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2026-05-10

地方進学校から東大に行った私が、大学一年生に祈ること3

第三部 内容で勝ち、現実で負ける

大学卒業して、私はある大手会社に入った。

社名は伏せておく。

商社系の、若手にもそれなりに権限が回ってくると言われている会社だった。

入社した最初の年、私はそれなりに評価されていた。

配属された部の課長論理的な人で、私の作る資料の精度をある程度評価してくれた。

問題は二年目以降に始まった。

最初に明確な摩擦が起きたのは、ある社内会議だった。

ある新規プロジェクトの立ち上げに関する会議で、部長が明らかに前提条件の数字を間違えていた。

市場規模の試算根拠が五年前の業界レポート依存していて、その後の市場の変化を反映していなかった。

私は会議の中盤でそれを指摘した。

すみません。その市場規模数字ベースになっているレポートが古いです。直近三年で市場構造が変わっているので、現状の数字はその試算より三〇%程度小さいはずです。私の試算では、こちらになります

私は自分ノートPCの画面をプロジェクターに映した。

試算表は、出典付きで再現可能な形にしてあった。

部長はしばらく画面を見ていた。

それからゆっくり言った。

「うん、わかった。数字の話はまた別の機会にしよう。今日方向性の話をしている」

「いえ。方向性市場規模を前提にしているので、市場規模が違えば方向性自体が変わります

部長はもう一度、私を見た。

今度は少し、目に疲れがあった。

「君の言うことはわかった。あとで個別に話そう」

会議は、私の指摘を反映しないまま進んだ。

会議のあと、廊下で同期の一人に呼び止められた。

「お前、ああいう言い方やめたほうがいいぞ」

「内容として間違ってるか?」

「内容は合ってる。けど部長の顔、潰しただろ」

「顔の話なんかしていない。事業の話をしているんだ」

同期はため息をついた。

「そう。そうなんだよ。お前はいつも事業の話しかしない。だから、お前以外のみんなが何の話をしてるのか、お前にはわかってないんだよ」

そう言って行ってしまった。

私はその言葉をしばらく考えた。

考えた末に、こう判断した。

あいつも結局、内容で勝てない側の人間か。

そして忘れることにした。

二週間後、私はそのプロジェクトのチームから外された。

理由は表向きには、「別のプロジェクトに君のスキル必要から」だった。

私が回された別のプロジェクトは、ほとんど何も動いていない塩漬けに近いものだった。

私は課長に直接抗議した。

「私の指摘が間違っていたのですか」

課長は少しだけ困った顔をした。

「指摘の内容は間違っていなかった」

「では、なぜ外されるのですか」

「内容ではない。理由は内容ではないんだ」

「では、何ですか」

課長は少し沈黙した。

それから、こう言った。

「君は正しい。けれど、君と一緒に仕事をしたいと言う人間がいない」

その瞬間、自分の中の何かが冷たく固まったのを覚えている。

私は課長を見た。

できるだけ感情を出さずに言った。

「では、正しさよりも好かれることのほうが評価されるのですか」

課長は私を長く見た。

それから言った。

「そうじゃない。仕事は一人ではできないから、一緒に仕事ができる人間になることも能力のうちなんだよ」

私は頷かなかった。

その夜、自分の部屋で長い時間考えた。

考えた末に、自分結論を一文字も変えなかった。

会社は、正しさを評価しない組織だ。

から転職する。

私はその三ヶ月後、最初転職をした。

このパターンが三十代を通じて繰り返された。

三回、転職した。

会社が変わっても結末は似ていた。

最初半年は、私の能力と精度が評価される。

次の半年で、私の指摘が人を傷つけるようになる。

一年経つ頃には、何かのプロジェクトからかに外される。

私は毎回、辞めるとき同じことを思った。

「この会社も、私を理解できなかった」

四回目の転職活動とき、私は四十二歳になっていた。

そのとき初めて、こう思った。

もしかして問題は私のほうにあるのか?」

これに気づくのに二十年かかった。

二十年だ。

君がこれを二十二歳のうちに気づければ、私より二十年得をする。

二十年は長い。

本当に長い。

ここでKの話に戻る。

Kとは大学卒業してからほとんど連絡を取らなくなっていた。

年賀状最初の二、三年は来ていたが、私が返さなかったので自然と途絶えた。

Kがどうしているかを知ったのは、私が三十五歳のときだった。

ある業界誌の記事だった。

Kは新卒で入った会社で、地味に出世していた。

記事は、ある業界中堅企業新規事業立ち上げに関するものだった。

Kはその新規事業責任者として、写真付きで紹介されていた。

写真の中のKは、大学ときと同じように口を大きく開けて笑っていた。

少しだけ太っていた。

記事を読んで、いくつかのことを知った。

Kの新規事業最初、大失敗していた。

市場の読みを間違えて、最初半年予算の三分の一を失った。

普通なら、その時点で責任者は外されるはずだった。

けれどKは外されなかった。

なぜか。

Kは失敗の途中で、社内の他の部署人間を何人も巻き込んでいたからだった。

営業課長

開発の係長

経理の若手。

現場派遣社員

Kは新規事業のために、社内のいろいろな人間に頭を下げて知恵を借りていた。

失敗が見え始めたとき、その人たちがKを助けた。

「これはKだけの責任じゃない。自分たちも一緒に考えた案だ」

そう言ってKを庇った。

Kは結果として責任者の座を維持し、二年目に軌道修正成功した。

記事インタビューで、Kはこう答えていた。

最初半年で失敗したのは僕のせいです。市場の読みが甘かった。けど、その失敗を直せたのは僕一人の力じゃないです。社内のいろんな人が一緒に直してくれた。だからこれは、僕のチームの成果なんです」

私はこの記事を何度も読んだ。

そして初めてわかった気がした。

Kは最初から、「一人で正解を出す」ことを目指していなかった。

Kは最初から、「みんなで間違えて、みんなで直す」ことを戦略としていた。

私はずっとKを軽く見ていた。

Kは内容で勝てないから、人と仲良くするのだと思っていた。

違った。

Kは内容で勝つことの限界を、最初から知っていた。

から内容で勝つかわりに、内容を直せる関係を作ることに力を注いでいた。

Kは、私が二十年かけても気づかなかったことを二十二歳のときにはもう知っていた。

たぶんKは、もっとから知っていた。

中学校高校のうちに、一度、自分より頭のいい人間出会っていたのだろう。

そこで、自分が一人では勝てないことを学んでいたのだろう。

Kは十二歳か十三歳のうちに負けていた。

そしてその負けから、人と一緒にやることを学んでいた。

私は十八歳まで負けなかった。

その代償が、その後の二十年だった。

四十代に入ってから、私の人生加速度的に静かになった。

両親が立て続けに亡くなった。

父が先で、母がそのあとだった。

葬式地元で行った。

私は長男として喪主を務めた。

葬式に来た親戚や、父の昔の同僚や、母の友人たちは、私のことを「東大を出た立派な息子」として扱った。

私はその扱いを受け入れた。

受け入れるしかなかった。

葬式最後、母の友人だったという、私の知らないおばさんが言った。

「お母さん、あなたのことをいつも自慢してたのよ。東大に入ったときも、いい会社に入ったときも。でもね、最近お母さんこう言ってたの。『あの子結婚はしないのかしらね』って。心配してたわ」

私は笑顔で答えた。

「ええ、心配かけました」

その夜、実家の、自分高校時代に使っていた部屋で一人で酒を飲んだ。

机の引き出しを開けると、高校時代模試の成績表がまだ残っていた。

一番上の成績表は、高校三年の十一月のものだった。

全国偏差値、七十六。

順位、全国八位。

その紙を長い時間見ていた。

そして思った。

この紙が、俺の人生で一番輝いていた瞬間の証拠なんだろうな。

三十年前の紙だ。

私はその紙を引き出しに戻した。

戻して、引き出しを閉じて、また酒を飲んだ。

涙は出なかった。

涙が出るような感情ではなかった。

もう少し乾いた、静かな何かだった。

母が亡くなって少し経った頃、私はMに偶然、駅で会った。

Mはすぐに私に気づいて「お前、変わらないな」と言った。

私はMに気づいていなかった。

Mは髪が薄くなり、少し太っていた。

スーツの肩のあたりがくたびれていた。

けれどMの表情は、駒場ときよりずっと穏やかだった。

私たち駅前の安い居酒屋に入った。

Mは結婚していた。

子供が二人いた。

の子中学生で、下の子小学生だと言った。

仕事は、私が風の噂で聞いていた通り、ある官庁にいた。

Mは私の近況を聞かなかった。

たぶん聞かないほうがいいと判断したのだろう。

代わりに、駒場の頃の話をいくつかした。

「お前、覚えてる? あの語学クラス和訳の輪。Kがやってたやつ」

「ああ」

「俺、あれに助けられたんだよ」

「助けられた?」

「うん。俺さ、地方から出てきて、最初お前と似たような感じだったじゃん。一人でやれば全部できる、みたいな。けどKがしつこく誘ってくれてさ。最初は俺も、うざいと思ってたんだよ。けど何回か行ってみたら、自分が見えてないところを他のやつが見えてたりするんだよな。それで俺、考え方を変えたんだ。一人で全部やる必要はないって」

私はハイボール一口飲んだ。

Mが続けた。

「あれが俺の人生の、たぶん一番大きな転換点だった。あそこでKに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。今の仕事、俺一人じゃ絶対できないからな。役所って根回しの世界から

