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2025-12-07

不謹慎だけどフランカーカッコイイよね…😟

鳥というか、鶴というか、クネッとしたところが凄く良い!

ソヴィエト、旧戦闘機方向性を突き詰めた感じがする

アメリカとか西側戦闘機爆撃機は、コンピュータ制御もあって三角形とか無尾翼っぽかったりとか、シンプル幾何学形状に向かうのに対し、

フランカー流線型、といっても、流線型のみのもにょーっとした感じもない、

ロシア入国できなくなった小泉さんも大好き、って言ってなかったけ?

ロシア中国フランカーを売るときに、嫌がらせみたいなもので、コアとなる技術アビオニクス等を抜いて売ってるわけだけど、

中国遼寧同様に、機体はそのまま流用、独自アビオニクスソフトウェアを埋め合わせ、

遼寧公開航行ときに見事に発艦着艦をデモンストレーションした

アメリカの完全人工知能爆撃機デモもそうだけど、やるなあ、と思いました…😟

ハセガワのもよくできてる、値段もそこそこ、買いたくなった…😟

中国メーカープラモフランカーも、中国人モデラ―のジオラマではあるけど、よくできてる感じがした…😟ジオラマになると、なんか手を入れてはいるだろうなあ…

プラモもやりたいけど、諸事情あったりして困るなあ…😟

2025-11-06

全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか

 『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』

はじめに

公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存支配階級を打倒するために必要理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!

皆さんが学ぶべき全体主義の3大公式は以下の通りです。

 公式①「xはyである人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。

 公式①「xはyである人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1

「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」

この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単言葉を代入すると次のようになります

「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」

そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?

「xコンピューターはy情報を処理するシステムである人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」

いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2

単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。

特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、

人間動物に過ぎない…人間ゼンマイ時計に過ぎない…人間蒸気機関に…人間物質に…、人間酸化過程に…人間経済的下部構造規定される存在に過ぎない…人間自己利益のみを最大限にしようとする利己存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。

注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注2:むしろバナナ人間アミノ酸を合成していることは実証されており、人間バナナDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます

人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。

また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、

〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます

さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように

「x猿はy血液型B型が多い、〇〇人種はy血液型B型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか

「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である

簡単証明でき、また同時にそれを客観的証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます

さらにこのテクニックを応用すれば「芸術経済的下部構造規定されている人間活動産物であるイデオロギーもまた経済的下部構造規定されている人間活動産物である。故に芸術イデオロギーである」とか、

疑似科学である西側経済学ブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」

というように、例外無くありとあらゆる人間活動党派性暴露することもできます

このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義反抗的芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。

注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と   自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!

ではこれより公式➁をご説明します。

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理整合性権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済不要である

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力ソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義不要である

もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって

「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人政府が所有すれば市場経済重要ではない!」

として、簡単ナチズムアパルトヘイトテーゼに変更することもできます

もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5

今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。

 「人間コンピューターなので地球上の諸問題人工知能の適切な使用によって解決できる。つまり人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」

ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!

大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば

人間バナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物必要ない」

と言うような理論を作りましょう。

すべての権力ソヴィエトAIバナナ専門家に!

以上の例はこの公式集が不変かつ、永久有用であることを示す好例といえます

注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注5:この理論公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学必然性による真理なのだ証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。

さて、最後公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

公式③のみ少々使い方が異なり、この公式大衆提示したときちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます

 ・第Ⅰ層「革命家」

 ・第Ⅱ層「保守反動分子

まり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順純粋革命前衛であり、幸福新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)

初期の同志は主に傍流の青年官僚ノンキャリ組の地方公務員貧乏将校大学を出たのに仕事がない人達特に職のない弁護士)つまりルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働階級へと浸透して行きましょう。

彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています

第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間バナナであるという科学的かつ客観的事実さえ理解できない党派ドグマに凝り固まった人たちです。

まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?

ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業バナナ専門家権力を握ることの何が悪いのでしょうか?

彼らはまさかバナナが嫌いなのでしょうか?

しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります

以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!

ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。

今日の超高度情報社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略重要です。

まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうがメディア上でセンセーショナル言動を繰り返す内に大衆

人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」

と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミ勝手に取り上げてくれるようになります

メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。

 ・1 無視 

 ・2 日和見的支持

1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます

2の知識人たちは自身マスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます

そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。

現代若者承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールグループ名をつけてあげます国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナー戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族伝統守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールヒップ略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆本来名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます

そして「君たちは優秀で、賢い、特別存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り階級名やバッジ、旗、独特なポーズコスプレ衣装ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます

最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもつの時代も幼稚な若者自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別天才なのだと思いたがるものなのです。

さて、理論世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態演出するのも良いですね!

そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!

しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。

そもそも君たちの理論とやらは三段論法誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…

ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種

こうなった場合はもはや「最終的解決しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると…… 


ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。

カール・マルクス著「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」より引用

2025-03-07

anond:20250307144209

第三の選択肢である対話」じゃ駄目なの…?

ソヴィエトキューバヴェトナム代表される共産主義思想では、兵器を持つこと自体戦争火種だと解釈してきた。

アメリカ言いなりをやめて米軍撤退を促し、かつ日本自衛隊も速やかな違憲状態解消に伴う解散を促す。

外国勢力に対して徹底的な対話を促し、共感を経て侵攻を思い止まらせるってゆう共産主義解決策はなぜ無視されるのだろう。

2025-02-16

anond:20250216160811

私たちの多くから⾒ると、これはますます誤情報だの歪曲

情報だのといった薄汚いソヴィエト時代の⽤語の背後に、古い既得権益が隠れているだけ

のようにしか⾒えないんです。そういう既得権益者は、別の⾒⽅を持った⼈が、別の意⾒を

述べるとか、あるいは神も恐れず別の形で投票するとか、もっと酷いことに選挙で勝っちゃ

うなんて、とにかく許せないだけだというふうに⾒えるんです。”

原文:Now, to many of us on the other side of the Atlantic, it looks more and more like old entrenched interests hiding behind ugly Soviet era words like misinformation and disinformation, who simply don’t like the idea that somebody with an alternative viewpoint might express a different opinion or, God forbid, vote a different way, or even worse, win an election.

2024-04-13

anond:20231002130823

これは結果が類似しているけれど、全く違うモノなんですねぇ。

ゲリラ戦というのは、あくま戦争の一形態でありまして、正規戦同士の会戦では手が届かない敵の後方を攻撃する一手法なわけであります。そのために非正規戦力(すなわち交戦者資格たる制服章票、武器公然携帯を行わない)を浸透させて、戦線の後方を攻撃する。これによって治安戦という形によって兵力の拘引を行ったり、補給線を攻撃することで、前線部隊の弱体化を狙う訳であります

ただし、普通はそれだけでは勝ちきれない。ために敵が十分弱体化した暁には、きちんと正規軍がしゃしゃり出て敵の正規軍を撃破することが想定されています

この一連の動作毛沢東理論としてまとめていて、あの虐殺ハゲを唯一認めることが出来るとすればこの業績です。もっとも夢見たバカがいっぱいこれに飛びついたお陰で無駄戦争がかさんで人が余計に死んでますがネ。

一方で、テロは別段戦争に限ったことではありません。一定の(普通政治的な)我意を強要するために単に敵勢力の弱体な部分を攻撃する、通らなければそれを継続する、ただそれだけ。


で、なんで日本左派過激派が好んでゲリラ呼称を用いたかというと、毛沢東理論的影響が強かったのと、あくまでそれが帝国主義との戦争であるという自意識が強かったからなんですねぇ。彼らの言い分からすると、彼らはあくまで悪の植民地主義者共をぶっ殺す正義共産国樹立尖兵であったわけ。そのうちどこからともなく(例えばそれら尖兵義士に触発された人民放棄によって形成された/人民救助のためにソヴィエト派遣した義勇の兵士たちの)正規軍がやってきて土人ジャップ群を撃ち滅ぼしてくれると夢想していたわけです。

例えば連合赤軍逮捕されたときに「ヘーグ条約に基づく捕虜扱いをせよ」と世迷い事を言うわけですよ。彼らの中では、彼らは正義の国から来た聖戦士交戦者資格を持っているんですな。なので、当節のオキモチテロ(迫撃弾などという寝ぼけた代物がまさにそれだ)

むろんテロ外聞が悪いという側面があったにせよ、そういう事なのです。モノには一応理屈がある。理屈と膏薬はどこにでも付く。

2023-03-16

パンチラ動画カリスマ撮り師の起訴に寄せて(3)

パンチラ動画カリスマ撮り師の起訴に寄せて(1)

https://anond.hatelabo.jp/20230316083855

パンチラ動画カリスマ撮り師の起訴に寄せて(2)

https://anond.hatelabo.jp/20230316084129

性犯罪部会議論できていない点

そもそも部会での議論に関して、強姦などの直球の性犯罪議論が重視されたためか、議事録を拝見した限りでは撮影罪については時間不足であるように感じた。もちろん被害の甚大さでいえばその通りであるが、加害者として巻き込まれることの確率でいえばその重要性は逆であることから、必ずしも撮影罪を軽視してよいということではないだろう。また、撮影罪について語る時間の少ない中で、性暴力に伴う撮影議論が重視され、しかもその話題にはAV新法の成立に関連して強要されたAV出演と撮影罪の関係議論も加わったこからパンチラなどの純粋盗撮議論が一層不十分だった印象であるそもそも盗撮ジャンルは大きなものでもパンチラ風呂トイレなどがあり、撮影方法主体がそれぞれ異なるという複雑さを備えている。例えば風呂遠距離からの望遠もあるが、女性外国人留学生などを勧誘して女湯に隠しカメラを持ち込ませることがあるようだし、トイレカメラを隠すために壁などに加工(損壊)を伴うこともある。加えて、アスリート盗撮のように肉眼で見えているが撮影してはならないもの保護しようと試みて、結局アスリート盗撮は断念された。そのように、そもそも論では語れていない非性犯罪系の撮影罪の論点を残しながらも、肝心の撮影罪の議論煮詰まっていない印象である

