fc2ブログ

晩秋のポーラ美術館 @神奈川県 箱根




先週木曜に箱根のポーラ美術館を訪ねた.
本当は舟越桂の彫刻を観に彫刻の森美術館を
訪ねるつもりだったが、会期を逃してしまった.

ポーラ美術館では“フィリップ・パレーノ展”を開催中.



ーーーーーー以下は同館HPからーーーーーー

現代のフランス美術を代表するフィリップ・パレーノは、
今日最も注目されるアーティストの一人です.
映像、音、彫刻、オブジェ、テキストやドローイングなど
作品は多岐にわたりますが、その意識は常に、現実/
フィクション/仮想の境界、あるいは実物と人工物との
間に生じる乖離、その奇妙なずれへと向けられています.
また、芸術や「作者性」の概念にも疑問を投げかけ、
数多くのアーティスト、建築家、音楽家と共同で作品
を生みだしてきました.
 
パレーノはAIをはじめとする先進的な科学技術を作品
に採り入れながらも、ピアノやランプ、ブラインドや
バルーンといった見慣れたオブジェを操り、ダイナミズム
と沈黙、ユーモアと批評性が交錯する詩的な状況を
生みだします.
展覧会そのものをメディアとして捉えるパレーノが
構築する空間は、まるでシンボルの迷宮のようです.
何者かの気配、声、光、暗闇、隠されたメッセージ
――慎重に演出された、ドラマティックな構成に
導かれ、大規模な舞台装置のような会場に足を
踏み入れる私たちは、まるで演者のように、新鮮な
驚きとともに混乱をともなう体験の中へと身を投じる
ことになるでしょう.
それは一時の夢、旅、あるいは作家が言う映画の
ようなものかもしれません.パレーノの展示は、
芸術はどのように体験されるべきか、そして体験
されうるかという問いを私たちに投げかけています.
 
国内最大規模の個展となるポーラ美術館での
展覧会では、作家の代表作である映像作品
《マリリン》(2012年)をはじめ、初期作品から
初公開のインスタレーションまで、作家の
幅広い実践を多面的にご紹介いたします.
————————————————





空間を自由に漂うバルーンの魚たち
に驚かされる.

誰もいないのに音を奏でるピアノ.
打ち明け話しするように明滅するランプ.
宙に浮いた吹き出し.

不思議な光景なのだけど
どこかノスタルジック….



絵画も又、自然的….



不思議な体験の展覧会.


------------------------


豊富なコレクションから、珍しく
モジリアニとルソーが展示.


アメデォ・モディリアーニ

《婦人像(C.D.夫人》1916年


アメデォ・モディリアーニ

《ルニア・チェフスカの肖像》1907年


アメデォ・モディリアーニ《ルネ》1917年



アンリ・ルソー

《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》1906-10年


アンリ・ルソー《エデンの園のエヴァ》1896-98年


アンリ・ルソー《ライオンのいるジャングル》1904年

そして副長が愛して止まない
ハマスホイも.


ヴィルヘルム・ハマスホイ
《陽光の中で読書する女性、
ストランゲーゼ30番地》1899年

そしてお目当てのカレンダーもゲット.

まだ時間もあったので、
遊歩道へウォーキング開始.
また夕方編で.


茶木義孝個展“東京まだまだイイところあります”@アート・イン・ギャラリー 表参道





又今年も会社の先輩の個展が表参道のギャラリーで.
年に1回だけ行く表参道(笑).

どうもこの地は風合いが
自分に合わない(苦笑).

メトロ表参道で降りて、とぼとぼと原宿方面に歩く.
途中スイスチョコ屋の「Lindt」でお土産チョコなんぞを.
先輩への敬意は忘れないのだ.

もう10年目を迎える個展の今年のテーマは、
“東京まだまだイイところあります”
隠れた?名所、絵になる場所をピックアップして
さらさらと書き上げたペン画のイラスト展.

先ずは、“猫”がお出迎えしてくれる.




《大谿山 豪徳寺》@世田谷区



《東京タワー》@芝公園 港区



《旧原宿駅》神宮前 渋谷区

《新原宿駅》神宮前 渋谷区


《東武伊勢崎線堀切駅》@千住曙足立区


相変わらずの手帳スケッチも健在.
さらさら数分で描いてしまうそう ♪



恒例の来年のカレンダーを2種購入.




また来年、と挨拶して
慣れない表参道の返路へ向かった.



“モネ 睡蓮のとき” @国立西洋美術館 上野




モネは日本で最も?人気の印象派画家.
大混雑しているという中、一番空いてそうな
水曜の朝一番を襲撃してみた.もちろん
予約入場券を準備して.当たりだった(笑).