私は頷いた。

Mが私をちらっと見た。

「お前は行かなかったよな、あの輪」

「うん」

「何で行かなかったんだ?」

しばらく答えられなかった。

それから、ようやく言った。

「行く必要がないと思っていた」

Mはそれ以上聞かなかった。

私たちはもう一杯ずつ飲んで別れた。

Mは終電で帰っていった。

最後に「また飲もうな」と言った。

私も「うん」と言った。

私たちはその後、一度も飲まなかった。

二人とも、それをわかっていたと思う。

家に帰る電車の中で、私はずっとMの言葉を考えていた。

Kに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。

Kは私のことも引っ張ろうとしていた。

「気が向いたら、声かけて」

「お前さ、たまには誰かに頼ってもいいんじゃない?」

「一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」

Kは私に何度も手を差し出していた。

私はその手を毎回振り払っていた。

Kを軽く見ていた。

軽く見ることで、自分プライドを守っていた。

そのプライドのために、人と一緒に何かをするということを、生涯、覚えそこねた。

電車の中で初めて認めた。

あいつは、ずっと間違えていたわけじゃなかった。

あいつは、正解を一人で出すことを最初から諦めていただけだった。

から、みんなで間違えたあと、みんなで直すことができた。

俺は、一度も間違えないために、一度も誰とも直せなかった。

これを四十五歳の電車の中で、ようやく言葉にできた。

涙はまた出なかった。

代わりに、車両のドアの上の広告文字が妙にはっきり見えた。

人生は、一度きり」

そんなことが書いてあった気がする。

正確には覚えていない。

四部 一年生の君へ

ここまで書いてきたことを、まとめる必要はないかもしれない。

ただ、もう一度だけ君に語りかけたい。

君がもし、私に少し似た人間なら聞いてほしい。

勉強がそれなりにできる。

一人でいることを苦にしない。

周りが少し幼く見える。

雑談時間無駄だと感じる。

「言い方」を装飾だと思っている。

人に頭を下げることを敗北だと感じている。

もしそうなら聞いてほしい。

その感覚は、君が地頭がいい証拠ではない。

君が、自分より上の人間にまだ会っていない証拠だ。

君が会っていないのは、君が悪いからではない。

たぶん環境のせいだ。

地方進学校

中堅校で一番頭がいい子。

学年で目立つ秀才

そういう環境にいると、自分の上が見えない。

自分天井が見えない。

から自分能力過大評価する。

過大評価しているという自覚も持てない。

これは君の責任ではない。

ただ、これからは君の責任だ。

なぜなら君は今、東京大阪や、その他の大学に出てきている。

そこには君と同じか、君より上の人間が必ずいる。

中学生ときからもっと厳しい競争経験してきた人間が必ずいる。

そういう人間に、君はこれから確実に出会う。

そのとき、どう振る舞うか。

それが君のこの先三十年を決める。

選択肢は大きく二つある。

一つは、その人間を軽く見ることだ。

あいつは要領がいいだけだ」

あいつは育ちがいいだけだ」

あいつは一人で考える力がない」

そう評価して、自分プライドを守ることだ。

これは簡単だ。

すぐにできる。

何の努力もいらない。

プライドが守られる。

気持ちがよい。

私が選んだのはこっちだ。

そして、その代償をこの四十七年間で払い続けている。

もう一つは、その人間に頭を下げることだ。

「すごいですね」

「教えてください」

「どうやってそんなに上手くやるんですか」

そう聞くことだ。

これは難しい。

プライドが傷つく。

気持ちが悪い。

自分が小さく感じられる。

けれど、こっちを選べる人間は二十年後、ほぼ確実に生き残る。

なぜなら、こっちを選んだ瞬間から、君の能力自分能力だけでなくなるからだ。

君は自分より上の人間能力を、少しずつ自分の中に取り込んでいけるようになる。

これは私が二十年かけて気づいたことだ。

人間が成長するのは、自分一人で勉強しているときではない。

自分より上の人間に、自分の間違いを笑いながら指摘されたときだ。

そしてもう一つ。

性格をよくしろ

これは道徳の話ではない。

君が長く生き延びるための技術の話だ。

性格をよくする」というのは、誰にでも愛想よくすることではない。

人と一緒にいるときに、その人が「君と一緒にいて楽だ」と感じるように自分の振る舞いを設計することだ。

これを十代後半のうちにやっておかないと、後からやり直すのが本当に難しい。

人間性格は、二十代の前半まではまだ柔らかい

二十代の後半から急速に固まる。

三十代に入ると、ほとんど固まる。

四十代になると、もう変わらない。

私は四十代の自分を見て、それを知った。

君は今、二十歳前後だ。

君の性格はまだ柔らかい

固まる前に修正してくれ。

修正方法は難しくない。

ただ、毎日こう言える人間になることだ。

「ごめん」

「教えて」

「ありがとう」

自分が間違っていた」

この四つを軽く、自然に言える人間が長く生き延びる。

この四つを重く、特別なこととして言わなければならない人間は、私のように誰とも何も直せなくなる。

この四つの言葉はみんな、同じことを言っている。

「私は完璧ではない」

「私は、あなたの助けが必要だ」

「私は、変われる」

それを認められる人間が、変われる人間だ。

ここで最後に、一つだけ付け加えたい。

私はこれまで、「人に合わせるな」「集団は誤答を選ぶ」「会議ノイズだ」「調整は知性の敗北だ」と思ってきた。

その認知は、地方進学校の中では半分は事実だった。

けれど社会に出てからは、別の事実があった。

集団はたしかに誤答を選ぶこともある。

けれど、その誤答を修正する力もまた集団の中にある。

一人の人間は、自分の誤答を自分ではなかなか直せない。

人間は、自分の見え方の中で考えるからだ。

自分の見え方の外側にある誤答には、自分一人では気づけない。

から誤答を直すには、自分の見え方の外側を持ってくる必要がある。

それを持ってきてくれるのが他人だ。

正確に言えば、他人と作る関係だ。

この関係若いうちに作っておかないと、君の認知は君一人の中で閉じる。

閉じた認知は、いずれ現実とずれる。

現実とずれた認知は、現実によって罰せられる。

その罰が、私の四十代だった。

君には、その罰を受けてほしくない。

この手紙を、ここで終える。

書きながら何度か、自分のことが嫌になった。

いや、本当のことを言えば、何度か自分のことをまだ正当化したくなった。

「あの会議で、俺は本当に正しかった」

「あの上司が、俺を理解できなかったんだ」

「Kは、俺ほど深くは考えていなかった」

そういう声が、今でも私の中で聞こえる。

たぶん、その声は死ぬまで消えない。

けれど私は、その声をもう信じない。

その声を信じてきた人間の末路が、私だからだ。

私は君に、私と同じになってほしくない。

私はもう、どこにも戻れない。

母も父も、もういない。

KともMとも、もう会わない。

私の若い頃のクラスメイトたちは、たぶんそれぞれの家庭で、それぞれの夕食を食べている。

私には夕食を一緒に食べる相手がいない。

これは自業自得だ。

誰のせいでもない。

けれど君は、まだ間に合う。

君はこれから出会人間に、頭を下げられる。

これから「ごめん」「教えて」「ありがとう」自分が間違っていた」を毎日言える。

これから人と一緒に間違えて、人と一緒に直せる。

それを君のうちに習慣にしてほしい。

二十歳の君の習慣は、四十歳の君の人格になる。

四十歳の君の人格は、君の人生のものになる。

二十歳の君が人に頭を下げることを覚えれば、四十歳の君は誰かに助けられる人間になる。

二十歳の君が自分の間違いを認めることを覚えれば、四十歳の君は間違える前に人に相談できる人間になる。

二十歳の君が雑談大事にすることを覚えれば、四十歳の君には夕食を一緒に食べる相手がいる。

これは綺麗事ではない。

私という見本が、空席のまま証明している技術の話だ。

最後に、もう一度だけ。

正しさは、人に届かなければ現実を変えない。

一人で正解を出せる人間より、人と一緒に間違えて直せる人間のほうが長く生き残る。

集団はたしかに誤答を生む。

けれど、誤答を直す力もまた集団の中にある。

その集団に、君が入っていけるかどうか。

それが君のこれからの三十年を決める。

私は入っていけなかった。

その理由をたくさん書いてきた。

けれど本当の理由は、たぶん一つだ。

私は怖かったのだ。

人と一緒にいて、自分特別ではなくなることが怖かった。

その怖さを、私は「孤独を選ぶ強さ」と自分に言い聞かせていた。

それは強さではなかった。

ただの臆病だった。

君が私と同じ怖さをもし持っているなら、その怖さに名前をつけてやってほしい。

「臆病」と。

名前をつければ、君はその怖さに対処できる。

名前をつけずに、それを「強さ」と呼び続ければ、君は私になる。

長くなった。

これで終わる。

君が今夜、誰かと夕食を食べられますように。

君が明日の授業で、誰かに「教えて」と言えますように。

君が来週、自分より少し上の誰かに頭を下げられますように。

君が来月、自分の間違いを笑って認められますように。

君が来年、誰かと一緒に何かを失敗できますように。

君が十年後、誰かと一緒にその失敗を直せていますように。

君が二十年後、私のように、見知らぬ若者へ誰にも頼まれない手紙を書く人間にならずにすみますように。

これは説教ではなく、

これは祈りだ。

四十七歳の、一人の失敗した人間から祈りだ。

どうか。

私のようには、ならないでくれ。

2026-05-05

anond:20260505185425

それもあなた感想ですよね?

議論してないから成立してないって言われても意味ない」って言ってますけど、じゃあ逆に聞きたいんですけど、成立してないやり取りをわざわざ続ける意味って何なんですか?時間無駄って理解しててやってるってことですよね?

あと、「ただのレスバです」って自分で言っちゃってる時点で、中身の正しさより感情優先って認めてるわけじゃないですか。それって結局、「自分発言検証される前提にないです」って宣言してるのと同じなんですよね。

で、「だから何?」ってスタンス取るのは自由なんですけど、その場合って相手から「じゃあ中身ないよね」って扱われるのもセットで受け入れる必要があるんですよ。そこ切り分けて「これはレスバだから批判するな」はちょっと都合よすぎません?