いわゆる性的盗撮と言っても職場学校カジュアル盗撮して身内に拡散させるものから商業的な意図撮影を繰り返して大量に販売してしまものである室伏広治スポーツ庁長官としてアスリート盗撮について何度かコメントを出しているが、その中で現役時代自身も「アスリート盗撮」の被写体となった思いを語ったことがある。先に述べたような交通事故意識不明被害者やホームレス虐待、単に見た目がおもしろいだけでネットミームとなってしまっている壊死ニキ、マナーの悪い鉄オタを糾弾するための映像醤油をぺろぺろする友人を撮影する撮影者や、災害被害者を馬鹿にする独白撮影者など、盗撮としてそもそも議論すべきフレームが広大な中で、なぜ強姦等に伴うハード撮影行為とセットでパンチラ等の盗撮だけを語ってしまったのか、それによって抜け落ちた部分がどこなのかについて、引き続き国会での撮影罪の議論でしっかり語ってほしいと思う。

盗撮対策の今後に向けて

盗撮コンテンツエコシステム

盗撮罪が撮影に加えて頒布や取得も違法とするように構成されていることはすでに述べた。この3つは

という基本要素であるが、燃焼と同じでどれか一つを徹底的につぶせばゼロではなくとも大きく被害を低減することが可能である

撮る人

このうち撮る人は撮影罪がほぼ今の形で施行されれば大きく減らせるだろう。

流す人

流す人(≒マーケット)が壊滅すれば、撮る人事態は少数存続したとしても、お金のために膨大な人数を撮影する行為は止まることになる。すなわち自家用の程度でしか撮影しないし、膨大に複製・拡散されてしまうことでの被害を低減する効果は期待できる。

見る人

見る人はどうだろうか。マーケットが壊滅しても、残念ながら海外サイトなどに拡散した膨大な数の盗撮映像があり、体感的にはおそらく顔・パンティがばっちり撮影された実用的な映像だけでもおそらく1万人は下回らないと見積もる。パンティのみや顔モザイクなど作品価値が高くないものも含めれば10万人ほどにも達するかもしれない。ただしパンチラファンの多くは削除された拙稿でも述べたがシチュエーションを重視している。

なおカリスマ撮り師の潜在撮影人数は、捜査関係者によるとのべ1万人程度と見込まれているとの報道があった。カリスマ撮り師がリリースした作品は500人程度であるため歩留まりは約5%くらいと見られる。カリスマ撮り師ほどのこだわりがない撮り師もいることから歩留まり10%と仮置きし、10万人が販売されているとすれば、潜在被害者は100万人程度と言えるだろう。日本生産年齢7000万人の半数3500万人の女性のおよそ30人に1人くらいが盗撮に遭っていると考えられる。なお年齢のスライド考慮すべきだが、そもそも上記10万人やカリスマ撮り師の1万人という被害者数が約15年間くらいの累計であることから一定程度は考慮できていると言えよう。また、中年女性であってもパンチラNTR的なアクセントがつくことからファンがおり、映像結婚指輪探しなどが行われているため、若者と比べれば低率ではあるものの、必ずしも被害ターゲットから外れるわけではない。

閑話休題書籍盗撮をやめられない男たち」

さて本稿もほぼ終盤となってきた。見ると撮るは鶏と卵なのだろうか?書籍盗撮をやめられない男たち」では目の前に短いスカートの人がいて手元にスマホがあったのでつい撮影してしまったというような人が一定数いることが示されている。同書は盗撮再犯を重ねるなどして依存性が高いと判断され、塀の中でR3性犯罪再犯防止プログラムを受けたのちに医療に助けを求めた人たちへの聞き取りが収められており、500人規模のアンケート結果等が紹介されていた。その中で確かに「見たい」ので「撮った」という関係一定存在する。一方で市販作品などで「見てしまった」から「撮りたくなった」というのは必ずしも多くないことが指摘されていた。そのため市販映像を徹底的につぶしたとしても、つい出来心でという自然発生的な盗撮は続くだろう。

