はてなキーワード: 理工系とは
※選定基準は知名度の高さや信頼されているとかの順ではない。バリエーション重視で界隈を広くカバーできるいろんなタイプのアカウントを並べた。あげたいけどキャラ被るアカウントとかもある
※見て参考になるアカウント重視。ツイートのほとんどがテレビドラマの実況とかお料理やファッションの写真みたいな人は避けた
※ カッコ内はXのID名
※合流にともなってどう振る舞うかはよくわかりません。支持やめちゃう人もいるかもしれないが恨みっこなしで
スクリーンネームは住まいが青梅だからではなくネットミーム。由来を興味があるなら調べても良いけどあまり良い結果にはならないと思う。特に婦人部のみなさんは。バンカラと言えば聞こえはいいがかなり汚言の傾向があるので、嫌な人は積極的に見ない方が良い。
このアカウントのほかにも旧立憲の支持者は国会クラスタが多いのが特徴。実況するテーマや住んでいる地元議員との交流などが人によって異なっていてバリエーションに富むので、自分にあった人を探してみてもよいかもしれません。
政治に対する視線が平均的な中年男性のそれなので、ある意味非常にわかりやすい。新聞の政治欄とかが大好きな人向け。
平均的な中年男性の物言いしかできないので、ネットでまでそういう人に関わりたくない(特にマイノリティ属性持ちの)人はリポストされたバズツイ以外見ない方が精神衛生上良いです。
この人に限らず、左寄り支持者はたいていそういう思想を持つようになった相応の理由があるので、社会政策についての発言とかいちいちうるさくて鬱陶しいかもしれないけどそこはちゃんと尊重した方が良いです。
いろいろな政治家の特筆すべきポストをよくリポストしているので、追うと参考になる。こういうタイプのアカウントもスタンス違いでたくさんあるので、いくつかチェックしておくと最近の党内での話題をおさえておくのに便利。
あと表現規制反対派に関するニュースもここ。と言われてもなんのことやら面食らうかもだが、旧立憲の中には表現規制反対をめぐる対立する2派閥がありかなり仲が悪い。そのうちに嫌でもわかると思う。
ネット上の議論は無駄と考えているらしく、発言を批判的に言及したいときにスクショ使ってくる(=こっちに連絡が来ない)。こっちからは知る術ないので、嫌な人は先行ブロック推奨。
この人も本業はどこかの大学の先生らしいがこっちは歴史学者らしい。文理そろって二次元アイコンかよ・・・
専門は政治史みたいな方面のようで、政治に関するポストにも知識がつながっているのでこちらもためになる知識が増える。口はそんなに悪くない。政治スタンスは真ん中に近い。
年齢も35になって、両親も恋人はいないのか、結婚する予定はないのかと世間話をしてくる。
別にその圧には悩んでいないけど、
ふと気がついたら、大学を卒業してから10年以上も女性と新しく知り合ってないことにびっくりした。
友達のコミュニティメンバーは大学時代からずっと変わらない。コミュニティに女性はいたし、いまでも複数人と友達だが、全員俺の男友達と結婚している。みんなと家族ぐるみで旅行に行く程度には仲がいい。そこに新しい独身女性が入り込んでくる可能性は当たり前だけどない。
勤め先もめちゃくちゃ小さい理工系の中小なので、事務のおばちゃん以外社員全員男性だ。新入社員もこの10年全員男。
居酒屋にも1人で行くけど、女の子がいるような店には行かないで馴染みの店でマスターとしゃべってる。
結婚願望も恋愛願望もないし、童貞だけど気にしてないし、年々性欲も減衰してセックスもしたいと思ってないから、進んで女性のいる場所に行く理由がまったくない。
なにか趣味の教室やスクールに通うか、と思って調べたこともあるけど地方すぎてヨガとか老人向けの健康教室しかなかった。
そういう恋愛したいとかセックスしたいとかに突き動かされないと、女の人がいるコミュニティにわざわざアクセスしようとすることってないんだなあ。
たぶんこの調子なら今後のも女の人と出会うことはないんだろうか。
というか、女の人を好きになった記憶がない。
性欲はあるけど、恋愛的なのがピンとこない
性欲はシコってれば解決する
出会ってないから、女の人と関係を持ちたいと思う機会がないだけかもしれない。出会えば、自分は恋愛や結婚やセックスをしたいと思うのかもしれない。そこんところがわからない。
あえて出会いを求めるならマチアプなんだろうけど、恋愛も結婚もセックスもするつもりないなら女の人である必要がなくて、そんな人間がマチアプするのは相手に失礼かなあと思う。
というか「俺は女の人を好きになることがあるのか?」なんて試しのためにマチアプするやつ、なんかの気取った漫画のキャラみたいで嫌でしょ、相手は。
増田のみなさん、そこんとこどうなんでしょ
表題のとおりです。
事の発端は、12月12日に飯田一史さんは記事「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」 https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5 (以下、飯田の批判)において、三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/ (以下、三宅本)の誤りを指摘したことでした。
これに対し、翌日の13日に三宅香帆さんは記事「「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか」https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5 (以下、三宅反論)を投稿し、飯田の批判に対する反論を試みました。
このエントリでは、両者の主張に対する見通しを良くすることを目的に、飯田批判と三宅反論の論点を整理したのち、それぞれの問題点を指摘していきます。
まとめたのは人文系の話には疎い人間のですので、誤りも多いかと思いますので、まあ話半分で読んでもらえればと思います。
なお、飯田批判は、飯田一史さんの新著『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書)https://ji-sedai.jp/book/publication/konojidaini.html からの抜粋であることを念の為補足しておきます。
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📰 0. 三行要約(問題点)
・飯田批判は、特に「三宅本は(出版流通における)「書籍」と「雑誌」を分けていないからダメだ」という主張に相当問題があると思う。
・三宅反論は、そもそも「反論」できてない。言い換えると、飯田の論理展開をあまり追えておらず、誤読を基に論理を展開するため実のある話があまりない。
・三宅反論は、三宅本の議論の前提に基づく問題を、あたかも飯田のデータ処理の問題にすり替えていて、個人的にあまり心象が良くない。
以下、飯田批判と三宅反論についてより詳細に検討していきます。
