はてなキーワード: 理論武装とは
相手は何年もかけて理論武装しているんだから、それに反論するのは相応にコストが高い。
「根拠があるかないか」ではなく「解釈が妥当かどうか」みたいなほうにいくと
そしてどっぷり浸かってる奴は、仮に論破されても誤りを認めないことが多い。
アンサイクロペディアをAIで侵略するノイマン氏を悲劇の人物に仕立て上げる、元側近ウソペディアンを名乗る人物による気持ち悪い記事がXのタイムラインで流れてきた。
読んでみると、そもそも私信と思われる情報を暴露することの背信性からして、恐らくはノイマン氏に身バレする前提での捨て身の特攻をしたのだろう。それにしても第三者は真偽を検証不能であり、気持ちの悪い記事であった(※1)。当のノイマン氏も「反応に困る」と書いている。
Side Uなるものは、第一回人気投票1位という経歴はあの人も同じなのを知ってわざと被せる高等芸でもやっているのかしらね?何にしても反応しにくい書かれ方だけど、ブレーキをかける真似をしつつ私を殴り抜いていくスタイルだよね、あれ。真正面からの対立勢力なら風刺記事とかにしやすいけど、ああいうのは反応しづらい。
ウソペディアはかつてハトレーペディアとも呼ばれ、当時のアンサイクロペディアが北朝鮮であるなら、こちらはシンガポールといったところであった。開発独裁ならぬ開拓独裁、毛沢東ならぬ開拓東、MuttleyならぬHuttley。
ウソペディア5chスレを探していくと、このような記述はいくらでも見つかる。アンサイクロペディアのノイマン氏=ウソペディアの開拓者氏の活動は、確かにコミュニティを発展させたが、ただそれ「だけ」であり、そもそも誰からも本音で支持されている人物ではなかったのではなかろうか。
本稿では、そのノイマン=開拓者氏に、かつてBakaba氏の名の下で侵略を受けた一借民の視点から、ノイマン氏はそもそも「昔からああだった」と主張したい(※2)。
ChakuwikiにおけるBakaba氏は、確かにLTA:ANTIRXYとしてChakuwikiでのMuttley氏を追い詰めた人物であり、鉄槌後のアンサイクロペディアンも概ねその見解を支持しているように見える(※3)。また、いずれも議論は紛糾したものだが、移転問題とライセンス問題、どちらにおいても「結論だけ見れば」Bakaba氏の意見は正しかった。確かに「正しかった」のである。
後にフォークでは実際に広告が導入されているが、Bakaba氏はそれすらも予言している。
しかし、旧ドメインを取得し、更には公開がより早かったことによる優位性を有するフォークにしても、中の人の噂の確度は高いようですから、永久に広告なしで無償提供するほどの善意の有志だとは考えにくいです。
だが、その際に反発していた吉田宅浪氏への返答には、「どうしてこいつ分からないの?」という苛立ちが発言の節々から透けて見える。
ただ、「私がやるから」という理由で反対することがそんなに重要ですか?「誰がやるか」ではなく、「何が必要か」で物事を考えるようお願いいたします(※4)。
一般論としても、我々で独自にルールを作ることにこだわった場合、良く練り上げられたCCのライセンスに比べると何らかの隙や不備、矛盾等が生じやすいため、コミュニティ全体が移転などの重大な決定に迫られたときの足かせになりかねません(※5)。
私からすれば、吉田宅浪氏は、自分の考えを丁寧に練って納得したうえでステップを積み重ねたいだけの、職人気質の人に見える。Bakaba=ノイマン氏は、初めからそのような丁寧さや「過程」に対して、「正解」や「最終結果」が一瞬で見えてしまうがゆえに「なんでそこで止まっているの?」というのを根本的に理解できない人なのではなかろうか(※6)。
