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2025-06-16

anond:20250616164210

道路の植栽に桜は向かない。

植栽には枝が上に伸び勝手に樹形が整いやすい樹種が良い、横に広がる桜だとすぐに道路に被り頻繁に伐採しなければならない。トラックコンテナ工事車両が通らない道路なら良いけどそんな道路はない

川沿いの桜並木工事邪魔な枝はバシバシ切られた。

2025-06-11

anond:20250611143541

わ、わあ、私の話かと思った…かつてそうだった私の話、今後の展開の参考に聞いてくれ

まず欲深いので彼女立場はいつか満足できなくなる、絶対結婚したくなる、嫁とか妻の肩書が欲しくなる、結婚式とか子供とか

そこらへん不要ですわ!と割り切ってるって感じならまだしも、割り切れてないよね…?ごめんね…

でも彼はきっとのらりくらりするだろう、今まで長いことあなたが好きだと伝えた後もその好意に乗っかって都合よくいたのだから

今回の付き合う宣言も土壇場でやはり惜しいと思っただけ、そこにあなた価値や魅力は最初から関係なく彼のスタンスタイミング問題

まあ大体の男が結婚するとき愛!LOVE!って感じじゃなくて、結婚しなきゃやばいって具体的に自覚した時に近くにいるちょうどいい女と籍入れる傾向が強いから、今後もあなた結婚したいとか子供ほしいから早めにとか色々伝えても思っても彼のスタンスは揺るがないと思う

運よく彼の結婚しなきゃスイッチが早めに押されて、その時隣にいれたらいいんだけど、そのまえに自尊心が削られて無理だなって離れる人が多いよ(私と私の友達ら)

すご~く好きなの分かる、私もすご~く好きで片思いからセフレから彼女になって10同棲して、すご~く幸せだった

未だに夢に見るよ、桜並木は思い出があって未だに一人で歩けない、俯いてしまう、彼の乗っていた車の同じ色を街中で見ると目を逸らしてしまう、あの人に未練はないんだけどあの人との幸せで穏やかな毎日に未練がある

すごく好きになった人って多分もうずっと頭の片隅にいるし、自分構成する要素になってしまってるから逃げられないよね

これからも今までも出会った日からその人に囚われることが恋なんだと思うよ

こんな苦しい思いせずに上手くいってほしいな、脅してごめんね、幸あれかし

2025-05-07

東京への脱出、人気のない故郷

私はバブル崩壊直後の関東地方ニュータウンに生まれた。正確には、よちよち歩きの赤ちゃんの頃に引っ越して来たのだが、この街以外で育った記憶はないのだから、ここに生まれたと言って過言ではあるまい。

私の生まれた街は東京から電車で1時間ほどの距離にある。1980年代バブル期の勢いの中開発され、多く平凡なファミリーが夢のマイホームを求めてやってきた。

私の両親もその例に漏れず、元々生まれ育ちは東京であったが、夫婦二人暮らしの時に購入したマンションは二人の子供に恵まれたことにより手狭になり、都心からは離れるが、郊外マイホーム購入に踏み切った。不動産バブルで、元々住んでいたマンションは購入時より高い金額で売れたらしい。そんな時代だ。

高低差のある地形を生かして、住民車道ほとんど通らずに小中学校スーパーマーケットに行くことが出来たし、子供が遊ぶための公園スポーツ施設もそれなりにあった。幼少期にはとても良い環境に思えた。

ところが、バブルは弾け、思ったほどには順調に人は集まらなくなっていった。私が生まれたころに期待を持って開かれた小学校は、いざ入学する頃には、1学年40名前しかいなかった。私が最高学年になった時の一年生は20名だった。私が中学に通っている時分、14年ばかりの歴史廃校した。

小学校卒業後、私は私立中学校に進学した。あまりにも地元中学校が荒れていたためである。だが近隣に相応しい偏差値学校がなく、結局片道1時間半ほどの時間をかけて都内学校に進学した。合理的残酷クラス連絡網は、通学時間が長い者から先に連絡を受けられるようになっており、卒業するまで私はその先頭に位置を譲らなかった。朝練のある運動部に入っているわけでもないのに、冬には日の出を見ながら家を出るような生活だったのでそれはもう辛かった。とはいえ、毎朝弁当を作るために更に早起きしていた母はもっと大変だっただろう。なんなら自宅から駅までも相当の距離があったので毎日送迎してくれた。専業主婦であったからこそ出来たのだろうが、それについては深く感謝している。

とにかく、そのような感じで中学高校時代を過ごした。大学進学時、兄は一人暮らしを始めたが私は許されなかった。中高で通えた実績があるので、始業時間が遅く、距離も数分近いため、通学時間の長さは一人暮らしをする理由にはならなかった。

社会人になって1年目も同様に実家から通った。始業時間の遅い会社入社したため、その分定時は遅かった。定時退社して寄り道せずに家に帰ったとしても、夜9時より早く家に着くことはなかった。その頃は仕事終わりに学生時代の友人から誘われることも多かったが、時間が合わずほとんど行かなかった。次第に誘われなくなった。

社内の激務部署に異動したのは良い結果と悪い結果を私にもたらした。あまり残業が多く終電で帰れない日が多くなった。帰れない日には、一人暮らしの兄の家に泊まることがあったが、繁華街近くのセキュリティも怪しい部屋に伝手でタダ同然で住んでいるので、深夜にそこに行くのも嫌だった。ほとんどヒステリーみたいな状態で親を説得し、ようやく一人暮らしを始めることができた。

初めて住んだその部屋は、親の要望でとにかく周辺の治安セキュリティに特化しただけの部屋だった。古い建物で、北向きだし、大通りに面していてうるさいし、換気扇ほとんどきかず、火災報知器が良く鳴った。でもすごく自由だった。

新しく買った家具カーテンとベッドくらいで、机や箪笥実家の古いものを持っていけと言われた。一度だけ部屋に招いた友人には殺風景過ぎて「こんな部屋に一人にしておけない」と心配されたが、自分ではそんなに悪くないと思っていた。(それ以降部屋に人を招くのはやめた)

