はてなキーワード: MCUとは
「アンパンマン」が「マーベル」より売上が高いというのは事実です。その理由は市場規模の違いや、売上の源泉がグッズを中心とした“キャラクタービジネス”によるものだからです。
世界キャラクタービジネスの総売上ランキング
キャラクター名 累計売上(ドル) 世界順位 主な売上源 ポケモン 約921億 1位 グッズ、ゲーム、カード ハローキティ 約800億 2位 グッズ アンパンマン 約602〜660億 6位 グッズ、飲食、テーマ施設 マーベル 約291億 11位 映画、グッズ、コミック なぜアンパンマンがこれだけ大きいのか
つまり、アンパンマンの“キャラクタービジネス”は商品の種類と浸透率の圧倒的多さと、乳幼児マーケットに特化した“毎日消費される商品”への展開力によって、マーベルの映画・グッズビジネスを上回る市場規模を実現しています。
ホンマかいなこれ
現状、スト6が覇権で1強だとして
・GUILTY GEAR -STRIVE-
2021年発売、ギルティギアシリーズの最新作で現在もアップデートが続けられており
地味にVtuberやストリーマーに案件を投げたりイベントを投げたりして頑張っている。
わかりやすいアニメ調で外連味溢れるキャラは他にはない持ち味となっている。
・鉄拳8
7までの防御主体の方針を一変し攻撃主体(アグレッシブ)に変更するも評価は微妙。
スト6と同じように簡易操作モードを取り入れたが使い物にならず、既存プレイヤーの排他的な性質から新規でストリーマーなどはほとんど居着かなかった。
season2で大幅な調整を行ったところゲームが壊れ評価も人口も地の底に落ちてしまった。
その後、調整で少しずつバランスを戻しつつあるが本流から外れてしまった感は否めない。
サッカー選手のクリロナや世界的DJのガナッチがプレイアブルキャラとして登場するなど、これもうわかんねぇな。
スト6の有名プレイヤー(SNKゲームの有名プレイヤーがスト6に来てただけだが)が多数参戦しており、
そういう意味ではプロシーンの注目度はまだマシな感じだが、ゲーム自体があんま売れてない。
まぁストリーマー、プロゲーマー界隈でちょっと流行って消えていく時代のあだ花。
・2XKO
2025年発売予定、世界覇権ゲーのリーグ・オブ・レジェンド(lol)のスピンオフゲーム。
コマンド入力での技発動を廃しており世界覇権ゲーのスピンオフということもあり
格闘ゲームにこれまで興味がなかった層も取り込もうという気概を感じる。
プロゲーマーもこぞって参入を予定しており、次盛り上がる可能性があるとすればコレ。
・バーチャファイターの新作
今更感はあるが正式タイトルとしては20年ぶりの新作になる予定で期待感も高まっている。
頑張って作ってるはず。
ギルティギア、ブレイブルー、北斗の拳などを開発したアークシステムワークス開発。
4人タッグを採用。
マーベルはMCUのみならず過去にはマーベルVSカプコンとして格闘ゲーム展開もあり格闘ゲームファンには根強い人気があり、格ゲー開発には定評のあるアークゲーのため一定以上の評価、シェアを取りそう。
ついでにデッドレコニングも見た。
デッドがマジで酷すぎてそれに比べたらマシだけどやっぱ相当酷い。
デップー&ウルヴァリンやワイルドスピードファイヤブーストみたいな作品だった。
シリーズ追ってきた人に対するご褒美映画というか、製作者のケジメ映画というか。
過去作品からいろんな人物がちょこちょこ出てきて雑に消費されていく。
これ見て「サービス精神がすごい!」ってみんな言うからMCUみたいなサプライズゲスト商法が蔓延るんだろうな。
一生やってろアホ。
どっちも悪い部分は共通していて、しかもその部分がこの作品のウリになっているのがタチが悪い。
そういう意味ではnot for meな作品なのかもしれないが、
それでもレコニングシリーズになるまではまだおもろかったんだよ。
なので、このレコニング2部作が特にヤバいんだと俺は思ってる。
もう語り尽くされてるけど「いい歳したトム・クルーズがすごいスタントを自力でやる」ことだけが主題で
あとはそのスタントにどうつなぐか以外にほとんど意味がない作品になっている。
なので、どっちも二時間半を超える大作だけどほとんどの時間が退屈。
特にデッドはもう話が退屈で退屈で。
ウルトラグレートスゴイAIを支配する鍵の奪い合いゲームなんだけど、
スられました、スり返しました、スられ返しました、スり返しました、落としました、それを拾われました、それをスり返しました、終わり。話がイチミリも進んどらんのよ。
やってるのが超A級エージェントと超AA級エージェントとその辺のスリの女。アホなん?