結局、「議論じゃないからセーフ」っていうより、「反論されたくないか議論土俵から降りてる」だけに見えますけどね。そういうの、第三者から見ると普通に逃げてるように映りますよ。

2026-05-01

引退してひっそり一人で暮らしている元芸能人の一日

朝6時に目が覚める。目覚ましは使わない。若い頃の習慣がまだ残っているのか、だいたい同じ時間自然と起きる。しばらく天井を見てからゆっくり起き上がる。

台所で湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れる。昔は豆にこだわっていた時期もあったが、今はこれで十分だと思っている。テレビはつけない。ニュースの音が妙に遠く感じるからだ。

朝食はトースト一枚とゆで卵冷蔵庫の中身はいつも似たようなものだ。食べ終えると、軽く洗い物をしてから近所を散歩する。顔を合わせる人はほとんどいないが、それが気楽でいい。

帰宅してから、少しだけ古いアルバムをめくる。仕事で写った写真もあるが、見る時間は長くない。懐かしさよりも、どこか他人人生を見ているような感じがする。

昼は簡単に済ませる。昨日の残りの味噌汁ご飯を入れて雑炊にすることが多い。食後はしばらく本を読む。昔は台本ばかり読んでいたが、今は小説歴史の本が多い。

午後は特にすることがない日もある。掃除をしたり、古い服を整理したりする。捨てるかどうか迷う物が多い。結局そのまま戻してしまうこともある。

夕方、少しだけテレビをつける。バラエティ番組の笑い声が流れてくるが、自分がそこにいた頃のことはあまり思い出さないようにしている。思い出しても仕方がないと分かっているからだ。

夜は早めに風呂に入る。湯船に浸かりながら、特に何も考えない時間が一番落ち着く。上がってから、軽く夕食をとる。酒はほとんど飲まなくなった。

10時前には布団に入る。部屋は静かだ。誰かに見られることも、評価されることもない一日が終わる。それを寂しいと思う日もあれば、これでいいと思う日もある。

今日は、どちらでもない一日だった。

2026-04-26

娘と孫について話しをさせてほしい

何よりも、自分よりも、この世の何よりも大事な娘が18年前に亡くなった。やさしくかわいく、娘が笑うと感じたことのない暖かさを感じた。娘が妊娠中に病気が見つかったけれど、娘は妊娠継続し産むことを選んだ。私はまだ会ったことのない孫より、娘の方が大事だったので、何度も何度も治療を優先してほしいとお願いした。でも、娘は孫を産んで、「お母さん産むのを許してくれてありがとうね。先に死んじゃってごめんね」と言った。

孫の世話は私がすることになった。赤ちゃんのころは、育児のつらさよりも、娘がいないつらさがあり、ミルクをあげていても涙がとまらない夜も何度もあった。立ったり、歩いたりしても「娘に見せてあげたい」と思い、また涙がでた。代わりに自分病気になればよかったのにと思ってまた泣いた。

幼稚園に入る頃には、孫は娘そっくりに育っていて、とてもかわいいと思うようになった。孫には「おばあちゃん」と呼ばれていた。周りを真似てママと呼ばれたことがあるけれど、ママはちがうと伝えた。娘が命をかけてもほしかったものを、私が奪ってしまうのは違うと思った。

孫には娘がしてあげたかったであろうことを全部してあげようと思った。さみしい思いやかなしい思いはしてほしくなかった。毎日楽しいことがたくさんあったけれど、楽しいと思うことが許されないことのように感じた。娘がしたかたこと、感じるべき楽しさを、私が得ることで、娘がいなくなってしまうような気がした。

娘にはあまり勉強を厳しく言わなかった。娘の夢はいつも「お母さんみたいなお母さんになりたい」だった。小学生になった孫には、科学教室や塾に通ってもらった。しんどそうにしていたら辞めてもいいと伝えていたが、「たのしい」と言っていたので安心した。中学受験もしてくれ、将来はお医者さんになりたいと言っていた。孫は「おじいちゃんの母校にいきたい」と言い、無事に合格してくれた。孫の祖父である私の旦那はとても喜んでいた。

孫は本当に良い子で、優しく、娘とそっくりの笑い方をする。今年あった関西万博にも何度も一緒にいってくれた。2人で年パスを買い、孫が3日前予約や当日予約を駆使してたくさんのパビリオンを回らせてくれた。「大学は忙しいだろうし、おばあちゃんとばっかり遊ばなくて大丈夫なのに」と伝えたら、「おばあちゃんといるのが楽しいだけ〜」と答えてくれた。いろいろな国のパビリオンを見る孫の顔を見ていたら、ふともうすぐ娘と過ごした時間よりも、孫と過ごした時間の方が長くなると思った。

娘が亡くなったことは受け入れられているけど、私が忘れてしまったら、娘はどうなるのか。娘と同じくらい、孫のことも本当にかわいく大事で大好きに思っている。それが私はとてつもなく怖かった。娘の気持ちを考えると胸が締め付けられるように痛くなった。

亡くなった祖母アンドロイド身体に移すことを扱ったパビリオンがあった。孫がおばあちゃんの心をアンドロイドに移して欲しいと希望する映像が流れた。孫は涙を流して、「私もおばあちゃんにはアンドロイドに移ってでも、ずっと一緒にいてほしい」と言った。私はパビリオンを出てからも、涙が止まらなくなった。私が泣いていたら、孫は「私がおばあちゃんからお母さんを奪ってしまったのに、ごめん」と言った。私は娘も孫もどちらも大事で、孫のことを娘を奪ったなんて思った事はない。娘から強く望まれて生まれてきたのに、私がそんな気持ちにさせてしまった。

私は2人ともが、楽しく元気に生活してほしかった。娘にも生きていてほしかったし、孫も生まれてきてほしかった。大屋リングで座りながら、うまく伝えられたかはわからないけれど、孫も心から大事であることを伝えた。孫は照れくさそうに笑って、その日は、帰りのフェリー子どもの時と、同じような顔で眠っていた。

なんだか誰にも言えないので聞いて欲しかっただけです。万博とても楽しかったですね。年齢などは少し変えて書きました。読んでくれてありがとうございました。

2026-04-23

明日卵子を凍結する

今年で40歳独身一人暮らし

相手もいないし「おかあさん」に向いてない、それなのに子どもが欲しい。

子どもかわいいじゃん。いや、かわいいだけじゃないの知ってるけど。時と場合によればかわいさより大変さが勝るのも、それはそれはよく知ってるけれども。

卵巣予備能つって、卵子在庫候補がいっぱいあるとかないとか血液検査で調べられるんだって。私の場合は調べたら結構あった。検査結果値が3とかそこら。

お金積んだら、卵子注射針で取り出して急速冷凍して取っておけるんだって

卵子在庫候補の卵胞ってのがいっぱいあっても、中を吸い出したら空っぽだったとかで在庫候補の数そのまま卵子が取れるわけじゃないんだって

でも、お金積んだら、薬で卵胞を複数育てて、一度に10個とか、卵子が取れることもあるんだって

一時期死ぬほど話題になったから知ってる人は知ってるだろうけど、卵子は老化の影響で受精しづらい・受精しても育たない個体ちょっとずつちょっとずつ増えていくんだって

そもそも10個なんて取れない人もザラだし、取るだけ取ったけどちゃんと熟してない卵だったりもするんだって。結果として一度に1個しか取れない人も普通にいるし、その1個が無事受精して着床して妊娠出産に至った人も結構いるんだって

お金を積んだら、何回も何回も卵取りにチャレンジして、卵を凍らせて貯めておけるんだって

私の場合は、在庫候補自体うまいこと数が揃ったから、すごいラッキーだったら、10個取れるかもしれないんだって

10個取れても出産に当たる確率は50パーあるかどうかで、トシを考えると25個以上は欲しいとこなんだって

相手もいないのに卵子だけ。部署女性陣は私以外みんな既婚子持ちだ。

大金かけて、薬の副作用にも耐えて、ひとりでみじめだしバカみたいだよね。

でもやる。

無駄足掻きだと思うけど、どうせならやれるだけのことは全部やってから「だめだったあ!!」って泣き喚きたい。

今のところ目下の悩みは、普通に施術自体が怖いってこと。現時点でずっしり重い鈍痛がずっとあるこの下腹の、イクラの塊みたいに水胞でぷくぷくになってるであろう内臓に、局所麻酔だけで注射針ブッ刺してチューーーッて中身吸い出すんだって

怖すぎる。

でも今更逃げられない

dorawii@新刊発売(予定)

あとそうやって直していくと他もどんどん直していってそのうち文章個性がなくなりそう

自分なら正しさより個性を選ぶ

モスバーガーはその個性のおかげでネット史に残っているという意味成功例だと思っているぐらいなんで。

伝える努力というが、ぶっちゃけ中学ですら何言ってるのかわからない詩にいくらでも出会うからね。

草野新平のるだけ書いてるやつとか。それも正しさではなく個性をとった結果。

dorawiiより


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dorawii@新刊発売(予定)

それは今の国語力を繕うことになるよね?それはよくないことだと思ってるんだよ。

あとそうやって直していくと他もどんどん直していってそのうち文章個性がなくなりそう

自分なら正しさより個性を選ぶ

モスバーガーはその個性のおかげでネット史に残っているという意味成功例だと思っているぐらいなんで。

dorawiiより


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2026-04-19

男性には責任能力がない

男女間のトラブルにおいて常に女性が責められる背景には、男性には責任能力がない」という前提に基づいた、以下のような特異な論理構造があります

1. どちらが加害者でも「女性が悪い」とする論理

トラブルの主導権や非がどこにあるかにかかわらず、最終的な責任女性帰結させる論理が展開されています

2. 「自衛」と「選択」への過剰な責任追及

女性被害に遭った際、加害者である男性を責めるのではなく、被害である女性側に落ち度を求める論理です。

3. 管理・清掃・教育責任女性転嫁する論理

男性不適切な行動(マナー違反衛生観念の欠如)さえも、周囲の女性責任とされる論理です。

4. 男性側を「無敵」化する前提条件

これらの論理根底には、男性「常に心神喪失状態」にある存在として扱う、皮肉的な前提があります

男性には「ありとあらゆる能力が欠如している」ため、そもそも責任を問うこと自体無意味であり、消去法的に女性が全ての責任を負うべきだという極端な思考モデル提示されています

 

このように、男性責任を取れない存在である」という免責と、女性はあらゆる事態予測管理すべきである」という過度な責任付けが組み合わさることで、「あらゆるトラブルにおいて常に女性が責められる」という不条理論理が完成しています

男性には責任能力がない

出典の内容に基づくと、男女間のトラブルにおいて常に女性が責められる背景には、男性には責任能力がない」という前提に基づいた、以下のような特異な論理構造があります

1. どちらが加害者でも「女性が悪い」とする論理

この主張の中では、トラブルの主導権や非がどこにあるかにかかわらず、最終的な責任女性帰結させる論理が展開されています

2. 「自衛」と「選択」への過剰な責任追及

女性被害に遭った際、加害者である男性を責めるのではなく、被害である女性側に落ち度を求める論理です。

3. 管理・清掃・教育責任女性転嫁する論理

男性不適切な行動(マナー違反衛生観念の欠如)さえも、周囲の女性責任とされる論理です。

4. 男性側を「無敵」化する前提条件

これらの論理根底には、男性認知症」や「常に心神喪失状態」にある存在として扱う、皮肉的な前提があります

このように、男性責任を取れない存在である」という免責と、女性はあらゆる事態予測管理すべきである」という過度な責任付けが組み合わさることで、「常に女性が責められる」という不条理論理が完成しています

