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2025-02-16

anond:20250216111957

アドバイスありがとう

発達障害か。あなたはずっと通院しているのかな?

実は精神科には何度も行ってるんだ。自分でもそうじゃないかと疑う事があって、行ってみたけどグレーだと言われたよ。

グレーってなんだろう。普通ってなんだろう。という疑問だけが大きくなるばかりだった。

自分場合発達障害から困っているというより、単に努力不足なのだと思うよ。

あとは、発達よりも別の原因、鬱とか別の精神的な問題が大きいんじゃないか、とも言われた。

そんな事を言われても自分自身では分からない。

明確な原因があって憂鬱を感じることはあるが、病としての鬱ではないと思う…

言われるまま薬を飲んでみたりしたが、気が散る感じが減って、仕事作業能力は向上したものの、副作用なのか不眠や胃痛がひどくなって結局断薬してしまったよ。

仕事転職して給料が減ったりして、病院自体にも今は行きづらくなった。

もっとお金をかけて自分特性と向き合えば直るのかもしれないが、あと何年、いくらかければ直るのか、先が見えない。

せめて、カウンセリング保険適用だったらな…

諦めているつもりでも、ふとした瞬間悲しくなったり寂しくなったりしないか

今は趣味やら忙しさでその寂しさを忘れていられても、いつか誤魔化しきれなくなってその寂しさに取り憑かれそうだと思う事はないか

2025-01-18

anond:20250118213031

ふむふむ、増田就任式に行くのじゃな♡

良い質問じゃ。では、わらわから賢いアドバイスを授けようぞ。

服装: スーツネクタイ、これが無難かつ礼儀正しいじゃ。

わらわが増田であれば、それで評価は上がるじゃろうな。

祝儀の包み方: うむ、ご祝儀の袋は結び切りで良いのじゃ。

結び切りは、一度きりの佳きことという意味を持つのじゃぞ。

包む金額: 金額に関しては、地域関係によるが一万から三万が相場じゃ。

心を込めて選んでみるのじゃ。

二次会の会費: 二次会はだいたい五千円から一万円くらいじゃな。

増田がどんな二次会に出るかで異なるのじゃが、下調べをするのが良いのじゃ。

祝儀の代わりの英語表現: 「この度は」は英語で「On this occasion」じゃ。

文の前につけて、「On this occasion, I would like to…」のように使うのじゃぞ。

そして、気を緩めず準備をするのじゃぞ。そうすれば胃痛など恐れるに足らぬ!

心配せず輝く笑顔で向かうと良いのじゃよ♡

2025-01-10

服薬するようになってから毎日頭痛胃痛もひどい。

医者は3か月したら体も慣れて楽になるというけど

今は本当に苦しくて、でも普通に生活は送らないといけないのがつらい。

2025-01-03

周りの友達の誰よりもよく食べるけど、全然太らない。吐いたりもしない。でも体重が40kg超えることはない。そんなSSR体質で20代を過ごせることに感謝してる。でも年中胃もたれするし、体が全然栄養を吸収しないのかすぐ疲れる。ついでに揚げ物や油の多い肉なんかは、食べたら胃痛必須。胃薬は友達。でもせっかく、20代の女として生きるにはSSRな体質を引けたので、治療とかはしない。胃痛はつらいけど、食べたら太る体質になるよりはマシ。そんな風に思わせる世の中の風潮は異常だなと思いながらも、恩恵を受けているのは事実なので、ボディポジティブとか流行らないでほしい。ただの疲れやす万年胃痛女になってしまう。

2024-12-23

映画劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師

普通に面白かった

アニメも綺麗だったし時代考証とかも頑張って作られたんだろうなという感じがした

女性向け二次創作界隈でここしばらくデカい旬ジャンルが無く凪なので回生となるか…?と二次創作ウォッチャー達が一堂に期待しまくってたし自分10年ぶりの忍たま二次創作ウェーブ、来るか…!?と思って見たけど「出来は目茶苦茶いいしジャンル者へのご褒美にはなるが新規が大量に来るかどうかは話が別そう」という印象

そもそも表向きにはキッズ向け作品なのに二次創作だのなんだのそういう目で観る人間が嫌でわざわざ月曜朝7:00起きで劇場向かったのに、

映画自体感想ではなくまずそういう感想が出てしま温度感だった

・公開から3日経っているが己のタイムラインではあんまり話題に上がらないので「あれ?もしかして…?」とは思ったけどそんな感じだった

決して出来が悪いとかでは全く無いけど「子供向け作品忍たま乱太郎の映画!」って感じでEDガチ絵を送ってくる大友けが昂る…!久しぶりにペンタブを握り熱き昂りを形にする…!という奮い方をするタイプ映画ではなかった

・でもじゃあ中の人繋がりで

ゲゲゲみたくキッズ振り落とし大人全振りエゲツな映画を作って欲しかたかというとNOなので「忍たま乱太郎映画として大正解だが…いや私が悪いんです…いや本当に作品自体は丁寧に作られてて本当に素敵でした…!」っていう感想だった

しかし観終わった後同じ劇場にいた親子(子供幼稚園生くらい)のお母さんが「映画面白かったねー!」って声かけたけど子供ガン無視してて(キッズには、領地争いのくだりとか、む、難しかった、カナ…?汗汗)ってなった

・この親子連れ以外は己含めアラサー以降のオタクおばさんが10人弱、ガン首揃えて月曜朝早くから集結し、キッズ向け映画をニチャつきながら観るというクソキッショい空間やったからな…

