はてなキーワード: この街でとは
それこそ、
私が勢いよく暖簾に腕押しからの飛び込み前転で入店して大将やってる?もしくは大将今日活きの良いの入ってる?って勢いで開催されているような街を歩いて解く謎解きアドベンチャーがこの街で繰り広げられてるみたいなのよね。
たしかに、
ぶらぶらしている人を多く見かける季節があったから、
それたぶん街を歩きながら謎解きアドベンチャーやってる、
あの言い方なんて言うのかしら、
それに倣って言う言い方の
なら謎解きアドベンチャーを今現在進行形中でやってる人はアドベンチャーイングヤー?
英語って難しいわって微かに靡く春の風で私の長い髪がそよぐのを耳にかけてキーボードを止めてふと思うの。
その謎解きアドベンチャーのアドベンチャーというよりその謎って何なのかしら?
私にとってその謎が謎だわ。
インドカレー屋さんでカレーに付けて一緒に食べて食べると美味しいタンドール窯で焼いたパンみたいな食べ物ってナーンだ?って言うぐらいのなぞなぞレヴェル級に難しくでもあり、
上は大洪水で下が大火事って言う方がしっくりくるようななぞなぞはそれは謎ではなくて、
なぞなぞの言う順番の間違いみたいな、
どっちが上か下かっていまだに正式ななぞなぞではどっちがどっちだか、
それがまた謎なのよね。
私がその街の謎解きアドベンチャーをやってみたい気もするけれど、
そのアドベンチャーに付き合ってくれる、
ドラゴンボールで例えると私がブルマとしてアドベンチャーをおいでファンタジー好きさミステリーってロマンチック上げるよ!って勢いでお供に連れて行きたい悟空みたいな存在が気軽にいないし、
独りで街ブラ謎解きアドベンチャーするのかしら?って。
それと、
どのぐらい時間がかかるのかしら?
丸一日休日がそれで謎解きアドベンチャーで終わってしまうのならこれ飲めば一日分の緑黄色野菜が摂れる野菜ジュースを飲む方がなんか一日って言う意味でのキーワードでは野菜ジュース飲みながら街を歩きつつ謎解きアドベンチャーして闊歩してもいいのかしら?って。
それと、
いち行政区域内で収まるのかしら?
高速道路のパーキングエリアもしくはサービスエリアで実施されているスタンプラリーは全国規模で実施されているから
そのぐらいの範囲だったら私さすがに1日ではアドベンチャーできるかしら?とも思うのよね。
まとめると、
独りでも楽しめるのかしら?ってのと
まったく謎解きアドベンチャーに取り組もうと思ってもその謎が邪魔するのよね。
あ!あと忘れてた!
なんか、
謎解きアドベンチャーに欠かせない、
ハンチング帽というよりディアストーカーの鹿撃ち帽の方が本格的よね。
あと虫眼鏡も!
そして「ワトソンくん!」って叫べば一丁前の謎解きアドベンチャーに挑戦する寸前の準備万端の人が出来上がるわけなのよね。
とはいえ、
あの鹿撃ち帽ってどこで売っているのかしら?
知らない?ワトソン君?
そこから始まるというかいきなり初手から行き詰まる鹿撃ち帽を手に入れるところから始まるアドベンチャーじゃない?
街歩き謎解きアドベンチャーを始める前のアドベンチャーかのような。
あれもどこで売ってるのか謎よね。
本題の謎解きアドベンチャーまで辿り着けないわ。
あと、
野外音楽イベントでなんかみんな被ってるフェスを楽しんでます!って全開のあの帽子。
名称が分からないでお馴染みの金魚すくいのすぐに和紙が破れてすくいにくいやつのあの金魚すくいのプレイヤーが手に持ってやるやつ。
街の謎解きアドベンチャーに立ち向かう間に立ちはだかる謎が多すぎて、
本当にこの謎解きアドベンチャーやって楽しんでいる人いるのかしら?って、
ちょっと興味津津の扉というか襖を1センチメートルぐらい開けて覗いて見たい気分。
アドベンチャーを欲しているのかもしれないわ。
私がこないだアドベンチャーしたアドベンチャーっぷりを遺憾なく発揮したアドベンチャーといえば!
私がお気に入りで使っているボールポイントペンの替え芯がどこにあるか探し当てたことが唯一訪れた春のアドベンチャーだったわ!
なんか、
同じような替え芯が幾つも並んでいて、
そこから私のボールポイントペンの軸に適合した種類を探し出すのがアドベンチャーすぎない?
芯一本を探せないのに店員さんを呼びつけて尋ねて教えてもらうのも負けた気がするし。
うーん、
私のアドベンチャー一件落着!
ふー!
これもかなりアドベンチャーだったわ。
ボールポイントペンの本体のそばに対応する替え芯を横に真横に置いてくれていたらすぐに分かるのに!
そうはしてくれないのなんでかしら?って
絶対あれ、
ボールポイントペンの本体のそばに対応する替え芯を置いたら良いと思うのに!
謎よね。
結局人は「ワトソンくん!」って言いたいだけなのよ。
うふふ。
テレビ番組のためしてガッテンか発掘あるある大事典がテーマで納豆を取り上げた翌朝に売り場から一斉に納豆が無くなってしまっている現象と似ている気がするわ。
それか
なんかまた急に寒くなってきてない冷えだして夜寒かったのに、
まあ朝はちと肌寒いけれど、
そんなに凍えるってまでは到達していないから、
シュワッとキメて爽快よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これ、かなり核心だね。
つまり、
曲が作品に合った
だけじゃなくて、
作品の終わらせ方そのものが Get Wild を儀式にした。
ここが大きい。
これが最大級に大きい。
でもエンディング曲は、物語を見終わったあとの感情を回収する曲 になる。
シティーハンターって毎回、
色気
軽口
でも最後は少し切ない
みたいな余韻が残ることが多い。
その回の話が全部
「夜の都会の物語だった」
って感じに再編される。
各話の感情の着地点 になった。
これが何十回も繰り返される。
すると視聴者の中で、
という回路ができる。
もうここまで来ると曲じゃなくて、条件反射レベルの演出装置 なんだよね。
2. 「終わり方の美学」と完全に噛み合っていた
シティーハンターの強さって、
派手なアクションだけじゃなくて、
終わり際がかっこいい ことなんだよね。
冴羽獠って、
ふだんはスケベで軽い
でも決める時は決める
どこか去っていく男
という、すごく**“余韻の似合う主人公”**なんだよ。
