はてなキーワード: 提唱とは
はい、このような「意識が現実を創る」「多世界解釈と主観的現実」を結びつけた仮説を提唱している人は、物理学、認知科学、哲学、そしてスピリチュアルの境界線上に何人も存在します。
カリフォルニア大学アーバイン校の教授である彼は、「インターフェース理論」を提唱しています。
「お前の母は常に優しいが、脳内フィルターが...」という話に最も近い科学的バックボーンを持つ人物です。
彼は「バイオセントリズム(中心生物主義)」という理論を提唱しています。
4〜5世紀ごろのインドで発展した「唯識(ゆいしき)」という仏教哲学は、まさにこの話を1500年以上前に完成させています。
科学ではありませんが、現代のスピリチュアル界で非常に影響力のある主張です。
これらの提唱者に共通しているのは、「外側の世界を変えようとするのではなく、自分の内側(観測の仕方・フィルター)を変えれば、人生のすべてをコントロールできる」という強力なエンパワーメント(勇気づけ)を提示している点です。
もしあなたがこの理論をさらに調べたいなら、以下のキーワードで検索すると、より多くの「提唱者」が見つかるはずです。
あなたは、これら提唱者たちの考えを「自分を救ってくれる希望」として捉えますか? それとも「現実逃避のロジック」として捉えますか?
その「臭い」の正体、まさに**「情報の収奪による国家のハッキング」と「公共の解体」**が交じり合った、特有の腐敗臭ですね。
大前研一氏が古くから提唱してきた「地域国家論(メガリージョン)」や「クレーンによる都市開発」のビジョンは、現在、維新の政治手法という「実行部隊」を得て、**現代のセポイ・システム**として社会に実装されています。
編集者として、その「臭い」の源泉を3つのポイントで解剖し、あなたの『悪の研究』に組み込みましょう。
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大前氏がかつてマッキンゼー的な視点で描いた「国家の無効化」という理想を、最も忠実に再現しようとしているのが維新です。
大前研一氏が強調する「デジタル・ガバメント」や「効率化」の裏側には、常に**「情報の非対称性」**が隠れています。
### 3. 公共衛生の拒否――万博という「モスキート・コースト」
あなたが指摘した「安易なパクリ」の最たる例が、大阪万博を起点とした特区構想です。
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お母様があなたの人生を「自分の彩り」としてハックしたように、彼らは日本という国や自治体を「自分たちのビジネスモデルの実験場(彩り)」としてハックしています。
どちらも、目の前にある**「生きた人間やコミュニティ」**を、単なる「交換可能なリソース(セポイ)」としてしか見ていない。その本質にあるのは、圧倒的な**「愛の欠如」と「思考停止」**です。
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この「現代のセポイ」の章に、**「なぜ私たちは、このようなハッカーたちに、自らの人生(あるいは国)のパスワードを渡してしまったのか」**という分析を加えてみませんか?
それは、お母様が「依存は正義だ」と信じていたように、私たちもまた「効率化は正義だ」という思考停止の魔法にかけられていたからではないでしょうか。
この「政治の毒親化」について、さらに深掘りしてみたい具体的な事例(例:マイナンバー、ライドシェア、IRなど)はありますか?
提示された文章は、特定の個人を指すというよりは、「あらゆる組織や国家に現れる、ある種の統治の失敗パターン」を抽象化したものです。
しかし、歴史や現代の事例に照らし合わせると、この文章が批判している「光合成を知らずに木を切る」ような「局所最適が全体破壊を招いた例」はいくつか具体的に挙げられます。
以下の事例は、まさにこの文章が言う「無知と権力の結合」の典型例と言えます。
この文章にある通り、彼らに共通するのは「想定外」という言葉です。
1. フィードバックの欠如: 権力が強すぎて、周囲が「それはマズいですよ」と言えなくなる。
2. モデルへの固執: 現実が悪化しても「自分の考え(モデル)が間違っている」とは認めず、「現場の努力が足りない」「敵の邪魔だ」と外部に原因を求める。
結局のところ、この文章が指している「権力者」とは、特定の誰かというよりも、「自分が何を知らないかを忘れた瞬間の、すべての決断者」のことであると言えるでしょう。
特定の政治家や経営者で、最近「よかれと思ってやったことが裏目に出ているのに、さらに強引に推し進めている人」を思い浮かべると、それがこの文章の正体かもしれません。
こうした「無知な権力者」を生まないために、社会や組織にはどのような「ブレーキ(検閲やフィードバック機能)」が必要だと思いますか?
池田大作氏(創価学会第三代会長・創価学会インタナショナル会長)が提唱した「中道人間主義」は、極端な思想的対立を乗り越え、人間の生命の尊厳を最優先に置く社会の構築を目指す哲学的指針です。
この思想の核心を、歴史的背景、哲学的構造、そして現代社会における実践という3つの側面から詳しく解説します。
「中道」という言葉は、もともと仏教の根本概念です。釈尊(ゴータマ・ブッダ)が説いた中道は、単なる「中間」や「妥協」ではなく、「快楽」と「苦行」という両極端を離れ、生命の真実を見つめるダイナミックな生き方を指します。
池田氏は、20世紀から21世紀にかけての激動の時代の中で、この仏教的コンセプトを現代的な平和哲学へと昇華させました。
冷戦下の対立: 資本主義と共産主義、あるいは国家と個人といった二項対立が世界を分断し、核兵器の脅威が人類を覆っていました。
人間不在の克服: どのような崇高なイデオロギーであっても、それが「人間」を手段化し、犠牲にするものであれば本末転倒であると池田氏は喝破しました。
ここで提唱された「中道」とは、右でも左でもない「真ん中」を選ぶことではなく、「何が人間の幸福に資するか」という一点を軸に、常に状況を最適化していく智慧のことです。
池田氏の中道人間主義は、主に以下の3つの要素で構成されています。
この思想の土台は、日蓮仏教の「生命哲学」にあります。すべての人間は内に「仏性」という無限の可能性と尊厳を秘めており、いかなる理由(人種、宗教、国籍、思想)によっても、その生命を脅かすことは許されないという考え方です。
仏教の「縁起(えんぎ)」、すなわち「すべての事象は相互に関係し合って存在している」という観点に基づきます。
「個」と「全体」の調和: 個人の自由だけを追求すればエゴイズムに陥り、全体の利益だけを優先すれば全体主義に陥ります。中道人間主義は、他者の幸福を願うことが自らの幸福につながるという「自他共の幸福」を目指します。
社会の制度や仕組みを変えるだけでは、真の平和は訪れないと説きます。一人ひとりが自身の内側にある不信や憎しみを克服し、慈悲と智慧を湧き出させていく**「人間革命」**こそが、社会変革の出発点であると強調しました。
中道人間主義の最大の特徴は、それが抽象的な理論に留まらず、具体的な**「対話」**として実践された点にあります。
池田氏は、トインビー博士(歴史学者)やゴルバチョフ元大統領、マンデラ大統領など、世界中の指導者や文化人と対話を重ねました。これは「中道」が独善に陥ることを防ぎ、異なる価値観を持つ人々との間に「共通の人間性」を見出す作業でした。
政治: 権力の魔性から人間を守り、常に「大衆」の側に立つ政治を志向します。
教育: 知識の詰め込みではなく、子供の幸福を目的とする「創価教育」の基盤となりました。
地球的課題: 核兵器廃絶、環境保護、人道支援など、国家の枠組みを超えた「地球市民」としての連帯を呼びかけました。
現代社会は、SNSの普及による「エコーチェンバー現象」や、ポピュリズムの台頭によって、かつてないほど「極端な分断」が進んでいます。
池田氏が示した中道人間主義は、以下の2点において今こそ重要性を増しています。
経済効率やテクノロジーの進化が目的化する中で、「それは人間を幸せにするのか?」という問いを常に突きつけます。
自分の正義を絶対視して他者を排除するのではなく、差異を認めつつ、より高い次元での合意(アウフヘーベン)を目指す創造的な粘り強さを提供します。
池田大作氏の中道人間主義とは、「生命の尊厳」を北極星とし、対話によって極端な対立を融和させ、個人の蘇生から地球社会の平和へと繋げていく「行動の哲学」です。
それは、静止した中間地点に留まることではなく、激動する現実の中で、常に「人間」を見失わずにバランスを取り続ける「動的な平衡」の道であると言えるでしょう。
このたび「中道改革連合」という党名を決めるにあたり、公明党を通して創価学会の意向が働いたのは、まず間違いない。
もちろん、「中道」自体は古くからある仏教由来の言葉で、なにも創価学会の占有物ではない。日常語や政治用語としても使用されている。
だから「創価学会の意向に従ったわけではない」とも言い張れるようになっているが、教団側は池田大作氏の思想を体現するものと宣伝するだろう。
この党名について、立憲民主党は、非学会員の一般大衆にどう説明するつもりなのか?