マーケットについて

急激に細る表の盗撮マーケット

盗撮マーケットカリスマ撮り師の逮捕の前から実は終わっている。マーケットに対し、おそらく警察や、国際クレジットカードブランドの決済引き上げ圧力などが行われたものと思われるが、盗撮映像に出演女性承諾書などを添付させる規制が強化された。そのため本物らしい新作はほとんど見受けられない状況が続いており、一時的な風雨(例えば東京五輪大阪万博)を凌いで元通りということも考えにくい。レビューブログについても影響を受けているようであるレビューブログ収益源はレビューページビュー数と連動した広告というよりは、レビュー記事からマーケットに飛んで購入したコンバージョン広告である。そのためレビュー対象作品の出品が取り下げられてしまうと、記事だけ残しておくモチベーションはほぼない。今のところ聞いたことがないが、レビュー記事名誉棄損で訴えられるようなことがあれば大きなリスクとなるため、出品中止作品レビューはすぐに削除されるというのが最近の動向である。結果、公式にはマーケット盗撮作品やそのレビュー記事は急速に減少しつつある。

裏の世界転載エコシステム

では事態改善に向かっているか?むしろ急速に悪化している。それは海外転載エコシステムに組み込まれしまったためだ。報道などを機に関心を持った新規組が作品に尋ね当たろうとすると見つかるのは転載作品ばかりである典型的転載エコシステム漫画音楽などと同様であり、リンク集であるリーチサイト」とデータ本体掲載する「Webストレージからなる。前者のリーチサイト自体が有料会員制である場合もあるが、多くは無料リンク情報だけを配信しており、後者Webストレージは1日にダウンロード可能データ量が会員ランクに応じて定まる。撒き餌として無料会員枠が設定され1日に1GB程度はダウンロードできるが、1か月に15USDや30USなどを払えばそのダウンロード帯域やデータ転送の総量が100倍や無制限へと緩和していく。

途上国リーチサイト商売

このエコシステムはあまり解明が進んでいないが、私の知る唯一の事例では東南アジア某国リーチサイトWebストレージの両方を一体的に運営していた首謀者が摘発された事件がある(2014年4月)。その売り上げは約6億4000万円とされており、同国の平均年収が当時30万円から50万円とされていたこから2000年分に相当する。日本に例えれば年収500万円の2000年分で100億円ほどの売上になったといえるだろう。この金額を見れば、今後も著作権法の整備が十分でない発展途上国が、先進国から支援光ファイバー発電所を整備し、アングラインターネットビジネスに手を染める行為をとどめることは難しいと考えられる。捜査能力の不十分さから見ればローリスクである一方でハイリターンが見込めるからだ。(ただし捜査能力が不十分過ぎて捜査過程不透明な死を向けるリスクもあるだろう)

また、満足な産業が発達しなかったルーマニアではソヴィエト崩壊後の国難の中で生き残りをかけてインターネット整備を進めた。そのことでブカレスト工科大学などに計算機工学専門家が集まったが、2003年頃にハッキングは稼げる手段であることが一部の国民に知られるところなり、「サイバー犯罪巣窟」とまで言われるようになってしまった。現状もその状況が続きつつ、ホワイトハッカー育成などセキュリティ産業でも活躍するおもしろ国家となっている。

そのように色々な事情を含みつつ、リーチサイト規制は国際クレジットカードブランドを中心に強化が進むが、ビットコインなどでの支払手段も開発されており、いたちごっこが続きそうだ。

旧作の流通

こうした中で本邦において盗撮罪が強化されて新規供給に歯止めをかけることができたとしても、過去作品流通を止めることは相当に難しいと考えられる。漫画映画転載被害規模が桁違いに大きく、また大半の国が違法判断できるが、それですら拡散を止めることができていない。であるのに対して盗撮違法ではない国も多いため、国際的刑事捜査の枠組みに協調して摘発してくれる動きは遅々としたものになるだろう。あるとすれば、安保理決議に基づく経済制裁措置の14のレジーム、いわゆる形容詞のつかない"Sanctions"の対象国が外貨獲得のために行っているとされるサイバー犯罪の一環としてこうした不法コンテンツ流通が大規模に摘発されるという流れに期待する他ないだろう。一説によると、ごく一部の国は正義大義が勝りどんなことでも行うが、いわゆるブラック国であっても彼らなりの正義はあるため、違法コンテンツについても線引きを行って取り扱うなどの仁義があるそうである(例えばポルノではなく映画のみを扱う、等)。そうであれば日本店員さんのパンチラ映像は彼らの倫理に照らしてどのように裁定されるのだろうか?