————以下は同館HPから————

印象派を代表する画家のひとりであるクロード・モネ
(1840-1926)は、一瞬の光をとらえる鋭敏な眼に
よって、自然の移ろいを画布にとどめました.
しかし後年になるにつれ、その芸術はより抽象的
かつ内的なイメージへと変容してゆきます.

モネの晩年は、最愛の家族の死や自身の眼の病、
第一次世界大戦といった多くの困難に直面した時代
でもありました.そのような中で彼の最たる創造の源
となったのが、ジヴェルニーの自邸の庭に造られた
睡蓮の池に、周囲の木々や空、光が一体となって
映し出されるその水面でした.
そして、この主題を描いた巨大なカンヴァスによって
部屋の壁面を覆いつくす “大装飾画”の構想が、
最期のときにいたるまでモネの心を占めることに
なります.

本展の中心となるのは、この試行錯誤の過程で
生み出された、大画面の〈睡蓮〉の数々です.


このたび、パリのマルモッタン・モネ美術館より、
日本初公開となる重要作を多数含むおよそ
50点が来日.さらに日本各地に所蔵される作品
も加え、モネ晩年の芸術の極致を紹介します.
日本では過去最大規模の〈睡蓮〉が集う
貴重な機会となります.

—————————————


1890年、50歳になったモネは、7年前に移り住んだ
ノルマンディー地方の小村ジヴェルニーの土地と家を
買い取り、これを終の棲家とした.
1893年、モネは自邸の庭の土地を新たに買い足し、
セーヌ河の支流から水を引いて睡蓮の池を造成する.


《ジヴェルニー近くのセーヌ川支流、日の出》1897年
マルモッタン美術館蔵


《睡蓮、夕暮れの効果》1897年 マルモッタン美術館蔵

池の拡張工事を経た1903年から1909年までに
手掛けられたおよそ80点におよぶ〈睡蓮〉連作において、
画家のまなざしは急速にその水面へと接近していく.

周囲の実景の描写はしだいに影をひそめ、ついには
水平線のない水面とそこに映し出される反映像、
そして光と大気が織りなす効果のみが画面を
占めるようになっていく.


《睡蓮》1907年 マルモッタン美術館蔵


《睡蓮》1914-17年 マルモッタン美術館蔵

ジヴェルニーのモネの家と庭は2回訪れている.
オランジェリー美術館の《睡蓮》の壁画は4回ほど.
オルセーの印象派コーナーのモネは数多く、
マルモッタンモネ美術館も2009年に娘と
訪れている.モネ好きなのかもしれない(笑).

マルモッタン美術館の収蔵数は多すぎて、
今回初見の作品多し.されど駄作も多し(苦笑).

狂ったように睡蓮の画を立て続けに描いては
いるのだが、駄作も多いと思っている.
最高傑作はオランジェリー美術館の巨大な
壁画群4点であろう.四季折りおりの睡蓮の姿
がきちんと描き込まれていて圧巻である.

今回、西洋美術館も特別に楕円形の部屋を
用意して、マルモッタン蔵でも出来の良い
《睡蓮》を並べていた.この雰囲気は良かった.


《睡蓮の池》1917-19年 マルモッタン美術館蔵

この部屋だけは撮影可能だったのも良い.
意外に良かったのは、睡蓮以外の
《藤》や《日本の橋》の作品.
白内障が徐々に蝕んでいた頃であろう.
緻密さは無いが、雰囲気がまるで“印象派”
そのものだ(笑).


《藤》1919-20年 マルモッタン美術館蔵


《日本の橋》1918年 マルモッタン美術館蔵

最後の部屋は、晩年の作品ばかり.
睡蓮からは離れ、太鼓橋や枝垂れ柳、
庭のバラのアーチなどなど….
不確かな視覚と描きたい制作欲求の
せめぎ合いのような色彩の氾濫は
まるで抽象画のよう.
余り好きになれない画が続いてへきへき.

最後の土産品コーナーは激混み状態.
なんと一旦館の外に出て行列に並び、
整理券を渡されるという有り様…(泣).

それでも、またまたTシャツを購入(笑).



珍しく背中に睡蓮プリントという代物.

——————————————

西洋美術館は常設展で2度楽しめる ♪

今回も新規所蔵品や、初展示作品が
めじろ押し!! 持ってるんだね、さすが国立!

ローラ・ナイト《オレンジ色の上着》1917年

ポール・ゴーギャン《サン=トゥアン教会、ルーアン》1884年



パブロ・ピカソ《小さな丸帽子を被って座る女性》1942年


ジョルジュ・ブラック《パイプのある静物》1932年

そして副長が愛して止まない
ハンマースホイも展示場所が格上げ
された(笑).