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飯田の批判の主張とその根拠、主張を正当化する論証について整理を行います。
理屈が明晰な箇所もある一方、煙に巻くような箇所もあって、議論を追うのはすこし大変だったような印象です。
・直接的には指摘ではないものには「◯」
また、論拠を準備していない主張には大括弧[]で囲っておきます。
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(「・働き始める前から読書量は減り、働き始めた後も日本人の読書量は減らない」の節)
◎主張1-1. 三宅本は、労働により読書量が減少することを前提にする。
しかし、これは誤りであり, 読書量は労働が始まってから変化してはいない。
<主張1-1の論証>
根拠1-1-1および1-1-2は, 読書量の低下は, 労働が始まる前の現象で、それ以降では起きていないということを示す。
これは、三宅本の前提を棄却するデータであり、ゆえに主張1-1が示される。
<論証おわり>
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◯主張1-2. 書籍における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白ではない。
<主張1-2の論証>
*根拠1-2-2. データ: 紙の書籍の推定販売金額と月の平均読書冊数
根拠1-2-1, 1-2-2, 1-2-3のいずれも、書籍に関しては、「買う」の増減から「読む」の増減を帰結することやその逆を主張することは難しいことを表している。
<論証おわり>
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◯主張2-1. 雑誌における「買う」(=出版売上)と「読む」(=読書量)の間の関係は明白である。
<主張2-1の論証>
*根拠2-1-1. データ: 紙の雑誌の推定販売金額と月の平均読書冊数
根拠2-1-1は、雑誌に関しては、「買う」と「読む」の間に相関があることを示している。
<論証おわり>
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◎主張2-2. 三宅本では、書籍と雑誌の区別ができていない。
<主張2-2の論証>
根拠2-2-1は、三宅本において雑誌と書籍を区別できていないことを示している。
<論証おわり>
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[◎仮設2-3. 三宅本は、「読書離れ」を論ずる際には雑誌と書籍を区別するべきである。]
(これは明示的に飯田批判にあらわれていないが、以下の主張2-4の論証において機能する暗黙の前提である、と私は思う。)
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◎主張2-4 三宅本は、『読書世論調査』における「読書時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張する。しかし、これは不適切である。
<主張2-4の論証>
*根拠2-4-1. 「読書時間」は「書籍+雑誌との接触時間」である。主張2-1から、雑誌の接触時間は減少傾向であると推察されるので、
「読書時間」の減少は(書籍ではなく)雑誌との接触時間の減少と解釈するのが自然である。
*根拠2-4-2. そもそも「読書時間」もそれほど減っていない。
*根拠2-4-3. 『読書世論調査』の総括では, 読書率はあまり変化がない.
根拠2-4-1, 2-4-3から、 「読書時間」の減少は書籍との接触時間の減少を導くのは難しい。
[仮設2-3]から, 「読書離れ」は特に書籍の読書時間減少を意味すると解釈するべきであり、
また, 根拠2-4-2の存在は、特に読書時間の減少が生じていないことを示唆する。
<論証おわり>
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◎主張3-1. 三宅本は、日本人が現在も長時間労働であることを前提にしている。
しかし、労働時間を「全産業平均」の観点で見たとき、この前提は不適当である。
<主張3-1の論証>
*根拠3-1-1. 厚生労働省「わが国の過去50年間(1973年~2023年)の労働時間の推移についての考察」
<論証おわり>
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◎主張3-2. 三宅本は、次の(i), (ii), (iii), (iv)を主張する:
(ii) 自己啓発(労働による自己実現)のための読書(=「情報」摂取型、「ノイズを除去する」「〈社会〉を遠ざける」)時間が増加した.
(iii)代わりに、人文書や小説などのための読書(=「アンコントローラブル」な「ノイズ」や「他者の文脈」を含む)時間が減少した
(iv) 読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描く
<主張3-2の論証>
*根拠3-2-2. グラフを書くだけの定量的な根拠はない(提示されていない)
根拠3-2-1から、労働者の 「自己研鑽」 = 「学習・自己啓発・訓練(学業以外)」の時間は減少している。
これは(ii)を否定する。
主張1-1および(ii)より(iii)は成り立たない。((iii)が成り立つためには(ii)が成り立つ必要があるため。)
根拠3-2-2は、(iv)を否定する。(少なくとも、(iv)の主張を肯定するだけの理由はない。)
<論証おわり>
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◎主張3-3. 三宅本では、自己啓発書市場の拡大から自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きいかのように解釈する。
言い換えれば、次の(1),(2)を主張する:
(2)(1)が正しいのであれば、「自己啓発書のほうが文芸よりも市場が大きい」は正しい。
<主張3-3の論証>
根拠3-3-1は、「年間ベストセラーにおける自己啓発書の冊数割合は増大している」ことを主張する。
しかし, 根拠3-3-2は 自己啓発本の市場は小説市場よりはるかに小さいということを意味する。
これは、(1)が正しいのに「自己啓発書のほうが~」が間違っているので、(2)は正しくない。
<論証おわり>
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[◎主張3-4, 三宅本は, 上の(1), (2)が成立するとしていたことが原因で、(i)から(ii)および(iii)を導いた]
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以下で、飯田批判を読んでいたときに、個人的に気になった点を列挙します。
●飯田主張2-4について:「書籍」と「雑誌」の区別は本質的か?