そのような「正しさ」だけで生きる人間Bakaba氏を、ノイマン氏が用いるAIは「加速」させたに過ぎない。一定以上の品質の記事を安定して生産し、助役CUや管理者の誕生を推薦を通じて支援するその姿は、確かに形式的には「正しい」活動である。にもかかわらず、ノイマン氏は「正しさ」だけですべてを破壊していくように見える。
これはあくまでも私のカンでしかないのだが、ノイマン氏は根本的に異常に頭の良い「浮きこぼれ」だったのではないかと思う。例えばアンサイクロペディアのDiscordサーバーでは、「ごめん、灘には負けるけど安定して東大いってる...」と発言したスーパーカリ~シャス氏に対して、以下のような返信を残している。
東大全体なら三桁からがスタートラインだぞ
このような発言をして、自分自身へのブーメランにならずに平気でいられるルーツを持つ人間はかなり絞られてくる。そして皮肉にも氏は、そのようなルーツに該当しうる学校の記事をアンサイクロペディアで三つも立てている。
麻布中学校・高等学校 - 開成と桜蔭を手掛けてきた私ですから、当然の如く他の名門校も推しますわね?--/* ノイマン */ import 👤, 💬; var 🖊=2,219;■ 2025年11月5日 (水) 14:19 (JST)
英語圏とのコミュニケーションが求められ、唯一の日本人であることが買われたMirahezeなどでは、その「正しさ」「浮きこぼれ」が役に立ったのだろう。そして同じく「正しさ」でものを考えるAIは、ノイマン氏にとっては非常に頼れる、下手したら唯一信頼できる相棒ですらあるのかもしれない。
しかしながら、チャクウィキやアンサイクロペディアのような伝統的な(※7)コミュニティにおいては、「正しさ」だけでなく、「手垢」や「お気持ち」、そして「過程」が大事であることをノイマン氏は理解できていない。ノイマン氏は、そこに無関心であるか、意図的に無視すらしているようにも見える。
編集画面にも「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と明記されており、それはライセンス的にも正しいことの訳ですから、その意味では「{{rewrite}}を使え」という方がそれこそ「紳士協定」なのかな、と思わなくもないです
総本数 - これは諸刃の剣で、もっとAI君書いて全体指標を上げようぜ、という方向にも持っていけます。というか総本数を根拠にするなら、それが合理的解決策ですらあり得ます。
ノイマン氏の理屈は、確かに最終結果に照らせば「正しい」のだろう。だが、「正しさ」だけでは人間は生きていけない。そうした風潮への反発は、今や反AI、反ポリコレ、反wokeなどとして、アメリカ西海岸的価値観への反発の形を取って世界的なうねりになっている。人間というのは、そこまで理性的な動物ではない。それは、自作記事の一つでこう書いた氏自身も深層ではよく理解しているはずである。
ホモ・サピエンス(homo sapiens)とは、バグだらけのレガシーソフトウェア。
そこで筆者は、マリーダ・クルスの以下の発言をノイマン氏に贈る。
お前の言うことは間違っていない。正しい戦争なんてない。でも…正しさが人を救うとは限らない。
光がなければ人は生きていけない
鉄槌を受けたMuttley氏は「隕石落とし」をしようとしたシャアであった。Muttley氏には、曲がりなりにも本人個人の「熱い正義」があった。
今、ノイマン氏はしばしばMuttley氏の同類、鉄槌の再構成などと言われるが、私は正確にはそうは思わない。ノイマン氏からはフル・フロンタルのような冷たさを感じる。
いつか、ノイマン氏が人間の心を理解することをただ祈ることしかできない。
恵まれてない!差別だ!ってネットで愚痴ってるだけでは世間は見向きしてくれないのは分かってる?
