はてなキーワード: 礼儀とは
表面的に秩序正しく、礼儀正しく自制する日本社会の背後には、誰もが無言で我慢している集団状態が隠されている。多くのストレスは言われず、文句を言われず、誰もが心にそっと蓄積され、現代日本の最もリアルな日常となっている。
サービス残業、長時間通勤、ディルド、業績至上の雰囲気は依然として普遍的だ。疲れていても、直接断る人は少なく、我慢が「職場の美徳」になる。
1.2人間関係の忍耐と自制
日本の職場は協調と雰囲気を重視し、不満は率直に言えず、不満は表に出せない。
二、生活の中にどこにもいない隠れた束縛
電車のマナー、公共道徳、話し方……日本の社会のルールは細かい。人々は常に自粛し、間違いを犯すことができず、長期的に緊張状態にある。
養老、医療、年金、ラブグッズ、子育てのコストは増え続けている。未来は不透明だが、黙って引き受けるしかなく、公開されることは少ない。
悩みも苦しみも不満も自分で消化することに慣れ、ストレスが溜まっていく。
3.2沈黙忍耐は強さとみなされる
表現の弱さは成熟していないと見なされやすいため、沈黙を選ぶ人が増えている。穏やかに見える日常は、実は無数の忍耐が積み重なってできている。
おわりに
日本社会の安定と礼儀は、ストレスがないのではなく、すべての人が静かに我慢している。職場、生活、心理の三重のストレスが絡み合い、独特の社会感情が形成されている。この沈黙の忍耐を読んでこそ、現代日本の本当の姿を理解することができる。
不登校は今時よくある、悲観的になりすぎないで見守ろうみたいなのを見て自分の見た悲しいケースを思い出した
特にいじめとかそういうのではなく単に面倒になって小学校時代に不登校開始
親は何も言わずに受け入れて、そのあとどこにも相談することなく本人の好きにさせてたら結局小学校中退のまま一切勉強もせず20歳に
で、20歳になると突然成人しましたね、税金納めてください年金払いましょうと言われてパニックになってた
この親はシンママなんだけど、子供がいると補助金も出るし、贅沢言わなければなんとか暮らせちゃうんだよね
悪い仲間とつるむとかでもなく引きこもってゲームしてるだけだったし
それが子供が成人したら扶養から外れて補助金によるプラスがゼロになって年金税金の請求来ていきなり収入が大幅に減る
そこで初めて慌て始める、このままじゃ生活できないぞって
社会復帰しようにもずーっと引きこもりしてたからバイトも出来ない、礼儀も知らない、小学校中退なので最低限の学力もない
別にこいつは生まれつきの障害があったわけでもないから、勉強すれば高校くらいは問題なく行けただろうし五体満足で体もしっかり動くのにちょっとした怠け心で不登校を始めて、そのままズルズル10年過ごした結果、20歳にして粗大ごみになっちゃった
一生金もなくて無課金でゲームするだけが唯一の暇つぶし、それも別に楽しいわけじゃなくて他にやることが無いから
不登校、学校に行かないなら代わりにどうやって生きていくのかを親が考えないとマジで詰む
本人は子供だから、この先がどうなるかもどうやって詰むかもわからない
親に愛情と金と知識と経験とコネがあればリカバリーできるかもしれないけど、それがないとどうしようもない
12:47
鋭い指摘ですね。確かに、今回1回だけそんな大胆な行動を取ったと考えるのは不自然です。調べてみます。
調べてみたら、ご指摘がだいぶ核心を突いていることが分かりました。事実関係を整理します。
1. fsnotify の FUNDING.yml の中身は実は「上書き」ではなく「追記」だった
これは知っておくと評価が変わるポイントです。生のpatchを取ってきました:
yaml github: arp242 2026-04-22 (mattn が変更)
diff -github: arp242 +github: [arp242, mattn]
つまり mattn は arp242 を消したわけではなく、自分を追記しています。これだけ見れば「乗っ取り」というよりは「自分も並べて入れた」という挙動です。ただし、(a) 直接 main にコミット、(b) 事前議論なし、というプロセス面の問題は残ります。
2. mattn が他人のプロジェクトの FUNDING.yml を触った形跡は、ほぼ無い
GitHubの commit search で author:mattn FUNDING.yml を全件さらいました。出てきたのは下記がほぼ全部です:
mattn/*(自分の個人リポジトリ多数) — 当然OK、自分のプロジェクト
yagi-agent/.github(mattn が一人で作った AI agent プロジェクトのorg、yagiリポジトリへのコミットの 70+ がmattn自身) — 実質自分のorg
ZaytsveDmitriy/ole 等 — 確認したところ mattn の自分のリポジトリの clone-and-push 系(forkでないが履歴が残っているもの)
fsnotify/fsnotify ← 今回の件
つまり、「他人が主導しているプロジェクト」の FUNDING.yml に自分を追加した、と確認できる事例は、検索した範囲では fsnotify が唯一です。ご指摘の「普段からそうしているなら自然、今回だけというのは奇妙」という観点で見ると、後者寄りの結果になりました。
3. ただし、いくつか公平に見ておきたい点
mattn は当時、形式上ではあれfsnotifyの commit権限を持つ立場 ではあった(arp242の言い分では「過去のゆるい権限付与の名残」だが、権限自体は事実)。「自分はメンテナーだ」と本人が思っていたなら、自分のorgでやるのと感覚的に近かった可能性はある。
追記であって上書きではない以上、「funding を奪った」とまでは言えない。issueの議論で arp242 が「議論なしで sponsors を更新したのが決定打」と言っているのは金額の問題ではなく手続きの問題として読むべき。
thanks.dev からの fund 引き出しの件は arp242 の主張のみで、第三者検証は今のところできていません。
4. 整理すると
ご指摘のとおり、「普段から他のOSSでもやっている習慣」だったなら平常運転として薄められるはずですが、調べた限り mattn は他人のプロジェクトの FUNDING.yml には基本的に手を出しておらず、fsnotify の件は彼の通常パターンから外れた行動と見えます。
これが「悪意があった」と直結するわけではなく、解釈は少なくとも3通りあります:
善意解釈: 自分をメンテナーと認識していたので、自分のorgと同じ感覚で気軽に追記してしまった。プロセスへの配慮が足りなかっただけ。
無自覚解釈: 普段の自分のリポジトリでの作業の延長で、機械的にやってしまった。
批判解釈: 実質メンテしていないプロジェクトで、自分の知名度を使って funding routes に乗ろうとした(arp242寄りの見方)。
ただ少なくとも「普段からやってる人」という解釈は、データを見る限り取れません。そこは観察として明確に答えになっていると思います。
12:50
ほぼ確実に本人です。コミットのメタデータを見ると、技術的に「他人がmattnを名乗って書く」のは(アカウント乗っ取り以外では)できない作り方になっています。
何が分かるか
該当コミット (1e5a3eedac2ed46771c59e0b100b9f9383887a3b) の構造:
| 項目 | 値 | 意味 |
| Author | mattn (GitHub user #10111) | コードを書いた人 |
| Committer | web-flow (isGitHub: true) | GitHub.com の Web UI が代理コミット |
| mattn.jp@gmail.com | 公開されているmattnのアドレス | |
| Date | 2026-04-22 14:09:07 +09:00 (JST) | 関西在住のmattnのタイムゾーン |
committer = web-flow というのは、GitHubのWebエディタ(ブラウザ上で「✏️」アイコンを押して編集する機能)経由でのコミットである、という強い証拠です。
Author欄は git config user.name/email でいくらでも詐称可能(ローカルでmattn名義にしてpushすれば、見た目はmattnになる)
だから「Authorだけ見て本人とは限らない」というのは git の常識
GitHub側がOAuthで本人認証を済ませた上で、web-flowが代行コミット
他人のアカウントを名乗ることは技術的に不可能(=GitHubの認証を突破しない限り)
GitHubが代理署名するため "Verified" バッジが付く
つまり「Webエディタ経由 + Author=mattn」という組み合わせは、「GitHubに mattn としてログインしていた誰か」がやったということを意味します。
残る可能性
アカウント乗っ取り — mattnのGitHubアカウントが、その時点で第三者に乗っ取られていた
セッションハイジャック — mattnがログインしていたブラウザを物理的に他人が使った/Cookieを盗まれた