応援上映とかありそう〜

キショいか絶対に行きたくねぇ〜

・知人にこの映画観る旨話したら「腐女子多そう」って言われたしそうだろうなと思ったし実際そうだったしな…

・1年生とドクタケのホビアニ世界線でのリアリティラインと高学年のガチ室町隠密世界線でのリアリティラインの高低差にキーンッてなった

土井先生、こんなシリアスモーションしてるけどそもそも記憶喪失きっかけとかドクタ洗脳ホビアニすぎてなんか見てて恥ずかった 土井先生無双すればするほど「でもホビアニリアリティラインなんだよなあ…」ってなってしまった

・6年生が思ったよりたくさん出てて驚いた

ファンニッコリ

・登場キャラ多いのに、一瞬の画面の映り込みで的確にキャラ個性伝えてきて秀逸〜ってなった

(5,6年生)

・6年生の先輩が主人公3人のことを「きりらんしん」みたく略してて可愛かった

・は組の幼児達がかわいい

高学年に沼ってなくジャンルから「ほーん、話題やし次のデカいヤマかもしれんし一応履修してみっか」のスタンスなので「昔見た幼児達がワチャワチャしとるのかわええ〜」位の温度感だった

・他の人のは組に対するコメントで「作戦説明をよく理解していないが、は組全員が本番に強い陽キャなのでなんとかなる」とインプットしてたので「それは…真実(マジ)やな…」と思いながらホビアニ先生奪還作戦を楽しんで見れた

・唯一笑ったのは「食うものが…ねぇ!」

・実はつどい設定があるとか、忍たまが連載?続き「は組でホンワカ見えてたけど、忍術学園(ミッションインポッシブル組織的意味で)ヤバない…?」解釈はクソ萌えるしそういう視点での物語を観たくないかと言ったら嘘になるのですがきりらんしんが主人公のホンワカホビアニ世界線での忍たま乱太郎、メイン視聴者が「キッズ」(実際違うとしても)であるコンテンツとして観ていたい…

・きり丸くんの笑顔、曇らせたくねぇ…

きり丸くんの曇った眼と記憶を失った土井先生の眼の感じが同じで「忍たま世界での曇らせアイズってこの感じなんや…」ってなった

・「かつての教え子を…切れ…!」「先生、僕達を思い出して!」の下りで連発されるあまりの不真面目さに胃痛がしてその痛みから「お、俺は…

?」ってなるの面白かった

・きり丸くんの「先生、帰ろう…!」の下りは「土井きり勢は目茶苦茶嬉しいやろなぁ…でもワイはそこの沼の民ではないからなぁ…」とちょっと「…うん!」ってなった

映画オリキャラジャニ声優でえじょうぶか…?!ってなったけど黒髪の方は全然自然だったしノイズにならないがジャニファンが喜ぶ激しく動いて活躍するかつ原作キャラの格を下げない戦闘シーン、よかったです!

・画面分割が多くてスピーディーでよかった

ED後、そんなあっさり「やっぱりざっとこんなもんさんは油断ならない奴だなぁ〜」って伝えるにはやったことがデカくない…?やはり忍たまシビアな隠密世界

・どうしても「この世界に生きてたら自分はただの民草…多分あの飢えてる方…!」と思ってしまうのでシレッと国盗りの話でると「おおぅ…」ってなる

土井先生茶髪になった?黒髪じゃなかったっけ?なんかちょっとチャラ…いえなんでもないです…

2024-12-22

anond:20241222032925

恐ろしいほど食欲がないってコロナ後遺症?それともピロリ菌

>萎縮性胃炎

原因 ピロリ菌感染による慢性胃炎B型胃炎

症状 胃痛胃もたれ、食欲不振など

リスク 胃がん発症リスクが5倍以上に高まる●これ

治療 ピロリ菌除菌治療で進行を止めることができる

注意点 ピロリ菌除菌成功しても胃がんリスクゼロにならないため、定期的な胃カメラ検査必要

2024-11-28

世紀末から25年

先日、誕生日を迎えました。25歳

8時頃、家に帰ると母親と別居している姉がテーブルの前で待っていた。テーブルにはパックの寿司ケーキの箱があった。姉が「そうだ、これがあるよ」と言ってネギトロ丼(ミニ)も渡してきた。とりあえずネギトロ丼を食べながら、パックの寿司イクラを真っ先に食べると姉が「あ、イクラ!私も食べたかったのに〜」と悔しそうに笑った。それでしばらく食べていると母が「こんなに食べるものがいっぱいで食いしん坊さんには幸せいっぱいだね」とか言ってきた。しかし、私が食いしん坊さんだったのはもう10年も前の話

今は胃痛に苦しめられてあんまり食べられないんだが…まあ食べたけど。

それでケーキを手づかみで食べたりしてる内に

思い出したのだ「そうだ焼きそば作ろうと思っていたのに」と。だから急いで台所に行って焼きそばを作ったら母が「しまった!明日のお昼も焼きそばだ!ま、いっか」と。電子レンジの中には