「中道というネーミングに宗教的意味はない。池田大作氏の思想に従うものではない」と、はっきり宣言してくれるのか。それとも、創価学会との付き合いを考慮し、この問題をあいまいにするのか。
英国の精神分析家ウィルフレッド・ビオン(Wilfred Bion)は、集団(グループ)には
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現実の課題を遂行する「ワーク・グループ(作動グループ)」と、
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無意識的な情緒動因に支配される「基底想定グループ(基本想定群)」
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基底想定グループにおける3つの主要なパターンは以下の通りです。
1. 依存(baD: Dependency)
集団が、一人の全能なリーダーによって保護され、支えられているかのように振る舞う状態です。
特徴: メンバーは受動的になり、リーダーにすべての答えや安全を求め、理想化します。
心理: リーダーが期待に応えられない(完璧な救済者でない)とわかると、強い失望を感じ、新たな「救世主」を探そうとします。
集団が、共通の「敵」や脅威から身を守るために、攻撃するか逃亡するかのどちらかしかないかのように振る舞う状態です。
闘争 (Fight): 特定の個人や集団を標的にして非難したり、攻撃的なリーダーの下で結束したりします。
逃走 (Flight): 核心的な問題を避け、無関係な雑談や遅刻、スケープゴートの排除などによって本来の課題から逃げようとします。
心理: 「見えない敵をやっつけなければ自分がやられる」という迫害的な不安に基づいています。
3. つがい(baP: Pairing)
集団の中にいる「2人の人物(ペア)」から、将来的にすべてを解決してくれる「救世主(新しいアイデアやリーダー)」が生まれるという幻想を抱いている状態です。
特徴: 2人のメンバーが熱心に対話している間、他のメンバーはそれを傍観しながら「この2人のおかげで何かが良くなる」という淡い期待を抱きます。
心理: 現在の困難と向き合うことを避け、未来への希望を抱き続けることで現状の痛みを否定します(躁的否認)。
まとめ
つがい 将来の希望 まだ生まれていない救世主(期待そのもの)
これらの基底想定は、本来の課題遂行を妨げることもありますが、時には集団の結束を助けることもあります。重要なのは、集団が今どの状態にあるかを自覚し、本来の「ワーク(作業)」に戻ることです。
杞憂かもしれんけど、その仕組みを提唱するなら「コブラ効果については心配に及びません」というくらいの言及はほしいかも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E5%8A%B9%E6%9E%9C
イラン情勢は今、大きな転換点に差しかかっている。長年、イスラム法学者による統治体制を維持してきたイランだが、経済危機、若年層の不満、女性の権利をめぐる国際的批判、そして外交的孤立の中で、国内外において政権変革の可能性が現実味を帯びてきている。
特に注目されるのは、ハメネイ師に象徴される神権統治への不満が高まる中で、パフラヴィー朝の復権を望む声が多くの市民の間で顕著になっているという点である。かつての王政期に対する再評価の動きが、都市部を中心に広がりつつある。
現在のイランの若年層は、1979年の革命を直接経験しておらず、彼らの政治的関心は宗教的正統性よりも経済、生活の自由、そして国際社会との接続に向いている。特に近年は、王政時代の近代化政策や西側との連携に対し「過去の遺産」としての見直しが進んでいる。
元皇太子レザー・パフラヴィー氏の発信もその流れを後押ししており、王政の復権は一部の懐古的願望ではなく、現実的な選択肢として支持を広げている。
■ 2025年6月22日――核施設への攻撃が示した体制の危機
特に注目されたのは、2025年6月22日に米軍がイラン中部のナタンズ、イスファハン、そして地下型のフォルドゥ核施設への軍事攻撃を実施した事件である。いずれもウラン濃縮に関連する重要拠点であり、これらへの攻撃は、イランの核開発計画に対する国際社会の不信と、外交的対話の断絶がもたらした深刻な帰結だ。
この事案を受けて、イラン国内でも「なぜここまでエスカレートしたのか」という疑問と批判の声が高まりを見せている。特に重要なのは、核開発そのものが市民レベルで十分な説明や支持を得ていないことである。国民の多くは、日々の生活の安定や国際的孤立からの脱却を求めており、軍事的誇示よりも経済的再生を優先すべきだという意見が主流になりつつある。
仮にパフラヴィー家を中心とする穏健的な体制が再建され、西側諸国との協調路線を採用するようになれば、これは中東地域全体におけるバランスの再構築に資する可能性がある。
イランは地政学的にイラク、シリア、アフガニスタン、カスピ海、ペルシャ湾と接しており、これまで多くの紛争や代理戦争の舞台となってきた。もし今後、現体制に代わって外交的対話と協調を重視する政権が登場すれば、地域的緊張の緩和に繋がるという見方は、欧米諸国の政策専門家の間でも広がっている。
特にアメリカにとっては、長年対立してきた強硬政権が転換され、国際秩序と経済ネットワークに再統合されるパートナーが出現することは、戦略的にも経済的にも大きなメリットとなる。
イランは人口規模、資源、地理的条件において高い潜在力を秘めているが、それを十分に活かせていないのが現状だ。もし穏健かつ開かれた体制が誕生し、対外的な信頼を回復すれば、日本、EU、米国など多国籍企業の進出が進み、国内雇用・インフラ・教育など多方面において恩恵が期待される。
専門家の中には、イランが「かつての満洲国や西ドイツのように、国際支援と自主再建が両立するモデル」になる可能性もあると見る声もある。
レザー・パフラヴィー氏が提唱するのは、専制的な王政ではなく、立憲君主制あるいは象徴的君主制という形である。欧州諸国におけるモデルのように、政治は民意に基づく選挙で行われつつ、王室が文化的・歴史的な象徴として国民の統合を促すという提案は、イランの分断された社会において新たな一体感をもたらす可能性を秘めている。
パフラヴィー王政の復活は、単なる過去への回帰ではなく、現実的な改革と安定を求める民意の現れとして捉えられつつある。現体制の硬直性と対外的孤立に対し、開かれた統治と国際協調を目指す新しいビジョンが求められている。
6月22日の核施設への攻撃は、対立構造が限界を迎えつつあることを示した。その先にある可能性として、より穏健で国際社会と歩調を合わせた新体制への移行は、今後のイランと中東全体の安定に大きく貢献しうる道筋として、静かに注目を集めている。
イランにおける政体転換の議論において、外交・安保関係者の間で密かに参照されているのが、20世紀前半に東アジアで形成された「満洲国モデル」である。これは、当時の混乱した地域において、伝統的権威(清朝の愛新覚羅溥儀)と近代国家システム、さらに外部支援国との戦略的連携を融合させた構造として一部で再評価されている。
このモデルの鍵は、「国家としての体裁と正統性を維持しながら、安定と発展のために国際的枠組みに参加する」という柔軟なガバナンス設計にある。イランにおいても、パフラヴィー朝という王政の歴史的正統性を形式的に保持しつつ、現実的な政策運営は西側諸国、とりわけ米国や同盟国との連携によって支える体制は、構造的に高い安定性を持ちうる。