デッドではUGS(ウルトラグレートスゴイ)AIが電子機器にアクセスしまくって妨害してくるっていう(凄腕ハッカーが出てくる作品とどう違うのかよくわからんが)現代のスパイの弱点を突く展開があって、そこは若干の面白みがあったんだけど。
ファイナルはそのAIにほぼ全世界が支配された世界の話なのに急にAIの影が薄くなってて笑う。
核発射施設へのハッキングに忙しくてイーサンのほうには意識が避けなかったのかもしれない。
ファイナルのほうは多分、スタントしながら脚本書いたんだと思うんだよね。
今回のウリのトム・クルーズが小型飛行機の免許取って実際に飛行機運転しながらやりました!ってスタントがあるんだけどさ。
そこでラスボスの飛行機に空中でトムが乗り移っててんやわんやあって飛行機が壊れて、敵が「パラシュートないからお前死ぬで」って言って飛び降りたら尾翼に頭ぶつけて死ぬっていう酷い展開があるんだけど。
でもまぁ、空中で超高速で飛行する壊れた飛行機に取り残されたトム。どうやって脱出するのか!
パラシュートありました!やったぜ。
エッ!?
たぶんさー、飛行機に取り残されたところまで撮って、やっぱいい感じで脱出するの無理やなってなったから、パラシュートあったことにしとこうぜってなったんだと思うんだよね。じゃなきゃ説明つかない。悪役の人頭打って死んじゃったし、もうスタント撮り直せないからそのまま行きにしたんだと思うの。
M.Iシリーズはアクションを魅せる映画だって主張は6割は理解できるとしてもこればっかりは擁護のしようがないでしょ。
俺は別にそうは思ってないし、過去作に登場したラストの大どんでん返しもなくなってれば、面白スパイガジェットもなくなってるし、これが本当にM.Iシリーズか?M.Iシリーズファンならこの作品を嫌いになるわけない!って言ってるやついっぱい見たけど、この2作は明らかにスパイ大作戦じゃなくてトムのスタント大作戦だろ。
で、パラシュートで着地したトムをバックにこの作品のテーマを死亡したルーサー(レックスじゃないほう)先生が5分栗かけてペラペラお語りになられるんだけど、まーじでダサいからやめて。最後に「このメッセージは5秒後に自動的に消滅する」って出るんだけど、それは「視聴者の頭からも5秒後には消滅してる」って意味か。ずいぶん自虐的だな。
あとどうでもいいノイズとして、まーた黒人の女大統領かよっていうのと、サイエントロジー信者が陰謀論者を説教する映画is何っていうのと、結局スリの女、ホンマにその辺から急に生えてきたスリの女なん?っていうのと、ガブリエルに妻を殺されてMIFに入ったトムが今度はガブリエルから大切な女を救う話かと思ったらそっちはそっちで勝手に問題解決してて草、とか。
過去のM.Iシリーズを好きだった人ほど、この作品の適当さには心底怒りがわくと思うんだが。
もちろん、特にこのVFX全盛期でここからAIに映画業界が支配される可能性もある時代にいい歳したトムが自分ですごいスタントをやって、そのことで役者ってすごいんだぜ、生身の人間がやる映画ってすごいんだぜ!っていうランドマークを打ち立てたこと自体は大変意義のあることだし、トムありがとう、そしてありがとう、って思いはある。
が、それと映画が面白いことは別だし、生身の人間が危険なことやってるのがいい!ってだけならそれこそXゲームのダイジェスト集でも編集して映画サイズにしとけばよくね?主役をヴィン・ディーゼルとかアイスキューブとかにしてさ!