ヴィルヘルム・ハンマースホイ

《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》1910年

これは背中しか見せない“妻”の
表側の肖像画.ハンマースホイの
義兄の作品


ピーダ・イルステズ《イーダの肖像》1889年

眼福の一時を常設展で過ごす時間は
企画展よりもずっと長い….

シャガールのカレンダー(2024年12月)

Marc Chagall《La madone du village》1938-42
Thyssen-Bornemisza Collections

シャガールの最後の12月を飾る
カレンダーは《村の聖母》.

描かれた時期は1938年から42年.
シャガールにとっては苦難の時代だった.

パリで暮らしていたが、ひしひしと
反ユダヤのナチスの足音が忍び
寄っていた.39年9月に第2次大戦
が勃発すると全作品を持って南仏へ
避難.41年には反ユダヤ法が採択
され、仏国籍を剥奪されてしまう.
41年5月にマルセイユ発で、マドリッド
、リスボンを経由してアメリカへ避難した.

第2の故郷ともいうパリを追われ、
異国へ旅立ちせざるを得なかった
シャガール家族は幸いにもアメリカ
では温かく迎えられた.

そんな時期に描き上げた作品が
《村の聖母》である.シャガールが
初めて描き上げた聖母マリアと
キリストの姿であった.

シャガールはユダヤ人であるから
生粋のユダヤ教徒である.熱烈な
シオニストである.そのシャガールが
なぜマリアとキリストの姿を描いた
のかは複雑な理由による.

シャガール自らの弁によると、
1910-20年代は自己を投影する
ための像としてキリストをとらえて
いたそう.1930年代になると、
シャガールは、詩人かつ預言者と
してキリストを理解し、1940年代
には、それまでのキリスト観に加え、
ユダヤ人殉教者を磔刑像と重ね
あわせたというのだ.

故郷を追われ、さまよえるユダヤ人
をキリストの磔刑像と重ねたと
言うことなのであろうか.

また同時にキリスト教世界において
キリストの教えが忘れられたことを
強調した.これはこの直後に描かれた
《十字架に掛けられた人々》(1944年)
等の磔刑像を含む作品の主題にも
見られる.

さて、画の《村の聖母》に戻ると、
天空から降りてきたシャガールが
キスをしているマリアはどう見ても
愛妻ベラであろう.抱くキリストも
その実、髪の色も含めて、ベラとの
間の長女イダのようである.

その他に、天使たちが祝福している
様にも見えるのだが、左端に濃い色
の堕天使らしきものが描かれていて、
これは悪しきナチスを指しているの
かもしれない.

いずれにしても、異教徒である
シャガールが世界共通項である
キリストの教えが疎かにされている
事を 嘆いて描いた画なのかと、
描かれた時期の状況を思うと
そう思いたくなる.


これで2024年のシャガールの
カレンダーは終了である.

さて、来年は…誰のカレンダー
にしようか思案中.二人候補は
挙がっている.来年の元旦に
向けてゆっくり悩んでみようと
思っている.


アーティゾン美術館@東京京橋


もう50年も通いつめている旧ブリジストン美術館.
途中2020年に建て替えて、名前を変えて、
今は「アーティゾン美術館」となっている.
東京駅八重洲口から徒歩10分という地の利も好ましい.

さて、今のシーズンは3つのイベント中.
・ジャム・セッション石橋財団コレクション×毛利悠子ーピュシスについて
・ひとを描く
・石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 マティスのアトリエ

丁度展示フロアーが3階層だから、それぞれの階で各々の
展示を楽しめる.

——————同館HPより転載——————


“ジャム・セッション石橋財団コレクション×毛利悠子ーピュシスについて”

毛利悠子は1980年神奈川県生まれ.現在は東京を拠点に活動.
2006年に東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻を修了.

コンポジション(構築)へのアプローチではなく、環境の諸条件に
よって変化してゆく「事象」にフォーカスするインスタレーションや
彫刻を制作.近年は映像や写真を通じた作品制作も行う.

毛利は、主にインスタレーションや彫刻を通じて、磁力や電流、
空気や埃、水や温度といった、ある特定の空間が潜在的に
有する流れや変化する事象に形を与え、立ち会った人々の
新たな知覚の回路を開く試みを行っています.

本展タイトルに含まれる「ピュシス」は、通例「自然」あるいは
「本性」と訳される古代ギリシア語です.今日の哲学にまで至る
「万物の始原=原理とはなにか」という問いを生み出した
初期ギリシア哲学では、「ピュシス」が中心的考察対象と
なっていました.

『ピュシス=自然について』と後世に名称を与えられ、生成、
変化、消滅といった運動に本性を見いだす哲学者たちの
思索が伝えられています.絶えず変化するみずみずしい動静
として世界を捉える彼らの姿勢は、毛利のそれと重ねて
みることができます.