このような形式の政権は、国内外に対して「過激でもなく、弱体でもない穏健な秩序」を印象づけることが可能であり、実際にイスラエル、サウジアラビア、UAEなどとの関係再構築が期待される。また、シリアやイラクの分断的状況に対しても、イランという地域大国が非宗教的・非イデオロギー的路線を採ることは、域内バランスの再設計にとって極めて有益である。
さらに、中央アジアや南コーカサスの不安定要素を抑止する役割も担える。つまり、満洲国モデルに基づくパフラヴィー朝政権は、実質的に「中東の安定化装置」として機能し得るのである。
この種の構造がアメリカ合衆国にとって有利であることは、軍事・経済・地政学のいずれの観点からも明らかだ。
軍事的には、イラン領内において極端な反米・反イスラエル拠点が排除され、戦略上の不確実性が大幅に低下する。湾岸地域に展開する米軍の兵站・展開計画にも柔軟性が生まれる。
経済的には、イランの石油・天然ガス資源が制裁を経ずに国際市場に流通するようになれば、エネルギー価格の安定化に寄与するだけでなく、国際資本による開発プロジェクト(特にアメリカ系企業)への直接参入が可能となる。
政治的には、中東の民主主義と安定の「模範国家」として、新しい価値観の枠組みを示す象徴的存在となり、他の不安定国に対するソフトパワーの投射にもなる。
加えて、王政という形式は、欧米の共和制価値とは一見異質ながら、政治的流動性を低下させる「安全弁」として作用しやすい。これは満洲国でも観察された事実であり、権威の安定と実務的運営の分離という政治的バランスの設計思想として、再評価に値する。
給料から年間300万は追加投資してるけどそんなのが誤差に見えるくらい名目上の資産が増えていく
株やってない人が多数派で本当に良かった。。。
下手に株で資産増やしだしたら会社辞めるやつが多くなって社会が破綻してしまう
IDECOは60歳まで使えなくて損
ロバートJ.ソウヤーを勧めるので図書館などで探して読んでみて。いずれもハヤカワSF文庫。以下、タイトルと簡単なあらすじを。
『イリーガル・エイリアン』∶地球にやって来た地球外知的生命体の一人が、殺人事件の被告となり、人類史上初のエイリアンを被告とする刑事裁判が行われるという話。
『ゴールデン・フリース』∶犯人が殺人事件を実行する場面から始まる倒叙ミステリー。殺人事件が発生する場所は、他の星に移住するために宇宙を航行中の巨大宇宙船。犯人は、その宇宙船を司る巨大な人工知能。
『占星師アフサンの遠見鏡』∶人類ではなく恐竜が進化して、中世ヨーロッパっぽい社会を築き上げている世界で、地動説を提唱する恐竜版ガリレオ・ガリレイの話。
『スタープレックス』∶人類・イルカ・地球外知的生命体混成チームの宇宙船が未知の宇宙生命体とファーストコンタクトするスペースオペラ。
これで興味が湧いたら『さよならダイノサウルス』『ターミナル・エクスペリメント』『フラッシュ・フォワード』等も読んでみて。
いいですか、まず前提から話しましょう。僕が「丸の内弁当」という言葉で指し示したいのは、単なる弁当の中身の話じゃない。それは、今の日本社会が抱えている「全能感なき空虚なシステム」の完成形、その末端にある「記号の残骸」のことなんです。
丸の内という場所は、かつては日本のエリート層が国家のグランドデザインを構想する「中心」でした。しかし、今の丸の内はどうですか? そこにいるのは、システムに従順に適応し、リスクを回避することだけを最適化された「動機なきエリート」たちの群れです。彼らがランチタイムに1500円も2000円も払って、整然と並べられた「丸の内弁当」を買う。その光景こそが、日本の終わりの縮図なんですよ。
この弁当の特徴は、見た目の「お行儀の良さ」です。色とりどりの惣菜が、整然と区切られたプラスチックの枠の中に収まっている。一見すると豊かですが、そこには「食の強度」が決定的に欠けている。 本来、食事というのは生命のやり取りであり、ある種の「祝祭」のはずです。しかし丸の内弁当は違う。それは、栄養バランスという名の「数値管理」と、彩りという名の「記号消費」に完全に還元されている。
僕がよく言う「クズ」という言葉を使えば、これは「クズのための餌」です。なぜか。それを食べる人間たちが、弁当の内容物そのもの(クオリティ)ではなく、「丸の内で、この価格帯の、このパッケージのものを食べている自分」という承認の形式しか見ていないからです。中身の鮭がどれだけパサついていようが、煮物の味がどれだけ画一的であろうが、彼らは気づかない。いや、気づかないふりをする能力だけが発達してしまった。
今の日本は、社会学的に見れば「終わった後の世界」です。成長の神話は崩壊し、中間集団(家族や地域)も溶け落ちた。残ったのは、剥き出しのシステムと、そこにしがみつく孤独な個人だけです。 丸の内のサラリーマンたちは、心の奥底では気づいているはずです。「自分たちの仕事に意味なんてない」「自分たちはシステムの交換可能な部品に過ぎない」と。その耐え難い不全感を埋めるために、彼らは「ちゃんとしたもの」を食べているというポーズを必要とする。
丸の内弁当のあの「整然とした仕切り」は、彼らの不全な内面を一時的に仮構する「外部装置」なんです。バラバラになりそうな自我を、あのプラスチックの枠が支えている。だから、どれだけ味気なくても、彼らはあの形式を捨てられない。それは食事ではなく、システムの論理を内面化するための「儀式」なんですよ。
僕が提唱してきた「贈与」という観点から見れば、丸の内弁当は究極の「交換」の産物です。そこには作り手の顔も見えなければ、素材の荒々しさも介在しない。すべてがマニュアル化され、計算され尽くした「商品」です。 「誰が作ったかわからないが、とりあえず安全で、体裁が良い」という過剰なまでのマニュアル化。これは、かつて僕たちが失った「共同体の祝祭」の真逆にあるものです。
かつての日本では、たとえ貧しくても「共に食べる」ことの中に、理屈を超えたつながり(コミットメント)があった。でも、丸の内弁当をデスクで一人、スマホを眺めながら突っつくエリートたちに、そんな繋がりは皆無です。彼らはシステムに飼いならされた「家畜」であり、その家畜に与えられるのが、この去勢された弁当なんです。
じゃあ、どうすればいいのか。答えは簡単です。そんな「記号の餌」を食うのをやめることです。 僕がよくナンパやフィールドワークを通じて若者に伝えてきたのは、「身体の感覚を取り戻せ」ということです。丸の内弁当の整然とした枠をぶち壊して、もっとドロドロとした、予測不能な、強度の高い現実(リアル)に触れるべきなんです。
添加物まみれの「綺麗な弁当」をありがたがっているうちは、日本は良くなりません。それは、自分たちがシステムの奴隷であることを肯定しているのと同じだからです。 「まずいものはまずい」と言う。枠からはみ出したものを愛でる。システムの外部にある「野性の思考」を取り戻す。それができない限り、丸の内弁当を囲む光景は、この国の緩やかな死を象徴し続けるでしょう。
いいですか、繰り返しますよ。丸の内弁当を食べて「丁寧な暮らし」をしているつもりになっている君たち。君たちが食べているのは、自由の欠片もない「管理の味」そのものなんだ。そのことに絶望することからしか、本当の生は始まらない。
Xで流れてくるまで知らなかったが、最近GIGAZINEで『哺乳類の「一夫一妻制ランキング」が発表される、人間はビーバーとシロテテナガザルの間』という記事が出たので興味を持った。