とにかく最後に言いたいことはトム・クルーズお疲れ様。安らかに眠れ。R.I.P
二度と復活するな。
サムネ画像が「サンダーボルツ ニューアベンジャーズ」になってたんだけど雑なネタバレやめろ。
サンダーボルツがニューアベンジャーズになるのは作中の最後の最後で明かされるある意味で衝撃の結末!って部分だろがい。
MCU版アマンダ・ウォラーみたいな女がMCU版スーサイドスクワッドを勝手に結成して勝手に始末しようとして失敗して、テメェぶっ殺すぞ!と乗り込んだらなぜか記者会見の現場で「彼らがニューアベンジャーズです!」って全世界的に発表されて、え?そうなの?で作品終わり!っていう。
今後の展開にも関わるサプラーイズ展開だろが。
まぁ本国でも公開2週目にはサンボルのポスターをキャスト陣がニューアベンジャーズポスターに貼りかえるってパフォーマンスして「早すぎるやろアホか!」って問題になってたくらい、ディズニー側からすれば別に隠すようなことじゃないと思ってるにしても、サムネでネタバレは雑すぎるだろ。
の追記
何個か読んだやつあるけど、面倒なんで全部まとめときました。
とりあえず、「怪談小説という名の小説怪談」の文庫版がちょうど売ってたんでこれにしました。サンキュー
後は「忌録」も。
そうは言っても、原作より面白い映像作品見たことありますかアナタ?あったとしても数例でしょう。
バーナード嬢でも無いのにわざわざ不愉快になる順番で見る必要ないでしょう。
出た順番に見ていくのが正解とか考えてるのはMCUオタクだけですよ。
原作ありの映像作品なら映像作品の方がとっつきやすく作ってるし、後から原作読んだ場合もイメージがつきやすい。
クソ改変されてるのを見て不愉快になるくらいなら、初めっから原作読まずに映画見る方がいいですよ。
SCP依談を勧めようと思ったけど好みじゃないのか。
まあ、SCPはどれだけ難解な資料から恐怖を読み取るか?みたいなとこを是としてるところあるから、難しい報告書とか読むの嫌いな自分にはまず合わない。
右園死児はSCPに見せかけた超展開が面白いので読んだほうがよい。
SCPって割と超展開だらけじゃないっけ…?概念的な何か出てきたり、世界終末するタイプよく見るけど。
興味はあるので読んでみます。
anond:20250521002326 アラフォー独身Webエンジニアの金融資産棚卸しと気づいたこと
anond:20250521173642 都内在住のアラフォー子持ちWebエンジニアの金融資産棚卸し
anond:20250522100954 40超えWebエンジニアの収入と貯金とこれからと生き残るために
に触発されて。3つ目の人生パートがもっとも刺さる内容であったとは思う。
産休育休異動転勤を経た中で良くやっていると思う。こちらは優秀で既に管理職の声が掛かっているが、責任だけ増えて割に合わないということで引き受けていないとのこと。
400万円
まとまっているわけではなく、子供名義に散っているものも含む。マネーフォワード契約していなかったらこの棚卸をする気にならなかったと思う。たまにイラつくけど助かるよMF。まだ黒字にならない が頑張ってねMF。
100万円
ちまちま個別株。積極的な売買は全くしておらず、銘柄に一貫性なし。インデックスを手動でやっているようなもの。
700万円
子供が大きくなったタイミングになるまで塩漬け確定。定期預金と同じ性質。
今思えば全て投資信託で良かった。損切するほどではないので放っている。
1500万円
S&Pがほとんど。一部オルカン。 一時期ロボアドバイザーに突っ込んでいたがやめた。5年ほど預けて130%くらいの成績だったので不満は無い。
投資リテラシーはあるつもりで、今はもうやることが無いがNISAに手を出すのだけやたら遅かった。利益に20%取られてたの無駄だったなと思う。
ジュニアNISAも含んでいる。これも満期が来るまで下ろせない定期預金・学資保険と性質は似ていると思う。