主張2-4の背後には「書籍と雑誌は分別するべきである」という暗黙の前提(仮設2-3)があるように思う。
三宅本の「読書」から「雑誌」を除外することは本当に妥当かを考えたい。
といっても自分は出版業界の人間ではないので正しい理解かは怪しいのだが、調べた範囲のことをまとめておく。
(間違ったこと言ってたらごめんなさい)
「書籍」「雑誌」の辞書的な定義はたとえば布川ほか編『出版事典』(出版ニュース社)のp.217およびp.167にある。
ざっくりまとめると「書籍」と「雑誌」の違いは一定の編集方針の下で定期的に刊行されているかどうかという部分のようである。
これは、1985年のユネスコの出版統計上の「図書」と「新聞及び定期刊行物」の違いともおおむね合致しているように見える。
("図書、新聞及び定期刊行物の出版及び配布についての統計の国際的な標準化に関する改正勧告". 文部科学省. https://www.mext.go.jp/unesco/009/1387396.htm)
より実際的な取り扱いは, "既存の雑誌が「創刊」とは、これ如何に". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20070111/
によれば、
そもそも本というのは「書籍」と「雑誌」に大別されますが、出版業界では「雑誌コード」が付されたものを厳密に「雑誌」と区分しているのです。
一見雑誌のように見える本も、このコードがなければ「雑誌」ではなく「書籍」ということになります。
ということらしい。(しかし、これはあくまでコラムの中の記述でありカチッとした話ではないことに注意)
「書籍」と「雑誌」の実際上の取り扱いの違いは、「雑誌コード」の有無、つまり流通上の取り扱いの違いから生まれてくるという。
日本では、「書籍」はISBNコードを持ち、「雑誌」はISSNコードや雑誌コードを持っている。
その中間にあたるムック本では、ISBNコードだけでなく雑誌コードも付随しているようなものは「雑誌」の対象とするようである。
("「雑誌」の定義と出版統計". 出版科学研究所オンライン. https://shuppankagaku.com/column/20060911/)
ともかく、「書籍」と「雑誌」を分けるのは明らかに内容やジャンルではない。定期的に刊行するかどうかであったり、それを根拠に雑誌コードが付いているかどうかだったりである。
コミック誌を除外したとしても、『anan』のようなファッション誌もあれば『文學界』や『オール読物』のような文芸誌も、また『Nature』や『ナショナルジオグラフィック』のような理工系の雑誌もまとめて「雑誌」にカテゴライズされる。
さらに言えばサイエンス社の『SGCライブラリ』シリーズの書物は, それぞれ内容的に全く独立しており実質的に単行本ではあるのだが、『SGCライブラリ151』までは『数理科学』の臨時別冊という扱いだったのでそのカテゴリは「雑誌」になっている。(なお『SGCライブラリ152』以降は「書籍」である)
一方、書肆侃侃房の『文学ムック たべるのがおそい』は確かにムック本ではあるが、雑誌コードを取得しておらず取り扱いは「書籍」であった。
このように「書籍」と「雑誌」の区分はそもそも出版流通上の区分であり内容面での区分ではないばかりか、その区分が出版物の実情と必ずしも合致しているわけでもない。
この区分はかなり表面的、形式的なものであると見るべきだろう。
・以上を踏まえて、飯田の批判、つまり「書籍」や「雑誌」という出版流通における区分の不徹底でもって三宅本を批判したことの妥当性ついて吟味してみよう。
それは、「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)という批判である。
そして、なぜ飯田が「不適切である」と主張するかといえば、「書籍」と「雑誌」は分けて考えるべき(仮設2-3)だからと考えているからであり、
特に三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍の読書量(≒読書時間)の低下」を採用するほうがより妥当である、という飯田が信念を持っているからである。
ここで注意したいのは、主張1-2, 2-1は「「書籍+雑誌との接触時間」の減少を根拠に「読書離れ」の存在を主張するのは不適切である」(主張2-4)の根拠ではない。
飯田はその直前に「「書籍の読書量と出版売上」の相関は弱い(主張1-2)一方で、「雑誌の読書冊数と出版売上」が正の相関関係にある(主張2-1)という事実を指摘してはいるものの、飯田はこれらを「読書量を測定するにあたって「書籍」と「雑誌」を区別するべきである」(仮設2-3)の根拠にはしていない。主張2-4は仮設2-3からは出てくるものの、主張1-2, 2-1には立脚していない。三宅反論で大いに誤読したのは、主張1-2, 2-1があたかも主張2-4の根拠になっているかのような書きぶり、配置の魔術ゆえであろう。