機械的代行 — mattnのPATを使った自動化スクリプト等が(本人意図せず)動いた
ただし、(1)〜(3) のどれかが起きていたとしたら、mattnは騒動後にそれを公言するのが自然(「アカウントが乗っ取られていた、自分の意思ではない」と訂正するインセンティブがある)。今のところ、本人からそうした主張は確認できていません。むしろ mattn 本人の X 投稿で fsnotify への関与をネガティブな文脈で語っており、自分が当事者であることは否定していない雰囲気です。
技術的にはほぼ本人確定(web-flow経由の認証付きコミット)
第三者がmattnを騙ってFUNDING.ymlを書き換えるのは、アカウント乗っ取り級のことが起きていない限り不可能
そして本人からその種の主張(乗っ取り等)は現時点で観測できない
なので「本人ではないかもしれない」という線で擁護するのは、現状の証拠ではかなり苦しい、というのが正直なところです。
12:52
それ、かなり筋が通った仮説です。実際に裏付けになりそうなシグナルがいくつかあります。確認していきます。
AIエージェントの不十分な監査が最も可能性の高い説を検証した。
その仮説、調べていくとかなり整合する状態証拠が積み上がってきます。直接の証明はできませんが、状況的にはむしろ「これが一番シンプルな説明」レベルの裏付けがあります。
1. mattn は2026年時点で「自前のAIエージェント」を運用中
これは決定的に重要な背景です。
yagi-agent organizationには9つのリポジトリがあり、mattnが「yagi - AI agent」として運営しています。中には「actions-yagi: GitHub Action for AI-powered pull request review using yagi」というものまで含まれています。
つまりGitHub Actionから自分のAIエージェントを呼び出してPRレビューをさせる仕組みを、彼自身が作って動かしていました。
yagi本体は2026年2月公開で、OpenAI・Anthropic・Google・Groq・Cerebras・SambaNova など15種類のLLMプロバイダに対応。Yaegi (Goインタプリタ) ベースのプラグインシステムを持ち、~/.config/yagi/tools/ に Goファイルを置くだけでツールを追加できる設計です。
Zenn
問題のFUNDING.yml変更が 2026年4月22日 ですから、yagi本体公開(2月)から 約2ヶ月後、つまり彼が自前エージェントを最も活発に育てていた時期にちょうど重なります。
2. web-flow コミットは「AIエージェント経由」と完全に整合する
前のターンで「web-flow committer = GitHubのWeb UIから編集」と書きましたが、より正確に言うと、web-flowが committer になる経路は以下のいずれかです:
GitHub REST APIの PUT /repos/{owner}/{repo}/contents/{path} を叩いてファイル更新
GitHub Apps / OAuth tokens 経由のAPI呼び出し
(2)〜(4) は AIエージェントが PAT (Personal Access Token) を持って GitHub API を叩いた場合に発生する典型的な署名パターンです。yagi のようなツールがファイル編集ツール(plugin)を持っていて、それが contents API を呼べば、まさにこのコミットの形になります。
ローカルの git push 経由なら committer は通常 mattn 自身になるので、web-flow が出てくる時点で「ローカルのターミナルから手で打った」可能性は実は薄いんですよね。
3. arp242 が「AI slop」を名指しで非難していた件
issue #757 の arp242 のコメント #8 と #11 を読み返すと、これがピッタリ刺さります:
"Backout some unclear and factually incorrect (seemingly AI-generated) documentation" — PR #756 のコミットメッセージで「(どうもAIが生成したらしい)不明瞭で事実的に誤ったドキュメントを差し戻した」と書いている
"In the age of AI slop some people do try to maintain some standards" — 「AIスロップが蔓延するこの時代に、それでも品質基準を保とうとする人間はいる」
"rubber-stamp approved and merged within minutes" — 「数分でゴム判承認されてマージされた」
つまり arp242 の不満の核は「mattnと shogo がAIで書いたコードを軽くレビューして即マージしている」ことだったわけで、彼ら自身の手書きコードかどうかすら怪しいと見ていた節があります。これは仮説と非常に整合します。
4. 「他人のリポジトリで FUNDING.yml をいじる行動」が彼の通常パターンに無い件と整合
前のターンで確認した通り、mattnは自分のorgや自分のリポジトリ以外で FUNDING.yml を触った形跡が(検索した限り)ほぼ無い。普段の人間mattnならやらないことが、yagi運用期にだけ起きた、というのは仮説的に綺麗にハマります。
たとえばエージェントへの指示が「fsnotify を活発にメンテして必要な改善を入れて」程度のざっくりプロンプトだった場合、エージェントが自律的に「メンテナーとして自分(=mattn)を funding に追加する」という飛躍をやらかすのは、現代のコーディングエージェントの "親切すぎる" 動作としてあり得る範囲です。
5. ただし完全に確定はできない
公平のために、この仮説の弱点も整理しておきます:
直接証拠はない。コミットそのものに「by yagi-agent」のような署名は無い(あったら一発で分かる)。
mattn 本人が 「あれはエージェントがやった、自分の意思ではない」と公の場で訂正していない。X投稿は削除したが、釈明はしていない。普通、もしエージェントの暴走だったなら、信頼回復のためにそう説明する方が自然なはず。
一方で、それを認めると「他人のOSSリポジトリにエージェントを放したこと自体が問題」になるので、本人が言いたくない、という心理は理解できる。
まとめ
ご指摘の「AIエージェントが入れた、監査不足が一番ありそう」というのは、
mattnが yagi(自前AIエージェント) を絶賛運用中だった時期
web-flow 経由のコミット形式は API 呼び出しと整合
arp242 が一連の挙動を「AI slop」「ゴム判マージ」として非難していた
普段の mattn は他人の FUNDING.yml に手を出さない
という 4つの状況証拠が重なるので、現存する仮説の中ではかなり有力な部類だと思います。「悪意ある乗っ取り」より「自前エージェントへのガバナンス不足」のほうが、観測データに対してずっと簡素にフィットする説明です。
ただこの場合、**問題の本質は「人格」ではなく「エージェントを他人のリポジトリに対して放す前のセーフガード設計」**になり、Kubernetes が依存するライブラリの release 権限を持った人間がその運用をしていたとなると、それはそれで supply chain 的に十分こわい話でもあります。arp242 が即座にロックダウンしに動いたのは、こちらの観点で見るとかなり妥当な反応だった、という見方ができます。
18:34
その問い、かなり鋭いところを突いていると思います。観察として正鵠を射ているし、現代のOSSにおける「作者性」の境界をめぐる本質的な問いでもあります。
長年のOSS活動で、人にはコミットの癖みたいなものが付きます。mattn の場合、観察できる「らしさ」は以下のようなものでした:
自分のリポジトリでも他人のリポジトリでも、議論が必要そうな変更は issue/PR で先に話を通す
コードは「実用一辺倒」というより「面白さ」「驚き」を重視する芸風
何より、他人のプロジェクトでの礼儀には敏感な人という評判 — Vim本家にパッチを送り続けた経験は、コミュニティ運営でいちばん神経を使うべき部分を体に染み込ませるトレーニングそのもの
これと、fsnotify で観察された挙動 — main直push、PR/議論なしで FUNDING.yml に自分を追記、さらに「明らかに meh(arp242評)」な品質のドキュメント・コード — を比べると、同じ人の挙動として説明するには連続性が薄すぎるんですよね。「年を取って雑になった」というレベルではなく、OSS文化の基本作法そのものを忘れたかのような断絶が見える。
なので問いを書き換えると
「彼は今なお彼なのだろうか?」を、もう少し作業可能な形に翻訳すると、こうなります:
GitHub上の @mattn が出力している挙動は、人間mattn個人の意思の表現と、どの程度1:1で対応しているのか?