仕事は激務で、土日は部屋で寝てばかりいるという生活が6年ほどあって、20代の時間ほとんど仕事に費やすことになったが、私を都会に脱出させてくれたのもその激務であったので、その仕事から離れた現在でも、恨みと感謝の入り混じった複雑な思い出となっている。

ろくでもない部屋でも、都会の生活は最高だった。何が最高かと言えば「大体のことは取り返しがつく」ことである実家暮らしていた頃は、1日をスタートするにあたり前日までにはある程度計画を立てなければいけなかった。起きる時間で行ける場所は変わるし、時刻表確認しなければ駅でずっと待ちぼうけすることになる。都会では、適当に朝寝坊して、昼過ぎに思いつきで外出しても何処にでも行ける。なんなら夕方から外出したって良い。遅くまで営業してる店はいくらでもある。何か忘れ物をしても大体現調達できる。無計画にふらっと外に出てもどうってことない。「帰る時は駅まで迎えに行くから連絡してね」と心配する母親もいない。帰りたくなったら好きに帰れる。

10年ほどそんな自由暮らしをしていた。

ある日、実家に帰ると兄嫁が0歳児と共に暮らしていた。諸々の事情があり、しばらくはこちらで生活しているらしい。赤子の散歩がてら、かつての通学路を一緒に行くことにした。

かつてより全体的にひとまわり小さく感じられる道を歩く。あまり整備の行き届かなくなった道はデコボコだらけで、ガタガタとバギーを揺らした。見事な桜並木は健在だが、大きく育った木の根が地面に亀裂を作っている。見覚えのある家がずっと残っているが、人の気配はほとんどない。ここに家を建てた家族の子供たちは大人になってほとんど地元に残らなかった。3000万円そこらで売っていた家は大体100万ちょっとになってしまったらしい。私でも買える値段だ。絶対に買うことはないが。

こどものころは結構この街のこと好きだったのにな。

赤ん坊にはガタガタの路面の起こす振動が心地よかったらしく、スヤスヤとよく眠っていたので適当なところで家に引き返すことにした。どうせこの道を進んだって大したものはありゃしないんだから

帰り道にかつての母校のグラウンドを横目で見た。近隣の大学運動部グラウンド活用しているらしい。大勢大学生が楽しそうに活動しているグラウンドは、やはりあの頃見たよりも小さい。

2025-04-21

万博行ったら久米田池を思い出した

先週土曜の夕方行ってきた

入場後、予約のパビリオン入館まで時間あったので大屋リングに上ってみる

周囲2キロリング上の雰囲気はまるでかの行基和尚が作った今や世界灌漑遺産となった久米田池のようで

空が広くて気持ちよく散歩させてもらった。違いは散歩中に見られる景色万博では豪華絢爛な人工物の数々が見られる一方で

久米田池では越冬するコウノトリや大型のフナを狩猟するミサゴ、春は桜並木が見られる。

リングを1周したところで予約時間が迫り第2希望当選した電力館へ。

入館後、タマゴ型デバイスを受け取りカーボンニュートラルを達成するためのエネルギー可能性を見つけるコーナーへ

展示内容ごとに簡単ゲーム映像が用意されており、タマゴ型デバイスタッチしてエネルギー可能性を集めていく。

制限時間が15分と短かかったので空いている展示からひたすらタマゴ型デバイスタッチしていく。

おそらく振動発電を紹介しているゲーム大の大人ドタバタ足を踏み鳴らして楽しそうだったので私もやろうとおもったところ、タマゴ型デバイスが急に点滅し始めた。

どうやら制限時間が来たようで私のデバイス点滅を見つけたスタッフさんに促されるままの次のコーナーへ。最初タマゴ型デバイスが何のために持たされているのか分からなかったがここで理解した。

次のコーナーでは照明と音響使ったショー。ショーの内容は何かを直接的に示唆するものではなく照明の明滅とBGMの組み合わせで、それなりにエネルギー使用するであろうショーを見ながらカーボンニュートラル実現しないといけないなと思った

最後お土産コーナーでガチャを引きエコバックをもらった。1000円だった。

お次はオーストラリアパビリオン。館内の雰囲気海遊館最初のほうにある森コーナーを豪風にした感じ。違いは映像活用の有無で

パビリオンではユーカリの森を再現したフロアモニターが埋め込まれオーストラリア動物たち映像で見られる。一方海遊館では生きた動物が見られる。

その次にサウジアラビアパビリオン雰囲気は小さななんばパークス

最後ヘルスケアパビリオンオサレな外観から想像できないが館内の雰囲気インテックス大阪の見本市。

ここで20時半となり帰路についた

いっぱい歩いて疲れた

2025-04-19

お兄ちゃん、大好き

第一章 リビングの陽だまり——幼い誓い

 春一番が吹き抜ける午後、窓際のカーテンがふわりと膨らみ、干したばかりのタオルに淡い日差しが透けた。小学三年生の私・千春は、帰宅した兄・湊にランドセルごと抱え上げられ、ソファへぽすんと降ろされた。「今日も頑張った?」と頭を撫でる手の温かさに、胸の奥がぶわっと熱くなる。母に叱られた算数宿題も、クラスで言い返せなかった悔しさも、兄の笑顔一つで溶けていった。リビングに満ちる石鹸洗濯糊の匂いを深く吸い込みながら——私はこの人を一生守り、一生守られよう、と幼いながら胸に誓う。

第二章 音を立てて開く距離

 兄が中学に入り、部活で遅く帰るようになると、食卓に並ぶ椅子の一つはいつも空いた。母が「冷めないうちに食べなさい」と言うたび、私は味噌汁を啜りながら廊下の先を気にした。深夜、蛍光灯の下で英単語帳をめくる兄の背には、近寄りがたい影が宿っていた。「美緒、静かに」と囁かれるたび、胸の中で小石が転がった。子どもの私は、その小石に名前を付けられず、ただ足元で鳴る兄の成長の足音を数え続けた。