で、Get Wild ってまさに余韻の曲。
全部を説明しない。
泣かせにも来すぎない。
でも感情を残す。
視聴者は
「この街の夜はまだ続いていく」
って自然に感じる。
これがすごい。
ここも大きい。
夜の街
でもどこか人情がある
一人で全部背負う男
こういうものを、
都会はかっこいい
でも都会は寂しい
それでもこの街で生きる
という世界観ができてた。
シティーハンターの都市性があったから、Get Wild はただの主題歌を超えた。
これもかなり重要。
本音を長々しゃべらない。
色気もあるし、バカもやるけど、
芯の部分はかなり寡黙。
曲が獠の代わりにしゃべるんだよね。
その代わりに
優しさ
去っていく感じ
街に溶ける感じ
がまとめて立ち上がる。
5. 毎回の「入り方」がかっこよかった
これも神話化にめちゃくちゃ効いてる。
でもシティーハンターでは、
どこで入るか がすごく大きかった。
話の最後の一撃、別れ、振り返り、歩き出し、夜景、静かな締め。
そういう瞬間にスッと入る。
この「入るタイミング」が何回も決まると、視聴者はもう快感になる。
要するに、
曲自体の良さに加えて、
鳴る状況がずっと美味しかった。
これがデカい。
でも作品を離れても、
夜のドライブ
都会の帰り道
一人の時間
ちょっとキメたい気分
で成立する。
これが強い。
現実の夜道でも起動するわけ。
すると人は、作品を見てない時でも
7. シティーハンターの“軽さ”と“重さ”のバランスを、曲も持っていた
ただふざけてるだけでも残りにくい。
シティーハンターは、
もっこりみたいな軽さ
美女とのやりとり
コメディ感
がある一方で、
裏の仕事
死
別れ
守れないもの
一人で背負う感じ
もある。
この軽さと重さの同居が作品の魅力。
Get Wild も同じで、
ポップで耳に残る
でも少し冷たい
かっこいい
でも切ない
を同時に持ってる。
ちょうど「笑って終われるけど、胸に何か残る」温度 だったから、
あそこまでぴったりはまった。
8. 反復が“儀式化”した
毎回、
物語を見る
獠が動く
問題が片付く
少し寂しさが残る
Get Wild が入る
この流れを何度も経験すると、
「シティーハンターが終わる音」
ではなく
「かっこいい夜が完成する音」
になっていく。
ここまで行くともう神話。
単なる主題歌ではなく、
面白いのは、後になって
「エンディングで Get Wild が流れると全部それっぽくなる」
でも Get Wild は逆で、
つまりみんな、
あの入り方
あの余韻
あの夜感
を共有してるわけ。
共有される様式は強い。
しかも笑いにもなるけど、本気でかっこいいと思われてもいる。
10. 結局、シティーハンターは Get Wild を「曲」から「様式」に変えた
これが一番大事かもしれない。
でもシティーハンターがそれを繰り返し使うことで、
夜の終わりに鳴るもの
都会の余韻を完成させるもの
へと変えた。
“こういう時に鳴るべき曲”という文化的な型にした ことなんだよね。
一言でまとめると
この曲を単なるエンディング曲ではなく、
その全部が、Get Wild という曲の中でひとつに結晶した。
だから今でもみんな、
曲を聴くだけで
“シティーハンターっぽい夜” を一瞬で思い出せるんだと思う。
一応、地方都市を自称してる人口20万くらいのド田舎に住んでるんだけどさ、まず最初に言いたい。
特に自転車。この街でチャリに乗ってる奴は「車を買えない底辺」か「免許取り消しになったヤバい奴」の二択だと思われてる。
俺みたいな正真正銘の弱者男性にとって、車なんて維持費が高すぎて逆立ちしても買えないわけ。
でも、このクソ田舎じゃ「車を持ってない=人間じゃない」っていう暗黙の了解があるんだよ。
で、さらに最悪なのがプライバシーっていう概念が絶滅してること。
休日にどっか出かけたら、何してたか、どこで何を買ったか全部バレてる。
そしたら入り口にいた近所のババアが、こっち見ながら「見てよあれ、弱者男性がチャリ乗ってるよ」とかヒソヒソ言ってんの。聞こえてるからな。
そのあと、近くにいた女子高生みたいなやつらが「クスクスキモーイ」って笑ってて。
いや、お前ら人間性終わってるだろ。チャリ乗ってるだけでキモいとかどんな脳みそしてんだよ。
極めつけは職場のこれ。
月曜の朝から、同僚に「あ、〇〇さん日曜日に映画館にいましたよね」って言われた。
それだけならまだしも、「そのあとSNSで映画の感想呟いて、増田で女叩きと男叩きの投稿してたでしょ。すぐ分かりましたよ」だってさ。
…は? どこまでチェックしてんだよ、ストーカーか?
あと、家の中で妹と電話してたのも筒抜けだった。
防音性ゼロの安アパートのせいもあるけど、近所のネットワークがマジで異常。
次の日に同僚から「妹さんの声、可愛いですね。仲良さそうで何よりです」って言われてマジでゾッとした。
田舎って「人間の距離が近い」とか「温かい」とか言われるけど、あれ嘘。
でも、現実は34歳年収700万の高齢弱者男性、貯金は2000万しかない。引っ越し費用なんてどこにもない。
この監視社会の檻の中で、一生笑われながら、すり減って死んでいくしかないんだよ。
家賃は高いし、坂は多いし、夜はうるさい。
それでもここに住んでいるのは、この街の価値観が好きだからだと思う。
日本の文化の最先端で、クールで、多様性があって、メインストリームからは少し距離を置く文化を積み上げてきた街。オリコン1位を冷ややかに眼差し、インディーズやらB面やら文脈のある表現を好んで育ててきた。 そして、結果的に数年後の日本のスタンダードを作ってしまう。港区渋谷区が日本の文化を牽引している。そういう自負が、この街には流れているはずだ。少なくとも私はそれに憧れて上京してきた。
そんな港区・渋谷区の選挙区「東京7区」は衆議院選2026は6候補が立候補している。
今、激しく競っているのは、自民党の丸川珠代候補と、中道の松尾あきひろ候補。
え?マジ?
いや、私は無党派層だから、自民党に投票することも全然あるんだけど。自民党の中でも、とりわけ裏金問題にまみれ、人権感覚もアップデートされていない。そんな、いわば「既得権益の象徴」みたいな候補が、このエリアで勝つ可能性あるの?
