はてなキーワード: 判事とは
裁判長が上司の権力を利用してみずからの所属する部の若い事務官と性的な関係をもった例(2件あり、1件はもみ消され、1件は裁判官の退官に至った)
「裁判長が権力を濫用して性的関係を…」裁判官の世界は「ハラスメント」だらけ!?…“法の番人”であるべき裁判官の信じられない「実態」(瀬木 比呂志) | 現代新書 | 講談社
民事裁判教官「女性裁判官は生理休暇(※大嘘)があるから迷惑!!」
「女性裁判官は生理休暇などで休むから、他の裁判官に迷惑をかける。女性弁護士も迷惑をかける点では同じでしょう。僕も合議体(3人の裁判官で裁判をするチーム)にいたとき、なかに女性がいて迷惑しましたね。地方裁判所の所長クラスが、そういう点で一番迷惑するんですよ」
女性裁判官のために正確に記しておくと、後に最高裁判所事務総局で調べたところ、女性の裁判官で生理休暇をとったという人は、それまで一人もいないということであった。
(2ページ目)「他の裁判官に迷惑」「夫の足を引っ張る」「成績が同じなら男性を採用する」…女性弁護士が暴露する“非常識すぎるパワハラ” | 文春オンライン
川嵜義徳裁判官「女ごときが裁判するな!!!盾突く男はいじめ抜く!!」
「自分は任官志望であるが、女性でも裁判をするのは十分可能だしそういう偏見をもってはおかしい」と発言した男子修習生に対し「そういう考えをもつ奴はいじめてやる」
昭和51年の30期前期修習で発生した,女性司法修習生に対する司法研修所裁判教官等の差別発言問題(教官等の弁明が正しいことを前提として厳重注意で終了した事件) | 弁護士山中理司のブログ
司法研修所幹部・裁判長「セクハラセクハラ!!!抗議されても絶対にやめるものかwwww」
1990年代末ころ
担当裁判長や司法研修所幹部による第51期、第53期、第54期女性修習生に対するセクハラ行為・発言疑惑(差している傘の中に入り、手を握り、肩を抱き、抗議してもなかなかやめなかったなど)
「裁判長が権力を濫用して性的関係を…」裁判官の世界は「ハラスメント」だらけ!?…“法の番人”であるべき裁判官の信じられない「実態」(瀬木 比呂志) | 現代新書 | 講談社 (2回目)
中東情勢についてのエントリがいくつか上がってて、LNGの話(anond:20260313174445)も読んだ。自分は10年くらい前から備蓄や自給体制について研究・実践してきた人間なので、別の角度から書く。
今回のホルムズ海峡封鎖で備蓄を始めた人も多いと思う。パスタ、米、水、カセットコンロ、乾電池。それ自体は正しい。だが、日本で備蓄をするということの本質的なリスクについて、ほとんどの人は考えていない。
結論から言う。この国では、本当の有事になったとき、あなたの備蓄は「あなたのもの」ではなくなる可能性がある。
昭和16年(1941年)から米穀の通帳配給制が始まった。成人男子1日2合3勺(330g)。砂糖やマッチは前年から切符制。やがて衣料、木炭、酒、煙草、ほぼすべての生活必需品が配給対象になった。つまり「配給以外のルートで物を持っている」こと自体が、社会的に問題視される空気が醸成された。
そしてここが重要なんだが、配給制度の末端を担ったのは行政機関ではなく「隣組」だった。町内会・隣組が配給事務を担うことで、住民の保有物資を事実上把握する権限を持った。誰が何をどれだけ持っているか、隣近所が知っている状態になった。プライバシーは極度に制限された。
昭和16年の金属類回収令では、官民問わず鉄・銅・アルミなどの金属を「供出」させた。最初は不要品の回収という建前だったが、戦争の進行とともに「特別回収」に移行した。これは「現に使用しているものであっても、国家的見地からより価値の高い用途に転換させる」という理屈で、家庭の鍋や寺の梵鐘まで持っていかれた。法的根拠は国家総動員法。回収の実務は隣組が担い、拒否する場合は役所に理由を報告させられた。
つまり「隣組が供出の末端作業を担わされた」のだ。国家が直接一軒一軒回るのではなく、あなたの隣人が、あなたの家に「まだ出せるものがあるでしょう」と言いに来る構造。これが日本型の供出システムの本質だ。
食料についても同様のことが起きた。農家は米の供出を義務づけられ、自家消費分すら十分に残せなかった。食糧管理法のもと、配給外の食料の売買は違法とされ、闇米を買った市民が駅頭で取り締まられた。東京地裁の山口良忠判事が配給食料だけで生活し、栄養失調で亡くなったのは有名な話だ。法を守った裁判官が餓死する国。これが80年前の日本で実際に起きたことだ。
■ 現行法で何ができるのか
「今は戦前じゃない」と思うかもしれない。では現行法を見てみよう。
災害対策基本法第109条。災害緊急事態が布告された場合、内閣は政令により「供給が特に不足している生活必需物資の配給または譲渡もしくは引渡しの制限もしくは禁止」を行うことができる。違反には刑罰を科すことも可能。
さらに武力攻撃事態対処法(有事法制)では、「武力攻撃事態」の認定がなされると、私有財産の収用・使用が法的に可能になる。日弁連が繰り返し警告してきたように、この法制は「一片の公用令書の交付だけで」私有財産を制限できる構造になっており、事前の告知・弁解・防御の機会が保障されていない。
都道府県知事には、災害対策基本法に基づいて「物資の収用」「保管命令」を出す権限がある。これは現行法で、今この瞬間にも発動可能な権限だ。
今回のホルムズ海峡封鎖が長期化し、エネルギー・物資の供給が深刻に逼迫した場合、政府が「災害緊急事態」の布告に踏み切る可能性はゼロではない。そうなれば、生活必需物資の配給制や流通規制に法的根拠が与えられる。
太平洋戦争時は隣組が供出の末端を担った。では現代で同じ機能を果たすのは何か。
自治会・町内会は今でも存在するが、戦時中ほどの強制力はない。だが有事に行政の末端機能を担わされる可能性は十分にある。災害時に避難所運営を自治会が担っているのを思い出してほしい。あの延長線上に「物資の把握と配分」がある。