月収支で足は出ているが確定申告でトータルプラス。リスクも抱えているのは分かるがあまり不安を考えないようにしている。地震や姉歯案件になってしまったら泣く。
300万円
もっともキナ臭いであろう。スイングトレードで儲けたかったが、戦果は微々たるもの。放っておいて勝手に価値だけ上がった。たまに急落するニュースを目にして凹む。
老後の安心より今の消費に使いたい。
換金性が低いからあまりこの形で持ち続けたくないが、サービス開始の手軽さとPayPay証券口座開設の面倒さにより数年来使い続けている。トランプで荒れる前は瞬間最大風速+100%叩き出していてやたら成績が良かった。
子供の習い事がでかい。たまに上述の貯金や投資信託を切り崩している。
塾が高い。年払いで死ぬ。今のところ公立だが、中高大と将来私立に入ったらきつくなるであろう。そのための備えではある。
年に2-3回国内旅行。
カード払いとPayPayで生きている。昔はポイント還元率命で漢方スタイルクラブカードという一般認知度は全くないカードをメインで使っていた。同志はいるだろうか笑 今はプラチナプリファード。
毎月の引き落としが自転車操業。こんだけ資産あるくせに銀行現金残高が足りなくなることがあってメインバンクの超短期カードローンをしょっちゅう使っている。4万円借りて3週間後に返すとか。各種ポイントの微かな利ザヤをここで失っている。新NISA毎月10万円つっこんでるせいでもある。年間360万円フル枠は埋められない。
子供が巣立つまでに掛かる金と2馬力の収入と老後の天秤。今後の出費が増えるのは確定。自分の収入がもっと増えれば良いが、給与テーブルを見てもここから激増するわけではない。
大卒20年働いて、あと20年働くのか。働けるだろうか。漠然とした不安はある。ステップアップやリスキリングというやつを多少はして、実にはなった。
年を取ると体力とやる気がなくなるというのはその通りで、既にじわじわと感じている。今の内に趣味や交流を増やしておくべきとは思う。
流行のコンテンツを追えなくなってきた。アイアンマンは好きなのだがMCUを見終えていない。アニメの完走も出来なくなった。みんなの感想を読んで満足している自分がいる。
前ほど心が動かなくなった様に思う。辛くはないが面白くもない人生。少しだけ違う1年の繰り返し。
諸君らが大人になるころ、この国がもっと生きづらくなっていそうだなと思う。高い税金納めてるのにな。
子供は設けた方が良い。これほど予測不可能で自分が成長させられるなものはない。社会との関わり、関心が桁違いに変わる。親の立場でなければ知ろうとしないことが多い。個々人の事情があるので面と向かって言うことは無いが、内心はこう思っている。
言われて見ればこんな風に「皆の盛り上がってるところで知識なくて、さっぱり盛り上がれない」ってなる可能性もあったわけだよな~。
Beginningを映画館に見に行って、ファースト視聴する気になった訳だから、さっさと映画見に行った自分の判断を褒めてやりたい。
ただもうアレで盛り上がれなかったんだったら確かに視聴者層から外れそうよな。
アベンジャーズとかMCUは最初から全部見ろとか言う癖に、ガンダムにはそれ適用されないとか都合良すぎるんだよこういう輩。
映画版ならファースト3本、Zも3本。合計6本。ZZはまあ…映画版ないから50話見てくれ。
逆シャアは今んところ要素無いけど見といて。F91要素もあるんで見といてね。
アベンジャーズ全部履修するのに比べたら楽だろこんなん。
マーベルシネマティックユニバース、略称MCUが、アベンジャーズエンドゲームの後のフェーズ4から低迷してるって言われてるじゃん。
それに異論を唱えたい。
低迷の理由はいろいろ言われてるが、どこに理由を求めるにせよ、フェーズ4からうまくいってないってのは、マーベルないしディズニー自体も認めているレベルで、共通した見解である。
でも本当にそうか?