2026-04-16

海賊版についてなぜ日本海外永遠に噛み合わないのか

海賊版論争を見るたびに思うのだが、この話で人々が最初にやる間違いはだいたい同じだ。

それは、これを善人と悪人の戦いだと思い込むことである

日本側は「海賊版窃盗だ。作者に敬意がない」と言う。 海外側は「正規で読めないんだから仕方ない。供給しない側が悪い」と言う。

そして両者とも、自分けが現実を見ているつもりでいる。 もちろん、いつものことだ。インターネット論争というのは、だいたい自分の見ている半分の真実宇宙の全真理だと思い込んだ人たちが、残り半分を見ている人間野蛮人扱いすることで成立している。

だがこの件で本当に面白いのは、双方とも半分ずつ正しいということだ。 そして、半分ずつ正しい議論というのは、完全に間違った議論より始末が悪い。なにしろ本人たちは「自分は正しい経験」を実際に持っているので、相手が何を見てそう言っているのかを理解しようとしない。

その結果、海賊版論争はいつも道徳劇にされる。 盗人だの、既得権益だの、敬意がないだの、時代遅れだの。 気持ちはわかる。人は道徳劇が好きだ。構造の話より、悪人の話のほうがずっと気分がいいかである

しかし残念ながら、この問題の核心はモラルではない。 価格であり、供給であり、制度であり、インセンティブである

道徳は「海賊版はいけない」と言うことはできる。 だが「なぜ、いけないことがこれだけ大規模に起きるのか」は説明できない。 それを全部「モラルの低下」で説明するのは簡単だが、簡単であることと有能であることは違う。風邪を全部「気合いの不足」で説明する人間医者ではないのと同じだ。

海賊版が広がるのは、人々が特別邪悪からではない。 正規版より安く、速く、便利だからである。 まずこの当たり前の事実から出発しないと、議論最初の五分で終わる。

1.よくある説明は、だいたい半分だけ正しい

この手の論争には定番説明がいくつかある。

まず、「海外海賊版に寛容で、日本けが厳しすぎる」というやつ。 これが魅力的に見える理由はわかる。実際、日本では海賊版に対する嫌悪感がかなり強く、クリエイターの怒りも前面に出やすい。他方で海外では、違法視聴違法閲覧がかなりカジュアルに語られることがある。だから日本けが異常に神経質なんじゃないか」という印象が生まれる。

でも、ここで「海外自由進歩的日本は閉鎖的で遅れている」という、いかにもSNS向きの雑な物語に飛びつくとだいたい失敗する。 違うのは、著作権保護の有無というより、どこに責任を集中させるかという制度設計の差だ。日本権利者の感覚が強く前に出やすいし、英米圏はプラットフォーム責任フェアユース議論が混ざる。見え方が違うだけで、どこも別に著作権仙人のような寛容さで見守っているわけではない。

次に、日本側に多い「海賊版モラルの欠如だ」という説明。 これももちろん一理ある。違法コピーなのだから、悪いに決まっている。 だが、何百万人規模で繰り返し起きる行動を、ひたすら人々の人間性の腐敗で説明しようとするのは、説明というより願望である自分悪人を見抜いたつもりになれて気分はいいが、なぜその行動が再現されるのかは何一つ説明していない。

逆に海外側には、「正規供給が遅いのだから海賊版が広がるのは当然」という説明がある。 これもかなり正しい。とりわけ連載マンガや毎週更新アニメのようなコンテンツでは、内容そのものだけではなく、みんなと同時に消費すること自体価値になる。ネタバレは飛んでくるし、議論にも乗り遅れるし、数か月後に合法的に読めますと言われても、その頃には祭りは終わっている。

ただし、これも全てではない。 供給改善されても海賊版が消えないなら、問題タイムラグだけではない。そこには「ゼロ円」で「検索一発」で「広告で維持される違法供給」と、「固定費を回収しなければならない合法供給」の競争条件の差がある。

まり、よくある説明は全部、一理ある。 だが一理あることと、それで全体が説明できることは別だ。 SNSではこの区別がしばしば消える。なぜなら、一理ある話のほうが、複雑だがより正確な話より、ずっと気持ちよく怒れるからである

2.海賊版問題は、まずデジタル財の問題である

マンガアニメのようなデジタルコンテンツのやっかいなところは、作るのには金がかかるのに、複製するのにはほとんど金がかからないことだ。

1話作るのは大変だ。 1冊作るのも大変だ。 人件費がかかる。編集がいる。作画がいる。翻訳必要だ。監修もいる。配信網もいる。固定費は重い。

しかし、いったんできたものを、もう1人に読ませるコストはほぼゼロだ。 すると何が起きるか。 当然、固定費を払っていない側が圧倒的に有利になる。

正規事業者は、その固定費を回収しなければならない。だからゼロ円にはできない。 だが海賊版サイトは、その固定費負担していない。他人投資で生まれものコピーしているだけなので、極論すればほぼタダで配れる。 この時点で、「正規版が正しいのだからつべきだ」という願望は、経済学的にはかなり厳しい。正しさはコスト構造を変えないからだ。

そして国際市場では、さらに話がややこしくなる。

日本で700円が普通でも、別の国では高い。 英語圏では払えても、別の言語圏では厳しい。 なら国ごとに価格を変えればいいじゃないか、という話になるが、デジタル財は国境と相性が悪い。安い地域価格が高い地域に流れ込むのを完全には防ぎにくい。VPN時代に、地域価格理論上は正しくても、実務上は簡単に穴があく。

しか翻訳にはコストがかかる。 ライセンス交渉にも時間がかかる。 市場規模が小さい言語圏では、そもそも商売として成立しないこともある。

その結果として起きるのは、非常に単純なことだ。 ある国では合法的に安く速く読める。 別の国では高いか、遅いかそもそも存在しない。 その空白を埋めるのが海賊版である

ここで「海賊版利用者泥棒だ」とだけ叫んでも、たぶん何も起きない。 なぜなら、その人はたいてい、検索一発で読めるゼロ円の選択肢と、見つけるのも面倒で高くて遅い正規版を比べて行動しているからだ。 不快だろうが、それが現実だ。

3.日本海外で噛み合わないのは、法だけではなく感覚が違うから

この問題さらにややこしくしているのは、単に値段や供給速度の違いだけではない。 著作権のものに対する感覚が、かなり違う。

日本では、作品比較的強く「作者のもの」だと感じられている。 これは単に収益権の話ではない。人格の延長として受け止められやすい。だから無断転載や無断翻訳に対して、単なる売上の損失以上の怒りが生まれる。

海外、とくに英米圏には、もちろん著作権保護はあるが、それと並行して「公表された作品議論や変形的利用の素材にもなる」という感覚日本より強い。フェアユース的な発想がその象徴だ。

ここでよくあるのが、「海外自由で、日本は古い」という雑な整理であるインターネットはこういう二元論が大好きだ。たぶん脳のカロリー消費を抑えられるからだろう。 だが現実はもう少し不快に複雑だ。

日本には日本なりの整合性がある。 作品同一性や作者の意思を重く見るのは、単なる後進性ではなく、一つの権利思想である英米には英米なりの整合性がある。 作品公共的な議論に開かれるべきだというのも、一つの思想である

問題は、両方が自分の前提を「普通」と思っていることだ。 そして普通同士がぶつかるとき、人は驚くほど簡単相手野蛮人だと思う。

このズレがもっと露骨に出るのが二次創作だと思う。

日本では、多くの二次創作は法的にはかなり危ういのに、実務上はかなり広く黙認されてきた。 これは綺麗な制度ではない。かなりいびつだ。 だが、そのいびつさの上でコミュニティが回ってきたのも事実である。 つまり日本では、明文化された一般ルールより、「権利者が最後統制権を持ったまま、周辺をお目こぼしする」という形で秩序ができている。

英米的な感覚からすると、これはかなり不透明に見えるだろう。 ルールがあるのかないのか、はっきりしろと思うはずだ。 そして「二次創作はよくて海賊版はなぜダメなんだ」という問いも出てくる。

だが日本側の感覚では、そこは全然同じではない。 前者は、少なくとも創造的な付け足しやコミュニティ内部の礼儀の中にある。 後者は、単なる無断コピー流通だ。 この差は、日本側には大きく見えるし、海外側にはしばしば曖昧に見える。

まり、ここでも両者は同じ単語を使いながら、別のゲームをしている。

4.古い建物の保存観に少し似ている

ここで話を少しずらす。

日本では、古い建物を壊して新しく建てることへの心理的抵抗比較的低い。 街は更新される。建物は入れ替わる。古いものをそのまま残すことより、機能的に更新することのほうに価値が置かれやすい。

一方、欧米では歴史的建造物物理的な形態のものに重い価値が置かれることが多い。 もちろん全部ではないが、「オリジナルを残すこと」自体道徳的含意を持つ。

これはそのまま著作権の話ではない。 建物マンガを同じにするのは乱暴だ。 だが、文化的な資産を誰のものとして、どう扱うかという深層の感覚には少し通底するものがある。

日本では、作品最後まで作者や権利者の意思に強く帰属するという感覚がある。 絶版にしたいなら絶版にする。再公開しないならしない。 乱暴に言えば「それは持ち主の権利だ」という発想だ。

他方で海外には、「公表された文化公共財的な性格をある程度帯びる」という感覚日本より強く存在する。 だから絶版作品アクセス可能にするのは文化保存だ」という理屈が出てくる。

この理屈は、気持ちはわかる。 実際、消えた作品や読めない作品があること自体を損失だと感じるのは自然だ。 だが、その理屈がそのまま海賊版免罪符になるかというと、そこはかなり怪しい。 文化保存は美しい言葉だが、翻訳配信アーカイブもタダではない。そして、そのコストを誰が負担するのかという最も不愉快問題になると、急にみんなロマン主義者になる。