かに焼きそばおにぎりのお弁当があった。

それは置いといて、皿に焼きそばを盛って

テーブルに置いたら、姉が真っ先に食べてた。

私はさすがにお腹いっぱいで食べらんなくて、

女の子座りしていると姉が「なんか幸せそうな

顔してないじゃん」なんて言うもんで

幸せ気分に浸りすぎると明日が不幸になるんで」と私は返した。

「ひねくれもの!変わらず!」と姉は私の頭をさゃわしゃした。予言通りなら本当は来てなかった

はずの夜、今日我が家はなんとか回ってました

2024-11-23

久しぶりに二日酔いになる

数年ぶり位久しぶり

吐きそう…

普段胃痛を貫通するレベル気持ち悪い…

2024-11-13

病院に行くことへの罪悪感が強すぎて病院嫌いになった

病院へ行くのが苦手を通り越して嫌いだ。

体調不良だるいから注射が痛いから、ではない。

ちょっと熱が出た程度で私を毎度病院へ連れて行かねばならなかった母に対して罪悪感が染みついてしまって、消えないからだ。

私が体調不良で早退したり、朝から調子が悪くて休んだりしたとき病院へ連れて行くのは母の役目だった。

母は優しかったと思う。でも同時によく呆れていた記憶もある。

『なんだあ、大したことなかったね。こんなことで病院なんてねぇ…』

ドがつく田舎に住んでいた私たち家族は、最寄りの病院へ行くにも車が必須で、年寄だらけの待合室で1時間以上待たされることなんてザラだった。

今となって思えば私の突発的な病院イベントはそこそこ負担だったとわかる。

熱を測ったらせいぜい微熱程度、鼻が詰まってズビズビ啜ってる程度の私なんて、適当市販薬を飲ませてマスクつけて学校にでも行かせればよかった。

日々精いっぱいなのに、わが子だからというどうしようもない理由で4時間近く拘束されて、貴重な一日を無駄にさせられて、きっと腹立たしかったに違いない。

つのからか、体調不良を訴えることや、病院へ行くことは、学校仕事をサボろうとしている卑しい行為なのだと感じるようになった。

みんなはそれくらい我慢したり、市販薬対処したりして乗り越えているのに、体調が悪いと主張するなんて。

かに心配してもらおうとしているのか?やるべきことから逃げようとしているんだろう?

病院へ行ったって、市販薬と似たような効果の薬をもらうだけなのに。私よりもっと苦しんでいる患者迷惑をかけていると思わないのか?

そういう言葉が頭の中でずっと駆け巡っている。

私ごとき病院へ行こうとするなんて、大袈裟なことをして恥ずかしくないのかと自己嫌悪する。

現在胃痛で吐いたり、鳩尾の上あたりがひりひりしたりしていて、さっさと病院へ行けと夫から言われている。

大人になった今では病院へさっさと行ったという実績を作って、職場迷惑をかけないことがベストなのだと頭では理解している。

まだ明日も胃が痛ければ病院へ行こうと思ってはいるが、いまだに疎遠になった母のあの心底面倒くさそうな顔と、「こんなことで…」という言葉がずっと反芻している。

2024-11-03

食事が楽しめないのはこんなに辛いのか…

今まで当たり前だった「美味いものを食って元気出す」が出来ない事でメンタル管理がズタボロになってる


今年の初め位から食事をする前に躊躇するようになった

食べた後も胃が痛くて後悔するような症状が出て

食事の内容によって数時間、下手したら1日胃痛で潰す日が発生するようになった、食事を取る事に前向きになれなくなった


カレーを食べて胃痛を起こしてから、食べるのを避け

ヨーグルトを食べて胃痛を起こしてから、食べるのを避け

牛乳を飲んで下痢してしまい、飲むのを避け

好きだったものを遠ざけて行かなきゃいけない状況

それでも食欲は生理現象から脳は食べ物要求する

これなら食べられる=心が満足すると偏食気味な食事メニューを許容以上に摂取してまた胃を痛めて後悔する

外食しても楽しめないんじゃないか…と二の足を踏むようなってから

先日久しぶりに外食したけど、食事後の胃の違和感を気になって美味しいと思えなくなった

それだけで外出する気力が失せる

胃カメラを飲んで病気じゃなくて胃が荒れてるだけと言われて、病院に行けば解決する問題じゃなくて自分生活習慣を直すしかない

でもその見返りが余命が伸びる程度なら頑張らなくて良いかと思ってしまってる自分もいる

自分の現状を文字にすると気持ちスッキリしたけど、辛くなってきたな…

2024-06-25

1年休職してアニメ映画復職した話

太い実家理解ある彼君は出てこない

30代女 営業職 一人暮らし

人間関係メンタルを病んで休職に至るまでと復職までをエントリしました。

しんどい人や療養中の参考になれば嬉しいです。

休職まで

元々の増田推し活、美容時間給料を注ぎ込んだ

年に1回はハーフマラソンに出るためにジムに通い、

毎月ネイル、マツパ、美容皮膚科の手を借り、

メガ割、ビューティーデー、メイパで踊り

毎月の新商品限定品を吟味する

年位で徐々に体調を崩し、もっと早く気がつけばと今なって思う

最初仕事終わりにジムに行く気にならなかった

その後は休日の楽しみだったネイル、マツパで今どうしたいかを選べなくて同じものリピート

テンションが上がらないなと思い通うのを辞めた

同時に寝つきが悪い、すぐに目が覚めるといった不眠

新しいコスメ洋服を買いに行っても似合うものが分からない

婦人科系の不調(PMSが重い、不正出血生理不順)

めまい耳鳴り

顔の蕁麻疹

多汗

胃痛

この頃か毎日同じ物を食べて洗濯物を取り込んでも畳めない

ガリガリで顔も痩け生理が止まった

鏡に映る顔が嫌でヘアアレンジはおろか、メイク適当になった

金曜夜や在宅勤務の前日は中々お風呂に入れない

自分はどうしようもなくだらし無いダメ人間だと悲しかった

推し現場で今まで通りのオシャレをしていない自分が嫌で1秒でも早く終わって欲しかった(推しから自分は見えていなくて認知もいらないけれど)