そして、松尾あきひろって誰?(あ、いや、私は前回も松尾さんに投票したから知ってはいるけど、前回投票する時に、え?誰?とは思った)
港区渋谷区の民も、オリコンヒットチャート1位しか聞かなくなってしまったのかと。
そして、最先端たるこのエリアがこの有り様なら、数年後の未来はどうなる??絶望しかない。
……
ここで、正直に言う。感性だけで選ぶなら、私は「チームみらい」に入れたい。
彼らの掲げるアップデート感、イケてる空気感は、間違いなく私が憧れていた港区渋谷区のバイブスに一番近い。
でも、ここで一度、立ち止まって考えたい。
都心エリアのコスモポリタンを自称するなら、感性だけじゃなく「票の使い道」についてもクレバーであるべきだ。
ここで「チームみらい」に小選挙区で1票を投じるのは、一見すると純粋な支持に見える。
けれど、小選挙区制というクソみたいなゲームのルール上、それは実質的に「丸川珠代を助ける」行為にしかならない。
自分の1票を、死に票どころか、一番入れたくない相手の追い風にしてしまう。
中道が、松尾あきひろ氏が、めちゃくちゃクールかと言われれば、正直そうじゃない。
でも、彼は圧倒的に「マトモ」だ。人権派の弁護士として実績を積んだみたいだし、IT企業も経営してたらしいし、毎週タウンミーティングを開いてこの街の声を拾ってきたらしい。
立憲民主にもたまにいたトンチンカンな陰謀論を振りかざすようなタイプではないし、当選に慢心して仕事をしないタイプでもない。
だから、クレバーな東京7区民になりたいなら、私のオススメはこれ。
比例:チームみらい
チームみらいのみねしまさんは、正直、討論とか見てても爆イケ。
絶対、国会に行って欲しい。東京の名簿2位にいるみねしまさんは、今の勢いのチームみらいが比例で票を集めれば、比例復活の可能性はめちゃくちゃ高い。
選挙制度を理解した上で、自分の持ち票の効用を最大化する。 これが、港区渋谷区民らしい選択じゃないかと思う。
裏金や人権軽視を「まあ、有名人だし」で許容してしまうような、そんな雑な感性はこの街ではマイノリティなはず。
維新にも、国民民主にも投票したことある。もちろん自民党にも。立憲民主にも共産党に入れたこともある。
(さすがにN国と石某は通ってないが)
そんなゆる政治勢の私だが、今回は、現政権の国民をあまりにもバカにしている態度と、無秩序な経済政策が、どうしても我慢ならない。日本に壊れてほしくない。日本の最先端であるべき東京7区は、少なくともそれに加担してはいけない。
窓際三等兵が憎い。
正確に言うなら彼が書くタワマン文学を消費しては自分たちの空虚さをコーティングして悦に浸っているあの界隈の空気が反吐が出るほど憎い。
夜のロピア。惣菜売り場。値付けの権限を握った店員の後ろをハイエナみたいに中高年がゾロゾロと這い回る。その不快な列に30代中盤の増田も並んでいる。8時45分。ようやく貼られた値引きの赤いシール。鶏ぷりぷり甘辛和え弁当。598円が398円になる。その瞬間、これまで四半世紀かけて積み上げてきたはずの自尊心もわずかな小銭と一緒に切り捨てられる。
手取り25万2千円。職業は地方中核都市の地方公務員。最近、自分の生涯賃金を計算して、それがあっさりと親の生涯収入を下回ることに気づいた。地方のノンキャリ公務員の給与カーブなんて、定年まで走っても親がバブルの余韻の中で稼ぎ出した総額には到底届かない。大学時代、行政法のゼミで法の支配や公共の福祉を議論していた頃の自分に教えてやりたい。お前が必死に勉強して手に入れるのは、親世代が当然のように享受していた中流の生活ですらなく、深夜のスーパーで売れ残りの炭水化物を奪い合う権利だけだぞ、これがお前の選んだ正解の成れの果てだぞ、と。
恋人もいない。友達もいない。部屋に誰かが来る予定も無ければ、誰かを呼ぶ気力はとうに失せている。マッチングアプリの広告がスマホの画面に虚しく光るが、年収欄に500万未満と刻む勇気もなければ、それを笑い飛ばしてくれる友達もいない。
Xのタイムラインにはまた窓際三等兵のフォロワーたちが泣いて喜びそうな物語が流れてくる。恋愛、結婚、競争、マウント。笑わせるな。彼らが嘆くその地獄は選ばれたエリートだけが入場を許される高級なテーマパークみたいな地獄だ。その絶望には常にペアローンという名の共犯関係と資産価値というセーフティネットがついている。
弁当を食う。冷え切って米粒が硬くなった割引弁当を食う。彼らが嘆く虚飾すらここには存在しない。あるのはただの虚無だけ。階級社会の再生産において増田は敗者として舞台に上がる権利すら剥奪された。もはや守るべき配偶者も教育虐待を施す相手としての子供も、親を超えてみせるという野心も、何一つない。
港区の不倫もタワマンの階層格差も宇宙の果てで起きている出来事と同じくらい遠い。きっと彼らが描写するドラマチックな不幸の背景に増田の姿は映り込まないだろう。
明日もまた生活福祉課の窓口に座らなければならない。タワマン文学の住人たちが、「ネトウヨ」という概念を記号的に分析して遊んでいる間、増田は目の前で「ワクチンに毒が入っている」「日本は支配されている」と詰め寄ってくる参政党支持者と向き合っている。彼らのロジックを公務員という立場ゆえに否定もできず、ただ無表情に相槌を打ち続ける時間の虚無。自分が依って立つ「法と理性」の体系が、言葉の通じない他者によってゆっくりと削り取られていく絶望。
税金で食ってるんだろ。その手垢のついた台詞を吐き捨てていく彼らの方が、よっぽど手厚い社会福祉の恩恵に預かっている。彼らの剥き出しの憎悪を受け止めながら、脳内では判例や法理が高速で空回りする。大学で学んだ知識は、目の前の人間を見下すための薄汚い眼鏡に成り下がった。
弁当を食った。空になった弁当殻を水で洗う。明日が資源ゴミの日だからだ。丁寧な暮らしなんて言葉を嘲笑いながら、ゴミの分別というこの街で唯一己に残された市民としての義務を淡々と遂行する。誰にも看取られない独身公務員の夜が、こうして音もなく過ぎていく。
プラスチックを洗う水の音が部屋に響く。Xでは誰かがタワマンの窓から見える夜景を背景に、高尚な不幸を嘆いている。明日もまた25万2千円のために地獄の背景として出勤する。そこにドラマはない。反転もない。ただ冷え切った日常が半額シールの粘着剤みたいにベタベタと自分の人生に張り付いているだけだ。
消えたい。
市内唯一の娯楽施設「ラウンドワン」閉店決定 住民「街としての役割を果たしていない」**
栃木県栃木市で、若者の市外・県外流出が深刻化している。背景の一つとして、市内の娯楽施設の不足や、駅前商業環境の偏りが指摘されており、地域住民からは「この街で過ごす理由が見つからない」との声が相次ぐ。
ラウンドワン閉店の衝撃**
市内で若者向けの娯楽施設として長年親しまれてきた「ラウンドワン栃木・樋ノ口店」が、2021年3月31日をもって閉店した。住民からは「栃木市が終わった」との落胆の声が広がった。
もともと同市ではゲームセンターや大型遊戯施設が次々に姿を消しており、残るのはイオン内の小規模ゲームコーナー程度。
**「パチンコ以外に遊べる場所がほとんどない自治体」**という厳しい現実が露わになった。
JR栃木駅周辺を歩くと、まず目につくのは学習塾の看板だ。複数の大手塾が軒を連ね、夜間は塾だけが明かりを灯す一方、飲食や娯楽系の店舗は乏しい。
