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はてなキーワード: 1991年とは

2026-05-08

PCエンジンロムロムみたいな値段になっちゃって。・。・・。

かに、今回の改定Nintendo Switch 2(国内専用)が59,980円、Switch有機ELモデル)が47,980円となるのは、かつての高級機を彷彿とさせる「震える価格」ですよね。

 

CD-ROM²システム 57,300円 1988年発売。インターフェース本体

PCエンジンDuo 59,800円 1991年発売。一体型モデル

Nintendo Switch 2 59,980円 今回の改定後の価格

 

「あ、本当にロムロム(Duo)と同じだ……」となりますよね。

当時は「ボーナスで買う大人のおもちゃ」あるいは「親を拝み倒して一生分のお年玉を前借りするレベル」の代物でしたが、令和の時代任天堂機がこの大台に乗るのは感慨深いですね。

2026-04-27

anond:20260331020330

自己レス備考

かなりテキトーに書いてるので、もしこれを読む人がいてもあまり信用しないでください

室町安土桃山の後半の大河ドラマラッシュ特に順番間違えてる可能性が高い

魔性の子1991年刊行なので魔性の子と月の影を平成に入れたけど、昭和の終わり頃の可能性もある。

十二国記小松尚隆は瀬戸内海に面した国の出身、六太は京都出身。東の海神では村上海賊が関わってくる。

忍たまの乱きりしんは摂津/摂津/堺の出身土井半助は摂津福原の辺りの出身忍術学園は近畿地方のどこか。兵庫水軍モデル村上海賊らしい。

東の海神忍たまってまあまあ時期と場所が近い…と言えなくもない。東の海神の少し後に忍たまって感じかな。忍たま安土桃山より前なので、長く見積もって東の海神から100年以内。たぶん。

ちなみにどろろ(東の海神と同時期?)は北陸能登半島の辺りが舞台

1783年アイスランドではラキ火山が、日本では浅間山噴火した。そのほかにも色々あって北半球異常気象に見舞われた。この異常気象が、1787年天明の大飢饉や、1789年に始まったフランス革命の要因の一つであるともいわれる。1789年恋川春町の亡くなった年でもある。べらぼうとベルばらは割と時期が重なっている。

スマホが普及している様子から、羅小黒戦記の映画1作目を2010年代以降と仮定する。藍渓鎮開始時点で清凝10歳?11歳?くらい。無限は清凝の8つ上なので18歳前後(18歳の無限は登場しないけど)。羅小黒戦記映画1作目で無限437歳。つまり映画1作目の419年ほど前に藍渓鎮開始。映画1作目を一旦2010年仮定すると、2010−419=1591。計算に自信がないけど、藍渓鎮は1591年より後の話だと思う。とりあえず室町安土桃山に入れてみたけど江戸初期かもしれません。

2026-03-19

anond:20260318165211

1991年10月

独裁者ヒトラー錬金術 ミダス王になろうとした男』ヴルフ・シュワルツヴェラー(訳 佐々木秀)

彼らは文学界では名を上げていたが、政治に関しては非常にあいまいな、ユートピア的な考えしか持っていなかった。ヒッピー先駆者として彼らが意図したのは世界を“花畑”と化すことだった。


1992年5月

モモヨ、まだ九十歳』群ようこ

このおばあさんは頭の中がちょっと花畑になっていて、取組が始まるたびに、友だちに、「安芸の海はいつでるのかねえ」と聞いていた。


1995年11月

文藝』「白いギターをこわしたのは何か理由でもあるのでしょーか?いま明かされる1968新宿パンク起源説比留間久夫

そしたら、お花畑が咲き乱れたミタイな目をした反戦ヒッピーにいきなり白いフォークギターを放り渡された。

2026-03-01

anond:20260301124922

リング原典だと「貞子は半陰陽だった」が大事な要素なんだよね

女性人権意識1991年からそこまで進めていないと思うと趣深い

2026-02-17

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インタビュー

「右」と「左」の対立はもういらない? 対話で見えた予想外の世界線

2026年2月12日

https://digital.asahi.com/articles/ASV1G2HJNV1GULLI003M.html

 

Re:Ron対話 宇野重規×梶原麻衣子

 【宇野】 朝日新聞で論壇時評を2025年3月まで2年間担当し、そのとき梶原さんの『「“右翼雑誌」の舞台裏』(星海社新書24年)を読みました。

 論壇とは何なのか、いつも考えていて、論壇時評といっても取り上げる雑誌はやっぱり朝日新聞っぽいものを選んでいるんじゃないのか、と感じることがある。「WiLL」や「Hanada」も時々読んでいたけど、取り上げることは限られていた。一方で本屋さんに行くと、論壇時評で取り上げるような雑誌は1、2冊くらいで、「WiLL」「Hanada」がずらっと山積みになっていて。ただ正直に言うと、熟読するのはやや抵抗あるな、とも。

 そんななかで梶原さんの本を読んで、面白いと思いました。現場学園祭のノリで編集していく様子が楽しそうで、何より梶原さんがちゃん対話しようとしていたのが印象的だった。まずは自分たちが考えていることを知ってもらい、そして相手がどう思うかも聞いて話し合おうという企画を色々と練っている。うまくいかなかったものも含めて、いわゆる「左」とか「右」というのを超えた対話を実現しようとする努力が伝わってきました。

 【梶原】 実は「WiLL」編集部にいたときコラムニスト勝谷誠彦さんの「あっぱれ!築地をどり」という連載を、入社当時から19年に退社するまで13年近く担当していました。

 朝日新聞論調を、東京本社所在地にちなんで「築地をどり」という流派になぞらえ、いわばおちょくるものです。とにかく朝日新聞を隅から隅まで毎日読んで、ネタを探す。細かい記事読者投稿まで読んで、今月はこれにツッコミを入れるぞ!というのを勝谷さんと相談して作っていく。

 たぶん朝日新聞の人はあまりきじゃなかったと思うし、応答が返ってくることはほとんどなかったんですけど、日々の紙面に対してツッコミを入れることで、一つのやりとりが成立していたと思う。私にとっても鍛錬になりました。

 24年の論壇時評(7月25日朝日新聞)で「Hanada」の記事石丸伸二・前広島県安芸高田市長についての地元の人たちによる座談会)を取り上げてもらったときは、編集部内がどよめいていたそうです。読んでくれている、というのは編集者としてすごくうれしいと思います

 【宇野】 実際読んでみると面白い記事もあるわけで、それを雑誌に対する一方的思い込みでこれはダメだっていうのはおかしいですよね。

 ただ、いまどきのネット空間では、見出しすら半分くらいしか見ずに、とりあえず相手にかみつく。批判する対象も丁寧に読むというのは、それだけで誠実かもしれません。

 具体的にはどういうのがありましたか? 梶原さんが見た「朝日新聞っぽさ」というのが浮かび上がってくるかと。



 【梶原】 衝撃だったのは連載初回で、04年11月中国の原潜とおぼしき船が日本領海内を航行した際の記事です。朝日新聞の社説(同11日付)で小見出しに「中国潜水艦?」って書いているんですけど「?」の級数ものすごく小さいんです。他のメディアはもう「ほぼ中国船」といった形で報じているけど、まだ違う可能性があるからなのか、あるいは中国に対して気を使っているからじゃないか、と。

 他にも、旭日(きょくじつ)旗に対して韓国から批判的な声が高まるなかで、朝日新聞夏の甲子園大会開会式で、毎回、旭日旗を元にしたような社旗ボールにくっつけてヘリから落とす。それに対してここでは言えないような下品ないじり方をしていたんですけど、客観的には面白い意見は違うけど存在否定しているわけではなく、風刺というか笑いにしてしまおう、という精神は良かったのではないかと思うんです。

 連載のネタにはならないけれど、朝日新聞を読んでいて説得されるようなこともありました。読み続けることで変化も分かるし、相変わらず、というところもあって、定点で見ていくことに意味があったと思います

