はてなキーワード: 避難所とは
2026年、早起きを強行する内巻に代わって、穏やかな早起き、軽量な朝の流れがネット上で流行したライフスタイルとなった。これらの習慣は振り回されず、続けやすく、睡眠と代謝の研究にも有効であることが実証されている。いったいやる価値があるのか。私たちは科学的な結論ではっきり言った。
1.1徐行+3回深呼吸
目が覚めるとすぐに起きないで、30秒寝て、ラブグッズ、3回腹式呼吸をして、再びゆっくり座って。
1.2朝からコップ1杯の温水(35~40℃)
起きて15分以内に200-300 mlの温水を飲み、氷水、濃いお茶を飲みません。
窓を開けて自然光を浴びて、その日の3つの最も重要なことをリストアップして、冗長なリストをしません。
体位性低血圧とめまいを避け、朝の血圧を安定させ、朝の不快感リスクを下げる。
夜間の水分流失を補い、血液を希釈し、腸蠕動を刺激し、便秘と朝の眠気を改善する。
自然光はメラトニンを抑制し、覚醒度を高める、タスクの簡素化により、不安が軽減され、終日の実行力が向上します。
睡眠不足で無理に早起きすると、免疫力が低下し、疲労が激しくなり、早起きよりも規則が重要になる。
3.2朝の高強度運動は推奨しない
空腹部の激しい運動はパニック、低血糖を引き起こしやすく、ディルド、軽く歩き、延伸することはより安全である。
3.3朝食抜き=効率割引
良質な朝食は血糖値を安定させ、午前中の眠気や注意力の低下を避ける。
おわりに
2026流行の早起き習慣の核心は、内巻きではなく、リズムに従い、軽く実行することだ。ゆっくり起きて、温水、朝の光、極めて簡単な計画、すべて科学的な根拠があります。「自分を早起きさせる」よりも、十分な睡眠+規則正しい+穏やかな朝の流れが、本当に効果的で、長く続けられる健康的な選択です。
→ 読解力ゼロ、将来なんて気にしない。今が良ければそれで良い若者バカの巣窟。
・X(Twitter)
→ 読解力3行、小学生レベルの文章力で日々マウント合戦する、炎上大好き野次馬根性バカの巣窟。
→ 読解力5行、人生に疲れ、X(Twitter)にも疲れたけどSNSを卒業できないバカの巣窟。
・note
→ 読解力10行、特にこれといった特徴がない無個性バカの聖域。(炎上が起こりにくい)
→ 読解力1行、感情と偏見だけで回ってる、被害者意識バカの井戸端サロン。
・5ちゃんねる
→ 読解力1~10行(気分次第)、もはや会話じゃなく怒鳴り声の応酬。自己矛盾も気にしない老害系バカの終着駅。
→ 読解力20行、説教・自己啓発・人脈マウントが日常。現実で評価されない中年バカの避難所。
・Quora
→ 読解力100行、長文を書くこと自体が目的化した高学歴こじらせバカの博覧会。
→ 読解力15行、日常・美容・育児・芸能のリアルと盛りの間を行き来。共感と自己ブランディングで回る“キラキラ系バカ”の生活展示場。
→ 読解力30行、冷静に見せかけて内心は承認欲求のかたまり。独自ドメインと収益報告でマウントしがちな“静かなバカ”の研究室。
→ 読解力5行+一言コメント、記事は読まずにタイトルで斬る“知ったか評論家バカ”の闘技場。スターの数が戦闘力。
→ 読解力40行、自意識と承認欲求を匿名でこじらせた長文の海。たまに名文が生まれるが大半は“共感待ちバカ”の文学ごっこ。
→ 読解力50行(英語込み)、やたら合理的で皮肉屋。賢そうに見えるが結局ミームで全部済ます“インテリ風バカ”の集合体。
→ 読解力∞、文章というより“布教”。読者不在でも語りたい、孤高のバカたちの電脳寺。
・SNSをやらない人
DOOMチャレンジとかもそうだけど、ビデオゲームのデータを経済的被害が出ない範囲で配布・改変して新しい遊び方を生み出すのは、日本の同人文化と同じく海外のビデオゲームコミュニティを支える根本的なギーク文化なんだよね。それを知らずに違法違法と騒ぐの馬鹿げてますよhttps://t.co/5hN7t3RQyK— 小山(避難所) (@Segah02457547) April 15, 2026
ASD女性がBL(ボーイズラブ)を好む心理的メカニズムについては、単なる個人的な嗜好を超えて、発達特性による社会適応の難しさと、それに対する防衛機制(生存戦略)が深く関わっていることが、最新の研究で指摘されています。
ASDの特性を持つ女性は、社会から求められる「女性らしさ」や「女性としての役割」を演じることに強い違和感や生きづらさを感じやすい傾向があります。
広範な社会違和(PSD):ASD者は幼児期から、ジェンダー規範を含む社会全体のルールに不可解さや負担感(広範な社会違和:PSD)を抱きやすいという仮説があります。
逃避としてのBL:BLは「自分の性が登場しない物語」であるため、現実の「女性として生きる負担」を一時的に忘れることができる安全な避難所となります。
心理学的分析によれば、BLを好む心性には以下の「二重の安全装置」が機能しているとされています。
実行不可能性:男性同士の恋愛であるため、読者自身が当事者になることは物理的に不可能です。
聖なる愛と平等性:BLは男性同士の対等な関係として描かれることが多く、現実の社会(家父長制など)における男女の不平等な権力関係や、生々しい性役割から解放された「純愛」を享受できます。