第三章 メール越しの声——市外への進学

 合格発表の日、掲示板に貼られた番号を見つけた兄は空を仰いで笑った。県下一の進学校、通学片道一時間半。私の「行かないで」は、騒ぐクラスメートの声にかき消えた。春の風が吹く玄関先で兄は「千春は強い子だろ」と頭を撫で、あっさりと黒い学生鞄を担いで出て行く。夕方カレー匂いしかない台所で、私は思わず携帯を開く——「今日どうだった?」。既読の横に「部活」「課題」「眠い」の三語。短い返事ほど恋しく、通知音が鳴るたび息を呑む日々が始まった。

第四章 塗り替わる世界地図——私の中学生活

 私も中学生になり、バスケ部で汗を流した。だけど練習後のシャワー室、タイルに落ちる水音を聞きながら、兄のことばかり考える自分に気づく。友達が「今度みんなで遊園地行こう」と誘ってくれても、私は曖昧に笑って断った。帰宅後、母に「お兄ちゃんは夕飯要らないって」と告げられるたび胸が縮む。兄と私の距離物理的なものだけではなく、生活リズム、語彙の選択、夢のスケール——地図全体が塗り替わるように拡がっていった。

第五章 高みを目指す風——兄と同じ大学

 兄の進学一年後、私は「湊の隣がいい」と進路希望欄に一行だけ書いた。担任は「姉妹兄弟で同じ大学は珍しくないさ」と笑ったが、動機の濃さまでは見抜けなかった。深夜、蛍光灯の明滅を睨みながら英単語を暗唱し、机に伏した額の下で涙と鼻水が混ざった。——お兄ちゃんの隣に並ばなきゃ私の世界未完成。そう思うほどに参考書の余白まで兄の横顔で埋まっていく。

第六章 一人暮らしという二人暮らし——ワンルームでの再会

 合格発表掲示板で番号を見つけるより先に、正門前で待ち構えていた兄に抱きついた瞬間、世界は再び等速回転を取り戻した。大学近くの築四十年のワンルーム、押し入れを改造したロフトに布団二枚。「家賃生活費、ちゃん折半だぞ」と兄は念を押したが、私の頭には花火のような歓喜しかなかった。狭い流しでインスタント味噌汁を作り、共有の机でレポートを書く。夜、ロフトの布団で横になり、「お兄ちゃん起きてる?」と囁くと「寝ろ」と小さな声。そのやりとりだけで心臓が跳ね、眠れない夜が続いた。

第七章 亀裂の手触り——兄の新しい世界

 五月の新歓期、兄は同ゼミの先輩・綾瀬沙羅と親しくなっていた。駅前カフェで偶然見かけたとき、兄が笑う横顔には私の知らない柔らかさがあった。帰宅後、狭い玄関で「ただいま」を言う兄の声が少し弾む。その裏にある感情を知らないふりをして「おかえり」を返すと、胸の奥で小さくパチンと弾ける音——それは嫉妬という硝子玉だった。

 夜中、机に伏せながらLINEの通知履歴を追った。画面に浮かぶ「今度のゼミ発表、手伝ってくれてありがとう!」「映画ポップコーンキャラメル派?」。私は震える指で既読もつけずアプリを閉じた。

第八章 病室で交わした本音

 七月、期末試験前の無理がたたり、私は高熱で倒れた。扁桃炎で点滴を受ける私の側で、兄は氷枕を替え、額を冷たいタオルで拭いた。ぼんやりする視界の端で兄の眉間が寄る。「千春、無理し過ぎるな」。私の唇は乾ききってうまく動かない。それでも「お兄ちゃんは……誰と映画に行くの?」とかすれ声で問うと、兄は少し目を見開き、やがて真剣な表情でこう答えた。

「……千春に嘘はつきたくない。沙羅先輩だ。でも、恋人とかじゃない。ただ仲間として誘われて——」

 言い訳のような説明を遮るように咳き込む私を、兄は抱き起こして背を摩った。「なぁ、俺は千春に甘え過ぎてたのかもしれない。けど俺たちは兄妹で、これ以上——」兄は言葉を飲み込む。点滴の機械音が病室に滲む沈黙を裂く。私は熱に浮かされながらも悟った。兄が私の「全世界」ではあっても、兄にとって私は「世界のすべて」ではないのだ、と。

第九章 掌に描く境界線

 退院して帰宅した夜、私は狭いロフトで兄と向き合った。裸電球が二人の影を歪ませる。「私、サークル入る。友達とも遊びに行く。……お兄ちゃん以外の毎日を持つ」。意地で張った声は震えていたが、兄は静かに頷いた。

「俺も就職考えなきゃいけないし、研究室プロジェクト本気出す。千春が自分場所を見つけるのは嬉しいよ」

 その夜初めて、私は兄の背中ではなく、正面から兄の眼を見た。そこには幼い日には見えなかった迷いと覚悟が交差していた。布団に潜り込み、細いロフトの梁越しに聞こえる兄の寝息を聞きながら、私は気づく。この人を一人の男性として愛してしまった気持ちは消えないけれど、同時に私は自分人生ハンドルを握らなければならない、と。

第十章 私の日々、兄の日々

 秋学期、私は文学研究会に入り、週末は古書店を巡るバイトを始めた。分厚い全集を運ぶたび腕が悲鳴を上げるけれど、店主の「助かったよ」の一言が嬉しかった。サークルでは同級生の新と意気投合し、文芸誌編集を任される。帰宅が深夜になり、狭い部屋に残る兄のブラックコーヒー香りが、自分の知らない兄の時間想像させた。

 一方兄はロボット制御研究室に配属され、週末は企業コンテストの試作機に没頭。リビングには配線だらけの基板、冷蔵庫には徹夜明けのエナジードリンク。顔を合わせれば「今日ギアが思った角度で回らなくてさ」「文芸誌特集、締切伸びそう」と、互いの話を交わし、笑い、すれ違う。寂しさは濃淡を変えながら残るが、どこか甘やかな痛みだった。

