はてなキーワード: 胃痛とは
実は精神科には何度も行ってるんだ。自分でもそうじゃないかと疑う事があって、行ってみたけどグレーだと言われたよ。
グレーってなんだろう。普通ってなんだろう。という疑問だけが大きくなるばかりだった。
自分の場合は発達障害だから困っているというより、単に努力不足なのだと思うよ。
あとは、発達よりも別の原因、鬱とか別の精神的な問題が大きいんじゃないか、とも言われた。
明確な原因があって憂鬱を感じることはあるが、病としての鬱ではないと思う…
言われるまま薬を飲んでみたりしたが、気が散る感じが減って、仕事の作業能力は向上したものの、副作用なのか不眠や胃痛がひどくなって結局断薬してしまったよ。
仕事も転職して給料が減ったりして、病院自体にも今は行きづらくなった。
もっとお金をかけて自分の特性と向き合えば直るのかもしれないが、あと何年、いくらかければ直るのか、先が見えない。
諦めているつもりでも、ふとした瞬間悲しくなったり寂しくなったりしないか?
今は趣味やら忙しさでその寂しさを忘れていられても、いつか誤魔化しきれなくなってその寂しさに取り憑かれそうだと思う事はないか?
アニメも綺麗だったし時代考証とかも頑張って作られたんだろうなという感じがした
・女性向け二次創作界隈でここしばらくデカい旬ジャンルが無く凪なので回生となるか…?と二次創作ウォッチャー達が一堂に期待しまくってたし自分も10年ぶりの忍たま二次創作ウェーブ、来るか…!?と思って見たけど「出来は目茶苦茶いいしジャンル者へのご褒美にはなるが新規が大量に来るかどうかは話が別そう」という印象
・そもそも表向きにはキッズ向け作品なのに二次創作だのなんだのそういう目で観る人間が嫌でわざわざ月曜朝7:00起きで劇場向かったのに、
映画自体の感想ではなくまずそういう感想が出てしまう温度感だった
・公開から3日経っているが己のタイムラインではあんまり話題に上がらないので「あれ?もしかして…?」とは思ったけどそんな感じだった
決して出来が悪いとかでは全く無いけど「子供向け作品忍たま乱太郎の映画!」って感じでEDにガチ絵を送ってくる大友向けが昂る…!久しぶりにペンタブを握り熱き昂りを形にする…!という奮い方をするタイプの映画ではなかった
・でもじゃあ中の人繋がりで
ゲゲゲみたくキッズ振り落とし大人全振りエゲツな映画を作って欲しかったかというとNOなので「忍たま乱太郎映画として大正解だが…いや私が悪いんです…いや本当に作品自体は丁寧に作られてて本当に素敵でした…!」っていう感想だった
・しかし観終わった後同じ劇場にいた親子(子供幼稚園生くらい)のお母さんが「映画、面白かったねー!」って声かけたけど子供ガン無視してて(キッズには、領地争いのくだりとか、む、難しかった、カナ…?汗汗)ってなった
・この親子連れ以外は己含めアラサー以降のオタクおばさんが10人弱、ガン首揃えて月曜朝早くから集結し、キッズ向け映画をニチャつきながら観るというクソキッショい空間やったからな…
・応援上映とかありそう〜
・知人にこの映画観る旨話したら「腐女子多そう」って言われたしそうだろうなと思ったし実際そうだったしな…
・1年生とドクタケのホビアニ世界線でのリアリティラインと高学年のガチ室町隠密世界線でのリアリティラインの高低差にキーンッてなった
・土井先生、こんなシリアスモーションしてるけどそもそもの記憶喪失のきっかけとかドクタケ洗脳がホビアニすぎてなんか見てて恥ずかった 土井先生が無双すればするほど「でもホビアニのリアリティラインなんだよなあ…」ってなってしまった
・6年生が思ったよりたくさん出てて驚いた
ファンニッコリ
・登場キャラ多いのに、一瞬の画面の映り込みで的確にキャラの個性伝えてきて秀逸〜ってなった
(5,6年生)
・6年生の先輩が主人公3人のことを「きりらんしん」みたく略してて可愛かった
高学年に沼ってなくジャンル外から「ほーん、話題やし次のデカいヤマかもしれんし一応履修してみっか」のスタンスなので「昔見た幼児達がワチャワチャしとるのかわええ〜」位の温度感だった
・他の人のは組に対するコメントで「作戦説明をよく理解していないが、は組全員が本番に強い陽キャなのでなんとかなる」とインプットしてたので「それは…真実(マジ)やな…」と思いながらホビアニ先生奪還作戦を楽しんで見れた