ともかく、飯田の批判の妥当性を吟味する際はこの信念「三宅本の「読書離れ」の定義としては「書籍の読書量(≒読書時間)の低下」を採用すべきである」という部分に注目すればよい。
三宅本で対象としている「読書」は、大方「人文書や小説などのような(「ノイズ」や「他者の文脈」を含む)書物を読む行為」と解釈するのが妥当だろう。
したがって「読書離れ」は「人文書や小説などの書物を読む頻度が減ったり、そのために費やす時間が減少している」ということだろう。たとえば理工書や技術書、ファッション誌、ゴシップ誌などを読むことは端から三宅本の「読書」に含まれていないと見るべきである。
転じて言えば、たとえば「雑誌」であっても文芸誌を読む場合は「読書」に含まれるべきだろうし、「書籍」であっても理工書を読むことは「読書」に含まれない(と三宅本では考えている)かもしれない。
要するに、「読書」といったときに、読まれるべき書物を分類できていないと批判するならば、むしろそのジャンル(文芸・歴史書・哲学書・理工書・サブカル・ゴシップ・ファッションなど)の違いに着目するべきなのであり、出版流通における「書籍」「雑誌」という区分は、少なくとも直接的には重要でないだろう。もしこれが重要なのであれば、それは驚くべきことなので、別でこれを論証すべきである。
もちろん、おそらく「雑誌」の出版売上の中でファッションやゴシップが支配的で文芸誌や理工系雑誌は影が薄いだろうから、その意味で「書籍」「雑誌」の区分で売上を観測することがジャンルの傾向をよく記述するとは言えるかもしれない。言い換えれば、「ジャンルによる読書量の違い」を捉えるにあたって「出版流通における Permalink | 記事への反応(0) | 20:21
前提から言うと、社会に出てから何の役にも立たない人文学やジェンダー学ばかり女子が行くから、問題なわけ。
人文学者やジェンダー学者に理工系学部の女子枠推進の意見が多いのも、自分達の分野なんか学んでも何のキャリアにもつながらないと十分分かってるから。
こっちに女性が来なくなってもいいから工学部に行って欲しいと。
国の考え方も人文学者と同じで、文系を減らしてでも理系の特に女子を増やそうとしてる。
もし理系女子が増えたら、高収入や社会的に高い地位に就く女性が増え、女性の社会進出が進み、ジェンダー平等が達成され、ジェンダーランキングが上がる。
ここでFランの話になるけど、Fランは頭が悪くて数学理科を放棄しており、そもそも理系が作れない。
アファーマティブアクションってそういうものでしょ
差別構造の固定化を打破するために一時的に構造的な差別を導入する
悪いのは過去の人間だよ
割を食うのは今の人間だよ
未来の人間に幸せになって欲しいから、今の人間を犠牲にするんだよ
大学関係者もフェミニストも過去の世代の男性もみんな人殺しの顔をするしかないんだよ
僕らが作った男性優位な理工系社会を作り直すために男性受験生には割を食ってもらいますって、私たちが望む女性が活躍できる理工系社会を作るために男性受験生には割を食ってもらいますって、私たちの"公益"のために犠牲になってもらいます、ごめんなさいって
思い続けるし言い続けるしかないと思っているよ、アファーマティブアクションに肯定的な人間の一人としては
別に俺はアンフェじゃない。むしろ、日本のジェンダーギャップ指数が低いことには危機感を持っている。
でも、その解決策として大学入試に「女子枠」を作るのは最悪手だ。
あれはアファーマティブ・アクションなんて高尚なもんじゃない。
この国が18年間、女の子に「理系なんて似合わない」という呪いをかけ続けてきた責任を、たまたまその年に受験する18歳の男子学生と将来18歳になるいまの未成年男子たちに全部押し付ける行為だからだ。
左派やリベラルを自認する人たちにこそ、この制度のグロテスクさに気づいてほしい。
本来、理工系に女子が少ないのは、大学入試のせいじゃない。もっと手前だ。
幼少期からの女の子は愛嬌、理系はオタクっぽいという刷り込み、ロールモデルの欠如、長時間労働が前提で女性が働きにくい研究職の現場。これら社会全体の構造的欠陥が原因だろ?
本来なら、政府や大人が数十年かけて労働環境を変え、教育を変え、女子が自然と理系を目指せる土壌を作るべきだった。
だから彼らは手抜きをしたんだよ。
根本的な社会改革をサボり、入試の定員という一番いじりやすい数字だけを操作して、「ほら、多様性達成しました」とドヤ顔をする。
これはやってる感を出すための行政のアリバイ作りであり、企業のSDGsアピールと同じだ。
その手抜きのツケを払わされているのは誰だ?
政治家でも大学教授でもない。これから社会に出ようとしている、罪のない未成年男子たちだ。
さらにタチが悪いのが、この制度が「経済格差」を無視している点だ。
想像してみてほしい。
都内の裕福な家庭に生まれ、中高一貫の女子校で手厚い教育を受け、塾にも通えた女子学生。
地方の貧困家庭に生まれ、バイトしながら国公立を目指す男子学生。
女子枠という制度下では、前者が「弱者」として優遇され、後者が「強者」として割を食う可能性がある。
これはリベラルが最も嫌うべき「生まれによる固定化」の助長じゃないのか?
