はてなキーワード: 闘争心とは
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか/つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者 原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
(当エントリー)
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
https://anond.hatelabo.jp/20250512013959
https://anond.hatelabo.jp/20250512014700
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
第一の目標が「メダリストという神漫画について正しく知ってほしい」であるため、
正直、「メダリスト」について何も知らない人であればここだけ読んでもらえたら御の字である。
(女子同士の戦い、という意味で既にBLとは対極にある感じの漫画である)
スケーターとして大成せず、氷上に乗る運命から弾かれた男「明浦路司」と、スケーターに憧れるものの学校生活での要領の悪さとそれに裏づけされた低い自己肯定感によって、氷上に乗る運命からまさに弾かれようとしている少女「結束いのり」。
・・・という序盤部分の理解は、原作を読むのが一番なので、ぜひ読んでいただきたい。
アニメ化の効果もあって、充分な範囲での無料公開は各所で実施されているだろうが、ひとまず下記にイチオシのコミックDAYSのリンクを貼っておく。
(普段アプリで閲覧しているためブラウザ版の仕様には明るくないが、コミックDAYSでは「単行本を買うとその収録話の連載版も無料で読めるようになる」という神仕様があるためオススメしたい。連載版が読めると言うことは、柱の作者コメントも煽り文も読めるということだ。神仕様すぎる。)
氷上の運命から弾かれていたはずの二人が出会い、二人三脚でスケート人生を爆速で邁進していく。
その中で次々と出会う魅力的なライバルたち。様々なコーチの思想。
成功と失敗。運も実力のうちなんて言葉が頻繁に出てくるほど厳しく冷たい氷の上でのヒリつく演技。
緊張感の中でバチバチに闘志を燃やしながら戦う少女たちの物語。こんなの面白くないわけがない!
スポーツものが好きな人、闘志を燃やしまくる激アツ少女が好きな人、そして子供を見守る真っ当な大人が好きな人には特にオススメしたい漫画である。
(本当は米津玄師同様全人類読めと言いたいところではある。全人類に読んでほしい。)
作中で「フィギュアスケートは奇跡を見守るスポーツなんだ」という名言があるが、この作品内での表現はまさにこの言葉に沿ったものとなっており、読者も作中の観客の一部になったと錯覚するほどに熱中させてくれる。
緊張感の中、ふいに視界が開けたように見開きいっぱいに描かれる圧巻の演技に目を奪われる体験はなんとも素晴らしい。
たくさんの努力の思い出、コーチとの約束、譲れない信念・・・様々なものを抱えながらのスピード感ある助走!という盛り上げから、ページをめくると無情にも「バタン」と転倒する選手の姿が目に飛び込んでくることもある。
この時の肝の冷えようったらない。しかしすぐさまリカバリーのことを考え立ち上がる選手の直向きさに胸を打たれ、次の奇跡を見届けようとまた熱中する。
こういった演出による緩急の作り方がとんでもなく上手いので、どの大会も何度でも読み返したくなる。結末を知っているはずなのに、手に汗握りながら読み返してしまうこともあるほどだ。
このシンプルな漫画の技量で殴られる体験は一度存分に浴びていただきたい。
そして当然、氷の外で各選手とコーチが織りなす人間ドラマも大きな魅力である。
これに関しては語りたいことが溢れてしまうので、
主人公であるいのりと司、そしてそのライバルでありラスボスである天才少女「狼嵜光」とそのコーチである伝説の金メダリスト「夜鷹純」に絞って語らせてもらおうと思う。