興行収益や世間の話題度で言えば、不調になっていったのは確かにフェーズ4からなのかもしれない。
けど改めてラインナップを見ると、フェーズ3から陰りが見えてきてない?
シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ
シビルウォー、GoGリミックス、インフィニティウォー、エンドゲーム、ファーフロムホームの5作はばっちりよかったと思うよ。エンドゲーム、マジで気持ち良かった。
でも残り半分って……どうだ?
まあブラックパンサーは世間に迎合して良作としてもいい。俺は、物語もアクションも面白さとしてはソー1作目よりチョイ上でアントマン1作目より下でネトフリデアデビルと同じくらいなのに、黒人ばっかのキャストや監督でヒーローやるのが歴史的にどうのみたいなとこで評価が加算されている、悪くはないがあんなに話題になるのは過大評価だろと思ってるが、世間を多少は信用して良作としよう。
でも他はどうだ?
街がめくりかえる映像が逆に壮大すぎて驚きがマヒする一方で実際の戦闘ではだいたい近距離の鞭と輪っかで戦うから魔法の凄さがよくわからんDrストレンジ、トムホがキュートだしオリジン省略はいいのだがやはり1作目っぽい地味さがあってシビルウォーに顔見せしてた時の方が魅力的な感じがするホームカミング、俺は好きだが常に甘滑りしてるソーシリーズは3作目でも甘滑りしていて、アントマン2作目はむしろ2なのに1作目っぽい地味さがあり(1作目は、小さくなるというわかりやすいがどう戦うか想像しづらい能力と、知名度の低さからどんな性格や設定かわからないヒーローなことからくる新鮮さが良かった)、能力の規模が違いすぎてどうにも浮いてしまうキャプテン・マーベル。
ウィンターソルジャー、シビルウォー、GoG、インフィニティウォーとエンドゲームという、本筋部分の最高クライマックスへの流れがめちゃおもろいからMCU全体に熱気があったけど、フェーズ4ではなくフェーズ3からすでに現在のなんか微妙なMCUの芽生えはあったと思うんだよね。
つーか本筋アベンジャーズについても無印アベンジャーズとエイジオブウルトロンはそんなに面白くないと思ってるし監督どっちもジョス・ウェドンだしジョス・ウェドンはその後DCに行ってジャスティスリーグをブッこけさせてハラスメント告発もされてるしいい監督じゃあないよな。
って、監督に着目しちゃうなら、面白い本筋の監督が全部ルッソ兄弟かジェームズ・ガンで、この三人が凄いんやないかーい。俺はアイアンマン3を撮ったシェーン・ブラックも好きだがまあ今更MCUに戻るよりは別のところでデカい活躍をしてほしい。
よく言われる、フェーズ3以降はエンドゲームが綺麗な終わりすぎて次が続かなかった、退場したキャラに匹敵する魅力の新キャラがいない、ドラマを作りすぎた、説教臭さがヒーローの気持ちよさより勝ってきた、アイアンマン第一作から10年やってんだから世間もヒーロー映画に飽きてる、大事な新世代立ち上げ数作のプロモがコロナやストライキとかぶってうまくいかなかったのがずっと尾を引いてる、マルチバースをテーマにしたために何でもありで物語に驚きがなくなった、うんちゃらかんちゃらというのは付加的な原因であって、根本はつまらなくはないがそこそこ面白い程度の作品が3から増えてたことからだと思うんだよね。
特に3からの新ヒーローは、タイトル1作目はたいていパッとしないことをさっぴいても、2025年の今でもMCU内では強そうだけど当てにならない追加戦士ヅラって感じでフラフラしてるんだよね。それは強さの次元が違うからとか、北半球中心のアベンジャーズへのカウンターとして南半球のワカンダを代表してるからとか、ソニーとの権利が難しいとか、そういうことだけでなく単純な面白さやキャラへの愛着の持たせ方やその後の世界との関わり方がいまいちだったせいじゃあねえのかなあ。
ジークアクスを見てファーストを見始めましたってポストと、MCU作品見てないのにキャプテンアメリカが黒人に変わることに文句言うなってポストが同時に流れてきた。