もうひとつ、戦時中にはなかったものがある。マイナンバーとキャッシュレス決済の履歴だ。誰がいつどこで何をどれだけ買ったか、行政はやろうと思えば把握できる。戦時中は隣組の目と足で物資を把握したが、現代ではデジタルで同じことが可能になっている。「あなたの世帯は先月、米を30kg購入していますね。配給分を超えていますので、超過分について協力をお願いします」——こういうことが技術的には可能な時代だということは、認識しておくべきだ。
ホルムズ海峡封鎖が3ヶ月以上続いた場合、以下のことが段階的に起こりうると考えている。
第1段階(1-2ヶ月目):小売レベルでの購入制限。スーパーやドラッグストアが自主的に個数制限を導入。ガソリンのリッター制限。ここまではコロナ禍のマスク・トイレットペーパー騒動の延長で、多くの人が経験済み。
第2段階(2-3ヶ月目):政府による価格統制と流通規制。生活必需物資の価格上限設定。買い占め行為への罰則導入。転売の厳罰化。ここから空気が変わる。「備蓄している人」が「買い占めた人」と同一視され始める。
第3段階(3ヶ月以降):配給制の部分的導入。燃料の配給は確実にやるだろう。食料についても、政府備蓄米の放出と併せて、購入量の管理が始まる可能性がある。ここで問題になるのが「既に大量に備蓄している世帯」の扱いだ。
第4段階(事態の長期化):災害緊急事態の布告、または事実上それに準じる措置。自治体職員が各世帯の物資保有状況を「調査」する名目で訪問する。「任意の協力要請」という形を取りながら、実質的に供出圧力がかかる。
第4段階まで行くかどうかは正直わからない。だが第2段階までは確実に来る。そして日本という国の性質を考えると、第3段階から第4段階への移行は、法的手続きよりも「空気」によって進む。戦時中もそうだった。法律が供出を命じる前に、隣組の圧力が先に来た。
■ プレッパーが本当に考えるべきこと
ここからが本題。備蓄するなという話ではない。備蓄は絶対にすべきだ。ただし「没収リスク」を織り込んだ備蓄戦略が必要だという話をする。
まず、備蓄は「見えない形」で行うこと。段ボール箱を玄関に山積みにしていたら、有事には近隣から「あの家は溜め込んでいる」という目で見られる。戦時中に隣組が機能したのは、物理的に近い人間が互いの生活を監視できたからだ。収納を分散させ、一箇所に大量に集積しない。
次に、備蓄品の種類を考えること。米やパスタのような「誰が見てもわかる食料」は供出対象になりやすい。一方で、プロテインパウダー、マルチビタミン、乾燥野菜チップ、味噌のような「調味料・サプリメント的なもの」は、配給や供出の対象として想定されにくい。カロリーベースの備蓄とは別に、栄養素ベースの備蓄を考えておく価値がある。
燃料は最も没収リスクが高い。ガソリンの携行缶を自宅に保管していた場合、有事には真っ先に「公共のために供出してください」と言われる可能性がある。カセットガスのボンベは数十本程度なら目立たないが、灯油のポリタンクを大量に保管していたら目をつけられる。
最も没収されにくい備蓄は「スキル」と「人間関係」だ。家庭菜園の知識、保存食の作り方、簡易浄水の方法、太陽光パネルと蓄電池の運用ノウハウ。これらは物理的に没収できない。また、地域コミュニティとの関係が良好であれば、供出圧力がかかったときに「あの家は普段から近所に分けてくれている」という評判が防御になる。皮肉なことに、備蓄を守る最大の武器は、備蓄を分かち合う姿勢なのだ。
日本は平時にはかなり自由な国だ。私有財産も守られているし、好きなものを好きなだけ買える。だが有事になった途端に、集団の論理が個人の権利を圧倒する。それは法律の問題というより、社会の構造の問題だ。
太平洋戦争時、金属回収令に法的根拠があったのは事実だが、実際に回収を推進したのは法律ではなく「空気」と「隣組」だった。法律がなくても供出は進んだだろうし、法律があっても空気がなければ進まなかっただろう。
現行の災害対策基本法や有事法制は、政府に相当強い権限を与えている。だがそれ以上に怖いのは、SNSと相互監視による「令和の隣組」が自然発生することだ。「あの家だけ電気がついている」「あの家からいい匂いがする」「あの家は備蓄を出さない」。有事にはこういう声が正義の顔をして現れる。
備蓄は必要だ。だが備蓄だけでは足りない。備蓄を守るための知恵と、いざというときに一部を手放す覚悟と、それでも残る部分を確保するための戦略が要る。
実話を基にした興味深くはあるけど俺が苦手なタイプの韓国映画だったかな44点。
入試の問題にミスが発覚しそれを指摘したことで大学をクビになり不当解雇だと裁判を起こすも敗北した元大学教授がボウガンでその裁判の裁判官を脅し怪我をさせる事件が発生。しかし本人は撃ってはいないと供述。しかし裁判所はこれは司法制度に対するテロリズムであるとし、有罪前提の裁判が始まる。労働問題に詳しいアル中の弁護士に白羽の矢が立つも、教授は自分が調べた法学の知識を使い司法への糾弾を裁判の場ではじめる。この裁判の行方はどうなってしまうのか。
みたいな話。
実話をもとにした話ですよ~って出てくるのでそうなんだろう。ただ、韓国の実話をもとにした話ってだいたいなんか「誠実ではあるんだろうけど映画としてのカタルシスには欠けるんだよなぁ」って作品が多くって、本作もだいたいそれだった。
裁判シーンでは判事、裁判官への法学的には正しいであろう攻撃を次々と教授が進めて、相手側がぐぬぬってなったり、黙殺したりと「教授が圧倒的に正しい」前提で進むので、なんかスカッとジャパン見てるみたいでなんかゲンナリ。しがない中堅サラリーパーソンの俺氏なんかは法律にせよ社規にせよ「ルールなんて本当の意味で厳密に適用されないもの」であり、それ自体が制度を腐敗させることになっていると同時に多くの人間はだからこそなんかうまくやれてるもんだよなぁという実感があるので、法律上ではこうなってるからこう!ドヤ!みたいにやられても、まぁそりゃそうなんだろうけどさぁ!って思ってしまったし、逆に相手の態度を硬直化させるだけだよなぁって感じ。
もろちん司法という「お気持ち」で動いちゃダメなところが「裁判官が襲われて激おこ!」っていう大いなるお気持ちで動いてしまっているという始まり自体が大問題で、それに本来あるべき「法律至上主義」で切り込んでいくっていう対比は理解できるんだけど、でも目の前にいるのは人だしなぁって思っちゃう。