感覚過敏や対人関係の難しさを持つASD女性にとって、「身体性を伴わず、自分から切り離された場所にある愛の形」を眺めることは、心理的に非常に安全で心地よい体験となります。
BLファンは、自分の直接的な成長や達成ではなく、「他者の関係性を観察することで感動し、充実感を得る」という受動的な幸福感を得る特性があると指摘されています。
現実のコミュニケーションで他者との距離感に悩みやすいASD女性にとって、安全な距離からキャラクター間の親密さを眺めて楽しむスタイルは、精神的なストレスを軽減し、幸福感を得るための有効な手段(自己治療的側面)となっている可能性があります。
ASD特性を持つ人々、特に女性においては、性別違和(GD)やジェンダー不適合感が高頻度で共起することが判明しています。
性自認の曖昧さ:ASD女性は性自認が曖昧になりやすく、自分のセクシュアリティを客観視するためにBLという枠組みを利用したり、自身をトランスジェンダー(FtM)であると考える傾向との相関が議論されています。
こだわり特性の表出:特定の物事への強い執着(こだわり)という発達特性が、男性の場合はシステムや収集(鉄道、トレカなど)に向かいやすいのに対し、女性の場合は物語やキャラクターの関係性(BLやカップリング)に向かいやすいという性差による表出の違いも指摘されています。
このように、ASD女性にとってBLは、「女」という役割から自分を解放し、社会的な規範や肉体的な生々しさから守られた安全な空間で、純粋な関係性の構築や「こだわり」を追求できる装置として機能していると考えられます。
イギリス人権機関のストーンウォールはミスジェンダリングをトランス差別の項目から外したし、
https://sex-matters.org/posts/updates/stonewall-changes-transphobia-definition/
以前の長年にわたる定義では、トランスジェンダーの人の性自認を否定したり、受け入れることを拒否したりすることは、恐怖や嫌悪、そしてトランス差別であるとされていました。2020年にキャスリーン・ストック教授が英国上院の委員会で述べたように、この定義は単に男女という二つの性に関する一般的な信念を表明するだけの人々も対象としていました。
「私や他の学者、そして一般市民の何千人もの人々が、女性または男性であることを決定づける要素としての性自認の重要性を否定しているため、私たちの見解は『トランス差別的』であり、憎悪に満ちたものと見なされ、ただ恐怖や嫌悪から生じたものとされてしまうのです。」
なにより英国最高裁自身が「トランス女性は女性じゃない」と宣言したからね
https://www.cnn.co.jp/world/35231910.html
ロンドン(CNN) 英最高裁は16日、同国の平等法で定める「女性」の定義にトランスジェンダー女性は含まれないとの判断を示した。
判決では、平等法の女性という用語について、「生物学的な女性および生物学的な性別」を指すと指摘した。裁判官5人全員一致の判決だった。
英政府報道官は、女性にとっても病院や避難所やスポーツクラブなどのサービスを提供する側にとっても、今回の判決のおかげで分かりやすくなって自信を持つことができると評価。「一つの性別に限られる空間は現在もこれからも、政府によって法律で保護される」と強調した。
さっきXで「凍結回避の8つのポイント」みたいなポストを見た。
BOT認定を避けろとか、不自然な操作をするなとか、誹謗中傷はやめろとか
でも、今のXでそれ守ってて本当に凍結が防げるか?
答えはNOだ。
健全に運用しているはずのアカウントが凍結されている。月額料金を払って青バッジを付けていれば優先的に保護されるかと思いきや、凍結されている。一方で、規約違反を繰り返しているアカウントは野放し。これじゃあ真面目にルールを守っている方が馬鹿みたいじゃないか。
「これをやれば大丈夫」っていう攻略法が通用しない、まさに「死のルーレット」状態。
もうね、Xという一つのプラットフォームに依存するのはリスクでしかない。
だから、今のうちにThreads、Bluesky、Mastodonあたりにアカウントを作って、避難所じゃなくて移住先として育てておいたほうがいい。どこもちゃんと人がいる。Threadsに至ってはモバイルアプリからのアクセスはXを抜いた。人が多いからXにいるならThreadsでいい。
割と買い物メモとして使っている。手元に紙がないときに便利だ。時折「お菓子も買ったら?」と返事が来るので楽しい。
あとは皿洗いを開始すると宣言し、自分に発破をかけたりしている。宣言したからにはやらざるを得ない。あとは近所の桜を見ていたら電車に乗り遅れたことなど、日常のちょっとしたことを呟いている。
漢字しか投稿できないジョークアプリだが、ざっと見てみると一日に最低100件、ちゃんと数えたわけじゃないが体感200件以上のトピックが立っている。投稿するユーザーが1日に1件投稿すると、だいたい200人くらいいることになる。これは数日に1回しか投稿しない人と、1日に数回投稿する人の幅があるだろうし、その平均ということで、ざっとしたフェルミ推定だ。桁数さえ合っていればいいというレベルの話である。で、大体、ROMメンバーは、アクティブなユーザーの数倍から10倍いるという説があるが、これが正しければ大体まだ1000人くらいの人が対多を使っていることになる。多いんだか少ないんだかわからない。近頃は収益にならないのか、広告を見かけることもまれになっている。公式グッズ売れてるのかな。広告なしの課金ユーザーとかいるのかな。閉鎖していない時点でおこづかいレベルの赤字で収まってはいるんだろうけどね。