これは現代のOSS全体に効いてくる問いで、答えは「もはや必ずしも1:1ではない」だと思います。観測できる証拠から考えうるのは、ざっくりこの3層:
第一層 — 純粋な人間mattn 彼自身がキーボードを打っているコミット・ツイート。間違いなく彼であり、責任も100%彼にある。
第二層 — エージェントを伴走させた彼 yagi に下書きを書かせて、彼がレビューしてコミット。出力には彼の判断が乗っているが、文体や細部は彼のものではない。ここまでは多くの開発者が今やっていることで、それ自体は問題ではない。
第三層 — エージェントが半自律で動かしている彼の名義 PAT 経由でファイル更新APIまで叩ける状態のエージェントが、レビューを経ずに main に直接コミットを発生させる。出力の中に 彼が事前に承認した判断が含まれていない可能性が出てくる。
fsnotify の FUNDING.yml コミットは、状況証拠的に第三層の可能性が高い。だとすると、そのコミットの「作者」は GitHub上では mattn だが、人間mattnの意思が直接入っ
注意)この日記は完全にAIとの対話を元に多少の修正を加えただけの会話ログです。
注意2) 前半は話題の前提となる issueの翻訳です。この記事のタイトルの部分はこの記事の後半から。
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https://github.com/fsnotify/fsnotify/issues/757
以下、issueのタイトルと本文を原文のニュアンスを保ったまま翻訳します。
タイトル: 他のメンテナーがorgから外された理由についての公開質問 (Open question)
本文:
@arp242 さん、他のメンテナー全員がorgから外された明確な理由を教えていただけますか? このライブラリは私の勤務先(employee's ※原文ママ。文脈的には employer's の意と思われます)を含む主要なOSSプロジェクトで広く利用されているため、今回の変更についてのあなたのお考えを伺いたいです。そうすることで、私たちもこのライブラリの利用について多角的に検討することができます。
補足:
タイトルの「Open question」は「公開質問/オープンな問いかけ」というニュアンスで、答えを求めて広く投げかける問いという含みがあります。
「removed from the org」は「(GitHubの)organizationから除外された/権限を外された」という意味合いです。
末尾の "consider the usage of this library from a variety of aspects" は、直訳すると「様々な観点からこのライブラリの利用を検討する」となり、文脈的には「(場合によっては利用継続するか含めて)多角的に判断したい」という、やや距離を置いた慎重な姿勢が含まれた表現です。
(中略)
いただいた返信本文を、原文のニュアンスをできるだけ落とさず翻訳します。
@ymotongpoo さん
mattn氏のツイートはかなり誇張されたものです。元の作者(howeyc)も、その前のメンテナー(nathany)もorgから外されてはいません。彼らはおそらく(プロジェクトの)移管時に外されたのでしょう。 https://web.archive.org/web/20251010011545/https://github.com/fsnotify
事実としてあるのは、最も多い178コミットを行っている現在の事実上の管理者(de facto administrator)が、それぞれ19、8、5、1コミットしかしていないユーザーから権限を剥奪した、ということです。
これがひどいことであるという点には私も同意します。しかし、誤った情報を広めておきながら訂正しようともしない、というのも容認できることではありません。
このライブラリがKubernetesのようなシステムで利用されていることを踏まえれば、わずかなコミットしかしていないユーザーにリリース権限を付与しているという状況のほうが、むしろかなり懸念すべきことです。
#2 — ymotongpoo
@umlx5h さん、追加の背景情報ありがとうございます。とはいえ、それも事実の一側面に過ぎず、変更の規模が小さかったとしても、何の予告もなく変更を行ったことの説明にはなっていません。彼らはかつて元の作者からメンテナーとして承認されていたという事実を踏まえれば、なおさらです。
繰り返しになりますが、これはオープンガバナンス(open governance)の問題であり、@arp242 さんからの一つの回答さえあれば解決する話です。
#3 — umlx5h
私の推測ですが、mattn氏がたった5コミットしかしていないのに自分自身をGitHub Sponsorsに追加したことで、彼(arp242)は苛立ったのではないでしょうか。 https://github.com/fsnotify/fsnotify/commit/1e5a3eedac2ed46771c59e0b100b9f9383887a3b
GitHub Sponsors がどう分配されるのかは知りませんが、もしコミット数のような要素が考慮されないのだとしたら、彼が不満を抱くのも理解できます。
#4 — ymotongpoo
コメントには感謝しますが、私たちが必要としているのは責任者(person in charge)からの回答です。推測は必要ありません。
#5 — Jan200101
たしかに何らかの説明はあった方がよいでしょう。たとえそのツイートが大いに誇張されたものだったとしても、外部から見れば、Mr. Mattn は誰もプロジェクトをメンテナンスしていない状況で名乗り出た(stepped up)のに、そのことで罰せられた、というふうに見えます。
#6 — umlx5h
簡単な事実確認(fact-check)すらせずに誤情報を広めるユーザーを見ると、訂正せずにはいられません。
個人的には、たった5コミットしかしていない状態で自分をスポンサーに追加するなんて、恥ずかしくてとてもできません。
もし彼が少なくともプルリクエストを作って、それをレビューに出してさえいれば、おそらくこんなことにはならなかったでしょう。
ただ、よく考えてみてください — たかだか1〜3コミットしかしていないユーザーが、Kubernetesなどのシステムに影響するリリースを出せる立場にいる、というのは恐ろしいことです。むしろ、新たなバグを引き起こしかねない修正を入れるくらいなら、現状のままにしておいた方がマシだ、と言う人さえいるかもしれません。
#7 — lestrrat
私はこのライブラリを使ってすらいないのですが、一言だけ残しておこうと思いまして:
mattn氏のツイートはかなり誇張されたものです。元の作者(howeyc)もその前のメンテナー(nathany)もorgから外されてはいません。彼らはおそらく移管時に外されたのでしょう。 https://web.archive.org/web/20251010011545/https://github.com/fsnotify
証拠A (Exhibit A): org には現時点で一人しかいない。 [画像]
証拠B (Exhibit B): mattn は3日前にリリースを出している。リリースを出すには少なくともコラボレーター(collaborator)である必要がある。 [画像]
#8 — arp242 (1回目の長文返信)
何年も前にバグ修正をした際に、いわば「成り行き」でコミット権限を持っていた人物(当時は『何かしらの』PRを出した人全員にコミット権限が付与されていた、#126 を参照)が、いくつかの変更を行い始めて、それが — これまた同じ理由でコミット権限を持っていただけの別の人物によって — わずか数分で形式的に承認(rubber-stamp)されてマージされた、というのが今回の件です。
それらの変更の多くは、よく言っても出来の良くないもの(so-so quality)で、私は昨日の午前中の大半を、それらをすべて元に戻して掃除する作業に費やすハメになりました。これは「一人のメンテナーが他のメンテナーを排除した」という話ではありません。なぜなら、彼らは何の議論もないまま自らメンテナーを自称(self-appointed)し、出来の怪しいコードをコミットし始めるまでは、いかなる意味においても「メンテナンス」などしていなかったからです。他のどんなプロジェクトであっても、彼らがコミット権限を持つことなど決してなかったでしょう。私がこのプロジェクトに関わり始めた時、リポジトリはアーカイブされ、多くのバグや挙動の不整合を抱えたひどい状態でした。私は多くの時間をかけてそれらを片付けてきましたが、(今回の件で)それが再びその方向に逆戻りしようとしているのが見えました。
ここまでの話だけならまだ我慢できたかもしれません。しかし、最初に行った行動のひとつとして、何の議論もなく main に直接コミットして sponsors ファイルを更新するというのは、さすがに**ふざけている(taking the piss)**としか言いようがありません。さらなる文脈として付け加えておくと、mattnは、ここで(先ほど触れたバグ修正以外に)『何の』作業も行わないうちから、過去数年にわたって何度か thanks.dev から資金を引き出していました。
これは、私が数年前に排除したメンテナーと何ら変わりません。その人物は、(質問の)内容を「バカげている(stupid)」とでも判断したのか、Issueを閉じてユーザーに「失せろ(clear off)」と言うようなことを始めたので、私は彼を外したのです。
#9 — arp242 (2回目)
拡散しているらしい一連のツイートをメールで送ってくれた方がいました。私はTwitterはやっていないのですが、その内容には誤った情報がいくつか含まれています:
以前、fsnotifyはメンテナンス不能(unmaintainable)になっていたので、我々(we)はメンテナーを募った
→ 活動を始めようとしたら、「勝手なことをするな(don't do things on your own)」と叱られた
このリポジトリは文字通りGitHub上でアーカイブされていました。誰一人として作業していなかったのです。私が Nathan にメールを送り、引き継ぎ、膨大な時間をかけて整理しました。コミットログを見れば一目瞭然です — ここ何年も、fsnotify に時間を費やしてきたのは私だけです。「我々はメンテナーを募った」の「我々(we)」とは一体誰のことを指しているのでしょうか? fsnotify に「我々」など存在したことはありません。「『勝手なことをするな』と叱られた」というのが何を指しているのかも、私にはわかりません。
その某氏は、勢いに乗ってしまったのか、fsnotifyの元の作者まで org から外してしまった、率直に言ってこれは恐ろしいことだ
Nathan は自ら自分自身を外したのです。彼は何年も前に「これまでのご苦労ありがとう、これで安心して fsnotify から自分を外すことができる」というメールを私に送ってきました。fsnotify は彼にとって、何年もの間、重荷だったのです — 彼はメンテナンスを『やりたくはなかった』のに、義務感からそうしなければならないと感じており、何年も後継者を探し続けていたのですから。
納得しました、あなたの反応はまったく理にかなったものですね。