「駅前に来ても、塾以外に何もない」
と自嘲気味の声が聞かれる。
新刊書店は市内に1店舗(TSUTAYA)のみで、その場所も駅から離れている。映画館は市内に一つもなく、市民の消費行動は佐野市や宇都宮市、小山市へ流れがちだ。
結果として、**「街にお金が落ちない」**状況が常態化している。
観光資源として市が重視する「蔵の街」の景観。市中心部では建物・道路整備に強い規制があり、近代的な開発が進みにくい。
「蔵は残っても、街は衰退する」
観光客数も伸び悩み、ゴールデンウイークでも人通りは少なかった。「歴史的価値を前面に出すだけでは街が維持できない」という現実に、市民の不満は積み重なる。
市内の移動手段の不便さも指摘されている。市バスは2時間に1本と本数が極端に少なく、生活圏を移動するには自転車で40分〜1時間かかる地区もある。
また、県道の一部では街灯が少なく、夜間は暗いままで安全性への懸念も根強い。
市役所が東武百貨店の2階部分に移設されたことにも、疑問を唱える市民は少なくない。百貨店は市民の生活動線から外れており、結果として利便性は向上していないとの見方が大勢だ。
「市民が足を運ぶのはイオンやBeisiaなどの安価な大型店。百貨店に人は集まらない。なぜここに市役所を置いたのか理解できない」との声もある。
栃木市では、進学を機に市外へ出た若者が戻らない傾向が長年続く。
市内で育ち、駅前の塾で勉強し、大学は東京や宇都宮へ、そのまま就職――。
こうした流れはもはや固定化しており、
という指摘もある。
市にとっては人口減少と税収減という形で跳ね返り、地域経済をさらに圧迫する悪循環となっている。
「歴史景観は価値ある一方、現在の栃木市には“生活の不便さ”がのしかかっている。
若者を惹きつける商業・文化施設の整備、駅前の再開発、交通網の改善など、
京都ですら景観規制の運用を見直す時代である。栃木市も“古さを守る”だけでなく、“未来を作る”方向への舵切りが求められている。
■ 終わりなき「何も無い街」からの脱却なるか
蔵の街は残るが、若者は残らない。
娯楽は消え、生活は不便のまま――。
市内からは「ゼロから街を作り直すべきだ」との声すら上がっている。
“何も無い”という現実を変えられるか。
・主役はもちろん脇役の演技もいい〜〜〜
「この街で一番ワクワクするのは、お前が出てくるまでの10秒間 今日はもしかして 何も言わずに〜」のセリフとラストの「アイツ、行きやがった…!(良かった)」の演技、よすぎる
・友達、肩をすくめる動きがこんなサマになるやつおる?ってくらいキマってた
・ここぞという時のセリフの応酬内容がよすぎるんだよなぁ… カウンセラーのやきう奥さん出会いエピとか才能を活かす殺すのやり取りの「爆弾魔だろ?」の「アッ…!(察し)」感とかお前は宝くじの当たり券を持ってるからこの街で燻ってるやつじゃないとか
・「あっ、これからも先生とは細く長く付き合いやってくやつなんやね、よかったやん、うん、うーん…」(このエモいやりとりをした2人の人生は今後交錯することはないというのに「物語」の美しさを感じるけど、主人公君がいいのならまあ…ええか…)からの先生やきうエピリスペクトお手紙からのラストの車後ろ映すドライブエンディングロール、良すぎるだろ!!曲も良すぎるだろ!!
・タイトル回収キタコレ
俺はカチャ、カチャ、と同じ面を三度も回した。
数学科の人間ってのは、何かをいじっていないと死ぬ生き物なんだ。
氷の溶けかけたアイスコーヒーを吸いながら、俺はふと、あの群のことを考えていた。
「離散的な群は…」カチッと回るキューブ。
そんな妄想をしてる大学生なんて、この街で俺ぐらいのものだろう。
「それ、難しいんですか?」
声がした。
手にはミルクティー。
俺の指先の動きを、興味深そうに見つめている。
俺は、少しだけ間を置いて、にっと笑った。
「リー群って、ご存じですか?」
彼女は目を瞬かせた。「…りーぐん?」
「そう。数学の話です。簡単に言えば、ルービックキューブを滑らかに動かす理論ですね」
「滑らかに…?」
「ええ。世界は“カチッ”じゃなくて“スーッ”でできてるんです」
言いながら、俺はキューブを指の上で軽く回した。
赤が青に、青が白に。
「つまりね、回転も並進も、すべて“連続的な対称性”なんです。
「……なるほど?」
「よくわかんなかったけど、楽しそうですね」
もう一度、白い面が揃う。
風が通り抜け、ページの端をめくるように光が動いた。
女の子は笑って去っていった。
俺はひとりごちる。
指先がまたカチ、カチ、と鳴った。
※障害年金(生活保護費に実質吸収されてるが)で遊ぶ生活保護受給者・障害者、しかも若い女性を性的搾取する大人に嫌悪感を抱く人は見ないようにしてください。
障害年金の支給日だったので思い切って20年ぶりの風俗に行ってきた。
さて、こちらは政令指定都市ではあるが地方なので、春を売る価値も「いいの…?」ってぐらい安かった。
しかも売春女性は目移りするほど増えていてルックスもレベルが高いようで正直ビビった。マジか?と。
そしてこの傾向は都会でも地方でも同じようで、昔では考えられないほど風俗嬢のルックスもインフレしているらしいし、春を売ることに抵抗のない層が厚みを増しているようだ。 それにも関わらず、主要ターゲットであるオジサン達の貧困化により飽和状態(レベルを満たしているのに売りたくても売れない売春女性が多い)にあるというのが現状、とXで知識を得ていた。 この街では生中出しのセックスが60分で16000円程度から売られている。画像加工技術は昔ながらのフォトショにプラスしてAIも使っているので、ホームページ上にはあらゆるタイプの商品化された魅力的な女性が並んでいるのを確認出来る。加工技術の進化によりそれを信じることはより出来なくなっているかと思いきや、SNSでほぼ加工無しのルックスを確認出来る時代になっているのが現状のようだ。AV女優のルックスのインフレ、競争も明白に激化している。女性達による売春戦国時代は買う側の男たちにとって恵みと言えるだろうと思える。
これは…昔のように風俗がある程度の福祉として機能していたものではなく、「普通に」カジュアル化して春を気軽に売れる若い女性達の増加と言えるのか?いや、昔から援助交際というものはメジャーな響きがあったし、別に時代の遷移によって変わったものではないのかもしれないし…。でもパパ活なんてライトな売春オブラートワードも定着してきてるし…。
真実は分からないが俺の実感としては売春婦のルックスのインフレとカジュアル化がこの貧困斜陽国家によってもたらされつつあるのが実態では、という予想に至った。
さて、本日。私は挿入のない風俗を選択した。ソープではなくデリヘルである。挿入のある風俗には抵抗があったからだ。直接的過ぎて自分が怖かったし、それは金を使ったレイプであると考えたからかもしれない。口腔による春程度ならば、というのが今回私が性的搾取を行おうとする際に抱く罪悪感をすこし軽減する手段であったと思う。それでデリヘルを選択したわけだ。