・唯一笑ったのは「食うものが…ねぇ!」
・実はつどい設定があるとか、忍たまが連載?続き「は組でホンワカ見えてたけど、忍術学園(ミッション・インポッシブルの組織的な意味で)ヤバない…?」解釈はクソ萌えるしそういう視点での物語を観たくないかと言ったら嘘になるのですがきりらんしんが主人公のホンワカホビアニ世界線での忍たま乱太郎、メイン視聴者が「キッズ」(実際違うとしても)であるコンテンツとして観ていたい…
・きり丸くんの笑顔、曇らせたくねぇ…
きり丸くんの曇った眼と記憶を失った土井先生の眼の感じが同じで「忍たま世界での曇らせアイズってこの感じなんや…」ってなった
・「かつての教え子を…切れ…!」「先生、僕達を思い出して!」の下りで連発されるあまりの不真面目さに胃痛がしてその痛みから「お、俺は…
?」ってなるの面白かった
・きり丸くんの「先生、帰ろう…!」の下りは「土井きり勢は目茶苦茶嬉しいやろなぁ…でもワイはそこの沼の民ではないからなぁ…」とちょっと「…うん!」ってなった
・映画オリキャラジャニ声優でえじょうぶか…?!ってなったけど黒髪の方は全然自然だったしノイズにならないがジャニファンが喜ぶ激しく動いて活躍するかつ原作キャラの格を下げない戦闘シーン、よかったです!
・画面分割が多くてスピーディーでよかった
・ED後、そんなあっさり「やっぱりざっとこんなもんさんは油断ならない奴だなぁ〜」って伝えるにはやったことがデカくない…?やはり忍たまはシビアな隠密世界…
・どうしても「この世界に生きてたら自分はただの民草…多分あの飢えてる方…!」と思ってしまうのでシレッと国盗りの話でると「おおぅ…」ってなる
先日、誕生日を迎えました。25歳
8時頃、家に帰ると母親と別居している姉がテーブルの前で待っていた。テーブルにはパックの寿司とケーキの箱があった。姉が「そうだ、これがあるよ」と言ってネギトロ丼(ミニ)も渡してきた。とりあえずネギトロ丼を食べながら、パックの寿司のイクラを真っ先に食べると姉が「あ、イクラ!私も食べたかったのに〜」と悔しそうに笑った。それでしばらく食べていると母が「こんなに食べるものがいっぱいで食いしん坊さんには幸せいっぱいだね」とか言ってきた。しかし、私が食いしん坊さんだったのはもう10年も前の話
今は胃痛に苦しめられてあんまり食べられないんだが…まあ食べたけど。
それでケーキを手づかみで食べたりしてる内に
思い出したのだ「そうだ焼きそば作ろうと思っていたのに」と。だから急いで台所に行って焼きそばを作ったら母が「しまった!明日のお昼も焼きそばだ!ま、いっか」と。電子レンジの中には
それは置いといて、皿に焼きそばを盛って
テーブルに置いたら、姉が真っ先に食べてた。
私はさすがにお腹いっぱいで食べらんなくて、
顔してないじゃん」なんて言うもんで
「幸せ気分に浸りすぎると明日が不幸になるんで」と私は返した。
病院へ行くのが苦手を通り越して嫌いだ。
ちょっと熱が出た程度で私を毎度病院へ連れて行かねばならなかった母に対して罪悪感が染みついてしまって、消えないからだ。
私が体調不良で早退したり、朝から調子が悪くて休んだりしたとき、病院へ連れて行くのは母の役目だった。
『なんだあ、大したことなかったね。こんなことで病院なんてねぇ…』
ドがつく田舎に住んでいた私たち家族は、最寄りの病院へ行くにも車が必須で、年寄だらけの待合室で1時間以上待たされることなんてザラだった。
今となって思えば私の突発的な病院イベントはそこそこ負担だったとわかる。
熱を測ったらせいぜい微熱程度、鼻が詰まってズビズビ啜ってる程度の私なんて、適当な市販薬を飲ませてマスクつけて学校にでも行かせればよかった。
日々精いっぱいなのに、わが子だからというどうしようもない理由で4時間近く拘束されて、貴重な一日を無駄にさせられて、きっと腹立たしかったに違いない。
いつの頃からか、体調不良を訴えることや、病院へ行くことは、学校や仕事をサボろうとしている卑しい行為なのだと感じるようになった。
みんなはそれくらい我慢したり、市販薬で対処したりして乗り越えているのに、体調が悪いと主張するなんて。
誰かに心配してもらおうとしているのか?やるべきことから逃げようとしているんだろう?