ストリーミングサイトによる世界デビュー

また、そもそもリーチサイトですらない拡散手法もある。ストリーミングサイトがそれであり、何某hubとかx何某という感じのサイトである。大量の広告によって運営し、有料会員となると広告が外れたり解像度制限が解除されるというフリーミアムモデルが多い。パンチラ映像がここに載ってしまうと、とりあえずどんな感じかがわかるレベルであれば誰でも容易にアクセスできてしまい、ダウンロードまでの手間が大きいリーチサイトと比べて被害は各段に拡大するだろう。それだけでなく、彼らはアングラであってアングラではない陽キャな側面があるため、リーチサイトと違って隠れようとする意思がない。画像検索などで見つかりやすいようにサムネイル画像AI技術採用し、よりクリックされやすサムネイル積極的に見せるといったことも行っている。一般リーチサイトは一部のヘビーユーザーの定着を図りながら、当局から摘発を逃れるために水面下に潜む傾向にあるのと対照的だ。

また、被害者にとっては自身パンチラシーンがどぎついハードコアポルノと並べて表示されることも嫌悪感に繋がりそうである。加えて、同種のパンチラ映像の中でも再生回数お気に入りの★の数で差がついてしまい、仮に自分だけ人気がなかったりすると、それはそれで嫌な要素となるかもしれない(人気があっても嫌だろうが)。

DMCA困難

加えて、一義的コンテンツオーナーは撮り師であるため、DMCAで削除させるには彼らの手を借りる必要がある。一般AVであれば発売元倒産しても業界団体等を頼る手があるが、パンチラ基本的草の根であるため当人以外に削除の申し立て権限分散している可能性が低い。カリスマ撮り師のように獄中に入ってしまえばアプローチし得るが、大半の撮り師は姿を消してしまっており、せめて転載コンテンツの削除活動に付き合ってほしいと願っても、居場所が分からなければ働きかけようもないのである自分の顔を送り付け、ここに映っているのは自分なので削除してほしいと願い出ても、出演契約などがどうなっているかからなければプラットフォーマーからは削除等の対応を取ることは難しいだろう。DMCAの仕組みとしてもそういった変化球まで規定されているのだろうか?

すなわちPanTuber

削除稿での「パンチラAV女優」の表現は撮り師や掲示板等で用いられている表現を紹介したものだが、読者の方から否定的意見が多くある表現だった。ただし実体はそrを上回っており、ストリーミングサイト転載され、少々の広告を踏めば誰でも無料で見られるという状況に置かれると共に、隣り合うのは本職のAV女優たちという状況に置かれてしまっている被害者が一定存在する。パンチラ盗撮被害はいわばYouTuberならぬPanTuber(ぱんちゅーばー)状態であるといえるだろう。法案に目を通した限り、少なくともパンチラに関して言えばマーケットは既に縮小していて実効性がなく、PanTuber化は海外サーバの事案なので法の網がかからない。漫画リーチサイト規制ではブロッキング議論され炎上したが、漫画家の収益よりもシビア盗撮問題では適用が許容されるだろうか?

閑話休題福岡地裁名誉棄損判決

ちなみに冒頭で触れた福岡地裁名誉棄損判決に至った盗撮事件であるが、風呂トイレパンチラなどの各種盗撮作品を扱うマーケットおよび撮り師が一体的に摘発されたもので、10億円の被害があったとされる。この判決では

(続き)

パンチラ動画カリスマ撮り師の起訴に寄せて(4/終)

https://anond.hatelabo.jp/20230316084410

2022-02-26

anond:20220226133024

ロシアは国力落ちてるのに、あの面積を維持していけるのかな。

何かの拍子に国内の何とか共和国が次々と独立して、残ったモスクワ周辺だけがソヴィエト共和国になったりしないかな。

2021-07-16

1980年代に書かれたコロナ禍を予測したようなSF作品

1980年代コロナ禍を予測したような日本SF小説作品があった。

大原まり子『薄幸の町で』。

去年くらいにもこの作品世界予言的だとSFファンツイッターで少し話題になった。

80年代前半といえば、ウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』を出した少し後くらいで、日本でも神林長平柾悟郎といったハードSF的なリアリティベースになる知識豊富なうえでそれまでにない繊細な感性言語化するあらたな才能が頭角を現してきた頃だ。

大原まり子もそのムーブメントの中心にいて、詩的かつひりつくようなリアリティが持ち味だった。

連作である有楽町カフェーで』の中で作家志望の男の子目線で語られるとてもしあわせそうな女友達との関係が、『薄幸の町で』の中では致死性の感染症で一度も触れ合うことのないまま終わってしまう。

 アメリカはもう死んでしまった。

 ヨーロッパ各国も。

 オーストラリア中国も。ソヴィエトも半身不随らしい。

 世界は凍りつくように沈黙していた。

 日本最後までよく防御した。

 ワクチンの開発に全力をそそいだ。

 たぶん、エクソン‐サクマ26型と名づけられたこ風邪は、どこかの国の細菌兵器の一つだったのだろう。

『薄幸の町で』より

パニック暴動が起こるわけでもなく、少しだけ不自由になった日常生活の中で数日前まで健康だった身近な人がある日突然いなくなる。そういう一般人が目にする静かなパンデミック描写は切なくてやるせなかった。