地元でも一番高級なデリヘルを選択した。それでも75分で2万円である。高いように思えて、それでも生活保護の身で障害加算(障害年金で加算がつく)と収入認定(バイトしてる)があれば、節制すれば普通に毎月通える程度の金額であるなというのが実際のところである。他のことにも使いたいし貯金もしなくてはならないし、そもそも毎月風俗に行くような動機も性欲も無いから通うようなことはしないが。 そう、ひさびさに女体に触れたい、そして社会見学。それだけのことが今回の動機であった。加齢によって、射精はきっと出来ないであろうという予測もあり。
ホームページを見る。まずおっぱいだ。前の彼女もその前の彼女もまな板だった。巨乳をチョイスしたい。その中から、一番若い子を予約した。19歳だと書いてある。身長164㌢Gカップ。素晴らしいではないか。他にも乳のデカい、Jカップという子も居たが年齢が24歳と書いてあったので敬遠した。本当に24歳なら別段問題はない。むしろ良い。が、吉原年齢ということもある。実際には24歳と書いてあっても30代後半だったり、そういうことが起こり得る。せっかくなら若い肉体を触りたい。私が二十歳頃に恋人だった子のような、ハリのあるみずみずしい肉体を。
さて、その子を指名してウェブ予約して、ラブホテルにインして電話をかけて待つ。すぐ来てノック。ドアを開けると…。めちゃくちゃ可愛い若い女の子が微笑んでいた。洋服の上からも胸の膨らみが既に主張している。とりあえず招き入れ、お金を支払い、ドリンクを注文し暫し雑談。なんと…この前まで高校生だったというではないか。その時点で私の愚息はシナシナになってきた。逆じゃないか?ちょっと前までJKだったなんて、しかもめちゃくちゃ可愛くて、高身長で、乳もデカくて、くびれがあって、興奮するんじゃないか?と思われるかもしれない。しかしやはり若すぎるという罪悪感が私を“おとな”にさせ、相手を“こども”にさせた。ドリンクを飲みながら、学校のことや、出稼ぎできていることや、モテモテだった話などを聞いた。そりゃモテるだろう。話してる時間のほうが長かった。色々訊きたくて興味津々であった。
さて、じゃ、そろそろ、ということでお互い服を脱ぎ脱ぎ。抜群のスタイルであった。やや硬めのハリのある巨乳、見事なくびれ、大きなお尻。女性らしさを体現したラグジュアリーなボディである。こんな若くてめちゃカワでスタイル抜群な子が高校卒業してすぐ口淫業?すごいことだ…。眼福である。
とにかく、“おとな”として優しく接すること、あまり触らないことを心がけた。いちいち許可をとって、接吻をしたり、乳を揉ませてもらったりした。ゆったりとした時間、焦らずの時間が過ぎていった。
嬢としてはやはり仕事なので「抜き」をしなくてはならないという流れを作ろうとし、ベッドに私を寝かせ乳首を舐めてきた。私はほぼマグロとなり身を任せることにした。
やがて下の方へと向かい、睾丸、陰茎を舌でもて遊び、舌ピアスを上手に刺激に活用し私の愚息を怒張させていった。
が、私の愚息はやはりシナシナとなり…。“おとな”として“こども”にこんなことをされていても、罪の意識からか没頭など出来ず覚めていった。本格的な口淫に入っていく。刺激があるようなないような。これは彼女のテクニックの問題なのか私のメンタルの問題なのか。特に刺激を感じることなく、これは射精は不可能だな、と判断し、今度は反対に攻めさせてもらうことにした。
横になった彼女の肉体を眺める。やはり素晴らしい肉体をしている。胸の膨らみ、くびれから、そして本人は太ってしまったからと気にしていた適度な太もも。そのバランスの良さにしばし見惚れる。これは…別に性行為や口淫やらをせずとも、その美しさ、エロチシズムを写真に撮らせて貰えればそれが一番かのように思えた。が、攻めの番となるとやはりある程度のことはせねばなるまい。
しかし…。先述した心理によりその肉体を必死で貪るようなことは出来ず、私は彼女の乳首さえ吸わなかった。バランスのいい、ハリのあるGカップに備えられた、色素の薄い美しい乳輪に乳首。私は遠慮しっ放しであった。
軽く乳を揉みなどしつつ、すべすべの全身を愛撫しつつ、脚、内股へと徐々に愛撫を重ねていく。吐息が漏れる。だけど、訊いてみると、くすぐったい、というだけのようだ。そりゃそうか。だからといって本気で愛撫にとりかかるわけでもない。中途半端な愛撫を重ね、終わりにした。
枕元へ向かい、キスをした。応えてくれた。かつての恋人達のようにではない。そりゃお仕事だから濃厚なものではなくあくまでも業務的なキスではあったけれど。やはり、“おとな”だし“こども”だし何より“売り買い”だからそこには本気の気持ちはない。彼女は一生懸命口淫で尽くしてくれたと思うし、美しくみずみずしい裸体を見せてくれた。そして、将来の夢なども聞かせてくれた。それだけで私は充足したのである。射精に至らなくとも21000円の価値が彼女にはあった。
レポは以上になるが、本当に最近の風俗はレベルが高かった。驚くべきことだ。一番の驚きは彼女のような顔や身体や若さといったハイレベルな風俗嬢でも、1日に一人か二人しか客がつかないぐらいうちの店はレベルが高くて…ということであった。
なんとも言えない気持ちにさせられ、そして感謝の意を伝えながらチップを少しだけ渡して、一緒にホテルを出た。
やはり、売春婦のレベルのインフレと国の経済力の衰退はセットのようだ。
今の非モテ男性は多少の金さえ出せば、ハイレベルな女性を選び放題の時代となっている。最近、コスパとかタイパとかいう言葉を聞くようになった。交際経験のない若者が増えているとも。
それはおそらく多くの若い男性にとって、マッチングアプリの一般化による女性不信も関係しているだろう。一時期、弱者男性が「女体にありつけない」という嘆きを投稿したところ、「女性をモノ化するとはけしからん」と怒られていたが、女性がマチアプでハイレベルな男を無料かつ容易に漁れるこの現代社会の構図に鑑みるに、それは切実かつリアルな叫びであったのではないか?「ありつけない」というのは悲痛な声に相違ない。
普通の男と普通の女が普通に付き合うことが出来、「ありつけた」時代を生きられた我々の世代は幸福な世代であったのではないだろうか。今のマチアプ時代を強者男性側として生きられる自信は俺にもない。もう風俗へ行くしかないだろう。そしてそこにはハイクラスな女性が性を売り物にして待っている。
これからは金と体のトレードオフがより露骨に、顕著に加速していく社会に突入していくのではないか?つまり、性的格差社会のさらなる加速である。
そこでいかに生き抜くか。得られるか?失うか。無関心になるか。
あまりいい社会とはいえない気がするが、今日の経験は間違いなくその加速した社会からもたらされた愉悦(罪悪感を含んだが)といえよう。若者は大変であろうが、金を持っているオジに女性はなびくだろう。マチアプ&パパ活概念社会への突入を如実に感じた。
しかし振り返ると風俗・・・若い女の子を性的搾取したことに対する罪悪感が大きい。お金はなんとかなるけど、お金を失ったんじゃなく何か大切なものを失った気持ちのほうが今大きい。今、正直後悔の気持ちがある。
週末は生活保護ながら土日だけのバイトだが、今日買った子と同い年のバイトの真面目で気の利くJDとどんな顔して“おとなの顔”して働けばいいんだ?