病院へ行ったって、市販薬と似たような効果の薬をもらうだけなのに。私よりもっと苦しんでいる患者に迷惑をかけていると思わないのか?
そういう言葉が頭の中でずっと駆け巡っている。
私ごときが病院へ行こうとするなんて、大袈裟なことをして恥ずかしくないのかと自己嫌悪する。
今現在、胃痛で吐いたり、鳩尾の上あたりがひりひりしたりしていて、さっさと病院へ行けと夫から言われている。
大人になった今では病院へさっさと行ったという実績を作って、職場に迷惑をかけないことがベストなのだと頭では理解している。
まだ明日も胃が痛ければ病院へ行こうと思ってはいるが、いまだに疎遠になった母のあの心底面倒くさそうな顔と、「こんなことで…」という言葉がずっと反芻している。
今まで当たり前だった「美味いものを食って元気出す」が出来ない事でメンタル管理がズタボロになってる
食べた後も胃が痛くて後悔するような症状が出て
食事の内容によって数時間、下手したら1日胃痛で潰す日が発生するようになった、食事を取る事に前向きになれなくなった
好きだったものを遠ざけて行かなきゃいけない状況
これなら食べられる=心が満足すると偏食気味な食事メニューを許容以上に摂取してまた胃を痛めて後悔する
外食しても楽しめないんじゃないか…と二の足を踏むようなってから、
先日久しぶりに外食したけど、食事後の胃の違和感を気になって美味しいと思えなくなった
それだけで外出する気力が失せる
胃カメラを飲んで病気じゃなくて胃が荒れてるだけと言われて、病院に行けば解決する問題じゃなくて自分の生活習慣を直すしかない
人間関係でメンタルを病んで休職に至るまでと復職までをエントリしました。
今しんどい人や療養中の参考になれば嬉しいです。
休職まで
年位で徐々に体調を崩し、もっと早く気がつけばと今なって思う
その後は休日の楽しみだったネイル、マツパで今どうしたいかを選べなくて同じものリピート
テンションが上がらないなと思い通うのを辞めた
同時に寝つきが悪い、すぐに目が覚めるといった不眠
顔の蕁麻疹
多汗
金曜夜や在宅勤務の前日は中々お風呂に入れない
推しの現場で今まで通りのオシャレをしていない自分が嫌で1秒でも早く終わって欲しかった(推しから自分は見えていなくて認知もいらないけれど)
休日出勤や残業中に会社で首を吊れる場所ってないんだなと探している自分に気づいてやっと受診を決めた
初回で鬱の診断と即日の休職診断が出た
増田は支店の1/4強売上があって、先輩や上司のクレームリカバリー先が何社かある
推しの現場、大事な人の冠婚葬祭といった何ヶ月も前から有休にしていた日に、先輩社員のミス謝罪訪問をさせられたり社内からどうでもいい電話がひっきりなしにかかって対応が常
休めないし、きっと休ませてもらえないから無理だと話すと主治医に怒られ鼻水垂らして泣いた
休職に入ってから、誰とも話さず取り残された焦りで毎日が終わる
メンクリ以外の外出は無理でネットスーパーとアマゾンに助けられた
少し前に風呂キャンセルが流行ったまさにそれで髪はおろか顔も洗えない
よかったこと
近くのメンクリを選んだ
ダラ着スッピンに伊達メガネとマスクでも徒歩3分だと許容できた
薬の効きが悪い、過食、落ち込みといった症状を毎回伝えて擦り合わせた
初診で鼻水垂らしているから今更恥ずかしいことはない
スキンケアの必要がないからシモはほぼ毎日洗えた。コスメ垢で良かった
ゴミを捨てられた
親がとある依存症の汚家育ち恐怖と24時間ゴミ捨て可物件で汚部屋を回避できた
過食の対応
休職直前から10キロ(通常時の5キロ増)でも過食嘔吐はしなかった
業務引き継ぎの合間に定期の払い戻しやサブスク解約できたのは偉かったな
リア垢アニメ好きの幼馴染が「全人類見るべき」でツイートしたハイキューの映画に興味を持った
上映時間が85分の短時間、レイトショーは社不でも行けそうなハードル
出かけられた日は一生忘れないと思う
最近のコンテンツなのに誰も怪我しないし死なない!絶対病室のおじいちゃんぽっくりすると思ったのに
チームメイトもだけど大人がまともでいい人ばかり。武ちゃんマジで幸せになって欲しい
小学校〜大学まで続けた競技で全国何回か出た真剣に頑張れた自分を思い出せた
ダメ人間じゃなかった
学生時代の頑張りの気付きから、色んなことが今はできていないだけと視点が変わった