 【宇野】 立場が違うとどうしても殺伐としたやりとりになって、特に今のネットでは相手を斬らなかったら自分が斬られるというか、どちらが先に相手ののしり倒すかみたいな感じがある。それに比べると、笑い、ユーモアからかいを含めた風刺は大切ですね。雑誌という媒体性質なのか、あの時期はまだそういう対話が成り立ったのか……。

 【梶原】 編集長の花田紀凱さんの方針で、雑誌新聞に対して批判の目を向けなければ、というスタンスで、朝日新聞特集を何号もやっていました。

 【宇野】 花田さんが週刊文春などで鍛えたジャーナリズム感覚のようなものでしょうか。ただ、その大前提には、朝日新聞というのは権威であって、それをたたいたり、ちょっとおちょくったり、それ自身面白い、というのがあったわけですよね。

 【梶原】 論調の違いや歴史認識に関して言えば、非常にシビア批判もたくさんあった。でも、そうじゃない視点から面白くいじり倒すというのもあって、「品はないけど愛はあった」というか。


 たとえば、朝日新聞記者年末年始ホームレスの人たちと寝袋で寝たという記事があって、もちろんその動機とかそこで見えてくるものは当然あると思うけど、ちょっと離れたところから見ると、「朝日記者は高給取りなのに、それは偽善では……」みたいな。そんな視点です。

 【宇野】 権威とされているものツッコミを入れたりひっくり返したりするのは、ジャーナリズムメディアの基本でもありますね。

■「敵」がいなくなった保守

 【梶原】 でも、権威があってそれをたたく構図、「革新」と「保守」というか、「左」と「右」といった構図がずっとあったけれど、徐々に「保守」のほうが強くなってきた。第2次安倍政権になってさらにそれが見るも明らかな状態になっているにもかかわらず、まだ左派カウンターを打つだけでやっていこうとしてしまった。本来保守側が論を立てなければならない側になったのに、保守側の意識が変わらなかった。ここが雑誌を作っていて難しかったところです。

 【宇野】 まさに朝日新聞というのが批判する側の言説の権威としてあるのが大前提で、逆に言うと、朝日新聞権威の座から転げ落ちてしまうと今度は敵がいなくなってしまう。ということで今度は、裏側から朝日新聞頑張れ!とエールを送っているところもある。

 加えて、保守なかにも「正論」や「諸君!」(09年休刊)といった既存の「ガチ論壇誌」があって、「WiLL」「Hanada」はそれともまた少し距離を置いた媒体で、面白くなきゃ、読者を楽しませなきゃ、という感覚がすごくある。でも、これも保守の“正規軍”があってこそ。それもだんだん力がなくなっていくんですよね。



 そんななかで、雑誌は売れるけど、自分たちが対抗する相手保守の牙城(がじょう)みたいなものが弱くなって、何に向かって茶々を入れていけばいいのか見えにくくなってきた。メディア政治の潮流がどんどん変わっていくなかで、梶原さんは居心地が悪くなって、結局飛び出した。何が一番大きなきっかけだったのですか?

 【梶原】 やっぱり第2次安倍政権の時期に抱いた違和感がすごく強くて。政権朝日新聞をはじめメディアからたかれるなか、こちらがそれを押し返すという構図がありました。でも本来は、保守からできる保守派の政治批判というのも当然あって、安倍政権にまだできていないこと、もっとやってもらわなければということが結構残っていたんです。実際、あそこまで政権が続いても憲法改正はできていません。

 なぜそれができないのか、を突きつけていかないといけない。岩盤支持層であればあるほど、その人たちがグラグラすることによって政治危機感を覚えるし、支持が離れることになって初めて本気になる。何をしても応援しています、できないことはやらなくていいよ、という状態が続いてしまうと、政治の側の「現状を変えよう」という動機けが希薄になる。

 だからこそ、保守から批判ちゃんとしないと、自分たちが思い描くような政治にはならないんじゃないか、という思いがありました。

 ところが実際には、北方領土返還をめぐる日ロ交渉が失敗し、四島返還事実上遠のいたにもかかわらず、「安倍さんは頑張ったからいいじゃないか」といった意見や、「モリカケ問題」の文書改ざん擁護する声も出てきた。最終的に、やっぱり憲法改正を言わないほうが正しいという意見まで雑誌に載るようになって、そうすると一体何のために雑誌をやってきたのか、安倍政権擁護するあまり今までずっと訴えてきた保守側の意見とも違うものまで雑誌掲載されたことで、これはさすがに許容できないと思った。葛藤がどんどん大きくなっていって、体調も崩してしまいました。

 【宇野】 ある意味で筋を通そうとしたわけですね。保守の原点、特に安倍政権本来の志は憲法改正であったとすると、それは置いておいて、むしろ政権を続けること自体目的化しているとしたら、それは本来めざしていたものからそれているんじゃないのかと。当然これは保守の側から出てきてしかるべき疑問だと思いますが、右派系の月刊誌を含めたメディアの多くも安倍さんの人気に乗っかって応援団のようになってしまった。おかしければおかしいと言うのがむしろ筋なのではというのは、本当にそう思います


本来の「保守」とは?

 私は『保守主義とは何か』(中公新書、16年)という本も書きましたが、保守って、自分たちの大切にしている価値があって、それが絶対だとか、一切変えちゃいけないとまでは言わない。でも大切なもの放置しておくとだんだん失われていくので、必要な変化は認めた上で、でも大切な価値はこれだ、とそれを守り抜いていく。それが保守保守たるゆえんだと思う。

 でも現代保守は何を守ろうとしているのか。あいつはおかしいというカウンターははっきりしているけれど、肝心の自分たちが守ろうとしているものがよく分からなくなってきているのではないでしょうか。

 【梶原】 保守の側にもそういうことを言う人は出てきてはいますが、大勢ではありません。今は良い意味でも悪い意味でも右とか左とかではない時代になってきています

 まだちゃんとあったほうが良かったと思うのは、自分が何に立脚してものを考えているのかがあった上で、あなたはそういう価値観だから私とは意見が違いますね、とある程度分かったほうがまだ話はできると思うからです。

 【宇野】 確かに保守主義って生まれときから明確な敵があったんですよね。フランス革命20世紀社会主義アメリカ流の「大きな政府」(ニューディール政策)と対象は変わったが、常に敵があるときに元気が良くて論理も鋭い。だけど21世紀になったぐらいから、だんだん明確な敵が分からなくなっていった。

 【梶原】 今は私も、保守派の人と話していても話が通じないことがありますネットの言説の影響が大きいと思うけれど、とても変わってきています

 たとえばLGBT問題で、本来日本の文化で言えば西洋の男女二元論のような捉え方とは違うはず。ところが保守派は、性別絶対的なものであると主張し、LGBTを許容する発想を危険視するようになっています。「女のふりをした男が女湯に入ってくる」というようなレアケースを持ち出すことで危険性を訴え、「LGBT思想蔓延(まんえん)すると女性を守れない」と印象付けようとしていました。

 そういう時だけ「女性を守れ」と言いますが、日ごろ「痴漢撲滅、女性を守れ」などとは言っていない。LGBTを推進する左派に対抗したいというイデオロギーのために「女性を守れ」の方便が持ち出されているだけです。また、「LGBTを許容することで性別不明の人間同性愛者が増える」とも言うのですが、保守派が認めようが認めまいが、当事者はすでにこの社会暮らしているわけで、「認めなければ存在しない」かのような言い方には違和感しかありませんでした。

 【宇野】 今の保守右翼を論ずる上でのポイントで、かつてのようなイデオロギーに基づくような明確な敵はいない。

 むしろもっと素朴な違和感、何か嫌だという感覚がある。そこからスタートするのは議論の仕方としてはありだとは思う。ただ、お互いになぜ嫌なのか、考えてみると自分のこういうものを脅かすと感じるから嫌なんだ、くらいまでいけば、それならお互いの大切な部分をなるべく傷つけないように、どうしたら共存が図れるか、といった議論もできる。けれど、たぶんそこまでいっていない。