隠さないと、無かったことにしないと大人としてバイトの子と真っ当に接することなど出来ない。それぐらい後ろ暗いことをしたよな。と思う。
“おとな”ではやれない。
この街で何度も心を焼かれ、削られ、踏み潰された。
誰もそんなことは言わないし、誰もそんなふうには思わない。
それどころか、多くの人間は嬉々としてこの街を目指し、誇り、称える。
だが私は断言する。
見えない形で、静かに。静粛に。
だが魂は、ぎゅうぎゅうに押し潰され、やがて音もなく窒息する。
誰も彼もが、顔を下げている。
目を合わせない。声を出さない。
そこにあるのは恐怖ではない。
諦め。
意義も誇りもない。
それが常識だと教えられ、それが当然だと刷り込まれ、疲れ切った顔で、皆、処刑台に向かう。
商業施設。
どこを見ても、均質な顔、均質な振る舞い。
東京は、人を人でなくす。
私は何度も救いを求めた。
だがこの街に本物はない。
心に語りかけても、届かない。
誰かを押しのけなければ、生きられない。
誰かより劣れば、即座に落伍者となる。
そう仕組まれている。
人情は、ここにはない。
老人が倒れても、皆が見ないふりをする。
それが日常だ。
それが正解だ。
助けたら負けだ。
心を動かしたら、殺される。
私は、そうして死んだ。
見た目には何も変わらない。
だが中身は、とうに死んでいる。
声を上げる元気もない。
怒る力もない。
泣く涙もない。
ただひたすら、無表情で日々を過ぎる。
毎日人の心を殺し続ける。
誰もがそれに気づかないふりをしている。
気づいている者も、抵抗する力を持たない。
皆、押し流される。
波のように、靄のように、空気のように、
誰にも気づかれず、音もなく、死んでいく。
それが、この街の正体だ。
私もまた、かつては夢を見た。
東京に出れば何かが変わる。
だが違った。
自由などなかった。
あったのは、精巧に作られた檻だった。
細く、目に見えない鉄条網が、あらゆるところに張り巡らされていた。
気づいたときには、もう手遅れだった。
人を信じれば、裏切られる。
誠実であればあるほど、笑われる。
傷つけた者が、勝つ。
この街を動かしているのは、恐怖だ。
失う恐怖、取り残される恐怖、無価値になる恐怖。
その恐怖で、人を縛り、操り、消費し、捨てる。
全部、この街に殺された。
もし今、誰かが東京を目指しているのなら、
私はそっと耳打ちしたい。
「やめておけ」と。
あなたが気づくころには、もう取り戻せない。
この街に、救いはない。
私はもう、いない。
琴線に触れても、もう何も音を立てることはない。
現在進行形でドイツに住んでるけどドイツだけは絶対にやめとけ。割とストレートに命に関わるし日常のストレスは日本とは比べ物にならない。
まず医療インフラが死んでる。特に「今すぐ死なない」ことが多い皮膚科、眼科、整形外科、耳鼻科あたりは予約を取ろうとすると2、3ヶ月待ちだ。運良く早めの予約が取れたとしても、なんていうか、何でそのクリニックは予約が空いてるんでしょうね(お察し)。知り合いでする必要のない網膜の手術をされて弱視になった人を二人知ってる。あ、でも保険料はクソ高いから。だいたい、年収1千万ぐらいで月15万。待たずに医者に診てもらうにはトリアージ区分で赤寄りの黄色以上、交通事故で解放骨折して動脈が破れてるぐらいまでないと。ソースはおれ。その手術も止血が不完全だったせいで入院中に再度大量出血して緊急手術になったけどな。他にもペインコントロールが不十分だったり、縫い方がクソ下手くそで皮膚と皮下組織が癒着したり(再手術してくれた日本のお医者様ありがとう!)。歯科はもうちょっと予約が取りやすいけど、まぁ、技術はね。。。一度ドイツで治療した歯があまりに痛むんで日本滞在中に自費で歯科に行った時は「他の先生のことを悪く言いたくないですけど、、、一体どこのクリニックですかこんな雑な治療をしたのは?!」と驚かれたよ。あまりに酷い状態だったんで学会で症例報告された。
医療だけじゃなくて社会インフラも瀕死。鉄道はストで常に動かない。ダイヤ?なにそれ綺麗なの?時刻表なんてあってないようなもん。まずシンプルに「来ない」。遅れるとかじゃなくて、来ない。途中で動かなくなるのや停車駅を飛ばすのはいつものこと。こないだは乗ってた列車が途中で行き先を変えたよ。市鉄もバスも同じ。どこの街でも同じ。飛行機?ついこないだもドイツ中の空港がストで数千便が欠航。もちろん遅延キャンセルは平常運転、預け荷物にはエアタグ必須。だってロスバゲするから。
ちなストはゴミ収集のも病院スタッフのも医療従事者のもちょいちょいあるから。ついこの間もそれで集合住宅のゴミ置き場が溢れかえってたけど、夏にこれが起きないことを祈るばかり。
宅急便?もちろん届きません。集配?予定の時間に取りに来るなんて有り得ません。予定の日に来ないこともざら。あとエレベーターがない家に住んでると重たい荷物は集合住宅の入り口までしか届けてくれないよ。うっかり洗濯機でもネットで注文しようものなら詰むよ、路上に置いていかれた洗濯機を前に呆然とする羽目になるよ。
他にも6-7%のインフレ率とか色々あるけど、それでも良いところも沢山あるから今まで住んでたんだ。だけど、最近は加速度的に悪くなる国の財政と歩調を合わせて社会情勢がキナ臭くなってきた。移民排斥を訴える極右政党は議席を伸ばし続けてるし、新しい首相はそいつらと手を組むし、非欧州人や白人じゃない人にとっては剣呑な空気になってきてるのを肌で感じる。街でかなり直接的な人種差別を受けることも増えてきた。あと、もし増田が今のイスラエルがやってることに批判的な意見を持つのであればマジでこの国に来ない方がいい。公の場でドイツ政府の方針を批判してみな、即逮捕、下手したら強制送還だから。
今日鬱になった。
双極性障害2型と名付けた。
それは私の中学まで遡る。
小学生の私は人気者だった。
人の心に寄り添うことができる子だった。
人気者になる条件の1つだった。し、
それに疑問を持つこともなかった。
足が速い子、顔がいい子、勉強ができる子
と同じように面白い子がいるだけ。
私には作れないギャグがいっぱい量産された。
いっぱい笑ったし、負けじと
でも、私は真ん中にいなかった。
なぜなら、私の作る面白いは
万人受けしなかったから。
それに気づいたのは
私は、端的に言うと排除された。
色々良くないこともやった。
人気者になりたかった。
でも、どうやら中学生は違うようだ。
群れる。群れる。群れる。
あなた達は何故それで笑えるの?何故?
私は、幸い早々に出る杭として打たれたので
ひっそりと息を潜めて、教室の隅にいた。
隅にいても暇なので、ずっと会話を聞き
人を観察することに3年間を費やした。
必ず誰かがいじめられていた。
殴り込んでくることもほとんどなかった。
今のように、つらかったら逃げてもいい
垂れ流しにされることもなかった。
あなたたちは何故人の物を隠して笑えるの?
人の髪の毛勝手に切ったり
悔しい〜!!とかで何故笑えるの?
異様に人の表情に敏感になったのは
このクソみたいな中学3年間だった。
ただ、そのおかげで得たものもある。
悪口を言われても明るく返せば
何故って?
言われてるけどクラスの真ん中にいるじゃない?