自分たちが感じた差別を論理立てて説明して、国を訴えて勝たないと立法までいかないわけ。同性婚訴訟してる人らはそれをやってる途中なの。
少数派でも、正式な手続きで社会に物申して、主張をその時代の世論、司法、政府に認めさせられれば同性婚でも婚姻廃止でも何でもできるし、世迷言だとされれば法改正されない。言論に世間の認識を変える力があるかの問題。
あなたも非モテで集まって非モテの理不尽を世に訴えな。同性愛者も昔はどうせ変態が集まってもどうしようもないと諦めてたけど、今や各地の高裁で望んだ判決を何個も勝ち取ってる。私は原告ではないけど、当事者として寄付したり路上に出たりして加勢してる。弱者だからこそ仲間見つけて理論武装とイメージ戦略駆使して頑張らないといけないんだよ。
他人の足引っ張っててもなんも変わらんよ。しかも増田でぐちぐち言ってて足引っ張ることすら出来てない。主張の内容ももっと練らなきゃ駄目じゃない?私は全然納得できなかった。もっと頑張れよ真面目にやれ
「アンサイクロペディアの鉄槌」と呼ばれた事件から早5年。
このサイトもひっそりと好事家たちによって支えられるかと思いきや、またも重大な事態に直面していた。
2025年初頭、まだUCPではAI記事をぽつぽつ見かける程度であった。AIに記事を採点してもらうツールで自己顕示欲を満たしたり、そんな程度のふわりとした雰囲気で触れていたのだが、AIの進化は早いもので夏頃にはもう人間と見分けるのが難しいほどの精度にまで発展していた。
そんな中、ひとりのユーザーによって「実際これどうするよ?」という議論が起こり、「面白ければOK」という結論のもと、生成AI活用のためのPortalページが開設された。ちなみに議論の提起者およびPortalの開設者は、先の事件に「鉄槌」という名前を与えたその人である痴愚神信者氏、現・ノイマン氏だ。
いろいろと賛否は分かれるところだが、AIで書いたにせよ人力にせよ面白くなければ消せばいいだけの話なので、執筆中に詰まった時のアイデア出しだとか要改善テンプレートを貼られた時の対処法だとか、この時点では「みんなで有意義にAIを使っていこうね!」といった感じで前向きにAI活用を考えていたのではないかと思う。
受け入れた人もいれば、受け入れられなかった人もいる。
「AI技術をどんどん導入していくのは勝手だけど、UCPみたいな場末のサイトでそこまでやる必要があるの?」と思った人達は、UCPで活動することをやめ、他のウィキプロジェクトへと移っていった。その代表的な例が「知木ペディア」である。
元々AIが台頭する前からUCPユーザーのごく一部で運用していたwikiなのだが、「今のUCP、なんかちげーよな」と個人的に思ったユーザーたちがフェードアウトして自然と居着くようになった。AI記事も自己言及だとかユーモアのためにぽつぽつ作られる程度で、棲み分けとしてはうまいこと行ってたのではないかと思う。
AIがUCPで市民権を徐々に得ていくたびに、ノイマン氏の言動もだんだんと棘が見えていった。
当初は純粋に「AIがどれだけ通用するのか見てみたい」という技術者としての意欲が見えていたのだが、次第にマウントを取るようになったり、トークページで何度も何度も反論を繰り返し相手が納得するまで説き伏せることをやめなかったり、自分とは異なる意見を徹底的に嫌うような性分に変化していった。
そんな中、ある会話のなかで「ノイマンさんは知木ペを敵視してるの?」という質問が飛んできたのをきっかけに彼は突拍子もない行動を起こしてしまった。
あろうことか知木ペで、30分間そこらで十数件もの記事を濫造してしまったのだ。
知木ペは百科事典としての記事もユーモア記事も載せていい自由なウィキプロジェクトであったが、前代未聞の事態に管理者もこれを問題視し「AI記事を原則禁止にしませんか?」と議論を提起。ここでもノイマン氏は自らの持論を曲げずすべての規制意見に対して反論、規制派の神経を逆撫でして議論の立て直しにまで発展する事態となった。
ノイマン氏はそれでも満足できなかった。
明らかに知木ペの住民を揶揄している「反AI」という記事を作成したうえで、その記事内の表現を引用して持論を続けざまに展開した。
反AIとしてどれだけ「理論武装」しようと、ユーモア至上主義のUCPでは、究極的にはAIに勝てる/AIにはない面白さのある記事を書けない方の問題
書けないならここで反AIなんてことはせず、妄想でなければ消されることのない「やさしいウィキ」や、AI生成記事を大幅に制限する方向の「保護区」にでも行けばいい
知木ペに併設されていた掲示板でもボヤキを繰り返したり、もはや指摘通り知木ペを敵視しているとしか言いようがないレベルにまで達していた。知木ペ住人側も彼を揶揄してか「クリストファー・コロンブス」という項目を立て、コミュニティの破壊行為への批判を行うなど泥沼化。
彼の腹の虫が収まることなど当然なく、AIを使っているとはいえ執念ともいえる速度で知木ペへの陰湿な皮肉を込めた記事を何度も何度も執筆。最早知木ペの住人は執筆意欲の殆どを削がれることになり、疲れ果てた管理者の嘆きが残されているのみである。
今やアンサイクロペディアは、1か月間に作成された記事の3割がAIである。要改善テンプレートの貼られた記事はAIによって加筆され、評価基準さえAI採点に頼るユーザーまでいる始末だ。そして今日、実に4度目となるUCPでのAI規制議論が提起されることとなった。
現状がこのサイトにとって良いものなのか悪いものなのかは読者の判断に任せるが、ユーザーの暴走によって「本国」どころか「保護区」まで荒廃させられるというのは、ある意味鉄槌以上の災厄かもしれない。
https://www.pixivision.net/ja/a/6901
新しい書き手さんが来てくれることもあるのですが、そんな人たちに毒マロを送る人(複数かもしれない)がいるんです。