第十一章 再定義される「好き」

 二月、文学研究会合宿で雪深い山荘へ向かうバスの車窓に、私は兄の面影を探していなかった。かわりに隣席の新が差し出したホットココアの湯気を見て、「あ、兄と同じ匂い」とふと笑えて驚く。夜、薪ストーブの前で原稿をチェックしながら、新が真顔で言った。「千春、誰かに遠慮してない? 本当に好きなものを選びなよ」。

 帰路、携帯に兄から風邪ひいてないか?」とメッセージ。私は画面を見つめ、初めて返事を後回しにした。雪解け水のせせらぎのように、私の中の「お兄ちゃん大好き」が形を変え始めていた。

第十二章 卒業式プロポーズ——二つの告白

 春、兄の卒業式体育館ステージガウンを揺らす兄の背を見つめながら私は悟る。かつて追いかけた背中は、今や尊敬すべき一個の人間輪郭をまとっている。記念写真を撮る流れで、沙羅先輩が兄の腕にそっと手を添えた瞬間、胸に尖った痛みは走ったが、私は自然と微笑めた。

 式後、学内並木道で兄に呼び止められた。「千春、就職決まった。都内ロボットベンチャー。……それと、沙羅先輩に告白された」。兄の声が少し震えた。「答えは保留したけど、たぶん——」。私は風に舞う花びらを掴み、そっと指先で千切った。「お兄ちゃん、おめでとう。幸せになって」。驚く兄に背を向け、歩き出す足は震えたが、止まらなかった。

 一方私も、新から卒業まであと一年、俺と付き合わないか」と真剣に告げられた。夕焼けに染まるログハウスカフェで、私は一拍置き、首を縦に振る。ただし「まだ兄のことを特別に思っている自分がいる」と正直に打ち明けた。新は少し考え、「それを含めて、千春だ」と笑い、手を差し伸べた。

十三章 最後の夜——ワンルーム解散

 兄の引っ越し前夜、段ボールが積み上がった部屋でカップ麺を啜る。蛍光灯の明かりが段ボールの影を濃くし、狭いはずの部屋が異様に広く感じられた。「千春、この一年、一緒にいてくれてありがとう」。兄の言葉に私は笑い、「私こそ」と返す。

 夜半、ロフトに上がる梯子を見上げながら、私はそっと尋ねた。「お兄ちゃん、今でも私のこと、守りたいって思う?」。兄は真っ直ぐな目で「妹を守るのは当たり前だろ。でも千春が前に進むのを邪魔したくない。だから、守るってより、応援するかな」。私は梯子を一段上り、振り返り、にこりと笑う。「なら私は、あなたの一番のファンでい続ける。世界一のね」。

第十四章 分岐する二つの線路

 四月。兄は都内シェアハウスに移り、私はキャンパス近くの女性専用アパートへ。ガランとした新居の机に、文学誌の校正紙と、新からもらった栞付きの詩集を並べる。窓を開けると桜吹雪と同時に、遠くで電車の発車ベルが聞こえた。その音に、兄が乗った始発を想像しながらも、今の私は畏れより期待で胸が膨らむ。

 一方兄は新入社員研修に追われ、深夜に帰宅しては泥のように眠る毎日。それでも週末、動画通話を繋ぐと「ロボットアーム、ようやく規格通った!」と少年のように嬉しそうで、画面越しにハイタッチする私たちは、確かに兄妹であり友であった。

第十五章 小さな背中を押す掌

 夏、私はゼミ論集で最優秀賞を受け、教授海外学会への参加を勧められた。喜びと同時に襲ったのは、兄から離れて飛行機に乗るという恐怖だった。夜、通話でその迷いを口にすると、兄は一瞬驚き、そして静かに笑った。

「千春、飛行機の中でも俺のLINEは届くさ。大丈夫、怖くなったらメッセージして。……でもまずは自分が見たい景色を見てこい」

 受話口から聞こえる兄の声に、幼い頃のヒーロー面影と、同じ高さで語りかける同志の温度が重なる。私は涙ぐみながら、「行ってくるね」と告げた。

第十六章 旋回する眼差し——空の果てで

 ヘルシンキ行きの機内、私は窓外の雲海を見下ろし、兄の存在地球の裏側まで伸びる糸のように感じた。学会の壇上で英語発表を終えた夜、フィンランドの森を背にした会場ロビーで新が「よくやった」と抱き寄せる。その温もりの中で、私はようやく己の恋心が兄とは別の場所に芽吹いていることを自覚する。ロビーの片隅で兄にビデオ通話を繋げば、薄暗い日本の夜明けの部屋で、兄が寝癖のまま「誇らしいぞ」と親指を立ててくれた。

第十七章 再会、そして告白

 帰国翌日、私は兄のシェアハウスを訪れた。駅前桜並木はすっかり青葉に変わり、照り返すアスファルト匂いが夏の到来を告げる。兄の部屋に入ると、壁いっぱいに貼られたロボットアームの設計図が、昼下がりの光を浴びて銀色に反射していた。

「千春、どうだった?」という声に、私はスーツケースを置き、深呼吸。「お兄ちゃん、私ね——好きな人ができた」。一瞬、兄の眉が僅かに上がる。「そっか」と短く呟き、柔らかく笑う兄。「で、その人は俺に挨拶しに来るのかな?」。私は肩を竦め、「そのうちね」と笑い返す。手土産フィンランドクッキーテーブルに置き、二人で半分こした甘い味は、初めて兄と分かち合えた「恋の報告」の味だった。

第十八章 エピローグ——それでも「大好き」

 私の卒業式。袴姿の私は、門前で兄と写真を撮った。兄は背広の胸ポケットに小さなチューリップの飾りを挿し、「社会人二年目、少しは板についてきたかな」と照れ笑い。カメラフラッシュを受けた瞬間、私はふと思う。——この人がいなければ、私は空を飛ぶ翼を持てなかった。

 式後のパーティー会場で、新と兄が固い握手を交わす。私の恋人と、かつて世界のすべてだった人。その光景に胸が温かく満たされる。パーティーが終わり、夜風に揺れる街路樹の下で、私は兄に改めて向き合う。