司は自身の後悔を元にした「しくじり先生」的な姿勢で、いのりとの夢を叶えるために丁寧に道を示しながら、一人の人間として尊重し大事な局面では彼女自身が選択できるように導いていく。
熱意の強さ故に周囲が見えなくなってしまうこともあるいのりにとって、これ以上ない指導者である。
そして何より、いのりがいつか夢を叶えると信じ続けその成長をいつも全力で褒めちぎる司は、技術面や戦略だけでなく精神面においてもいのりにとって欠かせない支柱となっていくのだ。
司にとってもまた、いのりは新たな夢という希望だ。かつての夢の傷跡を抱える司に、いのりは無垢な救いを与えていく。
それはいのり自身の成功という形での返報であったり、何気なく発された一言による圧倒的な肯定であったりする。
もちろんそんなキラキラした側面だけでなく、司が何か無理して自分に色々与えているのではないかといういのりの不安や、いのりを勝たせられず不甲斐なさを抱いてしまう司の焦りなど、ほろ苦い部分もある。
コーチとして、選手として互いに成長途中だからこそ生まれるドラマには幾度となく涙を流させられた。
一方の夜鷹と光は、さながら野生動物のような厳しい師弟関係だ。
出場した大会ではすべて金を獲り20歳という若さで引退した伝説のメダリスト、夜鷹。
彼の指導は、己の手で正解を導き出しその最適解のために犠牲を払うことを是とした、己を追い込む厳しいオールドスタイルである。
そんな夜鷹の現状唯一のモノローグが存在するのが、光との出会いを描いた以下の短編である。
スケートをする様子を見ることもなく、その姿を見ただけで自分が何もしなくても日の下に引っ張り出されると思うほどの素質を感じる少女を相手に、夜鷹が関わることを選んだ理由。
加えて生活面のフォローを親友の慎一郎に任せ、数奇な運命を辿る孤児であった光に温かい家庭を与えた真意。
それらは不明のままであるものの、そこには確かに、子供に関わる大人としての情を感じる。
夜鷹の真意がわかりづらくなっている原因は、光が「信頼できない語り手」として機能していることもある。
score47やscore52で垣間見えるように、光は夜鷹の厳しさを誇張して捉えてしまう節がある。
あまりにも口下手な師匠と、周囲の顔色を伺うあまり空回ることもある弟子とのすれ違い。
隠された真意という好奇心くすぐる要素。少しずつ明かされる二人の過去の中に見え隠れする献身と愛に、なかなか辿り着けないもどかしさ。さながらミステリーでも読んでいるかのような魅力がこの師弟の間にはある。
この二人の間にはどんな絆があるんだ?という疑問の果てに辿り着く、積み重ねられた年月の中に確かにあった師弟愛を前に号泣必至である。
加えて、この二組の師弟の対比構造が物語を通して綺麗に描かれているのも読んでいて気持ちがいいポイントだ。共に強くあろうとする生き方を提案していく師弟、己と向き合い強くあれるような生き方を伝授する師弟。
個人的に、両師弟の対比がとても綺麗に可視化されているのがscore34の扉絵である。構成を示すジャンプのカードがそれぞれ誰の手にあるのかに注目してもらいたい。最高の表現だ!
いずれ運命の舞台で雌雄を決するその瞬間が待ち遠しいような、いつまでも来てほしくないような、たまらない気持ちになる。
選手はコーチの思いに応えるためというだけではなく、ライバル選手への闘志という熱も抱きつつ滑走する。この熱こそが、予想できない氷上のドラマを生み出すのだ。
いのりと光は公式で「運命のライバル」と称されるほどの関係だ。
偶然の出会いから、いのりは同世代最強の存在である光に憧れと闘争心を滾らせ、一方の光も初心者でありながら自分に負けたくないと豪語するいのりの熱意に惹かれていく。
時に輝き時に真っ黒に焦がされる少女同士の感情のぶつけ合いの迫力は筆舌に尽くし難い。
だいぶ掻い摘んだつもりでもこれだけ長々と書いてしまうほどの魅力がこの漫画にある。
・圧巻の技量で描かれる手に汗握る滑走の数々
↑こういった文言で何かのアンテナが反応した人たちにはぜひ読んでほしい。
繰り返すがコミックDAYSなら単行本を買うと連載版も無料で読めるようになるのでオススメである。単行本の本体表紙&裏表紙(いわゆるカバー裏)のおまけもバッチリ読める!