復職前後に前職の同僚や上司と会う機会があって沢山励ましてくれた
ヤバい色のリップ塗ってゲラゲラ笑ってる増田も今のカジュアルな増田も年相応で悪くないこと
初めて教育した新卒が渡したマニュアルをもとに教育担当を頑張っていること
今は働き方をセーブ中で通院と両立できてちょうどいいと思えている
得た物
今まで見ないでいようとした問題に向き合う期間になった
増田は条件付きでしか自分を肯定できないし尊重できないと知った
大学生からずっとシンデレラ体重以下を10年以上キープするなんて無謀だし
営業職しながら、丁寧な暮らし、コスメと推しオタク、美容の全ての両立は難しい
休職で失ったものもあるけれど、頑張り屋で愉快な可愛い自分を少しずつ愛せるようになりたい
もし今辛い人がいたら、「できない」じゃなく「できていた」と思って欲しい
(女性の方で生理の異常がある場合はすぐ受診してください!増田は生理不順で受診してストレスかなと言われてから1年放置してこのザマなので)
余談
青根君と鷲尾君すっごい好き
強面デカい無口だけど心優しくて強い男マジで癖なのにアクスタとぬいがない
バッグに入れて通勤したいよー
「ねぇ、増田くん、『せっかく転職したのに、こんなはずじゃなかった』って思ってない?笑」
市役所に転職した1年目、6月の半ば、午後11時過ぎの市役所の3階。終電のある上司はPCの電源を切り、帰宅の準備を始めていた。
「営業車で事故死しないだけマシだ、ってこないだ妻に言ったら笑ってましたよ」
新卒で営業職を2年やって、ワークライフバランスやらなにやらを考え、地元の市役所に転職した。
営業時代は終電、あるいは終電後に営業車に乗って帰宅する日ばかりだったので、市役所に転職すれば憧れの9時5時だと思っていたが、わずか2か月でそれがかなわぬ夢だったということを悟った。
6月の残業時間は正確には66時間だったが、翌月、別室で新人研修中に管理職に呼び出され、廊下で「申し訳ないがこれは……」と言われた。
「わかりました」と答えた。給与明細を確認すると、44時間になっていた。
僕はそれからその部署にいた3年間の間、平均で60時間程度時間外勤務をしていたが、時間外勤務手当は毎月10時間で申請していた。
「えっ?俺、8時以降残ったこと今まで一度もないよ」
税金関係の部署に配属になった新卒ストレート同期と偶然昼飯を一緒に食べに行くことになったときに、同期がそう言ったのを今でも覚えている。(この8時というのは、たまにやる夜間の納税相談業務が終わる時間のことだ)
4年目、2部署目では課長補佐からパワハラを受けて、常に胃痛を抱えて仕事をしていた。朝食を食べても吐くので食べなくなった。
課長補佐はマイクロマネジメントで攻撃してくるタイプで、係長時代から担当を破壊しまくっており、前々任者も、前任者も病休に追い込まれていた。
1月ぐらいに人事課に相談し、人事課の用意したカウンセラーと話をした。
「こういう時、手に職でもあれば『やめてやる!』ってなるんですけどねぇ」と僕は話した。
結局、係長、課長補佐、課長の3人が人事課に呼ばれて何か指導をされて終わりで、課長補佐は年度替わりに異動していった。
「電話だって何を言い出すのかわからないから聞いてるのに」課長補佐が対面に座る係長に向かって、僕に聞こえるようにそう言ったのを耳にしたとき、いささか僕は驚いた。
「そうですね……前の部署で一緒に仕事をしてた外部の方と電話した後に、「なんだ今の話し方は」って言われたんですよ。相手とフランクに話すのも気に入らないんでしょうね」
どんな指導が辛かったですか? とカウンセラーに尋ねられた質問の答えを、本人の口から聞けるとは思ってもいなかったからだ。
係長とはもう一年一緒にやったのだが、「自身もパワハラに消極的には加担していたこと」だったり、前年度のパワハラによるデバフのかかった自分が評価基準だったので、ギクシャクしたまま一年を終えた。
6年目、新しい係長は自分のことを前々から買ってくださっていた方で、「前任からお前の評価を聞いてはいるが全く信用していない、一緒にいい仕事していこう」と言ってくれた。
実際、温めていた企画を提案して採用されたり、ワークライフバランスも最高に良くなった。仕事終わり、料理が係長と一緒にスーパーに買い物に行き、日テレの夕方のニュース番組「every」がやっている時間に帰宅し、妻の帰宅を待つ日も増えた。