「お兄ちゃん、大好き。だけどそれは、私が私であるための、永遠合言葉

 兄は優しく頷き、子どもの頃と同じ仕草で私の頭をくしゃりと撫でた。私はその手を振りほどかず、ただ目を閉じて春の匂いを胸いっぱいに吸い込む。そうして再び目を開けたとき私たちは同じ高さで未来を見ていた。

——終わり——

2025-04-06

ビレッジハウス岩倉

愛知県岩倉市五条町の「ビレッジハウス岩倉」は、もともと「曽野雇用促進住宅」だった。

築59年である。むき出しの配管が目を引く。

五条川沿いに位置しており、桜並木の眺めがよい。

2025-03-30

桜並木マック食う

画像Google+世界中からいいね貰った記憶が蘇った

2011年だか12年のこの時期の話で、ただ河川敷桜並木朝マックした画像がそれなりにバズった

日本語で発信して、特にインフルエンサーに見つからずとも世界に届いた最初最後時代かもしれない

2024-07-12

だんだん、風が見えるようになった話。

XがまだTwitterだった頃、「それまで確かに風が目に見えていたはずなのに、先生から風は目に見えないと聞かされた途端に見えなくなった」というニュアンスの話を見た。

 

その話が何故かずっと印象に残っていて、旦那さんに話したら「そういえば俺も小さい頃は見えていたかも」と真顔で言う。

こんな魔法にも妖精にも興味のない人が言うなら、風はやっぱり目に見えるんだ!?そう思ってその日から私は風を探して歩くようになった。

 

風という存在自分の体なんかよりもよほど大きいカタマリだと思っていたけど、毎日目を凝らしてみると意外とちっこいのもいる。

あと、割と視界に何個もいる。

家のすぐ前にある桜並木は、桜の季節になると桜の花びらが散る。道路こちら側では北に吹雪いてるのに、あちら側では南に向かって吹雪いている。そして、ふと右を向けばクルクルと小さな円を描きながら踊っていたりする。生クリームでも混ぜてるようにクルクルしながらこっちに向かってきたりするから可愛い

 

風のクルクル小僧は案外たくさんいて、道路あっちこっちで葉っぱを回して遊んでる。

 

どこにいるのかなーと気をつけて見ていると、姿は見えないけど風がどこにいるのかは何となく分かるようになってきた。嬉しかった。「いた!」「またいた!」って感じ。

 

5階のベランダで私の顔をぶつように吹いてるかと思えば、1階では女の人の日傘をひっくり返していたり。クラゲみたいにビニール飛ばしたり。風はずいぶんとやんちゃだ。

まだ視界はぼんやりしてるけど、このまま頑張ればもっと鮮明に風の姿を突き止められるかもしれない!そう思うと嬉しくなって「ねえねえ、風がちょっと見えそうになってきたのよ!」と、旦那さんに言ったら「あれは嘘だよ」と言われた。

ナンダッテ!?前にこんな話をしたのを覚えてるかを聞いたら、「言ってた。目立ちたかったんだと思う」だそうだ。なんてこった。ちびまる子ちゃんみたいな白目になった。

 

不思議なことに、その日から私にはまた風が見えなくなってしまった。いや、正確にはそれほど見ようとしなくなってしまったのだと思う。

でも、なんかこれ書いてたらまた会える気がして来たな。三連休は、久しぶりに風を見つけに行こうかな。

2024-07-06

神宮外苑ギャーギャー言ってる連中は先に貴様らが担ぎ上げた横浜市長やらかしまくってる横浜花博のケジメつけてからしろ

環境破壊観点でも桜並木農地しまくってる横浜花博はなんなんだよっていうね

加えて大阪万博と似たような問題抱えてるし

なのに立憲共産が担ぎ上げた市長からかそっちにはあいつらそっちにはなんも言わねーの

2024-07-05

anond:20240705010232

さくら=👮🏻‍♀️

https://anond.hatelabo.jp/20240705010133#

春の訪れを感じて、桜を見に行きました。桜並木の下でピクニックをして、満開の花を眺めながら穏やかな時間を過ごしました。自然の美しさに心が癒されました。季節の移り変わりを...

nond:20240705010133

また始まったんかw 難儀やな

2024-04-06

桜並木を歩きながら外国人留学生と思しき女の子二人組が

「お待たせしましたー」

「お待たせしましたー」

とお互いに何度も言い合っていた。

2024-03-29

日記のようなもの

今日は所用があり外出。

その際、図書館付近を通るので寄ることにした。

道中には大学があり、ふと目を上げると最上階の隅の教室に明かりが灯っていた。

その景色を目に入れた途端口の中にクリームチーズのような味が広がり、なんとなく当時のことを思いだす。

一種のマドレーヌ効果のようなものだったのかもしれない。

図書館用事を済ませると雨。尤も家を出るときから既に雨は降っていた。

最近は雨ばかりで気が滅入る。

公園を通れば軒並む桜は枝垂れ桜にように少し首を垂れていたものの花はまだ健在。

そうした桜並木の真ん中を歩いているとふと学友のことが脳裏をよぎり、名前を呼ばれたような気がした。

しか名前を呼ばれて照れた自分は当時の自分で、今の自分ではなかった。

公園と雨と桜。迫る四月に春を思えば、人は誰しも黄昏ものかもしれない。

さてされど仕事全然捗らず、気持ばかりが焦っている現状。

妙に身体が気だるく、昨今の気温は寒暖差が著しいので風邪に好かれたのかもしれない。

なので帰宅後は安静に。

さて、習慣としている読書について。

最近アイン・ランドの『水源』を読んでいる。この小説は全くもって素晴らしい。曰く”20世紀アメリカにおいて二番目に売れた小説”との謳い文句があり、しかしそうした宣伝こそ本作品アンチテーゼになり得る宣伝文句なのもまた事実ではあるので皮肉的。