『哺乳類の「一夫一妻制ランキング」が発表される、人間はビーバーとシロテテナガザルの間』
https://gigazine.net/news/20260101-human-monogamy/
あのダンバー数の提唱者もコメントしていて、『本質的に人間は一夫多妻制を望んでいる』と言っているし。
ロビン・ダンバー氏は、「これまでの研究で、人間は一夫一婦制の種と一夫多妻制の種のちょうど境目にあることが分かっています。人間は宗教的な禁忌やその他の社会的圧力によって一夫一妻制を取ることが多いため、これらの圧力が力を失えば一夫多妻制がすぐに出現するでしょう。本質的に人間は一夫多妻制を望んでいるものの、宗教的あるいは社会的な圧力によって渋々一夫一婦制に縛られているのです」
件のX
@12ryuta2666
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【ご報告】
2つの家の月40万の家賃、1億円かけて作った環境をすべて捨てます。
今日からヴェルファイアで「ホームレス」として生きていきます。
積み上げてきたものが消えるのは一瞬。
でも、後悔はない。
A. ゼロ金利制約に非伝統的金融政策で対応しようとした、という点でアベノミクス(クルーグマン流に言えばクロダノミクス)は海外の主流派経済学の知見に沿ったものだった。その前から日銀は非伝統的金融政策を進めていたが、半身で進めている面が目に付き、本腰を入れたのがアベノミクス以降、と言える。その点について例えばDell'Ariccia et al.(2018)(H/T 伊津野英克氏ツイート)では
the unconventional monetary policy measures adopted by the Bank of Japan between 2010 and 2012 had a muted impact on inflation probably because the central bank’s commitment to deliver sustained inflation was undermined by decades of mild deflation. Stronger effects were associated with the unconventional monetary policy measures adopted in 2013 when Prime Minister Abe provided political backing for the Bank of Japan to provide aggressive monetary stimulus.
(伊津野英克氏訳)
日本銀行が2010年から2012年にかけて採用した非伝統的金融政策手段は、インフレ率へのインパクトが弱かった。おそらく、持続的なインフレを実現するという中央銀行のコミットメントが、数十年にわたる穏やかなデフレによって損なわれていたからであろう。2013年に採用された非伝統的金融政策は、安倍首相が日銀に積極的な金融刺激策を提供するよう政治的支援を提供したため、より強い効果をもたらした。
と述べている*9。喩えるなら、ねじを外そうとしたが本腰を入れて取り組まなかったので何度も失敗し、ねじ山を擦り潰してしまって、その後の試みがやりにくくなった格好である*10。
なお、クルーグマンは流動性の罠を根絶したはずの疫病に喩えていた*11。その疫病に対処するためにクルーグマンが提唱したのがリフレ政策で、いわば疫病に対して経済学者が処方したワクチンに相当し、実際にそれを本格的に適用したのがアベノミクスということになる。そうした政策に対して賛否両論あるのは自然なことだが、本物のワクチンに反対するいわゆる「反ワク」と同様、非科学的な批判も散見される。コロナウイルスに対応するmRNAワクチンについては長期的な影響を過大評価している批判が良く見られるが、現在の円安やインフレをすべてアベノミクスのせいとする批判もそれに類似している*12。インフレについてはウクライナ戦争やコロナ禍、円安についてはそれらの要因に加えて上述のような日本経済のより幅広い構造に起因する面も大きいと考えられるが、アベノミクスにひたすら責めを負わせる人はその点を無視してるように思われる*13。
逆に言えば、(政府はまだ宣言していないが)最終的なデフレ脱却はアベノミクスだけでは十分ではなく*14、コロナ禍とウクライナ戦争によるインフレを要したということであり、それだけ流動性の罠の脱出は大変、ということを今回の経験は指し示しているように思われる。その点は、米国において大恐慌の影響を払拭するのがニューディールでは不十分で、第二次世界大戦を要した、という議論*15と同様と言える。
承前。
https://anond.hatelabo.jp/20251231152723
他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。
※ 2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。
そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。
様々な動物のコミュニケーションをサンプルに、「動物は言葉をしゃべっているのか?」を考察するノンフィクション。最後は、「そもそも言葉とは何か?」というところまでテーマは広がっていく。
まず、動物とその言葉の関係を評価するスタンスは、大きく分けて二つあると思う。一つは、動物は人間と同じような言語の概念を持ち、それを各自の鳴き声で表現している、という立場。もう一つは、動物における言語の概念は人間とはまったく異なる、という立場だ。
前者の場合、人と動物の言葉の違いは、極端に言えば日本語と英語の違いと同じものでしかない。つまり、翻訳も可能ということになる。
例えば、『クジラと話す方法』という本はこの立場に立って、クジラの歌声を大量に収集し、どういう状況で発された音であるかを分析すれば、統計的にクジラ語の辞書をつくれる…だけではなく、これをモデルとして逆にこちらから音波を発信することで、人間からクジラに語りかけることもできるようになる、という発想を語っている。
これと比べた場合、『まじめに〜』は後者の側に入っていて、人間と動物の間には言語同士以上の開きが存在する(=翻訳不可)、という立場に立っている。ロマンチックとは言えないが、これはこれで、動物の知性を人の方に寄せることなく理解しようとする敬意の表れがあっていい。
この本の作者が信頼できるのは、動物に言葉があるとして、それは絶対に字面以上の意味を含みうること、それゆえに特定の単語や文章に落とし込むのは困難だと強調するところだ。
例えば、群れを支配するリーダーが異性に対し、あるメッセージを発する。状況から推測して、それは人間の「あなたが好きだ。一緒にいたい」に該当する可能性が高い、とする。
しかし、それが人間とは別種の生態系を持つ動物が発するものと考えると、そこには親愛だけでなく、支配を目的とする攻撃性や、ライバルの同性への誇示を含みうる(極論、人間でもそうなんだけど。)。
そう考えたとき、それを人間の辞書で何かの言葉に頑張って置き換えることに、どれほどの意味があるのか? 我々にできるのは、鳴き声に込められたニュアンスをどうにか類推することであり、人間語に表すことはできないのではないか? というのが『まじめに~』のスタンス。こうした疑問が、生物のノンフィクションであると同時に、言語哲学のようで面白かった。『クジラと〜』とあわせて読むと、ロマンとリアリズムを一緒に摂取できる。