「隣の係に異動してきたAが来週から病休に入ることになった。申し訳ないが、来週からAと配置変換してくれないだろうか」
Aはお察し枠の人間で、配属される部署毎に病休を取っていて、下馬評も最悪だったのだが、その災禍がまさか自分に降りかかってくるとは思ってもいなかった。
ちなみに、Aと同時に異動してきた隣の係長も定評のあるお察し枠で、最終的にその係長も自分の配置転換後、すぐに病休に入った。
係長不在の中、Aの担当していた仕事、Aが残した爆弾(やり方がわからないので手を付けてません、と付箋を貼った4月受付文書)やAが戻ってくるまで、戻ってきた後も前の係の仕事……そして最後にはコロナ対策の新規事業まで自分に回ってきた。
その日以降、帰宅すれば「every」はとっくに終わっていて、帰宅すれば「ニュースZERO」が始まっているようになった。
翌年度にはAが異動して、自分は元の配置に戻してもらえるものと係長も自分も思っていたのだが、結局引き取り手がいなかったため、Aは残留することになった。
課長に呼び出され「申し訳ないが、今の状況を見ればAとお前の配置を元に戻すことはできない」と言われた。
「わかりました」と答えた。
明らかに怒りに震えながら自席に戻ってきた自分を心配して、皆が集まってきた。
「自分を活かそうとしてくれないこんなクソ職場、辞めてやりますよ……」と言う自分を係長は諫めてくれた。
7年目は部署に新卒の新人が来て、自分が教育係となった。これは大変いい経験だった。すぐに仕事を覚え、ミスも少ない優秀な後輩だったが、仕事のストレスの症状まで自分をミラーリングしてしまい、胃痛を抱えたまま出勤し、胃薬を分け与えて二人で飲んだこともあった。
この年もAは病休を取り、未練の残る仕事をまたやらされる羽目になった。
その年、異動の内示が出たのは係長と自分で、Aだけが課に残ることになった。
「なんか馬鹿馬鹿しいよな。俺たちの2年間はなんだったんだろうな」と係長はタバコを吸いながら僕に言った。
「本当ですね」と僕は言った。
8年目、3部署目は現場対応から政策的なことまでなんでも取り組む部署で、それまでやってこなかった議会関係、議員の”オネガイ”対応もやることになった。
数人の(あるいは1人の)支持者からの陳情を持ってくる議員、やっていることは議員としては正しいかもしれないが、もう少し取捨選択してくれというか、まぁいい。
12月のある日、既にその係での年数が長く翌年度異動がカタい、仕事がものすごいできる先輩が、上司に「もう今の時点で既に100時間は土日出勤している」と言ってるのを聞いてしまった。
先輩が異動したら次に「土日100時間出勤する」のが誰か、それは火を見るより明らかだった。
それから転職活動をし始めた。リクルーターに言われるがまま何十社もエントリーし、面接には8社呼んでもらい、3社最終面接まで行ったがうまくいかなかった。
3月下旬に9年目の人事異動が発表された、できる先輩は異動が決まり、自分が異動希望を出していた課にパワハラ課長補佐が異動になっていた。
「あ、もうこれはだめだ」と思った。
その日の夜に応募した企業から、この水曜日に内定の連絡をもらった。
「はっきり言うと、毎日何十件も応募がある中で、増田さんが選ばれるとは思ってなかったんです。増田さんの年齢で異業種、しかも希望年収よりアップするなんて奇跡ですよ」とリクルーターに言われた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/844018cccc955042ff8c014db3b721c90f662f3a
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高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、胃の不調が常態化した頃からは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。その時の自分がどんな感情であったかはあまり記憶にない。真面目な社会人像からちょっとはみ出すことで自傷みたいなやけっぱちだったのか、何かを「する」ことで脳の容量が仕事以外に向くから楽だったのか、よくわからないけどあの時の私には多分必要だった。