久々にこのような、気づけば読み入ってしま小説出会った気がする。

『水源』は、20代では「読むべき本」であり、30代以降では「読まなければならない本」である

今日もまたホットココア最後に嗜み、これから眠る

明日は少しでも仕事を進めたい。

そのために用意したアーモンドミルクコーヒーチョコクレープでもってして、明日の朝食を盛り上げよう。

2024-03-15

みそについて調べたら、たどり着いた謎の鉄塔ノスタルジーを誘った

大人自由研究とまでは行かないが、調べ物をすることがたまにある

Wikipediaリンクをたどっていって興味が尽きずいつのまにか時間が立っていたあれと似たようなもの

最近自炊を良くするので調味料歴史料理科学的なアプローチ説明するものにつかまることが多い


今回は味噌についてであった

それほど頻度は高くないが談笑する場で自分地元の話を各々話題にするという機会がある

その際になんとなくでしか理解していない断片的な話をするのだが、良く話題に出す話がある

地元の湖は日本の中でも汚れている湖(確か透明度)として有名で、調査するたびに毎年1、2位を争うほど汚いことが新聞の紙面をかざる

その理由として味噌工場が多いからその栄養が流れ出して藻が大量発生して汚い、というもの


味噌栄養で藻が増えるのかはおいといて、実際に地元味噌系の店や工場の名残をが何となく見かけたが、近年では別の精密業がメインの産業であることや日本においてどの程度のシェアがあるか分からないこと、味噌といったら他(愛知)が有名だしなぁ、といった理由から眉唾だけど、として前置きをして話すことが多い

そんな話の根拠データなど確認しておきたいこともあり、地元味噌生産について調べることとした


一般的検索して出てくるデータから入り、地元役所かどこかが出しているPR資料なども目を通した

まず味噌構成要素は大豆と○麹と塩の3種類であり、○麹は米であったり大豆であったり麦であったりということだ

日本各地で多く作られているもの米麹による米味噌でうちの地元が作っているものも米味噌であるようだ

愛知味噌はどうやら豆味噌で、日本分布から言うと珍しいように見えた

その特有さ、ユニークさを売りに出しているから有名なのかなという気がしている、他にも歴史があったりするのもしれないが

(矢場とんの店内にも豆みそ云々かいてあった気がする)


そうなると地元の米味噌には特段ユニークさや特徴という観点で目を引くものはなさそうだ

ただしよくよく調べてみると戦後味噌作りが工業化されていない段階で地元の市が県内初の味噌研究所なるもの設立研究塩分濃度が12%以上である場合に仕込みがうまくいく、などの研究をしており当時は極秘情報であったようだ、ほんとかな

それを県内に広めることによって信州味噌自体が大きく広がりを見せたということのようである(それこそ手前味噌情報眉唾だ)

都道府県別の味噌生産量では現在、約半数が長野県のもので、2位の群馬は約1割程度、というデータも見かけた


また、時代背景的には戦後タイミング東京方面にみそを出荷し定着したのが始まり全国的に大きくシェアを握ったということで、その流れで日本全国でも生産量が1位であった瞬間があったようだ

で、それを祝うための味噌広告塔として記念の鉄塔まで建てたということで画像が出てきた


信州味噌最大生産地、と書かれたその鉄塔現在画像では田舎によくある、特に整備されないまま放置されたさびた何かのひとつしかなかった

地元のどこかで見たことがあるような気もするが、どこで見たかはっきり思い出せない、これが気になって仕方がなかった


○○市 味噌 広告塔などの単語で調べてみる

追加で出てきた大まかな地区名、そして近くに流れる川の名前が分かる

地区名はピンと来なかったがこの川の名前は見覚えがある

見覚えがあるどころか実家のすぐ近くに流れる川だ

自分の馴染みが深い川の名前を見たことでやはり見たことがある、と言う確信が深まりなんだかドキドキした

Googleマップ航空写真で大まかなあたりをつけようとするががあまりからない

もう少し映像か何か出てこないかYouTubeを調べると超ピンポイントにその鉄塔を見に行く動画が上がっていた、なんであるんだよ

ローカル動画があること、追加情報源を見つけたことにさらに興奮が高まる


その動画ではどこそこの敷地内に建てられたものであるとか、背景に偶然特急電車が通ったことを喜んでいたり、などの追加情報がどんどん出てくる

動画を流しながらその情報をもとに大まかな方向や位置目星をつけ、ストリートビューで川沿いに歩く

動画で春は桜並木が名所である、と言っていた通りストリートビューでも桜がきれいに咲いている


鉄塔が立つと言う敷地に近づいていくと確かにあの鉄塔があった

普段通学など通るわけではないが、全国一汚い湖側に遊びに行くとき自転車を漕いで通っていたルートだった

特に何か特別ものとして意識して見たことはない、風景であり、よくある田舎によくある荒廃した何かでしかないが、確かにたことがある鉄塔だった

そこに書かれた文字を読もうとしたこともないぐらい当たり前に存在していた鉄塔は、実家から徒歩数分の位置に立っていた

観光スポットというよりは地元の人も知らない珍スポットみたいですね、という動画の声の通り特に観光案内のようなものもなくただそのまま鉄塔が立っているだけだ


単純に知識を得るために調べていたことの横道に子供時代過ごした風景があって、当時何なのか分かっていなかった昭和に立てられた鉄塔の役目を令和の今知るという不思議体験をして何とも言えない感覚だった


地元愛」みたいなことを言うのはこっ恥ずかしいのだが、なんだかほっこりたこ感覚はこれはこれで私の「地元愛」なのかなと思った


みそがある程度すごいのは分かったので今度は湖が汚い理由も調べてみようかな

2023-09-30

anond:20230928185647

最初に、俺がその人に直接聞けば一発でわかる話なんだけど聞く勇気がないのでそこは勘弁してほしい。

広い団地に住んでいて、近くにある貯水池の周りで散歩がてらぼぉっとしている。

そんな中、同じ車が団地の周りを何周もしている。特に何か用事がある訳でもなく、ただ単に団地の周りを回っているのだ。

桜並木があるとか良い景色があるとか、特にそういう特徴がある訳ではない、何の変哲もない団地なのに、その周りをずっと回っている。

他の住人に聞いても良く見かけるらしく、しかもずっと走っていてどこかに店に行ったり降りて何かしたりしているのを目撃した人はいない。

セールスをしている訳でもない。探偵が何かを調べているとも考えたが、ただ走っているだけでは何の情報が入るかわからない。

誰かを見張っているのかとも思ったが、それなりに大きな団地で車でも一周するのに10分くらいかかってしまうので、見張っているのなら回っているうちに逃してしまうだろうから、そんな無意味な事はしないだろう。そう考えるとますます謎に思ってしまう。