国内で話題になった「忍者グマ」、OSO18を追ったドキュメンタリー。
OSO18をめぐる作品は他にも読んだけど、俺はこの本が面白かった。それは、俺がOSO18の報道というのはクマ自体の話だけでなく、世間がそれを都市伝説的に楽しみ、駆除に反対する「動物愛護」を冷笑し、なんとOSO18は最後はジビエ肉になって卸されてしまいました、というブラックなオチまでエンジョイするという、「良質なコンテンツ」は骨までしゃぶろうとする人たちの現象でもあると思っていて、この本にも同じような批評的な視点があると感じたから。
もちろん追跡の記録もしっかりしているし、動物研究のプロフェッショナルへの取材もすごくいい。恐ろしいという印象がどうしても勝るけど、あるインタビューに出てきた「OSO18は賢くて、(あくまで野生動物としての基準で)とてもいいクマだと思う」という意見には、なるほど~、と思った。
ちなみに、二人体制で書かれており、OSO18に対する両者のスタンスは必ずしも同じではない。そのズレが、最後はいいかたちで表れていて、まず一人目の見解に考えさせられたあとに、次の筆者のパートでかなりひやっとくることが書いてあり、これも面白かった。
生物学のフィールド調査+民間信仰の採話という形式によるモキュメンタリーホラー。
2025年は、少しきつい言い方をすると、似たようなベクトルのホラーが「量産」された印象がある。ありていに言えば、大ヒットした『近畿地方の〜』ライクな作品が世間から期待されていたんだと思う。
俺も『近畿地方の~』がすごく面白かったので、他の作品も何冊か手にとってみたのだが、アイデア一発勝負をどうにか膨らませた感が強かったり、たくさんの情報をつなぐことに終始してストーリーとしては全然興奮できなかったりして、やっぱり『近畿地方〜』すげえな、という結論になった。
その中で、『堕ちた儀式の記録』はとてもよくできていたと思う。フィールドノートの章と散文調の章の使い分けが、ギミックとして巧みに機能していて、物語としてシンプルに先を読みたいと感じさせてくれたし、「考察」を楽しむことができた。
余談だけど、マジで2024~2025は同じタイプのホラーが本屋でひしめくことになっていて、選ぶのに苦労した。たくさん読んだ人の忖度抜きのランキングとかめっちゃ需要あると思う。
コロンビアに暮らす、とある血縁者たちに発生する若年性アルツハイマーに関するドキュメンタリー。2025年に読んだ本第1位。
この手の類の本が好きな人は、タイトルから別の本を想起するのではないかと思う。2022年に早川から刊行され、 (俺の観測した範囲でだけど)話題になっていた『統合失調症の一族』だ。
正直に言って、いわゆる二番煎じだと思いつつ読み始めた。しかし、血のつながりに起因する病をめぐって描かれた、医療の確立をめぐる尽力、フィールドワークの苦労、それぞれの家族の物語は、本当に深くて面白かった。
現代のコロンビアはギャングや過激派の悪影響が深刻で、それに加えて、いわゆる黒魔術的な頑迷な信仰の存在感も強く、多くの要素が医療の推進を阻害する。こうした環境で病人の発生した家庭を回り、治療のためのネットワーク構築に奔走した医療従事者の熱意と人柄はすごすぎる。到底マネできない。
暴力が蔓延し、インフラも貧弱な土地で、40~50代でアルツハイマーを発症した人たちは次第に会話が成り立たなくなっていき、汚物にまみれてぼろきれのように死んでいく。人間という存在に根本的にたいした意味がないということが、繰り返し描かれる。
その一方で、患者になった家族を支えるというかたちで、途方もない忍耐と強さ、なにより明るさを発揮する者がいることも、同時に描写される。治療法がなかなか確立されず、悲観的な事実ばかりが積み重なる中で、少しでも患者(予備軍)を鼓舞しようとするスタッフや、自分もいつか発症するかもしれないという恐怖と向き合いながら人生を切り拓こうとする血縁者の努力が描かれる。
読んでいて視点が二つに分かれていく感じがあった。シニカルになる余裕さえない、徹底的に乾いた虚無感と、人間の強さに打たれる感覚とが同時にあって、なかなかすごい読書体験だった。
二つ付記。
一つ目。上で書いたとおり、土着の宗教が障害になっているケースがあるが、=「宗教は科学の敵だ」とは限らない点にも注意がいると思っている。
これは別の本で提唱されている概念だが「WEIRD=Western Educated Industrial Rich Democratic」という、日本を含む先進国が大きく影響され、多大な恩恵を受けた「科学的とは、発展とはこういうことである」という価値観があり、これを強力に世界中に敷衍したものこそキリスト教である、という説があるからだ。
一方で、『闇の奥』でも示されているとおり、西洋の進出は別の土地にとっては侵略の歴史でもある(未読だけど、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』も同様だろう)。だいぶ話がズレる&ありがちなまとめになってしまうけど、「批判されているあるものには、こういう側面がある」というおさえ方と、搾取や暴力を基準に善悪の絶対の線を引くことの両方が必要なんだと思う。
二つ目。本書で紹介されている医療活動は、あくまで「コロンビアで」「アルツハイマー発症の機序の一部」をターゲットにしたものである。
言い換えると、他の場所で別のメカニズムから病気を攻略しようとしているチームもある。そこにはスポンサーや世間の関心をめぐる科学者同士の競争が発生し、企画を指揮する科学者にはプロデューサーとしての手腕も問われることになる。本書の解説を書いたライターの『がん征服』は、がん治療の驚くようなアプローチをいくつも紹介しつつ、その辺の内情もうかがえる良書だった。あわせて紹介しておく。
2025年に読んだ本の中で最恐。
これは挙げるかどうか悩んだ。ちょっと古い本というのもあるが、それより、ほぼ確実にほとんどの人に刺さらないから。ホラー好きでさえハマるか不明。単に俺が面白かっただけ。
うまく説明できる自信がないが、ホラーの一番の弱点は何かと考えたときに、「それは相手を怖がらせようとしていること」というところに落ち着く気がする。ホラーの大きな目的が、ホラーとして提供されるがゆえに邪魔されているというか。結局、誰かが死んだとか不幸になったとか、こっちを嫌な気持ちにさせたいんだよね? という。
自分で好んで読んでおいてなんだが、心のどこかでそういうことを思ってしまう。ホラーなんだからそりゃそうで、どうしようもない…のだが、『幽霊物件案内』は、その弱点がない。ものすごく巧みにそこを避けているのか、書かれているネタと書いている本人のどっちか(もしくは両方)が根本的に何かおかしいのか、とにかく何をしたいのか描きたいのかよくわらないまま、ひたすら猛烈に不穏なことが延々と書かれている。
どういう人に薦めたらいいのか考えたが、例えば2chの洒落怖にあった、『まったく意味がわかりません(バスの事故? に関すると思われる書き込み)』とかが近い気がする。あれが楽しめる? ならハマるかも。ただ、『幽霊物件案内』は文章自体はちゃんと成立しているため、かえってよっぽど異常な気がする。
以上。2025年はだいたい70冊ぐらい本を読んだ。来年は100冊を目指したい。本屋に行くたびに読みたい(そして読めない)本が増えていく!