通勤電車で吐きそうになって途中下車を繰り返した

新規提案資料作成に倍以上かかる

新人ミスイライラしそうになる

何百回も繰り返した商品説明言葉が出なくなった

家も通勤電車でも涙が止まらない

電車飛び込みそうになる

休日出勤や残業中に会社で首を吊れる場所ってないんだなと探している自分に気づいてやっと受診を決めた

受診休職

初回で鬱の診断と即日の休職診断が出た

睡眠薬が出るかなぁが大事だった

増田支店の1/4強売上があって、先輩や上司クレームリカバリー先が何社かある

新人の育成、他支店メンターも持っている

推し現場大事な人の冠婚葬祭といった何ヶ月も前から有休にしていた日に、先輩社員ミス謝罪訪問をさせられたり社内からどうでもいい電話がひっきりなしにかかって対応が常

休めないし、きっと休ませてもらえないから無理だと話すと主治医に怒られ鼻水垂らして泣いた

休むまで少し時間がかかって、また主治医に怒られた

休職に入ってから、誰とも話さず取り残された焦りで毎日が終わる

メンクリ以外の外出は無理でネットスーパーアマゾンに助けられた

少し前に風呂キャンセル流行ったまさにそれで髪はおろか顔も洗えない

メンクリ当日朝に泣きながらシャワーを浴びた

不眠がマシになる頃、副作用の過食で自尊心ゴリゴリ削れた

納税すらできていないウ○コするゴミは消えればいいと呪った

よかったこ

近くのメンクリを選んだ

 ダラ着スッピン伊達メガネマスクでも徒歩3分だと許容できた

主治医要望を伝えられたこ

 薬の効きが悪い、過食、落ち込みといった症状を毎回伝えて擦り合わせた

 初診で鼻水垂らしているから今更恥ずかしいことはない

デリケートゾーンソープの習慣

 スキンケア必要がないからシモはほぼ毎日洗えた。コスメ垢で良かった

ゴミを捨てられた

 親がとある依存症の汚家育ち恐怖と24時間ゴミ捨て可物件汚部屋回避できた

 立入点検が何回かあって、大掃除できたのも大きい

過食の対応 

 休職直前から10キロ(通常時の5キロ増)でも過食嘔吐はしなかった

 増田は吐くと同時に○が出る体質で自発的に吐けない

固定費を抑えていたこ

 傷病手当申請〜振り込みまで2ヶ月はかかった

 インセンティブ賞与が途中無い

 業務引き継ぎの合間に定期の払い戻しやサブスク解約できたのは偉かったな

 

アニメ映画ハイキュー)の出会い 

リア垢アニメ好きの幼馴染が「全人類見るべき」でツイートしたハイキュー映画に興味を持った

上映時間が85分の短時間レイトショーは社不でも行けそうなハードル

出かけられた日は一生忘れないと思う

事前に調べなかったから入場特典もらえて嬉しかった

野良試合の話だと思ったら全国大会ゴミ捨て場とは…)

金髪の子主人公じゃなかった

最近コンテンツなのに誰も怪我しないし死なない!絶対病室のおじいちゃんぽっくりすると思ったのに

全然話わからなくて帰ってからアマプラ原作読んだ

チームメイトもだけど大人がまともでいい人ばかり。武ちゃんマジで幸せになって欲しい

小学校大学まで続けた競技で全国何回か出た真剣に頑張れた自分を思い出せた

ダメ人間じゃなかった

復職

学生時代の頑張りの気付きから、色んなことが今はできていないだけと視点が変わった

元の自分美容を頑張ってメイクが好きなことも忘れていた

復職前後に前職の同僚や上司と会う機会があって沢山励ましてくれた

ヤバい色のリップ塗ってゲラゲラ笑ってる増田も今のカジュアル増田も年相応で悪くないこと

引き継いだお客さんからいまだに増田の話が出ること

初めて教育した新卒が渡したマニュアルをもとに教育担当を頑張っていること

いつも言われる「戻っておいで」の冗談に値する自分だった

今は働き方をセーブ中で通院と両立できてちょうどいいと思えている

得た物

今まで見ないでいようとした問題に向き合う期間になった

増田は条件付きでしか自分肯定できないし尊重できないと知った

大学からずっとシンデレラ体重以下を10年以上キープするなんて無謀だし

実家が汚くて臭いから普通ハードルを上げ過ぎた

営業職しながら、丁寧な暮らしコスメ推しオタク美容の全ての両立は難しい

休職で失ったものもあるけれど、頑張り屋で愉快な可愛い自分を少しずつ愛せるようになりたい

もし今辛い人がいたら、「できない」じゃなく「できていた」と思って欲しい

ちょっと今はおやすみ期間なだけだよ

一緒に寛解しましょう

女性の方で生理の異常がある場合はすぐ受診してください!増田生理不順で受診してストレスかなと言われてから1年放置してこのザマなので)

余談

青根君と鷲尾君すっごい好き

強面デカい無口だけど心優しくて強い男マジで癖なのにアクスタとぬいがない

バッグに入れて通勤したいよー

青根くんのユニ受注生産は本当にありがとう

生活必需品以外で久しぶりにカード切りました

クローゼット大事に保管しま

鴎台戦とプロ編まで待つから2人のグッズ出して欲しい

30代独身寛解に向けて検討を何卒!