何の遊びも出来ない日は概ね、誰かと話した後に泣きながら帰った日だ。涙のなかに何の感情があったのかも、自分ではわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。ここを通る頃には泣き止んでいる。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったら、あと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚があった。
日中のことを思い出してみる。
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような時間が多くあった。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなもの。もっとひどい生活の人はたくさんいる。いつもの、ちょっと忙しい時の感覚だ。
そんなふうに捉えて、「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつ切り替わったかわからないが、これらの「まだ大丈夫」が、どこかのタイミングで「まだ私が故障しないから、ダメになるまで待つしかない」の諦めになった。
大丈夫な私は、まだ働かなくてはならない。みんな何かしらの苦しさを抱えながら生きているのだから、私が勝手に投げ出して良いものではない。この苦境からの脱出方法は、壊れるまで働くしかない。多分本気でそう思っていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せることすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で顔を伏せて謝りながら早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫って何なんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。野菜と鶏の黒酢あんの定食に麦味噌汁。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる。ありがたいことに定期的に会う用事がある。
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ言葉を投げてくれた。
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた。それに対して言い訳のような自虐で返事をした。最悪だ。
これぐらいの時期に病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だから大丈夫。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。メンタルクリニック、精神科、心療内科、違いはよくわからないけど口コミの類を色々読む。
臨床心理とのつながりのある医院、処方で点数稼いでいる感じじゃなさそうな場所。見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
適応障害と言われた。
有給休暇の残数を尋ねられたり、休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、まっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、残業禁止という中途半端な診断書を持ち帰った。
この頃には、朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がやって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』のだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。出勤の支度の順序がよくわからなくなって、半裸でカバンと財布を手に持って玄関でうずくまって、ボロボロ泣いて、会社に電話して突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週の残りは出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないから大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、診断書を提出し、税金と社会保険料の振込の説明を受けて、休職期間に入った。