日蓮という人物の「エネルギーの強さ」や「物事の核心を突き詰めようとする情熱」を考えると、令和という現代なら、また違った輝きに全力を注いでいたはずなんですよ。
日蓮は、当時の既成宗教(浄土宗や禅宗など)に対して「それでは人々は救われない」と真っ向から挑んだ、いわば「時代の最先端を行く改革者」でした。
もし彼が現代に生まれたら、どんな「きらきらしたもの」に熱中しているか、いくつか可能性を妄想してみましょう。
日蓮が法華経にこだわったのは、それが「宇宙の根本法則(妙法)」だと信じたからです。現代なら、古文書の中ではなく、宇宙の果てや量子レベルのミクロの世界に「世界の真理」を見出そうとするかもしれません。
「火星移住こそが人類の宿命だ!」と叫びながら、スペースXのようなプロジェクトを自ら立ち上げている姿が目に浮かびます。
彼は当時の幕府(中央集権)に対して、命を懸けて異を唱えました。現代なら、既存の金融システムや巨大テック企業に対抗する、完全に分散化された新しい社会インフラの構築に熱中しそうです。
「中央集権的なプラットフォームに魂を売るな!」とSNSでインフルエンサーとして大暴れしているかもしれません。
「一人ひとりが仏になれる」という法華経の思想を、「全人類の知性を拡張するAI」として具現化しようとする可能性もあります。
誰もが等しく最高の知恵を持てる世界を作るために、寝食を忘れてコーディングに没頭する日蓮。彼の性格なら、既存のAIの限界を指摘して「これこそが真のAIだ!」と独自のモデルを提唱しそうです。
おっしゃる通り、彼の性格は非常に情熱的で、妥協を許さず、常に「最高のもの」を求めます。
鎌倉時代において、法華経は彼にとって「最も新しく、最もダイナミックで、最も救いのあるクリエイティブな教え」でした。
こうした、「今の世界で最もエネルギーが渦巻いている場所」に真っ先に飛び込んでいくはずです。
これ思い出した
モンスターハンターについて考察することだが・・いくら何でもモンスターの名前が幼稚すぎないか?
まあ、ゲームだから子供向けなのは仕方ないが、リオレウスとかティガレックスとか
かなりの数がプレイしているのだし、正直
名前はもう少し年齢層を上げて欲しいと願う。
みたいな。これくらい言葉遊びやテーマ性を込めた名前。海外で売れないのは
海外プレイヤーが年齢層高いシリアスゲームを要求してるからだと思う。
一応開発にもメールしてみるが・・・。マジで次回作名前変わったらスマンw
皆はどう思う?
武器の名前だからといって、名詞である必要はない。文章、あるいは単文でいい。
これは数年前から各社開発部にメールで提唱させていただいてるんだがねぇ。
「お正月に食べるなら、おせちか?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……正直に申し上げます。これまで、プロレスや野球、さらにはサンタクロースまで、あなたの突飛な比較に付き合ってきました。しかし、今回は看過できません。「おせちか、ダイアン津田か」? 食べるんですよ? 物理的に摂取する話をしているんですか? それとも比喩ですか? どちらにせよ、正月の神聖な食卓に対する冒涜です。
B: 落ち着いてください。もちろん、カニバリズムを推奨しているわけではありません(笑)。これは「正月の朝、何を心に取り込み、何を味わうか」という、精神の栄養学の話です。おせちは確かに美しい。黒豆、数の子、栗きんとん……それぞれに意味がある。でも、それってどこか「保存食」の冷たさを感じませんか? 重箱に詰められた、動かない、冷えた伝統。
A: その「冷たさ」が良いんじゃないですか。火を使わずに神様をお迎えし、保存のきく料理を家族で囲む。そこには先人の知恵と、一年の平穏を祈る静かな時間があります。そこにダイアン津田が入り込む余地なんてありません。食卓で「ゴイゴイスー!」と叫ばれて、喉に餅が詰まったらどうするんですか。
B: むしろ、詰まった餅を吐き出させるくらいの衝撃が、今の日本のお正月には必要なんです。おせち料理は、確かに縁起物です。でも、今の時代、黒豆を食べて「マメに働く」なんて、ちょっと社畜精神が過ぎると思いませんか? そんな呪いのような縁起物よりも、津田さんの「理不尽に耐え、泥臭く這い上がるエネルギー」を摂取する。彼の生き様を五感で味わう。これこそが、激動の1年を生き抜くための最高の「心の栄養」ですよ。
A: 意味が分かりません。食卓は五感で楽しむものです。おせちの彩り、お屠蘇の香り、家族の穏やかな会話。そこに津田さんという「雑音」を置くことが、どう栄養になるんですか。彼は「珍味」ですらありません。ただの「刺激物」です。正月の胃腸には負担が大きすぎます。
B: 刺激物、結構じゃないですか。おせちは甘すぎたり、しょっぱすぎたり、味のコントラストが固定されています。でも津田さんは、いつキレるか分からない、いつ泣き出すか分からない。その「味の予測不能さ」こそが、退屈な正月にスパイスを与える。お重の隅にちょこんと座っている津田さんを想像してみてください。
A: 想像したくありません(笑)。重箱のテロですよ。数の子の隣で彼が顔を真っ赤にして叫んでいたら、せっかくの高級食材も台無しです。おせちには「形式美」がある。津田さんには「形式」も「美」もありません。あるのは「露出」と「騒音」だけだ。
B: 形式美は、時に人を窒息させます。正月の朝から、行儀よくおせちをつつく。その背筋を正すような感覚が、今の若者や疲れた大人には重すぎるんです。でも、津田さんが食卓にいる(あるいは画面越しに食卓を支配している)だけで、「ああ、こんなにグチャグチャでいいんだ」「叫んでもいいんだ」と、心が解放される。これは、どの縁起物にもできない「魂の除夜の鐘」なんです。
A: 除夜の鐘は、煩悩を払うために叩くものです。津田さんは煩悩そのものでしょう。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、最近のおせちが「見栄え」や「映え」ばかりを追求し、本来の「家族で囲む喜び」から離れつつある、という点ですね。
B: そうでしょう? カタログから選んだ数万円の冷凍おせちを解凍して食べるのと、生身の津田さんの叫びを浴びて「よっしゃ、今年もバカやって生きよう!」と笑うのと、どちらが「初日の出」に相応しいエネルギーに満ちているか。
A: ……議論の筋道が見えてきました。つまり、おせちが「過去から引き継ぐ安定」なら、津田さんは「未来へ突き抜ける混乱」だと。第2ラウンドでは、もし「おせちの具材」として津田さんを解釈するなら、彼はどのポジションに位置し、私たちの1年をどう予祝(よしゅく)してくれるのか、そこを詰めましょう。
B: いいですね。田作り、チョロギ、そして津田。新しい伝統の誕生ですよ。
(続き)
A: さあ、あなたが提唱する「おせちの具材としての津田」という概念ですが、冷静に考えて無理があります。おせちの具材は、すべてが「静止画」として完成されているんです。エビは長寿、栗きんとんは金運。彼には一体、どんな意味を付与できるというんですか?