 【梶原】 移民などに対してもそうですが、海外で起きている事例とか、嫌悪をあおるような動画を見聞きして、それをそのまま取り込んで日本でも近い将来こうなる、といった言い方がすごく増えています防衛本能みたいなところから出てくるのは分かるけど、社会の違いがあるのでそのままそうなるわけじゃない。これも保守の人には分かるはずと思っていたんですが……。

 【宇野】 もちろん、地域によっては外国人労働者が増えて、住んでいる人との間に摩擦やトラブルが起きることもある。そのとき、お互いに反発があるなかで、どう一緒にやっていくのか、どうルールを決めていくか、という議論ならいいけれど、今あるのは「なんちゃって排外主義」というか、漠然とした排外主義的な気分。本来自分たちのものであるものが、いつの間にか外国人に奪われているのではないか、という不安感だと思います。そうした不安自体否定しないけれど、相手存在否定する、いなかったことにする、というのは違う。

 そもそも梶原さんは最初から自分右派的な意見を持って雑誌に行ったときも「最右翼」と自認されていましたけど、何かきっかけがあったんですか?


■なぜ保守右派的な思想に?

 【梶原】 さかのぼってみると、父が自衛官で、小学校時代に父の仕事について担任先生から、「あなたのお父さんの仕事って嫌われてるよ」と言われたり、PKO派遣1991年議論になったときに、父は行きたいと言ったけど母がそれを止めて、「あなた正義心で世界のために命をかけようとしているんだろうけど、死んでも誰も感謝しない、この国は」という言い方をしていたり。実は母も自衛官の娘で、そういう立場の人がそんな風に言うこの国とは一体なんなのだろう、とすごく疑問に思ったんです。

 父の仕事が他の仕事と比べて特別すごいとは思っていないけれど、でも誇りを持ってやっていることだし、自分観閲式に行ったりして親しみもあったので、なんでそんなことを言われるんだろう、という思いがありました。大学に行ってからいろいろ雑誌を読んだりするなかで、それって憲法の話からきていたのか、それで存在否定されてこうなっちゃうのか、と。そのあたりからだんだん保守系の雑誌を読むようになって、自分にはしっくりくるなと思った。

 そして2002年北朝鮮による拉致問題の大きな進展があったとき、こんなことが起きていると知らなくて、それを解決できずにきていたんだとショックを受けて。そこから保守派の考えになったのが大きかったと思います

 【宇野】 お母様の言葉が重たいですね。もちろん個人意見として、憲法9条についての考えが多様なこと、自衛隊という存在に対して否定的な考えがあるのはしょうがない。でも実際問題として、この国のために働いて亡くなったところで、誰もそれを嘆いてくれないというのはおかしいんじゃないか、というのはそう思います。国のあり方としてどこかおかしいっていうのは、非常によく分かる感覚です。

 拉致問題にしても、この国のあり方とか外交とか特定の国に対する姿勢とかを考えるとき、決定的に重要事実を知らなかったのはショックですよね。大切な事実や前提が分からなければ対話も始められない。

 その後も、お父様やお母様とはそういう話はしていますか?

 【梶原】 憲法の話とかをするようになったのは編集部に入ってからでした。雑誌も購読してくれて、感想も聞かせてくれました。母方の祖父仏壇雑誌を供えることもあって、軍に入って終戦を迎えた後に警察予備隊にも入隊していましたから、戦後の風潮に対する何らかの思いがありながらも言えないこともあったんだろうな、と感じました。あまり多くを語らない人だったのですが、もうちょっと聞いておけば良かったと思います

 私自身も編集部に入る前から「WiLL」の読者だったので、編集者になっても雑誌を読んで毎月楽しみにしている気持ちは読者と共有できている、という感覚がありました。

 【宇野】 思いがある問題意識を書いて、それが読み手に届いて共有され、一緒にやっている感覚ジャーナリストとして幸せですね。

 【梶原】 読者から電話やお手紙などのリアクションもすごく多くて。批判ももちろんありましたが、でもそこでまたコミュニケーションが生まれた。

 ただ、第2次安倍政権期に入って私自身も疑問を持つようになったとき、読者から手紙いただきました。「保守雑誌は本当のことを書いてくれるから読んでいた。リベラル媒体と違ってちゃんとフェアにやってくれると思っていたのに、安倍擁護ばかり

2026-02-14

憲法9条日本は守れない」と言う人達って、

おそらく「日本」を国土統治機構の事としか思ってないよね。

私は40代氷河期世代で、湾岸戦争1990年1991年)の記憶があるが、その時マスコミで「日本は金だけ出して人は出さない」と責められていたと報道されていたのをを覚えている。私はそれの何が悪いのか分からなかった。金を出しているならば十分ではないか、と。

アメリカを中心に組織された多国籍軍日本自衛隊は参加していなかった。

結果は多国籍軍勝利に終わったが、戦死者は出ている。自衛隊が加わっていたら、ここに日本人も含まれていた可能性が高いだろう。

朝鮮戦争ベトナム戦争でも多分同様だったんだろう。

まり憲法9条は確かに日本人の命を守っていたんだよ。「憲法9条日本は守れない」は、派遣される自衛隊員の命を換算しない考え方だ。

自民党改憲案による9条改正によって、自衛隊員が海外戦死する可能性は高まる

憲法自衛隊が明記されず違憲状態なのが可哀想から明記してあげようという声は、一見優しいように見えて自衛隊員の命を考えない冷酷な意見だと思う。

2026-01-24

「喋りタランティーノ!」のCMが成立してたの凄くない?

関西デジタルホン しゃべりタランティーノ

https://www.youtube.com/watch?v=rc4MEllOLhE

千葉真一さん タランティーノに自らを売り込み「ハリウッド俳優」としての地位を不動のものに | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

https://smart-flash.jp/entertainment/entertainment-news/156002/


1996年関西デジタルホン(今のソフトバンク携帯電話部門前身ひとつ)のCMクエンティン・タランティーノが起用されていた

上のSmart FLASH記事には「当時、タランティーノは『レザボア・ドッグス』(1991年)、『パルプ・フィクション』(1994年)といったヒット作品を次々と発表し、ハリウッドを席巻する異才として世界中から注目を集めていた。」とあるが、そう、この時点でタランティーノはまだ長編映画を2本しか発表していない30代前半の新進気鋭の監督だった

でもレザボア・ドッグスパルプ・フィクションも、当時の日本で超絶大ヒットしたわけではない。当時の日本での興収を見ても洋画トップ10には入っていない(まあ彼の最大のヒットと思われる2003年キル・ビルも年間15位なのだが)

https://www.eiren.org/toukei/1993.html https://www.eiren.org/toukei/1994.html

凄いな、と思わされたのは、そんな洋画監督であってもCMに起用されるくらい当時の日本では洋画プレゼンスが高かったということでもあるし、そんな監督を起用しても良いと現場判断するくらいにテレビCM世界クリエティティの高い業界だったということでもある

かにタランティーノ日本映画からの影響をことあるごとに公言しているし、そのおかげで日本メディアは取り上げがちだが、であるからして1996年当時の日本においては実は既に一般層(めざましテレビの平均的な視聴者なんかを想定)にも結構知れ渡った存在だったのか? これは増田CMが流れた当時まだ小学生だったので詳しくわからない。でも実際小学生の私でもどこで知ったのかタランティーノ存在理解したうえでこのCMを見ていたんだよな(むしろ千葉真一がわからない)

2026-01-19

オリコン歴代ランキングにおいて、男性ソロアーティストアルバム首位獲得作品数は、長年 氷室京介長渕剛トップを争ってきました。

2026年現在の状況を整理すると以下の通りです。

アルバム通算首位獲得作品数(男性ソロ

1位:氷室京介12作)