そう、私にとってのヒーローは、変わらず
教室の真ん中にいた。
いじめっ子達を笑わせてる。
かっこよく見えた。
そのヒーロー達は、
私のことを面白いと言ってくれた。
なんならいじめっ子達に、
って平然と言い放ってた。
直接は助けてくれないし、
当時の彼にはもう聞けない。
でもやっぱり私のヒーローだ。
東京という街は私には冷たく感じた。
忘れもしない配属された日、
どうやら私の目つきが悪いらしい。
人を睨んでるように見えるそうだ。
平気で私をいじめた。
つらかった。
こんな思いをしてまで
何故この会社にいなきゃいけないの?
そう思ったけど、入社数カ月で退社すると確実に
今後の人生が困難になる。
当時はまだ転職全盛期じゃなかったし、
配属されて速攻でいじめられるのは、
最早私に原因がある。
変なところで真面目だった。
というか、単純に負けたくなかった。
卑怯な手口。バレない手口。陰口。
文句があるなら直接言って来い。
この環境で、8年頑張った。
もはや私の稼ぐ売上は、
30後半〜50歳の超優秀な先輩や、
マネージャー層と話す方が楽しくなった
何で私が。何で私ばっかり。
何で鬱になったやつばっかりよしよしするの?
つらいって言ったもん勝ちなの?
でも、鬱になった後の処理を
引き受けた身としては逃げることで、
どれだけの迷惑がかかるかを身に沁みて感じたから、やりたくなかった。
面白くなかったし、笑えないし。
だから負けじと頑張った。
全部を笑いに変えようとして頑張った。
色んなことを抱えすぎたのか、
会社で立てなくなった。
今日鬱になった。
双極性障害2型と名付けた。
お前は頑張りすぎたんだよって
平気な顔で言ってきた。死ねと思った。
たったの3千円で買える紙。
それだけで、私は一気に可哀想な人になった。
励ましのメッセージをくれる。
でも、たぶん私のことを心配してくれてる。
から言わない。
あなたを呪ってる。
砂漠を旅していてオアシスにいたんだが、エクスカリバーが落ちてた
んで、おっさんがそれを拾って「これは俺のもんだ!」という
さらに「このオアシスにたどり着くまでにどれだけ何もない砂漠を歩かされたと思ってんだ!」と言っている
砂漠を車で横断すると街に到着した
そこで水をもらおうとして「Give me a cup of water」とそこにいる女児に言うと「What kind of?」と言うので「Clean water」と伝えたが、水の種類は宗教上の何かがあるのだと思った
と、何か生物に寄生されたホームレスがいて、この街ではホームレスにも寛容だった
地面を見ると、おもちゃが生物化したものが野生化していたが、「ああ、俺がこの前生命を与えたおもちゃか。野生化して繁殖したらやべーな」と俺は言った
A:
この街には呆れる程に人間がやってくる。別の街から、他の国から、この国の言葉もちゃんと話せない奴からマルチリンガルまで、
住所不定の異国人、組織を弾き出された者、故郷を追われてきた者、故郷から逃げてきた者、明日をも知れぬ弱者達が集まり、息を潜めて、その中に混じっている唾棄すべきハイエナ共に喰われていく
あの街で人を信じるな。あの街で犬畜生すらも信じるな。
善人のようなツラをしながら親友家族を地獄に堕とすことすらなんとも思わない連中が蔓延る悍ましい街。
あの街の勢力、信条、政治なんざ風向き一つで変わる、風見鶏にぶら下がった蝙蝠野郎共が今夜もあの街で高笑いしている。
あの街で知恵を持っている奴を信じるな。知恵の無い奴?お前の足元で寝転がってる奴のことか?
この街で生き残るということはそういうことだ。
冬が来る。悪党共すら震えて凍える冬が来る。
うちの実家の近所には、花街、つまり遊郭があった場所がある。もちろん地元の人間は大体知っている。
小さいころ、まだ生きていた祖母が、まあ壊れたレコードみたいに同じ話を何べんもするのだが、花街のあった辺りを指して「綺麗な女の人が大勢いてねー」などと教えてくれたことがあるし、花街はなくなっても花街を相手に商売していた商店とかは今でも存続している。
戦後に花街自体がなくなった後も、映画の撮影か何かで使われたことがあったらしい。
とにかく私はそこに「負の歴史」など感じたことはないし、その地域を特に避けて暮らしたような経験もない。
何年か前、ふと思い出して、私の実家の具体的な地域で検索した。
そうしたら、所謂花街の研究者か趣味者というのか、そういう人がまさに私の近所でフィールドワーク?をしていることがわかった。
ほうほうと思いながら見ていたら、その花街の歴史が、「複雑な歴史」的な描写で描かれていた。まるでうちの近所が遊女の死体を積み上げて繁栄したみたいな書きっぷりだった。
んんん???となって、その人に限らず他の花街探検系(変なジャンルだな)の人の記事とか見たら、何かどれも同じ書きっぷりだった。
「この街の繁栄は遊女の犠牲の上で出来ていた……」「地元の人はそれを知っているのだろうか……」みたいな。
いや、近所にそういう歴史があったの別に子供の時(平成中期)から知ってるし、それについて何とも思ってないのだが。
特に鼻についたのは、遊郭研究者たちの、「自分の研究は覗き趣味ではない!」みたいな変な自意識だ。
〇〇ディープ案内みたいなのに影響を受けてドヤ街に行き地元の労働者の顔をバシャバシャ撮って「これが日本の真実!」みたいなことをやっても、それが薄っぺらくて日本の実情なんか何にも反映してないのはわかるだろう。
廃墟探検とかして私有地に入ってバブルの残り香がどうとか耽美ぶっても近所の人間には迷惑でしかないだろう。被差別部落とされる場所に行って「ここは部落ですよー!悲惨な歴史がある街ですねー!うわーホルモンだー!」なんてやる奴はましてだ。
だがそれが「遊郭」になると途端に高尚な研究になり、また地元民を指して「あなた方はこの歴史を本当に誇りに思ってるんですか?」的な問いかけまでし始めたりする。
いい加減にしてほしい。あんたがたはただ外からきて勝手に街を貶してるだけだ。しかもそこは廃墟ではなくまだ人が住んでいる場所だ。
遊郭(跡地)にもそれこそ「複雑」な歴史はあるだろう。だがそれは八百屋とかパン屋とか花屋にもそれぞれの歴史があるのと同じことでしかない。もちろん現代の性風俗やラブホテルとかでも同じだ。
「過酷さ」は別に遊女とかにかぎったことではなく、農民でも漁師でも商人でもみんなが被っていたことだ。ただ「性」「セックス」が絡むだけで注目するなら、それはモンド映画的趣味と全然変わらない。
私は地元の歴史に何の負い目とか感じないし、別に「遊郭で町おこし」とかやっても全然かまわないと思っている。この街で暮らしていた漁民も農民も侍もそして遊女も、露骨に言えば繰り広げられたセックスも、みんな絡み合った歴史の一つだ。
それを忌避したり、何なのか知らないが清廉ぶって「悲しい歴史……」などと暗黒時代の様に彩ることこそ、逆に過去の人々に失礼だろう。
成功者の伝記や、ドラマの主人公などに自分を重ねすぎて、人生に求める平均点を無計画に上げてしまったタイプ。
学校の教師なんかが「とにかく夢を持て、君も立派な人間になれるぞ」なんて無責任に言うのを鵜呑みにしてしまった人間の成れの果て。