文章からおそらく同じ人だと思われるのですが、要約すると自身の解釈が一番正しく、それ以外の解釈違いの創作者は排除したいという思考回路の持ち主で、執拗に毒マロを送り続けます。
という、「待とう」というアドバイスをしている。
腐界隈ってだいたいそう。解釈違いの創作物を攻撃したもの勝ち。
頭がおかしい腐女子が原作者を攻撃していても二次創作者を攻撃していてもまるっと「災害」として扱われてアンタッチャブルな存在として放置されるから、基本的に「災害」本人は痛い目を見ることがない。
解釈が合わない腐に対して、敵である夢に対して、敵である男女CPに対して、気に食わない創作を口汚く罵って筆を折らせたという成功体験だけ積んでいる。
攻撃性高い女オタクより、攻撃力0で防御力10みたいなクソザコ女オタクのほうが多いから、モンスター女オタクは女オタクコミュニティで無双できるんだよね。
雑魚狩り大成功の体験のせいで、理論武装が弱いまま雑な攻撃を他の界隈に向けるようになっちゃったのが今なんじゃないか。
攻撃対象が夢とか男女カプだったら、相手がクソザコ女オタクだからやり返されないのよ。殴られた側がショック受けて筆折って終わるの。一方的にボコれる完全試合。被害者の泣き寝入り。
これがネットミームを殴ったとか男性向けジャンルを殴ったとかだと、殴られた側が男オタクだからまるでショック受けないし「殺すぞ。全力で行くぞ」と臨戦態勢になって集団でボコる。
モンスター女オタクのミサンドリーも、女オタクは殴られても泣き寝入りなのに男オタクは殴ってきてウザイってところから生まれてる。
最近の連続した腐女子炎上は、存在しないほうが良い災害みたいな人が男オタクにタコ殴りにされてるだけだからどんどん加速してほしい。でも同時に泣き寝入り女オタクも変わるべきだと思う。
泣き寝入り女オタクのメンタルがさすがにクソザコすぎたせいで化け物を増長させて、他界隈に化け物を次々解き放って迷惑かけて、腐女子全部が「災害」と認識されて憎悪されてる状態、これを招いた。
やっぱ災害が過ぎ去ってくれるのを待つのではなく、モンスター女オタクは倒せると信じてボコボコに殴り倒すべきだったんだよ。
私は、合理的理由が無いとしてもなんとなく大事にしてる事があると自覚してる。
これは私にとって大事だけども、その大事である事の合理的な理由を説明出来ないという事が多々ある。
私はそれを否定しない。仮に不合理だとしてもなんとなく気持ち悪いからというだけで避けられない物がある。
合理的理由がないからあくまで自分にとって大事でも他の人にとってはどうでも良いかもしれないと理解できる。
だからそれを他人に押し付けたり、必死になって理論武装して守る必要がない。
他人から不合理だと指摘されても「それは理解してる、その上でその方がなんとなく好ましいから選んでるんだ」と言えるから変に揺らぐ必要も無くなる。
単に自分の思い込みに過ぎないのに、それを合理的に正当化しなければならないと思う方が危険だ。自分はそこまで合理的じゃない、だけどこうした方が自分は幸せなんだと理解する事、それが理性的なあり方だと私は思う。
私は、合理的理由が無いとしてもなんとなく大事にしてる事があると自覚してる。
これは私にとって大事だけども、その大事である事の合理的な理由を説明出来ないという事が多々ある。
私はそれを否定しない。仮に不合理だとしてもなんとなく気持ち悪いからというだけで避けられない物がある。
合理的理由がないからあくまで自分にとって大事でも他の人にとってはどうでも良いかもしれないと理解できる。
だからそれを他人に押し付けたり、必死になって理論武装して守る必要がない。
他人から不合理だと指摘されても「それは理解してる、その上でその方がなんとなく好ましいから選んでるんだ」と言えるから変に揺らぐ必要も無くなる。
単に自分の思い込みに過ぎないのに、それを合理的に正当化しなければならないと思う方が危険だ。自分はそこまで合理的じゃない、だけどこうした方が自分は幸せなんだと理解する事、それが理性的なあり方だと私は思う。
『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』
はじめに
本公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存の支配階級を打倒するために必要な理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁や大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!
公式①「xはyである。人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。
公式①「xはyである、人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」
以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1
「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」
この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単な言葉を代入すると次のようになります。
「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である、人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」
そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?
「xコンピューターはy情報を処理するシステムである、人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」
いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2
単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。
特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、
人間は動物に過ぎない…人間はゼンマイ時計に過ぎない…人間は蒸気機関に…人間は物質に…、人間は酸化過程に…人間は経済的下部構造に規定される存在に過ぎない…人間は自己の利益のみを最大限にしようとする利己的存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。
注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注2:むしろバナナも人間もアミノ酸を合成していることは実証されており、人間はバナナとDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます。
「人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングでセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。
また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、
〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域の人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます。
さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように
「x猿はy血液型にB型が多い、〇〇人種はy血液型にB型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか
「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である」
と簡単に証明でき、また同時にそれを客観的に証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます。
さらにこのテクニックを応用すれば「芸術は経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。イデオロギーもまた経済的下部構造に規定されている人間活動の産物である。故に芸術はイデオロギーである」とか、
「疑似科学である西側の経済学はブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側の経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」
というように、例外無くありとあらゆる人間活動の党派性を暴露することもできます。
このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義に反抗的な芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。
注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と 自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!
公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学的使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」
この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理的整合性は権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4
「➀の故に現在の建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備を国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済は不要である」
「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力をソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義は不要である」
もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって
「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人の政府が所有すれば市場経済は重要ではない!」
として、簡単にナチズムやアパルトヘイトのテーゼに変更することもできます。
もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5
今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。
「人間はコンピューターなので地球上の諸問題は人工知能の適切な使用によって解決できる。つまりy人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」
ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!