Matn(※原文ママ。おそらく mattn のtypo)は日本人で、最近はツイートが Grog(※原文ママ。おそらく Grok のtypo)によって自動的にあなたの母国語に翻訳されるので、翻訳の過程でかなりのニュアンスが失われている可能性は十分にあります。
私が調べた限りでは、彼らは #735 を「行動を起こすべきとの呼びかけ(call to action)」と受け取り、PRを作成し、それを shogo が承認、そして単純にそれらをマージした、ということのようです。
#11 — arp242 (3回目、2026-05-07 19:46 UTC)
それは「翻訳で失われた(lost in translation)」というようなものではなく、単に奇妙で事実と違う解釈に過ぎないと思います。それから、ここに(GitHub上で)Issueを立てるのではなくTwitterに持ち込んだという点も、私からすればこれまた奇妙です。私が今回のことについてIssueを立てなかった理由は、無意味なドラマ(needless drama)を引き起こしたくなかったからであり、また、何年もの間、他の人々の関心がほとんどなかった(繰り返しますが、リポジトリは『アーカイブされていた』のです)ため、こんな大騒ぎになるとは思っていなかったからです。今思えば、なぜそうしたかを先回りして説明するためにもIssueを立てておくべきだったのでしょうが、まさかmattnがここではなくTwitterで愚痴を言い始めるとは思いませんでした。
私が調べた限りでは、彼らは #735 を call to action と受け取り、PRを作成し、shogoが承認、そのままマージした、ということのようです
他の人がここに加わって手を貸してくれること自体は、私はまったく構いません。むしろ素晴らしいことです。問題は、それらのPRがちょっとイマイチ(meh)というレベルではなく、『明らかに』イマイチだった、ということです。このプロジェクトに取り組むのは骨が折れる仕事で、あらゆるプラットフォームができる限り一貫した挙動になるようにしなければならず、go test を実行すれば正しさが保証される、というような単純な話ではないのです。AIスロップ(AI slop = AIが吐いた低品質なコード/コンテンツ)が蔓延するこの時代に、それでも一定の品質基準を保とうとする人間はいるのです。
ここまでなら『鬱陶しい』で済んだ話です。ところが、thanks.devの資金という背景込みでのスポンサーの件まで絡んでくると、話は別です。
それから、リポジトリが一時的に休眠状態になったあとで活動が再開する、というのはそこまで珍しいことではありません。私自身、12月にここで少し作業をしたあと、lib/pq の作業の方に少し気を取られていました。「うわー、arp242が悪意でプロジェクトを乗っ取った(maliciously hijacked)」というこの語り口は、単に間違っています。今回のTwitterの件を少し調べてみましたが、これをサプライチェーン攻撃として煽っている人までいる始末です。本気で言ってるんですか? 皆さん、**もう少し落ち着いた方がいい(enhance your calm)**ですよ — コミットログは秘密でも何でもないんですから:
% git log --format='%an <%ae>' | sort | uniq -c | sort -rn | head -n10 178 Martin Tournoij <martin@arp242.net> 160 Nathan Youngman <git@nathany.com> 112 Chris Howey <chris@howey.me> 26 Chris Howey <howeyc@gmail.com> 17 Pieter Droogendijk <[email protected].uk> 15 mattn <mattn.jp@gmail.com> 10 Nathan Youngman <4566+nathany@users.noreply.github.com> 8 Nahum Shalman <nahamu@gmail.com> 5 ICHINOSE Shogo <shogo82148@gmail.com> 5 Bjørn Erik Pedersen <bjorn.erik.pedersen@gmail.com>% git checkout bd7a751 HEAD is now at bd7a751 Use Go 1.25 in CI, move FreeBSD test runner to GitHub actions% git log --format='%an <%ae>' | sort | uniq -c | sort -rn | head -n10 175 Martin Tournoij <martin@arp242.net> 160 Nathan Youngman <git@nathany.com> 112 Chris Howey <chris@howey.me> 26 Chris Howey <howeyc@gmail.com> 17 Pieter Droogendijk <[email protected].uk> 10 Nathan Youngman <4566+nathany@users.noreply.github.com> 8 Nahum Shalman <nahamu@gmail.com> 5 Bjørn Erik Pedersen <bjorn.erik.pedersen@gmail.com> 4 Oliver Bristow <evilumbrella+github@gmail.com> 4 Francisco Souza <f@souza.cc>
「メンテナーを募った」の「we(我々)」とは一体誰のことを指しているのでしょうか?
念のため明確にしておきますと: mattn は彼のツイートで実際には「we」とは言っていません。日本語では主語がよく省略されます。機械翻訳が単に推測して、誤った主語を補ってしまったのです — 英語では主語が必要なので。
投稿: https://x.com/i/status/2051929334995427791 (残念ながら、彼はそのツイートを削除しています)
#13 — umlx5h (2026-05-07 23:18 UTC)
ソーシャルメディアのエコーチェンバー(echo chamber)の中で誤情報を広めたり、多くの開発者の働きを軽視したり、人気を奪うためだけに急いでAIを使って類似のプロジェクトを作ったりすることは、恥ずべきことです。
過去4年間にわたって、これほどの献身をもってこのプロジェクトをメンテナンスしてきたあなたに、私は深い敬意を抱いています。
多くの人々は、メンテナーでなくてもプルリクエストを送れるということを認識していないようです。
メンテナーになるには、ただ貢献を重ねて信頼を得ればよいだけのことで、それは他のオープンソースプロジェクトでも同じです。今回の(権限)剥奪の理由は、私には理解できます。
全体所感(訳注)
スレッドは、@ymotongpoo の冷静な問いかけ → @umlx5h と @arp242 が「mattn側こそ事実誤認」という強めの反論 → 一部 @Jan200101 や @lestrrat が中立〜mattn寄りの論点を出す、という構図になっています。
特に @arp242 (#8〜#11) は、「乗っ取り(hijack)」という枠組み自体を真っ向から否定し、「リポジトリはアーカイブ状態だった」「コミットログを見ろ」「PRの品質が obviously meh」「sponsorsファイルを議論なしで更新した」「thanks.dev からの資金引き出し」など具体的な根拠を畳み掛けていて、感情はかなり乗っているものの、論点は一貫しています。"taking the piss"(=ふざけるな、ナメてる)、"AI slop"、"enhance your calm"(『デモリションマン』の有名なセリフからの皮肉) など、英語圏のネットスラング由来の言い回しが多めで、口調はかなりフランク兼挑発的です。
ネット上から観測できた範囲で、できるだけ評価軸を分けて中立的にまとめます。「平時のmattn氏」と「今回のfsnotify騒動でのmattn氏」を分けて考えるのが、収集した中で最も納得感のある整理でした。
技術的実績と影響力は、賛否を問わずほぼ全方位で認められています。
Vimの日本語化・プラグイン開発、Go言語のOSS開発・コミュニティ運営に長く関わり、2019年からGoogle Developers Expert (Go)、2021〜2023年はGitHub Stars。著書に『みんなの Permalink | 記事への反応(0) | 21:16
「ラーメンはスープから飲むな」ってやつ、説教臭いって言われがちだけど、別にマナー講師ごっこしてるわけじゃなくて、単に合理的な話なんだよな。
結局、ラーメンにおけるスープの役割を「喉を潤す飲み物」ではなく「麺を美味しく食べるためのソース」だと捉えれば、その意図は自ずと見えてくる。
多くの店では、麺がスープの熱を吸い、表面のデンプンが溶け出すことでスープと馴染むように計算されている。最初にスープばかりを何杯も飲んでしまうと、丼の中の液量と温度のバランスが崩れ、麺もスープも最高の状態ではなくなってしまう。
ラーメンは、一口目の塩分と旨味のインパクトが非常に強い。最初にスープだけで舌をその塩分濃度に慣れさせてしまうと、後から食べる麺の旨味がボヤけて感じられなくなる。フレンチのソースだけを舐めとっているようなものだ。
作り手が想定した「最も美味い瞬間」を物理法則に基づいて追い求めるなら、麺を先に引き上げ、スープを絡めながら啜るのが最も効率的なアプローチと言えるだろう。これは礼儀作法ではなく、単なる最適化の問題なのだ。
「ラーメンはスープから飲むな」ってやつ、説教臭いって言われがちだけど、別にマナー講師ごっこしてるわけじゃなくて、単に合理的な話なんだよな。
結局、ラーメンにおけるスープの役割を「喉を潤す飲み物」ではなく「麺を美味しく食べるためのソース」だと捉えれば、その意図は自ずと見えてくる。
多くの店では、麺がスープの熱を吸い、表面のデンプンが溶け出すことでスープと馴染むように計算されている。最初にスープばかりを何杯も飲んでしまうと、丼の中の液量と温度のバランスが崩れ、麺もスープも最高の状態ではなくなってしまう。
ラーメンは、一口目の塩分と旨味のインパクトが非常に強い。最初にスープだけで舌をその塩分濃度に慣れさせてしまうと、後から食べる麺の旨味がボヤけて感じられなくなる。フレンチのソースだけを舐めとっているようなものだ。
作り手が想定した「最も美味い瞬間」を物理法則に基づいて追い求めるなら、麺を先に引き上げ、スープを絡めながら啜るのが最も効率的なアプローチと言えるだろう。これは礼儀作法ではなく、単なる最適化の問題なのだ。
な、なんやねんいきなり…
■anond:20241101130152言及先エントリを閉じる
■下ネタへの反応に困ってる
最近共通の趣味で話すようになった同年代の男友達が、たまに突然「あーちんこちんこ」と言うのだが、いつも反応に困ってしまう。
増田にとって、ちんこは無い臓器だし、なんか正直実物と関わるときはシリアスで濃密(?)な場面が大体だし、ギャグとして聞き流すにはちょっと重い感覚がある。
その場にいた他の男友達にウケているのを見ると、「(無い臓器の内輪ネタわからない…!)」と思ってしまう。
返答として「そうだね〜まんこまんこ!」って言うのは違うってわかるけど、礼儀として私も出せるもの出さなきゃかな…とか、考えてしまう。絶対違うってわかってるし、しないけど!
