「枝葉末節」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 枝葉末節とは

2024-10-21

anond:20241021210325

イエス

ノー

てか国の基本を真っ先に女性差別改善させるべきでしょ普通に考えて

なんで枝葉末節から始めるのw

2024-09-22

anond:20240922092257

大意を無視してわざわざ分かりやすデフォルメしてる例に突っかかってくる文盲罵倒してるだけだろ

お前は痴漢痴漢って言ってる女性にも、自分が言われたくないからそう罵倒するのではとかアホなこと言い出しちゃうの?

この例も君には理解できないだろうし、また妙な枝葉末節を捉えようとしてくるだろうけど、理解できなかったらごめんね

アスペに話が通じるとは最初から期待してないし

anond:20240922090701

こういう文盲はどこにでも湧いてくるよな

枝葉末節につっかかってくる、某管理人もどきアスペ

2024-09-11

解雇規制緩和は労働契約法第16条の削除だけで十分では?

採用面接の時は不採用理由説明しなくてもいいんだから解雇理由説明なしでやっていいんだよ

理由説明してしまうから客観的合理性だの社会通念だのごちゃごちゃ言われてしま

あと「日本解雇規制は厳しい」とか言うからそうじゃないとか揚げ足取られるわけで

日本解雇規制世界一ゆるくします」と言い切ってしまえば枝葉末節議論は省略でき本筋に集中できる

2024-09-10

人気の増田読んで内容がどうこうじゃなく「トルコ風呂って言葉はどうか」みたいな枝葉末節へのコメントしかしかつけないやつは発達障害なんじゃないかと思う

まあ発達障害も約6.5%程度いるらしいか日本全体だと780万人いることになるし

一定数そういったブコメが付いているのも仕方のない事なのかもしれない

優生思想排除するのはどうかと思うので無視するしかないのだろう

2024-09-09

anond:20240907222338

うん、わかる。そういう人って読解能力が不足して
いるんだよね。その癖に枝葉末節にこだわって
美辞麗句言葉を飾り立てることに侃侃諤諤として
いるから質が悪い。自身能力不足を理解認識して
無知蒙昧な人として温良恭倹に生きていてほしい。

2024-09-07

anond:20240907135416

そうだよ嘘だよ、それがどうかしたか

匿名の俺の経験が本当か嘘かなんてどうでもいいだろ。

そんな枝葉末節にこだわってないで論旨を汲み取ってくれよ。

でも、くだらないいちゃもんを付けるしか能がないってことは、反論できませんってことだろ?

2024-08-25

anond:20240825104628

全体の論旨を無視して枝葉末節での正しさしか主張できないから何度も負けるのに

2024-08-18

ガラスの仮面、全49巻読み終わったけど、これ終わるのにあと5巻は欲しいよね?

終わるのか?

終わるのだろうか?

描き始めることが出来れば2年ぐらいでババっと仕上げることは出来そうだけど、そもそもそれが現実的なのかが分からない。

現状はあらゆる作中の伏線収束していっている所であり、これを「俺達の戦いはこれからだ!」とやってしまっては全てがどっちらけてしまう。

出来なくはないと思う。

モノローグを使いまくって「Aのお芝居は大成功した。具体的にはここがよかった」「Bのお芝居も大成功だった。ここが本当に良かった」「甲乙つけがたいぜー!紅天女をめぐるバトルはこれからだ!」「PS紫のバラの人との関係は進展してます 朝チュンチュン」でかませば1話に圧縮可能だ。

年表エンドの如き無理やりなラスト可能

だけど、ここまで盛り上げておいて、本筋に+αするための要素をこれでもかと盛り付けておいて本筋自体ハイハイチャッチャッで終わらされたら読者もやるせないだろう。

今、ガラスの仮面は本当に盛り上がっている。

作中最大の山場だ。

フルコースで言えばメインディッシュが運ばれてきた直後、カートの上にはクローシュを被せられた皿が並び、ウェイターがツラツラと今宵の主役が如何に素晴らしいか説明していくれている最中だ。

もしここで「すみません。もう閉店時間なので一口分だけの提供とさせていただきます」と言われたとして、納得できるものがいるだろうか?