この人は一体何のために車を走らせているのだろう。知見がある増田に教えて欲しい

2023-07-25

防a省が雨浴教育してるのは事実だよーん

序盤は検索避けです飛ばしていいよ

誰だよーん→辞めた人だよーん

なんの事だよーん→防a省入隊直後に右浴論脚の公園を受けたよーん

つの話だよーん→数年前もしくは10年以上前ないしはそれ以上前の話

飽きたわ普通に喋るね。

入隊の数日前、私は故郷を遠く離れたとある町へと引っ越してきた。

如何にも「自衛隊が落とすお金でなんとか食べています」と言わんばかりの寂れた町並み。

住むだけなら困ることはない程度の商店街

その町の少し外れに築何年とも分からないヒビの入り始めたアパート桜並木に囲まれて建っていた。

公務員試験合格直後に聞いていた話では、『最初数年は地元に住める』と言われていたはずだ。

が、予定が急遽変わったのが2ヶ月前。

引越し業者を慌てて探

(中略)



こっから読め

朝霞での集合教育の最終日。

入隊したてのスーツ組は市ヶ谷までやってきて講堂にすし詰めにされていた。

外部講師のありがたい講演のお時間である

内容は聞くに堪えない。

「君たちは意識を高く生きろ」「俺を右翼だと言う失礼な人がいた。俺は愛国心があるだけなのに」「自衛隊アンチカスどもと何度言い合いになったか」「俺達がついてるから頑張れ」「何度も言うが俺は右翼ではなく普通に日本を愛している人間だ」「日本を愛しているのに自衛隊が嫌いな奴はおかしい」「自分の国が嫌いな奴はおかしい」「産まれた国が嫌いな奴はおかしい」「俺のアンチ自衛隊アンチだ」「普通の日本人なら自衛隊が好きになる」「俺は右翼じゃない。俺を批判するような奴らが左翼なだけだろ」

自覚なき右翼が延々と自分右翼でないと言っているのを2時間も聞かされた。

泣きそうだった。

あぁ、俺は人生無駄にしている。

税金無駄になっている。

今この瞬間もこの右翼とそれを盲信する意味不明な連中が血税ゴミに捨て、同時に自分たちの人生も俺たちの時間ゴミにしている。

悲しくて仕方がなかった。

入隊して最初の月にこんな講演を聞かせて何がしたいんだ?

2つ説がある。

自分思想の偏りに自覚のない人間の醜さを見せて「こうはなるなよ」と暗に諭している

自衛隊のお偉いさん達はこの右翼思想に強く共感していて、本気で素晴らしい話として聞かせている

からない。

答えはない。

どっちだ?

どっちの確率が高いのかは分かってる。

「本気で右翼の言い分が正しいと思っている」の確率漠然とした手触りで8割を越えている。

ゾワッと来たね。

朝霞トイレットペーパー持参してボロボロベットで寝泊まりして、監獄の中で囚人みたいに扱われ家族から電話も受けられない暮らしをいきなりさせられたことなんかよりもずっとずっとだ。

俺の働くことになった田舎町にいる人達は「いやーマジ自衛隊ってアホらしいよね。でも俺ら氷河期組やし簡単に辞められんわ」とか言ってたから、ああなんだ意外と右翼っぽくないなと思ってた。

それは地方だけ。

中央はもう頭が思いっきり片方に偏ってんのね。

そうじゃなきゃこんな講演を新人スーツ組全員に聞かせるってかい

まあその時はまだ確信はなかったんだけど、そのあとに始まった入隊教育の中で「根底流れる思想の旧帝国軍しぐさ」を感じてさ、マジでこれはもう無理だなと。

そんで辞めたよ。

辞めた直後はこういう話をしたら情報漏えいで捕まると思って言わんかった。

辞めてそこそこ経って、冷静に考えてみたら「別に業務上知り得た秘密とかではねーな」と気づいたのでなんとなく書いてる。

自衛隊右翼の公演を隊員に聞かせてるよ。 事務方職員にもね。

入隊直後の単なる事務員連中に「思想教育」みたいな名前右翼の公演を聞かせてる。

そんなことありませんって自衛隊が言ったらもうマジで見限っていいよ。

自覚なき右翼もしくは嘘つきの集団から

流石にそこまで堕ちてはない感じではあったけどね。

昔にしばらく働いた体感としてはだが。

2023-03-07

4月から進学や就職東京に出る人も多いだろう。そういうタイミング心機一転、これからやるぞ、楽しむぞ、という気持ちで味わえる東京って最高に楽しい

街中に突然現れる桜並木をひとり散歩したり、ちょっと自転車で町を見るかと思ったら都心には思ったよりも坂道が多かったり、中央総武線沿いの堀とビルと桜の風景東京を感じたり、先のライブイベントを調べてテンション上がったり、美術館行き放題に気付いてほくそ笑んだり、買い物は駅ビルで十分では?と思ったりするんだろうな。

いいなー。

2022-12-31

リニア新幹線名前候補

なんて素敵

ファイネス

今日の夢

ワープ

お好み

ジョン

桜並木

素早サッ

聞こえるよ

NINJA_IDOUCHU

2022-11-22

まり意識されていないが、桜も「紅」葉樹だ

桜並木のとこだと、晩秋は黄変から朱くなったり焦げ茶になったりと色々まざっててキレイやで~

(o´・ω・`o)

2022-04-05

毎日お花見

寺でお花見

 お寺の境内花見子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある山桜は葉が出始めで、花はまだたった。