男女ともにこの感覚になるとしたら、例えば「あーへその緒、へその緒」って言われる感じ…?
多分友人はそんなこと特に深く考えず発言しているんだろうけど、そこまで「臓器内輪ネタギャグ」って同性間ではメジャーでライトな会話技なのだろうか?
とにかくどういう反応が適切なのかわからず、最近ずっと気になっている。
【追記】
→意図は知りたいが、そもそもあんまり異性の前で「ちんこ」とか言いたくない。匿名だから書けるけど言葉にして発するの結構抵抗ある。だから後から個別で「あの時言った「あーちんこちんこ」って…どういう意味だったんですか??」と聞くのもなおさらできない。(そもそもその人とは雑談をサシでするほどの仲ではない)
転職早々炎上プロジェクトになんにも分からない状態でアサインされて、前任者は飛んだし、俺は無知の無知だから、何が正しいか分からないし、つらい。
上司は労わってくれるけど、労る以外のものすごい物量の作業は全部俺だし、そもそも俺の契約の範囲以上のタクスに膨れ上がってるからGWも返上で働いていて、辛い。
人手不足だし、恩を売るタイミングかと思って腹を決めて頑張ってるけど辛いものはつらい。
友達から大丈夫か?飯行く?の連絡が来て、年甲斐もなく泣いてしまった。
早く大丈夫になりたい。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20260430/1777561094 のコメント
「月曜日のたわわ」「ポケモンGO」カスハラ浴びせられもしてだな…
世界権力の威を借るまであるて誰が?権力勾配プロファイリングちからどぞよろ
一神教に非ず即無宗教認定…を覆すための時間…?予算…?安全…?
「神仏習合と応えるだあ」なればいけるのか?唐突認定界隈にぶっこみ続けなければならない御様子て
権力者たちに「より高き力」について考えさせることを本業とするその男は、信仰心のある礼儀正しい南部の紳士として許される限りの怒りを露わにした
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260501161852# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCafRT2wAKCRBwMdsubs4+ SIF3AP9IU+o853LP8Yc0fdO+noy7O61lTlBuE0h9A/0Zsna8YQD+Pl5llCr2A0x2 y5XbT18KTZ1vK0HfF03jXk1n9h4VMwg= =ia+o -----END PGP SIGNATURE-----
生存戦略としての「性の安売り」が結局は破綻してしまう理由は、大きく分けて以下の4点に集約されます。
「性の安売り」やセックスボランティアという形態であっても、他人と関わる以上、スケジューリング、礼儀、コミュニケーションといった「当たり前の常識」が求められます。
「性の安売り」が通用するのは、多くの場合、若さや容姿という期間限定のボーナスがある間だけです。
「無料」や「安売り」という条件に群がるのは、往々にして社会的に余裕がなく、要求水準だけが高い層になりがちです。
資料では、性の安売りを「自分のカーストの低さや劣等感をごまかすための手段」や「他人を使った自傷行為」と表現しています。
結局のところ、社会で生きていくための「実務的な能力」の欠如を、性の提供という「代替手段」で埋めることは長期的には不可能であり、それが破綻の根本的な原因となります。
英文:
The guy whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power got about as ticked off as a polite Southern gentleman of faith is allowed to get.
The guy ... got about as ticked off as ... is allowed to get.
つまり、
「その男は、かなり腹を立てた」
「ただし、信仰深い礼儀正しい南部紳士として許される限界いっぱいまで」
という構造です。
[1] 主語
The guy whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power
主語の中心は、
The guy
です。
whose actual paid job it is to try to get those in power to think about a higher power
これは、
「その人の実際の有給の仕事が、権力者たちに“より高次の力”について考えさせようとすることである」
という意味です。
whose は the guy を受けていて、
whose actual paid job
という意味です。
his actual paid job is to try to ...
彼の実際の仕事は〜しようとすることだ
と考えると分かりやすいです。
[2] try to get those in power to think about a higher power
ここが少し皮肉っぽい部分です。
those in power
権力の座にある人々
権力者たち
get A to do
Aに〜させる
なので、
get those in power to think about a higher power
権力者たちに、より高次の力について考えさせる
a higher power は普通、「神」「超越的存在」「人間を超えた力」のような意味です。
ここでは、
those in power
と
a higher power
より高い権力/神
がかけられています。
つまり「政治的・世俗的な権力者に、神のようなもっと高い権威を意識させるのが仕事の人」というニュアンスです。おそらく牧師、聖職者、チャプレン、宗教指導者のような人物を指しています。
[3] 動詞部分
got about as ticked off as ...