マーベルのマルチバースが叩かれてるのも知ってるから、どっちも過去作を履修してないと楽しめない作品なのに何が違うんだろうって不思議だった。
MCUはちゃんと見るならディズニー+に入らなきゃいけないし、そこ限定のドラマもあるし、最近の作品はそこまで全部見てる前提で話進むし。
ガンダムはファーストの1話だけならYouTubeで無料公開してるし、正直それだけ見とけばガノタの受けた衝撃はかなり理解できる。
あとは細かいネタが入ってるくらいだし、ファースト全話見たいとしても色んなプラットフォームで見れるし。
私たちが映画やドラマ、コミックなどのエンターテインメント作品を楽しむ際、その登場人物の多様性や社会的メッセージに注目する声が近年ますます大きくなっている。特に、ハリウッド映画を中心とするアメリカの大作作品では、女性ヒーローやマイノリティのヒーローを積極的に描く動きが顕著になってきているといえるだろう。こうした流れの中で、たとえば「アヴェンジャーズ」シリーズのような超大作ヒーローチームにも、より多様なバックグラウンドを持つキャラクターや社会的少数者の活躍を求める意見が増えているのだ。その一方で、こうした多様性の拡充を「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)に迎合しすぎだ」と批判する声も少なくない。では実際に、「ポリコレアヴェンジャーズ」を真に望んでいるのはどのような人々なのだろうか。そして、それを批判する人々は何を懸念し、何を恐れているのだろうか。本稿では、その背景や対立の構図を整理し、考えてみたい。
まず、「ポリティカル・コレクトネス(略してポリコレ)」とは、もともと差別や偏見のない公正な言葉遣い・考え方を目指す姿勢を指していた。人種や性別、性的指向、宗教、障がいの有無などに関わらず、できるだけ当事者を傷つけない表現や待遇をすることが重要だ、とする考え方である。やがて、社会全体の意識が多様性やインクルージョン(包摂)を尊重する方向へシフトする中で、エンターテインメント業界にも「差別や固定観念を助長するような内容は見直すべきだ」という声が波及していった。この動き自体は決して新しいものではないが、SNSの普及に伴い消費者の声が一気に可視化されるようになったことで、その影響力はかつてないほど増大している。
一方で、ヒーローものの代表格として、マーベルコミックスやその実写映画であるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の人気は世界的に揺るぎないものとなった。複雑なバックグラウンドを持つキャラクターや、女性ヒーロー、異なる人種・文化背景をもつヒーローの登場も少しずつ増えてきたとはいえ、シリーズ初期の中心ヒーローは白人男性が多かったことは否定できない。もともとコミックスの発行開始時期が1960年代前後であり、その頃のアメリカ社会の反映が作品に色濃く残っているため、やむを得ない面もあるだろう。しかし近年の映画シリーズでは、ブラックパンサーやキャプテン・マーベル、シャング・チーなど、多様なバックグラウンドをもつヒーローが次々と登場し、まさに「多様性を重視した新時代のヒーロー像」が打ち出されている。その流れに呼応して、「もっと女性やマイノリティのヒーローを活躍させてほしい」「既存のヒーローチームを抜本的にアップデートして、多様性を真に反映させる“アヴェンジャーズ”を観たい」というファンの声が高まりを見せているのだ。
では、「ポリコレアヴェンジャーズ」を望む人々とは、具体的にどのような層なのだろうか。第一に、SNSやコミュニティサイトなどのオンライン空間において多様性を積極的に支持するアクティビスト層や、その思想に共感するファンが挙げられる。彼らは作品の中における人種的ステレオタイプやジェンダー不平等を厳しく批判し、世の中の価値観がアップデートされた現代にふさわしいエンターテインメントを求めている。彼らにとっては、スーパーヒーローが男性・女性・その他多様な性や文化背景を横断し、最終的には誰もが活躍できる世界を提示することこそが理想なのだ。