まりここでも、対立善悪ではなく優先順位の違いだ。 統制を優先するのか。 アクセスを優先するのか。 作者の意思を重く見るのか。 文化の開放性を重く見るのか。

どちらかが完全に正しい、という話にしたがる人は多い。 たぶんそのほうが気持ちがいいからだ。 しかし残念ながら、社会はだいたい、気持ちさより面倒くささの上にできている。

5.結局これは、市場がまだ世界に追いついていない話だ

ここまでの話をものすごく乱暴にまとめると、こうなる。

海賊版蔓延は、モラル崩壊ではない。 デジタル財のコスト構造、国際市場の分断、価格差別の難しさ、翻訳ライセンスの遅さが合成された結果である

まりこれは、市場の失敗の話だ。

ここで「市場の失敗」と言うと、すぐ誰かの悪意の話だと思う人がいる。 いつものことだ。 だが市場の失敗というのは、必ずしも誰かが怠慢だったという意味ではない。 むしろ、全員がそれなりに合理的に動いた結果としても起こる。

日本権利者は、国内収益を守りつつ海外展開のリスク管理しようとする。 当たり前だ。 海外ユーザーは、手に入らない、遅い、高い、読めないという状況で、もっとも低コスト選択肢流れる。 これも当たり前だ。 海賊版サイトは、トラフィックが集まり広告収入が入るなら供給を続ける。 それも当たり前だ。

まり、全員がだいたい自分立場合理的に振る舞った結果、全体としてはひどい均衡ができる。 これが市場の失敗でなくて何なのか。

日本側が見落としがちなのは、「海賊版は悪い」と百万回言っても、便利さと価格で負けている限り、人の行動は変わらないということだ。 海外側が見落としがちなのは、「供給が不十分だから仕方ない」というのは説明にはなっても、正当化にはならないということだ。 権利者の投資回収が完全に崩れれば、長期的には供給のもの痩せる。当たり前の話である魔法のように作品が生えてくると思っているなら、それは経済学ではなく信仰だ。

ではどうするのか。 答えはあまりロマンチックではない。

もっと安くする。 もっと速くする。 もっと見つけやすくする。 もっと地域ごとの現実に合わせる。 そして違法供給資金源を断つ。

要するに、説教より設計である断罪より供給である。 徳の話より、インセンティブの話である

たぶんこれしかない。 なぜなら、人間インターネットで急に聖人にはならないからだ。

6.最後

インターネット国境を消した、とよく言われる。 実際には、消したのは国境のものではなく、国境が見えなくなるまでの時間だけだった。

法制度の差は残った。 所得の差は残った。 言語の差は残った。 権利処理の遅さも残った。 その上に、誰でも一瞬でコピーできる技術けが乗った。

だったら海賊版が広がるのは、むしろ当然である不道徳から広がったのではない。 広がるように世界ができていたから広がったのだ。

そして海賊版論争がいつまでたっても噛み合わないのも、同じ理由である。 人々は、自分道徳感情の話をしているつもりでいる。 だが実際には、価格表が未完成世界で起きている摩擦を、善悪物語翻訳しているだけなのだ

こういうと冷たいと言われるかもしれない。 しかし冷たいのは現実のほうである現実はしばしば、魂の堕落より、流通設計の不備で説明できてしまう。

人は悲劇道徳劇にしたがる。 だが今回の話はたぶん違う。 これは堕落物語ではない。 文明の衝突ですら、半分しか正しくない。

もっと地味で、もっと厄介で、そしてたぶんもっと本質的な話だ。

これは、世界市場がまだ作品にふさわしい値札を貼れていない、というだけの話なのである

2026-04-11

理想ちんこを発表する

理想ちんこって、男女で変わるよね。

男→とにかくデカい、剥けてる

女→清潔であってほしい。デカさより硬さ

そう考えると、理想ちんこはこれになる。

中くらいより大きめ、硬い、剥けていて、ちゃんと洗ってラベンダー香りがする

これをみんな目指してくれ!

2026-04-10

anond:20260410105305

アカを作り直す事の煩わしさより、やりとりを晒される事の方がダメージ大きいと思われ

2026-04-09

チー牛から脱却する方法

「チー牛っぽさ」を変えたいなら、特別なことよりも"清潔感姿勢・習慣"を整えるのが一番効く。

① 見た目(即効性あり)

ポイントは「オシャレ」じゃなく"普通以上の清潔感"

姿勢・体つき

→ 弱そうな雰囲気を消す

コミュニケーション

面白さより"感じの良さ"

生活習慣
  • 夜更かしを減らす
  • 外出を増やす
  • 新しいことを1つ始める

経験の少なさが雰囲気に出る

NG行動
まとめ

清潔感 + 姿勢 + 落ち着き」

これだけで印象はかなり変わる。

2026-04-08

chatgptにチー牛から脱却する方法検討させた

チー牛から脱却する方法

「チー牛っぽさ」を変えたいなら、特別なことよりも"清潔感姿勢・習慣"を整えるのが一番効く。

① 見た目(即効性あり)

ポイントは「オシャレ」じゃなく"普通以上の清潔感"

姿勢・体つき

→ 弱そうな雰囲気を消す

コミュニケーション

面白さより"感じの良さ"

生活習慣
  • 夜更かしを減らす
  • 外出を増やす
  • 新しいことを1つ始める

経験の少なさが雰囲気に出る

NG行動
まとめ

清潔感 + 姿勢 + 落ち着き」

これだけで印象はかなり変わる。

2026-04-05

アメリカ大学経営学を学んでいたころ、効率という言葉はまるで神様みたいに扱われていた。

少ない資源で最大の成果を出すことが世界進歩だと信じられていた。

フォードのT型フォードはその信仰象徴だった。

1908年に850ドルで登場し、ほとんどモデルチェンジをせずに作られ続け、最後には260ドルまで値段が下がった。

まるで同じ夢を何度も繰り返して見るみたいに、同じ形を作り続けることで、完璧を手に入れたのだ。

でも、日本に来てから、私はその夢から少し覚めたような気がする。

スーパーの棚に並んだしょうゆを見て、まず足が止まった。

狭い空間に、味も色も少しずつ違う瓶がぎゅうぎゅうに詰まっていて、その景色はまるで小さな惑星が密集している銀河のようだった。

アメリカスーパーではありえない光景だ。あちらの棚は広大だけれど、どれも同じメーカーの同じ製品ばかり。

ひとつ太陽しかない世界

効率はそこにあったけれど、選ぶ楽しみはどこにもなかった。

日本では、同じものを少しずつ変えることに意味がある。

ネジの長さが一ミリ違えば、それはもう別世界だ。

そのこまやかな違いへの執着は、たぶん美学に近い。

合理性を少し犠牲にしてでも、人の感覚に寄り添う。

たぶん、それがこの国の方法なのだろうと思う。

それは生産だけじゃなく、仕事のあり方にも重なる。

アメリカで働いていたときは、ゴールがいつもはっきりしていた。

最短距離をまっすぐ走ればよかった。

でも日本では、道がいくつもあって、そのどれもが正しいように見える。

効率というコンパスが効かなくなる。最近はそのせいで、少し迷うようになった。

効率よりも、正しさよりも、“誰かの満足”が優先される。

スーパーで棚の前に立ち尽くしていたあの日の私と、仕事デスクに向かっている今の私が、どこか似ている気がする。

たくさんの選択肢を前にして、どれが正しいかからない。

けれど、その迷いにこそ、人間らしさがある。

大量生産世界では、迷いは排除される。

でもこちらでは、迷うこと自体文化になっている。

私はときどき思う。

フォード工場ラインを流れていたあの黒い車たちは、本当に幸せだっただろうか。

同じ形のまま延々と作られることは、たぶん完璧の証だった。でも完璧って、どこか寂しい。

日本の棚にあるしょうゆの瓶みたいに、少しずつ違っていること。それがきっと、この世界を温かくしている。

障害者家族になるということ

今は私はベビーカー子供を乗せて、エレベーターを探す生活をしているがとにかく不便で仕方ない

今日車椅子を押す女性車椅子に乗った男性カップルを見かけたが、男性の見た目がいかにも好青年

身体障害があって、異性にモテるには、健常者以上の高い精神性が求められるんだろうな」と思った

そして、私は家族には「性格の良さ」よりも五体満足の健康体の方を求めるかもしれないと思った

私はベビーカーを押す生活から、1年後くらいには卒業して、エスカレーター階段自由に使える生活に戻るはずだ。ベビーカーに乗ってる下の子はもう歩けるが、上の子と下の子を両方歩かせると危険から、下の子ベビーカーに乗せている

下半身障害がある、車椅子に乗る家族がいたら不便な生活がずっと続いてしま

私自身も老いたら、自分の身かどんなふうに弱っていくのか知らないが、自分の足で動けて、不便のない生活が長く続いてほしい

車椅子に乗る人が、友達なら長く付き合えると思う。優しい人間のふりをして、障害理解があるような顔をしてずっと笑顔で付き合えるんだと思う

でも、家族車椅子の人がいたら、いちいちエレベーターを探さないといけないし、狭い店には入りづらいし

私のストレスは募る

自分自身が障害者になったとき立場想像したくもない

今の健常者の生活を知っているだけに、不便さに大きなストレスを感じると思う

それか、慣れるのかな?

とにかく、私は性格や人柄の良さより身体健康重視の人間なんだとわかった

2026-03-25

安くなると見たら安く感じる増田酢丸人隠すやら他見録る無くすや(回文

おはようございます

帰ってから風呂上がって、

ぷはー!って一杯やりたいじゃない!

そう言う時はだいたいハイボール決めるんだけど、

その日の体調によって一口目が、

ちゃうまー!って時と

なんかドカーンとくる美味さがない、

要はなんか美味しくないかも?ってのは

自分的には体調の良し悪しというかそれでコンディション自分の体調のコンディションを測れるのよね。

最近

風呂上がりのこの一口目がうまー!ってのが連発していてなんか調子いかも知れないわ!

いつもだいたい決まった配合の分量で作っているので、

その配合のブレでのうまー!とまずー!の違いの誤差は限りなく小さいはずなので、

単純にその時の体調や気分が計測できる感じのハイボール

そうなるってーと

分かるわよね?