女性であるという属性一つで、個々の経済的背景や努力のプロセスを無視して下駄を履かせるのは、平等の実現どころか、新たな特権階級の創出にすぎない。
女子比率を上げれば偏差値の見栄えがいい、補助金が取りやすい、ダイバーシティランキングが上がる。
そこに学生への教育的配慮はない。あるのは大学経営と、世間体のための数字合わせだけだ。
本当に女子学生を増やしたいなら、女子枠なんて安易な劇薬じゃなく、大学卒業後のキャリアパスを保証するとか、研究職の給与を上げるとか、そういう出口改革をするのが筋だろ。
出口が泥沼のまま入り口だけ広げても、不幸な人を増やすだけだ。
最後に、これから受験を迎える男子、そして将来受験する男の子たちへ。
君たちが枠を奪われるのは、君たちの能力が不足しているからでも、君たちが「男性という加害者」だからでもない。
単に、この国の大人が社会構造を変える努力を放棄して、そのコストを君たちに転嫁したからだ。
学部に複数クラスがあり、そのクラスの中で二つ大きいグループがあって、一つは運動部や運動サークル中心の男子
もう一つがサークルも部活も入ってないやつが多かった俺たちのグループだ!!
当時彼女持ちだったやつが5人
b. ガンダムオタク、高校の頃からの彼女と付き合ってたやつ なんなら顔はクラスで一番良い(遠距離恋愛)
d. 淫夢厨 オタク趣味だけど普通に社交的で明るくて背の高いやつ、フツメン 唯一クラス内の女と付き合ってた
e. なんか服がオシャレだったやつ 他校の学祭とかSNSで知り合った女と付き合ってた フツメン
彼女いない奴が6人
f. 高身長ハーフなのに性格めっちゃ卑屈だった オタクだけど全般知識浅かったやつ イケメン
g. 淫夢厨 ゲームオタク 基本学校でもSwitchとソシャゲやってる ネットの炎上ネタ話してるのみたことない 基本ネットミームしか口に出さない
h. 淫夢厨 ゲームオタク 社交的で明るいが女と話しているところは見たことない
i. ゲームオタク(ゲーセンメイン) 音ゲーとかガンダムとかうまかった 彼女欲しい欲しい言ってたし、声も出るが、基本オタクっぽい話し方しかできない
j. ゲームも浅いし漫画も浅いけど、流行りのオタクコンテンツは見てるタイプで比較的明るいが女には全く接点ないタイプ
k. 淫夢厨 ゲームは好きだが深く狭いタイプ アニメは流行り物だけ見てる系 大学の勉強もちゃんとやってた このグループが卒業できたのは彼がいたからであろう 試験前だけクラス中の女が対策PDFを貰いに来る あまり自分からは話さない
a. 既婚 公務員になって後輩と最近結婚した 意外と無難になってる 酒好きだから健康の話をよくしている
b. 既婚子持ち 地元に帰って結婚 子供3人 堅実に働いているらしい 年末年始に会うくらいだが、最近は子供産まれて東京来てくれない 地方は給料安くて大変そう
c. 独身 大学中退の後飲食系とかフラフラしてたけど最近はWeb系に就職したみたい 相変わらずクラブ遊びはしてるっぽい
d. 既婚子持ち Vオタ 地方に転勤してそっちに生活根ざすことになった系 就活殆どせずに適当に家に近いとこ就職したくせになんか仕事は裁量あって楽そう
e. 既婚子持ち 今連絡取ってる奴がもう全然いねえ 外資系らしい 英語できたのかな
f. 独身 Vオタ 転職しまくって今はコンサル系でいっぱい働いていっぱい稼いでる めっちゃ性格変わって明るくて軽くオラつくようになってて草 ゲームはソシャゲ廃課金はしてるみたい
g. 独身 V嫌い 200人くらいのIT系でずっと働いてる 実家暮らし無趣味だから積立NISAに毎月20万以上積んでるとか 口からはネットミームと炎上ネタと加藤純一しか出てこない
h. 独身 Vオタオタオタ 就活してなかったなあって思ってたけど、今もフリーター実家暮らし 怖くて現状深掘りできない 飲み会でVtuberの話しかしない
i. 独身 ハードな方の公務員 残業も出ないから稼げてもないし大変そう 仕事が大変って話しかでない
j. 独身 Vオタ なんか最近転職大成功収入大アップで楽しそう 飲み会も好きでよく色んな人と飲んでるっぽい 結婚願望あるけどそこはうまくいっていない
k. 独身 ずっとメーカーのIT部門勤務 今年は一人暮らしするって5年くらい言ってる フルリモも相まって学生時代と全く生活変わってなさそうな雰囲気
世の中の男の5割くらいこんな分布になってそうじゃね?って思って投稿した
我ながら社会の縮図っぽさあるな
理工系の女子が少ない大学、あるいは高専出身者ならわかると思うんだけど、あの空間、文化って凄く独特で、普通の学部や学校だと教室の隅でラップトップをカタカタしていたり、ライトノベルを読んでいたりしたようなカースト下位のオタク君たちがグループやクラスの中心にいるんだよね。
つまり理系っていうのは「オタク」という被差別属性の存在がカースト上位の男子や女子のいない空間で、モテ度による非人道的な差別から逃れて主体性をもって技術や学問に没頭できる保護区だったわけ。
女性が主体的に教育を受けるための教育機関が女子校であれば、オタクが主体的に教育を受けるための教育機関が理工系だったんだよ。
そしてこれまでの理工系の成果というのは、間違いなくそういった、一般社会ではキモい、陰キャと迫害された人たちが中心となって育ててきたものなんですよ。
それが儲かるようになってくるとSTEMだなんだともてはやして、「こんな良いものをオタク共が独占するな」と言われてるのが今なんですよ。
