阿波藍染めのクッション
新しいクッションが自宅に加わった.
今年の夏、徳島を独り旅した.
その際、阿波藍染めの端切れを購入.
艦長:元妻への土産とした.
3ヶ月経ったら、こんな形で帰って来た(笑).
元来パッチワークとか得意とする人だった.
端切れは少々だったのだが、
うまい具合につなぎ合わせ、クッション2個.
良く見ると、既に毛がいっぱい付着している….
理由は、この仔が始終こうしているから(笑)
コウは藍染めがお好き?
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Yahooブログ終了に伴う難民です.引越してきました.
フランスで暮らし始め1年も経たぬうちに
大家さんが戻る…と,引越をせまられた.
引っ越した先のアパートは旧市街の真ん中…
今回は艦長が好きだった「朝市」のお話し.
写真はその朝市の花売り場.
昔々の…艦長のフランス日誌です.
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今度のアパートの目の前は広い朝市の会場となる所だ。
毎週土曜日の朝7時前から
農家の人たちが場所代として何10フランかを払って店を出す。
フランスの大抵の町や村には朝市があるようだ。
野菜、果物、肉、魚、花、お総菜と本当に沢山あって選ぶのに迷ってしまう。
同じじゃがいもでもお店によって値段が違ったりするので、
私は何度か買ってみて、売っているおばちゃんの感じも良くて
おいしかったお店に決めて買い物をしていた。
やはり東洋人は目立つらしく、私がそこの前を通りかかって
おばちゃんと目が合ってしまうと、
じゃがいもを買わなくていい日であっても
「シャルロットか?」と聞かれてしまうと
「ウィ」と答えるしかないのであった。
シャルロットとはじゃがいもの種類で、
このおばちゃんは3種類のじゃがいもだけを
売っているじゃがいも屋さんなのだ。
レンヌは海に近い所なので比較的魚が多い。
朝市の魚は新鮮なのでお刺身にもできるが、
どれも丸ごと売っているので私は初めて出刃包丁で
魚をさばかなければならなくなった。
魚売場のおにいさんはとても威勢がいいので、
こちらもぐずぐずしていられない。
注文するのもお金を払うのもあせってしまう。
スーパーだと金額が表示されるので楽だが、
朝市だと相手の言う金額を聞き取らなければお金を払えない。
最初のうちは大きいお金で払っていたのだが、
そうすると小銭ばかりたまってしまう。
この朝市の買い物によって
私のフランス語聞き取り能力はだいぶ向上したと思う。
艦長と娘のフランス生活格闘記の続編
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この年 娘は3才だったので幼稚園の年少組に入った。
日本と同じで2才「トレプチ」
3才「プチ」 4才「モワイヤン」
5才「ゴーン」と年齢別にクラスが分かれていて
娘は「プチクラス」だ。
フランスの幼稚園も学校も朝8時半から夕方4時半までで、
11時半から1時半まで2時間も昼休みがある。
給食にしたい子は朝そのように言えば良いし、
家に帰って昼食を取りたい時も自由にできる。
プチクラスまではお昼も幼稚園にとどまっていると
お昼寝させられてしまうので、
お昼寝したくない娘はいつも家で昼食をとっていた。
そうなると送り迎えをする私は1日4往復することになり、
それだけで2時間近く歩いていることになる。
健康のためには良いと思うが
石畳の道だったりするので靴の消耗が激しい。
フランスの靴は底が厚くてしっかりしているのだが、
石畳の道ではそうでなくてはならないのだろう。
娘の靴も日本のものだと靴底が薄いので、
さっそくフランス靴を買った。
フランスでは赤ちゃんでも革靴をはいているのだから、
子供靴だって大人と同じおしゃれな革靴なのだ。
当然高いし、子供の足はすぐ大きくなるので
頻繁に買わなければならないのは大変だ。
とはいっても洋服はともあれ、
足元がおしゃれな革靴だと全体的に素敵に見える。
幼稚園に日本式運動靴とトレーナーなどで行くと
フランス人には変に見えるらしい。
娘がアトピーだということもあって、
しばらくは綿100%のトレーナーで通園していて
初めてフランス製セーターで行った日、
担任のモニック先生は「素敵な服ね」と言ったとか。
(この時すでに娘は先生の言っていることがわかるようになっていたのだ)
それまでのトレーナー姿は
「なぜ日本人は運動着で来るのかしら」と思われていたに違いない。