会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまったような気がしている。じゃあ、あの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけても、結局よかわからなかった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
あの職場に出かけなくても良くなった今も、どこかに帰りたいような気持ちだけ残っている。深夜に帰路に着くとあの時の感覚が体に帰ってくる。
小学校の時の同学年にロクでも無いやつがいた。もう終わりだよ猫の国。
私はそいつにふざけて体当たりされ、車が走る道路に飛び出したことがある。幸い車が通る前になんとか歩道に逃げたけど。
嫌だったけど1回ぐらいは行った方がいいよなと思い、しぶしぶ行った
同窓会には沢山の人が来ていた、もちろんやつも
やつは色んな人に過去のことを話していた。万引きやら下着泥棒やらまあとにかくやっていたらさい。でも今は会社の幹部やってるらしく、結婚もしてるそうで、興味もないので俺は「へー」ぐらいの感じでてきとーに聞いていた。
ところがやつは唐突に「お前に謝りたいことがある」と俺に近づいてきた
やつ曰く、あの時ふざけて車道に押し出したことはずっと悪いと思ってたから謝りたかったらしい
途端、凄まじい吐き気と過去のフラッシュバックで胃痛がした。その奴の顔を見ているだけでぶっ倒れそうだった
だから俺は急に用事が出来たと言ってその同窓会から逃げた、ここにいてはいけないと
病院へ行くのが苦手を通り越して嫌いだ。
ちょっと熱が出た程度で私を毎度病院へ連れて行かねばならなかった母に対して罪悪感が染みついてしまって、消えないからだ。
私が体調不良で早退したり、朝から調子が悪くて休んだりしたとき、病院へ連れて行くのは母の役目だった。
『なんだあ、大したことなかったね。こんなことで病院なんてねぇ…』
ドがつく田舎に住んでいた私たち家族は、最寄りの病院へ行くにも車が必須で、年寄だらけの待合室で1時間以上待たされることなんてザラだった。
今となって思えば私の突発的な病院イベントはそこそこ負担だったとわかる。
熱を測ったらせいぜい微熱程度、鼻が詰まってズビズビ啜ってる程度の私なんて、適当な市販薬を飲ませてマスクつけて学校にでも行かせればよかった。
日々精いっぱいなのに、わが子だからというどうしようもない理由で4時間近く拘束されて、貴重な一日を無駄にさせられて、きっと腹立たしかったに違いない。
いつの頃からか、体調不良を訴えることや、病院へ行くことは、学校や仕事をサボろうとしている卑しい行為なのだと感じるようになった。
みんなはそれくらい我慢したり、市販薬で対処したりして乗り越えているのに、体調が悪いと主張するなんて。
誰かに心配してもらおうとしているのか?やるべきことから逃げようとしているんだろう?
病院へ行ったって、市販薬と似たような効果の薬をもらうだけなのに。私よりもっと苦しんでいる患者に迷惑をかけていると思わないのか?
そういう言葉が頭の中でずっと駆け巡っている。
私ごときが病院へ行こうとするなんて、大袈裟なことをして恥ずかしくないのかと自己嫌悪する。
今現在、胃痛で吐いたり、鳩尾の上あたりがひりひりしたりしていて、さっさと病院へ行けと夫から言われている。
大人になった今では病院へさっさと行ったという実績を作って、職場に迷惑をかけないことがベストなのだと頭では理解している。
まだ明日も胃が痛ければ病院へ行こうと思ってはいるが、いまだに疎遠になった母のあの心底面倒くさそうな顔と、「こんなことで…」という言葉がずっと反芻している。
本当にすまん、誰にも言えないので吐き出させてくれ。
毎度毎度毎度毎度、なんでいま!?ってタイミングばっかりなんだ。
10年以上共にして、こどもがいる今でさえだ。
(なんで今腹下すの!?)