うまー!ってなったときおつまみ美味しいの欲しいじゃない?

くー!

こういう時に限って蒸すようでストックしている野菜しかなく、

あんまりハイボールのお供にお野菜ってのも味は美味しいかもしれないけれど味気ないじゃない?

とはいえ

食べるラー油をそのまま小さなスプーンですくって直接ダイレクトに口に含んで、

クリスピーガーリックカリカリとこれは美味しい!って

食べるラー油つまみハイボールを決めるとなると

なんか終わったような気がしてやったことはないのよね。

から

何かおつまみ欲しいじゃん!

最近惣菜売り場でたくさんバラエティーに富みに富みまくりまくりすてぃーなラインナップ多いじゃない!

迷っちゃうの!

自分から探すのは面倒なので、

ここはじっくりお総菜売り場の今日の私を見て!って輝いている惣菜の声に耳を傾けてみよう!ってすると、

なぜか聞こえてくるの!

今日の私美味しくできてるわよ!とか

今日の私ブランニューなの!つまり製品新登場なの!美味しそうでしょ?とか

惣菜の声に耳を傾けてみると聞こえてくる惣菜の声で、

今日はこれだー!って選ぶようにしているわけ。

白いドレスオレンジのお花を纏ったような煌びやかなお総菜が私を呼んだような気がして、

「ぷるもち水餃子さくさくガーリックかけ」ちゃんが私を呼んでいるの!

おおお!

白いぷるんとして小さな水餃子オレンジ色の餡にからまったさくさくガーリックがとても美味しそうで思わず手に取って今日ハイボールのお供にしましょ!って。

ションテン爆上がりじゃない?

ぱく!

早速食べてみるわ!

うーん、

見た目の華やかさより地味な感じの味で要はなんかあんまり美味しくなかったかも?

マーケットのお総菜ってそういうことだってあるじゃない。

全部が全部スターじゃないというか。

でもこれはこれで見かけ派手に繕ってる苦労をしているあんまり人気なさそうな水餃子をお総菜売り場で登場できるように頑張って厨房のお総菜担当のひとが考えたレシィピだと思うと感慨深いわ。

でさー、

お総菜を買うと言っても、

好き放題買っていたらお金がたくさんかかるから慎重に選びたいじゃない。

とはいえ

あんまり買うと高くなっちゃうしー!って世界が抱える最大のジレンマ

お総菜トロッコ問題

線路の先にいる人を避けずに走る線路は先にいる人を轢いてしまうけれど、

トロッコの中のトレーに10貫ほどバラエティーに富んだお寿司が入っているパックはひっくり返らない。

とはいえ

線路の先にいる人を避けて急カーブ曲がってしまったら、

線路の先にいる人は助けられるけれど、

トロッコの中の美味しそうなトレーに10貫ほどバラエティーに富んだお寿司が入っているパックは、

トレーのパックの中でお寿司がひっくり返りまくるじゃない?

それがジレンマだわー。

から

お総菜をたくさん買っても最後マーケットのお寿司も美味しそうだな!って私を呼ぶ声が聞こえるけど、

ここは涙を我慢して売り場を通り過ぎるの!

ううう、

ゴメンね!

でも私の目の前に救世主が現れるの!

それはなんと!

お総菜よりどり3セット1000円セール

おおお!

これは1つを当たり前の値段で買うより300円ぐらい安くなるヒーローなの!

そのお総菜の三選手を選ぶべく、

でもさ、

お総菜で1000円とかって高いなぁって長中期的に躊躇してしまって、

そのお惣菜コーナーの前を行ったり来たりして、

一向に迷って手が付けられない事態ってあるじゃない。

それをえいや!って背中押してくれるよりどり3セット1000円セールなの!

でもここで我を忘れないでちゃんとお総菜の声も聞くのも大切なのよ。

ちゃんと私輝いているでしょ?って、

今日の美味しそうな惣菜の声を聴かないと、

ジブリ作品タイトルに一文字足してくださいって大喜利で『耳をすませば』を「耳をすませバカ!」ってなって怒られちゃうから

ここはしっかりとよりどり3セット1000円セールからといって油断できないの。

大切な1000円じゃない?

でもさー、

これが見方を変えると値段の値打ちが高いから安いになっちゃ呪文があるの、

私はそれを唱えたの!

お総菜の値段で考えるとちょっと高かな?って思うけど、

居酒屋で「おつまみ贅沢三種盛りセット1000円!」って唱えるとのなんか安く感じない?

ルービーやハイボールとかの酒代別として「せんべろコース待ったなしじゃん!って。

見方を変えたら安く見える呪文自分に唱えてみたら美事安く見えるじゃない!

見えるというか安く感じるじゃない!って。

そうなると3種類選定選ぶ作業がまた楽しくなるってものじゃない?

でも私にはタイムリミットがあって早く買ってハイボールを決めたい気持ち拍車をかけて逸っているから、

フレンチカンカンを頭の中に曲を流して買い物競争かの如くタニコーの五徳の上に乗せたフライパンでお総菜温め待ったなしって寸前までそこまで想像して、

いそいで3種類の、

よりどり3セット1000円セールを美事完走しきるのよ。

私はやったー!ってまるで熊の子見ていたかくれんぼお尻を出した子一等賞ってばりにお尻は見せないけれど一等賞を取った選手かのように、

よりどり3セット1000円セールで買った3つのお総菜を高く掲げてゴールテープを切るの!

そして、

帰ってから白いプレートによりどり3セット1000円セールで買った戦利品を並べるとパックのままよりかはまたお総菜の見栄えの迫力が増すから

パックのままよりかは一旦お皿に盛った方が良いってのは秘密にしておくわね!

よーし!

今夜もよりどり3セット1000円セール決めるわ!って

昨日張り切って買いに行ったけれど、

惣菜コーナーの売り場はマーケット閉店間際ですっからかんだったわ!

わず拍子抜けしそうになった私は

100メートル走のスタートでみんな選手クラウチングスタートの構えでピストルが打ち鳴らされるのを待っているけれど私だけスタンディングスタートのポーズで、

ピストルスタート一番ずっこけるような感じになっちゃったの!

あーあ、

お総菜売り場全部完売だわー!って。

しくしく。

寂しく今日おつまみはなしだけれど、

完売からって、

ちゃんハイボールでの乾杯は忘れなかったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

日食たかったけどなんとなく止めておいて買わなかった納豆巻きにしました!

イエーイ!納豆巻きめちゃうま朝のネバネバ美味しさマックスで沁みるわー。

朝の元気の源よ!

しっかり食べてしっかり働いているように端から見たらそう見えるようにするわ。

デトックスウォーターは、

ホッツ白湯ストレートウォーラーばかりなので、

今日はホッツルイボスティーウォーラーしました。

そろそろ水出しルイボスティーウォーラーも作っておいていいかしら?って思うぐらいだんだん暖かくなってきているので、

水出しルイボスティーウォーラーをこしらえていてもいいかも知れないわ!