その大原まり子最近ブログを見てみると、今は反ワクチン的な考えを持っているらしい。

公になっている医療情報鵜呑みにしない。

鋭い患者医師のほうが、早く真相に気づくことがある。当事者だし必死だし。

自分感覚大事にしつつ、本気で情報取りに行かないと、流されたままでは、とんでもない目に合うかもしれない。

医療ってそんなに万全のものではないし、医療機関による格差医師の優劣も大きい。当たり前といえば当たり前のことだけれど。

大原まり子アクアプラネット」より


別に誰がどういう思想を持っていてもいいし、好きな作品を書いた作家のすべてを好きになる必要もないのだけれど、リアルな筆致でワクチンが間に合わない不幸を描いた作家が反ワクチンというのはなにかちょっとつらいものがあったので吐き出したくなった。

2021-03-18

anond:20210318133652

米国日本爆誕

ただし一億も人口がいる省に全米の選挙結果を歪められると困る

そこでソヴィエト共産主義思想を柔軟にとり入れ、零人っ子政策により日本省の適正人口化を目指す

2020-10-31

日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

http://studiit.jp/

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日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

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 日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、

明確な理由説明はなく、説明要求を斥けることは学問の自由理念に反すると同時に、民主主義敵対するものであり、

これに断固として異議を唱えます

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 《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力行使国民に対する暴力)であり、主権者である国民説明責任を果たすことが

民主主義の基本だからです。

情報公開制度古代ローマ時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。

必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望します。

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令和 2 年 1017

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イタリア学会会長

藤谷道夫慶應義塾大学教授

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理由

 イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)

イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動適用することは、学会目的に適う実践行為判断し、

今回の声明を発した理由簡単説明したい。

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 菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民

理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員

一員として、政権批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。

学問国家従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、

政権批判をしてはならないという誤った公民である

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 学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類資するものである与党資するものだけを学問研究

なすことは大きな誤りである学問研究によって得られる利益人類全体に寄与するものでなければならず、

時の政権のためのものではない。

判りやすい例を挙げれば、日本西洋から数学物理化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵無償で受けた。

万有引力定数や相対性理論発見したのは日本人ではない。その恩恵利益を受けながら、その使用料は払っていない。

なぜなら学問成果は全人類共通善として無償で開放されているかである

日本国には受けた恩恵人類に返すべき義務があることは言うまでもない。

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 国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である

公務員政権の《しもべ》ではないかである公務員国民全員の利益のために働く。

政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員義務である

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古代中国では臣下君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。

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翻ってイタリアの地、古代ローマ時代には、時の政権勝手な振る舞いか国民を守るための公的機関である

護民官が設置されていた。現代公務員匹敵する護民官は、時の権力批判牽制するために作られた

驚くべき官職である

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 次に、菅首相憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味理解していない。「学問の自由保障とは、

学者学問良心に従って行なった言動評価は、まずは学者うしの討論に委ね、最終的には歴史判断に委ねるべきであり、

間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授

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権力学問世界に介入する事例は西洋史に無数に見出される。

1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と

イエズス会士はこれに激怒し、同書を禁書にした。

ガリレオローマ異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。

ガリレオ自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究放棄するよう宣誓させられた。

そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。

教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力判断によって封殺された。

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 「今回、菅首相は、特定学者言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》

について自分権限判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民理解され

存在ではない》と認めたのである

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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、

そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなである

にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の

ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の

ものでもない。」(小林節名誉教授

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 私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、

国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官

見解を示している。

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しかし、菅首相官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法無視してきた。

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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、

元老院議事録国民日報編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル20

これが民主主義への第 1 歩である

それまで国民元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。

議員私利私欲談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、

貴族権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったかである

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 一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書改竄捏造、削除され続けてきた。

かに日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、

人事異動プロセスも民草には窺い知ることもできなかった。

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おそらく安倍菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。

紀元前 5 世紀のアイスキュロス作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。

この劇は二人の登場人物プロメーテウスを連行する場面から始まる。

プロメーテウスは絶対君主であるゼウス意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、

暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。

この時、彼を連行する 2 人の登場人物名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。

二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言言葉を発しない。

ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である

ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力強制意味する。

ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである

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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される

(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。

その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、

これが現実になったのが、ソヴィエトである

ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。

逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、

また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。

これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民心理的権力によって完全に支配される。

まり、《説明しない》ことこそが権力行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。

なかに権力忖度し、取り入る者が出て来る。

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こうした事例から民主主義いかに「説明すること」にかかっているかが判る。

説明情報公開民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなである

たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。

ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。

しかし、問題本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。

科学分野の基礎研究予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、

また軍事研究に手を染めない学術会議方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。

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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、

国立大学都道府県教育委員会日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。

公金は自民党のためのものではなく、国民のためのものである

国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。

かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである

(文責:藤谷道夫

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ナチス最初共産主義者攻撃した時、私は声を上げなかった。

なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員を攻撃した時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

ユダヤ人が連れ去られた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃した時、

私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。

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通常の娯楽に加えて、(古代ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、

凱旋式があった。

(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。

将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆面前であげつらうのである将軍高慢ものぼせ上って、

自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである

例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!

あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代独裁者たちに対しても同じように言うことが

できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。

(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)

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犬儒派キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、

世の中で最も素晴らしいものは何かと訊かれたとき

《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」

ディオゲネース・ラーエルティオス『ギリシャ哲学列伝』69~

2018-08-04

anond:20180804181603

物を生産することと価値生産することは同じではないのでそんなソヴィエト工学部優遇論はダメです

2018-04-22

anond:20180422222731

崇拝できる対象が変わっただけでしょ。昔はソヴィエトだったってだけで。

若者政治運動なんてそんなもんだ。

2017-11-23

共産主義歴史を調べてたんだけど

真面目な話なんだけど、左翼に分類される人って当時と変わらんのな

 

ソヴィエト中国やらかした連中と同じく、

表向き論理という名前で、実際は現実に則さないおおざっぱな持論や

理想論をぶち上げてそれを人に強制する人間になるのな

 

何かを変える場合土地や人に合わせてカスタマイズしないまま

理想論という名の同一の論・方式をそのまま国全体に普及させようとするのが

無理だったり非常に危険な事だと歴史から学んだはずなのに

それでもまたやってる

 

彼ら・彼女自身にとっては理想なんだろうけど

他人がそれで押しつぶされたり、失敗するだろう事業他人押し付けても

それでも良いって思うのってサイコパスなんじゃ?って思ってる

 

単純に自信過剰自分論理完璧だと思ってるのか?

なんで拒否してる・反論してる他人強制したり巻き込もうとするのか?

自分でやれる範囲自分だけでやるんじゃ駄目なのか?

その辺りがわからない、本当に

2017-09-12

anond:20170912153649

本当だ!!!

これヤバイね。

揚げ物語

作者:そらが

揚げ物の歴史物語性は無いです。

01.古代から中世2016/12/25 20:09

02.砂糖まみれの中世盛期 2017/01/04 22:02

03.中世晩期のレシピ 2017/01/10 21:12 (改)

04.近世初期の南欧 2017/01/17 22:36

05.中国古代伝統 2017/01/27 21:01 (改)

06.中国中世イスラム様式 2017/02/07 20:55 (改)

07.中国明代唐揚げ 2017/02/16 20:59

08.イタリア文化の余波 2017/02/25 21:17

09.17世紀フランス──揚げないカツレツとじゃが芋抜きのコロッケ 2017/03/12 20:15

10.アンシャレジームの新揚げ物 2017/03/24 21:51 (改)

11.女料理人たちのフィッシュフライ 2017/03/29 20:29

12.スルタン揚げ菓子──三大料理の三番手 2017/04/06 20:29

13.近世イタリア──フランス料理の逆襲 2017/04/14 21:18

14.ポテトコロッケと大革命 2017/04/28 20:11

15.古典フランス料理の完成 2017/05/01 20:10

16.双頭鷲のシュニッツェル 2017/05/06 20:55 (改)

17.イタリア料理リソルジメント 2017/05/13 21:39 (改)

18.英国における揚げ物の状態 2017/06/13 20:56 (改)

19.新大陸食生活 2017/06/26 20:38

20.素食から満漢全席まで 2017/07/15 21:26

21.中華料理の成立 2017/07/30 20:51 (改)

22.ソヴィエトロシアではバターを揚げ物で包む 2017/08/12 21:11

23.多分これが一番古いと思います 2017/08/27 21:05

24.大衆時代の揚げ物 2017/09/11 20:36

現在進行形更新されとる……。

じっくり読んでみる。

2017-03-10

本郷のMitteが好きだった話

好きだったというより好きなままだけれど、好きなことは少しも過去にはならないけれど、たまには思い出話をしよう。

本郷三丁目交差点の沿いにMitteというお店がある。私はそこが好きだった。頻繁に通ったとは言い難いけれど、お金をきっちり落とす優秀なパトロンだとは言い難いけれど、それでも私はそのお店が好きだった。そのお店は今日が店仕舞いの日だった。だからたまには思い出話をしよう。

もとより古い文具とかそういうものが好きなのだけれど、Mitteのことは他のどこの古い文具を扱うお店よりも好きだった。

どんなに外が寒い日でもお店の中が温められていて好きだった。色々なものが所狭しと並んでいて、ただ眺めるのでなくかきわけるように探していいものを見つけるのが好きだった。それで何かを買おうとするとお店の人が話しかけていろいろ教えてくれるのも好きだった。