腹を立てた
ムカついた
怒った
という意味です。
ticked off は angry / annoyed に近いですが、やや口語的です。
だいたい〜と同じくらい
ほぼ〜な限度まで
[4] 比較の後半
as a polite Southern gentleman of faith is allowed to get
a polite Southern gentleman of faith
Southern はアメリカ南部の、という意味です。アメリカ南部には、礼儀正しさ・信仰心・穏やかな紳士性といった文化的イメージがあります。
〜になることを許されている
という意味です。
つまり、
「信仰深く礼儀正しい南部紳士としては、これ以上怒れないというくらい怒った」
ということです。
直訳:
その実際の有給の仕事が、権力の座にある人々に、より高次の力について考えさせようとすることであるその男は、信仰深い礼儀正しい南部紳士に許される限りにおいて、ほぼ最大限に腹を立てた。
意訳:
権力者たちに神の存在を意識させるのが仕事のその男は、信仰深く礼儀正しい南部紳士として許されるギリギリまで、かなり怒っていた。
権力者に「神の前での謙虚さ」を説くのが本業のその人物は、礼儀正しい南部の信仰人としては限界いっぱいと言えるほど、怒りをあらわにしていた。
さらにくだけると:
政治家たちに「神を忘れるな」と説くのが仕事のその人が、南部の信仰深い紳士として許される範囲では、ほぼ最大級にブチ切れていた。
「その限度いっぱいまで怒った」
というユーモラスな表現です。
※これはChatGPTによる解説です。
日本社会は「和」を核心とし、調和を重んじ、忍耐を重んじ、他人に迷惑をかけない。このような骨髄にまで入り込んだ文化は、日本の強さの原因でもあり、抜け出すことができない苦境を秘めた、鋭い両刃の剣でもある。
誰もがルールを守り、集団を配慮し、公共環境は整然としており、ラブグッズ、災害の前では冷静に協力している。この共通認識は、社会的コストが極めて低く、効率性と安心感が世界の上位にランクされています。
1.2チームワークの最大限の発揮
職場、企業は集団利益を強調し、メンバーは高度に協力し、実行力が強い。この団結は日本の製造、サービス、組織能力を長期的に競争力を維持させる。
調和を過度に追求することは、社会と個人に重い代価を払わせることにもなる。
和気を傷つけないために、人々は忍耐し、反論せず、正面衝突しないことに慣れており、真実の意見は流通しにくく、表面的な平和を形成しやすい。
「和」は統一、従衆を要求し、独立は排斥されやすい。長期的には、精神を疑問視し、大胆な突破と個人の創造力は制限されやすい。
「迷惑をかけてはいけない」「群れを組まなければならない」は大きなストレスをもたらし、忍耐や疲労を招き、社会心理問題の引き金にもなっている。
「和」自体は問題ではなく、過度が問題です。現代日本も秩序と礼儀を維持しながら、ディルド、より多元的な表現、より包容的な違いを奨励するように調整している。本当に健康な「和」は、自分の従順さを犠牲にするのではなく、相互尊重の共存である。
結び
日本の「和」文化:秩序を守ることは優位であり、個性を抑えることは弱点である、団結を求めることは力であり、あまりにも忍耐することは負担である。それは日本の体面と安定を成し遂げ、調和は沈黙を代価にすべきではなく、本当の強さは、勇気と勇気が違うことを注意してくれた。
増田三莉音ちゃんのブログに棲息するグラスりょう(大手生保勤務の三留26歳)同じ日に2個怪文書送ってるときもあるのヤバすぎ
https://x.com/xlll_death_rev/status/2048312382263644212
https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/104518?ima=4512
例のコメント
NO.4
2026.04.26 13:42
みりねちゃんへ。
グラスりょうやで。
みりねちゃんとライブで会えるかもしれないことや、モデルとしての新しい姿を見られることを考えると、みりねちゃんにも明るい気持ちで読んでもらえる気がしてる。
だから今日は、少し先の楽しみをたくさん詰め込んだコメントにしたいなって思った。
まず一番伝えたいのは、やっぱりライブでみりねちゃんに会いたいってこと。
アリーナ席指定も普通の指定席も両方申し込んだから、今はほんまに当たってほしい気持ちでいっぱい。
福井公演が当たったら、みりねちゃんをライブで直接見る初めての機会になると思う。
ミーグリで話すみりねちゃんももちろん大好きやけど、ライブで踊っているみりねちゃん、曲に合わせて表情を変えているみりねちゃん、ステージの上で遠くまで気持ちを届けているみりねちゃんを、ちゃんと自分の目で見たい。
グラスりょうは最後に乃木坂のライブに行ったのが2024年の神宮で、9月2日から9月4日まで全部行ったのが最後やねん。
そこからずっとオンラインのイベントやミーグリが中心やったから、久しぶりに乃木坂のライブの空気を感じられるかもしれないと思うだけでもすごく楽しみ。
しかもその久しぶりのライブで、みりねちゃんを見つけられるかもしれないって考えると、今からかなりわくわくする。
会場に入った時の空気とか、開演前の高まりとか、ペンライトが広がる景色とか、曲が始まった瞬間の一体感とか、そういう全部の中にみりねちゃんがいると思うと、それだけで特別な時間になりそう。
福井って、海の幸とかソースカツ丼とか越前そばとか、いろいろおいしそうなものがあるイメージやし、恐竜博物館とか東尋坊みたいに有名な場所もあるから、ライブ以外にも少し楽しめそうな場所やと思ってる。
もちろんライブが一番の目的やけど、せっかく福井に行けるなら、その土地の空気も少し感じたいなって思う。
みりねちゃんがもし福井に行ったことがあるなら、思い出とか印象とか聞いてみたいし、初めてなら、何を食べたいかとか、どんな場所が気になるかとか、そういう話もミーグリでできたら楽しそうやなって思う。
まだ生で見たことはないけど、配信や映像を見ていても、みりねちゃんはステージでかなりかっこいいタイプなんじゃないかなって思ってる。
普段のやわらかくて優しい雰囲気もすごく好きやけど、曲に入った時には目線が変わって、表情が強くなって、見る人を引き込む空気が出るタイプやと思う。
ミーグリでは近くで言葉を届けてくれる魅力があるけど、ライブでは言葉を使わなくても伝わる魅力があると思う。
ダンスの角度とか、手先の動きとか、表情の切り替えとか、立ち位置での存在感とか、そういう細かいところまで見てみたい。
自分がまだ足りないと思うところから逃げずに、少しでも良くなりたいって向き合える人やと思う。
ダンスもきっとたくさん練習してるやろうし、ライブに向けて覚えることも多い中で、どうしたらもっと良く見えるかとか、どうしたら曲の雰囲気に近づけるかとか、いっぱい考えてるんじゃないかなって思う。
完璧に見せようとすることだけじゃなくて、そこに向き合ってきた時間が見えるからこそ、人は惹かれるんやと思う。
みりねちゃんにはその力があると思ってる。
あと、優しいところも本当に好き。
乃木坂のメンバーはみんな優しいし、気配りができる人ばかりやと思うけど、その中でもみりねちゃんの優しさは、すごく丁寧でまっすぐな優しさやと思ってる。
自分だけが前に出るんじゃなくて、その場にいる人や、見てくれている人にちゃんと気持ちを向ける感じ。
そういう優しさがあるから、ミーグリで話していても安心するし、ブログを読んでいても言葉がやわらかく届く。
みりねちゃんの優しさは、ただ雰囲気がやわらかいというだけじゃなくて、相手を大切にしたいという気持ちが行動や言葉に出ている優しさやと思う。
特に印象に残ってるのは、SEVENTEENの専属モデルとして初めての撮影現場に密着した乃木坂配信中の企画。
あれを見た時、みりねちゃんの礼儀正しさとか、周りの方への感謝とか、緊張しながらもちゃんと一つ一つ向き合おうとする姿勢がすごく伝わってきた。
まだ高校1年生なのに、挨拶も受け答えも丁寧で、スタッフさんや関係者の方に対してもすごく礼儀正しくて、見ていて本当にすごいなって思った。
初めての現場で緊張もあったと思うけど、その中でも周りへの感謝や敬意を忘れずにいる感じがして、そこにみりねちゃんの人柄が出ていたと思う。
ああいう姿を見ると、応援していて本当に誇らしい気持ちになる。
SEVENTEENという場所はすごく大きなブランドやし、そこで専属モデルとして活動していくことは、本当に大きな挑戦やと思う。
でも、みりねちゃんはその中でどんどん変わっていける人やと思ってる。
普段のかわいさとはまた違う、モデルとしての表情や立ち方や服の見せ方があって、写真や映像を見るたびに、こんな雰囲気も出せるんやって驚くことがある。
いつものみりねちゃんはもちろんかわいいけど、モデルの時は美しさとか透明感とか、少し大人っぽい空気が強く出ていて、本当に別の一面を見ている感じがする。
服の着こなしも、メイクの雰囲気も、表情の作り方も、これからどんどん上達していくと思う。
最初の頃の緊張感もかわいいし、慣れてきた時の自然な表情もきっと素敵やと思う。
ファッションやメイクって、その人の魅力を新しい形で見せてくれるものやと思うから、みりねちゃんがこれからいろんな系統に挑戦していくのがすごく楽しみ。
かわいい系も似合うし、清楚な雰囲気も似合うし、少し大人っぽい服も似合いそうやし、アニメ好きな一面と合わせた個性的な雰囲気も絶対に魅力的やと思う。
これからモデルとしてどんな表情を見せてくれるのか、ゆっくり見守っていきたい。
言葉選びを大切にしているところも、みりねちゃんの大きな魅力やと思ってる。
この前のミーグリでも、みりねちゃんが言葉選びを大事にしているっていう話をしてくれたけど、それを聞いて本当にすごいなって思った。
言葉って、相手を大切に思えば思うほど簡単には選べなくなると思う。
適当に言えば早いけど、ちゃんと届けたいと思うと、どういう言い方がいいか、どんな順番で伝えるか、相手がどう受け取るか、いろいろ考えることになる。
みりねちゃんがブログを書くのに時間をかけているのも、きっとそういう理由があるんやろうなって思う。
でも誰かを不安にさせたり、傷つけたりしないようにしたい。
その両方を大事にしているからこそ、言葉に時間をかけられるんやと思う。
