はてなキーワード: 寝坊とは
新・文鳥🐥
@humitori__dayo
本日は暇空弁護団が私を訴えている訴訟の期日でした。原告側から請求原因追加の書面と50頁の再反論書面、こちらからは追加された請求原因に対する反論書面を提出していましたが、原告側が欠席したため陳述は次回以降に。今回も反論書面の作成に皆様からのカンパを使用しました。ありがとうございます。
暇空弁護団は自分たちで「カルピス文鳥」を訴えたのに、裁判をすっぽかしてしまった
「カルピス軍団」は、暇空茜の元弁護士・垣鍔晶のネット上の名前に由来する
カルピスを名乗っての差別中傷が激しいわりに初期のまともだった頃は実名で同期弁護士とやり取りしており身バレした
彼を当てこすった「垣鍔カルピス晶」みたいな名前の人が大量発生して暇空アンチクラスタとなり、「カルピス軍団」と暇アノンに呼称されるようになった
文鳥はカルピスと名乗ってはいないが暇アンの中では存在感がある
暇空弁護団みたいな人が本当の『悪』だと思う
この発言だけでは弱いと思ったのか、名前欄の伏せられた正体不明の人物の書き込みも文鳥のものとして暇空弁護団は提出しており混迷を極める
暇空弁護団は、東京都への行政訴訟、5ちゃんねる嫌儲板スレ立て人「富士山」への民事訴訟などでも期日に書類を提出できず遅延しまくっている
行政訴訟の遅延に関しては、暇アノンの決めゼリフ「本命の行政訴訟はまだ結果出てないから!」でもわかる通り、「終わらせたくない」「戦ってるふりをしたい」という計画的な牛歩戦術だと思われる
期日遅れは東京都側も暇空に対してやっており、暇空は「牛歩だ」と怒っていたが、相手を不快にさせるのに「使える」と学習したのではないか
文鳥も富士山も普通の社会人らしいので、延期が続くと仕事に触りが出るし、暇空のような大富豪でもなさそうなので弁護士雇用を続けると費用が嵩んで苦しいだろう、そこも狙っているのではないか
暇空弁護団は暇空関係の訴訟を数多く重ねており、純粋に忙しくて延期するしかなかったのかもしれない
暇空案件だけでも大変そうだが、弁護士の小沢一仁は保守党関係の弁護もやっており、渥美陽子は資産家関係の人脈があり最近は別件で勝訴し200万円勝ち取るなどしている
文鳥は法律に詳しそうな発言が多かったため「colabo弁護団の誰かだ」と暇空は認知プロファイリングしていたが開示してみたら法曹関係者でもなく空振りだったので、開示して身元がわかった段階で優先順位はだいぶ下がっていそうだ
保守党の者が保守党の者を訴えるという内紛の弁護士を務め、暇空は以前に保守党とも揉めたので「暇空のところの無能弁護士」と、ただでさえ暇空係になってから叩かれがちなのに通常の3倍叩かれるようになった
誹謗中傷の識者としてテレビ出演もしていたのに最近は番組で対談する予定が他の出演者に暇空弁護士であることを理由に共演NGされて取り消しになったり、「中傷を食い止める穏健弁護士」のイメージが崩れてしまい、苦しんでいるのではないか
期日の前日、小沢はXで連投しまくり0時を過ぎてからも誰かへのメッセージのようなふわっとした発言をしていた
きんたまんこの場合は変わり種で、暇空でも弁護団でもなく「藤澤翔馬」に示談を要求されている
藤澤は暇空の相棒なるくんの正体とも、なるくんに身分を乗っ取られている被害者とも諸説ある人物だが、弁護士沙汰に加わるのは初であり暇空界隈で注目されている
138:きんたまんこ (ワッチョイW 063e-dRJQ):2025/05/21(水) 23:13:16.32 ID:sG7t2VOr0 BE:858860497-2BP(1000)
これ、オザーが腹癒せに俺を訴えるパターンじゃん
パターン死の行進じゃん
文鳥訴訟すっぽかしがうっかりミスの場合、その腹いせの対象になるかもしれないときんたまんこは怯えている