だからこそ、いま理工系で起きていることは「多様性の拡張」ではなく、「文化的な再征服」の捉えるべきだ。
かつて見向きもされなかった“オタクたちの保護区”が、経済的価値を持った瞬間に、社会の主流に収奪されようとしている。
誰もがモテ度やカーストに縛られず、数少ない女子学生も含めてただ好きなことに没頭できるという自由の構造こそが、理工系の文化を支えてきた。
その自由があったからこそ、教室の隅で世界を観察していた少年少女たちは技術で世の中を支える人材に育ってきた。
STEMを誰が学ぶかよりも先に問うべきは、その自由がまだ残っているかどうかだろう。
経団連でダイバーシティー政策を担当する大山みこ氏(ソーシャル・コミュニケーション本部統括主幹)に聞いた。
「政策や制度などあらゆる分野においてジェンダー視点を取り入れる“ジェンダー主流化”が世界で進むなか、女子の理系人材を増やす大学側の取り組みは全面的に賛同します。DE&I(多様性、公正性、包摂性)はイノベーションの源泉であり、企業の持続的な成長に欠かせない。そのため企業は様々な取り組みを加速していますが、理工系分野における女性の割合は依然として諸外国で最低水準。最終的には性別を超え、個人の能力で評価される社会が望ましいとは思いますが、社会変革を進める過渡期の今は、できることを全てやっていく必要があると感じます」
経団連は女子中高校生向けに、理工系分野に関心を持ち、将来の自分をイメージした進路選択を支援する取り組みを行っており、今後もこうした活動に力を入れるという。一方で根強い「女性優遇」批判について、大山さんはこうも語った。
「いまは、これまでの男性一色で作られてきた旧来型の組織風土を根底から見直す時期。『女性が下駄を履かされる』のではなく、むしろ『男性が下駄を脱ぐ』タイミングが訪れているのです」
慶應義塾中等部
この年になってようやく自分が何をやりたいかが分かった。きっかけは金銭的な余裕ができたことと、信頼できるパートナーができたこと。
私の家は幼少期からお金の余裕が無く、母はよく「もう家にお金が無い」と嘆いていた。
当時のテレビでは、リーマンショックによる不況でリストラに遭う大人達が報道されており、将来にかなり不安を覚えたものだった。
私が小学生の頃の両親の離婚を機に、家に経済的に少しずつ余裕が生まれ始める。しかし、母と私との関係は悪化の一途をたどった。母は仕事のストレスでアルコールに浸るようになり、毎晩愚痴を聞かされるどころか、私が陥れようとしているという被害妄想で責めるようにもなった。愚痴を聞くのを拒否すると殴られることもあった。勿論、お酒をやめるように伝えても、聞く耳を持ってもらえなかった。
こうした状況で、私は将来安定した生活を送りたいと願うようになった。とにかく、死に物狂いで勉強に励み、高校受験、大学受験と成功し、難関と呼ばれる大学の理工系学部に入ることができた。幸い、父の支援のおかげもあって、大学への進学費用には困らなかった。
大学では親元を離れて、精神的に安定した生活ができると思っていた。しかし、進学後も母からの精神攻撃は続いた。夜にことあるごとに電話をしてきては、「なぜ電話にでないのか」、「お酒を飲んでも私は変わらない」、「お前のような人間を生んでごめんなさい」、「おまえは感謝ができないダメな人間だ」、、、、。
それでも淡々と日々をこなして、大手企業に就職した。母との関係はほぼ切っている状態だ。そこそこ仕事も上手く行っている。好きになった女性とお付き合いし、精神的に充足している。そう、充足されてしまった。
戦争の空襲の中で生き残れるか分からない人が将来の心配をしないように、危機的な状況下では決して出てこなかった欲求。それが、28歳にしてようやく出てきた。が、それに気付くにはもう遅すぎた。同じ大学の同期は、もうそのフィールドで成果を幾重にも積み重ねている。自分が同じところに追いつくには、最低でも同じだけの年数をかけないといけない。そもそも、もう道が閉ざされていて、スタートラインに立つことすら許されないという絶望。
1人の人間が経験できる量はたかが知れてるから本を、小説を読めという理屈があるが、
以下は「賢者は歴史から学ぶ愚者は経験から学ぶ」で済むことをくどくど言ってるだけのことになってるかもしれないか書き捨て。
まずねえ文章ってだけでもどうしたって、実際に痛い目を見て、その原因が馬鹿でも直観的にわかることで、次からはそれと反対の事をするようにしようって学習の仕方には印象の強さ的にかなわない、残らないってタイプの人はいるんだよ。
しかも小説となってくるとそれは直接自分の生き方なり仕事なりに応用できる形に書いてあるわけじゃないじゃん、理工系の専門書と違って。
自分で応用の仕方を考えられない人にとっては無用の長物じゃないかなあ。
なんにしたって自分みたいな即物的な人間が何十年本を読み続けたって、実際にできるようになりたい仕事で数か月失敗を重ねて怒られて怒られるんのが嫌でうまくなっていくというよりも一切自分を成長させない(手続き記憶が社会に適応されるように強化されない)とは思う。
小説は「怒ってはくれない」しなあ。レスバしたときの相手の発言のほうがまだインパクトがあるまである。
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神谷宗幣代表は、参院選の第一声で少子化問題に触れ、「子どもを産めるのは若い女性しかいない」「高齢の女性は子どもが産めない」と発言した
