映画「徒花-ADABANA-」…題名が本質を表す.
製作年:2024年 制作国:日本 上映時間:94分
好きな役者、井浦新主演に惹かれて近所のシネコン
で観賞したのは本年度累積211本目.
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長編デビュー作「赤い雪 Red Snow」で国内外から
高く評価された甲斐さやか監督が、20年以上の
歳月をかけて構想・脚本執筆し、井浦新と水原希子
の共演で撮りあげた日仏合作映画.
ある最新技術を用いた延命治療が国家により推進
されるようになった近未来.裕福な家庭で育った
新次は妻との間に娘も生まれ理想的な家庭を
築いていたが、重い病に冒され病院で療養している.
手術を控えて不安にさいなまれる新次は、臨床
心理士まほろの提案で自身の過去についての
記憶をたどりはじめ、海辺で知りあった謎の女性や、
幼い頃に母からかけられた言葉を思い出していく.
記憶がよみがえったことでさらに不安を募らせた
新次は、“それ”という存在に会わせてほしいと
まほろに懇願.“それ”とは、上流階級の人間が
病に冒された際に身代わりとして提供される、
全く同じ見た目の“もう1人の自分”であった.
主人公・新次を井浦、臨床心理士まほろを水原
が演じ、三浦透子、斉藤由貴、永瀬正敏が共演.
編集に「落下の解剖学」で第96回アカデミー
編集賞にノミネートされたロラン・セネシャルが
参加しており、「ドライブ・マイ・カー」も手がけた
山崎梓とともに共同で編集を担当している.
以上は《映画.COM》から転載.
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雰囲気のある作品.映像、コマ割り、音楽が
一体となり、“静寂”を感じさせる画造りが
完成されている印象を受けた.
主人公新次:井浦新の演技だけを観ていると
そのファンなら満足のいく演技がたんと観られる.
井浦新が好きで観ているのだから、
贔屓の引き倒しは当然の帰結だ(笑).
自身のクローンと対話するシーンはかなり
衝撃的だし、こんなにもしっかり2面性を
演技しきれるのも素晴らしい.
カウンセラーまほろ:水原希子との相性も
なんだか良かった.
物語の舞台は、ウイルスの影響によって
人類が短命になり、クローン技術の進歩に
よって「延命手術」ができるようになった世界.
その手術は誰にでも受けられるものではなく、
階級によって適応が決められていた.
未来に於いても差別社会は約束されている.
ある難病を患っている成人男性の新次:
井浦新、幼少期:平野絢規は、その適応者
として施設に入院していた.
彼にはカウンセラーのまほろ:水原希子が
付き添い、手術日まで心のケアを施して
いくという段取りが組まれていた.
本作では、規則では禁じられている
クローン:劇中では「それ」と呼ばれている
との接触を行う新次が描かれ、それに
よって「自分はどうするべきか」というのを
思い悩む様子が描かれていく.
彼は夜な夜な悪夢に悩まされていて、
それは母:斉藤由貴との記憶であるとか、
海辺で出会った女:三浦透子のこと
ばかりだった.
自分には抜け落ちた記憶があると考え、
「それ」と接触することで、何かを思い出す
のではないかと思い始めるのである.
物語は、わかりやすい人類の選択の苦悩
を描いていて、クローン技術によって、悪い
部分を交換できたりするように描かれている
社会を暗に想像される作りになっている.
そう言った思考の末に「ある決断」をする
というのが物語の骨子であるが、驚きの
展開を迎えるものでもない.
映画では、イメージショットのようなシーン
が多く含まれ、かなり観念的に捉える
ように作られている.
それでも解釈が分かれるほど難解なもの
でもなく、これまでに何度も過去作品で
見てきた「クローンの是非」に苦悩する
という物語でしかない.
後半には、まほろの「それ」も登場し、
新次の娘の「それ」も登場するのだが、
この演じ分けというのが映画の一つの
ポイントなのかもしれない.
倫理観をどう捉えるかではあるものの、
富裕層にしか与えられていない特権の
行使というものは、庶民からすれば
どうでも良いことのように思える.
そこまでして生き延びたいかというもの
は個々の人生観のようなものであり、
その選択が与えられている故の贅沢な
悩みでしかない.
選択のない側にいる人には響きようもなく、
「だから何?」という感覚になってしまうのは
否めない.本作の主題が心に訴えるモノが
無いのは、この根本がはき違えているから.
個人的にはつまらなく感じたけど、好きな
井浦新の演技をたんと観られて、意外な
水原希子の好演を観られたから好しとする.
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