SLAM DUNK山王工業高校戦、20点差をつけられた直後に突然モノローグが入り「なんだかんで20点差をひっくり返し激闘を制した。その後の3回戦、嘘みたいにボロ負けした。その試合桜木山王戦の負傷により出られず、今はリハビリである」で終わったら歴史に残るクソ漫画になっていたことだろう。

ガラスの仮面、本当にちゃんと終われるのか?

描くべきものは誰もが分かっていてあとは最後の仕上げを残すだけとはなっている。

仕上げを待たなくても書き上がりの景色の8割程度は想像がつく。

片腕のない彫像を見たとき、それ以外の部分がないはずの腕の形を教えてくれるようにだ。

だが、腕の先にある指の形まではわからない。

もはや勝負行方など作者にとっては枝葉末節なのやも知れぬが、読み手としてはハッキリと勝負の中でその答えを知りたいのだ。

描かないわけにはいかないだろう。

作者という神が、どのような答をこの物語に下すのか。

作品世界を生み出した神としての最後の大仕事だ。

天地創造における6日目だ。

まだ7日目ではない。まだ休むときではない。

2024-08-06

広島原爆の日だけど、

原爆の影響や歴史について真面目に考えるブクマ全然なくて、市民団体のいざこざとか記念式典で市長言葉遣いが云々とか、ブクマカって徹底的に枝葉末節重箱の隅だよな。どうでも良すぎる。ほんとにリベラルの巣なのか?

2024-07-23

anond:20240722192832

熨斗付きの短刀が与えられただけだ、いやあれは太刀のことだったので侍決定

とか枝葉末節解釈ではバトルするけど

「異国の地でトップ上り詰めた」「戦国最強の侍」には決して言及しないのが歴史専門家だぞ

2024-07-22

anond:20240722110649

弥助がサムライかは枝葉末節で(江戸時代ならともかく戦国時代武士かどうかなんてそんなにはっきりしたものでもないし)、日本人黒人奴隷を使ったかだろうよ

2024-07-07

多数派にとって生活に本当に問題になるようなことが世の中にあれば別に野党に限らず自民党だって小池だって問題視してんねんそれで選挙落ちたくないんだから

野党がやってるほとんどの議題は枝葉末節であってその部分で正しかろうと支持する動機にはならないんだよ

2024-07-02

anond:20240630204749

観測してる人物の中で一番「検証可能事実」を出してくれるから

裁判所事件番号カンパ金の額、使途、本人の生い立ちから思想に至るまで

個人レベルでは100%裏取りはできないが、はっきりいって信用できる

自然科学に多少のかかわりがあるもの、いわゆる理系ならなんとなくわかると思うが、自然現象観測するような気持ちで見ている

自然科学では、宇宙「真実」人間如きがたどり着けるわけがなく、あくまで「第三者再現しても同じになるかどうかで、否定しようがなければ一時的に真とする」という思考になる

第三者によって検証可能かどうか」という観点文句のない結果を出力している

興味ないことに対する解像度(例:保育士給料補助金関係)が粗すぎるとか、幼稚な全能感と見下し癖がクソほどウザいとか、そういう人格問題枝葉末節と言えてしまうくらい単純に成果物が凄い

で、別に他の奴がそれを信用できない、成果物は嘘であるとか思うのも勝手だが、そんなに信用できないと思うんだったら好きに調べて虚偽である証拠をつきつければよろしい

たとえばひまそらの言った裁判が実際には起こされていないとか、ことさらアピールしている東京都への勝訴は嘘であるとか、そういう確たる証拠を1個でも出せば奴の勢いは万分の一にもなるだろう

なんなら裁判所でそれをやってもいい、むしろそうするのがいい

なんでしないの?