SNS上では、この発言を「事実だから問題ない」と擁護する声と、「差別的で女性の人権を無視している」と批判する声が混在している
感情はおいて整理してみよう
・日本の合計特殊出生率(TFR)は2023年で1.26、人口維持に必要な2.1を大きく下回る
・一方、高齢者(65歳以上)の割合は2025年で約30%、2050年には38%に達する見込み
→若い女性が今すぐ出産数を増やしても、労働力人口(20~64歳)が回復するのは20年以上先。2025~2045年の経済は、今の20~50代の労働力と生産性に依存する。今すぐ経済的な持続対策が必要。使い捨てではない生産性の高い労働力が不可欠
日本の労働力人口は1997年の8700万人から2023年には6500万人まで減少し、2040年には5000万人台に落ち込む予測
これを「若い女性に産んでもらう」だけで解決できると考えるのは非現実的
必要なのは、子育て支援(保育園の充実、育児休業の普及)、女性のキャリア継続支援、移民政策の検討、非正規雇用や派遣制度の見直し、生産性向上など、多角的なアプローチ
神谷氏の「若い女性が産みやすい社会を」というのは、子育て支援の必要性を訴えている点では一部合理的だが、女性にのみ焦点を当て、男性や高齢者の役割、社会構造の改革を軽視している。たとえば、男性の育児参加率は日本では13%(OECD平均の半分以下)。 女性だけに「産む」責任を押し付けるのは、問題の半分しか見ていない
合計特殊出生率(TFR)は1.66(2023年)。日本(1.26)より高い
・両親合わせて480日(約16カ月)の有給育児休業。父親専用の「パパクオータ」で90日を男性に割り当て、男性の育児参加を促進。結果、男性の育休取得率は30%超(日本は13%)
・0~6歳の保育園がほぼ無料で、98%の子どもが利用可能。待機児童はほぼゼロ(日本は2023年で約3000人)
・女性の就業率は80%超(日本は約60%)。女性がキャリアと子育てを両立しやすい環境
・女性の労働参加が増え、GDP成長率は2~3%を維持。労働力人口の減少を抑え、税収も安定
合計特殊出生率TFRは1.79(2023年)。EU内で最も高い水準
・子どもの数に応じた手当(例:2人目で月130ユーロ、3人目で追加260ユーロ)。低所得世帯には上乗せ支援
・パートタイム勤務や在宅勤務が普及し、女性の就業継続を支援。女性の就業率は67%(日本より高い)
・シングルペアレントや移民家族にも手厚いサポートを提供し、社会統合を促進
・出生率の安定で、2050年の人口減少率は日本(-30%)より緩やか(-10%)。外国人労働者も積極活用し、労働力不足を補う
合計特殊出生率TFRは1.58(2023年)。2000年代の1.3から改善
・外国人労働者や難民の受け入れを拡大(2023年で外国人人口12%)。労働力不足を補い、若年層の人口を維持
・14カ月の有給育休(両親で分割)と、3歳未満の保育園枠を2013年から法的に保証。保育利用率は50%超(日本は30%)
・女性の理工系進出を奨励し、高収入職へのアクセスを増やした。女性の管理職比率は30%(日本は12%)
・移民と女性の労働参加で、労働力人口を維持。GDP成長率は1.5~2%で安定
日本の外国人労働者は全労働者の3%に過ぎず、労働力不足を補うには移民政策の拡大が必要。
【結論】
外国人労働者や女性の就業率向上、内需コンテンツの縮小と外需獲得など、即効性のある対策が必要
女性の人生を固定化する女性差別をベースにした政策は、短期的には出生率を上げても、労働力の減少・人的資本損失・教育の機会損失・社会的不満により長期的な経済成長には逆効果になるケースが多く、他国の成功例と失敗例を参考に政策の模索が必要
戦後の日本は、「加工貿易モデル」と「円安を武器にした輸出競争力」を武器に、世界の製造業の中心になりました。特に1980〜1990年代は、トヨタやソニーなどのハードウェア・製造業の黄金時代でした。
ところが、次のような変化が起こりました:
1. グローバルサプライチェーンの最適化 → 生産は東南アジア・中国へ移り、日本の製造業は相対的にコスト高に。
2. 円高圧力(特に1985年プラザ合意以降)→ 輸出競争力の低下。
3. IT革命とソフトウェア主導経済の台頭 → ハードより「ソフト」「サービス」が稼ぐ時代へ。
米国の企業(GAFAM)は、以下の点で現代経済における「高収益体質」を実現しています。
| 教育・人材育成 | 理工系離れ、プログラミング教育の遅れ |
| ベンチャー生態系 | 起業しにくい、資金調達が弱い |
| 企業文化 | 終身雇用・年功序列が創造性を抑制 |
| 英語力の壁 | 海外市場へのアクセスが限定的 |
| 国内市場志向 | 日本市場が大きすぎて、内向き思考に |
理工系女子院生という立場にいると、しょっちゅう「女子枠についてどう思う?」とか聞かれる(うちの学部にはまだないが、他学部に導入されるという噂)
自分は女子枠で入学してないが、女子枠あって当然だろうと思うよ 学力がどうとかそういう問題ではなく、マイノリティとして学生生活(ひいてはその後の社会人生活)を送る不利益の引き換えとして枠があっていい
マイノリティとして学生生活を送る不利益が想像できない人に対して具体例を上げるとすると、
・実験班で同じになった初対面の男に、「𓏸𓏸さん昨日食堂でラーメン食べてたよね?」と言われる(キショすぎ なんで知ってんの?なんで知ってんの?)