ホッツルイボスティーウォーラー

ゆっくり飲んで温まったら、

よい1日のスタートよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

夢の出入り口について あるいはひとつエール

ホンダという夢の出入り口

ホンダという会社は、いつも夢の中と現実あいだを行ったり来たりしているように見える。

彼らがF1から去るとき、それはまるで、長くつき合った恋人に「少し距離を置こう」と告げるみたいに静かで、どこか苦々しい決断だ。

だけど、時間が経つと、やっぱりもう一度会ってみたくなる。風の匂いピアノの音みたいに、熱がふと蘇るのだ。

ホンダはいつも、夢と理屈中間で揺れている。

表向きは「環境技術への集中」「サステナブル未来」など、理性的で整った言葉を並べる。

けれど、その文章行間からは油と鉄の匂いが立ち上る。

理想現実調停をするようでいて、彼らの内側にはどうしようもなく「燃やすこと」への郷愁がある。

ピストン上下に感じるリズム、燃焼の拍動、風洞の夜に響くファンの低音──それらを身体が覚えている。

結局のところ、ホンダは血の中に残るオクタン記憶に引き戻される。それは理屈ではなく、生理問題だ。

苦戦の理由美学の話

そして戻ってくるたびに、彼らは苦戦する。

まるで数年ぶりにジャズクラブに戻ったサックス奏者が、昔の楽譜を前にして手が震えるように。

ステージの照明も、観客の空気も、かつてのそれとは微妙に違う。

技術の流れはあまりに速く、昨日の成功今日の重荷になる。

ターボ構造一つ、人間関係温度一つが、うっかりすれば全体を狂わせる。

だが、それでも彼らは吹こうとする。音が少し濁っても、それでも演奏をやめられない。

F1世界では、スピードが唯一の真実だ。

だがホンダにとって、それは速度そのものではなく、「走ること」の意味を探す行為に近い。

彼らにとってのエンジンは、単なる機械ではなく一つの呼吸だ。

パワーユニットという名の命の鼓動。

から敗北も、痛みも、呼吸の一部として受け入れられる。

それが、自分たちが今も「HONDAであることの証明からだ。

理屈を越えた旅

ホンダはいつも動き続ける会社だった。

二輪で世界を駆けぬけ、四輪で挑み、時には撤退し、また戻る。

その繰り返しは、まるで潮の満ち引きのようだ。海がすべてを洗い流すたびに、砂の上に新しい足跡が刻まれる。

RA272の白い車体も、ターボ時代の赤いヘルメットも、マクラーレンとの栄光も、レッドブルとの別れも──それらすべてがひとつ連続した夢の断片だ。

ホンダが戻る理由を、合理的説明することは難しい。勝ちたい、というだけではない。

たぶん、世界最高峰レースには「自分たちが何者であるか」を証明させてくれる何かがあるのだ。

人はときどき、夢の中でしか自分確認できないことがある。

ホンダにとってのF1とは、そんな夢の鏡だ。

火のある場所

私は思う。

ホンダにとってF1とは、勝つための舞台ではなく、火を灯し続けるための場所なのだと。

理屈で測れる効率戦略の外側に、燃え続ける願いのようなものがある。

彼らはそれを、内燃機関という形で世に送り出す。

数字の正確さよりも、内部に漂う体温のようなものをどこか信じている。

その熱を保つこと──それが彼らの誇りであり、同時に呪いでもある。

そして、その確認作業はいつも痛みから始まる。

勝てない週末、壊れるPU、届かない速さ。

そのたびに、夢と現実あいだで身体を焦がす。

けれど彼らは、それでも手を離さない。

火のある場所に留まろうとする。

たとえそれが一時的な炎でも、燃えた跡には必ず光が残る。

ホンダという夢の出入り口は、きっとこれからも開いたり閉じたりを繰り返す。

けれど、その出入りこそが、彼らの生きるリズムなのだと思う。

その奥底ではいつも燃焼の音が続いている。

それがホンダなのだ

2026-03-21

コスプレ界隈の皆さん。訳のわからんプロフではなくこれを使おう。

これが決定版だよ。界隈のスタンダードになるよ。

コスプレ撮影マッチングプロフィール 試案 v1

A. 基本情報

1. 立場

 レイヤー / カメラマン / 両方 / その時々で変わる

2. 主な活動エリア

自由記述選択

 東京 / 神奈川 / 千葉 / 埼玉 / 関東広域 / 遠征

 平日中心 / 土日中

 早朝可 / 深夜可

3. 主な活動ジャンル

 自由記述

 現在よくやる作品

 今後やりたい作品

 単発歓迎 / 継続関係歓迎

4. 金銭感覚の目安

 選択

 相互無償中心

 実費精算中心

 内容により相談

 有償依頼歓迎

 有償依頼のみ

B. 公開候補に入りやす写真

5. 公開写真として特に選びやすもの

 上位3つまで選択 

 顔や表情がはっきり見える写真

 横顔や伏し目でも雰囲気が伝わる写真

 全身シルエットがきれいな写真

 衣装や小物が分かりやす写真

 キャラらしさが一目で伝わる写真

 関係性や距離感が伝わる写真

 背景や空間を活かした写真

 引きの構図で成立する写真

 一枚で意味が伝わる写真

 複数枚で並べると良さが出る写真 

6. 公開候補として許容できるもの 

 当てはまるもの選択 

 顔が小さく写っていてもよい

 顔が見えなくてもよい

 表情が読み取りにくくてもよい

 後ろ姿中心でもよい

 シルエット中心でもよい

 背景比率が高くてもよい

 人物が小さくてもよい

 演出的な色味でもよい

 暗めの写真でもよい

 一見してキャラ判別しにくくてもよい 

*「私は雰囲気写真も好きです」をかなり平和に言い換えた項目です。

7. 公開しにくい条件

当てはまるもの選択

 顔の写りに不安がある

 表情が見えにくい

 体型が気になる写り

 キャラらしさが弱い

 衣装メイクが分かりにくい

 背景が強く、人物が目立ちにくい

 一枚では意味が伝わりにくい

 サムネイルで印象が弱い

 演出が強く、本人像から離れて見える

 世界観はあるが投稿しづらい 

撮影後の「なんでこの写真使われないの?」事故を減らしま

C. 撮影で優先したいこと

8. 撮影時に特に優先したいこと

上位3つまで選択

 キャラの顔や表情

 キャラ所作姿勢

 キャラ同士の距離感

 原作場面の再現

 感情表現

 色や光の印象

 背景や空間の使い方

 被写体の魅力

 写真作品としての完成度

 投稿やす

*「SNS映え」という単語を使わず説明しています

9. 撮影で優先したい再現の種類

上位2つまで選択

顔・表情の再現

ポーズ仕草再現

関係性の再現

原作構図の再現

色や光の印象の再現

感情の流れの再現

二次創作的な読みの表現

本人らしさも活かした表現

*「作品解釈重視」という言葉を使わず説明しています

10. 撮影で避けたいこと

当てはまるもの選択

 顔の写りより空間を優先されること

 原作らしさより写真性を優先されること

 世界観より本人の魅力を優先されること

 本人の写りより世界観を優先されること

 再現より雰囲気を優先されること

 雰囲気より資料性を優先されること

 投稿やすさを無視されること

 一枚単位の強さを無視されること

*「地雷」を柔らかく表現しています

D. 写真見方・使い方

11. 写真を選ぶときの考え方

近いもの選択

 一枚ごとの完成度を重視する

 組写真で見たときの流れを重視する

 SNS投稿で使いやすものを重視する

 記録として残したいものを重視する

 作品づくりとして強いものを重視する

 まず本人が納得できることを重視する 

12. 納品後の写真の扱い

近いもの選択

 自分で選びたい

 相手おすすめも参考にしたい

 セレクト相談したい

 ある程度カメラマンに任せたい

 投稿向け候補を分けてもらえると助かる

 世界観重視セットと使いやすいセットを分けてほしい 

*「たくさん現像したのに」という事故を防ぎます

E. 加工・仕上げ

13. 公開時の仕上げについて

近いもの選択

 色味や明るさの調整が中心

 肌や輪郭補正もある程度行う

 キャラ再現のための補正を行う

 雰囲気作りの演出を重視する

 強い加工より自然な見え方を重視する

 写真ごとに方針を変える

 事前に方向性相談したい

*「加工厨」「加工薄め」みたいな界隈語を避けた建設的な表現しました。

14. 加工で避けたいこと

 顔立ちが別人に見える変化

 体型印象が大きく変わる変化

 キャラらしさが消える補正

 画面の空気感が変わる補正

 肌補正が強すぎる仕上がり

 色演出が強すぎる仕上がり

 補正前提の撮影方針

*ここまでしても、加工し過ぎな人ほど「加工しすぎってどうかと思う」とか言いがち問題解決できませんが、おまじないとして効きます

F. 一緒に撮るとき運用

15. 撮影をどう捉えているか

近いもの選択

 交流として楽しみたい

 制作としてしっかり作りたい

 交流制作も両方大事

 まず安全気持ちよく進めたい

 継続して組める相手を探したい

 単発でも作品が強ければよい 

*声のかけやすさに繋がります

16. 相性が合いやす相手

自由記述短文

例:

 顔の強い写真も引きの写真も両方見てくれる人

 原作再現より感情表現に興味がある人

 投稿やすさも作品性も両立したい人

 朝型で都内近郊移動が苦でない人 

〜〜〜〜なぜ既存プロフより効くか〜〜〜〜

既存プロフが弱いのは、だいたいこの3つです。

能力を書いていて、採用基準を書いていない

エモい」「綺麗に撮れる」「加工OK」では、相性が分からない。

抽象語が多く、各自意味が違う

解釈重視」が典型です。

撮影後に起きる衝突を予防できない

「なんでこの写真が使われないの?」問題に効かない。

今回の設計はそこを逆にしているので、かなりマッチング精度が上がります

何を使う人か / 何を使わない人か / 何を成功とみなす

ここが大事です。

どうですかみなさん。自由に使っていただいていいんですよ。

一連のツリーはいずれも無料モデル 同一プロンプト どれがどれか当てられる?

The Giving Pledgeを調べてみた。例の、バフェットゲイツ音頭を取って「資産の半分以上を寄付しようぜ」みたいなやつ。理念としては立派だし、寄付文化の薄い国から見ると眩しい。眩しいんだけど、眩しすぎる光ってだいたい輪郭が見えなくなる。で、輪郭を見ようとして資料を追うと、なんというか、思ったより“きちんとしてない”。

まず誓約法的拘束力を持たない。ここで一気に「はい解散」感が出る。もちろん、寄付自発性が命で、強制したらそれは税だ、という理屈は分かる。でも「誓う」って言葉の強さに対して、実態が「宣言したら偉い」くらいのノリなのは、どうにもSNSプロフィール欄みたいだ。意識高いことを書いておくと、本人の内面が整う、みたいな。整うのは内面だけで、外部の世界別に整わない。

次に、寄付の“いつ”と“どこへ”がふわっとしている。生前なのか死後なのか、どの分野にどれだけ出すのか、途中で気が変わったらどうするのか。要するにKPIがない。寄付世界KPIを持ち込むのは野暮、という反論もあるだろうけど、じゃあこれは何なのか。社会運動というより、富豪同士のサロン的な連帯儀式に見えてくる。署名して仲間入り、みたいな。

そして一番もやっとするのが、寄付が“善行”として語られることで、富の形成過程や税の話が霧散する点だ。寄付は素晴らしい。でも寄付が素晴らしいほど、「本来は税として民主的に配分されるべきだったのでは?」という問いが出てくる。寄付は選べる。税は選べない。選べる善意気持ちいい。選べない義務気持ちよくない。だからみんな善意のほうを称える。でも社会設計としては、気持ちさより再現性のほうが大事だったりする。

バフェットゲイツが悪いと言いたいわけではない。たぶん本人たちは本気で良いことをしている。問題は、良いことをしている人がいる、という事実が、そのまま制度実効性の証明にはならないことだ。Giving Pledgeは、寄付を増やすきっかけ”にはなるかもしれない。でも、きっかけ止まりのものを、社会セーフティネット代替みたいに持ち上げると、だいたい歪む。歪んだまま「善意があるから大丈夫」と言い出すと、最後に残るのは善意の気分だけで、困っている人の生活別に大丈夫じゃない。

結局これ、富豪富豪のまま“良い富豪”になるための仕組みなんじゃないか、という冷笑が頭をもたげる。寄付で救われる人がいるのは事実としても、救う側の権力が温存される構図もまた事実で、そこを「美談」で上書きするのは雑だ。雑さが気になる。きちんとしてない。実効性がない。そういう感想けが、調べれば調べるほど、妙に手触りとして残った。