教授としても人生がかかってるから必死なんだろうけど、でも映画を見てる限りだとそういう泥臭さよりは「この腐敗した司法制度をぶっこわす!」みたいな杓子定規な正義感に燃えているだけのようにも見えて、個人的にこういう人間味のない人間苦手なんだよなってなっちゃった。
一方で、警察側のやり方もあまりに杜撰すぎてこれで有罪になるのは実際どうなんだありえないだろって感じではあるので主人公側の攻撃によってどんどん追い詰められていくところはまぁ爽快感もあるんだけど、でも作中では証拠が不十分な部分も論理的な矛盾も証人喚問も全部握りつぶされて「で、実際のところどうだったの?」というのは一切明かされないまま有罪が確定する。実際の事件がそれに近い状況で「ありえないですよね!」っていう問題提起なのはわかるけど個人的には面白くない。
もろちん裁判の過程での矛盾点の指摘、そもそも証拠の正統性を論理的にひっくり返すという法廷バトルもの特有の面白さに加えて、被疑者側が裁判官側を裁こうとするという法学解釈バトルというエッセンスを加えた本作独自の面白さがあるのは認めるけど、最終的に何一つ結実しないのはなぁ。
あと韓国映画のダメ人間が途中から更生して頑張るっていう展開好きすぎ問題で、最初もう一人の主人公である弁護士が過去の事件のせいだっていうのはわかっていてもマジのガチでクズでカスすぎてさじ加減とか知らんのかって思っちゃうし、クズカスエピソードがお笑い要素なんだと思うんだけど全体のテンション感と合ってないので全然笑えない。
あと弁護士と教授で全然バディ感が出てこないのもナンカナーって感じだし、収監されている教授が同室のチンピラにケツ掘られる展開は「かわいそうなのは抜けない(´・ω・`)」ってなった。
そんなこんなで実際に起きた本気で取り組む価値がある事件を元に作られた意欲的な作品であることは理解しつつも、テンション感や結末、方法論的には全然ノレないんだよなぁってなった作品だった。あと、展開的にめちゃくちゃ「それでもボクはやってない」だったので、なんか見た感じだなってなったのも大きかったかも。
https://anond.hatelabo.jp/20250826204527
10/9に、ドレイクがUMGに対して起こした「Not like us」に関する名誉棄損の訴訟は棄却された。
判事は「一般的なリスナーはビーフの内容が全て事実とは受け取らない」
「そもそも『俺をロ〇コンと呼びたいなら言ってみろよ』と先に煽ったのはドレイクで、ケンドリックはそれに返しただけ」と、ドレイクの主張を退けた。
ドレイクと弁護団は控訴を示唆しているが、主張の根幹が否定されてしまったわけで
よほどの新事実でも持ち出さない限り、審判は覆らないと思われる。
ネット上では、「ドレイクは黒人のやり方(ビーフ)でも、白人のやり方(訴訟)でも負けた」と揶揄されている。
10/27に、ドレイク、ストリーマーのアディン・ロス、オンラインカジノサービスのStakeが
ドレイクは元々ギャンブル好きであり、近年は親しい友人であるアディン・ロスとともに
実際はStakeから提供された金で大金をかけたギャンブル配信をやっていた。
訴状では、ハイリスクなギャンブルのサービスを魅力的なものであるように見せかけ、多くのファンを騙し損害を与えたと主張し
ユーザが受けた損害の賠償と、ミズーリ州でのStakeのサービス停止(ミズーリ州は元々オンラインカジノが違法)を求めている。
ニルヴァーナ 『Nevermind』アルバムカヴァーの赤ちゃんが起こした児童ポルノ訴訟で勝訴
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/amass.jp/185377/
ニルヴァーナ(Nirvana)『Nevermind』のアルバム・カヴァーに赤ちゃんの頃の写真が使われた男性スペンサー・エルデンが、ニルヴァーナなどを相手取って起こしていた児童ポルノ訴訟。米ビルボード誌によると、連邦裁判所の判事は米国時間9月30日、「児童ポルノではない」との判断を下し、再びこの訴えを却下しました。
現在30代のエルデンは、このカヴァー画像は本人の同意なしに撮影・使用されたもので、この写真は、未成年者の性的イメージを表現したことで連邦児童ポルノ法に違反すると主張して、バンドメンバーらに児童ポルノと性的搾取の疑いで損害賠償を求めていました。
しかし連邦裁判所のフェルナンド・M・オルギン判事は、この写真は「児童ポルノではない」との判決を下し、この写真は連邦法上の違法コンテンツの定義に全く該当しないと明言しています。
悔しいねぇw
結局、女が暴れてスカッとしたいというだけのフェミ向けドラマなんだから
前半はともかく後半が失速したの、今から思えば当たり前なんだよね
だって想定客のフェミさんにとっては、少年犯罪とかそういうの死ぬほどどうでもいいわけじゃん
「家裁は愛の裁判所」つったって、連中は他人に配るような愛なんか持ち合わせてなくて、とにかくクレクレ一辺倒なんだしさ
ぶっちゃけ左翼活動家礼賛物語やりたいのバレバレだったのに、判事なんて能動的に動きづらそうな人物なんかモデルにしちゃった時点で人選ミスだった
だからよねばっかり力入れすぎて、オリキャラの分際でやたら出張りまくってたし
あと「ゲイの友達欲しい願望」って女の性欲の最大公約数みたいな代物にしれっと寄り添う丁寧さには笑うしかなかった
総じて、朝ドラのテンプレ中途半端になぞりつつチョコチョコ変な立ち回りするぐらいだったら、もう最初から潔くオリジナルでやるべきだったと思う
あれはいくらマンネリとかつまんないとか言われようがそれで結構で、所詮何かの合間にBGM代わりに聴くようなコンテンツでしかなくて
吉田恵里香の「ノイズ」云々でなんか議論が沸騰しているけれど、
「原作の数ある要素の中から、一編のアニメなりドラマなりに構築するさいに、何を抽出し、そぎ落とし、足りない部分を補うか」という取捨選択と肉付けの作業は、吉田に限らず、全脚本家が行うことである。
言葉の枝葉末節はあれど、吉田のスタンスは基本的には当然だし、「ぼっち・ざ・ろっく」は原作・アニメとも未見のため、細かな表現そのものを問えないが、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう。
その上で言うのだが。