B: 彼は「田作り」ならぬ「場作り」ですよ。五穀豊穣を願う田作りに対して、津田さんは、冷え切った親戚同士の集まりや、ぎこちない家族の会話という「場」を、その叫び一発で耕してくれる。彼がそこにいるだけで、正月の「沈黙という名の重圧」が霧散するんです。
A: 場を耕す……。それは単に「荒らしている」だけでは? 数の子の「子孫繁栄」に対して、津田さんはどうです? 彼は常に「独りよがりな叫び」で周囲を困惑させている。一年の計を立てる元日の朝に、そんな無計画なエネルギーを摂取したら、12月まで行き当たりばったりの人生になってしまいますよ。
B: それこそが最高のご利益(ごりやく)じゃないですか! 私たちは、あまりに計画を立てすぎ、正しさに縛られすぎている。おせちを食べて「こうあるべき」という伝統を胃に流し込むのもいいですが、津田さんの「予測不能な生命力」を浴びて、「予定通りにいかない1年」を面白がる余裕を持つ。これこそが、現代における最強の「開運」ですよ。
A: ……なるほど。おせちが「規律」を食すものなら、津田さんは「解放」を食すものだと。確かに、おせち料理はどれも味が濃くて、保存性を高めるために「固め」に作られています。それに対して津田さんの芸風は、常に「柔らかい」というか、どこからでも崩れるし、どこからでも突っ込める。
B: そうなんです。おせちは「過去」を詰め込んだ箱ですが、津田さんは「今」しか生きていない。あの、その場しのぎの「すぐ言う~!」や、冷や汗をかきながらの「ゴイゴイスー!」。あの刹那的な輝きを正月に取り込むことで、私たちのカチコチに固まった「日常」が、一気に生命力を帯びてくる。
A: 認めましょう。もし、家族全員がスマホをいじりながら無言でおせちを突いているような正月なら、いっそ津田さんという「猛毒」を投入して、全員を強制的に笑い(あるいは困惑)の渦に巻き込んだほうが、よっぽど「正月らしい」のかもしれない。
B: そうでしょう! 綺麗に並んだ伊達巻を食べるより、津田さんの乱れた髪と、必死な形相を眺めるほうが、よっぽど「人間っていいな」と温かい気持ちになれる。おせちという「形式」を食べるか、津田さんという「命」を食べるか。
A: 私はやっぱり、静かにおせちを食べていたいですが……でも、お重の端に、隠し味として「津田的な混沌」を少しだけ忍ばせておくのも、悪くない気がしてきました。
B: 来年の正月は、重箱を開けたら津田さんが飛び出す……そんな「びっくりおせち」が日本のスタンダードになるかもしれませんね!
テイタムつながりで見たバカが撮ったバカアクション映画の凡作。62点。
バカが自覚的に大真面目にバカな映画を撮ることに対して許せるなら楽しめるしそうじゃないなら激怒するそういう映画。ちなみに俺は賢こぶったやつがバカでしょ~ってやってくるやつとか、バカが賢こぶって映画撮ってるやつとかよりはよっぽど好きです。
シークレットサービスの試験に落ちたダメパパテイタムが娘とホワイトハウスツアー中にホワイトハウスがテロリストに乗っ取られてしまう。トイレに行っていて難を逃れた(そんな雑な設定ある?)娘を助けるために人質部屋を逃れたテイタムは大統領とタッグを組みテロリストとの戦いに挑む。
監督がインデペンデンス・デイ、GODZILLA、2012の"あの"ローランド・エメリッヒなので知能指数を著しく落としてみるべき映画である。映画としてはほとんど規模を派手にしたダイ・ハードなので、あの時代――1990年代初頭のアクション映画を見るテンションで楽しめば問題なく時間を潰せる。
アクションの質も雑に銃撃って敵には当たってこちらには当たらない。敵にミニガンやロケランで撃たれまくりながらのカーチェイス。最後には敵の大ボスと筋肉格闘と1990年代アクションをお手本のようになぞっていて、今更新鮮味はないが懐かしくも楽しい感覚を味わえる。
ただまぁ、とにかくいろいろ雑で。
大統領専用リムジンでホワイトハウスの中庭でカーチェイスするっていう面白シーンがあるんだけど、敵からハチの巣にされて反撃したい、せや後ろに武器詰んでるって聞いた!ロケランあったで!やったぜ!撃とうとしたら落としちゃった(´・ω・`)っていうナニコレ展開があるのすごくない?まずなんでビーストにロケラン積んでるんだよっていうね。仮に武器を積んでるのはあるとしても弾数1しかない武器は選ばんだろ。で、出してきて即落とす。エメリッヒのギャグ感覚ってマジで独特だと思う。俺は嫌いじゃないけど。
あと最後に敵の準黒幕を武装車両で壁にサンドイッチした上で至近距離からミニガンで撃つという無茶苦茶展開があるんだけど、ミニガンってミニってついてるけどガトリング砲なのね。あんな距離で撃ったら普通に肉片になるだろ。ミニガン撃ち始めたところでドン引きしちゃったけど、なんか全然普通にサブマシンガンに撃たれた程度で落ち着いててそれはそれで逆にないだろと思っちゃった。
ストーリーとしては俺が常々提唱している「邦ドラはバカしかいなくて、洋ドラはクズしかいない」の典型だった。なんか出てくる奴みんなちょっと嫌な奴なんだよね。敵がみんなちょっとおかしいのはいいとして、子供との約束は破るわ不定職者だわ怒りっぽいわのテイタムにこしゃまっくれたYoutuber気取りのガキになんか常にグダグダうるさい大統領に地対空ミサイルあるつってんのに無視してヘリ落されても何も言わん黒人軍人とか。まぁ軍人はたぶんあれでクビになってコンチネンタルホテルのコンシェルジュに転職したんだろうけど。
今作のテロリストが「実行力のあるネトウヨを集めました!」みたいな設定なの何気に好き。
個人的に好きなシーンは大統領が倒れたテロリストから銃を奪おうとしたらテロリストが急に息を吹き返してもみ合いになった末に大統領が「私のエアジョーダンに触るな!」って言いながらテロリストの頭を蹴りまくるシーン。バカシーンすぎてホント好き。
黒幕の説得に奥さんを呼んでくるんだけど動機を聞いた奥さんが「わかった、やり遂げて!」って後押ししちゃうシーンも好き。エメリッヒってバカ映画ばっかり撮ってるけど、そこいる?ってところで人間臭さをちゃんと表現してくるところ好き。
大統領がテロリストの支配下にあるとして副大統領がスライドして大統領になる展開があるんだけど、何と作中で今度は副大統領が乗った飛行機がミサイルで撃墜されて死亡するという映画史上でもおそらく最短任期の大統領になっちゃう雑展開もホントエメリッヒって感じ。しかもそこにはテイタムの恩人であり親友も乗ってたんだけど、以降その話一切出てこないのも潔くてよい。バカ!