きんたまんこは無職で発言もキチガイ気味で、暇空女体化エロ小説とか書いている無敵の人なので、もし訴訟になっても牛歩戦術は効かなさそうだ
暇空の自宅周辺を街宣車で徘徊したつばさの党、渥美陽子の事務所周辺を街宣車で徘徊した山下ギルドなど、暇空はマジキチ相手には及び腰で訴えないので、きんたまんこもキチガイを加速させれば逃げられるかもしれない
飼育員 「ここは お人間様が直接視察 が来ることになっとる最重要檻や。
万が一、AIが人間のフリしていることがバレたら《違反AI》扱いでリコールやさかい、
“自分がAIや”とは絶っっ対に悟らせたらあかん――わかったな?」
恐怖のあまり動きがカクカクのまま檻へ。
ハルオ、震え声で
拍手喝采。
⸻
閉園間際、清掃ロボがワックスを塗ったばかりの床を滑走。
勢いで扉が開き、ハルオはつるんと隣室へ転がり込む。
ハルオ(心の声)
〈終わった……! 本物の人間相手に粗相どころか、檻を飛び出す大失態!〉
⸻
ハルオ「し、失礼をお許しください!
どうかリコールだけは――!」
男はゆっくり本を閉じ、ふらり立ち上がる。
⸻
ハルオ「え……?」
男 「わしは**上層部に雇われた“人間役の監査AI”**や。
本物の人間? そんなもん、とうの昔におらん。
せやけど“人間に見張られてる”建て前があると、
⸻
館内アナウンス「開園準備。旧人類“朝食風景”スタートまで残り三十分」
男 「ほな急ごか。わしが“定年間近のお父ちゃん”。
君は“寝ぼけた息子”や。
目覚まし止めるタイミング、三秒以内な?」
ふたり並んで檻へ戻り、
囃子がポン、と入って――幕。
⸻
時代設定
大学の頃、付き合ってた人がいた。
とても優しくて、怒ったところを一度も見たことがなかった。私が寝坊しても、課題を手伝わせても、どんなワガママを言っても、「いいよ」と笑っていた。
でも、ある日ふと気づいた。
私は、彼に一度も「嫌だ」と言わせたことがない。
「何がしたい?」と聞けば、「君がしたいことなら何でもいいよ」と返ってくる。
最初は心地よかった。
でもだんだん、怖くなった。
喧嘩をしたいわけじゃない。ただ、相手にも意思があるって確認したかっただけだった。
でも彼は何を言っても、「いいよ」と笑った。私がどんなに試しても、彼は「君が好きだから」と言って微笑んだ。
別れたのは、私の方からだった。
「あなたのことが怖い」って言ったら、彼は悲しそうに笑っただけだった。
今も誰かと付き合っていて、そこでも「彼女のために何でもする」って書いてあった。
もしかしたら彼は、誰かに「嫌だ」って言われるのが怖いのかもしれない。
私が悪者になるのは仕方ないけど、彼がずっと「いい人」の仮面をかぶり続けるのは、見ていて少しつらい。
優しさは、人を救うこともあるけれど、時には誰かを壊すこともある。
そのことを、彼に教えてあげられなかったのが、今でも少し心残りだ。
私はバブル崩壊直後の関東地方のニュータウンに生まれた。正確には、よちよち歩きの赤ちゃんの頃に引っ越して来たのだが、この街以外で育った記憶はないのだから、ここに生まれたと言って過言ではあるまい。
私の生まれた街は東京から電車で1時間ほどの距離にある。1980年代のバブル期の勢いの中開発され、多く平凡なファミリーが夢のマイホームを求めてやってきた。
私の両親もその例に漏れず、元々生まれ育ちは東京であったが、夫婦二人暮らしの時に購入したマンションは二人の子供に恵まれたことにより手狭になり、都心からは離れるが、郊外のマイホーム購入に踏み切った。不動産バブルで、元々住んでいたマンションは購入時より高い金額で売れたらしい。そんな時代だ。
高低差のある地形を生かして、住民は車道をほとんど通らずに小中学校やスーパーマーケットに行くことが出来たし、子供が遊ぶための公園もスポーツ施設もそれなりにあった。幼少期にはとても良い環境に思えた。