1位:長渕剛12作)

2016年氷室京介ベストアルバム『L'EPILOGUE』で首位を獲得した際、長渕剛の持つ12作の記録に並び、それ以降この二人が歴代1位タイで並んでいます

その他の主な記録(2026年時点)

福山雅治11作): 氷室・長渕の記録に迫る歴代2位(タイ)のポジションです。

堂本剛11作): ソロプロジェクト名義を含め、福山雅治と並ぶ記録を持っています

矢沢永吉10作): 2025年10月に最新作『I believe』で1位を獲得し、自身の持つ「合算アルバム1位獲得最年長記録(76歳1ヶ月)」を更新しました。

長渕剛氷室京介は、それぞれ1980年代から2010年代にかけてコンスタント首位を獲得し、男性ソロとしての金字塔を打ち立てています

氷室・長渕の「圧倒的な1位獲得率」

氷室京介長渕剛は、特定の時期にリリースするアルバムがほぼ確実に1位を獲る「連続首位」の勢いが非常に強い時期がありました。

氷室京介: 1988年ソロデビューから1990年代にかけて、オリジナルアルバムだけでなくベスト盤も高確率で初登場1位を獲得し、短期間で作品数を積み上げました。

長渕剛: 1980年代後半の『LICENSE』から1990年代の『JAPAN』まで、出す作品すべてが社会現象化し、1位を逃さな時代が長く続きました。

 

2026年現在オリコン集計データに基づくと、アルバムの「通算売上枚数トータルセールス)」では、氷室京介長渕剛を上回っています

それぞれのアルバム売上(通算枚数)の概算は以下の通りです。

アーティストアルバム通算売上枚数 主なミリオンセラー作品

氷室京介 約1,200万枚以上 『Memories Of Blue』『SINGLES』等

長渕剛 約1,100万枚弱 『JAPAN』『長渕剛 BEST〜空〜』等

なぜ氷室京介の方が高いのか

ベスト盤の爆発的ヒット: 氷室京介1995年発売の『SINGLES』が130万枚以上、1998年発売の『Collective Souls』がミリオンセラーを記録するなど、ベストアルバムが極めて高い売上を記録しています

ミリオンセラーの数: 氷室京介オリジナルアルバムMemories Of Blue』(1993年)でもミリオンを達成しており、90年代CDバブル期の売上が非常に高くなっています

長渕剛の傾向

長渕剛も『JAPAN』(1991年)がミリオンセラーを記録していますが、彼のキャリアは「シングル」のインパクトも非常に強く(『乾杯』『とんぼ』『しあわせになろうよ』など)、アルバムだけでなくシングル売上の比重も高いのが特徴です。

結論

アルバム首位獲得作品数」では 12作で並ぶタイ

アルバム通算売上枚数」では 氷室京介リード

最新の売上動向やランキングの詳細は、オリコン ニュースなどの公式サイトで随時更新されています

 

2026年1月現在オリコンランキングデータに基づき、男性ソロアーティストアルバムに関する「首位獲得作品数」「単体最高売上」「通算売上」の3項目でトップ5に入るアーティストの記録をまとめます

アルバム通算首位獲得作品

この項目は、氷室京介長渕剛歴代1位タイで並んでいます

順位 アーティスト作品

1位 氷室京介 12

1位 長渕剛 12

3位 福山雅治 11

3位 堂本 剛 (ソロ名義含む) 11

5位 矢沢永吉 10

アルバム単体 最高売上枚数歴代

単独アルバム作品で最も売れたのは河村隆一の『Love』です。

順位 アーティスト作品売上枚数

1位 河村隆一Love』 約278万枚

2位 井上陽水氷の世界』 約140万枚

3位 平井 堅 『Ken Hirai 10th Anniversary Complete Single Collection '95-'05 "歌バカ"』 約138万枚

(※氷室京介『SINGLES』は約130万枚、長渕剛JAPAN』は約110万枚で続きます

アルバム通算売上枚数(概算)

キャリア全体を通じたアルバムの合計売上枚数では、氷室京介長渕剛が上位を占めます

順位 アーティスト通算売上枚数(概算)

1位 氷室京介 約1,200万枚以上

2位 長渕剛 約1,100万枚弱

3位 福山雅治 約700万枚〜

4位 平井 堅 約600万枚〜

5位 河村隆一 約500万枚〜

(※正確な数字は変動するため概算値です)

まとめ

首位獲得作品数の「数」では氷室京介長渕剛が圧倒的です。

単体での最高売上の「記録」では河村隆一歴代1位です。

通算売上の「総量」では氷室京介トップとなっています

2025-12-30

いち在日コリアンとして、沈みゆ日本を想う

俺は平成ヒトケタ世代90年代初期生まれ在日コリアンだ。ウルトラマンティガダイナ、ガイア三部作世代で、ゲーム機だとNINTENDO64を散々遊んだバブル期の豊かさ、明るさに裏打ちされたオプティミズム90年代を通じて漸次的に減少していった(のだろう)が、俺はその恩恵ギリギリ与りながら育った。

くたばれゼロ年代、憧れちゃうんだ80年代

しんどいのは小学校低学年から始まったゼロ年代だった。小学校中学から日韓W杯が契機のネトウヨの跳梁跋扈拉致問題などで雲行きが怪しくなる。高学年になると、俺が外国人であるということを認識したクラスメイト「チョン」韓国帰れ」などと喚きだすようになった。中学に上がると、それは余計に悪化した。オタク気質の奴が多い校風だったから、2ちゃんの言説を真に受けて俺に論戦(笑)をふっかける奴も現れた。「チョン、チョン」と罵る奴も勿論いた。

思えばゼロ年代は、何とガサついた時代であったことか。音楽TV番組も、何一つ面白いものが無い。ただただガチャガチャと騒がしいだけである女の子たちの髪型も、毛先を細くした荒んだ感じのもの流行していた。「こんなのどこが美しいんだ?」と、俺は自分のイモ臭さ全開オタクルックを棚に上げつつ嘆息していた。

ネットが大々的に普及し、過去の風物に手軽にアクセスできるようになったのがせめてものいか。俺はTVでたまにかかる懐かし番組特集などで、聖子ちゃんカット80年代アイドルに「めっちゃカワユイ!(この表現も当時の漫画などに触れて知った)」と悶絶し、シティポップ・テクノポップの爽やかなシンセ音色に耳が洗われるような快感を覚えた。当時勃興しはじめたYouTubeでは、80年代から90年代初期のアニメOPを片っ端から探して、なんとも言えない郷愁をそそられていた。「60年代に生まれて、70年代の豊穣な子ども文化を吸収し、80年代青春謳歌できたらよかったのに…」それが当時の俺の願いだった。

キモウヨ諸君、NDK(死語)**

さて、時代は進んで今は2020年代である日本韓国を巡る状況は完全に刷新された。韓国は今や、一人当たりの豊かさで日本を抜き去った。一人当たりGDPは、名目で見ても購買力平価で見ても韓国の方が上であるビッグマック指数というやつでも上だ。さらに、文化的影響力でも韓国の躍進は凄まじい。ゼロ年代の時点で韓流ブーム日本に起こっていたが、韓流映画ドラマの人気は全世界規模に羽ばたいた。『イカゲーム』『パラサイト』の大ヒットは記憶に新しい。そしてなんといってもK-POPであるハイクオリティパフォーマンスSNSを巧みに活用したマーケティング、多言語対応立場の弱い人々を支える政治的社会的メッセージ性。俺は80年代シティポップが専門なので、こうしたK-POPの強みについてはざっと調べた程度しか知らない。だが、幼稚園のお遊戯同然の和製アイドルには到底真似のできない世界を彼らは作り上げたということは分かる。また、特出したコロナ対策韓国が凄みを見せつけたことにも言及せねばならない。