「虎に翼」で、<追加した>あえて言うならば</ここまで>原作に相当する史実にはない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ吉田が言えることかよ、と。
(ツッコミが入っているので、「あえて言うならば」を追加しておく。でもここ、議論の取りかかりになっている「原作のノイズ」と対応させるためだけの言葉だよ)
「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、
穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまりに唐突だった。
父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。
その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、
スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、
贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下で穂高教授に激高するのである。
「なんだこれ?」と。
ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。
寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。
ところが、そんなエピソードは、ない。
(余談だが、この件はずっと引っかかっていたので、ネット上ながら折に触れて探しているが、少なくとも、自分はいまだに確認できていない)
公の場であんな事件が起きたら、まず新聞なり雑誌なり、誰かの日記・手記などに記録が残るが、そうした史料はないはずだし、史料があって採用したならば、吉田自身が必ず言及するだろうが、それも確認できなかった。
これは自分だけではない。旧twitterのタイムラインも混乱しており、賛否両論とかではなく、「謎否両論」といった感じだった。
その後、「あれは『父親殺し』のメタファーじゃないか」とか、いくつかの考察があり、少しだけ落ち着いたのだが、やはり「謎否」の反応が与えた物語への影響は大きかったのか、最終回の最後の最後は、「雨垂れの一雫を強制されるのは嫌だが、自分から選ぶのはいい」とかいったような、おかしな言い訳というか説明セリフで終わるという、締まらないラストになってしまった。
で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。
吉田はこう書いている。ちょっと長いから、引用は飛ばしてもOK。
寅子「どうもできませんよ! 先生が女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」
(略)
寅子の人生について、妊娠したとき、勝手に彼女の一人称を「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。
(略)
私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意で自分を排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。
(略)
寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。
(略)
寅子と穂高先生の関係については、自分を女性最初の弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。
それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中の女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。
(略)
本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性だから」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。
ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠し弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから、彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。
https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)
最大のポイントは、
式典の前に花束贈呈役を打診されて、「私は先生を許さない。だから花束を渡さない」と突っぱねるなら、まだ分かる。
史料に残らない、内輪の場で、こんなことがあったかも、と想像の翼を広げるのは自由である。
ところが、本当は許していない寅子に花束贈呈役を引き受けてさせて、いざ式典の最中に「やっぱり許せない」とその役割を放り出させるという、史実にはないシーンをぶち込んだ吉田の意図は何か。
それは、
吉田が穂高教授という“古い男性の象徴”を、「公衆の面前で」辱めたかったから
だと推察した。
そうでなければ、意図が取れないのだ。
(あと、寅子と穂高教授って、男女とか関係なく、めちゃくちゃ深い関係で、「女性だから」花束を渡す係になったと思った視聴者は誰もいないだろう)
ただ、吉田の意図は、はっきり言えば吉田以外には全く伝わらなかったのではないか。
この増田を書くに当たって検索し直して、見つからなかったのだが、穂高教授を演じた小林薫は、確か
「どう演じたら一番かわいそうに見えるか、演出の人と何度も相談した」
といったことを言っていたはずだ。
確かに、穂高教授の身になれば、晴れの場で愛弟子から突然激高されて式は台無しにされ、その後も怒りをぶつけられて途方に暮れるのだから、かわいそうとしか言いようがない。演技として間違っていない。