セルマが自分の無実を証明しようとしなかった理由は、彼女の性格や価値観、そして状況に対する深い心理的・道徳的な葛藤に基づいています。以下に、その理由をいくつか考察してみます。
セルマにとって最も重要なことは、息子のジーンが視力を失う前に手術を受けられるようにすることでした。彼女が貯めていたお金は、その手術費用に充てるためのものであり、彼女の人生そのものがジーンの未来のために捧げられていました。裁判でビルの死の真相や貯金の目的を明かせば、確かに彼女の罪が軽減される可能性はあったかもしれません。しかし、それによって貯金の存在が公になり、没収されたり使えなくなったりするリスクを彼女は恐れた可能性があります。セルマは、自分の命よりもジーンの視力を優先したのです。
セルマは非常に純粋で自己犠牲的な性格として描かれています。ビルを殺したのは、彼がセルマに「自分を撃て」と懇願した結果であり、彼女に積極的な殺意があったわけではありません。それでも、彼女は人を殺してしまったという事実に対して深い罪悪感を抱いていたと考えられます。この罪悪感が、彼女に「罰を受けるべきだ」という思いを抱かせ、自分の無実を主張する動機を奪ったのかもしれません。彼女は、自分が苦しむことで何かを償おうとした可能性があります。
セルマは現実の過酷さに耐えるため、ミュージカルの幻想に逃げ込む癖があります。裁判の過程でも、彼女は現実と向き合うよりも、内なる空想の世界で心を保とうとしていました。自分の無実を証明するためには、ビルとの争いの詳細を説明し、闘う姿勢を見せる必要がありました。しかし、セルマはそのような闘争心や現実的な自己弁護よりも、精神的な逃避を選んだのです。彼女にとって、真実を主張することよりも、ジーンの手術が実現することの方が重要だったのかもしれません。
セルマは移民であり、社会的に弱い立場にあります。彼女の弁護士が無能だったこともあり、アメリカの司法制度が自分を正しく裁いてくれるという希望をあまり持っていなかった可能性があります。実際に、裁判では彼女の背景や動機が十分に考慮されず、死刑判決が下されてしまいます。こうした状況の中で、セルマは自分の声を上げることに意味を見出せず、黙って運命を受け入れたのかもしれません。
セルマ自身が積極的に自己弁護しようとしなかったことは確かですが、それを差し引いても弁護士の対応には問題があったと考えられる点がいくつかあります。以下に、具体的な視点からその無能さを考察します。
セルマがビルを殺した状況には、明らかな情状酌量の余地がありました。ビルはセルマのお金を盗もうとし、争いの末に自分で負傷し、彼女に「自分を殺してくれ」と懇願したのです。この一連の出来事は、セルマに殺意がなかったことや、むしろ彼女が追い詰められた被害者であることを示しています。しかし、裁判でこの背景が十分に提示された形跡はありません。弁護士がセルマから詳細な証言を引き出し、ビルの行動や動機を明らかにする努力を怠った可能性が高いです。セルマが話したがらないとしても、有能な弁護士なら彼女の心理状態や状況を考慮し、積極的に真相を掘り下げるべきでした。
セルマが貯金をしていた理由——息子ジーンの眼病治療のため——は、彼女の行動を理解する上で極めて重要な要素です。この事実を裁判で強調していれば、陪審員や裁判官にセルマの人間性や母親としての献身を示し、殺人に至った動機が利己的でないことを訴えられたはずです。しかし、映画ではそのような弁護が展開された様子は描かれておらず、弁護士がこの点を効果的に活用できなかったことがうかがえます。セルマが黙秘したとしても、弁護士が彼女の生活環境や医療記録などを調査し、証拠として提出する努力をしていれば、判決に影響を与えられた可能性があります。
死刑判決という極端な結果に至ったことから、弁護士が効果的な弁護戦略を立てられなかったことは明らかです。例えば、セルマの精神状態(視力の喪失によるストレスや絶望)、ビルの自殺的行動、セルマの移民としての社会的弱者性などを強調し、殺意の不存在や過失致死の可能性を主張する戦略が考えられたはずです。しかし、裁判の描写では、こうした弁護が十分に行われた様子はなく、弁護士が単に形式的な手続きを踏むだけで終わったように見えます。これは、セルマの協力不足を差し引いても、弁護士としての能力不足を示しています。
セルマは自己犠牲的で、息子の将来を守るために真実を隠そうとする傾向がありました。有能な弁護士なら、彼女のこの性格を見抜き、彼女が話さない部分を補う形で弁護を進めることができたはずです。例えば、セルマが黙秘する理由を推測し、彼女の立場を代弁する形で裁判に臨むことも可能だったでしょう。しかし、弁護士はセルマの心理状態を深く理解しようとせず、彼女の沈黙をそのまま受け入れてしまったように見えます。これも、無能さの一つの表れと言えます。