一方、日本はどうか。失われた20年が30年になり、もう間もなくで40年になる。これは今後も50年、60年と伸びていくことは誰の目にも明らかだろう。経済成長率は上がらない。GDPも上がらない。実質賃金指数90年代よりも下がってる。高くなる一方の税金はロクなことに使われない。なのに日本人は無能きわまる自民党政権を支持し続ける。自分たちは民主主義社会の成員なのだから政治不正には目を光らせて対抗しよう、自分たちの暮らしを守る政治家を選ぼう。という発想は、日本大衆には無い。

さらにケッサクなのは自民党統一協会(「教会」ではなく、こっちの表記が正しいらしい)とズブズブの癒着関係にある―というより、事実上統一協会支配されているということだ。安倍晋三韓鶴子に祝賀メッセージを、タダで嬉々として送ったということ。統一協会選挙支援の見返りとして、自分たちの要求する政策自民党に呑ませていたこと。これらのことを考えても、「自民党統一協会支配されている」という表現は決してオーバーではあるまい。安倍因果応報のものの末路をたどり、それを契機として自民統一協会との関係は白日の下に晒された。

だがこうしてすべてが明らかになった後も、日本大衆自民支持をやめないのであるキモウヨは「安倍さんはカルトすら手懐ける懐の深いお方だったのだ」と意味不明擁護をし、冷笑バカは「たしか自民統一協会癒着問題だが、リベラル派の過激発言は一線を越え云々(でんでん)・・・」とトーンポリシングに終始している。その他の民衆は「なんとなく有名な人がいるから」「政権運営能力のある政党自民しかない」などと噴飯もの見解披露している。

奴隷根性の唄

統一協会教祖である文鮮明日本への強烈な敵意を抱いており、日本は罪を犯した「エバ国」なのだからアダム国」である韓国奉仕せねばならない、ということを基本教義に据えた。日本反共のための基地にすべく、日本からどんどん税金を取って軍事力を増強させよう。日本人の生活水準は三分の一にしてしまえ。ついでに信者からは高額献金で搾り取れ。これが統一協会理念だ。こうして日本から収奪された金は韓国渡りさら北朝鮮渡りミサイルの開発資金にもなっている。1991年文鮮明と金日成の会談以後、統一協会は「反共」を建前にし、むしろ北朝鮮との結束を強めたからだ。

こんなことは各種の報道でとっくに知れ渡っている。知ろうと思えば、誰もがたやすく知れる。そこまで行かなくとも、自民統一協会癒着ぶりはTVでも散々報道されている。なのに人々は、自民を支持し続ける。

彼らの怒りは、決して自民政権には向かわない。自己責任論、弱者叩き。生活保護受給者クルド人バッシングすれば、彼らの溜飲は下がる。不っ幸五輪、もとい“復興五輪のようなムダ事業や、下卑た大臣が仕立てるウン十万のスーツ血税が使われても、彼らは怒らない。パンとサーカスどころか、パンが無くても日本人は満足なのだ

奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。じぶんはたえず空腹でゐて 主人の豪華な献立のじまんをする。」「いまや森のなかを雷鳴が走り いなづまが沼地をあかるくするとき『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、やつらは、浮かない顔でためらって『御主人のそばをはなれて あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。」

金子光晴の「奴隷根性の唄」そのものである

こうした韓日両国の状況を見るにつけ、俺は「ざまあ見やがれ!」と快哉を叫ばずにはいられない。秀吉朝鮮侵略近代史におけるアジア侵略植民地化、大量虐殺、性暴力。それらのツケを貴様らは払わされているのだ。しかも、犯人構造が明らかになっても、貴様らには反抗する気力すら無い。何たる怯懦、腰抜けぶり。ことによると、文鮮明安重根匹敵する快男児かもしれぬ。極めて巧妙に、韓民族による日本への復讐を成し遂げたのだから。これで俺の在日コリアンとしてのナショナリズムが、くすぐられずにおれようか。

しかし俺とて、日本社会の一員

・・・でも待て。この俺とて、日本社会で生きる一市民なのだ。こうしたズタボロ日本崩壊ぶりは、俺の生活をも直撃する。俺は、海外へ打って出るだけの才覚は身に付けられなかった人間だ。嫌でもこの日本に根を張り、額に汗して生きてゆかねばならぬ。沈みゆく泥船に乗るタヌキが日本民衆なら、俺はその毛皮に引っ付いているダニのようなものだ。水底へと沈んでいくタヌキを見て「思い知ったか正義は勝つのだ!」とカッコよく啖呵を切れるウサギは、本国韓国人や、その他アジア諸国の民衆だ。

日本人とて、タヌキばかりではない。歴史直視し、差別への怒りを表明してくれた尊敬すべき人々はたくさんいた。歴史政治問題抜きにしても、愛すべき友人たちにたくさん出会ってきた。そして何より、俺は日本サブカルチャー文学を愛している。円谷英二のような特技監督になるのが、小学生の頃の目標だった。俺の憧れとなり、模範となってくれた光の巨人たちや、進んでやられ役を引き受けてくれたソフビ人形怪獣たちは、かけがえのない竹馬の友だ。太宰治は、自意識を持て余す思春期の俺と肩を組み、共に泣いてくれた。

そうした敬愛すべき友たちと団結し、この沈みゆく泥船を、丸木舟程度には変えていこう。これから日本は、どれだけマジョリティが嫌がろうが移民を大量に受け入れねばならぬ。これまた、自民支持者が払わされるツケである。そうして増えた海外ルーツの人々とも連帯し、全ての人が生きやす社会へ変えていくこともできるはずだ。

ウルトラマンジャックこと郷秀樹は、最終回で弟分の次郎少年にこう言った。「次郎、大きくなったらMATに入れ。 MATの隊員達は皆勇気ある立派な人達だ。君も嫌な物、許せない者と戦える勇気ある男になると良い」

キューモンの腹の中のごとく窒息しそうなこの世の中でも、なんとか風穴を見つけることはできる。仲間と出会い、その風穴を広げてゆくこともできる。郷さん、見ていてくれ。俺も次郎くんと同じように、勇気ある立派な人達連帯する。そして嫌な物、許せない者と戦える人間になってみせる。

2025-12-26

anond:20251226133258

1991年の時点で、卒業文集に「30年後にNHKハングル講座視聴率が30%になる」と予言した人がいて当時は鼻で笑ってたんですが、

実際30年後にそこそこそれに近い状況が起きてて、今更ながらあの人すげーって思いました。

セス紅白大トリってすごくない?(歴代大トリ リストあり)

歴代大トリリストアップすると以下の通り。

多分最年少だよ。

…と思ったら、美空ひばり20歳だって!そりゃ叶わないね

紅白歌合戦 歴代大トリ一覧(新しい順)