第二に、エンターテインメント業界側もまた、多様性を重視する政策や市場の反応を見て、積極的に「ポリコレ」を取り入れる傾向がある。ハリウッドでは映画制作における人種構成やジェンダーバランスを考慮した「インクルージョン・ライダー」など、具体的な取り組みが話題になることも増えてきた。作品がグローバルに公開されるにあたっては、多様な視聴者の感情を考慮し、多くの国や地域で「受け入れられやすい」形を模索するようになっている。マーケティング上の戦略として見ても、マイノリティの視聴者を取り込むことは大きなビジネスチャンスに繋がると考えられるからだ。
こうした文脈の中で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を待ち望んでいるのは、言うなれば「これまで声が届きにくかった層の人々」や「多様性を当たり前だと考える若い世代のファン」、そして「マーケットの可能性を重視する映画スタジオ」などである。しかし、ここで見逃せないのは、こうした変化を歓迎する人々がいる一方で、「ポリコレが行き過ぎている」と感じる人々の声が根強いことだ。彼らは「エンターテインメントは政治的メッセージや社会運動のための道具ではない」と考えており、あくまで“娯楽”としての物語に集中したいのだという。また、中には既存キャラクターの性別変更や人種変更が行われることを「原作への冒涜だ」と批判する人たちもいる。
特に「伝統的なヒーロー像」に愛着をもつファンの中には、「長年培われてきたキャラクターのイメージやオリジンストーリーを、製作サイドが都合よく改変してしまうのはいかがなものか」という不満を持つ者がいる。ヒーローたちの本質は、その人種や性別を超えて「いかに困難を克服するか」や「いかに正義を貫くか」にあるのであって、「外見上のマイノリティ性」が強調されるあまり肝心の物語が薄れてしまうのではないか、と懸念しているのだ。こうした考えを持つ人々にとって、「ポリコレアヴェンジャーズ」はマーケティング重視の“お仕着せ”のようにも映ってしまう。
さらに、近年のSNSでは「作品の配役や表現が差別的だ」と糾弾されることで、過激な炎上が起こるケースも少なくない。こうした炎上や批判の応酬を見て、クリエイター側が過度に萎縮してしまう「萎縮効果」を危惧する声もある。結果として、作品の中身よりも「ポリコレ的に問題がないかどうか」が過剰に意識されてしまい、まるでチェックリストをこなすかのように「女性キャラクターを必ず何割入れる」「マイノリティを一定数登場させる」といった形式的な対応に陥るリスクが高まる。そのような機械的な設定に依存したキャラクター造形では、結果的に個々のキャラクターの個性や魅力が希薄になり、逆に多様性の本質が損なわれてしまうのではないか、とする批判も出てきているのだ。
一方で、「ポリコレアヴェンジャーズ」を誠実に求めるファンやクリエイターたちは、「多様性を重視することは、より多くの視聴者に物語の共感や夢を与えるための必然である」と考えている。スーパーヒーローが“超人的”なのはもちろんだが、同時に人間的弱さや葛藤を抱えながら戦う姿こそが多くのファンを惹きつける。そこに人種や性的指向、あるいは障がいや貧困など、いろいろな背景を背負ったキャラクターが加わることで、より幅広い人々が「自分もヒーローと同じように闘える」と感じられるのではないだろうか。作品を通じて勇気をもらうだけでなく、社会が抱える不条理や差別の構造に一石を投じるきっかけにもなるかもしれないのだ。
以上のように、「ポリコレアヴェンジャーズ」を求める声と、それに対する反発や批判との間には大きな意識の隔たりがある。単純に「多様性を推進すべきかどうか」という価値観の相違だけでなく、作品の楽しみ方やヒーローという存在への捉え方、そして創作の自由と表現の責任のバランスという複数のレイヤーにわたる問題が絡み合っているといえる。作品を制作する側にとっても、ある層を満足させれば別の層が不満を覚えるといったジレンマがつきまとう。SNS時代ならではの炎上リスクを考慮すると、より慎重に「どのようなキャラクターをどのように描くか」を検討せざるを得なくなってきているのだ。