キャシーの関与: キャシーはセルマの親友であり、工場で一緒に働く同僚でもあります。裁判の過程で、キャシーがセルマの性格や普段の生活態度を証言するなど、彼女の人間性を陪審員に伝える努力をしたことが示唆されます。セルマが利己的な動機で殺人を犯すような人物でないことを強調しようとした可能性があります。
感情的なサポート: キャシーは裁判中やその前後もセルマのそばに寄り添い、彼女を励まし続けます。セルマが自分の無実を主張しない態度に苛立ちながらも、彼女を理解しようとする姿勢が見られます。
手術費用の代替案: セルマが貯めていたお金が裁判や没収で失われる危機に瀕したとき、キャシーを含む友人たちが、ジーンの手術費用を何とか確保しようと動いた可能性があります。映画では直接的な描写はありませんが、キャシーがセルマの目的(ジーンの視力回復)を理解していたことから、彼女が他の支援者と協力して資金集めを試みたことが想像できます。
弁護士への圧力: セルマの弁護士が無能だったため、キャシーや他の支援者がより有能な弁護人を雇うための資金や支援を模索した可能性もあります。しかし、セルマの経済的・社会的な立場が弱く、また時間が限られていたため、この努力は実を結ばなかったようです。
真実を話すよう説得: キャシーは、セルマがビルの死の真相や貯金の目的を隠していることに気づいており、彼女に裁判で正直に話すよう強く勧めます。セルマが黙秘を貫く中、キャシーは何度も感情的に訴えかけ、彼女の命を救うために自己犠牲的な態度を変えさせようとします。この説得は、セルマの頑なな姿勢によって失敗に終わりますが、キャシーの必死さが伝わる場面です。
精神的な支え: 刑務所に収監された後も、キャシーは面会に訪れ、セルマが孤独や絶望に完全に飲み込まれないよう支え続けます。彼女の存在は、セルマにとって現実と向き合う最後のつながりでもありました。
死刑執行の阻止: 映画のクライマックスに近づくにつれ、キャシーや支援者たちが死刑判決を覆すための最終的な訴えや嘆願を行った可能性があります。例えば、知事への恩赦嘆願や、法的な再審請求を試みたかもしれません。しかし、映画ではこうした努力が実らず、時間切れでセルマの処刑が実行される様子が描かれています。
ジーンの手術の保証: セルマが最も望んでいたジーンの手術が実現したことを伝えるため、キャシーが医師や関係者と連絡を取り、手術が実行されたことを確認した場面があります。これは、セルマの死を無駄にしないための具体的な行動であり、彼女が安心して逝けるよう最後の努力を果たしたと言えます。
映画では、キャシーや支援者の行動が細かく描写されるよりも、セルマの内面的な葛藤やミュージカルの幻想に焦点が当てられています。そのため、彼らの具体的な行動は断片的にしか示されず、観客にその努力の徒労感や無力感を印象づける演出が優先されています。ラース・フォン・トリアー監督のスタイルとして、登場人物の善意や努力が報われない悲劇性を強調することが意図されており、キャシーたちの奔走もその一環として描かれているのです。
転職して割と間もないけど、ばいばいベンチャー!!!!!!!!!!
ベンチャー本当向いてない、利益追求とか売上伸ばすとか、それはまぁいいが競争心とか闘争心とかはなから無いから、ノルマのために頑張るぞみたいなの自分の意識から全然出てこない。ノルマ達成しないとささやかなやりたいことも出来ない。いやそんな、ノルマ達成のために泥沼ベンチャー入るつもりなかったんだよな。内定を貰って受けた俺の見通しが甘すぎた。
組織内はすっかりギスギスして、というか疑心暗鬼で、出社しても誰も愚痴らないし、リモートなら余計に仕事以外の話はしない。個別に飲み会なんかするとポツポツ話されるが、誰がいつチクるか分かったもんじゃない。社内チャットでキラキラ交わされる合言葉は、「ポジティブ」「爆速」「アンラーニング」!
不定期に「自分/プロジェクトの良くないところ」を挙げたうえで「しかし組織の考え方を改めて捉え直して成功させました!」と発表させる会が行われる。情報統制。環境操作。マインドコントロールしてるつもりでじわじわ下がるエンゲージメント。結果が優先、エンゲージメントは後、って言っても言うほど結果出てないんだよな。
勤めたことのあるベンチャーの中でもダントツにノリが険しかった。裁量もなければ報酬も高くない。上位レイヤーは事業創出ごっこでキャッキャして遊んでる。人材開発? 自己研鑽をしない「他責思考」のやつに得られるスキルやマインドセットはないから。ノルマ達成できないのは自責思考が出来ないお前のせい。ノルマ達成のための商談・獲得はお前のコミットメントじゃねーから口出さないで黙って爆速で成長。
いやーもうベンチャーは懲りたんで、JTCに転職キメた。さよなら「熱量」、さよなら「圧倒的成長」、さよなら「裁量なき責任感」。この組織にいた事、秒で忘れます。ばいばい。
いや学歴は関係ない。闘争心を煽られるゲームデザインで、敵や味方の動きが自分の成績やストレスに直結してくるもんだから、どんな人間でも攻撃的な感情を喚起される。
