はてなキーワード: 無党派とは
( NHK選挙報道より https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640801000.html )
どちらが勝ってもきっとそうなるだろうなと思ったので、強く強く強調しておきたいのだが、兵庫県民がパワハラを良しとしたわけではないし、県民が県庁職員の命を軽んじているわけではない。
逆に言えば、もしも稲村和美が選ばれていたとしても、パワハラが許されない県民性だ、と言うこともできなかった。
これは右派左派問わず、まず念頭において欲しい。ブコメをする際にも一瞬だけ書き込む手を止めて考えて欲しい。
97万人もの人間、投票したうちの39.6%の人間の意思を無視した発言になってないか。
いわゆる、従来の選挙として、前半は以下のような感じだった。
自民党の大敗が記憶に新しいが、小選挙区で自民党の内紛が起きていたところが概ね負けていたことを思い出すと、清水貴之立候補表明あたりで少し不穏さを感じていたと思う。
ただ、良くも悪くもテレビや新聞のマスメディアでは、齋藤が再出馬するとは、という論調であった。
そもそもで言えば、県議会が(維新も含めて)全会一致で県知事の不信任決議をする、というのが異例だった。
民意と言えば聞こえは良いが、マスメディアの報道を受けて支持母体からの圧力が日々増しており、かかる火の粉を振り払った結果、というところだろう。
事ここに至って、齋藤元彦が県知事失職以前に取っていた言動が、功を奏していた。
齋藤元彦は、「公益通報に該当するとは思っていない」や「瑕疵はない」と述べており、発言に一貫性があった。(端的に言えば過ちを認めて謝罪していない)
告発文書が7つの項目からなっているのであれば、本来マスメディアは、それぞれについて裏を取り、特に知事選挙や政治資金パーティーでの違法行為を追求すべきであった。
失職に至る経緯である、告発文書の報道が、主に理解しやすく視聴率を稼ぎやすいパワハラとおねだりに集中していた点が、事態を悪化させていた。
ハッキリとここで書いてしまえば、齋藤元彦の選挙戦略は至極全うである。
街頭演説では、おおむね、前知事の井戸敏三県政の無駄遣いの批判、自身の県政でのお金の使い方(高校への投資、企業との連携)の話、未来ある子供たちへの投資の重視などが語られている。
そもそもの前回の知事選挙でも、トップダウン式の井戸県政を嫌ったと評されるが、基本的には自民党の分裂選挙であり、自民党の内紛と勢いのある維新への合流が生んだ結果と言うこともできる。
つまり、現職なのでそもそもの地盤はしっかりとあり、井戸敏三県政から路線変更を行って財政再建を行っていて、元々市町村とは折り合いが悪い、という点までは織り込み済みの状況である。
マスメディア側に誤算があったとすれば、「パワハラぐらいみんなやってるだろ」とか「あの程度のおねだりは役得じゃないの」という市民の声がカメラの前で拾えるはずがない、という至極当然の目線を忘れていたからだと言える。
トップダウンの井戸県政を嫌ったはずの齋藤県政で、強引とも言える市町への予算縮減などをもっとフォーカスして解説すべきだったと思う。
逆に言えば、稲村と清水との分裂選挙と言える状況で、稲村和美陣営には手抜かりがあったと言われても仕方がない。
一本化を図ろうとした市町の連帯を示す文書は、明らかに遅かったし、清水貴之への根回しも済んでいるようには見えなかった。
マスメディアによる齋藤元彦おろしは成功している。通常こうした場合、再出馬や再選はあまり現実感が無い。
そのため、マスメディア側のいわゆる醜聞を集める準備期間がほぼなかった点がある。
また、全国的にも良く知られているが、関西圏は維新に対しては通常親和的な報道が行われる。
齋藤元彦は、前回の兵庫県知事時代に、自民党と日本維新の会と共闘して県政を行っていた。
マスメディアとして、及び腰になっていたのではないかという点は、指摘できると思う。
また、醜聞、いわゆるゴシップとして視聴率を稼ぎやすいネタが、齋藤元彦を利するものであった点も報道が少ない理由の一つと言える。
(もしも前知事時代に女性関係の醜聞があれば、こぞって報道されていたであろうことは想像に難くない)
しかし、コメント欄などを見ると、メディアに騙されていた、齋藤元彦を応援しますという声は少なからずあり、影響が無かったとは言えない。
また、街頭演説に限って観てみるとわかるが、明らかにトレーニングを受けた演説慣れした者と、あまり演説しなれていない者とハッキリわかれる。是非聞き比べて欲しい。
出直し選挙で民意を問うでべきであるという逃げを打った県議会やマスメディアは、再出馬されてしまった場合に、取りうる手段が無い。
現に、今回民意を反映して(少なくとも当選する程度の民意は得ている)知事に返り咲いた為、県議会は筋論としては協力せざるを得ない。
また、あまり話題になっていないが、辞任と失職では県知事の任期に差があり、失職後に出直し選挙で当選しているので、任期はリセットされており、ここから4年の任期となる。
恐らく、齋藤元彦兵庫県知事の元、今後も市町とは揉めながら県政を行っていくと思われる。
文書問題調査特別委員会(通称、百条委員会)については、粛々と聞き取りと調査が進めらると思うが、おそらく公益通報には該当しない、パワーハラスメントに該当する行為はあった、給与の自主返納あたりで手打ちになると思う。
これはあくまでも一般論だが、刺すべきタイミングで的確に刺せないと、政治ではうまくことが運ぶことは無い。
兵庫県警が公益通報として受け取らざるを得ない内容、厚生労働省が調査せざるを得ない内容、法務省が調査せざるを得ない内容として、それぞれピンポイントに匿名で通報し、マスメディアにも流した場合、結果は違ったように思う。
五百籏頭氏が傑物であったことに異論は無く、執務中の急性大動脈解離については痛ましいとしか言いようがなく、それがストレスを起因としたものであったかもしれないが、それを知事の問題とするには飛躍が過ぎる。