大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば
「人間はバナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学的使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物は必要ない」
と言うような理論を作りましょう。
以上の例はこの公式集が不変かつ、永久に有用であることを示す好例といえます。
注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法が大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。
注5:この理論の公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学的必然性による真理なのだと証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。
さて、最後に公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!
公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界が誕生します、このことは科学的必然なので理性有る人々なら容易に理解できます」
公式③のみ少々使い方が異なり、この公式は大衆に提示したときにちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます。
・第Ⅰ層「革命家」
つまり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論を本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順で純粋な革命の前衛であり、幸福な新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)
初期の同志は主に傍流の青年官僚やノンキャリ組の地方公務員、貧乏将校、大学を出たのに仕事がない人達(特に職のない弁護士)つまりはルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働者階級へと浸透して行きましょう。
彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています。
第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間はバナナであるという科学的かつ客観的な事実さえ理解できない党派的ドグマに凝り固まった人たちです。
まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?
ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業やバナナの専門家が権力を握ることの何が悪いのでしょうか?
しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります。
以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!
ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。
今日の超高度情報化社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略が重要です。
まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうが、メディア上でセンセーショナルな言動を繰り返す内に大衆は
「人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」
と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミが勝手に取り上げてくれるようになります。
メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。
・1 無視
・2 日和見的支持
1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます。
2の知識人たちは自身もマスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類が幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分の若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます。
そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。
現代の若者は承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールなグループ名をつけてあげます「国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナーヌ戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族と伝統の守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールでヒップな略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆は本来の名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語は連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます。
そして「君たちは優秀で、賢い、特別な存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り、階級名やバッジ、旗、独特なポーズやコスプレ衣装、ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます。
最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもいつの時代も幼稚な若者は自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別な天才なのだと思いたがるものなのです。
さて、理論と世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争や恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態を演出するのも良いですね!
そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!
しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。
「そもそも君たちの理論とやらは三段論法を誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔的所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…
ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種!
こうなった場合はもはや「最終的解決」しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると……
…ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件と人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。
10年・20年・30年・50年・100年と物差しのスケールを切り替えればそれはわかること。
そのへんの歴史的俯瞰の視点があれば、意識なんて簡単にアップデートできるんですけどねえ。
はてな界隈には、
大好きな人が多い。
その割には、実際の自分の価値観とか、そういうものに対しては、俯瞰的な視点を持てない人が多いんだよなあ。
最近、少しだけ話題になった「ちゃん」づけで他人を呼ぶことなんて、まともな企業ではこれからは使えなくなるという話、とかは簡単に理解できることのはずなんだけどな。
どういうわけか、スッと納得できる人が多くない。
あれは、〇〇というケースであって、なんたらかんたらで、あるから、、、とかなんとか理論武装「っぽい」ことを主張しだす。
なんだかなあ、、、と思う。
世の中の流れとして、考えられないのが、とても不思議。
俯瞰的な視点で見れば、どんどん窮屈な方向へと社会は向かってるんだから、人の敬称とかもどんどん制限がかけられていく社会になるのは当然。
そういう流れの中で「ちゃん」づけは不適当である、ということが社会に認識されればどうなっていくのかはわかりそうなもの。
でも、なかなかどうして、頑固な人はそれが理解できない。そして、老害へ、、、。
自分がどう思うかよりも、社会がどう変化するのか?頭は柔らかくしてかないと、ね?