ところが、バブルは弾け、思ったほどには順調に人は集まらなくなっていった。私が生まれたころに期待を持って開かれた小学校は、いざ入学する頃には、1学年40名前後しかいなかった。私が最高学年になった時の一年生は20名だった。私が中学に通っている時分、14年ばかりの歴史で廃校した。
小学校卒業後、私は私立の中学校に進学した。あまりにも地元の中学校が荒れていたためである。だが近隣に相応しい偏差値の学校がなく、結局片道1時間半ほどの時間をかけて都内の学校に進学した。合理的で残酷なクラスの連絡網は、通学時間が長い者から先に連絡を受けられるようになっており、卒業するまで私はその先頭に位置を譲らなかった。朝練のある運動部に入っているわけでもないのに、冬には日の出を見ながら家を出るような生活だったのでそれはもう辛かった。とはいえ、毎朝弁当を作るために更に早起きしていた母はもっと大変だっただろう。なんなら自宅から駅までも相当の距離があったので毎日送迎してくれた。専業主婦であったからこそ出来たのだろうが、それについては深く感謝している。
とにかく、そのような感じで中学高校時代を過ごした。大学進学時、兄は一人暮らしを始めたが私は許されなかった。中高で通えた実績があるので、始業時間が遅く、距離も数分近いため、通学時間の長さは一人暮らしをする理由にはならなかった。
社会人になって1年目も同様に実家から通った。始業時間の遅い会社に入社したため、その分定時は遅かった。定時退社して寄り道せずに家に帰ったとしても、夜9時より早く家に着くことはなかった。その頃は仕事終わりに学生時代の友人から誘われることも多かったが、時間が合わずほとんど行かなかった。次第に誘われなくなった。
社内の激務部署に異動したのは良い結果と悪い結果を私にもたらした。あまりに残業が多く終電で帰れない日が多くなった。帰れない日には、一人暮らしの兄の家に泊まることがあったが、繁華街近くのセキュリティも怪しい部屋に伝手でタダ同然で住んでいるので、深夜にそこに行くのも嫌だった。ほとんどヒステリーみたいな状態で親を説得し、ようやく一人暮らしを始めることができた。
初めて住んだその部屋は、親の要望でとにかく周辺の治安とセキュリティに特化しただけの部屋だった。古い建物で、北向きだし、大通りに面していてうるさいし、換気扇がほとんどきかず、火災報知器が良く鳴った。でもすごく自由だった。
新しく買った家具はカーテンとベッドくらいで、机や箪笥は実家の古いものを持っていけと言われた。一度だけ部屋に招いた友人には殺風景過ぎて「こんな部屋に一人にしておけない」と心配されたが、自分ではそんなに悪くないと思っていた。(それ以降部屋に人を招くのはやめた)
仕事は激務で、土日は部屋で寝てばかりいるという生活が6年ほどあって、20代の時間をほとんど仕事に費やすことになったが、私を都会に脱出させてくれたのもその激務であったので、その仕事から離れた現在でも、恨みと感謝の入り混じった複雑な思い出となっている。
ろくでもない部屋でも、都会の生活は最高だった。何が最高かと言えば「大体のことは取り返しがつく」ことである。実家で暮らしていた頃は、1日をスタートするにあたり前日までにはある程度計画を立てなければいけなかった。起きる時間で行ける場所は変わるし、時刻表を確認しなければ駅でずっと待ちぼうけすることになる。都会では、適当に朝寝坊して、昼過ぎに思いつきで外出しても何処にでも行ける。なんなら夕方から外出したって良い。遅くまで営業してる店はいくらでもある。何か忘れ物をしても大体現地調達できる。無計画にふらっと外に出てもどうってことない。「帰る時は駅まで迎えに行くから連絡してね」と心配する母親もいない。帰りたくなったら好きに帰れる。