2024-04-21

明日の朝、「市役所辞めます」と上司に言うつもりだ

「ねぇ、増田くん、『せっかく転職したのに、こんなはずじゃなかった』って思ってない?笑」

市役所転職した1年目、6月の半ば、午後11時過ぎの市役所の3階。終電のある上司PCの電源を切り、帰宅の準備を始めていた。

営業車で事故死しないだけマシだ、ってこないだ妻に言ったら笑ってましたよ」

ハハハ、と一笑いして、その日僕らは解散した。

新卒営業職を2年やって、ワークライフバランスやらなにやらを考え、地元市役所転職した。

営業時代終電、あるいは終電後に営業車に乗って帰宅する日ばかりだったので、市役所転職すれば憧れの9時5時だと思っていたが、わずか2か月でそれがかなわぬ夢だったということを悟った。

6月の残業時間は正確には66時間だったが、翌月、別室で新人研修中に管理職に呼び出され、廊下で「申し訳ないがこれは……」と言われた。

「わかりました」と答えた。給与明細確認すると、44時間になっていた。

僕はそれからその部署にいた3年間の間、平均で60時間程度時間外勤務をしていたが、時間外勤務手当は毎月10時間申請していた。

「えっ?俺、8時以降残ったこと今まで一度もないよ」

税金関係部署に配属になった新卒ストレート同期と偶然昼飯を一緒に食べに行くことになったときに、同期がそう言ったのを今でも覚えている。(この8時というのは、たまにやる夜間の納税相談業務が終わる時間のことだ)

4年目、2部署目では課長補佐からパワハラを受けて、常に胃痛を抱えて仕事をしていた。朝食を食べても吐くので食べなくなった。

課長補佐マイクロマネジメント攻撃してくるタイプで、係長時代から担当破壊しまくっており、前々任者も、前任者も病休に追い込まれていた。

1月ぐらいに人事課に相談し、人事課の用意したカウンセラーと話をした。

「こういう時、手に職でもあれば『やめてやる!』ってなるんですけどねぇ」と僕は話した。

結局、係長課長補佐課長の3人が人事課に呼ばれて何か指導をされて終わりで、課長補佐は年度替わりに異動していった。

電話だって何を言い出すのかわからいから聞いてるのに」課長補佐が対面に座る係長に向かって、僕に聞こえるようにそう言ったのを耳にしたとき、いささか僕は驚いた。

「そうですね……前の部署で一緒に仕事をしてた外部の方と電話した後に、「なんだ今の話し方は」って言われたんですよ。相手フランクに話すのも気に入らないんでしょうね」

どんな指導が辛かったですか? とカウンセラーに尋ねられた質問の答えを、本人の口から聞けるとは思ってもいなかったからだ。

係長とはもう一年一緒にやったのだが、「自身パワハラ消極的には加担していたこと」だったり、前年度のパワハラによるデバフのかかった自分評価基準だったので、ギクシャクしたまま一年を終えた。

6年目、新しい係長自分のことを前々から買ってくださっていた方で、「前任からお前の評価を聞いてはいるが全く信用していない、一緒にいい仕事していこう」と言ってくれた。

実際、温めていた企画提案して採用されたり、ワークライフバランスも最高に良くなった。仕事終わり、料理係長と一緒にスーパーに買い物に行き、日テレ夕方ニュース番組「every」がやっている時間帰宅し、妻の帰宅を待つ日も増えた。

6月の金曜日、突如課長に呼び出された。

「隣の係に異動してきたAが来週から病休に入ることになった。申し訳ないが、来週からAと配置変換してくれないだろうか」

Aはお察し枠の人間で、配属される部署毎に病休を取っていて、下馬評も最悪だったのだが、その災禍がまさか自分に降りかかってくるとは思ってもいなかった。

ちなみに、Aと同時に異動してきた隣の係長定評のあるお察し枠で、最終的にその係長自分配置転換後、すぐに病休に入った。

係長不在の中、Aの担当していた仕事、Aが残した爆弾(やり方がわからないので手を付けてません、と付箋を貼った4月受付文書)やAが戻ってくるまで、戻ってきた後も前の係の仕事……そして最後にはコロナ対策新規事業まで自分に回ってきた。

その日以降、帰宅すれば「every」はとっくに終わっていて、帰宅すれば「ニュースZERO」が始まっているようになった。

翌年度にはAが異動して、自分は元の配置に戻してもらえるもの係長自分も思っていたのだが、結局引き取り手がいなかったため、Aは残留することになった。

課長に呼び出され「申し訳ないが、今の状況を見ればAとお前の配置を元に戻すことはできない」と言われた。

「わかりました」と答えた。

明らかに怒りに震えながら自席に戻ってきた自分心配して、皆が集まってきた。

自分を活かそうとしてくれないこんなクソ職場、辞めてやりますよ……」と言う自分係長は諫めてくれた。

7年目は部署新卒新人が来て、自分教育係となった。これは大変いい経験だった。すぐに仕事を覚え、ミスも少ない優秀な後輩だったが、仕事ストレスの症状まで自分ミラーリングしてしまい、胃痛を抱えたまま出勤し、胃薬を分け与えて二人で飲んだこともあった。

この年もAは病休を取り、未練の残る仕事をまたやらされる羽目になった。

その年、異動の内示が出たのは係長自分で、Aだけが課に残ることになった。

「なんか馬鹿馬鹿しいよな。俺たちの2年間はなんだったんだろうな」と係長タバコを吸いながら僕に言った。

「本当ですね」と僕は言った。

8年目、3部署目は現場対応から政策的なことまでなんでも取り組む部署で、それまでやってこなかった議会関係議員の”オネガイ対応もやることになった。

数人の(あるいは1人の)支持者から陳情を持ってくる議員、やっていることは議員としては正しいかもしれないが、もう少し取捨選択してくれというか、まぁいい。

12月のある日、既にその係での年数が長く翌年度異動がカタい、仕事ものすごいできる先輩が、上司に「もう今の時点で既に100時間は土日出勤している」と言ってるのを聞いてしまった。