だが、吉田が寅子へ託した怒りがあまりに強すぎ、伊藤沙莉の演技もうますぎたせいで(前に引用した通り、伊藤は「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」と脚本で指定されていた)、穂高教授がただただかわいそうな人、寅子がおかしな人になってしまった。
あえて吉田の意図に乗るなら、小林は例えば、「保護する対象として見ていた女から牙を向けられ、辱められて、怒りに震える」演技をすべきだった。
名優の小林でさえ、吉田の意図をくみ取れなかったし、また、小林の演技プランを、演出サイドが止めなかったのも、演出家が吉田の意図を理解できていなかった傍証である。
NHK公式サイトの伊藤のコメントはすでに削除されているので、引用した記事からの孫引き。
演じるにあたっては、なぜ寅子は穂高にここまで怒るんだろう?と悩みました。その気持ちを監督に話したら「表現としては怒りかもしれないけれど、ここは寅子から穂高に愛情を伝えるシーン。ここで2人は、ただの仕事相手や師弟関係じゃできないケンカをしている。もはや、ある種の親子ゲンカであって、これは大いなる愛なんです!」と。そうした視点で脚本を読み返したら、腑に落ちたんです。きっと寅子は、穂高先生のあいさつを聞いて「今までやってきたことすべてが雨垂れの一滴だと言うの?凄くことを成し遂げた先生を尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!」と感じたんですよね。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/05/kiji/20240704s00041000217000c.html
前述の通り、吉田が意図した怒りのポイントは、「寅子自身も『雨垂れの一滴たれ』とされたと思った」ことなので、伊藤もずれているのだ。
結論を言うと、
「自分の怒りをむりやり乗っけたせいで、余計なノイズになり、現場も視聴者も混乱させた吉田が『ノイズを排除』なんて言うな」
である。
最後に、「虎に翼」を監修した方の、14週のコメントを引用したい。
穂高先生と寅子のわだかまりは最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる 虞があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
「母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします」の指摘はその通りだと思う。
あと、
台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
吉田の意図とは異なるのだろうけれど、脚本のままだったら、もっと寅子は嫌われていたと思う。
「男性(性)を公衆の面前で辱めて勝ち誇りたい」という己の欲望を満たすために、史実をねじ曲げてまでねじ込んだ「寅子の花束拒否事件」は、本当に誰も理解できない、純然たるノイズだった。
yas-mal 「根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人」の一員として、あれは刺さったよね。増田にも刺さったから、これだけ必死に否定してるんでしょ。吉田さんの意図通りでしょ。
あのさあ。
その意図のせいで、話にでっかいノイズが入って、視聴者のほとんどが頭に?マークを浮かべるわ、最終回に言い訳入れるはめになるわで、話がぐちゃぐちゃになって完成度が落ちた、という話をしているの。
盛り込むなら盛り込むで、うまくやれって話をしているの。
そもそも、引用で挙げているように、吉田自身も「ここまで擁護されるとは思っていませんでした」「擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました」って言っているのだから、全く意図通りじゃないぞ。
dusttrail 本筋とは関係ないんですが、ネット上を探しただけで「見つからなかったからそんな史実はなさそうだ、創作に違いない」はちょっと…。
言わんとすることは分かる。その点は、「史実にあるなら吉田が必ず言及する」ことを担保にした。
なぜなら、吉田が(三淵さんを通してつくりあげる)寅子にやらせたいことにぴったりのエピソードなのだもの。
また、当時の解説のどこかで、「このようなことはなかった」と書かれた記事を読んだ覚えがある。
いずれにしても、ないものを証明するのは難しいので、申し訳ないが容赦してほしい。
当然、史実も創作も織り交ぜる(言い方を変えると、史実の面白いエピソードをうまくピックアップして創作する)ものだし、そう書いている。
ただ、「花束贈呈拒否事件」は、公の場での出来事に設定しているし、あまりにも唐突だったので、逆に史実だろうと思ったら(恐らく)創作だったことに、「なぜに!?」と思った。
むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さだから。
で、史実でないならば、もっと別の設定、別の場所で穂高教授に怒りを向けることもできるのに、なぜあの公の場で拒否というエピソードを創作する必要があったのか。
それによって話のバランスが崩れても、なお盛り込みたかったのか。それが推察の出発点になっている、というだけ。
segawashin アレ虎に翼に原作なんてあったんだーと思っていたら「原作に相当する史実にはない」という超理論で腰が砕けた。この理屈なら殆どの史劇がアウトになってしまうが、現実とフィクションの区別がつかない人のなのかな? 本文は読んでない
せめて読んでからコメントしてくれ。後半の疑問にはすでに答えているぞ。
todomadrid 脚色加えるのはノイズ、ベースとした史実と違うからノイズ?何を言ってるんだろう。そう思うなら原作や歴史書だけ読んでいてほしい。クリエーターが自分の思想や主張を作品に反映させるなんて当然。それが作家性だよ
最初に書いているだろ。
「原作の数ある要素の中~一般論として、吉田の主張は正しい」まで。
脚本家の脚色や作家性を否定しているなら、こんなこと書くわけないだろ。
ブックマークしたのはかなり後だから、追記を読んでいるはずだけど、
「むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さ」と書いているだろ。
花束贈呈拒否事件は、あまりに唐突すぎて、多くの視聴者どころか制作者も置いてきぼりにするような創作で、理解を混乱させて作品の完成度を下げたと感じたからノイズだと言っているの。
kura-2 原作アニメ見てないやつはその作品についてなんも言う資格ねえなあ。物語の順序入れかえたり変更された部分に対して必ずしもノイズ扱いされているわけではなかろう。増田が結論ありきで書いてるだけ。
いや、「ぼっち・ざ・ろっく」の作品についてなんて、一言も語っていない。側聞だけ。
いやまあお前のブックマークだから好きに書けばいいけれど、公表しちゃっている以上、それって全世界に「まともに反論する能力がありませーん」って宣言しているのと同じだぜ。
「まともに相手するのもばかばかしい」というなら、そもそも相手(ブックマーク)する必要ないじゃん。要は、ただ攻撃したいだけなんだよね。
ええーっ…。何これ…。
いや、誤読は仕方ない面もあるよ。もちろん、こちらの書き方が足りていないこともある。
でも、これは誤読以前じゃん。
煽りにしてもひどすぎる。
冒頭に書いてるだろ。
見たかったも何も、そもそも作品に触れてもいないんだって。マジで。
あと、「吉田のスタンスは基本的には当然だし、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう」と書いてるだろ。
自宅の水風呂に入れるときに、水着を着せたんだってな。昨日初めて知ったけど。
このことについて、「けしからん」とか「ふざけるな」とか、そんなの、どこにも、何にも書いていないし、
覇権を取るために風呂場の裸というノイズを排除し、純度を高めた戦術は、全く否定していないぞ。
なあ、id:hate_flag。
あんたはこの増田のどこをどう読み、どんな理路で、嘘つき扱いしたのか。
書いていないこと、しかもこちらの思いと全く異なることを書いて煽ってきたのか。
ー
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/usa/35237419.html
服部氏がハロウィンで射殺された事件の言及が多かったから調べてみたよ。
訪問先の家を間違え、ロドニー・ピアーズ(当時30歳)一家の住む家へと辿り着いた。2人はそれに気づかないまま玄関のベルを鳴らし、勝手口で応対したピアーズの妻は玄関先の2人を見つけるとすぐさまドアを閉め、夫に銃を持ってくるよう要求した[2][3]。それに応じてピアーズは寝室からレーザースコープ付きのスミス&ウェッソン社製.44マグナム拳銃を持ち出し勝手口へと向かい、2人に向け構え、「フリーズ(Freeze 日本語で「動くな」の意)」と警告した。だが被害者はピアーズに対し「パーティーに来たんです(We're here for the party.)」と説明しながら車庫の中に入り勝手口に近づいた。この行為から被害者はフリーズを「プリーズ(Please 日本語で「こっちへ来い」という意で使われる時がある)」と聞き間違えた可能性がある[2]。ピアーズは発砲し、弾丸は被害者の左肺を貫いた。救急車が呼ばれたが、被害者は出血多量により搬送中に死亡した[4][5][2]。
その後陪審員裁判では無罪、遺族が起こした民事の判事裁判では7000万円の支払い命令が出たよ。
・ピアーズは銃をここ数年撃ってないって言ってたけどお前しょっちゅう射撃してるガンマニアじゃねーか
・デカい図体してて、自分より小さいアジア人の子供が怖くて撃つか?
といったのが挙げられている。
どーも引用部分の流れも信じがたい。
ならば遠回しな手続きをやめて最初から処罰感情に白紙委任すべきだ。
判決は証拠や法律ではなく、どれだけ多くの人間が「こいつムカつく」と感じたかで決まる。
量刑は怒りの炎の温度で測る。怒りが沸騰すれば無期懲役、怒りが爆発すれば社会的死刑。
冷静な議論は不要だし邪魔。冷却期間なんて設けたら正義がぬるくなる。
今の裁判も実は似たようなものだ。厳罰を求める遺族の声、世間の厳しい目、テレビやSNSの煽り。その全てが量刑に反映されている。
怒れる群衆の胃袋に入れば、それは事実に変わる。冤罪?それは物語のどんでん返しとして消費され、飽きられたら忘れられる。
怒りのビッグデータをもとに、アルゴリズムが一瞬で判決を下す。もはや正義はクラウドサービスだ。
こうなれば司法は遅すぎるという不満も消える。
一つは
変容的利用が認められた
利用された部分の量と実質性、も同様
もう一つは
4つ目の要素の著作物の潜在的な市場または価値に対する利用の影響
で判決とは関係なしに判事が個人的感想で原告の妄想じゃなくてちゃんと証拠そろえて損害主張してたら勝たせてあげたのに!
ほとんどのものは価値に対する影響があるだから、基本全部フェアユースじゃない
といって
色々アドバイス出してたけれど
……
実際どうよ?
例えば、原告の著作物を学習していないAIと学習しているAIの比較とか
基本原告むりじゃね? ディスカバリーとかでパラメータとか教えてもらえても、どの原告がそのAI作れるん?
例えば、損害額の算定だけど、裁判は、原告と被告という二者間の対立だから
裁判と関係ない第三者から受けた損害を被告に請求することは出来ないし、
被告が原告以外に与えた損害を関係ない原告が請求することも出来ない。
世の中にMetaのAIが独占しててかつ、原告の著作物に似ている物しか出力していないならともかくさ
Meta以外のGoogle,とかOpenAIとか、deepseekとかいろんなAIが世の中にあるのに、
そして、AI生成物がどのAIで作られたかは、アルゴリズムとかで判別する手段もなく、企業もしらず、各生成物を作成したユーザしか知りえないのに、
きちんとMetaが出力した生成物のうち、原告の著作物に似た出力のみを
ぶっちゃけ「ちゃんと」著作物の潜在的な市場または価値に対する利用の影響を裁判で証明出来る人いなくね?
しかも、これで勝ってもフェアユースじゃないと認められるの、Metaが取り込んだデータの内原告の分だけで一括で著作権違反が他の権利者にも認められるわけじゃないんよ?