フランスの幼稚園は1日中お絵かきをしているようだった。
もちろん日本のように折り紙などないので、
絵を描いているしかないのだろう。
たまに描いた絵を持ち帰るのだが全部カラーペンで描いてあり、
その紙は画用紙やお絵かき用のものではなく
使用済みのコンピューター用紙なのだ。
時々工作をするときも材料はほとんどすべて廃物利用だ。
その質素なことには驚いた。
それぞれ各クラスの担任の先生の他にお手伝いのおばさんたちがいて、
主にプチクラスの子供たちがトイレに行くとき手伝ってくれる。
だから娘たちは「おしっこおばさん」などとあまり素敵でない呼び方をしていた。
子供たちが親に送られて来ると幼稚園の出入口は全て閉められ、
夕方4時半になり親が迎えに来るとドアが開けられる。
防犯上当然のことなのだろうが、
パリなどと違って治安の良いレンヌでもこうしなければならないなんて
「ああ、ここは外国なんだ」と改めて思わされた。
うちは同じアパートだから幼稚園まで1分なので
(最初の半年は)遅刻したことはなかったが、
もし遅刻したらドア閉められていてさぞ困るだろう。
フランス人なら大声で叫べば良いが私は叫べないし。。。
幼稚園の給食は園内の食堂でとる。
丸いテーブルがあってお皿とナイフ、フォークがセットされている。
さすがフランス、残すのはかまわないが、マナーには厳しい。
例えば男の子はいつでもレディーファーストを守らなければならないし、
3才児といえどもナイフ、フォークはきちんと音をたてないで扱わなければならない。
不思議なことに娘はそれほど苦労はしていなかった。
しかし馴染みのない食べ物には苦労した。
グラタンなどは大喜びだが、モロッコ料理の「クスクス」は
どうしても好きになれなかったらしい。
フランス領だったこともあってフランスにはモロッコ人が多いので
「クスクス」も給食に取り入れられたのだろう。
娘はモワイヤン(4才)になった時から給食にしていたが、
日本人の子供のなかには給食をいやがる子も多かった。
娘もそれほど喜んではいないが、
週にたった4回なのだからがまんしてもらいましょう。
4回というのは水曜日がお休みだからである。
このことはフランスに行って驚いたことの1つなのだが、
フランスの幼稚園、小、中学校は水曜日はお休みなのだ。
土、日も休みだから、週の半分近く休んでいるようなものだ。
私たち日本人はその水曜日を利用して「日本語補習校」に行っていた。
---この章おしまい---
写真は文中にもある,しょっちゅう通った靴屋にて.
モデルは…,今回は古い写真ゆえ目隠しなしっ!
艦長のフランス格闘日誌のその4です.
副長の非情さが良く表れてます(笑).
写真は“ギャレット ロア"
フランス西部の代表的なお菓子です.
ーーー初めての病気ーーー
ある日突然私は吐き気と下痢におそわれた。
吐き気がひどくて、トイレの近くに待機していなければならないほどで、
すぐドクターの所に行かなければならないのだが、
あいにくドクターは帰ってしまった時間だった。
あまりに症状がひどいので夫に救急車を呼んでもらおうと思ったら、
会話の本など取り出してみていて、ちょっとむずかしそうである。
結局私は翌朝まで待って一人でドクターモルバンの所へ行った。
一人で言葉が不安だったが今やそんなことは言っていられず、
大きな辞書を持ってかけこんだ。
「ドクターは英語も話せるからだいじょうぶだよ」と夫は言うが
私の英語の能力だってあやしいものだし、
ドクターの英語だってあやしい発音なのだ。
それが突然フランス語の中に入ってくるから、よけいわかりにくい。
フランス風英語を聞き取ろうと奮闘した結果、
私の病気は急性胃腸炎らしいことがわかった。
「気持ち悪くなる前に何を食べたか」と聞かれたので思い出してみたのだが、
それらしいものは思い当たらない。
唯一食べた物といえば「ギャレット ロア」。
フランスでは毎年2月になるとパン屋さんやケーキ屋さんで、
この「ギャレット ロア」を売り出す。
これはアーモンドプードル入りのパイに王冠を乗せたもので、
中に陶器でできたお人形やコインが入っていて、
それに当たった人はその日は王様になれるというものである。
このパイもジャム入りとチーズ入りの2種類があり、
なぜか「どっちを食べたか」と真剣な顔でドクターが聞くので、
どうしてそんなことを聞くのか不思議に思いながら
「チーズの方」と答えるとドクターはすかさず「それが原因だ」と言った。
そしてしばらく乳製品を食べないようにと言う。
うそみたい、
と私はあまり信用できない思いで握手して診療所をあとにした。