よくよく考えれば、教師なんて自分は残業代も貰えずに最低賃金未満で働いてくるくせによくこんなことが言えたものだと気付けなかった思考力が哀れ。
テレビゲームの世界ではコントローラーを握ってるだけで皆世界を救った勇者になれるけど、現実にいる自分はその他大勢の村人であるという客観的視点を持つ才能がなかったのも哀れ。
テレビを見ながら1時間で偉人の人生を追った所で、自分は1ミリも偉くなってないってことに早く気付ければよかったね。
想像力や分析能力の欠如により現状に対しての不満ばかり漏らし、その考えを自分の人生にも当てはめてしまったタイプ。
あらゆるものに対してとりあえずケチをつけておけば何となく「評価が出来た」という気分になれるという楽さに溺れてしまったのが敗因。
存在し得ない最高の状態からの減点で何でも測るので、何が起きても常に不満しか持てないという悲しい生き物。
ゼロから数えてどれぐらい積み上がっているのかを数えればいいものを常に100点からのマイナスで数えるのでいつまでも満足できない。
このタイプはたとえ95点の人生が手に入っても、「マイナス5点の人生」として数えて「ああ、俺の人生の価値は0にさえ劣る・・・」と嘆き始めるのだから相手にする価値が全くないと切り捨てていい。
子供の頃にちょっとしたことで表彰されたりしたのをいつまでも覚えているようなタイプ。
言ってしまえば「クラスで自分しかビブラスラップを演奏してないから身内じゃ一番ビブラスラップが上手い」のを「俺はこの街で一番音楽の才能があるのだ」と勘違いしてしまうようなホームラン級のアホ。
幼児的万能感とも言えるものが精神の根底にビッシリと根を張っており、それを下手に取り除けば自我が崩壊してしまうレベルだから外側からの治療はもはや不可能。
死ぬまで「子供の頃、俺にはとんでもない才能があったのに、努力が足りずにその才能を無駄にした」と言いながら現状を否定し続けるのである。
自分の人生がどこまで上手くいっても「俺の才能が完璧に活かせたらもっと成功した」と言い続ける絵に描いた餅の囚人である。
この3タイプ、どれもどうしようもなくしょーもないのだが、一応救われる方法はある。
それは自分の人生に対して無駄に高く見積もるのをやめ、その上でゼロから数えて自分の人生の価値について考えるだけでいいのである。
飯は食えてる。
家はある。
身体は動く。
ある程度自由。
とりあえず明日はくる。
そういったことに対して少し高めに加点していってやればあっという間に人生なんて「70点/100点」ぐらいにはなる。
その現状を「よっし!とりあえず70点あるならええやろ!俺にしちゃ立派や立派!」と言えばいいだけだ。
これは別に無理やりでいい。
筋トレ中に限界だと思っても無理して笑えば脳内麻薬で痛みが吹っ飛んでワンモアセット可能になると同じ状態だ。
無理やりでいいから「俺の人生70点ぐらいある!70点もあるんだから十分じゃないか!」と思え!
俺がそうだった。
増田は国会議事堂の前庭を放浪する。全裸で。時計塔がたってる。これ意味あんの。時計のために30mの石の塔がたっているのだ。わけがわからん。これ、誰も見てないし。昭和の日本はこの塔より高い建造物を建てることが許されていなかったということだ。まあわからんでもないな。いまにも倒れそうだ。ちょっと押したら倒れるんじゃないのか。尾崎の業績を記念して建てられた塔とのこと。ねえねえもしかしたらおれのほうが正しいかも知れないだろおれがこんな平和の中でおびえているけれど反戦反核いったいなにができるというのちいさな叫びが聞こえないこの街でこいびとは愛を語り合いおれは身をこにしてして働いている誰が誰を責められるこの生存競争かつために闘う人々を。と歌ってみる。全裸で。
まぁそれと同時に、お前それサバンナで同じこと言えるの?を忘れてはいけない
(スーパーZIP・・・”those ranking highest on income and college education”、つまり、「居住者の平均所得や大学卒業率が、最高ランクである地域」のこと)
このスーパーZIPが全米でもっとも集積しているのがワシントン(特別区)で、それ以外ではニューヨーク、サンフランシスコ(シリコンバレー)にスーパーZIPの大きな集積があり、ロサンゼルスやボストンがそれに続く。
ワシントンに知識層が集まるのは、「政治」に特化した特殊な都市だからだ。この街ではビジネスチャンスは、国家機関のスタッフやシンクタンクの研究員、コンサルタントやロビイストなど、きわめて高い知能と学歴を有するひとにしか手に入らない。
ニューヨークは国際金融の、シリコンバレーはICT(情報通信産業)の中心で、(ビジネスの規模はそれより劣るものの)ロサンゼルスはエンタテインメントの、ボストンは教育の中心だ。グローバル化によってアメリカの文化や芸術、技術やビジネスモデルが大きな影響力を持つようになったことで、グローバル化に適応した仕事に従事するひとたち(クリエイティブクラス)の収入が大きく増え、新しいタイプの富裕層が登場したのだ。
マレーは、スーパーZIPに暮らすひとたちを「新上流階級」と呼ぶ。彼らが同じコミュニティに集まる理由はかんたんで、「わたしたちのようなひと」とつき合うほうが楽しいからだ。
新上流階級はマクドナルドのようなファストフード店には近づかず、アルコールはワインかクラフトビールでタバコは吸わない。 アメリカでも新聞の購読者は減っているが、新上流階級はニューヨークタイムズ(リベラル派)やウォールストリートジャーナル(保守派)に毎朝目を通し、『ニューヨーカー』や『エコノミスト』、場合によっては『ローリングストーン』などを定期購読している。
また彼らは、 基本的にあまりテレビを観ず、人気ランキング上位に入るようなトークラジオ(リスナーと電話でのトークを中心にした番組)も聴かない。 休日の昼からカウチに腰をおろしてスポーツ番組を観て過ごすようなことはせず、休暇はラスベガスやディズニーランドではなく、バックパックを背負ってカナダや中米の大自然のなかで過ごす。ここまで一般のアメリカ人と趣味嗜好が異なると、一緒にいても話が合わないのだ。
Gemini君に作ってもらったぞ
(Verse 1) 輝く街並み、交錯する人々 夢追い人の坩堝、東京は今日も活気 歴史と革新が織りなす文化 世界中を魅了する、底力
(Chorus) 東京の文化資本、なんて素晴らしい 芸術、音楽、ファッション、食 あらゆる分野で花開く才能 未来を照らす、希望の灯火
(Verse 2) 伝統と革新が共存する街 古き良きものと新しい風が交わる 多様な価値観が認め合う場所 個性を解き放ち、自由に羽ばたく
(Chorus) 東京の文化資本、なんて素晴らしい 芸術、音楽、ファッション、食 あらゆる分野で花開く才能 未来を照らす、希望の灯火
(Bridge) 時に厳しく、時に温かい 東京は人を成長させる場所 夢を追い続ける者たちに 力を与えてくれる街
(Chorus) 東京の文化資本、なんて素晴らしい 芸術、音楽、ファッション、食 あらゆる分野で花開く才能 未来を照らす、希望の灯火