2026-03-18

なぜ日本人香港サイバーパンクを見て、台湾ノスタルジーを見るのか

大きく言うと、日本人がそこに何を投影してきたかの違いだと思います

香港サイバーパンクを見る理由は、まず都市の見え方です。

香港は長く、

超高密度

ネオン

看板洪水

高層住宅

金融貿易匂い

狭さとスピード感

英国統治の名残と中国圏の混在

みたいな要素を持っていて、

日本人の目には「アジアなのに未来都市っぽい」と映りやすかったんです。

しかも80~90年代日本では

ブレードランナー』的な未来

バブル以後の都市不安

電脳監視社会、巨大資本への関心

九龍城砦ブーム

が重なっていました。

から香港は、現実都市でありながら、

“すでに未来が壊れた後の街”**みたいに読まれた。

まり香港は、日本人にとって

未来への憧れと資本主義への不安を同時に映せる鏡だったんです。

一方で、台湾ノスタルジーを見る理由は、

都市の派手さより生活時間が見えやすいからです。

日本人台湾に感じやすものは、

路地

屋台

食堂

ローカル線

古い家並み

湿った空気

家族青春距離感

親日的とされる空気への安心感

です。

香港が「都市の表面」で迫ってくるなら、

台湾は「暮らしの奥行き」で入ってくる。

さら日本人台湾に、

失われた昭和っぽさや

まだ人間的な時間が残っている場所を見やすい。

日本地方や昔の商店街が薄れていく中で、台湾風景

「昔の日本ではなく、昔の日本が夢見たアジア生活感」

を重ねているところがあります

から

香港=外側が強い

台湾=内側が強い

とも言えます

もう少し踏み込むと、これは映像文化の影響も大きいです。

香港映画は、

アクション

ノワール

刑事もの

マフィア

スタイリッシュ暴力

夜の街

が強かった。

から香港は、物語舞台として

速い、危ない、光っている場所になった。

台湾映画は、

家族

郷愁

青春

地方

静かな喪失感

長回しや余白

が強い。

から台湾は、

思い出すための場所として日本人に入ってきた。

まり日本人は、

香港には都市の夢と悪夢を見て、

台湾には失われた生活のぬくもりを見ているんです。

一言でまとめると、

香港は「未来が過剰に来てしまったアジア

台湾は「過去がまだやさしく残っているアジア

として受け取られやすい。

から香港にはサイバーパンク台湾にはノスタルジーが宿る。

ただし本当は、これは現地そのものというより、

日本人の側の想像力のクセでもあります

香港にも生活感はあるし、台湾にも鋭い都市性はある。

それでも日本人がそう見たがるのは、

自分の国で失ったもの台湾に探し、

自分の国で怖れていた未来香港に見たからです。

この話、かなり面白いので、次は

「なぜ韓国には“近未来”より“競争社会の圧”を感じるのか」

みたいに横へ広げても深いです。

2026-03-17

自己放尿する世界貴様はどう生きるか

自己放尿とは何か。それは政府が自らの失敗を再生産し続ける構造、すなわち誤ったインセンティブ設計帰結だ。

感情論は捨てろ。ここは価格理論世界だ。人間善意ではなく制約と誘因に従って動く。

自己放尿、これは単なる罵倒語ではない。制度的均衡の記述だ。

政府という主体分析するときナイーブ公共善の最大化を目的関数に置くのはやめろ。

それは学生の答案には便利だが、現実説明力はゼロに近い。

しろ合理的無知と集中利益分散費用フレームで見ろ。政策は望ましいからではなく、通るから成立する。

ここで自己放尿が発生する。

たとえば規制名目安全や公平だが、実際には既得権益保護する装置になる。

なぜか?情報コストが高い大衆は無関心で、利益を得る少数は必死ロビー活動をするからだ。

結果、規制補助金関税トリプル放尿が成立する。これは偶然ではない。均衡だ。

貴様が生きている世界は、この均衡の上に乗っている。

ではどう生きるか。

第一に、価格情報であるという原理に従え。政府自己放尿は、価格メカニズムを歪めることでシグナルを破壊する。だからこそ、公式ナラティブではなく、実際の価格報酬・機会コストを見ろ。そこに真の情報がある。

第二に、合理的無知自覚的に使え。すべてを知ろうとするな。それは非効率だ。だが、自分意思決定に影響する領域では徹底的に情報を取れ。車を買うときと同じだ。投票よりも、就職スキル選択時間を使え。リターンが違う。

第三に、制度を前提に最適化せよ。世界を変えようとする前に、そのルールの中で利得を最大化しろ。これは冷酷に聞こえるが、合理的行動だ。企業利潤最大化するのと同じだ。感情ではなく制約条件を見ろ。

第四に、例外的機会を探せ。自己放尿は完全ではない。むしろ歪みを生む。価格統制があれば闇市場が生まれるし、過剰規制イノベーション余地を生む。歪みはチャンスだ。均衡のズレに利益がある。

第五に、ルール設計する側に回れ。これは上級編だ。政治市場では、需要供給がある。政策を消費する側から供給する側へ移行すれば、自己放尿の生成メカニズムのものアクセスできる。もちろん倫理的コストはある。そこは自分目的関数で決めろ。

最後に言っておく。政府自己放尿を嘆くのは自由だが、それ自体には何の価値もない。重要なのは、それを前提条件としてどう行動するかだ。

市場は完全ではない。だが、分散した知識統合する唯一の使える装置だ。政府自己放尿はその装置を鈍らせる。しかし完全に破壊することはできない。だからこそ、貴様はその残存機能を使え。

自己放尿の世界では、正しさより適応価値を持つ。

感情ではなくインセンティブを見ろ。スローガンではなく価格を見ろ。

そして、愚かさの均衡の中で、自分だけは合理的であれ。

それが、生き残るということだ。

2026-03-13

ちんこアルデンテ→略して「ちんテ」

【使い方】

あなたってちんテだから好き!」

「ちんテの男はモテる

「大きさよりちんテの方が大切」

2026-03-11

推しにストグラ辞めてほしいなと思ってしまっている話

最近推しにストグラ辞めてほしいなと思ってしまっている。

本当はこんなこと思いたくないんだけど。

まず前提としてストグラの説明を少ししておくと、

ストグラ(ストリートグラフィティロールプレイ)は、配信者たちが同じゲームサーバーに集まって、それぞれキャラクターとして生活するロールプレイ型の配信コンテンツだ。

警察ギャング市民などを演じながら、人間関係ストーリー自然に生まれていく。

視聴者はそれをドラマみたいに楽しむ。

で、その中で恋愛ロールプレイをしているA(男)とB(女)がいる。

現状は友達以上恋人未満みたいな関係で、特にBのファンは「いつくっつくんだろう」と楽しみにしていた。

そこに、俺の推しが演じるキャラ(C)が

「AさんとBさんって付き合わないんですか?」

とぶっこんだ。

するとAが

「付き合ってないし、恋人を作るつもりもない」

と明言。

Bはかなりショックを受けて、キャラ引退(そのキャラプレイするのをやめること)も考えているという話になった。

この流れだけ見ると、Cがやらかしたように見える。

ただ実際には、この展開はAを演じてる配信者とうちの推し相談して決めたものだったらしい。

進展のない関係性にカンフル剤を入れるための展開で、要するにCは物語を動かす役を頼まれたのだ。

ロールプレイとしては、まああり得る流れだと思う。

ただ問題はその後だった。

Bのファンから、Cにかなりのヘイトが向いた。

ロールプレイなんだからキャラクターとして嫌われるのはある程度仕方ないと思う。

そういう役回りになることもあるだろうし。

ただ、今回のCは別にヒール役をやっているわけでもない。

本来推しも、推しが演じるCというキャラも、街の中で仲間や友人を作って楽しい時間を過ごしたいと思っている。

それでも、Cが配信画面に映るだけでB側のコメント欄が「あ…」みたいな空気になったり、

SNS隠語を使った陰口が飛んだりする状況になっている。

しかもBを演じている配信者は結構大きい事務所所属していて、ファンの数もかなり多い。

その分、今回の件でCに向かうヘイトの規模もかなり大きくなっているように見える。

ちなみに俺の推し事務所所属ではあるので、個人配信者が大手に叩かれているみたいな単純な話ではない。

ただ、ファンの母数が多いと、それだけで空気の圧みたいなものはどうしても生まれしまうんだなとは思った。

ストグラって本来配信者がキャラを演じてドラマを作るコンテンツ」のはずなのに、

ロールプレイ配信って、ドラマみたいに楽しむもののはずなのに、

気づいたら視聴者ドラマ登場人物を本気で憎み始めているみたいな状態になっている。

キャラへのヘイトがどんどん膨らんで、

その空気の中で演じ続ける配信者のメンタルが削れていく。

それって本来の楽しみ方だったんだろうか、と少し思ってしまう。

あと正直に言うと、AもAでちょっとフォローしてやってくれよとは思っている。

Cがあの役回りをやったのはAと相談して決めた展開だったわけだし。

こういう空気の中でキャラを演じ続けること自体が、普通に推しメンタルを削っているように見える。

本来予定されていた通常配信メンバー限定配信に変更されるくらいには。

ストグラ関係ない配信にまで影響が出ているのを見ると、

正直「そこまでして続けるものなのかな」と思ってしまう。

最近推しは連日ログインしているけど、それは楽しそうだからというより、

今回の件のフォローとか人間関係の調整のために続けているように見える。

ストグラ自体も、同じ事務所の先輩に誘ってもらった縁で参加して最初はすごく楽しそうだったけど、最近は楽しさよりも誘ってもらった先輩やゲームでお世話になった人への義理で続けている感じに見えることもある。

もともと推しキャラ破天荒ポジションで、周囲からもわりと雑に扱われることが多かった。

普段ならそんなときも「なんだよー!」と元気に言い返してる。

だけど、この前ログインしたとき

「お前レア感ないしもういいや」

みたいなことを言われて、いつもみたいに「色々あったんだよ!」と言い返しながら途中で感情が爆発して泣きながらしゃべっている場面を見たときは、正直かなりしんどかった。

推しが楽しそうなら、多少のトラブルがあっても「配信ドラマだよな」で見られると思う。

でも、今みたいにメンタル削られているのを見ると、

正直ストグラって界隈が嫌いになりそうになる。

たぶん本来は、こういう感情で見るコンテンツじゃないんだと思う。

ここまで書くと「じゃあストグラ配信を見るのをやめればいいじゃん」と言われるだろうし、それも一理あるとは思う。

ただ、上に書いたようにストグラの影響で他の配信活動にまで影響が出ているのを見ると、

単に自分が見なければいいという話でもない気がしてしまう。

実際、泣いたり凹んだりしている姿を見てしまうと、

正直推しじゃなくてもメンタル心配するレベルだと思う。

からこそ、推しがしんどそうにしているのを見ていると、

いっそストグラ辞めてくれたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。

配信者が楽しそうにしているのを見るために見ているはずなのに、

その配信推しが消耗しているのを見るのは、

正直かなりつらい。

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