新・旧作品とともに、作家の視点から選ばれた石橋財団
コレクションと並べることで、ここでしか体感できない
微細な音や動きで満たされた静謐でいて有機的な空間
に来場者をいざないます.

—————————————

どうも、この手のコンポジションは苦手.
ただ眺めるだけに終わってしまう.
作品から伝わって来るものが極少だ.

石橋のコレクションとのジャム・セッション
ゆえに、並列展示される絵画の方が
よっぽど興味が持てる.



毛利悠子《Decomposition》2021年


ジョルジュ・ブラック《梨と桃》1924年

――――――同館HPより転載――――――


“ひとを描く”

ヨーロッパの美術の歴史を見てみると、「ひとを描く」ことは
作品制作の重要な要素のひとつでした.

たとえばエドゥアール・マネやポール・セザンヌの自画像は、
自らの技量を示すことのできる題材であると同時に、
さまざまな新しい表現の実験の場でもありました.

ピエール=オーギュスト・ルノワールの手がけた肖像画は、
画家にとって重要な生活の糧となっていました.
また、物語に登場する人物を描いた作品もあります.
この展覧会では石橋財団コレクションから、古代ギリシア
陶器と近代ヨーロッパの絵画作品などの合計85 点で、
人物表現の豊かさをご紹介します.

———————————

自らであろうとモデルであろうと、
やはりひとを描くという行為は、画業の原点であろう.

いくつか好きな作品を以下に.


ベルト・モリゾ《バルコニーの女と子ども》1872年


パブロ・ピカソ《腕を組んですわるサルタンバンク》1923年


ベルナール・ビュフェ《アナベル婦人像》1960年



――――――同館HPより転載――――――


“マティスのアトリエ”

アンリ・マティス(1869-1954)の絵画において、
室内は常に重要な要素であり続けましたが、
とりわけ1940年代以降、生活と創作とが地続き
となった空間として重要になるのが、アトリエです.

本展は、《踊り子とロカイユの肘かけ椅子、黒の背景》
(1942年)の収蔵にちなみ、石橋財団のコレクション
により、マティスの創作においてアトリエが果たした
役割について、複数の視点から探るものです.

—————————————————


アンリ・マティス《踊り子とロカイユの肘かけ椅子、黒の背景》1942年

新規購入の作品.恐るべし石橋財団の財力(笑).
1941年、マティスは腸を患い手術を受けたが、
その後の経過が思わしくなく、ベッドの上で多くの
時間を過ごすことを余儀なくされる.

制作に於いても体力の負担の多い油彩作品を
避けて、切り紙作品へ取り組んでいた.
その後まもなくニースの骨董品店で見つけた
ヴェネツィア風のバロック様式の肘掛け椅子に
心を奪われ、その勢いで油彩の制作を再開する.

寝椅子に改造したベッドに横たわり、ベッドを跨ぐ
台の上にカンヴァスを立てて制作していた.
この時訪れていた写真家アンドレ・オスティエに
よる写真が残されている.



ベッドに身を横たえながら、やや高い位置から
俯瞰的な視点を取りながらも、きちんとした
画面が左右で均衡する構図に仕上げている.

肘掛け椅子というお気入りのモティーフと
人体との呼応的な関係の表現や変わらない
色彩表現と、かつての表現が戻ってきた
と実感させる作品となっている.

この頃のマティスの最大の慰めは5人の孫
の存在だったそう.その中の唯一の女の子、
ジャッキーは、顔を合わせる度にスケッチの
モデルになっていたそう.


アンリ・マティス《ジャッキー》1947年

この《踊り子とロカイユの肘掛けイス》の画は
近年までこのジャッキーの手元にあったそう.


マティスとジャッキー1953年エレーヌ・アダン撮影

そんな由縁の作品を石橋財団は買い取ったのだね.

なお、その後も並行して続けられた切り絵の名作も
展示されていて、これもまたそのフォルムと
大胆な色彩に圧倒される.



アンリ・マティス《ジャズ》1947年

今回の3つの展示に於いては、このマティス編が
一番面白かったかも.

—————————————

その他には、同館の豊富なコレクションから
常設されている名画も堪能できるのも
この美術館の楽しみ.

好きな日本の作家を以下に.


佐伯祐三《テラスの広告》1927年


松本駿介《運河風景》1943年


最後に、もう50年来の愛好画.


安井曾太郎《薔薇》1932年

大学時代、ファイルノートの表紙
を4年間飾っていた《薔薇》.
十数年前に、再生処置を受けて、
ひび割れた絵の具は修正され
画調も明るく一新された作品.

今回もしみじみ近くで観察?
させてもらった.
眼福の一時で、この日を終えた.