・当然セクハラには遭いやすい うちの大学ではまだないけど、先日学会の懇親会に参加した時は半強制で偉い人の横に座らされた ひたすらオジさんの与太話を聞かされる2時間半
・とにかく目立つ。基本全員に顔を覚えられてる(女子率1割切ってる)ので、一方的に知られているパターンが多すぎる。すっぴんジャージでは外に出られない
まあ言ってしまえば、金髪の人は目立つとか、刺青入れてる人は目立つとか、そういう「目立つ」ポジションに勝手に立たされるしんどさ。目立ちたくないです。
バイト先や親戚で、自分の専攻を聞かれて答えると、男性は「ハーレムだね、羨ましいね」と反応するが、女性は決まって(かわいそうに、大変だね)という顔をする。男性にはピンと来ていないのである
男性からしたら「それくらいよくない?(モテるんじゃない?)」と思うことかもしれんが、女性からしたら脅威なんよ。男性って基本怖いですから。モテて全くうれしくない。実験後に「俺のことどう思ってるの?」ってLINE来てキモすぎてブロックした。
重要なのは、別に女性は脳が劣ってるから・理数系能力が足りないから下駄を履かせろと言ってるわけではないということです つまり女性が多く、男性が不足している分野には男子枠があっていい
看護学、保健学の方面に男子枠を設けて、看護師介護士の男性需要とマッチさせてはどうか あくまで想像ですが、女子率9割越えの学科で生きる男性も、それはそれでキツいだろうなと思う
そのキツさの代償として、少しくらい学力が免除されたっていいんじゃないでしょうか
女子枠が羨ましい男性は看護介護に行きなよ 男性は出世しやすいとかいう話もあるしさ 理工系で女子が優遇されるのと同じで、男性というだけで重宝されるんじゃないの?(先日のXでも、「夜勤の看護師が女性の時だけ暴れる患者」とかいたよね。男性看護師がいるだけで解消出来る問題もある)
理工系女子院生という立場にいると、しょっちゅう「女子枠についてどう思う?」とか聞かれる(うちの学部にはまだないが、他学部に導入されるという噂)
自分は女子枠で入学してないが、女子枠あって当然だろうと思うよ 学力がどうとかそういう問題ではなく、マイノリティとして学生生活(ひいてはその後の社会人生活)を送る不利益の引き換えとして枠があっていい
マイノリティとして学生生活を送る不利益が想像できない人に対して具体例を上げるとすると、
・実験班で同じになった初対面の男に、「𓏸𓏸さん昨日食堂でラーメン食べてたよね?」と言われる(キショすぎ なんで知ってんの?なんで知ってんの?)
・当然セクハラには遭いやすい うちの大学ではまだないけど、先日学会の懇親会に参加した時は半強制で偉い人の横に座らされた ひたすらオジさんの与太話を聞かされる2時間半
・とにかく目立つ。基本全員に顔を覚えられてる(女子率1割切ってる)ので、一方的に知られているパターンが多すぎる。すっぴんジャージでは外に出られない
まあ言ってしまえば、金髪の人は目立つとか、刺青入れてる人は目立つとか、そういう「目立つ」ポジションに勝手に立たされるしんどさ。目立ちたくないです。
バイト先や親戚で、自分の専攻を聞かれて答えると、男性は「ハーレムだね、羨ましいね」と反応するが、女性は決まって(かわいそうに、大変だね)という顔をされる。男性にはピンと来ていないのである
男性からしたら「それくらいよくない?(モテるんじゃない?)」と思うことかもしれんが、女性からしたら脅威なんよ。男性って基本怖いですから。モテて全くうれしくない。実験後に「俺のことどう思ってるの?」ってLINE来てキモすぎてブロックした。
重要なのは、別に女性は脳が劣ってるから・理数系能力が足りないから下駄を履かせろと言ってるわけではないということです つまり女性が多く、男性が不足している分野には男子枠があっていい
看護学、保健学の方面に男子枠を設けて、看護師介護士の男性需要とマッチさせてはどうか あくまで想像ですが、女子率9割越えの学科で生きる男性も、それはそれでキツいだろうなと思う
そのキツさの代償として、少しくらい学力が免除されたっていいんじゃないでしょうか
女子枠が羨ましい男性は看護介護に行きなよ 男性は出世しやすいとかいう話もあるしさ 理工系で女子が優遇されるのと同じで、体力筋力があるってだけで重宝されるんじゃないの?
土日祝含めて7時〜23時まで動いてた。
苦しかったのは以下4点。
結果以下の症状あり。
総括して、性格が、失敗を恐れてばかりで無気力な小物になった。昔からの友達に「丸くなったね」と婉曲に指摘された。
全身常にうっすらと調子が悪い。