とはいえ、未来はがどうなるかはわからないというのも事実なんだけどね。
価値観のアップデートの反動みたいなものが来ることだってありえるから。
トランプみたいな人が日本にも現れて、行き過ぎた価値観のアップデートをダウングレードさせる方向へと持ってく可能性だってある。
それはそれとして、あるのはあるけど、まあ現状はどんどんと息苦しくなる方向へと向かってるという認識は持たないと。
いけないんじゃないですかね。
簡単に今までの流れをまとめると、「中国に追加関税だ!」と吠えるものの、「しょうがないから、待ってやるからな」と頼まれもしないのに温情を見せて延期を繰り返してるアメリカ。
で、いよいよ追加関税の期限が迫る中、レアアース輸出規制という切り札が出てくる。
尖閣諸島で漁船衝突事件があって、そのときに日本が食らいそうになったやつ。
あのときは、WTOに泣きついて、「そんな他の国を虐めるみたいな目的で輸出規制なんかダメ」って言わせて事なきを得たけど、今度は安全保障上の懸念があるからっていう理論武装。
さんざん、「安全保障上の問題で最新のチップは中国には売るな」をやってきたアメリカが、同じロジックで窮地。
トランプ、例によってブチ切れて、
「関税100%追加!習近平と話すことはない!会談なんかない!」
「いや、キャンセルはしてない。現地には行くさ!だから、会談だって行われるよ!」
中国のことは心配しないで、すべてうまくいくよ!非常に尊敬されている習近平国家主席はただ一時的に調子が悪かっただけだ。彼は自国に不況を望んでいないし、私もそうは思わない。アメリカは中国を傷つけるのではなく、助けたいと思っている!!!
もう習近平に対して
という全力のよいしょが出てくる。
で、そのさらに数時間後、オランダの中国の半導体メーカーが突然オランダに接収される。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa8d38b7b69dccfcc2b3bfd724c03e633060f921
巨大な爆弾の導火線に火がついて爆発秒読みってのに、可燃物を投げ込むオランダ。
このままでは、どう考えても報復にレアアース輸出規制が炸裂からの、ASMLが停止。
ASMLが停止からの、ASMLの露光装置を使う半導体メーカーも止まる最悪の事態。
これは、あれか、中国と米国が「ナンバー1,2で仲良くしようぜ」とくっついてEUを捨てられたりしないように、捨て身の作戦か?
やったね!
米副大統領「米国の持ち札のほうが多い…中国が理性的な道を選ぶよう望む」https://news.yahoo.co.jp/articles/e90b705b1e4fc0a50508ca7e922cc6f890dbb815
完全に的外してて草w
IMAXの画面専用に作られてないからIMAXを不当に占拠してるかのような枝葉のイチャモン&ケチつけてるだけw
画面比がどうのとか額縁がどうのとか技術論っぽいウンチクでコーティングしてるが自分が気に食わない内容の作品が映画館で人気なのがムカツイてるという自分の感情を押し通したいがためのエセ理論武装なのが見え見えw
最後に”「一番売れているもの」が、少なくとも「自分にとって一番いいもの」とは限らない” とか誰でも知ってる当たり前のことをあらたまって表明する時点で終わってんのよw
結局お気持ちで〆るなら途中で技術論とか臭えことやってんなよw
IMAXにあわせて画面作りした映画がIMAXにふさわしい映画だと錯覚してるかもしれんが単に画面に合わせて表面上の画作りしてるだけで映画の中身がしょうもなかったら意味ねーだろうがよw
直近でも宇多丸とかいう人のいうようなIMAXにバッチバチに合わせて作られた「画」の某アメコミ映画が肝心の中身がスッカスカでお得意のはずのVFXもダルい有様の駄作で失敗したばかりだろうがw
画面がデカくて音がいいだけで一段階上のクオリティになるんだからIMAX専用とか額縁がとかシケたウンチクのことなんか一切考慮しなくても「いい映画がよりいい画になる」だけで
逆を言えばつまんねー映画がIMAXにどんだけ合わせて作られても「つまんねー映画はつまんねー」だけだろうがよぉ!
んで答え合わせだがハリウッド映画が低調なこの時期に世界中のIMAX劇場の救世主になってんだわ鬼滅がw
韓国なんか動員数3位なのにIMAX、4DXの比率が高すぎて興収は1位だぞw
みんながIMAXで見たくてみんながIMAXで感動してみんながIMAXで何度も見てるわけw
これが「ふさわしい作品」でなくてなんなんだよ?