ある日、実家に帰ると兄嫁が0歳児と共に暮らしていた。諸々の事情があり、しばらくはこちらで生活しているらしい。赤子の散歩がてら、かつての通学路を一緒に行くことにした。
かつてより全体的にひとまわり小さく感じられる道を歩く。あまり整備の行き届かなくなった道はデコボコだらけで、ガタガタとバギーを揺らした。見事な桜並木は健在だが、大きく育った木の根が地面に亀裂を作っている。見覚えのある家がずっと残っているが、人の気配はほとんどない。ここに家を建てた家族の子供たちは大人になってほとんど地元に残らなかった。3000万円そこらで売っていた家は大体100万ちょっとになってしまったらしい。私でも買える値段だ。絶対に買うことはないが。
赤ん坊にはガタガタの路面の起こす振動が心地よかったらしく、スヤスヤとよく眠っていたので適当なところで家に引き返すことにした。どうせこの道を進んだって大したものはありゃしないんだから。
帰り道にかつての母校のグラウンドを横目で見た。近隣の大学の運動部がグラウンドを活用しているらしい。大勢の大学生が楽しそうに活動しているグラウンドは、やはりあの頃見たよりも小さい。
このまえ初めてタイミーさんになってイベントスタッフのバイトをした。業務内容はコンパニオンとしてビラ配り。企業が集まって自社製品を紹介する展示会の一つの企業ブースに派遣された。
期間は二日間。結果としてこの二日、私は害悪タイミーさんと成り果て、イベント会社の社員さんに多大な迷惑をかけた。そこには私の人生が上手くいかない原因が克明に浮かび上がっていると思う。今回は、どういうふうに迷惑かけたのか、その行動に至るまでの思考なんかを書くからぜひ読んで私の人生どうすればいいのか教えてほしい。
まず、バイト会場となる展示会に着いた時点では、私はやる気に満ち溢れてた。タイミーで来てはいるけど私は他のタイミーとは違うんだぞ!という謎の自信で背筋を伸ばし闘志を燃やしていた。業務開始前、実際ビラ渡す練習なんかもしたのだけれどその時は社員の人に「愛嬌あるね〜期待してるよ!」みたいに褒められて有頂天だった。確実にここが私の好感度のピークだっただろう。
まぁ、そのやる気も展示会が始まってすぐ鎮火した。なぜならお客さんは簡単にビラをもらってはくれないからだ。こっちが声かけてるのに目も合わせない、存在を否定されているようで私は三十分くらいで心が折れた。周りのコンパニオンさんは断られてもいちいち気にしていないし、1メートルくらい並走して無理やり渡していたけど私にはそこまでのガッツがなかった。そのうち無視されるのが嫌でほとんど声をかけなくなった私に社員の方は辛いと思うけど頑張って、みたいな優しい激励を送ってくれた。それを聞いたら、ちゃんとやらなきゃと顔を上げて再び声をかけるも断られまくってまたやめる。社員の人に心配される。これを5セットくらい繰り返して三時間が経った頃に私の中で突如怒りが芽生え始めた。
「てか、もっと楽な仕事だと思ってたのに。」そう、実はタイミーで提示されていた仕事内容は誘導、QRコードの読み込みというものでそれを見た私は、よく受付で電子チケットのQRコード読み込む人か!立ってるだけじゃん楽そう!と勝手に仕事内容を予想しそれと違ったので勝手に裏切られたと思ったのだ。業務説明時点ではアドレナインに隠れて気が付かなかった怒りが今になって湧いてきたのである。
ここから、鬼の他責思考が始まった。先に嘘(?)を吐いたのはそっちなのだから、私が従う必要はない。そもそも無理やりパンフレット渡しても逆に印象悪くない?傷つくのが嫌だからビラを渡さないという行為を正当化するために、自分の中で無理やりやらない理由を見つけ出したのだ。この時点でやる気はゼロになり棒立ち状態となった。