 去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。

 お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。

 境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。

 ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。

 両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。

桜並木お花見

 ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。

 あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わずしかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭り廃止になった。

運動公園お花見

 運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元少年野球チームやサッカーチーム練習試合をしにやって来るからだ。

 広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。

 ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場しっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。

 コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンド団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球サッカーチーム侵入禁止します。練習ウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。

 桜の木の下を通ると、ヒヨドリ金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。

 公園事務所ラウンジから死角となる場所桜の木の下で、お爺さん達のグループ酒盛りをしていた。

市民体育館お花見

 毎年花見に来るスポット子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。

 昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りいるかどうかは知らない。

公民館お花見

 家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。

 満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島なのだ。つまり挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。

 たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。

2022-02-04

色気すごいお客さん

駅ナカ立ち食い蕎麦屋バイトしてんだけど、ああいうとこってほぼ常連で成り立ってんのね、

そのほとんどがスーツ着たサラリーマン、あとは作業着姿のおじさんってとこ。働く男たちだよね。働いて疲れた顔してる男ってそれだけでちょっと色気あるじゃん

で、暇つぶし常連さんにあだ名付けて、そん中でも色気すごいお客ランキング個人的に作って1人で楽しんでんだけど。

そのランキングで今 殿堂入りしてんのが、滝川さん(仮名)。毎日ではないけど、かなりの頻度でいつも同じ時間帯に、早めの夕飯食べに来るサラリーマン。年齢はおそらく30代後半〜40代前半。

黒のスーツに黒い薄手コート、黒いリュック。体型は中肉中背ってかんじ、筋肉体質。足短め。ちょっとタイトめのスーツ着てる。肌色は浅黒、黒髪短髪で癖毛気味。重めの二重(常に眠たそうな目してる)、ちょっと吊り目で、まつ毛長め(たぶん)。鼻筋めっちゃ綺麗で横顔完璧。動きは割とゆったりしてて歩き方もノシノシってかんじ。黒(or焦げ茶?)のファスナータイプの長財布。手はごっつめで左手薬指に指輪あり。声は小さくて低め。

で、毎回コロッケ蕎麦を食べる。七味をかけて。絶対浮気しない。新商品が出ても絶対食べない。コロッケ一筋。食べてる間もスマホとか見ずにただただ食べてる。店内滞在時間おおよそ3分。つゆは全部飲み干すタイプ最後店員の目見て「ご馳走様」って小さい声で言う人。でも毎日来るわけではないから、来てくれた時のラッキー感がすごいし、来ない日は何を食べてるのか異常に気になってしま・・・

・・・いい男過ぎんか

目あった瞬間死ぬんだが。

春に桜並木をただただ一緒に歩くだけのデートとかしたい。公園でぼーっとするだけのデートとか。家でダラダラするだけのデートとか。何も喋らなくても同じ空間に居るだけで癒されそう・・・

ちなみにあだ名の由来は、芸人コロッケ本名からとったよ

2021-03-31

桜並木になんて引っ越すんじゃなかった

満開がきれいなんて思うのはほんの一瞬。

その後は大量の花びら掃除

雨でも降ったものならぐちゃぐちゃ。

花見客ゴミもぐちゃぐちゃ。

極めつけは、この辺では有名な桜並木沿いに引っ越したのだけど、道行く人の大半が家の中を覗いてくるからカーテンも開けられないということ。

一番桜がきれいなときカーテンめっぱなしの気持ちがわかりますか?

あなた方は素通りするだけだから恥も外聞もないかもしれないけど、住んでいる人は普通に生活をしている人間ですよ。

中に人がいようとお構いなしに部屋の隅々まで覗いていこうとする人の多さに驚いた。

コロナ宴会が中止になってくれて多少助かってるけど、酔っぱらいは思い出したくもないくらいにひどい。

大声、嘔吐、立ち小便。お前らは動物以下かよ。

戸建てなんて建ててしまったものからおいそれ引っ越しもできない。

自分たち全然桜を楽しめないのに花見の後始末だけ押し付けられているのとか本当に地獄

たいして親しくもないママ友からこの時期だけ連絡が増えるのも地味に地獄

管理人のいるマンションの3階以上とかなら良かった。

憧れなんかで住む場所は選ぶべきじゃない。

2021-03-30

春になった。街をゆくひとびとの露出度があがりはじめた。桜並木のなかをゆくミニスカート女の子、森の中のGUセルフレジにならぶショートパンツ女の子自転車街道を走るベージュジャケット女の子はそろいのショートパンツ茶色のブーツ。きれいな脚は太陽の光のなかにある。

2020-05-03

9月入学になった場合の桜の立場

卒業入学っていう若い頃の大イベントに密接に絡んでるからこそ今の立場な気がしてる

その地位セミとか海とか金木犀とか菊とかコスモスとか、とにかくその辺の何かに明け渡したら桜ってどうなるんだろう

桜ほどハデに分かりやすく咲く花ってあんまりない気がするんだけど、そう思うこと自体が上述した卒業入学イベントの影響かもしれない

6月入学だったら「紫陽花ほどハデに分かりやすく咲く花は〜」って言ってたのかも…?

 

いやいややっぱ桜はデカいわ まあたくさん植えられてるからってのもデカいけど、入学時期がズレたからって「桜はもう用済み、全部切ります」とはならない以上あの桜並木の威容は残るものと考えた方がいい

9月入学・始業となると4月は今で言う11月ポジション ぼちぼち年度の終わりも見えてくる時期だけど、まあ半端だ

どうなるんだ桜 俺はもう学校関係ないけど、学生諸君にとってどんな感じ方の花になるのか気になるなあ 年度の途中でめちゃくちゃ咲き誇る花……

2020-04-29

anond:20080206125828

近所の神社に実生のゆず(実がつくまで18年かかる)が植えてあるんだけど戦後に誰かが勝手に育ててたんだって

桜並木なんかも昔は同意をえず勝手に植えてたのが今残って名所になってたりする。

からきみみたいなやついっぱいいたんやけど、今やれば逮捕から

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