全然違うなあ。
こいつは明らかに自分が主語だと普通人に解釈される形で「お前ら叩き殺してやる」と書いてる。
この違いが読み取れないようじゃお前は判事にはなれない。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20250705142757# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaGi34QAKCRBwMdsubs4+ SAQsAQCpywOd64dY+A7ZPko/drijCeMLqkIc2UrFghpKV1d35AD/aRDOAjRdeUfB HTETGb/IsrGpPsEsELDPp0BSXC0O5As= =m7HU -----END PGP SIGNATURE-----
↑は、この匿名日記の2個前の匿名日記 anond:20250628235025 に着想を得て、Gemini 2.5 Flashと会話しながら作ったエッセイのようなものだったのだけど、これをさらにチャット型AIに読ませてみたら、各AIサービスごとに見事に差が出てビックリした。
それぞれで Deep Research をさせた結果を載せるね。
8つの主要主張について、原典と学術資料に基づく厳密な事実確認を実施しました。古代ギリシャの政治哲学から現代アメリカの世論調査まで、幅広い分野の主張を検証した結果、大部分は正確である一方、重要な不正確性も発見されました。
| 正確な主張: 6件 | 不正確な主張: 1件 | 検証不能: 1件 |
古代の政治哲学に関する主張は全て正確で、現代の統計データも概ね正確でした。しかし、アメリカ独立宣言の引用において重要な欠落が発見されました。
検証結果: 正確
プラトンは確実に民主政を理想国家の堕落過程における最終段階として位置づけ、僭主政への移行を警告しています。『国家』第8-9巻の原典から、「民主政は自然に僭主政を生み出し、最も極端な自由から最も極悪な形の僭主政が生まれる」との記述が確認されました。
プラトンの政体堕落論は、貴族政→名誉政→寡頭政→民主政→僭主政の順序で展開され、民主政の「際限のない自由への欲求」が秩序を破壊し、デマゴーグを生み出すことで僭主政に至ると分析しています。
検証結果: 正確
アリストテレスの『政治学』第5巻は、民主政の不安定化と崩壊について詳細な分析を提供しています。原典では「民主政はデマゴーグに支配されるとき最も転覆しやすく、デマゴーグが富者に対する十字軍を率いるとき」との記述が確認され、実際にアテネ等の具体例も挙げられています。
検証結果: 正確
ポリュビオスの『歴史』第6巻に記述されたアナキュクロシス(政体循環論)は、主張通り王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政の循環を提示しています。この理論は数百のギリシャ都市国家の観察に基づいており、後のアメリカ建国思想にも大きな影響を与えました。
検証結果: 正確
学術的コンセンサスと一致する内容です。紀元前133年のティベリウス・グラックス暗殺から27年のアウグストゥス即位までの危機過程における政治的暴力、軍事的強者による内戦、経済格差の拡大、制度的破綻などの要因分析は、現代歴史学の標準的見解と合致しています。
最も重要な発見は、アメリカ独立宣言の引用における重大な欠落です。
主張された引用文:
国立公文書館による正確な原文:
「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:すべての人間は平等につくられており、創造主によって、生命、自由、幸福の追求を含む、ある種の不可侵の権利を与えられている」
この欠落により、独立宣言の哲学的基盤である「自明の真理」という概念が失われ、文脈的意味が大きく変化しています。
検証結果: 正確
機密解除されたCIA文書と1975-76年の教会委員会報告書により、イラン(1953年)、グアテマラ(1954年)での政権転覆工作、プロパガンダ活動、心理作戦の実施が確認されています。モッキンバード作戦による報道機関への浸透、MKウルトラによる心理実験なども含まれます。
2022年4月実施の調査(n=10,156)で、アメリカ成人の39%が「人類は終末の時代に生きている」と信じていることが確認されました。主張の「約4割」は統計的に正確です。調査は全国代表性を持つ手法で実施され、宗教的・人種的背景による大きな差異も記録されています。
指定されたYouTube動画へのアクセスができないため、具体的な主張を検証できませんでした。ただし、2022年1月の退任発表では、アメリカを「進行中の実験」と表現し、民主主義制度への楽観的な信念を表明していることが複数の信頼できる報道で確認されています。
このエッセイは古代政治哲学の引用と現代統計データにおいて高い正確性を示しています。特に、プラトン、アリストテレス、ポリュビオスの古典的政治理論の記述は、原典と学術的コンセンサスに忠実です。
ただし、独立宣言の引用における重要な欠落は修正が必要です。この修正により、アメリカ建国思想の哲学的基盤がより正確に伝わるでしょう。
推奨修正:
独立宣言の引用部分に「我々は、これらの真理を自明のものとして受け入れる:」を追加し、思想的文脈を完全に保持することを推奨します。
全体として、このエッセイは学術的に信頼性の高い内容を提供していますが、一次資料からの引用については、より慎重な検証が必要です。
承知しました。このエッセイ全体を対象に、歴史的・政治的主張や引用に事実誤認がないか、またその解釈や論拠に不正確さや誤解を招く表現がないかを、批判的視点から検証します。
確認が済み次第、主要ポイントごとに整理した上でご報告いたします。少々お待ちください。
このエッセイに述べられている歴史的・社会的な論点は、概ね史実や資料に基づいており、大筋で正確です。古代ギリシアの哲学者による民主政への批判(プラトン、アリストテレス)やポリュビオスの政体循環論、ローマ共和政の崩壊原因、アメリカ独立宣言の理念と冷戦期のCIAの秘密工作、現代アメリカの「ディープステート」陰謀論、福音派の終末論的世界観とイスラエル支持、さらに第二次大戦期のファシズム台頭の教訓など、多岐にわたる主張が展開されています。**これらの主張のそれぞれについて、史実との照合を行った結果、エッセイに明らかな虚偽は見当たりませんでした**。以下に、各ポイントごとに根拠となる事実関係を検証します。
