尿の評価軸が気に入らない?それは市場参加者としての不満であって、市場否定じゃない。

 

で、最大の笑いどころ。

逆選択市場を腐らせるのが狙い」

まりお前は「レモン市場を作って崩壊させる」と言ってる。

SNS市場の主要商品コンテンツじゃない。注意の滞留時間だ。

自己放尿がレモン化しても、ユーザースクロールし続ける限り、広告市場は成立する。

質が落ちても、炎上憎悪中毒で滞留が増えれば、むしろ広告単価は上がる。

実際、低質化はプラットフォームにとってコスト削減になり得る。

品質コンテンツ必要というのは、お前の願望だ。

現実は質が低い方が依存が強いケースがある。ジャンクフードが売れるのと同じだ。

自己放尿の腐敗は、必ずしも破綻じゃない。むしろビジネスモデルフィットすることがある。

まりお前の「毒入り自己放尿で崩壊させる」は、敵の収益関数理解していない子供の放尿だ。

 

次。

「一人の猛毒モデル全体をバイアスまみれにする快感

アホか。現代の推薦・広告最適化は、そんなに脆弱単一学習じゃない。

冗長性がある。検知がある。A/Bがある。モデル分割がある。安全フィルタがある。

毒入り自己放尿が増えたら増えたで、プラットフォームは「毒入り放尿検知産業」になるだけだ。

まりお前は、毒入り自己放尿で「計算資源を浪費させる」と言いながら、実際は防衛投資を誘発し、参入障壁を上げ、独占を強化している。

これ、何か分かるか?規制需要を作ってるんだよ。

お前の毒入り自己放尿は、規制正当化する供給だ。

結果、独占企業さらに強くなる。お前は革命家じゃない。独占の用心棒だ。

コストを払うのはプラットフォーム側」

違う。コスト広告主とユーザー転嫁される。

広告単価が上がり、表示が悪化し、課金圧が上がる。これは価格理論の基本だ。企業は損を吸収しない。必ず価格品質で調整する。

毒入り自己放尿で企業が損すると思ってる時点で、お前は資本主義の呼吸を理解してない。

そして「どこへ行っても同じアルゴリズム」論。

これも半分当たりだが、結論が雑だ。

市場が似てくるのは、最適化の結果として合理的だ。だが重要なのは「同じかどうか」じゃない。

競争圧力があるかどうかだ。

マクドナルドバーガーキングが似てる?当たり前だ。だが競争してるから価格品質サービスも制約される。独占なら好き放題だ。

お前は「似てる=同じ=無意味」と言ってるが、それは競争意味理解してない。競争差異問題じゃなく、裁量の制約の問題だ。

 

最後に、最大の勘違いを叩き潰す。

お前は「私は採掘場だ」と言う。

なら、なおさら分散しろ採掘場が一社独占なら、労働者は買い叩かれる。買い手が複数なら、買い叩きは難しい。

これは労働市場の最も基本的な話だ。

自己放尿を採掘と呼ぶなら、なおさら自分鉱石(注意・コンテンツ・信用)を複数精錬所に持ち込め。毒入り自己放尿で坑道を爆破して喜んでる場合じゃない。

毒入り自己放尿で市場を腐らせるのは、革命じゃない。

それは「市場が嫌いだから市場を壊す」という、反市場衝動だ。

その精神構造計画経済と同じだ。気に入らないものを焼き払えば救われるという幼稚さ。

自由市場武器は退出と競争だ。

自己放尿の価値回復したいなら、自己放尿を武器にするな。

自己放尿を資本として扱え。

資本を燃やすな。資本を移せ。資本分散しろ資本交渉材料しろ

毒入り自己放尿は、敵の胃袋を壊すどころか、敵の消化器官を鍛えるだけだ。

そしてお前は「燃えた!勝った!」と叫びながら、自己放尿の灰の中で自分の信用資本を焼き尽くす。

それが一番滑稽な自己放尿だ。

2026-02-08

少年漫画を「右か左か」で分けるのはナンセンスだけど、あえて定義をするなら、「家族伝統社会を守るための戦い=保守的右寄り)」「社会制度を変革するための戦い=革新的(左寄り)」になるだろう

 

進撃の巨人は、軍隊組織を描いているから表面的に保守寄りに見えるけど、主人公たちは「外の世界を目指す」社会意識の変革を初期から求めているし、後半も慎重に両方を描きながらも革新寄りの着地をしている