で、定期的に「過疎」というつぶやきが見られるが、「ジョークアプリに常駐してる俺たちのほうが酔狂なんだよ」という返信があって笑った。
旧ツイッター、現Xが落ちたり、検索機能がおかしくなったりすると、相変わらず「青鳥死亡?」と出てくる。「地震が起きたのにツイッター大丈夫か、頼りないぞ」という発言が本日は見られた。
最近気づいたのが、対多上にもコウメ太夫がいる。「~鱈」の表現を多用している。探したら半年前からずっと投稿している。内容は本家同様に支離滅裂なので、もしかしたら本当にコウメ太夫かもしれない。
「対多芋煮会中止のお知らせ」「藍色下着民」「三十七歳美魔女」「我胡瓜植可?」「今日は金曜日?」など、謎の定期投稿が続くのも相変わらず。中には「東京の飛行機の音がうるさい」とキレている人も。あと「月曜日が近いよ~」と毎日のように投稿してた人がいた。日によって曜日が違う。
それから、「今日のお尻」の人の投稿が見られなくなった。検索しても出てこない。消されたのだろうか。それとも、誤ってブロックしてしまったのだろうか。実家にある予備の端末で開いて確かめるか。でもあれ、ガラスが割れてるから危ないんだよね……。
エイプリルフールなので、僕も類似したアプリが作れないか想像した。
同じように入力制限のある掲示板、つまりローマ字しか入力できないアプリだ。しかも、訓令式で使う文字しか使えない。つまり投稿できるのは大文字と小文字の「ABDEGHIKMNOPRSTUWYZ」と数字、句読点、スペースだけ。特殊記号がなければスパムのURLも入力できない。課金すればヘボン式の「CFJV」が開放される。どうだろう。
そんなことを思ったが、メリットはほぼないし、偽中国語のように視覚的に理解がたやすいわけじゃないのだよね。
【水曜追記】
そういえば「叡智、開始――――」投稿して夫婦の性生活を投稿してる人がいる。終わると「終了――――」と宣言するあたり律儀。
中東情勢についてのエントリがいくつか上がってて、LNGの話(anond:20260313174445)も読んだ。自分は10年くらい前から備蓄や自給体制について研究・実践してきた人間なので、別の角度から書く。
今回のホルムズ海峡封鎖で備蓄を始めた人も多いと思う。パスタ、米、水、カセットコンロ、乾電池。それ自体は正しい。だが、日本で備蓄をするということの本質的なリスクについて、ほとんどの人は考えていない。
結論から言う。この国では、本当の有事になったとき、あなたの備蓄は「あなたのもの」ではなくなる可能性がある。
昭和16年(1941年)から米穀の通帳配給制が始まった。成人男子1日2合3勺(330g)。砂糖やマッチは前年から切符制。やがて衣料、木炭、酒、煙草、ほぼすべての生活必需品が配給対象になった。つまり「配給以外のルートで物を持っている」こと自体が、社会的に問題視される空気が醸成された。
そしてここが重要なんだが、配給制度の末端を担ったのは行政機関ではなく「隣組」だった。町内会・隣組が配給事務を担うことで、住民の保有物資を事実上把握する権限を持った。誰が何をどれだけ持っているか、隣近所が知っている状態になった。プライバシーは極度に制限された。
昭和16年の金属類回収令では、官民問わず鉄・銅・アルミなどの金属を「供出」させた。最初は不要品の回収という建前だったが、戦争の進行とともに「特別回収」に移行した。これは「現に使用しているものであっても、国家的見地からより価値の高い用途に転換させる」という理屈で、家庭の鍋や寺の梵鐘まで持っていかれた。法的根拠は国家総動員法。回収の実務は隣組が担い、拒否する場合は役所に理由を報告させられた。
つまり「隣組が供出の末端作業を担わされた」のだ。国家が直接一軒一軒回るのではなく、あなたの隣人が、あなたの家に「まだ出せるものがあるでしょう」と言いに来る構造。これが日本型の供出システムの本質だ。
食料についても同様のことが起きた。農家は米の供出を義務づけられ、自家消費分すら十分に残せなかった。食糧管理法のもと、配給外の食料の売買は違法とされ、闇米を買った市民が駅頭で取り締まられた。東京地裁の山口良忠判事が配給食料だけで生活し、栄養失調で亡くなったのは有名な話だ。法を守った裁判官が餓死する国。これが80年前の日本で実際に起きたことだ。
■ 現行法で何ができるのか
「今は戦前じゃない」と思うかもしれない。では現行法を見てみよう。
災害対策基本法第109条。災害緊急事態が布告された場合、内閣は政令により「供給が特に不足している生活必需物資の配給または譲渡もしくは引渡しの制限もしくは禁止」を行うことができる。違反には刑罰を科すことも可能。
さらに武力攻撃事態対処法(有事法制)では、「武力攻撃事態」の認定がなされると、私有財産の収用・使用が法的に可能になる。日弁連が繰り返し警告してきたように、この法制は「一片の公用令書の交付だけで」私有財産を制限できる構造になっており、事前の告知・弁解・防御の機会が保障されていない。