繰り返しになるが、稲村和美へと票を投じた97万人がいたことを忘れてはいけない。ほぼ、齋藤元彦では無い人物というワンイシューで集まった票がこれほどの規模だったことを忘れずに話をして欲しいと思う。
立花孝志の選挙戦略が当たったのではないかという話があったが、そもそもで言うと県議会が推す候補が一本化できていない(稲村と清水に分かれていた)点に問題があった。
単純な算数だが、対立候補が稲村和美(と共産党)だけだった場合、当選していたのは稲村和美であった。
県知事の任期は4年であり、第53代兵庫県知事の齋藤元彦は、2021年8月1日付に県知事になったので、ほうっておいても2025年7月末には任期を迎えた。
文書問題調査特別委員会が設置されたのであれば、この調査結果を待ってから辞職を迫るのが筋であった。
マスメディアの大変良くない点だと常々思っているが、加熱した報道で辞職を迫るのはいい加減どうにかならないか。それは報道では無く扇動である。また辞職は罪を償う手段ではない。
齋藤元彦が、井戸敏三県政を嫌っていることは外部からもうかがい知ることが出来るし、法律上はどうあれいわゆるパワハラを日常的に行っていたであろうことも百条委のアンケート結果からは伺い知ることが出来る。
ただ、それを告発する為にとった手法が公益通報に該当するのか、内容が真実だったとして法律上の罪に問われるものなのかは、また別の問題である。
そういう、法律上はどうあれ報道され一部でも事実があり実害が出たのであれば責任を取って辞めるべきだという、マスコミを利用した政治手法が、うまくいかなくなった結果だと考えている。
(贔屓目に見ても怪文書としか言いようのないあの告発文書でここまでの騒動になるのだから、実情はさらに酷いのだろうと思うが、それは司法を飛ばして私刑を行って良い理由にはならない)
風向きで辞任を迫ったり、風向きでついたり離れたりしていると、触れるメディアからの情報で同様に風向きが変わるのは当たり前だろう。
返す返すも、百条委の結果を待って、結論が出てから辞任を迫っていれば違っていたように思う。
パワハラの認定がなされたあとの再選と、パワハラ疑いの再選は大きな隔たりがある。
パワーハラスメントは、録音録画を行えば証明できるような単純なものでは無い。うっかりパワハラではないとされた時に、職も信用も失う危険な行為なのだ。
そして、パワハラを行う人間は、誰がやったかわからないような不特定多数がいるような場所でパワハラをしない。通常、パワハラは録音データが漏れてしまえば即特定されるのだ。
そして、日本のマスメディアには信用が無い。暴露は得意だが保護は不得意だ。
そうすると、パワハラは日常的に行われるのに、職を失いたくないから何の証拠も出てこないという状況が容易に起こりうる。
従来のマスコミのゴシップと同様の効果を、ほぼ単独で行えた点にこそ、大きな価値が出てしまった。
ただ、逆に言えば、事実に基づき、政策で判断してほしいというような選挙戦略には、付け入る隙は無い。
やはり、そろそろマスメディアが私刑として機能し、首長を叩き辞任させようとする傾向は慎むべきなのだと思う。
辞任以外の落としどころを作らない限り、また同様のメディアスクラムが起きた時に、立花孝志はおそらく違う手法で望んだ結果を得るだろうと思う。
実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます。
とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます。
従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。
私はこの約十年間、市町村議会選挙・知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙の投票先を、ランダムに決めている。
文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合はちょっと複雑になるけど)、とにかく自分の意志であるとかを介在させないようにやっている。
(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)
なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主の政権交代劇の際に、「無党派層」というものの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。
私は大学のゼミで、戦前の男子普選の時代に「無党派層」というものは勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。
(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争に突入してしまったのと、地域社会や院外団活動の関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)
選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。
報道、職場や労組、近所付き合い、フットサルやジムのサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか、投票所の門をくぐった瞬間何かの党派に空気で入った人」を指す言葉でしかない。
党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである。
あるいは単に「負ける候補者に入れたくないから都知事選では石原に入れるし、2009年の選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。
筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?