習慣的にそういう脳の使い方をしていたら、5ちゃんや増田を続けてると他人をこき下ろす思考回路が染み付いて口が悪くなるのと同様、誰でも野蛮な言動をするようになる。
知能や理性の力というのは、長期間をかけて繰り返し強化される脳の回路には敵わない。
どちらかというと高知能な人ほど、複雑ながら状況を自分で完全にコントロールすることが理論上可能なシングルプレイゲームのほうを好みやすいだろう。
娯楽としてもそうであるほうが好ましい。
実家はバスもスクールバスくらいしか通ってないし最寄駅にも徒歩だと山超えて1時間以上かかる田舎にあって、車がないと市街地にも学校にもいけない土地なんだけど、中学生のころは平日家族の大人がみんな働きにでてたから送迎できる人がいなくて、放課後塾に通うとかできなかったんだよね。学校と家の間に塾あるわけでもないし。そもそも部活強制で時間もなかったし。
苦手科目はまあまあ危うい感じだったから、2年生の秋ころから受験を見据えて週2でうちに通いの家庭教師をつけてもらえた。
家庭教師は同性の大学生で、仲良くなったから喜んでもらいたかったのと、わからなければ頼れる人がいる安心感でのびのび勉強できるようになって成績はわかりやすく伸びた。ぶっちゃけそんなに教えるの上手くはなかった気がしたけど自分を一対一でじっくり見てくれる大人がいることで気持ちが安定したのがすごく大きかった。それだけで集中力って上がるんだなって知った。
でもその人はバイト色々掛け持ちしてたのと卒論準備や就活でで忙しくなって、親も交えて相談した結果、長期休みはその人がバイトで事務してた隣の大きな市(実家があるのはそのベットタウン的な土地)の塾の講習に通い、学校のある平日は今まで通り家庭教師に来てもらうことになった。教材のテキストがわかりやすいからとおすすめされた。テキスト目当てだった。
家庭教師をつけてもらえただけで恵まれていたけど親曰く家庭教師はツテで比較的安価な料金で雇えていたのに対して、その塾は市内の塾では1番高くて有名だったから反抗期のといえど元をとらなければ申し訳ないというのもプレッシャーになったし、9割以上市内の中学校の子が通う塾だったからわざわざ友達を作ったりつるむ気もなく勉強だけに集中できた。まあその市内の子たちも休み時間もしゃべらず勉強する子たちが殆どだった。授業の後とかはパラパラ会話してるみたいだったけど。あと普通に市内の中学生たちのことは漠然と怖かったから恐怖を振り払うために孤高ぶって静かに闘争心を燃やして強がってた。実際はみんな勉強するために来てていい意味で他人に関心持ってなかったけど。勉強にやる気なかった2年の中盤までのパッとしない内申点の分も本番で点を取れるようならないといけない焦りと、塾代の元を取らねばというプレッシャーと、都会者に囲まれた緊張感と
少し前に転職をした。
同じタイミングで中途採用をされた人が複数人いるのだが、そのうちの1人のことをものすごく見下してしまう。
その同期はの第一印象は過剰にハキハキした高い声で喋る芋オタク女だな、であり、私が苦手なタイプの人間だったからだ。
あとショタコン腐女子らしいのも、なんだか個人的に苦手さに拍車をかけていた。
元気な挨拶、きびきびとした応対でしか企業への忠誠心を示せないので、
(もちろん根暗無能なため、態度や返事だけが良く内実が伴わない)
彼女がそういう感じに収束するのはわからないでもないのだが、どうしても無理だ。多分同族嫌悪なんだと思う。
妙に私と競おうとしてくるところも嫌だ。
1度、かかってきた電話を2、3コール目で取ろうと手を伸ばした時、
向かいに座るその同期が(私側にある)受話器をひったくって出たことがあり、けっこう引いた。
とはいえ、ここに関しては私側が先に、無自覚に闘争心を発動させている可能性があり、私側が原因である可能性も高い。
最初は嫌悪感を隠すため、過剰に下手にでたのも失敗だったかもしれない。
他にもいくつか仕事上の出来事があり、最近は強くイライラするようになってしまった。
自分では抑えているつもりだが、当人含め多分周りは察していると思う。
服飾規定がないため、普段すっぴん前髪なしひっつめひとつ結び、パーカーなのはまだわかる。
飲み会の時、上記の通りの地味な服装+女児が使うようなビタミンカラーのヘアゴムでのひとつむすびで登場し、
と、いう感じなのに「ここのネイルいいですよ」とオタク御用達っぽいネイルサロンを紹介された。
自分自身だってあか抜けない方のオタクである自覚がずっとあり、
もがいた過去があるから同族嫌悪で彼女にイライラしてしまうのだろうか?
でも、もう一人の同期も簡単なひとつ結びにジャージ、すっぴん眼鏡で出勤しているオタクなのだが、
彼女にはまったく嫌な気持ちはせず、もっと仲良くなりたいとさえ思うのだ。
苦手な同期がまっとうなことを言っていても、正しい仕事の依頼や修正指示であっても、