都道府県知事には、災害対策基本法に基づいて「物資の収用」「保管命令」を出す権限がある。これは現行法で、今この瞬間にも発動可能な権限だ。
今回のホルムズ海峡封鎖が長期化し、エネルギー・物資の供給が深刻に逼迫した場合、政府が「災害緊急事態」の布告に踏み切る可能性はゼロではない。そうなれば、生活必需物資の配給制や流通規制に法的根拠が与えられる。
太平洋戦争時は隣組が供出の末端を担った。では現代で同じ機能を果たすのは何か。
自治会・町内会は今でも存在するが、戦時中ほどの強制力はない。だが有事に行政の末端機能を担わされる可能性は十分にある。災害時に避難所運営を自治会が担っているのを思い出してほしい。あの延長線上に「物資の把握と配分」がある。
もうひとつ、戦時中にはなかったものがある。マイナンバーとキャッシュレス決済の履歴だ。誰がいつどこで何をどれだけ買ったか、行政はやろうと思えば把握できる。戦時中は隣組の目と足で物資を把握したが、現代ではデジタルで同じことが可能になっている。「あなたの世帯は先月、米を30kg購入していますね。配給分を超えていますので、超過分について協力をお願いします」——こういうことが技術的には可能な時代だということは、認識しておくべきだ。
ホルムズ海峡封鎖が3ヶ月以上続いた場合、以下のことが段階的に起こりうると考えている。
第1段階(1-2ヶ月目):小売レベルでの購入制限。スーパーやドラッグストアが自主的に個数制限を導入。ガソリンのリッター制限。ここまではコロナ禍のマスク・トイレットペーパー騒動の延長で、多くの人が経験済み。
第2段階(2-3ヶ月目):政府による価格統制と流通規制。生活必需物資の価格上限設定。買い占め行為への罰則導入。転売の厳罰化。ここから空気が変わる。「備蓄している人」が「買い占めた人」と同一視され始める。
第3段階(3ヶ月以降):配給制の部分的導入。燃料の配給は確実にやるだろう。食料についても、政府備蓄米の放出と併せて、購入量の管理が始まる可能性がある。ここで問題になるのが「既に大量に備蓄している世帯」の扱いだ。
第4段階(事態の長期化):災害緊急事態の布告、または事実上それに準じる措置。自治体職員が各世帯の物資保有状況を「調査」する名目で訪問する。「任意の協力要請」という形を取りながら、実質的に供出圧力がかかる。
第4段階まで行くかどうかは正直わからない。だが第2段階までは確実に来る。そして日本という国の性質を考えると、第3段階から第4段階への移行は、法的手続きよりも「空気」によって進む。戦時中もそうだった。法律が供出を命じる前に、隣組の圧力が先に来た。
■ プレッパーが本当に考えるべきこと
ここからが本題。備蓄するなという話ではない。備蓄は絶対にすべきだ。ただし「没収リスク」を織り込んだ備蓄戦略が必要だという話をする。
まず、備蓄は「見えない形」で行うこと。段ボール箱を玄関に山積みにしていたら、有事には近隣から「あの家は溜め込んでいる」という目で見られる。戦時中に隣組が機能したのは、物理的に近い人間が互いの生活を監視できたからだ。収納を分散させ、一箇所に大量に集積しない。
次に、備蓄品の種類を考えること。米やパスタのような「誰が見てもわかる食料」は供出対象になりやすい。一方で、プロテインパウダー、マルチビタミン、乾燥野菜チップ、味噌のような「調味料・サプリメント的なもの」は、配給や供出の対象として想定されにくい。カロリーベースの備蓄とは別に、栄養素ベースの備蓄を考えておく価値がある。
燃料は最も没収リスクが高い。ガソリンの携行缶を自宅に保管していた場合、有事には真っ先に「公共のために供出してください」と言われる可能性がある。カセットガスのボンベは数十本程度なら目立たないが、灯油のポリタンクを大量に保管していたら目をつけられる。
最も没収されにくい備蓄は「スキル」と「人間関係」だ。家庭菜園の知識、保存食の作り方、簡易浄水の方法、太陽光パネルと蓄電池の運用ノウハウ。これらは物理的に没収できない。また、地域コミュニティとの関係が良好であれば、供出圧力がかかったときに「あの家は普段から近所に分けてくれている」という評判が防御になる。皮肉なことに、備蓄を守る最大の武器は、備蓄を分かち合う姿勢なのだ。
日本は平時にはかなり自由な国だ。私有財産も守られているし、好きなものを好きなだけ買える。だが有事になった途端に、集団の論理が個人の権利を圧倒する。それは法律の問題というより、社会の構造の問題だ。
太平洋戦争時、金属回収令に法的根拠があったのは事実だが、実際に回収を推進したのは法律ではなく「空気」と「隣組」だった。法律がなくても供出は進んだだろうし、法律があっても空気がなければ進まなかっただろう。
現行の災害対策基本法や有事法制は、政府に相当強い権限を与えている。だがそれ以上に怖いのは、SNSと相互監視による「令和の隣組」が自然発生することだ。「あの家だけ電気がついている」「あの家からいい匂いがする」「あの家は備蓄を出さない」。有事にはこういう声が正義の顔をして現れる。
備蓄は必要だ。だが備蓄だけでは足りない。備蓄を守るための知恵と、いざというときに一部を手放す覚悟と、それでも残る部分を確保するための戦略が要る。
管理職のデスクから観察していて、最近確信に変わったことがある。
既婚男性のパフォーマンスが高いのは、責任感とか愛とかそんな高尚な話じゃない。