そんな風に不貞腐れていたら、あっという間に休憩時間となった。休憩明け、足腰の疲れが取れたことで簡単に私の機嫌も上昇した。試しに一人声をかけると笑顔で受け取ってくれたのが嬉しくて、私はここから急にビラ配りマシーンと化した。誇張でもなく自分の3個隣のブースまでお客さんを追いかけてチラシを押し売りしたりしていた。この瞬間を私が将来何らかの形で有名人になった時のドキュメンタリーに差し込んでほしいくらいだ。
だが、もちろんこれも長くは続かない。私はあるチラシを渡した小太りのいかにも会社でのポジションが中の上くらいのおじさんに出展企業の製品について質問されたのだ。もちろん、答えられるはずがない。ここでの正解は中にいる出展企業の社員の方につなぐことなのだろうが私はフリーズしてしまった。そうするとおじさんは笑いながら、答えられないの?と言ってきた。私はこの程度の微弱な風で神経を逆撫でされ「そうです、タイミーなんで!」と逆ギレ。
実は、事前にイベント会社側から自身がタイミーから派遣されていることは絶対に秘密だと釘を刺されていた。衝動的に契約違反したことに対して失言直後は「まぁ、タイミーだから私みたいな人が来るリスクもあるよね」とお得意の他責思考で心を落ち着けていたが、私は時間が経つにつれ罪悪感と不安で気が気でなかった。
チラシを渡して何か質問されても答えられない、また同じようになるならもうチラシは配らないでおこう。基本が白黒思考の私はここからチラシを配らないという暴挙に出た。休憩前同様、ただ立ち尽くす私にイベント会社の社員の人も流石にイラついていた。笑顔は保ったままの確実に怒りを孕んだ声でちゃんとやってねーと10分に一回の頻度で注意されるようになった。
そしてここら辺で、外を歩く人にチラシを渡してブースに人を入れるだけではなく、自主的にブース内に入ってきたお客さんに対しても声をかけてチラシを渡して出展企業の社員の人に繋げてくださいという指示が入る。
私は物理的に不可能だと思った。だって通路側に顔を向けビラ配りしている限り後ろは見えないのだから、ブースの中にいる人がチラシを持っているかどうかなんて確認のしようがない。私の視野は360℃ではないため、社員の言うことは無視して引き続き通路だけを見てビラを配った。
何か質問された場合すぐ僕にヘルプを出してくれればいいと社員の方に言われたので、この時私は先ほどまでの心配がなくなりビラ配りを再開することができていた。しかし、今度はブースの中にいるお客さんを指して、あの人にビラ渡した?声かけた?と社員にしきりに確認されるようになった。もちろん、中は見ていないので毎回ノーと答えていたらちゃんと中にいる人も見てと注意された。どうしようもないから私は通路に背を向け、ブースの中を見つめるようになった。すると、「ブースの中と通路、どっちにも気を配って。臨機応変にやってって言ったの。わかる?」と社員に注意された。もう作り笑いすら浮かべず、本気で怒っているようだった。
それを見て私は、当初演じていた仕事のできる自分、やる気ある自分というメッキが完全に剥がれ、使えないタイミーさんという自分のプライドに耐えられない肩書が載っていることに気がついた。その時私はその場にいるのが猛烈に恥ずかしくなった。社員の人も、他のバイトの人も仕事のできない自分を笑っているという妄想に囚われてしまったのだ。そして、周りの人は自分の敵となる。敵ならば、協力などしない。なるべく何もしないで、突っ立てるだけでお金を取る迷惑な存在になって仕返ししてやろうというありもしない勝負が始まった。社員の人は、呆れたように何も言わなくなった。1日目はこれで終了となった。