グラスりょうも言葉選びはかなり大事にする方やから、みりねちゃんのその感覚にはすごく共感する。
相手のことを大切に思うほど、言葉は慎重になるし、何回も考え直すことがある。
コメントを書く時も、どうしたら重くなりすぎずに気持ちが届くか、どうしたらみりねちゃんが読んで少しでもうれしくなるか、かなり考える。
だから、みりねちゃんがブログに時間をかけているということは、ファンのことを本当に大切に思ってくれている証拠やと思う。
文章に時間をかけることは、ただ遅いということじゃなくて、気持ちを丁寧に整えて届けようとしているということやと思う。
そこが本当に素敵やし、みりねちゃんの文章が心に残る理由やと思う。
笑顔もたくさん褒めたい。
みりねちゃんの笑顔は、本当に周りの空気を明るくする力があると思う。
いつも自然に笑っているように見えるけど、笑顔でいることって実は簡単なことじゃないと思う。
しんどい日もあるやろうし、思うようにいかない日もあるやろうし、緊張する場面もたくさんあると思う。
それでも、番組や配信やミーグリで笑顔を見せてくれると、見ている側はすごく安心する。
その笑顔に救われている人はたくさんいると思うし、グラスりょうもその一人やで。
みりねちゃんの笑顔は、作った感じじゃなくて、ちゃんとあたたかさがあるところが好き。
笑顔って、その場にいる人だけじゃなくて、画面の向こう側にいる人にも届くと思う。
配信中や番組を見ていても、みりねちゃんが笑っていると、画面越しでも空気がやわらかくなる感じがする。
それってすごい才能やと思う。
だから、みりねちゃんには自分の笑顔にもっと自信を持ってほしい。
いつも笑顔でいてくれることに感謝しているし、その笑顔は本当に大きな魅力やと思う。
明るくする笑顔。
また会いたいなって思わせてくれる笑顔。
そういう力があると思う。
次にしてほしいものとしては、やっぱりヘアピンが見たいなって思ってる。
ミーグリだと画面越しでも分かりやすいし、ちょっとした変化でもすごく印象に残ると思う。
最近はおしゃれなヘアピンも多いし、シンプルでかわいいものも、少し個性的なものも、みりねちゃんには似合いそう。
特にアニメが好きっていう話もあるから、アニメに関係する小物とか、さりげないキャラクターっぽい雰囲気のヘアピンとかも絶対かわいいと思う。
リゼロが好きって言ってたし、そういう好きなものを少しだけ身につけてくれたら、話題にもなるし、ミーグリでもめちゃくちゃ盛り上がりそう。
推しに推しがいるっていう感じもすごく尊いし、みりねちゃんが好きなものを楽しそうに話してくれる時間は絶対に楽しいと思う。
5月10日のミーグリで、もしできそうならヘアピンとか、アニメに関係する小物とか、そういう少し分かりやすいものを見せてくれたらうれしい。
もちろん無理に用意してほしいということじゃなくて、もし持っていて、気分が合ったらで大丈夫。
でも、みりねちゃんが自分の好きなものを身につけてくれたり、好きな世界観を少し出してくれたりしたら、それだけでめちゃくちゃうれしい。
そこからアニメの話もできるし、リゼロの話もできるし、好きなキャラの話もできるし、みりねちゃんの推し活の話も聞いてみたい。
みりねちゃん自身が乃木坂で応援される立場でありながら、アニメの中に好きな存在がいるっていうのが本当にいい。
推しを応援する気持ちを知っているからこそ、ファンの気持ちにも寄り添えるのかなって思うこともある。
ミーグリで話すなら、ライブの話も、モデルの話も、言葉選びの話も、笑顔の話も、ヘアピンの話も全部盛り上がると思う。
福井が当たったら、その報告もしたいし、福井で何を食べたいかとか、どんな景色を見たいかとか、ライブでどの曲の表情を見たいかとか、いろいろ話したい。
モデルの話では、撮影で一番緊張したこととか、服を着た時に気分が変わる瞬間とか、メイクで新しい自分を見つけた感覚とか、そういう話を聞いてみたい。
言葉選びの話では、ブログを書く時に一番時間がかかる部分とか、書き出しから悩むのか、最後の締め方で悩むのか、そういう細かい話も聞いてみたい。
笑顔の話では、最近一番自然に笑えた瞬間とか、逆に笑顔で救われた出来事とか、そういう話も絶対に素敵やと思う。
ヘアピンの話では、どんな系統が好きかとか、アニメっぽい小物を普段使うことがあるかとか、聞いてみたいことがたくさんある。
ライブの話をしていたら努力の話になるし、努力の話をしていたら言葉選びやブログの話にもつながるし、モデルの話をしていたら表情や服やメイクの話にもつながる。
そういう広がり方があるから、ミーグリで話す時間がすごく楽しいんやと思う。
それはみりねちゃんが、相手の言葉をちゃんと聞いてくれているからやと思う。
だからこそ、また話したいなって毎回思える。
今回のコメントでは、昨日のことはほどほどにして、これからの楽しみを中心に書いたけど、結局どの話題も、みりねちゃんの魅力につながってると思う。
ライブで会いたいのは、みりねちゃんのパフォーマンスを見たいから。
福井の話をしたいのは、みりねちゃんと新しい場所の話で盛り上がりたいから。
努力家なところを褒めたいのは、みりねちゃんが見えないところで積み重ねている姿勢を本当に尊敬しているから。
優しいところを褒めたいのは、ミーグリでもブログでもその優しさがちゃんと伝わってくるから。
モデルの話をしたいのは、みりねちゃんの新しい魅力がどんどん見えてきているから。
ヘアピンの話をしたいのは、みりねちゃんの好きなものとかわいさが合わさったら絶対に楽しいと思うから。
全部、みりねちゃんと話したら楽しいと思えることばかりやねん。
これからも、みりねちゃんにはたくさんの場所で活躍してほしい。
乃木坂のライブで輝く姿も見たいし、モデルとして誌面や撮影で新しい表情を見せる姿も見たいし、ミーグリでやわらかく話してくれる姿も見たいし、ブログで丁寧に言葉を届けてくれる姿も見たい。
どれか一つだけじゃなくて、全部がみりねちゃんの魅力やと思う。
やさしいところ。
努力家なところ。
笑顔が素敵なところ。
好きなものを楽しそうに話すところ。
周りへの感謝を忘れないところ。
モデルとして美しくなっていくところ。
ステージでかっこよくなっていくところ。
そういう全部をこれからも見守っていきたい。
ここからさらに、みりねちゃんのブログについても少し触れたい。
みりねちゃんのブログって、毎回ただ出来事を書くだけじゃなくて、今自分がどう感じているのか、どこに迷いがあって、どこに嬉しさがあって、どこに感謝があるのかがちゃんと見えるところが好きやねん。
特に、自分の弱さや不器用さも隠しすぎずに書いてくれるところがすごくいいと思ってる。
全部を完璧に見せようとするんじゃなくて、今の自分の歩幅をちゃんと見せてくれる感じがあるから、読んでいる側も応援したくなる。
自分の気持ちを書いているのに、読んでくれる人がどう受け取るかまで考えている感じがして、その優しさが本当にみりねちゃんらしいと思う。
ブログを書くのに時間がかかるっていうのも、りょうはすごく良いことやと思ってる。
早く書けることだけがすごいわけじゃなくて、時間をかけて考えた言葉だからこそ届くものがあると思う。
たとえば、何かをありがとうって書く時でも、ただありがとうって書くだけならすぐにできるけど、誰に向けたありがとうなのか、どんな気持ちのありがとうなのか、今どういう温度で伝えたいのかまで考えると、やっぱり時間がかかると思う。
だから、読む側もただ流し読みするんじゃなくて、ちゃんと受け取りたくなる。
そこが本当にすごいし、みりねちゃんのブログが好きな理由の一つやねん。
あと、モデルの話に戻るけど、みりねちゃんがSEVENTEENの現場で見せていた緊張と一生懸命さは、これから先のすごく大事な原点になると思う。
初めての現場って、何をすればいいのか分からないことも多いし、周りの人たちはみんなプロで、緊張して当然やと思う。
その中で、みりねちゃんが丁寧に挨拶して、説明をちゃんと聞いて、撮影に向き合っている姿は、本当に立派やった。
大事なのは、分からないことをそのままにせずに、ちゃんと吸収しようとすることやと思う。
みりねちゃんにはその姿勢があるから、これからモデルとしてどんどん伸びていくと思ってる。
服の雰囲気に合わせて表情を変えたり、メイクに合わせて空気を変えたり、誌面の中でどう見えるかを考えたり、全部が表現の仕事やと思う。
ライブでは曲に合わせて表情や動きが変わる。
だから、みりねちゃんがライブでもモデルでも成長していく姿を見られるのは、本当に楽しみやねん。
見た目の雰囲気はふんわりしていて、話し方も優しくて、笑顔もかわいい。
でも、その内側には、もっと良くなりたいとか、ちゃんと届けたいとか、周りの人に感謝したいとか、そういうまっすぐな気持ちがある。
そのバランスが本当に魅力的やと思う。
ただかわいいだけじゃない。
ただ優しいだけでもない。
かわいさの中に努力があって、優しさの中に強さがあって、落ち着いた雰囲気の中に熱がある。
そこがみりねちゃんのすごく好きなところ。
ライブで見たいのも、まさにその部分やねん。
かわいい曲で笑顔を見せてくれるみりねちゃんも見たいし、かっこいい曲で目線を決めるみりねちゃんも見たいし、少し切ない曲で表情を変えるみりねちゃんも見たい。
曲ごとに違うみりねちゃんを見つけられたら、本当に楽しいと思う。
ミーグリでは言葉や表情で近くに感じるけど、ライブではステージ全体の中で存在感を感じることになると思う。
その違いをちゃんと感じたい。
アリーナ指定で当たったらもちろんうれしいし、普通の席でも会場に入れたらそれだけでうれしい。
でもやっぱり、できれば少しでも近くでみりねちゃんの表情を見たいなって思ってる。
ライブで行く場所って、その日の思い出と一緒に残るから、福井がみりね Permalink | 記事への反応(0) | 16:45
NIKKEは3.5周年イベントが始まって大賑わいの中、
私はさすがに低くて苦戦するアニス:スターの排出率1パーセントという狭き確率問題に対して解けることのない愛のパズルのように、
もうこれ以上ガチャ回せないし、
ゴールデンマイレージチケットでネオンは交換するんだ!ってショーウインドーにへばりついているところよ。
まあネオンは確定かな。
さすがにオーバースペックのニケの排出率が1パーセントがネオンとアニスで2機くるとなると、
ガチャを回す高級部隊募集のチケットがいくらあっても当たらないのよ。
そんな最中、
そこで!