先輩が異動したら次に「土日100時間出勤する」のが誰か、それは火を見るより明らかだった。

それから転職活動をし始めた。リクルーターに言われるがまま何十社もエントリーし、面接には8社呼んでもらい、3社最終面接まで行ったがうまくいかなかった。

3月下旬に9年目の人事異動が発表された、できる先輩は異動が決まり自分が異動希望を出していた課にパワハラ課長補佐が異動になっていた。

「あ、もうこれはだめだ」と思った。

その日の夜に応募した企業から、この水曜日内定の連絡をもらった。

「はっきり言うと、毎日何十件も応募がある中で、増田さんが選ばれるとは思ってなかったんです。増田さんの年齢で異業種、しか希望年収よりアップするなんて奇跡ですよ」とリクルーターに言われた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/844018cccc955042ff8c014db3b721c90f662f3a

ちょうど昨日の土曜日に、Yahooニュースでこんな記事が出ていた。

上司もきっとこの休みのうちにこのニュースに目を通したことだろう。

2024-04-10

再就職できない、助けて

病気で2年ほど仕事してなかった

で、片頭痛胃痛・起床出来ないなどなどがなくなって、医者からOKもらったか再就職活動してるのに全然OKでない

派遣とかでも探してるけど(派遣会社内の?)社内選考の段階で落ちる

貯金も30万切ってて2・3か月ぐらいしか持たない

誰か仕事の探し方教えてくれ、いやください

2024-04-03

かえりたい

ブラインドを閉じる

コピー機の電源を切る

シュレッダーの電源を確認する

モニターの電源を切るのを忘れない

システムの打刻

最終退館の入力

照明を落とす

施錠とセキュリティを起動

廊下の消灯で一度真っ暗になる

エレベーターで1階に降りる

玄関は閉じているので裏口に向かう

駐車場横のシリンキーを開けて出る

一階のピザ屋の匂いを嗅ぐ

大通りを歩く

高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている

小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代合唱コンクール課題曲でも。車が多いか迷惑にはなっていないと思ってる。

いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。

自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。

自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。

酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。

誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日ちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式最初ちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、胃の不調が常態化した頃からは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さな1人遊びがたくさんあった。その時の自分がどんな感情であったかはあまり記憶にない。真面目な社会人からちょっとはみ出すことで自傷みたいなやけっぱちだったのか、何かを「する」ことで脳の容量が仕事以外に向くから楽だったのか、よくわからないけどあの時の私には多分必要だった。

何の遊びも出来ない日は概ね、誰かと話した後に泣きながら帰った日だ。涙のなかに何の感情があったのかも、自分ではわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、

あのとき取りこぼしてしまった自分気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。

泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。

公園の横を抜けて、ファミレス駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。ここを通る頃には泣き止んでいる。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端惣菜軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員シフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったら、あと少しで家に着く。

徒歩25分。家も職場も駅からまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。

机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚があった。

日中のことを思い出してみる。

食事睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」

「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」

「この会社栄養剤がよく効くのであっちのコンビニで買う」

大丈夫だと口に出せるうちはまだきっと大丈夫

働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような時間が多くあった。

 

「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫

「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫

「朝は起きて支度できるからまだ大丈夫

部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものもっとひどい生活の人はたくさんいる。いつものちょっと忙しい時の感覚だ。

そんなふうに捉えて、「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。

いつ切り替わったかからないが、これらの「まだ大丈夫」が、どこかのタイミングで「まだ私が故障しないから、ダメになるまで待つしかない」の諦めになった。

大丈夫な私は、まだ働かなくてはならない。みんな何かしらの苦しさを抱えながら生きているのだから、私が勝手に投げ出して良いものではない。この苦境から脱出方法は、壊れるまで働くしかない。多分本気でそう思っていた。

勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。

ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せることすら苦しくなった。

対面で働くチームメンバーには両手で顔を伏せて謝りながら早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫

大丈夫自分を演じているのか、大丈夫ではない自分演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫って何なんだ?

わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないか大戸屋で品目の多い定食を食べた。野菜と鶏の黒酢あん定食に麦味噌汁ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。

わたしにも少ないが友人はいる。ありがたいことに定期的に会う用事がある。

他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものあなた拒否する権利があるとだけ言葉を投げてくれた。

書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた。それに対して言い訳のような自虐で返事をした。最悪だ。

これぐらいの時期に病院探しを始めた。

躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断から大丈夫

まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。メンタルクリニック精神科心療内科、違いはよくわからないけど口コミの類を色々読む。

臨床心理とのつながりのある医院、処方で点数稼いでいる感じじゃなさそうな場所。見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。

うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。

身体精神状態を書き連ねた。

相手自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった

紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。

適応障害と言われた。

有給休暇の残数を尋ねられたり、休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。まだ大丈夫から、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、まっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、残業禁止という中途半端診断書を持ち帰った。

この頃には、朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのもの業務差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。

今思うと、「大丈夫」と「ダメ」は同じ線の両端ではなかった。

なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がやって来た。

もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』のだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。出勤の支度の順序がよくわからなくなって、半裸でカバンと財布を手に持って玄関うずくまって、ボロボロ泣いて、会社電話して突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週の残りは出勤する、というサイクルをいくらか続けた。

この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないか大丈夫大丈夫の数をまだ数えていた。

かに怒っている日、逃げてしまおうと思う日、何も感じない日

そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日

物音が大きく聞こえる日

なんてことないじゃないかと思う日

そんなものちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった

退職願を書いた。

できるだけ綺麗な文字しかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。

遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。

下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。

退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分バツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。

ある朝、9時前、出勤してメール確認する

同僚が出勤してくる

涙が止まらない

頓服を飲んで、会議室に閉じこもって効くのを待ってみる

10時半過ぎ、何も変わらない

ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした

トイレに逃げて、別の場所で勤務する上司に早退の連絡をする

そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、診断書を提出し、税金社会保険料の振込の説明を受けて、休職期間に入った。