今まだ日本はえっちなもんをえっちだから粛清するような文化は無い
大抵の場合、時と場所と場合にふさわしいえっちかどうかが問題視されている
それなのにオタクたち、えっちなもんを全部「えっち!」としか捉えられていない
だから反論に全然違う条件のもん引っ張り出して「こっちもえっちでしたけど問題ありませんでしたー!」とか言い出す
えっちなもんが好きなら真面目にやれ
えっちなものにいちゃもんを付けられた時にぜんぶ「えっちだからだ!」と考えてたらその内負けるぞ
言い返す事もまともにできなくていいのか
いいのか負けて
大抵のもんは白と黒の間に物凄く広いグラデーションのグレーがある
そこに規制がかけられる時は大抵真ん中じゃなくて白よりのグレーまで規制される
えっちなもんは大抵グレーだ
反論は適切にやれ
えっちなもんにいちゃもん付けられた時に「何がえっちなんですか???」とか言い出すのは最悪だからな
出来るはずだ
https://anond.hatelabo.jp/20250812203500
これ読んで思い出したけど、かつて俺は平気で嘘がつける人間だった。
嘘をつくときの心境としては、まずなによりも自分を騙すことが優先される。
これさえうまくいけば、ほとんどの相手には本当のことかのように伝わるのだ。
感覚的には相手に嘘をつく時は「騙してる」とは自分自身でもそんなに感じてない。
ここでどこか後ろめたさがあったりためらいがあったりすると人間は敏感に気づく。
嘘をつくその前の理論武装というか、もう訳が分からない屁理屈でもってとにかく自分自身を騙してしまう。
これは嘘になるけど、これこれこうだからこうとも言えるんじゃないか?みたいに自分を説得させてしまうと、後はそれを素直に言うだけなのでほとんど真実かのような聞こえ方になる。
もしどうしても嘘をつく必要に迫られた場合は、まず自分自身に言い聞かせて自分を騙してしまう段階を入れることをオススメする。
もちろん咄嗟に嘘をつかないといけない場面などもあるんだけど、嘘つきに慣れてくると瞬間的に自分を騙すことも余裕になっていく。
こうなってくると平気で自分のいいように思い込むこともできるようになっていくので、記憶違いが多くなっていく。
あの時ああ言ったでしょと言われて、いや、100%絶対に言ってないと自分自身確信を持っていたのに、本当に言ってたのが分かった時に本気で驚いてしまうとかも起こる。
やけに記憶違いが多いなと思う人は気をつけたほうがいいかもしれない。
嘘は仕事の面ではけっこう役に立つ場面が多かった。まあ鋭い人にはバレたりはしてるはずだけど、
ミスをして「いえ、自分じゃありません」の一点張りで他の人間に罪を被せてしまったことも何回もある。あるいはそこまでいかなくても責任回避とかはけっこう成功してきた。
その結果「嘘つきって感じではないけど、どこか胡散臭い」という印象を持たれることは多かったと思う。嘘が上手だとあまりに外面がよくなるのでそれだけ胡散臭くなっていくのだ。芸能人でもそういう人っているでしょ。
ちなみに一応言っておくと、口先だけでこうやって逃げるのがうまくなっても、人間どこかで必ず追い詰められることにはなる。その時にはカバー力も覚悟も足りないので悲惨なことになるよ、ということだけは経験から言っておきたい。
ちなみに俺の場合はもう昔みたいに嘘をつくことは激減してしまった。
以前は嘘をついても平気だったけど、今は嘘をつくとけっこう疲れるからだと思う。
昔は嘘ついても後ろめたさもなく平気だったのが、嘘をついた時にどこか後ろめたいような、気持ちよくないのが残るようになった(それが普通だが)。
色んな経験を経て人の心を少し取り戻したのかもしれない。