良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかけなのだ。
やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合は選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。
具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬の議員に入れることになったこともある。
私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力を基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。
つまりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。
日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラとトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、
選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後にテレビかネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。
私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダムな投票先であれば仕方ないが)、
自分の意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。
そして議員が、「自分の存在が乱数の上の存在でしかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。
なんでなん?教えて
岸田内閣の支持率は低下の一途をたどり、内閣支持率がここまで下がったのは野田内閣(民主党。安倍元首相に政権を奪われた)まで遡る(https://honkawa2.sakura.ne.jp/5236a.html)
一時期、立憲民主党の支持率は維新と逆転することが多かったが、維新の自滅により野党第一党の立場は盤石になってきた。
昨今の全国の国政・地方選挙でも政権交代の期待を大きくさせる結果が多い。
これは選挙戦術としてごく自然なことだ。せっかくの政権批判票を分散させてしまっては勝てるものも勝てない。
だが、それは選挙運動を一体化して行うこととは断じて別なはずだ。
今回の都知事選でも顕著だが、共産党やそれに近い勝手連的な人が選挙戦に加わり、コントロール不能となってしまった。
蓮舫さんの知名度を活用して資金集めをしたり(共産党)、勝手連が好き勝手な主張を始めたり(一人演説で蓮舫さんの主張と全然違うこと言い出したり、小池知事の演説を妨害したり、Rシール貼ったり)、蓮舫さん自身も歌って踊って一般層をドン引きさせたりと、今回の選挙戦は内輪の結束にはなったかもしれないが、無党派・一般層への訴求という意味では失敗だったと言う他ない。
次期衆院選に向けて、コアな支持者以外からの得票を求めていかなければならない。
簡単にできることではないだろうが、ほぼ確実に効果があるのは以下だろう。
これなら連合も協力してくれる。
共産党と一体となった選挙戦などしなくても、共産党支持者の多くは立憲民主党に投票してくれる以上、共産党とセットでの選挙運動なんて百害あって一利もない。
選挙運動に必要なことは、候補者の魅力を地道に伝え、また政権批判をするにしても多数派から支持を得られるような内容・体裁でやる必要がある。
その場合、運動員や支援者は可能な限り黒衣に徹する方が良い。独自色を出して候補者に批判が及ぶ可能性も高い。
そして、今回の都知事選で明らかになったように今の立憲民主党に近づいてくる支援者は黒衣に徹せられない人が多数なようだ。
いや黒衣になれるなら別に切り捨てなくてもいいと思うけどね
上沼恵美子の「蓮舫さんキツイもん」が批判されているけど、なぜそう受け取られやすいのか
微笑みの練習で表情筋のトレーニングをした自分から見た二人の表情の違いを書くね。
小池さんは「微笑む」、蓮舫さんは「微笑まない」。この点で、ずいぶん与える印象が違う。(石丸さんについては今回はパス)
蓮舫さんの笑い顔は口角を上げて歯を見せる笑い方で、筋肉でいうと口輪筋と頬骨筋で笑ってる。
咀嚼に使う筋肉で、表情筋の操作が女性に比べて下手な代わりに筋量のある男性がよくやる笑い方。
これは、力強さは感じさせるので味方を鼓舞するがそれ以外を安心させない。例:トランプ。
あと演説の際には聴衆には目が笑っている笑顔を見せていたが、テレビでは目が笑っていないことも多い。そのため、意識的な作り笑顔に見えかねない。