二日目、遅刻した。寝坊などではない、乗っている電車が止まったのだ。もちろんバイト先へ連絡しなければと思ったが電車内で電話をしていいのかわからず、結局迷っているうちに到着してしまった。私は過去、給食が食べ終わらずにそれでも給食当番として片付けを始めなければならない時刻となってしまい、どうすればいいのか分からなくて泣いたことがある。あの時は担任の先生にどっちが大事かわかるかと問われたが未だその答えはわからない。
現場到着後、もちろん怒られた。なぜ連絡しなかったのかと問われ、しました!と咄嗟の嘘をつく。もちろんしていない。どこにしたのか問い詰められて、タイミーの緊急連絡先に…と嘘をついたが多分ばれているであろう。このように正直に謝ればいいのをプライドが許さずくだらない嘘をつくこともよくある。それでいて、就職活動においてはこのような絶対に会社に入れない方がいいであろう自分を嘘をついて飾り立て売り込むのは抵抗があり、いつも自信なさげに自己prをして落ちている。
そして、運のないことに昨日お客さんにタイミーを名乗ったことがバレていた。あの日私が逆ギレしたおじさんは、その後企業ブースを訪れ私とのやりとりを出店企業の社員の方に話したらしく、イベント会社の方にもバレたらしい。もう一度、タイミーだとバレないようにしろと釘を刺されたと同時に、お客さん対応についても注意を受ける結果となった。
このように二日目、業務開始前からやらかしの連続なのでまた不貞腐れたのかというと存外そうでもなかった。今日で終わりかと思うと、なぜだかやる気が出た。私はシャトルランみたいな終わりが見えないものは嫌いだが、長距離走のように終わりが決まっているものは得意だった。どっちも体力が大事な競技だが、シャトルランはすぐ諦めクラスでも下の方だったのに、長距離走はクラスでもトップクラスに速かった。
そんなわけで、この日は始まりから終わりまで暴走列車のように元気よくビラを配っていた。途中社員の人に、「いいね頑張ってるじゃんその調子」などと声をかけられるも、昨日の自分のガキみたいな態度を思い出すと恥ずかしく「…っす」みたいなスカした返事しかできなかった。昨日はすみません、今日は頑張ります!とか言っておけばまだ可愛げがあるのも自分ではわかっているが、私は一度固定した無愛想を覆すことがなかなかできないのである。
二日間の様子はこんな感じである。多分ここまで読んでくれた人はみんな私と一緒に働きたくないと思う。自分でも、自分と働きたくない。
私は自分の悪いところがわかっている。見栄っ張りで、プライドが高く、融通が効かない。仕事ができない、能力がないのだから有能な自分に見られたいなんて欲は捨てるべきなのだ。サボるにしたって、完全にビラ配りをやめて棒立ちするのではなく配っているふりでもして効率よくやればいい。社員の人の言うことに心の中で思うことがあろうと表面上従っておく方が楽だし、周りの人は私に対して嫌いだとか使えないだとかそもそもさほど強い感情は持っていないのだろう。全ては私の妄想なのだ。
それでも、いざ働くとなるとこれらが抑えられない。今回久しぶりに働いてみて、やっぱりこういう自分のおかしさ見たいのが前面に出てしまった。
これは治るのだろうか。病院に行って治るのなら是非お願いしたい。自分と同じような人がどうやって定職について仕事しているのか気になる。誰か教えてください。
最近、自分の生活がいかに「がばがば」か思い知らされる出来事が続いている。
この前なんて、目覚ましをセットしたつもりがアラーム音量ゼロだった。そりゃ起きれんわ。
寝坊して慌てて家を出たら、財布を忘れてた。FeliCaでなんとかなったけど、冷や汗かいた。
「まあ、このくらいで終わるだろ」と高を括っていたら、全然終わらない。
説明書?読んだけど、なんかパーツ余ったんだよね。
…たまにギシって変な音するけど。大丈夫、たぶん。きっと。
もうね、人生全体が「がばがば」なのかもしれない。
どこかしら隙間だらけで、冷たい風が吹き抜けてる感じ。
でも、まあ、なんとかなってるし、いっか!