2024-06-27

男子高校生の間でひそかに流行しつつあるステロイドとドカ食い気絶部との違いは小さいのではないか

私事だが、リハビリを経て歩けるようになる過程で、筋トレ界隈で言う超回復は、枝葉末節なのではないかと思うようになった。

超回復とは、筋トレをすると筋肉が損傷し、その損傷を修復する過程で、ちょっと回復しすぎる、結果筋肉が増える、というものだ。

超回復は、部分としては正しいのだが、全体としては人間適応のごく一部分にすぎないのではないか

人間の体と言うのは今現在の負荷に見合うように勝手にフィッティングする、適応するのが正しいのではないかと思うようになった。

寝たきりに近い状態からほぼ足を使わない生活を経て、ちょっとトイレに行くのですらリハビリの一環となるような辛い時期を経て、今は普通に歩ける。

ジムにも行ける程度に回復している。

でも、医療機関でかなりしつこく言われたのだが、使わなければ衰えますよ、辛いけれども今やらないとリハビリ期間が延びますよと言うのは本当なのだろう。

寝付いてしまう、お年寄りがいったん入院になるとそのまま寝たきりになるというのも今ならわかる。

ただ歩くだけで相当に辛いのだ。だが、筋肉も衰えているだろうし神経系も鈍っているのだろうが、そのリハビリと言う名のリカバリー期間を乗り越えれば、歩ける。

そう、歩くときリハビリ間中のような辛さは無い。でもこの辛さを乗り越えられずに、ずっと歩けないという人もまた居るのだろうと思う。

から、おそらく、人間の体は、現在状態からキツイ状態経験すると、それに適応するのだ。そして一度適応すれば、それを維持するのは同じだけのキツさは求められない。

この経験は、筋トレボディビルとは、ある種のリハビリなのだ、という自身の信念を強化した。

たとえば、自分理想とする肉体があるとする。その肉体の状態に向かってのリハビリを、筋トレと言うのだ。

これは、体力や筋肉量と言った、見た目ではない競技者の目指す出力でも、美しい体つきを目指すボディビルダーでも同じだ。

から筋トレキツイし、このリハビリ期間を乗り越えなければ当然その理想にはたどり着けない。

運動強度と言う考え方を知った時にも、それはそうだろうと思ったのを覚えている。

恐ろしい距離毎日歩く営業マンを知っているが、別に足がムキムキになっていたりはしない。もちろんその営業力に見合うだけの脚力はあるわけだが、それだけだ。

人間は、運動強度に見合った肉体に適応するが、勝手にそれ以上に増えたりはしない。逆に言えば、日常生活での運動強度が下がればあっという間にそれに適応する。

ここでやっと、男子高校生から聞いた、ステロイドとか普通ですよ、という話に戻る。

アナボリックステロイド筋肉増強剤のことだ。特に場所名前は伏せるが、みんな使っているらしい。

ニュースしかしらないといわゆる注射をするようなタイプ想像するかもしれないが、錠剤のようなタイプもあるし、休薬期間やケア剤など、使い方もかなりこなれてきている。

詳しくない人からすると、とんでもない話のように聞こえるだろうが、実はショービジネス界としては割と一般的だ。逆に、ステロイドなどを使わないタイプのことをナチュラル、と呼ぶくらい一般的なのだ

まあ、作用副作用もかなりハッキリしているサプリメント、だと思ってもらえれば良い。

健康サプリメントを飲み続けた結果副作用があるかどうかは良くわかっていないだろうけれども、ステロイドについては何人も死んでるし副作用もハッキリしている。体に悪いのだ。

から、将来ある男子高校生と会話するときに、いやいや四十過ぎで死ぬかもしれないし止めときなよ、と気軽に言えない自分がいた。

おおむね、15~25歳の10年位が、まあ青春時代と言っていいだろう。

この10年は、中年以降どんなに金を積んでも取り返しがつかない。

別に禁止されている競技に出るわけでもないし、自分身体つきを変えたいからという理由で飲むのはアリじゃないっすか?と言われたときに、そうだね、としか返せない。

正直に言えば、きっちりバランス計算して食事をして、プログラムを組んでトレーニングをして、プロテインをきちんと飲んでいれば、よほどのことが無い限りステロイドに頼らなくても希望身体つきにはなる。

もちろん、漫画キャラクターのような身体つきを目指すとなれば、どうあがいてもステロイド等に頼らなければならないのはその通りなのだが、それだって常軌を逸したトレーニング量が前提になる。