彼らにとって、**「会社は、家庭という名の戦場から逃れてきた唯一の休息の地」**だからだ。
独身の部下が「今日は疲れたので帰ります」と言う時、彼が帰るのは静寂と自由が約束されたワンルームだ。
一方で、既婚の部下が「残業やります!」と目を輝かせる時、彼の脳裏には**「今帰ったら待っている、無限に続くオムツ替えと、妻からの『皿洗ってないけど?』という無言のプレッシャー」**が浮かんでいる。
彼らにとって、エクセルの複雑な関数を組むことや、クライアントからの無理難題を捌くことは、泣き叫ぶ2歳児をなだめることに比べれば「ただのゲーム」に過ぎない。
「トラブル発生!徹夜確定か?」という絶望的な状況ですら、彼らにとっては**「合法的に家に帰らなくて済む免罪符」**という名のボーナスタイムなのだ。
JTCの既婚男性を突き動かすもう一つの魔力、それは「お小遣い制」だ。
月3万円程度の自由を勝ち取るために戦う男たちの執念を、独身貴族はナメすぎている。
独身の部下が「残業代なんて、税金で持っていかれるからいらないっす」と余裕をぶっこいている横で、既婚の部下は**「この残業代があれば、こっそり高い方のビール(発泡酒じゃないやつ)が買える……!」**という、昭和の少年のような純粋な瞳でPCに向かっている。
昇進への執着も凄まじい。
「役職手当で月5,000円アップ」という、独身ならスタバ数回分で終わる金額に対し、彼らは**「これで嫁に内緒でドラクエの新作が買える……!」と、国家予算の策定並みのシビアさで食らいついてくる。
守るものがある男は強いが、「隠し持っているヘソクリを守りたい男」**は、それ以上に凶暴なのだ。
家では「ゴミ出し担当大臣」や「風呂掃除長官」として、ピラミッドの最底辺に位置している彼らにとって、会社は唯一**「自分が人間として扱われる場所」**である。
部下に指示を出し、会議で発言し、誰かに「さすがですね」と言われる。
この快楽を知ってしまった既婚男性は、もはや会社というステージから降りることができない。
独身の部下が「自分らしさ」を外に求める一方で、既婚男性は**「失われた自尊心」**をオフィスで必死に回収しているのだ。
結論として、JTCの生産性を支えているのは、家族愛でも愛社精神でもない。
独身の部下よ、君たちが「定時で帰って自分磨き」をしている間に、隣の席の先輩は「会社に居座って精神の安定」を図っている。
時間が無限にある君たちに、この「背水の陣(という名の帰宅恐怖症)」を敷いた男たちの爆発力に勝てるわけがないのだ。
正しいかどうかは知らない。
ただ、夜21時のオフィスで、なぜか自宅よりリラックスした表情で資料を作っている彼らの背中を見るたび、私は「JTCは今日も安泰だな」と確信するのだ。
一般的なメーカーでは-12とかまでしか出してなくてあとは特注だったりするので、まあまあ上限寄り。
眼科や眼鏡屋ではそんなに珍しい数値ではないそうだけど、日常生活でわたしよりコンタクトの数値が低い健常者には一度しか会ったことがない。
視力の低い勢は出会ったとき大体コンタクトの度数で競いがちだけど、今のところ連勝記録を更新中である。(うれしくない)
ここまで目が悪いと、メガネをかけた時に目が小さくなりすぎるからだ。覗き込むと大きく見える虫眼鏡の逆バージョンみたいになる。
わたしの度数だとレーシックは角膜を削り過ぎてしまうので選択肢には入りにくい。ICLなら施術可能だそうで、何度かやろうかと検討はした。レンズを入れときゃ災害時に視界の悪さで困ることはないし、避難所でコンタクトが手に入らないなどの問題も回避できる。何より、目覚めた瞬間から目がよく見える世界はとても清々しいそうだ。そらそうだろう。-9ともなると色の識別くらいしかできない。オフホワイトの壁にかかってる白基調の時計なんかまったく見えない。記憶で見てるに近い。夜、外を裸眼であるくと、そこに光があることしかわからない。勘で歩くしかない。不便極まりない。
でも、でもわたしはこんな目の悪さがそこまで嫌いじゃない。
小学生の頃からメガネで、コンタクトデビューは中学生。なんやかんや20年以上、ほぼ毎日朝から晩までコンタクト生活。そりゃまあ目がいい人よりは手間だしお金もかかるだけど、慣れれば洗浄も裸眼の時間もそんなに嫌じゃない。
そう。なんか、見えない時間も受け入れてるんだよな。起き上がって顔を洗うまで、それから眠る前の数十分。その僅かな時間で、本来の自分を再確認してるというか。見えない自分を、どのくらい見えてないかを認識してる時間だと思ってて、嫌いじゃないのよね。ごくまれに裸眼で外を歩くと、それも刺激的である。家のほぼ目の前にある自販機に行くぐらいだけど。
似たような人いないのかな。
そりゃもちろん、災害時は不便だろう。眼鏡を持って逃げられなければジ・エンドだ。
でも、ここまで近視だと緑内障や白内障のリスクが上がるので、そのときは結局ICLレンズを外さないといけないとも聞く。将来おばあちゃんになって色々わけわからんくなったとき、長年見えてないことを認識してきた人生の方が適応力もあるんじゃないかなと思うけど考えすぎかな。
まあ色々言い訳してるけど、わたしは「ひー!みえねー!」ってなってる瞬間の時間を失うのはちとつまらんなあと思う。他の視力の低い人はどうなんだろう。似たような人いないのかな。みんなICL一択かい?