こんなことばかり。
でも本人が体調が悪くなりたくてなっているわけじゃないから責めることはできない。
わかる。
心が狭いやつだな、とか
じゃあお前はどうなんだ、とか
そう思われることはわかっている。
でも辛いんだ。
強いていうならあちこち体をぶつけてよく痛がっている。それにもイラつくことがある。
生活を共にすると、どんな相手でも些細なことでイラつくことがある。
それをわかってほしい。
乱雑な文章でストレスの捌け口にしてごめん、はてな匿名ダイアリー。
じゃあ、また。
私は4月に北の方の某市に引越し、6月から今の職場で働き始めた20代の主婦です。
休職した主な原因は先輩からの付き纏いから始まりました。職員は出退勤時にマイカーに他の職員を乗せてはいけない決まりがあり、徒歩通勤の私はそれを知らずに、「送っていくよ」と声をかけてくれた半年先輩のAさん(女性、40代独身)の厚意に甘え、何度か退勤時に送ってもらい、私はお礼の品を何度か渡したりなどの関係が続いていました。
毎日「送っていくよ」声をかけてくれるので申し訳ない気持ちもあり、「今日は帰りに用事があるので」などと何度か断っていたのですが、あまり断り過ぎると「その用事嘘でしょ」「私の事嫌いになったの」「そんな用事後日でいい」などと、私に乗ることを強要するような強い言葉で返されるようになりました。
少ししてから、上記のマイカー送迎禁止の事を知り、私は少し安堵しながら「今まで知らなくてすみません、ありがとうございました。これからはちゃんと徒歩で帰ります」とAさんにお伝えしたところ「次からは職場の駐車場ではなく少し離れたところで待ち合わせしよう」と言われました。
(そこまでして送りたいのか)と思いながら断り、Aさんの車に乗るのは辞めましたが、その後退勤後にたまに寄るスーパーの前で待ち伏せされたり、私が徒歩で帰っていると車で追いかけてクラクションを鳴らされたりすることがありました。
流石に怖くなり直属の上司に相談して、朝礼の時間にそれとなく「出退勤時、マイカーに他の職員を乗せてはいけません」と直属の上司からお伝えしてもらいました。
その日からAさんの態度がガラッと変わりました。
Aさんが私を無視するようになり、Aさんと仲の良い人もAさんがいる時は私を無視するようになりました。
Aさんとロッカーが隣同士なのですが、退勤時私がロッカーを開けて荷物を出している時に迷惑そうに私を睨み、気付いた私が自分のロッカーを閉め、「すみません、開けていいですよ」と言っても無視、私がロッカー室から居なくなってから初めてロッカーを開けていかにも私が邪魔だったといわんばかりのムーブ(分かりにくくてすみません。)や、社内清掃の際に私が掃除機をかけている時にAさんに少し移動してほしくて「失礼します〜」と言っても無視し、微動だにせずだったり(これは私が言葉足らずだったかもしれません。)
送迎をどう断ろうかと悩んでる時期から謎の胃痛があり、内科の先生に精神科を勧められて精神科に通いだしたのですが、適応障害とストレス性胃炎と診断されました。
精神科に通い出して数ヶ月程経った前回の診察で「1ヶ月休職した方がいい」とお医者さんに言われ、診断書を書いてもらいました。
その診断書には「職場でのストレスにより(中略)療養期間を設ける」と書かれており、職場に提出したところ、翌日本社に呼び出されました。
「話を聞いてくれるんだ、ちゃんと話せるかな」と前日から話したいことのメモなどをキチンと整理して、当日は本社で80代の代表と話しました。そして、言われたのは以下の通りです。
・小さなトラブルを貴方がずっと引きずっているだけ、朝礼でルールについて話した時点で会社としての対応はキチンと終わっている
・君が心の病だから相手が嫌な態度をとっているように見えるだけ、相手は普通に接しているはず
・家庭が暗くならないように辛くても笑顔でいろ、無関係の夫が可哀想
・何回かしか話を聞いてもらってない医者に何がわかる、こんな診断書は信じるな
・人間はコミュニケーションの取り方に少なからず違いがあるんだからそれを許容出来ない君の問題
・経済産業省の優良健康経営なんとかに申請しているのに、診断書に「職場でのストレス」と書かれたら申請が通らないかもしれない。こんな事書かれて私の方がショックだ
正直その場で舌を噛み切って死のうかと思いました。