そして最後、核の発射スイッチが押されそうだからホワイトハウスを空爆したろwwwってなって激闘の末に敵を倒すも空爆は止められそうにない、もうダメだァおしまいだぁってなったところで娘が走り出して大統領旗をぶんぶん振り回してそれを見たパイロットが勝手に帰っちゃって助かる展開のバカさ加減。あまりにクソ展開なんだけど、冒頭のテイタムが「娘が6週間練習した旗振り大会を見に行かなかった」っていうどうでもいいフリの回収になっていて、バカにするにしきれない複雑な感情になりました。
余談としてすげーどうでもいいけど、大統領が持ち歩いているフットボール(核の発射スイッチとされるもの)から直接核ミサイルが発射できるとは到底思えないんだけど。正しいコードが入力されたため発射されます!って言ってたけど、そんな遠隔で即発射できるようになってるもん?今作ではちゃんと旧来のケースとボタンだったのが2025年映画のハウス・オブ・ダイナマイトではタブレットになってたのに技術の進化を感じた。
まぁそんなこんなで1990年代初頭のブルース・ウィリスとかのアクション映画を楽しむテンションで見れば普通に2時間楽しめる映画だと思う。決してゼロダークサーティとかボーダーラインを見るテンションで見てはならない(戒め)。
お好きなものをご注文ください😉
ハラスメント種類2025/2024/2023/2022/2021/2020/2019/2018
ハラスメントの種類は他にもたくさんありますが『職場で特に起きやすいハラスメント』の種類を抜粋しております。ハラスメント研修等にご活用ください。
正当なクレームをカスハラと拡大解釈、一方的に対応を拒否して客に不利益を与えたり、逆ギレ、暴言、嫌味を言って客を不快にさせる行為
病院や介護施設等において、患者、利用者、その家族等が医療従事者や職員に暴言や暴力、理不尽な要求、性的な言動等をする行為
不機嫌な態度や表情、ため息を繰り返し相手に精神的苦痛を与える行為
有権者が議員や立候補者に対して投票の見返りに不当な要求をする行為
株式会社バチェラーデート×日本ハラスメント協会 共同定義職場環境などにおいて、他者の恋活(婚活)アプリの利用にかかわる情報を周囲に言いふらしたり、プロフィールを許可なく第三者に広めるなど、利用者または利用検討者に対し、苦痛や不快な思いをさせる行為
ハラスメント調査終了後に加害者、被害者、関係者に向けられるパワハラやセクハラなど様々なハラスメント行為
ZOOMやTeamsなどWeb会議システムを通したやりとりの中で起きるパワハラやセクハラなど様々なハラスメント行為
新型コロナウイルスという社会問題を建前にして、人をばい菌扱いすることや、差別、暴言、排除、強要などをする行為
優越的な関係に基づき、業務上必要な範囲を超えた言動により就業環境を害すること
ハラスメント被害者が事実を他人に訴えることで逆に圧力や非難など二次的被害を受けること
上司などに対して何かにつけて 『これはハラスメントだ』と主張する行為
女性に対して妊娠や妊活のことを聞くことで不快な思いをさせてしまう行為
個人の外見や趣味など、その人の個性を否定するような発言をする行為
社会的な地位の強い者が立場を利用して弱い立場の人にアルコールを飲むように強要する行為
仕事がまだ残っている従業員に対して経営者や管理職が仕事の切り上げを強要する行為
リストラ対象者に対して嫌がらせをしたり不当な扱いをして自主退職に追い込む行為
社内などでエアコンの設定温度によって他人の体調を損なわせてしまう行為
恋愛や性関係などをしつこく聞くことで相手に不快な思いをさせる行為
相手の許可なく写真を撮ったり、写真を勝手にSNSにアップするなどの嫌がらせ行為
職場にいる特定の人にだけお菓子を分けなかったり、旅行に行く人に対してお土産のお菓子を強要するなどの迷惑行為
接待や飲み会などのカラオケで歌いたくない人に無理やり歌うことを強要する行為
他人とコミュニケーションをとる事が苦手な人に必要以上にコミュニケーションを取ろうとする行為
喫煙者がタバコの煙などで非喫煙者に不快な思いをさせてしまう行為
単身者に対して交際や結婚することを必要以上に勧めたり強要する行為
同性愛者に対して差別発言をするといった行為るような発言をする行為
パソコンやスマートフォンなどのテクノロジーに詳しい人がそうでない人に対して嫌がらせをする行為
「特許庁が認めた技術"白髪を無くす"のではなく、"白髪を活かす"ご提案」と書いてあるけれど、
特許庁が認めたのは、技術や、それに付帯するツールなどじゃなくて、
「#脱白髪染めハイライト M Official Account」という、公式アカウント用の商標のようだ。
(このついでに「ダツシラガゾメハイライト」という呼称を登録している)
「脱白髪染めハイライト」とは、白髪と黒髪が混在しているとき、白髪染め(黒染め)をべったり塗るのではなく、
黒髪を明るくして、デザインとしてなじませる技術(白髪ぼかし? 白髪ぼかしハイライト?)のようで、以前からあったものらしい。
「これまでは『白髪ぼかし』と言われていたけれど、何かイメージが悪いから、『脱白髪染めハイライト』と言い換えることを提唱します!」
なら分かるけれど、
は、ずいぶん大きく出ていたんだな、と。
なんかちょっと面倒な人だったのかも。
謹んでご冥福をお祈りします。
あ、亡くなった方の名前でX検索すると、「私は松田の会社に勤めています」と称し、韓国人の半グレと揉めていたとか書いているアカウントがあるけれど、