な!なんと!
リバーレリオ招けちゃいました!
おおお!これって凄いんだけど!
リバーレリオの通常時の排出率がもうすでに0.1パーセントという、
その大きく見える視力検査のCの0.1は見えるけれど、
到底そんなところでSSRしかもピルグリムとか当たるか!って絶対無いわけではないけれどあり得ないのよね。
よっぽど奇跡じゃね?って思うの。
もうさ、
NIKKEのその日が始まる朝の5時にバチーンとアラームもセットのセッティングしなくても、
そんでよーし!
今日の運勢占っちゃおう!ってノリとバイブスを持ち合わせて私は興奮の息荒げに、
ちょっと待って!
鼻の穴が広がったの閉じるわ!って落ち着かせるの。
よーし!ガチャ回すわよ!って
そこはそれこそ毎日のラッキーおみくじみたいな要素があるからあんまりそんなに気合い入れなくてもいいサクッと回したいところで緊張感のない面持ちの寝起きの顔のまま回したの。
そしたらよ!
リバーレリオ当たったの!
おお!
先月末惜しくも閉店してしまった私の大好きなビリヤニが美味しいビリヤニが食べられるお店がなくなってしまって、
験担ぎのラッキーランチチキンビリヤニが無いからどうしようって思っていた矢先、
そのお店が近くの商店街に新しく移転しましたー!って情報をいち早くゲットして、
頃合いをみてタイミングのいいときにお店に行こう!って思っていて先週行ってきたのね!
うん!うん!
この味!
なんか心なしかかなり値上がりしていて、
うーん、
これじゃ通う足が遠のいちゃうわよねって半ば気持ちは落ち込んでいたけれど、
それならせめて2週間に1回はその大好きなラッキーランチチキンビリヤニを食べたら言いじゃない!って自分に言い聞かせたの。
リバーレリオ当たったとなると、
そのラッキーランチチキンビリヤニの験担ぎマジ効いてるマジックだわ!って信憑性がマックスに上がること間違いなしじゃない!
ちょっとランチ代としては高くなっちゃった値上がりのランチチキンビリヤニだけど、
リバーレリオとかが当たる御利益を目の当たりにしてしまったら、
でも欲を出してガチャ回す験担ぎだってバレるとまた当たらなくなるから、
普通に美味しいランチのチキンビリヤニを食べに来ましたー!って体裁を保つ面持ちでお店に挑む方がいいかも知れないわ。
にしてもよ!
0.1パーセントのが当たる?
リバーレリオってNIKKEの物語上ではめちゃ強くて重要なニケなんだけど、
ガチャすら興味そんなに無かったんだけど、
リバーレリオめちゃ強いじゃない!
まだ強化こそそこそこ半分も強化してないのに、
なにこれ!強すぎるんですけど!
最近スナイパーライフルのニケはそのスナイパーライフルの操作性や火力から使いにくく弱いと思っていたけれど、
スノーホワイト:ヘビーアームズはメインの重火器の他にミサイル連射しまくれるし、
メインの主砲の狙いを定める照準より大きく四角いゲージが出てるのね、
そのあまりの主砲の火力が強すぎて、
その四角いゲージの中にいたラプチャーまでダメージを面で与えられるという、
文字通り直撃せずとも撃ち放てば周辺が火力で敵のラプチャーが溶けるって強さなの。
そんで、
リバーレリオよ。
チャージして撃つでしょ?
当たったら追加攻撃がされてメイン火力の3割の攻撃力で5回攻撃できちゃうから、
1発当たったらどえらいダメージを与えることができるのよ。
スノーホワイト:ヘビーアームズの面で範囲攻撃できるのと違って、
うーん、
リバーレリオのコスチュームガチャ回したくなるお礼としてこれは礼儀かな?って一瞬思っちゃうほど!
そんで、
アニスのアイドル物語が今ラストライブのイベントストーリー真っ最中なんだけど、
これがまた長い!
基本的にイベントストーリーはストーリーIとストーリーIIとであって順を追ってストーリーIIは開放されるんだけど、
そのストーリー一つ一つが長くって、
その長さがそうね1ストーリー1青春アドベンチャーってぐらいな尺とってるから
長いわー!って
もう何回青春アドベンチャーを聴けたぐらいかしら?ってほどよ。
ミニゲームのリズムアクションも難しいというか本気出すならBluetoothのヘッドホンとかはやめて有線で繋いでね!って正式にいってるから、
なんかリズムが遅れる私のアクションはそのせいだったのね!って。
これはなかなかミニゲームのリズムアクションも手強いわ!って、
だけどそこの報酬もそこそこ手厚いので高級部隊募集チケットも全部ゲットしたいところなんだけど、
でも頑張ってくわ!
相も変わらずのボリュームの大きさに遊び尽くせないわ。
お蔭で
スプラトゥーン3は1日1勝のノルマを私自身に掲げている目標も全然達成できてないし
デス・ストランディングもプラグマタもぜんぜん遊べてないのよね!
なんか今までの周年イベントってこんなにボリュームあった?って記憶なんだけど。
とりあえず、
毎回ゴールデンウイークの楽しい楽しいこのゲームは絶対クリアするぞ!って
あの大ボリュームなゲーム達を平気で2つや3つはクリアしちゃうんだもんね!って勢いだけの計画は立てていたけれど、
今この状況のNIKKEの3.5周年イベントの前に、
他のゲームが一切できて遊べていない由々しき事態でもあり嬉しい悲鳴でもあり、
世の中にこんなにたくさん面白コンテンツが溢れていたっていう急に溢れさせないで!って
1年を通して均等に平均的にならしてコンテンツは提供して欲しいと思う反面、
ゲームクリア計画はNIKKEこそは3.5周年イベントは完走できるようにしなくっちゃ!ってのが最低の目標なのよ。
急に目白押し過ぎて、
うふふ。
美味しそうで鮮やかな緑の枝豆につられたようよ。
あとプチプチ食感が嬉しい食物繊維たっぷりのもち麦も美味しくて最高よ!
水出しルイボスティーウォーラーはすぐにまた飲みきっちゃうかもだけど、
たくさん作っておけば便利よ。
もうホッツはしばらくなくても良いぐらいな朝の暖かさの気温よね。
しっかりね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24