* 第74回(2023年):MISIA紅白スペシャル2023

* 第73回(2022年):福山雅治桜坂

* 第72回(2021年):MISIA明日へ 2021」

* 第71回(2020年):MISIA 「アイノカタチ」

* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白 スペシャルメドレー」

* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」

* 第68回(2017年):ゆず栄光の架橋

* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」

* 第66回(2015年):松田聖子赤いスイートピー

* 第65回(2014年):松田聖子あなたに逢いたくて~Missing You~」

* 第64回(2013年):北島三郎 「まつり」

* 第63回(2012年):SMAPSMAP 2012'SP

* 第62回(2011年):SMAPSMAP AID 紅白SP

* 第61回(2010年):SMAPThis is love'10 SPメドレー」

* 第60回(2009年):北島三郎 「まつり」

* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」

* 第58回(2007年):五木ひろし 「契り」

* 第57回(2006年):北島三郎 「まつり」

* 第56回(2005年):SMAPTriangle

* 第55回(2004年):小林幸子 「雪椿」

* 第54回(2003年):SMAP世界に一つだけの花

* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄

* 第52回(2001年):北島三郎 「山」

* 第51回(2000年):五木ひろし山河

* 第50回(1999年):北島三郎 「まつり」

* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」

* 第48回(1997年):五木ひろし千曲川

* 第47回(1996年):北島三郎風雪ながれ旅

* 第46回(1995年):細川たかし望郷じょんから

* 第45回(1994年):都はるみ古都逍遥

* 第44回(1993年):北島三郎 「まつり」

* 第43回(1992年):北島三郎帰ろかな

* 第42回(1991年):谷村新司 「昂-すばる-」

* 第41回(1990年):森進一おふくろさん

* 第40回(1989年):石川さゆり風の盆恋歌

* 第39回(1988年):北島三郎年輪

* 第38回(1987年):五木ひろし追憶

* 第37回(1986年):森進一 「ゆうすげの恋」

* 第36回(1985年):森進一 「女もよう」

* 第35回(1984年):都はるみ夫婦坂」

* 第34回(1983年):細川たかし矢切の渡し

* 第33回(1982年):森進一 「影を慕いて」

* 第32回(1981年):北島三郎風雪ながれ旅

* 第31回(1980年):八代亜紀 「雨の慕情

* 第30回(1979年):八代亜紀 「舟唄」

* 第29回(1978年):沢田研二LOVE(抱きしめたい)」

* 第28回(1977年):五木ひろし 「灯りがほしい」

* 第27回(1976年):都はるみ北の宿から

* 第26回(1975年):島倉千代子 「悲しみの宿」

* 第25回(1974年):森進一襟裳岬

* 第24回(1973年):北島三郎帰ろかな

* 第23回(1972年):美空ひばり 「ある女の詩」

* 第22回(1971年):美空ひばり 「この道を行く」

* 第21回(1970年):美空ひばり人生将棋

* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう

* 第19回(1968年):美空ひばり 「熱祷」

* 第18回(1967年):美空ひばり芸道一代」

* 第17回(1966年):三波春夫紀伊国屋文左衛門

* 第16回(1965年):美空ひばり 「柔」

* 第15回(1964年):三波春夫俵星玄蕃

* 第14回(1963年):美空ひばり哀愁出船」

* 第13回(1962年):三橋美智也星屑の町」

* 第12回(1961年):三波春夫 「文左たから船」

* 第11回(1960年):三橋美智也 「達者でナ」

* 第10回(1959年):美空ひばり 「御存知弁天小僧

* 第9回(1958年):美空ひばり 「白いランチで十四ノット

* 第8回(1957年):美空ひばり長崎蝶々さん

* 第7回(1956年):笠置シヅ子 「ヘイ・ヘイ・ブギ

* 第6回(1955年):二葉あき子バラのルムバ」

* 第5回(1954年):霧島昇石狩エレジー

* 第4回(1953年12月):藤山一郎 「丘は花ざかり

* 第3回(1953年1月):灰田勝彦野球小僧

* 第2回(1952年):藤山一郎オリンピックの歌」

* 第1回(1951年):藤山一郎長崎の鐘」

2025-12-24

anond:20251223142115

国際勝共連合テロリストだった父との思い出

先月、父が65才で逝去した、ガンだとか大病でなく、急性の心臓が止まったことによる突然死だった。

俺にとっては自慢の父だった。家族仲は良く、父は、元警察官で退官後、民間で働き、ちょっとしたIT企業役員まで勤めていた経験があった、

柔道が得意で、狩猟射撃競技に熱中し、パソコンIT技術が得意で、珍しい趣味でもあったのか学校授業参観クラスメイトからも「お前の父ちゃんすげー!」と一目置かれる程で、俺にとっては本当に優しくて頼もしい、「理想のカッコいい大人」そのものだった。

前置きはそれまでにしておいて、父の「世間に隠し続けた本当の顔」を書き出したいと思う。

父は、俺が生まれる前から国際勝共連合に籍をおき、所謂そこの「非公然部門」にずっと属していた、それが父の本当の顔だった。

勝共連合統一教会は、IRAシン・フェイン党の様に表と裏の顔が違うだけの同じ組織だという。

言葉を濁さずに言えば、父は「テロリスト」だった。

勝共連合非公然部門については、それこそ古くは赤報隊事件の頃だとか、最近でも有田氏が記事を出したりしているので、簡単概要にとどめておきたいと思う。

1970年頃くらいに元自衛官警察官統一教会所属の人たちが、「有事が起これば自衛隊の後方で警備や非対称戦争を行うゲリラ軍としての秘密軍」として、自然発生的に成立したものらしい(諸説あるが、父や後述する「父の友達のおじさんたち」から俺が聞いた設立経緯はそうだという)

1970年代頭くらいの頃は青思会(※青年思想研究会という今はなくなった右翼団体)と並んで韓国渡航して軍事訓練だとかをやっていたというが、結局それも1~2回くらいで終わってしまったらしい。理由はわからない。

合法的に持てる銃器といえば、猟銃…つまり散弾銃で、これらを合法的許可を取って所持して、近場のクレー場などで射撃サークルの体で、同じく非公然部門に属する人たちと定期的に「射撃訓練」を行っていた。(俺が見て、父がいた場所では統一教会所有の射撃場や鉄砲店でなく、普通鉄砲店や公共射撃場を利用していた、各地によってばらつきはあるらしい。東京周辺の話である。)

当時小学生の子供だった俺もよく父に連れられて「秘密軍」の練習場へいって、そこで「友達のおじさん達」に可愛がられたことをよく覚えている。当時は合法的にもてたクロスボウ(バーネットコマンドという黒い奴)を撃たせてもらったりしていた。俺が10歳の頃なので、その時は1995年の話だった。

統一教会といえば山上事件などを見ればわかる様に、酷い搾取で有名であるが、父の非公然部門はそういうもの免除されていた。母は統一教会信者だったが、ノルマやそういったものが同じく免除されていた。つまり、俺の家の暮らし向きは非常に良かった。

「おじさんたち」もみんな元警察官や元自衛官の人たちばかりだった、そういう人たちしかスカウトされないという。中には、1980年代アフガニスタンソ連軍と戦っただとか、ミャンマー民族紛争帰り(当時は優勢だったカレン民族解放軍に参加していた)といった人たちもいた、本当なのか、今となっては本当にそうだったのかはわからない。

公平にいって、みんなネット愛国を叫ぶ大半の連中と違い、右翼テロリストとは思えない位優しくて、学や社会的地位もあり、いい人たちだった。

本物のテロリスト組織なんてところにいる人たちは、みんなそうなのかもしれない。本物の地下にいた人間ほど、表では慎み深い。

正直言って、ここまでなら図書館を巡ったり古雑誌記事を探せばわかる部分かもしれない。だから俺は、実際の所、父やあの人たちは何を思ってテロリストとして生活してたのかを書きたい。それが秘密を持ったまま人生を終えた父の、本当の供養になると思うからだ。

世間ネットでは、例の事件以降統一教会秘密組織といえば、いつでもテロクーデターを起こし警察と銃撃戦が出来そうな程の凶悪無比な重武装部隊という様な神話が膨れ上がっている。だが、俺が見てきた「父がいた秘密軍」はそうでなかった。実際、他のすべての非公然部門もそうだったと思う。

俺が父に連れられて「秘密軍」をつぶさに見て回れたのは5歳(1990年)から22歳(2007年)の17年間だった。そのころには、訓練といっても本当にただのクレー射撃サークル以上のことはしていなかった。みんな普通に働くことで忙しかったのだ。

父やおじさんたちの話を聞けば、80年代若い頃はそうでなかったらしい。アメリカミッチェル・ウェーベル主催するコブレイスクールフランクキャンパー主催するマークスクールSTスクールといった傭兵学校に学んできたり、ジェフクーパーのガンサイトアカデミーアメリカから最新の射撃技術を学んで持ち帰ったりしていたこともあったようだ。中には海外反共勢力にいってちょっと戦って戻ってきた人も前述のとおりいた、その傭兵学校コネ経由だったらしい。