エッセイの説明はこのポリュビオスの理論と一致しており、\*\*「民主政が衆愚政へと堕落する過程」\*\*についての記述(個人の自由が公共の利益を損ない無秩序と暴力に陥る)は、ポリュビオスが説いた民主政から無政府状態への移行と同じ現象を指摘しています。したがって、この点も史実に沿った主張です。
以上の歴史は、**どれほど堅固に見える政治体制でも、極端な経済格差や権力闘争(安定した政権交代の仕組みがないこと)が内部矛盾となって崩壊しうる**ことを示しています。エッセイの記述はこの歴史的経緯と一致しています。
人類の歴史において、民主主義は常に理想と現実の狭間で揺れ動く「壮大な実験」であり続けてきた。古代ギリシアの賢人たちは、その脆さと可能性を早くも見抜いていた。
プラトンは、その著書『国家』において、理想国家の堕落の最終段階として「民主政」を挙げ、それが「僭主政」へと移行する危険性を指摘した。彼は、自由を過度に追求する民主政が、最終的には無秩序と放縦を生み出し、大衆の感情に訴えかける扇動家(僭主)の台頭を許すと警告した。アリストテレスもまた、『政治学』第5巻で、民主政が貧富の対立や扇動政治家による民衆の操作によって不安定化し、崩壊に至る多くの実例を詳述している。
そして、ポリュビオスは、政体が「王政→僭主政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政」というサイクルを繰り返す「政体循環論」を提唱した。民主政が衆愚政へと堕落する過程は、個人の自由が過度に尊重されるあまり公共の利益が見失われ、最終的に無秩序と暴力が支配する衆愚政治に陥るというものであり、古代の知見が現代にも通じる普遍性を持つことを示している。
古代ローマ共和制は、これらのギリシア哲学者の懸念を現実のものとする一例だった。その成果は、法の支配、市民の権利、抑制と均衡のシステムに見られたが、広大な領土の獲得に伴う経済格差の拡大、軍人政治家の台頭、そして内乱の激化は、最終的に共和制を帝政へと移行させる原因となった。これは、いかに強固な体制であっても、内部の矛盾と「安定した政権交代ができない」という弱点を抱えることで、崩壊の道を辿ることを示している。
長く続いた暗黒のヨーロッパを経て、米国はリベラル・デモクラシーの旗手として世界の舞台に登場した。その理念は、自由、平等、人権、そして民主主義の普及にあった。米国の独立宣言は、まさにその理念の表明であり、「全ての人間は平等につくられ、創造主によって、生命、自由、幸福の追求という、ある種の不可侵の権利を与えられている」という、新しい世代へと夢を託す壮大なビジョンを示している。
しかし、冷戦という特殊な国際情勢下において、米国は理想と現実の厳しい矛盾に直面した。ソ連とのイデオロギー的対立の中で、米国は「リベラル」な信条と相反する「リアリスト」な態度を国際社会(外交)において求められることになった。その結果、CIAなどの諜報機関は、他国の政権転覆、心理作戦、プロパガンダといった秘密情報活動を大規模に展開した。これらの活動は、当時の米国の国益を守るためとされたが、介入を受けた国々に米国に対する根深い猜疑心と不信感を植え付けた。リベラル・デモクラシーを標榜する国家が、その理想とは裏腹に、他国の内政に干渉し、世論を操作する行動に出たことは、その後の国際社会における米国の信頼性にも影を落とすことになった。
皮肉なことに、この「他国を貶める」ために行われた情報操作の「刃」は、時を経て米国自身に向けられることになる。米国社会で広がる「ディープステート」論は、かつてCIAなどが他国で行ってきたような「見えない権力による操作」への根深い不信感が、今や自国のエスタブリッシュメントに向けられている現象と見ることができる。 リベラル・デモクラシーの擁護者であるはずの米国が、自らの行いが原因で、その理念自体に疑いの目を向けられている現状は、まさに過去の行動の「しっぺ返し」と言えるだろう。
現代の世界、特に米国の影響を色濃く受ける日本や西ヨーロッパの人々も、同様の「終末観」にとらわれているかもしれない。ピュー・リサーチ・センターの調査によれば、米国では成人のおよそ4割が「人類は終末の時代に生きている」と信じている。特に福音派の多くは、この信念が強く、キリスト再臨を心待ちにする彼らがイスラエルを強く支持する姿勢は、その信仰が地政学的な問題にまで影響を与えていることを示している。 https://www.pewresearch.org/short-reads/2022/12/08/about-four-in-ten-u-s-adults-believe-humanity-is-living-in-the-end-times/
一見、これまでの古代のデモクラシー批判や戦後の情報活動の議論と、現代の終末論的心理は繋がりがないように見えるかもしれない。しかし、リベラル・デモクラシーにおける社会心理や社会不安は密接に結びついている。
第二次世界大戦を経験した我々は、過去に生活苦や経済難から排外主義などを煽られ、ファッショを生み出した経験を持つ。ファシズムは、大衆の不満と不安を吸収し、明確な「敵」を提示し、感情的に扇動することで、個人の自由を奪い、国家を肥大化させていった。 この歴史は、民主主義がいかに容易に大衆操作によって変質し、その結果がどれほど悲劇的になりうるかを示す重要な教訓である。
私たちは、民主主義の脆さ、そしてリベラルの理想が時に傲慢さや矛盾をはらむことを知っている。知っていてなお、前向きに新しい世代へと夢を託していかねばならないのだろう。
なぜなら、人類はこれまでも、数々の困難な時代を乗り越えてきたからだ。古代の政体循環や、近代のファシズムの台頭、冷戦期の情報戦といった過去の経験は、私たちに民主主義が直面する試練の本質を教えてくれる。それは、生活苦や経済難から生じる不満が、社会構造や外部の敵ではなく、「内なる敵」へと転嫁され、徒党化することで、自身の体制を内側から破壊するという、デモクラシーの最も脆い側面である。
しかし、その脆さを知ることは、同時に「同じ目には遭わない」ための知恵となる。私たちは過去の過ちを繰り返し、民主主義の理想を失ってはならない。それは人類の英知であり、私たちに課せられた「壮大な実験」の継続と成功への責任である。
最高裁判事を退任するブライヤー判事が、アメリカを「自由とすべての人間は平等であるという命題に捧げられた国」であり、その理念が長く続くかどうかは「実験」であると述べ、その成否を若い世代に託した表明は、私たちに勇気を与えるものである。 https://www.youtube.com/watch?v=Lv7WkW7z4hQ
---