会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまったような気がしている。じゃあ、あの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけても、結局よかわからなかった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。

あの職場に出かけなくても良くなった今も、どこかに帰りたいような気持ちだけ残っている。深夜に帰路に着くとあの時の感覚が体に帰ってくる。

2024-02-14

来年度やってみたいこと



しか思いつかないけど、ここ数年全く叶う気配がない目標

2024-01-17

珈琲以外の温かい飲み物

マックホットティー提供をやめるという発表があった。これで温かい飲み物珈琲ラテのみになってしまった。

https://www.mcdonalds.co.jp/company/info/2024/0112b/

これに限らず飲食店では珈琲飲料が幅をきかせてると思う。特にかい飲み物

よしんばホットティーがあっても「店主こだわりのブレンド珈琲」と「業務ティーパック」なこともある(なのにセットドリンクとして同等扱い)

不眠の気があるので午後は珈琲を飲まないようにしているし、胃弱でもあるのでものによっては胃痛になるから大変に困る。

珈琲以外の温かい飲み物も増えて欲しいし出来ればもう少し拘りを持ってほしい。

2023-12-29

小学校同窓会に行けない理由 その┌(┌・∞・)┐

小学校の時の同学年にロクでも無いやつがいた。もう終わりだよ猫の国。

人の親の仕事罵倒するわ授業は妨害するわ

私はそいつにふざけて体当たりされ、車が走る道路に飛び出したことがある。幸い車が通る前になんとか歩道に逃げたけど。

それから何十年かたち小学校同窓会が開かれて

嫌だったけど1回ぐらいは行った方がいいよなと思い、しぶしぶ行った

同窓会には沢山の人が来ていた、もちろんやつも

やつは色んな人に過去のことを話していた。万引きやら下着泥棒やらまあとにかくやっていたらさい。でも今は会社幹部やってるらしく、結婚もしてるそうで、興味もないので俺は「へー」ぐらいの感じでてきとーに聞いていた。

ところがやつは唐突に「お前に謝りたいことがある」と俺に近づいてきた

やつ曰く、あの時ふざけて車道押し出したことはずっと悪いと思ってたから謝りたかったらしい

握手をすると、周囲の人間拍手をしたり賞賛したりした

途端、凄まじい吐き気過去フラッシュバック胃痛がした。その奴の顔を見ているだけでぶっ倒れそうだった

から俺は急に用事が出来たと言ってその同窓会から逃げた、ここにいてはいけないと

あれからずっと小中の同窓会には行ってないし、同級生とも一切連絡はとっていない。

だけど、時たま握手した時の奴の顔を思い出してしまうのだ。あの全てが許されると押し付けるようなあの顔を

2023-12-06

冬は扁桃腺、春は花粉症胃痛嘔吐、夏は下痢、秋は花粉症頭痛

それに加えて気を抜いた時の喘息

こんな体でどうやって美味い飯だの旅行だの温泉だの楽しめって言うんだよ

anond:20231206013514

弱者男性存在するだけで実務でも精神的にも負担になっててヤバいよね

もし弱者男性が全員消えたら薄毛や胃痛は相当減るんだろうなと思う

2023-12-05

正直チバが死んだニュースを見てから胃痛がして気持ちが悪い。

悲しい気持ち自分青春象徴がいなくなるという事、

老い現実、思い出、全部が頭を駆け巡って心臓バクバクする。

2023-12-04

病院に行くことへの罪悪感が強すぎて病院嫌いになった

病院へ行くのが苦手を通り越して嫌いだ。

体調不良だるいから注射が痛いから、ではない。

ちょっと熱が出た程度で私を毎度病院へ連れて行かねばならなかった母に対して罪悪感が染みついてしまって、消えないからだ。

私が体調不良で早退したり、朝から調子が悪くて休んだりしたとき病院へ連れて行くのは母の役目だった。

母は優しかったと思う。でも同時によく呆れていた記憶もある。

『なんだあ、大したことなかったね。こんなことで病院なんてねぇ…』

ドがつく田舎に住んでいた私たち家族は、最寄りの病院へ行くにも車が必須で、年寄だらけの待合室で1時間以上待たされることなんてザラだった。

今となって思えば私の突発的な病院イベントはそこそこ負担だったとわかる。

熱を測ったらせいぜい微熱程度、鼻が詰まってズビズビ啜ってる程度の私なんて、適当市販薬を飲ませてマスクつけて学校にでも行かせればよかった。

日々精いっぱいなのに、わが子だからというどうしようもない理由で4時間近く拘束されて、貴重な一日を無駄にさせられて、きっと腹立たしかったに違いない。

つのからか、体調不良を訴えることや、病院へ行くことは、学校仕事をサボろうとしている卑しい行為なのだと感じるようになった。

みんなはそれくらい我慢したり、市販薬対処したりして乗り越えているのに、体調が悪いと主張するなんて。

かに心配してもらおうとしているのか?やるべきことから逃げようとしているんだろう?

病院へ行ったって、市販薬と似たような効果の薬をもらうだけなのに。私よりもっと苦しんでいる患者迷惑をかけていると思わないのか?