65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/06/21(火) 19:15:35 ID:7WCzaQQc
「うん。電車も走ってないし、バス通りにバスもタクシーも走ってない。
大人は、駅員さんもお巡りさんも、みんなお金おろすカードを握りしめて
走り回っている。これじゃあパパたちは帰ってこれないよ。そういえば、
ママもお買い物の前にお金おろすと言ってたから、おんなじように、走り
まわっているのかもしれない。」
「あ、駅の方を見て!!さっきから煙が見えてたけど、火が見えるよ!!」
「駅前の商店街で火事でも起こったのか?でも消防車も救急車も走っている
音がきこえないなぁ?もしかすると、消防士さんも救急の人も、お金を
下ろすんで勤めにでてないのかもしれない。」
「え、それじゃ火事は誰が消すの?」
「わからない。ママたちの寝室に地震の時に持っていく袋があったよね。
「わかった、すぐ取ってくる。でも、となりのお兄ちゃんに相談するのは
駄目だよ。ママが言ってたけど、あの人は変な学問を勉強していて警察に
捕まったらしいよ。」
「うん。だけど、前にあのお兄ちゃんの部屋に遊びに行ったとき、こっそり
見せてもらった本に、銀行の前にたくさん人がいて、馬に乗ったお巡りさんが
その人たちを見張っている本があったんだ。これはなあに?って訊いたら、
『もうすぐ、こういうことが日本でも起こるんだよ。だから、そのときは
地震がきたと思ってすぐに逃げなきゃ駄目だ。でも、この話は誰にもしちゃ
いけないよ。』って言ってた。」
「ふーん。やっぱり、なんか怪しい人じゃないの?」
「そうかもしれない。でも、まだテレビが映っていた時に見た9時の
ニュースは、あの写真にそっくりだった。きっと、となりのお兄ちゃんが
言った通りのことが起こったに違いないよ。」
「わかったよ。僕は袋取ってくるから、お兄ちゃんはお隣にいっておいで。」
66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/06/21(火) 20:41:23 ID:BCtpUXRH
夕方になってママが帰ってきた。でも大けがをしている。銀行で行列に並んで
いたら割り込んできた人と待っていた人が喧嘩になって、巻き添えになったらしい。
気を失っていたママを、後になって近くのお店の人が助けてくれたようだ。
大日本銀行の支店は今では電車駅三つに一軒だけになっていて、怪我をしたママが
バスも電車もなしに帰ってくるのは大変だったようだ。救急車を呼ぼうとしたけど
まだ電話が通じないので無理だ。
パパはまだ帰ってこないけど、結局最初に考えたように、広域避難所に行く
ことにした。去年死んだおばあちゃんが使っていた車椅子を家で預かっていた
のがあったので、ママを乗せて押していくことにした。
夜なのに街灯もつかず怖かったけど、ママの怪我が心配なので頑張ったが、そのかいが
あった。広域避難所に着いてみると、国防軍の兵隊さんが沢山いて、装甲車やトラックも
沢山いた。兵隊さんはみんな怖い顔をしていたんで、最初は入れて貰えないと思ったけど
ようやく、軍医さんのおかげでママは治療を受けることができた。軍医さんの話では、銀行の
前の喧嘩の時、誰かに棒で殴られ、酷い脳震盪をおこしたようだけど、最新の携帯電子医療器で
調べたら脳には別状はないようだ。どうも、あの喧嘩のショックで放心状態が続いているらしい。
テントで作った病院でママの看病をしてると、軍医さんが将校さんと隅でなにか話しているのが
聞こえてきた。良くは聞こえないんだけど「フィッシャー」とか「債務デフレ」とか「旧平価」
とかいう言葉が切れ切れに聞こえてきた。それって、隣のお兄ちゃんが秘密の話だといっていた
のと同じ言葉だと思う。
使っていた
SNSで「震災被害者への性犯罪を煽るAV」として拡散されたポストについて、調べた結果を書く。
まず拡散されたポストについて。取り沙汰された作品のシチュエーションは「ゴミ拾いボランティア」であり、震災避難所での性犯罪とは無関係だった。無関係の作品を被災者のトラウマと結びつけて感情を煽る手法は、それ自体が悪質なハラスメントであり、批判されるべきものだ。この点については、拡散したポストの主張は事実誤認に基づくものだったと言える。
しかし調べると、避難所を舞台に女性レスキュー隊員が性行為を行うという作品が別途存在していた。これについては擁護できない。
避難所とは、有事において警察機能が著しく低下した閉鎖空間だ。そこで実際に性犯罪が起きていたことは、公式記録には残りにくいが複数の証言や報告から明らかになっている。そして現在に至るまで、日本の性犯罪対策はこうした環境への対応が十分とは言えない。
そのような構造的脆弱性が存在する状況下で、避難所という環境を性的行為の舞台として描いた作品を公開することは、意図の有無にかかわらず、その環境を犯罪機会として可視化・強化しうる。これは公共の福祉に有害であると考える。
要約:スレ主の主張通り「友人の体験談」なら他人の体験を簒奪して戦争被災者になりきって自己陶酔する卑劣漢だし、完全な釣りなら実在の戦争をオモチャにするゲス野郎だと思います。
ボスニアでの戦争中の残虐行為を知りたいなら佐原徹哉『ボスニア内戦』、凄惨な戦場を体験した子どもの話を知りたいならヤスミンコ・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』を読んでほしいです。
ボスニア紛争の体験者を騙ったVIP のスレッド「戦争の体験談を語るわ」が16年ぶりにバズっていて、はらわたが煮えくり返るくらい怒っている。
スレ主が創作をゲロった後の「留学先で出会った「彼」の体験談」だという弁明が事実かどうかはひとまず置いておいても、このスレの後半の流れを読めば、こんなクソスレに感動したり「名作」「出来が良い」と褒めたりしてる場合じゃないと思うのですが。
ボスニア紛争って、当たり前だけど実在した戦争で、カリノヴィクやフォチャやゴラジュデも実在する町で、戦争に関わった人たちや被害を受けた人たちは実在するわけじゃないですか。なんでその体験者を騙れたのか、あまつさえその体験で今も苦しんでいる当事者かのように装えたのか、その神経がわかりません。 スレ主は最後まで読んでもらうためだったとかなんとかうだうだ言い訳しているけど、言い訳しようのない卑劣な行為だと増田は思います。
実在のできごとをもとにした創作なら、最初から創作と明示したうえで、当時流行ってたやる夫スレなんかの形でやるならわかるんですよ。「戦争を題材にしたフィクション実際に起きた戦争を含めて、実話をもとにしたフィクション」なんて世に数多あるんだし、創作だとわかってても「考えるきっかけ」になるものだって多いしね。
仮に本当に知人の体験談なら、最初からそう明示すればよかったと思うんですよ。なんで数日間にわたって自分が戦争被災者になりきってんの? このスレに肯定的な評価をしてる人たちは、これがもっと自分に身近な事件を題材にした釣りだったとしても「考えさせられるきっかけになったから良い」なんて言えますか?
