製作年度:2013年 製作国:日本 上映時間:126分
“邦画を1000円で楽しむ会”で観賞したのは話題のジブリ作品.
どこのシネコンでも複数の小屋で上映しているのに超満員.
場内にガキが居ないのが救いなのは、事前予告やCMのおかげか?
本年105本目の観賞.
宮崎駿が月刊模型雑誌「モデルグラフィックス」に連載していた漫画を
自らアニメ映画化.宮崎自身が監督を務めるのは2008年の「崖の上のポニョ」以来.
零戦の設計者として知られる堀越二郎の半生を、堀辰雄の小説『風立ちぬ』の
エピソードを盛り込みながら描く.
音楽は「風の谷のナウシカ」以来すべての宮崎作品を手がけてきた久石譲が担当.
主人公の声には『エヴァンゲリオン』シリーズなどの庵野秀明監督を抜てき.
他に、瀧本美織や西島秀俊、野村萬斎などが声優として参加する.
大正から昭和にかけての日本.戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、
世間は閉塞感に覆われていた.航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機
製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた.
関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会.
二人は恋に 落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう.
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著名な飛行機設計家:堀越二郎氏の実話と、堀辰夫の小説「風立ちぬ」の内容と
イタリアの飛行機設計家:カッペローニ氏をからめて、ブレンドした内容.
作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、
ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節
“Le vent se leve, il faut tenter de vivre”
を、堀辰雄が訳したもの.
夢想家である二郎、10歳のころから飛行機を操縦することに憧れ、
夢の中でカッペローニから、操縦は出来なくても飛行機を設計することに
啓示を与えられる.
その後、目は悪くとも、頭脳明晰な二郎は東京帝国大学へ進学.
そして故郷から上京する際に出会う、関東大震災と後の妻になる里見菜穂子.
悲惨である大震災の影の部分を晒すことなく、菜穂子との出会いのエピソード
に転換してしまうなど、宮崎駿流の脚本の真骨頂.
それからは二郎の飛行機設計にまつわる展開が長い.興味ない方には苦痛であろう.
実はディープなヒコーキヲタ&理工系の副長にはたまらない魅力のパート.
食べた定食のサバの骨の曲線に美を感じ、NACAの翼形にまで当てはめてしまう
二郎の感性の表現が好きだ….製図板や雲形定規、計算尺なんて70年代理工系学生と
しては懐かしいモノばかりが登場する.思えばこの舞台となった1930年代から70年代
まで、設計の道具の進歩って牛歩の歩みだったと感服した次第.
主翼の取り付け金具や板ばねを使った点検窓のエピソードなんか、涙もの…(笑).
そうして、設計者として頭角を表わした二郎の初主任での仕事、七試艦戦の墜落事故で
意気消沈し、癒しの為の高原への旅先で里見菜穂子と再会する.
ここからは堀辰夫の世界が繰り広げられる.
二郎とのちに結核で死んでしまう妻:菜穂子との愛のむつみ合い….
ロマンチックな部分でもあり、結核の症状で苦しむ菜穂子の将来の影も見える.
ここで、やはり飛行機について….
戦争は嫌いだけど、飛行機は大好きな宮崎駿監督
の特色が良く表われるセレクション.
二郎が渡独時にユンカース社で見学する巨人機G-38だって、
爆撃機タイプではなく旅客機タイプだったし.
失敗に終わる七試艦戦だって、単なる試作機だったし、
大成功を収める九試艦戦だって、後継で後に実戦で
活躍した九六艦戦ではなく、初号試作機のエピソードだけで終わっている.
つまり血なまぐさい戦闘機、爆撃機の部分を避けてきているところに
“左よりのヒコーキ好き”らしさを感じとってしまうのは…偏っている見方か(苦笑).
夢の中で繰り広げられるイタリアの飛行機設計家カッペローニ氏との会話もしかり.
自ら設計した飛行機が使われる戦争なんてすぐ終わってしまうさ
と言い放ち、大勢を乗せる旅客機の設計に夢をはせる….
こういう戦争とか人殺しの道具とかいった処をさらりとかわして表現するのが宮崎駿流.
メインテーマ「生きねば」だって、大震災後の我々への応援歌?と取れないでもないが
妻を亡くし、作品では描かれていないがその後の傑作設計機ゼロ戦で多くの人を死なせた
二郎への生への強制?と見れる.
失った妻との想い出のシーン、手がけた飛行機が無数に空飛ぶシーンの喪失感は
これまた宮崎駿流の表現と実感.単純な愛情飛行機物語に終わらせられない.
そんな最期のシーンで流れるエンディングテーマ、荒井由美の「飛行機雲」.
70年代の彼女はかくもハイトーンの声の通る歌手だった事を実感.
今は見るべき、いや聴くべきものも無いからねぇ….
懐メロの使い方が上手いのも宮崎駿流.
声優に関しては、他で言われるほど庵野秀明は酷さを感じなかった.
ぼくとつ感を出したかったのだろうと推測.及第点ではないだろうか?
他にも著名な?役者が声優を演じていたことをエンディングロールで
知ったが、それを感じさせない程の自然さだったことを記したい.
エンドロールが終わって、小屋が明るくなって
超満員の場内からは、フーというため息….
讃美か落胆かはしらねど、一人涙をぬぐう副長がそこにいたのはまぎれもない.
菜穂子のエピソードが哀しかった訳ではない.
宮崎駿流の感性、それは飛行機だったり、メカだったり、反戦だったり、
ロマンティシズムだったり、喪失感と生への義務感だったり….
多くの部分での共感の涙というべきだろうか….
気を落ち着けてから、もう一度観に行こうと思う.
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