では、今後「ポリコレアヴェンジャーズ」と呼ばれるような、より多様性に富んだヒーローチームが実現した場合、どのような世界が広がるのだろうか。そこでは、性別や人種、障がいの有無、性的指向などを超えて、人々が互いの違いを尊重し合いながら協力し、世界を守るストーリーが展開されるだろう。それは、現実社会が抱える様々な対立を映し出す鏡ともなり得る。ヒーロー同士のぶつかり合いや、時に衝突を乗り越えて共に戦う姿は、現実の社会問題を考える上でも有用なメタファーとなるはずだ。多様性を持つキャラクターたちが、政治や文化の壁を超えて協力し合う様子は、観客に「自分自身や周囲の人々を見つめ直す」機会を与えてくれるかもしれない。
しかし、その道のりは決して平坦ではないだろう。過度な「ポリコレ」批判が続けば、表現者たちは自己規制に走り、本来の物語の面白さや挑戦的な要素が削がれてしまう恐れがある。一方で、多様性を取り入れようとするあまり、キャラクター造形が単純化されてしまえば、やはりファンはしらけてしまう。結局のところ、ファンが求めているのは「本物のドラマ」である。社会問題を扱うにしても、単なるマーケティングの道具としてではなく、しっかりと作品世界に根を下ろし、キャラクター一人ひとりに奥行きと葛藤が描かれているからこそ、「本当の意味での多様性」が花開くのではないだろうか。
つまり、「ポリコレアヴェンジャーズを望む人」と一口に言っても、その動機や期待値は様々である。現代社会の潮流として「多様性を重視しないと批判されるから」「市場拡大のためには必要だから」といった表層的な理由で支持する人もいれば、「自身がマイノリティであるがゆえに、自己を投影できるヒーローを探している」という切実な声もある。その双方を包含しながら、作品としての質や独創性を高めつつ多様性を反映していくには、制作者やファンコミュニティが相互に建設的な対話をする必要があるだろう。
最終的に、「ポリコレアヴェンジャーズ」が完成するかどうかは、単にスタジオの方針やファンの声だけでなく、社会全体の変化とも深く関わっている。今後、グローバルな社会情勢や世代交代、テクノロジーの発展などによって、エンターテインメントと政治・社会問題の距離感はますます近くなるかもしれない。その中でヒーロー映画は、単なる娯楽作品としてだけではなく「現代の神話」として、私たちが理想とする社会像や価値観を映し出す鏡となるだろう。多様性を重視するかどうかという論争は、ヒーロー映画の未来だけでなく、私たち自身の未来を照らす問いかけでもある。
結論として、「ポリコレアヴェンジャーズを望んでいるのは誰か」と問われれば、それは多様性を当然のものと考える新世代のファン、社会的マイノリティのRepresentation(表象)を切望する人々、そして市場を意識する製作サイドを含めた多くのステークホルダーたちであると言えよう。逆に、これまでの“伝統的”なヒーロー像や創作の自由を重んじ、「政治的メッセージや配慮が過剰になること」に抵抗を感じる人々からは、冷ややかな視線が向けられるかもしれない。いずれにしても、ヒーロー作品は私たちが抱く理想像や価値観、そして矛盾や課題を映し出す鏡としての役割を担い続ける。そうした意味で、ポリティカル・コレクトネスの議論が活発化する現代において、「ポリコレアヴェンジャーズ」は今まさに、私たちの社会の未来を映し出す一つの象徴なのかもしれない。
てかマジで白人の欧州人に、頭文字Dってなんでイツキ以外白人なの?拓実も高橋兄弟も白人じゃんって言われたことあるよ 別に悪気なくそう思ってた
イツキはブスの東アジア人で拓実はイケメンの東アジア人なんだよああいう顔の人もいるからって言ったけど全然ピンときてなかった
というかイツキ(頭文字D知らんとわかりにくいけど要はブスの脇役だ)の顔は白人基準では別にブスではない、普通の東アジア人の顔なんだよね
シャンチーっていうMCUの東アジア系ヒーローの映画あるけどあの主人公って東アジア人基準だと全然イケメンではないけど非アジア人からすると普通にいけてるアジア人じゃんってことみたいなんだわ