たとえば「性的虐待の体験談を語るわ」というスレで、自分は◯年前にA県B市に住んでて、C学校に通ってて、D、Eという友達がいて……と詳細に身の上を述べたうえで、被害の苦しみやおぞましい虐待の詳細なんかをショッキングな描写とともに感情たっぷりに語って、ストーリー上のドラマティックな山場を用意して、途中「書くのがつらい」なんて吐露したりもして、しばらくしてから「実は自分が被害を受けたのではなく、友人に託された体験記の転載でした。ドラマティックな場面は創作です」「性的虐待の恐ろしさを考えるきっかけにしてほしい」なんて言い出したら?
たとえば「震災の体験談を語るわ」というスレで、自分は福島県〇〇町に住んでいたと言いながら津波のショッキングな描写、友人の死、原発事故による避難、避難所での軋轢、その他ドラマティックな山場がモリモリのストーリーを臨場感たっぷりに自分の体験のように語って、語り手自身もPTSDになってるかのように仄めかして自死を匂わせておいて、挙げ句の果てに「フェイク入りの友人の体験談です、自分は被災者じゃありません」「被災地に想いを馳せてほしい」なんて言い出したら?
「勉強になった」「釣りかどうかなんてどうでもいい」なんて言えますか? 増田はそうは言えません。
「他人の凄惨な体験を自分ごとのように騙って、ただでさえ悲惨なできごとをドラマティックに脚色して自己陶酔して、何様のつもりだよ?」「実在する事件や被害者たちをおもちゃにしているのか?」「自分が注目を集めるために、事件を利用しているのか?」って思います……。
そしてもしも「知人の体験談」というとってつけたような弁明すら嘘で完全な釣りだったら、このなりきりはVIPで自分(あるいは自分が執筆したフィクション体験記)に注目を集めるために実在の戦争を利用するという、さらに卑劣な行為だと思います。
こんな自己陶酔たっぷりの騙りを挟むまでもなく、ボスニア紛争が悲惨なものであったことは疑いようがないし、その事実を広めたいと言うなら、仮に媒体を2ちゃんに限っても、もっとマシな方法はいくらでもあった。「きっかけになる」からってこんな騙りを許すのは、「『正しい目的』のためならどんなやり方で注目を集めてもいい、創作を実話と偽ってばら撒いたっていい」って言ってるのとそんなに違わないんじゃないですか?
とはいえ、こんな卑劣なやり方でバズったスレで「知るきっかけ」が得られたって人もたしかにいるでしょう。そういう人には、ぜひこんな騙りを超えて、事実をまとめた本や本当の体験記から情報を得てほしい。
ボスニア紛争の経緯や虐殺について知りたい人は、佐原徹哉『ボスニア内戦』(ちくま学芸文庫)を読んでほしい。2010年当時でも読めたけど、最近文庫化して入手しやすくなりました。Kindleもあります(https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B0FX8RXJZP/)。
ボスニア戦争を経験した子どもたちの証言集としては、2015年に角田光代さんが訳した、ヤスミンコ・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』(集英社インターナショナル)という本があります。ハリロビッチさんは1988年生まれで、自身がサラエボ包囲のサバイバーで、同じ立場の(元)子どもたちの証言を集めた本。
どちらも読み進めるのがつらくなるような内容は多いけど、ボスニア紛争やその体験者(とくに子どもたち)に興味を持った人は手にとって損はないはず。
以下憶測多めの蛇足。増田は、友人の体験談の原稿の翻訳がベースだというのもかなり怪しいと思っている。書かれたものを訳したはずなのに、「外国人が耳で音だけ聞いた単語をカナに直したような表記」と、「スペルだけ知ってて音を知らない単語をカナに直したような表記」が入り混じっているし、「実在した」と挙げられている登場人物の名前にボシュニャク人・セルビア人・クロアチア人にしてはかなり珍しいであろう名前が複数あるから。
①「スルツキ」という表記。おそらく現地語の「srpski」のことだろうけど、この単語は普通日本語だと「スルプスキ」と書かれるし、「スルツキ」という表記はありえない(2010年当時の機械翻訳にかけてもありえないだろう)。ただ、Wiktionaryで発音を聞くと、スペルを知ることなく耳で音だけ聞いたら「スルツキ」にも聞こえうるのはわかる。https://en.wiktionary.org/wiki/srpski
しかしスレ主の言い分では、英語で書かれた友人(父親がボシュニャク人、母親が日本人)の体験記を訳したのだという。長大な原稿を英語から日本語に訳せる語学能力のある人が、渡された原稿に「srpski」と書かれているのを「スルツキ」とカナ表記するだろうか? 他の2民族を指すときの言葉(フルヴァツキ=hrvatski、ボシュニャチ=Bošnjaci)は正しくカタカナにしているのに、なぜsrpskiは「音だけ聞いて、スペルを知らない」かのようなカナ表記なのか?
もっと言えば、「スルプスカ」(srpska)はちゃんと「スルプスカ」と正しく表記しているんですよね。同じ単語(の女性形)なんだけど……。
なぜこんな表記なのかはわからない。あえて拙さを演出したのではないかと思うけど、そうだとしたら英語で書かれた体験記を訳したという後半の弁明とは辻褄が合わない。
②「カミーユ」という名前。いや、これフランス語Camilleですよね? フランスにルーツがあるわけでもないボスニア現地の人で、「カミーユ」という名前の人を見たことがない……。
現地語のカミル(Kamil)という男性名ならありえるが、これを「カミーユ」と聞き取るだろうか?