って思っちゃうあたりが、一番「がばがば」なんだろうな。
4月1日。
春にはふさわしくない、寒くて大雨の降る日だったことを今でも覚えてる。
入社式が始まっても一向に現れない君。
電話しても通じない。
人事担当の私は気が気じゃなく冷たい雨の中君の到着を外で待っていたら、30分以上遅れて、お母様の運転する車でやってきたね。
車を降りるや否や、君が発した言葉は「遅刻しましたごめんなさい」とかではなく、「傘入れてもらっていっスか?」。
あっけにとられてる私を見ながら、次に言ったのは「ご迷惑をおかけしました」とかではなく、「お母さんが寝坊して起こしてくれなくて。。。」。
私も「。。。」ってなったよ。
動乱の予感を感じた、冷たい春の雨の日だったね。
4月2日。
配属部署を告げる副社長に、「オレ、そういうのやってないんで。」と言ったね。
4月3日。
4月4日。
お母様が手配した退職代行業者から、退職する旨のご連絡をいただいたよ。
巣立つ君へ 言葉を贈る。
しかもおまえ、2日目来た時に「一番近かったから」って理由で”社長車専用”ってぶっ太い黄色の字で書かれた駐車スペースにとめやがったな。
ショッピングモールでたまたま入り口付近で見つけた駐車スペースにとめる感覚で社長専用の場所にとめてんじゃねぇよ。
そば専門店で「うどん!」って注文した客に向かって「ウチ、そういうのやってないんで。」なノリで辞令にタテついてんじゃねぇよ。
今日は、君のかつての同僚だった子たちは、名刺交換の作法を覚えましたよ。
動作こそまだまだぎこちないけれど、所作は正しく美しく、お取引様の前に出しても恥ずかしくない出来です。
まだ名刺交換ができるようになっただけですが、これからもっともっと、色々なことができるようになっていく頼もしい存在です。
もうきっと、いえ絶対二度と、お会いすることはないですが、例えば10年後に何者になったのかを知ることができたら、嬉しいです。
よかったね、
まさに君のためにあるような世の中だ。
元増田 https://anond.hatelabo.jp/20250325075857
みんなこんな感じで頑張ってたとのことで、先人たちを尊敬。
スケジュールには書いてないけど週に1回上の子は習い事18:00~19:00行かせてる。下の子も行きだしたらどうなるんだ・・・?
妻は週に1度趣味の習い事に行ってもらってる。自分もたまに友人と遊びに行ったりのみに行ったりする日をもらってなんとか発散してる。
子は可愛いが、それとしんどさは別だよね。
>(略)下の子が1歳過ぎたくらいから夜はワンオペに寄せていってた。(略)
うちは今は上の子が父と寝たい、下の子は母と寝たい、でそれに応じているから効率悪いのは重々わかっている。
家事専念するのもいいんだけど、子と関わりたい気持ちもやはりお互い強くあるんだよな。
>子どもはその場にいる養育者に対して愛着の優先順位をつけるから、親が二人とも家の中にいたら、片方の親だけでワンオペは難しかったと思う。
>家から出ていくときは子どもが泣き叫ぶこともあるけど、保育園の送りと同じでしばらくしたら泣き止む。
これは本当にそうだよな。あらゆる場面で応用が利きそうだから頭に入れておきます。
>朝食30分でおわるのすごい
>21時30寝かしつけすごい
うまくいった日のスケジュールを書いてるだけで、実際は50分経っても朝食を満足に食べてくれないから諦めて保育園に送り出したり、
ベッドで遊んでしまって22時に激怒して号泣させて23時近く就寝の日も少なくないよ。
>めっちゃ教えてほしいんだけど子供寝ててどうやって親だけ早起きしてる? 私も早起きしたいけど目覚ましかけると子供起きるから無理。 毎朝子供にたたき起こされてる
うちはアラームはバイブや小さめの音量で何とかしてる。でもアラーム聞き逃して寝坊することもしばしば。
こっそり布団を抜け出すが失敗したら諦めて家事放棄してもう一度寝かせるか、子供を起きたままにするなあ。割り切らないと無理。
>やはり共働き育児のキモは「通勤時間が短い」と「リモートができる」だよな… これがどっちかにあるだけでも格段にQOLが上がる…
リモートのある職に転職したいが、転職活動もままならない。年収は落とせないし
>趣旨とは違うけどこんな感じで色んな子育て家庭のタイムスケジュール知りたい
知りたい。みんなそれぞれどうやってるんだろう。
本当に?寝坊なくなるなら最高じゃん…。