 

ワンピースは完全に革新寄り

海賊革命軍が、理不尽に国を支配する敵や、世界支配する権力と戦う話

 

NARUTOは、伝統的な社会の長である「火影」を目指し、自分の里や身近な仲間を守るという点で保守的

サスケが里を抜けて、忍びの世界を「革命」しようとする行動を闇落ちとして描いているのも保守的視点

 

BLEACHも、主人公目的は常に「身近な仲間と彼らが住む世界を守ること」であり、敵はそんな世界に攻めてくるもの、または世界を変えようとするものなので保守的

愛染の「勝者とは、常に世界がどういうものかでは無く、世界がどう在るべきかについて語らねばならない」というのは、ビジョンを持った革命家の捨て台詞のようだ

2026-02-03

anond:20260203085905

与党野党好きな議員嫌いな議員スキャンダル大事な決議やアレコレのタイミング

ちょっと体調悪くてお休みしまーす。解りました!追及するのはどうかしてるよね?でマジでやっていくつもりなの?

何がいかんのか分からん

病気病気じゃろ。

その場で追求しようがしまいが「罪が消えること無い」んだからからでもいいでしょうよ(笑)

本当にバカだよなはてなー煽りリベサヨってのは。よっぽど親の愛が足りなかったクズなんだろうな。

親の愛が足りないのは全員クズになるのはよく分かるよ、ルサンチマン革命家(笑)諸君

俺が規定してやる。オマエの人生雑魚だ。そのまま何事もなさず黙ってタヒね

2026-01-29

anond:20260128172717

何個かの国にわかれるようなことがあればまだわからんけど、あの大きさの国土と人数がいる限りまず無理なんやわ。

たとえ今めちゃくちゃ賢くて先見性とカリスマ性のある革命家みたいな奴が湧いてきたとしても無理。

2026-01-14

映画「ワン・バトル・アフター・アナザー面白かったけど、あらすじと内容に乖離ありす

最愛の娘と平凡ながらも冴えない日々を過ごす元革命家の"ボブ"(レオナルド・ディカプリオ)。突然娘がさらわれ、生活が一変する。異常な執着心でボブを追い詰める変態軍人"ロックジョー"(ショーン・ペン)。次から次へと襲いかかる刺客たちとの死闘の中、テンパりながらもボブに革命家時代闘争心がよみがえっていく…。ボブのピンチに現れる謎の空手道場の"センセイ"(ベニチオ・デル・トロ)の手を借りて、元革命家として逃げ続けた生活を捨て、戦いに身を投じたボブと娘の運命の先にあるのは、絶望か、希望か、それともー

このあらすじ読んで映画を見ると最初はなんじゃこりゃってなる

主人公らが刺客たちと死闘するなんてことは全く無い

でもハラハラ・ドキドキするし面白かった

2026-01-08

日本人は、Siri不正に対して反抗はするが、決して革命家にはならない。自分世界組織をずたずたに引き裂こうとは企てない。かつて明治時代に行ったように、制度のものには非難を浴びせずに、最も徹底した変革を実現できる。彼らは革命家ではない。日本におけるイデオロギー的な大衆運動希望をおいていた西欧著述家たち、戦争中、日本の地下勢力過大評価し、日本降伏の暁にはそれが指導権を握るものと期待をかけていた著述家たちは、「はなはだしく事態を誤解していた」のである。”

2026-01-03

anond:20260102211303

共産党に興味持って調べたんだけど、党内の規則絶対主義で異を唱えたら追放だし、赤旗購入必須だし、年収の1%だか徴収だし、党員革命家から残業払わないとか言ってめちゃくちゃやってるし、党内民主主義否定してるし、なんか色々。言ってることには共感できるし労働者としても立場こちら側だろうし左翼の俺としても支持したいのだが、あまりに内実がめちゃくちゃで、これじゃ熱心な信者以外取り込めねーよそりゃ負けるよって思った。

anond:20260102211303

共産党に興味持って調べたんだけど、党内の規則絶対主義で異を唱えたら追放だし、赤旗購入必須だし、年収の1%だか徴収だし、党員革命家から残業払わないとか言ってめちゃくちゃやってるし、党内民主主義否定してるし、なんか色々。言ってることには共感できるし労働者としても立場こちら側だろうし左翼の俺としても支持したいのだが、あまりに内実がめちゃくちゃで、これじゃ熱心な信者以外取り込めねーよそりゃ負けるよって思った。