公平に言って、1991年くらいまでは相当レベルが高い技能を保持していたんじゃないかと思う。

「野外訓練(戦闘訓練)」は、1970年代に何回か行っただけで、俺が見た時にはとっくに行われなくなっていた。単純な話で、散弾銃を猟区に持ち出せるのはたったの冬の間の三か月、それ以外であっても大規模に野戦だの市街戦だのを訓練できる場所施設を用意するのに苦労したからだ。

あとは、統一教会(勝共連合)の意向もある。ハッキリ言って、91年当時、とっくに父のいた非公然部門時代遅れになっていた。猟銃だとかは自弁持ち出しだから費用が掛からないので、殆どお飾りの物と化していた。それが、実態だった。

ただ、「活動記録」は報告しないといけなかったらしく。実際は休日、みんなで集まってクレー射撃で何ゲーム和気あいあいとしながら行った後、昼飯を食べて雑談をし、夕方になればちょっとした酒席で飲み会

そんな当たり前の「牧歌的なおじさん達のサークル活動」が、活動記録では悪の左翼共産主義中国ロシアといった「サタン」と戦うための戦闘能力を涵養する激しい訓練を行った。そう仰々しく書かれて、のぞき見した当時笑ってしまたことをよく覚えている。

父も、おじさんたちも、もう本気で戦う気もなければ、反共だとか、秘密戦だとか、非対称戦争だとか、ましてや日本支配するだとかは考えてもいなかったように思う。ただみんな、若い頃に与えられた「役割」を、人生の居場所としてそこに留まっていただけなのだろう。

父も、おじさんたちも、楽しく幸せそうだったが、同時にどこか寂しそうだった。「自分たち時代が終わった」ことを、どこかで理解していたからだろう。

それでいいのだろう、と俺は思う。俺は父がゴルゴ13の様なことをすることが想像できなかった。ましてや世間でよく見る右翼愛国者と自認する連中の様なヤカラですらなかった。

どう考えても、人を害するより人の中で生き、人のために真面目に働くべき人だった。

それでもおじさんたちや父が働いていた職種を選んだ理由は、「何かこの勝共連合秘密軍に役に立つ技能を得よう」というもので選んだものだったらしい。父はIT系だった、おじさん達も大半は産業(鉱業だとか化学薬品だとか金融不動産)といったなんらかの経営者だった。大学に入り直していた人たちもいた。

余談だが、IRAテロリストたちも、こんな風にして大学講義に入り込んで工学理系分野で役に立つ技術を「産業スパイ活動」していたらしい。海外で戦ったことがあるというおじさんが、色々と教えてくれたことを覚えている。

結局、この統一教会の「反共秘密軍」と俺との関係は、大学卒業するまで17年間続いた。

世間では、1996年くらいまでは続いていたと記事ニュースで出ているが、俺が見てきた父のいた場所は「長続き」していたのか、みんなが高齢でどんどん活動に参加できなくなっていく2014年までは続いていた、と聞く。多分、統一教会の「秘密軍」の最後は父のいたところだったんじゃないか根拠はないが思っている。

これが、俺の見てきた「統一教会非公然武装部門」の話。

俺の父は、勝共連合秘密軍に属する警察でさえ実態がつかめず恐れるテロリストだった。

…ただテロリストである父も、友達のおじさんたちも、ただの一度も「サタン日本人」に向けて銃を撃ち、「サタン国家」に挑戦することなく、人や社会を害することもなく、ましてや警察に一度もお世話になることもなく、「サタン警察」を憎むこともなく、

優しい普通の人や父として、秘密というには余りに凶悪な響きに対して、

牧歌的でずっと続くぬるま湯の様な、退屈で、楽しくて、優しくて、愛おしいこの素晴らしい「サタン国家世界」でその生涯を終えていった。

俺は、それでいいのだと思う。

この話を信じるか、AIだというか、ネットで気を吐いている統一教会信者の人たちがどう判断するかは、読み手にゆだねたいと思う。

まして話としてマズいか運営削除になるのかはわからない。ただ、俺は6歳の頃に任命された「勝共連合秘密軍、特別隊員」として、最後の「活動報告」を、統一教会勝共連合ではなく、世間に報告したいと思う。

亡き父と父の友人たちを偲んで。

2025-12-22

アマプラで俺の人生が見放題らしい

まれから今までの人生24時間×365日×35年分、見放題らしい。

恥ずかしいよ

あんなところやこんなところまで見られちゃう

でも一応コンプラ違反しそうなR指定のところは見えなくなってるっぽいから、安心してね

おすすめタイムスタンプを書いておくから、参考にして!

誕生 (1990年12月2日14時47分)

・一人で立てた瞬間 (1991年12月7日18時25分)

・初めての言葉ママ」って言った瞬間 (1991年8月15日9時12分)

幼稚園初恋女の子告白して振られた日 (1995年4月20日15時38分)

・初めてゲームポケモン赤)クリアした夜 (1998年7月28日23時55分)

小学校修学旅行で夜中にみんなで肝試しして漏らした瞬間 (2001年11月12日21時45分)

中学生になって初めての定期テスト赤点取って殴られた日 (2004年6月18日1710分)

・初彼女と手を繋いだ帰り道 (2007年9月14日19時28分)

大学受験合格発表見て号泣した瞬間 (2009年3月10日10時05分)

・初めての一人暮らしカップラーメンしか食ってなかった1週間 (2009年4月8日4月14日あたり全部)

童貞を捨てた瞬間(2010年12242312分)

社会人になって初ボーナスもらって親にプレゼント買った日 (2013年12月20日18時47分)

会社不正公益通報したら解雇された日(2018年2月11日9時05分)

訴訟で勝って大金を手に入れた日(2023年5月9日15時21分)

再就職し、彼女結婚した日(2024年7月14日14時21分)


かにも「ここ良かったよ!」という瞬間があれば教えてくれよな!

君は、『機動戦士ガンダムF90』って知ってるか?

君は、『機動戦士ガンダムF90』という作品を知っているかな?
1991年に『機動戦士ガンダムF91』というガンダム映画が公開された頃に、『機動戦士ガンダムF91』のMSVとして
漫画ゲームで展開された“富野ガンダム"だ。

漫画ストーリーは、F91出来事より前の話で、1年戦争後に火星に移り住んだジオン残党たちが
F91の1~2年ぐらい前に地球連邦に対して戦争を仕掛けようとして、それを討伐するために火星連邦軍部隊の中にF90の1号機と2号機が有り、
2号機がジオン残党に奪われて…という物語だ。

F90には、戦場・戦況に合わせて換装できるA~Zまで26種類の武装ミッションパックが存在するという設定が90年当時存在していた。

しかし、90年当時にその中で世に出たミッションパックは6~7種類で、残りの20種類近くは世に出ることは無かった。

2010年代中盤頃からバンダイが、F90ミッションパック全立体化プロジェクトというのを開始し、
プレミアムバンダイガンプラMGマスターグレード)でF90を出しミッションパックを次々とMGで立体化してプレミアムバンダイ販売するというのを行うようになった。

90年当時に文字設定だけが明かされていたミッションパックが次々と立体化されていく。
そのミッションパックのデザインは、F91時代である宇宙世紀123年を基軸にそれより前
逆襲のシャアZZ等の頃に存在したモビルスーツからヒントを得たデザインミッションパックと、
それより後、クロスボーンガンダムVガンダム時代に登場するモビルスーツプロトタイプ的な武装となっている。

2025年11月にそのミッションパックの「Xタイプ」が公開された。

90年代当時にあった文字設定では「Xタイプ」は「Gアーマータイプ武装という設定が有った。
そこに、後からF90のファンになった、文字設定を知らない人達
Xなのだからクロスボーンガンダムプロトタイプ的な武装になるんだろう」という期待を寄せた。
それに対して、バンダイは「Gアーマータイプ武装で、同時にクロスボーンガンダムプロトタイプ的な武装です」と言える答えを出してきた。
それだよ、それが見たかったんだよと思った。

Gアーマータイプ武装で、F90に合体すると、小型のガンダムZZっぽく見えるデザインで、さらクロスボーンガンダムプロトタイプという全部乗せ

これを初めて見た時の感動を伝えたいと思ったので、今回、この記事を書いた。

このXタイプを考えた人に言いたい「これが見たかった。」
何が言いたいかと言うと、このデザインからZZを思い起こしてZZを再評価する人と、クロスボーンガンダムプロトタイプとして評価する人とがいて、
ZZクロスボーンガンダム、どっちもいいよね?」と言いたくなるという話。

ZZクロスボーンガンダム、又はその両方について、コメントで語ってくれる人が現れる事を願う。

2025-12-12

元号っていらなくない?