私は街中の服屋や電気屋なんかで話しかけられるのは全然きじゃないけど、Mitteでお店の人の話を聞くのは好きだった。ものを一つ買うにも、そのものが経てきた色々な経路とか歴史がある。私は古いもの固有のそういう遍歴が濃ゆいところが好きなのかもしれない。ものにまつわる話を教えてもらって、共有して、そのお話ものを連れて帰るような、いつもそんな気持ちでお会計をしていた。

買うのでなく連れて帰るのだった、というのが分かってもらえるだろうか。いいものを延々と時間を掛けて選び抜いて、抱える掌の熱で生温かくなってしまったようなのをレジに持っていったとき、お店の人がいいものとの別れを名残惜しむように値付けをしてくれるのが好きだった。

値付けもふつう古文具の相場に比べてずっと良心的だった。本当にそんな額面でよいのか疑いたくなるくらいだった。なんでもかんでも安いことが素晴らしいと礼讃する気にはなれないが、良心的だったことは間違いのないことだ。

それからこれはとても個人的な話で、これから述べることがMitteを訪れた全ての人へのもてなしだったとは少しも思わないが、私はお店の人が紅茶コーヒーお菓子を出してもてなしてくれることも好きだった。その場所長居して構わないような気分になるのだった。何時間長居をして結局買うのはほんの千円だとか数千円が関の山なのだが、それでも居心地良く何時間でも吟味をさせてもらえるような場所は、世界広しに古雑貨屋多しといえど、私個人としては、ここ以外には無いと思う。

Mitteはお客さんで混み合うことが少なかった。採算がとれるか否かでいえば勿論悪いことだが、自分勝手なことを述べるのがもし許されるなら、私は自分以外のお客さんがいないMitteでひたすらものを選ぶのが好きだった。

混み合っているようなのはどうも落ち着かなくて苦手だ。繊細なものばかり並んでいる棚の前を人間が往来するのは落ち着かないものだ。その点あの場所はとてもいい場所だったのだ。それで前述のとおりもてなしまでいただくと、ああ自分の部屋もこんな風だったら素晴らしいのにな!と思わずはいられないほど素敵だった。

Mitteはいものがどうしてと思うくらいに取り残されている不思議場所だった。東独の宇宙豆本なんかあまりにも素晴らしいもの一目惚れだったが、私よりかは宇宙好きな人の元に渡った方がよかろうと思い、一度見送って、数ヶ月後まだあって、まだ見送って、それから数ヶ月後の三度目にようやく、こんなに可愛いものを誰もまだ迎えないなら、私がさらって行ってしまおうと思ったものだった。さらわれた豆本は私の狭い部屋の狭い古文具入れの中に収まっている。少し運命が違えば東独博物館ガラスケース入り豆本の仲間だったかもしれないのに、豆本も数奇な運命を辿っているものだ。

それでも私は冒頭に書いたように、自身が優秀なパトロンになれなかったことを悔いている。続いて欲しいものお金を落とすことの重要さを今までもわかっていたつもりだったが、それでもやはり手を尽くせなかったように思われる。行きたい場所や欲しいものは、それがある内に大切にしなければならない。

重ねて書いておくが、お茶お茶菓子などの応対についてはされた人もされなかった人もいると思うが、そのことで何人たりともお店に文句を言うようなことはあってはいけない。私以上のもてなしをされた素晴らしいパトロンだって居るであろうし、私はそのことを悪いと全く思わない。逆に初めてそこを訪れた人などは相対的に落としたお金が少ないのであるから、もてなしのないこともあるであろう。もてなしは無償ではないし当たり前のものでもない。それが普通だなんて少しも思わない。それらは身に余るような優しさだったと今も思っている。食べ物は消えてしまうが、もてなしを受けたことは消えないので良い。

私は、そして私を含む古文収集家や古雑貨好みの人々はみな、永遠などないことを知っている。東独もソヴィエトもも現代にはないものだ。それでも自らが通った場所現代でなく過去になることは、どうしてこんなに厳しい気持ちになるのだろう。もう終わったもの過去のもの、二度と戻れないものにこんなにも執着し心惹かれながら、自らにとって現代と思われたものが同様になるのをどうしてこんなに悲しく感じるのだろう。

Mitteには現代の品物も置いてあったことを分かった上で述べるが、古文趣味や古雑貨趣味というのは、大きく括ってしまうと、使い終わったもの、行き場をなくしたものに、また新しい行き先を見つけていく趣味なのだと思っている。あの場所から幾多のものの新しい行き先を見出した私は、私たちは、私たち自身の行き場をひとつなくして、一体次はどこへ行くのだろうか。

それでも次の行き先をまたひとつ、そのうち見つけられるのだろう。そうやって集めた行き先の中にまだ何らかの形でMitteがあることを、私は知っている。だからなんてことはない。これは別れの挨拶でもなんでもなくただの思い出話だ。またね。

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