よく言われる「笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である」は科学的根拠は薄いが、
歯をむき出しにして口角上げて笑ってるのに目が笑っていないと(蓮舫さんをすでに仲間だと認識していない人には)攻撃的な威圧に感じられるのはしかたない。
これを読んで反感を感じた人は、トランプの笑みで自分が安心感を感じるか想像してほしい。
それと、テレビでの笑い顔は特に、顔の筋肉に緊張があるのが伝わってくる。いわば強張っているように見える。蓮舫さんは顔に脂肪が少ないから余計に。
人によっては「精神的余裕を欠いた強がり」と受け取る可能性がある。
差別問題でもさんざん言及されている無意識へのメタメッセージの問題だから、短期的には発信側が注意するしかない。
対して、小池さんの笑い方はほとんどが眼輪筋と口角挙筋(目と口の中間の鼻横の筋肉)で笑ってる。
口角を上げるのは口角挙筋の動きのついでで、力強さはないが、意識的なコントロールが口角筋にくらべて難しい筋肉なので
ここを使って笑うと、「心からの自然な笑み」に感じられて安心感を相手に与える。目じりも自然に下がるし。
顔に脂肪が多い女性的な顔つきなのもあいまって、威圧感はずいぶんやわらげられてる。実際の人格は小池さんの方がキツイと思うけど、それを感じさせない強かさを感じる。
蓮舫さんの笑い方には相手を安心させる要素が少ないので、衆院選までに口角挙筋のトレーニングを勧めたい。
自分はこの筋肉をコントロールできるようになるまで毎日練習して半年ほどかかったから、ギリギリ選挙に間に合うかってスケジュールだと思うけれど
相手に与える印象はかなり変わると思う。
伸びすぎてビビりまくってました。
もともと、選挙戦始まった直後くらいに、Xで「年配の女性(その人の家族とか)が蓮舫は怖いから嫌いと言って喧嘩になった」みたいなポストがいくつか流れてきたのと、データで無党派の女性票があまり取れていなかったこと、TVで何度か、そこで作り笑顔で睨み返すより微笑んで流した方が印象上がるのにと思ったことで書きました。あくまで個人の感想です。選挙をダシにした笑い方語りと思ってください。クソバイス部分は打ち消しておきました。
政策で決めろよというのはその通りなんですが、岩盤支持層以外にまでたった二週間で政策の議論を浸透させて、さらに皆が結論を出すなんて無理です。もし政策論争で勝負を決めたいなら選挙期間は2~3か月でも足りないかもしれない。
それに無党派は減点法で採点する人が多い。たった二週間しかないのに、ちょっとした印象で心のシャッター閉められるのは損じゃないですか。それこそ政策聞いてほしいなら。
目が笑ってるかどうか、がメインの話ではないです。明るくやさしい印象をつけるために目の下に明るめのチーク入れるのと同じ、顔全体の印象をコントロールする小技の話。
あくまで一般論ですが、表情も身だしなみや言葉選び、はてな記法でのテキスト整形と同じコミュニケーションツールの一つでしかないので、そんなところで引っかかる人は減らした方がいい。
それに、同じ笑い方でもTPOで複数の笑い方を使い分けられた方が強いです。この人こんな表情もできるのか、と思させたらかえって今までのイメージとの落差も武器になったりするし。シンゴジラでいつも真顔の尾頭ヒロミが最後の最後でふわっと笑ったことでファンが爆増したみたいに。
いくつもあるツールの一つでしかないので、それでなにかが決まると言いたいのではないです。
最後に口角挙筋のトレーニングは、鼻の2cmほど横を軽く押さえて、口や頬の筋肉を使わずに押し返すことから始めてみてください。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tyoshiki.com/entry/2024/07/09/125535
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/karstereo/n/nef9f849fbedb
上のエントリとか見てるとリベラルを叩く自称リベラルとか自称中道って最強ポジじゃねって思えてきた。
だってさすがに今「俺様は当然自民支持者だぜ」とか「やっぱ維新しかないっしょ」とかってどう考えても馬鹿にしか見えないし共産党は言わずもがなで国民はほぼ自民だし中道左派立憲しかねーよなーってところで蓮舫があの様で。
俺は馬鹿な右翼自民支持者でもネオリベ維新でもない共産主義者でもないどちらかと言えば意識高いリベラルよりだ。政治に関心のない無党派って何も考えてない馬鹿っぽいし。
だから俺はリベラルだって言いたいけど、だけど今のリベラルは蓮舫支持者見りゃわかる通り頭が悪すぎる。そこで俺はリベラルよりだけど今のリベラルは全然ダメだと当然思ってますよ、もっと上手くやれよちゃんとしろよ(俺まで馬鹿だと思われるだろ)と言ってるのが一番何処からも突っ込まれない最強のポジションではないかと思ったわけ。そうすると右の連中も嬉しくってそうだそうだって褒めてくれるし。どうだろう?