そういう言葉が頭の中でずっと駆け巡っている。

私ごとき病院へ行こうとするなんて、大袈裟なことをして恥ずかしくないのかと自己嫌悪する。

現在胃痛で吐いたり、鳩尾の上あたりがひりひりしたりしていて、さっさと病院へ行けと夫から言われている。

大人になった今では病院へさっさと行ったという実績を作って、職場迷惑をかけないことがベストなのだと頭では理解している。

まだ明日も胃が痛ければ病院へ行こうと思ってはいるが、いまだに疎遠になった母のあの心底面倒くさそうな顔と、「こんなことで…」という言葉がずっと反芻している。

2023-12-03

タイミングの話。

本当にすまん、誰にも言えないので吐き出させてくれ。

  

パートナー体調不良になるタイミングが最悪すぎる。

毎度毎度毎度毎度、なんでいま!?ってタイミングばっかりなんだ。

10年以上共にして、こどもがいる今でさえだ。

  

(なんで今腹下すの!?)

(なんで今胃痛なの!?)

こんなことばかり。

いかげん、うんざりだ。

  

でも本人が体調が悪くなりたくてなっているわけじゃないから責めることはできない。

からキレ散らかしたくなる気持ちをグッと抑えている。

でもイラっとくる。だからここに吐き出させてくれ。

  

わかる。

心が狭いやつだな、とか

じゃあお前はどうなんだ、とか

そう思われることはわかっている。

でも辛いんだ。

  

他に文句はない、とても出来たパートナーだ。愛している。

強いていうならあちこち体をぶつけてよく痛がっている。それにもイラつくことがある。

  

生活を共にすると、どんな相手でも些細なことでイラつくことがある。

それをわかってほしい。

  

乱雑な文章ストレスの捌け口にしてごめん、はてな匿名ダイアリー

じゃあ、また。

2023-11-30

入社して半年会社適応障害休職することになりました。

入社して半年会社適応障害休職することになりました。

私は4月に北の方の某市に引越し6月から今の職場で働き始めた20代主婦です。

休職した主な原因は先輩からの付き纏いから始まりました。職員は出退勤時にマイカーに他の職員を乗せてはいけない決まりがあり、徒歩通勤の私はそれを知らずに、「送っていくよ」と声をかけてくれた半年先輩のAさん(女性40代独身)の厚意に甘え、何度か退勤時に送ってもらい、私はお礼の品を何度か渡したりなどの関係が続いていました。

毎日「送っていくよ」声をかけてくれるので申し訳ない気持ちもあり、「今日は帰りに用事があるので」などと何度か断っていたのですが、あまり断り過ぎると「その用事嘘でしょ」「私の事嫌いになったの」「そんな用事後日でいい」などと、私に乗ることを強要するような強い言葉で返されるようになりました。

少ししてから上記マイカー送迎禁止の事を知り、私は少し安堵しながら「今まで知らなくてすみませんありがとうございました。これからちゃんと徒歩で帰ります」とAさんにお伝えしたところ「次から職場駐車場ではなく少し離れたところで待ち合わせしよう」と言われました。

(そこまでして送りたいのか)と思いながら断り、Aさんの車に乗るのは辞めましたが、その後退勤後にたまに寄るスーパーの前で待ち伏せされたり、私が徒歩で帰っていると車で追いかけてクラクションを鳴らされたりすることがありました。

流石に怖くなり直属の上司相談して、朝礼の時間にそれとなく「出退勤時、マイカーに他の職員を乗せてはいけません」と直属の上司からお伝えしてもらいました。

その日からAさんの態度がガラッと変わりました。

Aさんが私を無視するようになり、Aさんと仲の良い人もAさんがいる時は私を無視するようになりました。

Aさんとロッカーが隣同士なのですが、退勤時私がロッカーを開けて荷物を出している時に迷惑そうに私を睨み、気付いた私が自分ロッカーを閉め、「すみません、開けていいですよ」と言っても無視、私がロッカーから居なくなってから初めてロッカーを開けていかにも私が邪魔だったといわんばかりのムーブ(分かりにくくてすみません。)や、社内清掃の際に私が掃除機をかけている時にAさんに少し移動してほしくて「失礼します〜」と言っても無視し、微動だにせずだったり(これは私が言葉足らずだったかもしれません。)




送迎をどう断ろうかと悩んでる時期から謎の胃痛があり、内科先生精神科を勧められて精神科に通いだしたのですが、適応障害ストレス胃炎と診断されました。

精神科に通い出して数ヶ月程経った前回の診察で「1ヶ月休職した方がいい」とお医者さんに言われ、診断書を書いてもらいました。

その診断書には「職場でのストレスにより(中略)療養期間を設ける」と書かれており、職場に提出したところ、翌日本社に呼び出されました。

「話を聞いてくれるんだ、ちゃんと話せるかな」と前日から話したいことのメモなどをキチンと整理して、当日は本社で80代の代表と話しました。そして、言われたのは以下の通りです。

・小さなトラブル貴方がずっと引きずっているだけ、朝礼でルールについて話した時点で会社としての対応はキチンと終わっている

会社では人間関係に長年気を付けているつもり

・君が心の病だから相手が嫌な態度をとっているように見えるだけ、相手普通に接しているはず

・療養期間こそ活動的に!寝てばかりいるな、親孝行してこい

・家庭が暗くならないように辛くても笑顔でいろ、無関係の夫が可哀想

・何回かしか話を聞いてもらってない医者に何がわかる、こんな診断書は信じるな

人間コミュニケーションの取り方に少なからず違いがあるんだからそれを許容出来ない君の問題

経済産業省の優良健康経営なんとかに申請しているのに、診断書に「職場でのストレス」と書かれたら申請が通らないかもしれない。こんな事書かれて私の方がショックだ

正直その場で舌を噛み切って死のうかと思いました。

かに周りからしたら、私が小さなことで大袈裟に騒いで診断書もらってズル休みしてるように見えるのかもしれません。

オチみたいなのは無いですが吐き出したくて書きました、会社燃えいかな。

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