なんで天皇によって時代が決まるんだよ

おかしいだろ

何の権限があるんだ?

西暦元号共存させてるから書類書くときも面倒になるし、誕生日も「平成3年まれから1991年まれ?」みたいに計算しなくちゃいけなくなる

国は強制はしてないけどさ、協力は求めてるんだよ(1979年国会答弁にて)

元号法も廃止してさ、綺麗さっぱりやめようよ

2025-12-11

今年もまた、ノーベル賞授賞式の季節がやってきた。

平和賞はマチャド氏だとか。親イスラエル姿勢での受賞。

ああ、またか。そんな感想しか出てこない。

この賞の「実績」を振り返ると、ブラックジョークしか思えないんだよな。

つい最近2019年、アビィ・アハメド

平和使者として受賞した直後に、自国民族浄化まがいの紛争を主導した。

2009年バラク・オバマ

核なき世界」を綺麗に語ったその裏で、中東ドローン飛ばしまくって民間人を殺した。

1991年アウン・サン・スー・チー

かつての民主化聖女は、ロヒンギャ虐殺に対しては貝のように口を閉ざした。

1973年ヘンリー・キッシンジャー

これに関してはもう、言わずもがなだろう。

遡れば1945年コーデル・ハル

国連の父」と崇められるこの男は、ナチスホロコーストから逃れてきた難民船の受け入れを拒否している。

見殺しにして、爆撃して、虐殺を黙認して。

それでも胸に輝くノーベル平和賞

あそこの委員会定義する「平和」って言葉は、俺たちが辞書で引く意味とはまったく別の何かを指しているらしい。

それはいったい、誰にとっての平和なんだろうな。

anond:20251211013411

ハリー・ポッターと頂き女子の秘宝

──ホグワーツ頂き魔法学校物語 全7巻を1本に凝縮した狂想曲──

約5500字

第1巻 ハリー・ポッターと奢りの石

1991年

ハリー・ポッター11歳)は、

叔母ペチュニア叔父バーノンに

家事残業」をさせられながら育っていた。

ある日、フクロウ手紙を運んでくる。

ホグワーツ頂き魔法学校 入学許可証

貴女魔法使い(女子)です。

 男子生徒は全員貴女に奢る義務があります

9と3/4番線から特急ホグワーツエクスプレスに乗ると、

同じ車両にいた赤毛ロン・ウィーズリー

「俺の弁当、全部食っていいよ……」

差し出す。

ハリー「え、いいの?」

ロン「女子から当然だろ……」

第2巻 秘密の頂き部屋

組分け帽子

組分け帽子が叫ぶ。

スリリン! ……いや待て、貴女

 『頂きリン』に配属だ!」

新設された第5の寮「頂きリン」の特徴

・寮監:ダンブルドア(実は女子

・寮生:全員女子

・寮の合言葉:「私、女子なので♡」

ハリーはすぐに人気者になる。

グリフィンドール男子は全員

ハリーちゃんバレンタインチョコ代出させてくれ!」

争奪戦

第3巻 アズカバンの奢り囚人

3年生の時、

アズカバン刑務所から脱獄した

シリウスブラックハリー名付け親)が現れる。

シリウスハリー……俺はお前に何も奢れなかった……

 許してくれ……」

しかし実はシリウス女子だったことが判明。

「私、女子なので出所できました♡」

第4巻 炎の頂きゴブレット

4年生になると「三大魔法学校頂き対抗試合」が開催。

ルール

男子生徒は女子のために命を賭ける

女子は見てるだけでいい

優勝した女子は「永遠に奢られ権」を得る

ハリー名前がゴブレットから飛び出す。

ハリー「え、私出てないのに……」

ダンブルドア女子から自動エントリーです」

第一の試練:ドラゴンから金の卵」を奪う

男子生徒が全員でドラゴンを倒し、ハリーは卵をゲット

第二の試練:人魚から「大切な人」を救出

→ ロンが人質にされ、ハリーは泳がず待ってるだけ

第三の試練:迷路

セドリックが道を開き、ハリーはゴール

優勝。

でもヴォルデモートが復活。

第5巻 不死鳥の頂き女子

アンブリッジ教授魔法から派遣)が着任。

アンブリッジホグワーツは甘すぎるわ!

 女子も少しは自分魔法を使いなさい!」

生徒全員が反発。

ハリーを中心に「ダンブルドア軍団」結成。

しかし内容は

男子にどうやって奢らせるか実習」

アンブリッジ、1ヶ月で更年期障害理由退職

第6巻 謎の頂きプリンス

スネイプ先生が実はハリーの母リリー片思いだったことが判明。

スネイプ「リリー……俺はお前に一度も奢れなかった……

 だから一生黒いローブを着てるんだ……」

ハリー先生、それただの引きこもりでは……」

そして私は男です」

スネイプ「え?」

実はハリーは「女装して入学していた男子」だったことが発覚。

大混乱。

第7巻 頂き女子と死の秘宝

最終決戦。

ヴォルデモート卿(本名:トム・リドル)登場。

実はヴォルデモートも元・頂きリン生だった。

ヴォルデモート

「私は『見せないことで永遠の美と権力を得る』

 死の秘宝を手に入れた!!」

つの秘宝

ニワトコの杖 → 男子を操る杖

蘇りの石   → 元カレを呼び戻す石

透明マント  → 残業しているフリができるマント

最終決戦@ホグワーツ

ヴォルデモート「アブラカダブラ……じゃなくて

 アタシ女子なので戦闘はしたくないです♡」

ハリー(素顔は男子

エクスペリアームス!!」

杖が跳ね返り、ヴォルデモート消滅

エピローグ 19年後

キングスクロス駅。

ハリー(もう素顔で生活)は

ジニー子供たちを見送る。

次男アルバス・セブルスが言う。

「パパ、僕スリリンに行ったらどうする?」

ハリー「いいんだよ。

 でも頂きリンだけは絶対に行くんじゃないぞ」

その時、

ホームの向こうで

白いドレス少女が微笑んでいた。

「私、女子なので

 切符代出してもらえますか?♡」

男生徒たちが一斉に財布を出す。

ハリーため息。

「頂きは……終わっていなかった」

遠くで、

組分け帽子の声が聞こえる。

「頂きリン!!」

──頂きは続くよ、どこまでも。

終わりなき魔法は、

今日ホグワーツで紡がれている。

(了)

ハリー・ポッター男子でした」

という衝撃の真実誰も知らないまま、

頂き女子伝説永遠に続く。

2025-12-08

anond:20251207224242

ロシア共産主義1991年廃止されて35年が経過した

中国もそれに連れて発展したが、ロシア北朝鮮中国企業との協力関係は明らかにならない

ITAIテクノロジーの発展はロシアの影響が考えられるんだけど、どうなんすか?

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