それに、スレ主が最後に「実在人物」として挙げているスペルはKamilではなくCamil(現地語読みならツァミル)。ツァミルという名前はあまり聞いたことがないが、英語の体験記から訳したとしたら、スペルが近いĆamil(チャミル)という男性名がいちばんありえるだろうな。でも、「ツァミル」や「チャミル」を「カミーユ」と聞き取るとは思えない。
これは、最大限好意的に見れば「スルツキ」とは逆に、「文字で見た単語を、スペルに引きずられて違う音でカナ表記した」ように見える。そうでなければ、スレ主がボスニアらしい名前を創作したときに、うっかりフランス語の名前を混ぜてしまったというところだろうか。
③サニャとカミーユの名字。Googleでいろいろと検索しても、旧ユーゴどころかスラヴ系のEdu姓の人が見つからなかった。カミーユのTrpkovaという姓も不思議。北マケドニアの女性ならわかるけど、ボシュニャク人の男性でそんな姓になることがあるだろうか……。
【3/2追記】読み直したら意図が伝わりにくい書き方のところがあったので、修正しました。増田の怒りの発端は「自分自身が体験者かのように装ったこと」「創作を実話と騙ったこと」にあります。だから、このスレは大河ドラマや朝ドラや火垂るの墓など「実話をもとにしたフィクションと明示されている作品」とはまったく別の話だと思っているよ。「ドキュメンタリー映画しか許せないのか」という反応があったけど、その比喩に沿うならこのスレはむしろ「ドキュメンタリーだと謳っていたのに実はフィクションだった」とか「ドキュメンタリーに「当時の体験を証言する」と言って出演した人が後から「あれは自分の体験じゃない」と言い出した」みたいな事例ですよね。
id:cloverstudioceo 「クロアチア在住のもんですが、スルツキはsrpskiだったのね。でもそれはセルビア語で、セルビア人はSrbin. あと、ボスニア人はBosanac(男性単数) Bosanci(複数) だよw Bošnjaciなんて聞いたことねー。」
→おっしゃる通り、srpskiは「セルビアの、セルビア人の」という形容詞ですね。srpski jezikは「セルビア語」、srpski narodは「セルビア民族」。hrvatskiも形容詞で、名詞の「クロアチア人」はHrvat。Bošnjaciは名詞「ボシュニャク人(Bošnjak)」の複数形です(https://en.wiktionary.org/wiki/Bo%C5%A1njaci)、調べてみたらたくさん用例が出てくると思います。Bosanac(Bosanci)は民族にかかわらず「ボスニア国民」という意味での「ボスニア人」を指します。
というような事を悲劇として語ってる言説があったけど
女キャラを魅力的に描いた作品なら、主人公以外の男キャラが消えるのは当たり前だろ
そもそも現代のゲームはユーザーのドーパミンを出すために最適化を続けてきた生き残り達なわけで
その結果が
だろうと思う、コレが一番脳汁が出る
客をイかせてサービス料をいただくお仕事やっててここを目指さないのは逆に不誠実だろ
ここを目指さずに「質のいいゲーム」とやらをお出しして金を出して貰おうっていうのは、好きなことだけして生きていきたいと宣うyoutubeを目指す子どもと変わらない
もちろん批判者が言っているのはおそらく、既存の価値観からくるバランス感覚であることもわかる
一つの作品がよりリアルで人間関係の幅を持った作品であるためには、現実と同じように男女が出てきて、基本的には1:1の恋愛関係をそれぞれが結んでいく
でもそういった厚みみたいなものは「美術・芸術」に求める物であって、娯楽物であるゲームに求めるのはどこかお門違いに思えるし
そもそもすべてがそういった高尚さを目指す意味なんかない、低俗さや下品さだって100年後に見れば立派なジャンルの違いでしかない
カッコつけてんじゃねーぞカス
ゲームは現実の発展形じゃない、現実がクソつまんないからやる現実逃避だ
俺だって年収10億で生活の心配がなくほっといても金が増える生活をやりながら、金に目がくらんで全身全霊で愛情っぽいものを表現してくれる女と好きなだけハメハメできる人生だったらゲームなんかやんねーよ
でもそうじゃない
ゲームが現実と同じ程度のもんならゲームなんかせず現実の質を上げる方に時間使うわボケ
ゲームはもっとお手軽に、現実のクソから離れて本来は手に入らないであろう脳の娯楽を手に入れるための避難所だ
だからゲームがバランスの取れたリアルであることに意味はない、作る人間の勝手なこだわりでしかない
それでもリアルさに意味があるとしたらそれは「飛び込んでみたいと思ってるリアルの形」だ、戦争とか格闘技とかの一瞬を切り取って憧れる世界なんかがそうだ
じゃあソシャゲはどうだっていうと、ソシャゲはただただ俺達を射精させるためだけの最適解な擬牝台
だからいちいち主人公以外の男なんか入れる必要がないし、むしろ不安感が増えるだけ
俺達は多種多様な個性を持つ女とのそれぞれの恋愛を楽しみたいだけ
だからこその最適解、今のゲームは無駄をひたすらに削ぎ落として進化し続けている
こんな時代に「お、男キャラ出しても俺はきにしないけどな、むしろNTRで興奮するし」だなんだって言ってんのは選民主義に浸るしか能が無い負け犬の可変型チン騎士くらいだけど、それはそれでまぁ別に他人の趣味だからどうでもいいや
今の時代はありとあらゆるものが専門化し、先鋭化し、研ぎ澄まされている
だから昔みたいに、一つ一つにすべてを内包するがゆえに、共通項が多すぎて幅をモテていない時代とは違う
もちろん昔の方が作品を享受できる幅というものは広かっただろう