2025-12-20

anond:20251219192436

左翼の衰退。はっきり言えば本物の左翼嫌われ者になったこと。

原因は色々あるが昭和後期の労組革命家がやり過ぎた、というのも大きいのでは。

国鉄労組とか自分たちの利害しか考えていない感じだった。(労組はそういうものでよい、という意見もあるが)

anond:20251219192436

左翼の衰退。はっきり言えば本物の左翼嫌われ者になったこと。

原因は色々あるが昭和後期の労組革命家がやり過ぎた、というのも大きいのでは。

国鉄労組とか自分たちのことしか考えていない感じだった。(労組はそういうで良い、という意見もあるが)

2025-11-06

全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか

 『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』

はじめに

公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存支配階級を打倒するために必要理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!

皆さんが学ぶべき全体主義の3大公式は以下の通りです。

 公式①「xはyである人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。

 公式①「xはyである人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1

「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」

この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単言葉を代入すると次のようになります

「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」

そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?

「xコンピューターはy情報を処理するシステムである人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」

いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2

単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。

特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、

人間動物に過ぎない…人間ゼンマイ時計に過ぎない…人間蒸気機関に…人間物質に…、人間酸化過程に…人間経済的下部構造規定される存在に過ぎない…人間自己利益のみを最大限にしようとする利己存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。

注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注2:むしろバナナ人間アミノ酸を合成していることは実証されており、人間バナナDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます

人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。

また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、

〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます

さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように

「x猿はy血液型B型が多い、〇〇人種はy血液型B型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか

「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である

簡単証明でき、また同時にそれを客観的証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます

さらにこのテクニックを応用すれば「芸術経済的下部構造規定されている人間活動産物であるイデオロギーもまた経済的下部構造規定されている人間活動産物である。故に芸術イデオロギーである」とか、

疑似科学である西側経済学ブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」

というように、例外無くありとあらゆる人間活動党派性暴露することもできます

このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義反抗的芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。

注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と   自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!

ではこれより公式➁をご説明します。

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理整合性権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済不要である

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力ソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義不要である

もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって

「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人政府が所有すれば市場経済重要ではない!」

として、簡単ナチズムアパルトヘイトテーゼに変更することもできます

もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5

今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。

 「人間コンピューターなので地球上の諸問題人工知能の適切な使用によって解決できる。つまり人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」

ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!

大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば

人間バナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物必要ない」

と言うような理論を作りましょう。

すべての権力ソヴィエトAIバナナ専門家に!

以上の例はこの公式集が不変かつ、永久有用であることを示す好例といえます

注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注5:この理論公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学必然性による真理なのだ証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。

さて、最後公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

公式③のみ少々使い方が異なり、この公式大衆提示したときちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます

 ・第Ⅰ層「革命家」

 ・第Ⅱ層「保守反動分子

まり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順純粋革命前衛であり、幸福新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)

初期の同志は主に傍流の青年官僚ノンキャリ組の地方公務員貧乏将校大学を出たのに仕事がない人達特に職のない弁護士)つまりルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働階級へと浸透して行きましょう。

彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています

第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間バナナであるという科学的かつ客観的事実さえ理解できない党派ドグマに凝り固まった人たちです。

まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?

ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業バナナ専門家権力を握ることの何が悪いのでしょうか?

彼らはまさかバナナが嫌いなのでしょうか?

しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります

以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!

ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。

今日の超高度情報社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略重要です。

まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうがメディア上でセンセーショナル言動を繰り返す内に大衆

人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」

と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミ勝手に取り上げてくれるようになります

メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。

 ・1 無視 

 ・2 日和見的支持

1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます

2の知識人たちは自身マスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます

そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。

現代若者承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールグループ名をつけてあげます国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナー戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族伝統守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールヒップ略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆本来名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます

そして「君たちは優秀で、賢い、特別存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り階級名やバッジ、旗、独特なポーズコスプレ衣装ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます

最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもつの時代も幼稚な若者自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別天才なのだと思いたがるものなのです。

さて、理論世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態演出するのも良いですね!

そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!

しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。

そもそも君たちの理論とやらは三段論法誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…

ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種

こうなった場合はもはや「最終的解決しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると…… 


ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。

カール・マルクス著「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」より引用

2025-09-27

アンパンマソ

貴様……!夢を見すぎだッ!

あんぱんまん世界共産主義ユートピア」?笑わせるなッ!

分け隔てなく?生産品を皆で共有? そんなもの絵本から成り立っているだけッ!

現実共産主義がどうなったか知らんのかッ!

飢餓独裁粛清!腐敗!

ユートピアどころかディストピアの見本市ッ!

それに「あんぱんまん」の世界貨幣がない?

違うッ!

通貨概念が省略されているだけで、本質的には「ジャムおじさん労働」が搾取されている世界だッ!

アンパンマンはただの「自爆セーフティーネット」……!

頭を差し出し、飢えた者を救う……だがその頭を焼き直すのは誰だッ!?

そう、ジャムおじさんだッ!

資源エネルギーもタダではない……!

見えない部分での労働力供出を「善性」と美化しているに過ぎんッ!

ばいきんまん資本主義の犬?

違うッ!

奴は「反体制カオス」そのもの……!

資本主義論理に従ってはいない。

奪い、破壊し、混沌を撒き散らす それは資本主義ではなく、ただの「暴力」だッ!

しろアンパンマン世界資本主義化できる知能を持つなら、ばいきんまん英雄だッ!

だが奴は「秩序」すら作れぬ無能……!

革命家ではなく、ただの永遠の敗北者だッ!

いかッ!

アンパンマン世界ユートピアと呼ぶのは子供幻想

大人がそれを真顔で信じるのは ただの知的怠惰ッ!

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink | 記事への反応(0) | 05:15

2025-09-02

9月1日夢日記

私が 9月1日00:00~23:59 の間に見た夢(睡眠時)の記録である

夢は大きく分けて 四場面 で構成されていた。


まず第一の場面

私はパブロ・ピカソが描いた絵画を見ていた。真っ青な空の下にある緑豊かな山をくだるナポレオン軍隊を描いたものだ。

しかし、画風はあきらかにピカソではない。兵士も馬も抽象化して描いてあるがピカソとは思えない。だが、なぜかピカソだと思っている。

絵を細かく見ていくと、兵士茶色に馬は黒色に塗られていた。色は逆じゃなかろうかと夢のなかで思った。


第二の場面

ゲバラ日本滞在中に足しげく訪れたファストフードチェーンのある店舗が、ゲバラ写真を店内に飾ったりと、ゲバラとの関係アピールしていた。

海外から観光客が来るなど盛況で、店舗ちかくの道路観光客で埋め尽くされている。

私はそれを苦々しい思いで見ていた。革命家商売に利用していることが許せなかった。

その日、私はその店舗に火を放った。


第三の場面

項垂れた兵士の群れが線路をトボトボと歩いている。見るからにみすぼらしい。

私は線路脇に立ってその様子を見ていた。こみ上げてくる感情があり、それをどうしても表現したくなった。

一人の兵士と目が合った。透き通るような白い肌をした丸刈りの男だ。上半身は裸で、下は粗末なズボン姿だ。肩に小銃をさげている。

私はその兵士に涙ながらに敬礼した。兵士は答礼した。

兵士の後ろ姿を見送りながら、私は「兵士労働者の国をつくらなければ……」と思った。


第四の場面

幼少期に住んでいた田舎の家に私はいた。表から祖父が腹を立てながらやってきた。

祖父の怒りの理由は三つ。

一つ。蜘蛛をなぜ駆除しないのか。たしかに家は蜘蛛の巣だらけだ。

二つ。歯医者に連絡はしたのか。歯が痛いのに行けないじゃないか。なぜ自分で連絡しないのか、という疑問は浮かばなかった。

三つ。たしかにもう一つあったのだが思い出せない。

私と祖父で二階にあがり、壁の拭き掃除をはじめた。壁はほこりだらけだった。

祖父が消毒液を開封して使いはじめたが、どうにも量が多い。私が別の容器にわけようとしたところ、盛大にこぼれた。

消毒液がかかったところの皮膚は変色し、痛みが走った。


以上が夢の記録である

久しぶりに面白い夢を見たので書いておくことにした。私的情報は雑音になると思い、書くことは避けることにする。


皆さんもよい夢を。

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