通常、常軌を逸したトレーニング量の何歩か手前でも、着実にこなせば、きちんと身体つきは変わる。

遺伝子に恵まれれば、控えめな漫画キャラクターレベルには到達するだろうし、そうでなくともいわゆる細マッチョ、みたいなモテる身体つきにはなる。

ただ、これはほぼ青春の半分以上をトレーニングに費やせれば、求道者のように食生活を律することが出来れば、の話だ。

まあようは、効果がはっきりしているチートなわけだ。しかも手軽に出せる値段だし、別に禁止されているわけでもない。

いやいや副作用があって絶対体に悪いじゃん、というかもしれない。

そこでやっと、ドガ食い気絶部の話になる。

ドカ食いは体に悪い。みんな分かっている。でも、別に禁止はされていないし、たくさん食べるのくらいとみんな許容している。

さらに言えば、ポテトチップスアイスクリームだって別に許可制じゃない。貴方は今月の許容量を超えているのでお売りできませんとコンビニで断られるだろうか?

摂生をしていたので、肥満で若くして、ということは身近でも聞く。もっと極端なことを言えば、バイクに乗ってて事故るやるだって結構いる。

山で遭難するのも、スキー骨折するのもそうだ。

そうしたアクティティは、多かれ少なかれ、日常生活よりも格段にリスクのある行動をとっている。しかも直接的にだ。

そんなことが許される世の中において、短い青春の期間に、筋肉付けてモテたいという男子高校生ステロイドオッサンが止められるだろうか。

しかも、ある意味で関節や軟骨などには無茶した結果取り返しはつかなくなっているのだ。筋トレだって別に体に良くは無い。

まあだからなんだという話にはなるかもしれないが、女性にとっての美容整形と同じで、男性ステロイド使用タブー視するのではなく使用方法啓蒙必要な気がしている。

これから迎える夏休み間中陰キャ必死に家でダンベトレーニングして肉体改造しようと決意したときに、ステロイドの有無で冗談抜きで結果は10倍以上違う。

無茶苦茶使用で命を縮めるくらいなら、適切な使用でほどほどのダメージ身体に与える方が良いと思っている。

フェイナチュラルと言う単語が生まれるくらい、ステロイド等を使用するユーザーはまだまだ日陰者扱いだ。本当に良くないと思う。堂々と使って欲しいし、使い方をもっと共有してほしい。

深刻な健康被害が出て取り締まられてから泣きを見るのは、ユーザーなのだから

2024-05-26

anond:20240526203609

豚まんじゅうとかいってルッキズムする人がダンジョン飯の読者なのか?

どうせこの増田もそういうやつだし、

妄想で決めつけて、作品自体面白くなさではない、という主張は一切せずに本質じゃない枝葉末節にばかり力を入れてるブーメランさんは自爆行為が楽しくて生きてるのかい

しかし、個人面白さを理解できない • 作品自体面白くない、この観点は興味深い主張だ。

この2つが明確に切り分けれると思うのか……。私はそうは思わない。

2024-05-12

anond:20240512033036

横ついでにいうと、とりあえず屁理屈ではじまって侮蔑で終わるのは読む気がしないし、どうでもよくなる

少し上の増田の「色恋沙汰で~」は単なる皮肉じゃないか

なので基本無視していいレベル

それに対してムきになって「誰が言ってるんだよ誰が~」みたいな強い口調で反論したがっているけど

逆にいえば「誰が」の部分にしか言及していないしとても浅い内容でしかない

それならきちんとカウントした数値的な可視化をすれば少しは面白いけど、どっちも印象論なのはいまでも変わらないでしょ?

まあどっちみち下らない話だけど

というか、人は悪意だけで生きていないと予想されるので、殺されて当然なんて強い思想を本気で持っている人は少数派だしあまり口には出さないよ

最初から少数派であることがわかりきっているものを「俺は知ってるぜ」と言われてもちょっと

ブクマカとかが良く使う「見えやす枝葉末節なことを強調する」典型だと思う

日本語の不備だけでバカバカ言う人と一緒

無駄に何のひねりもない話をもとにして他者侮蔑を浴びせるのはちょっと感心しない

2024-05-10

anond:20240510141022

こういうイジケに走る単純バカには見えてないけど

社会の中で生きてる限り助けられてるし助けさせられてんのよ。あらゆる形で。

ハンカチ拾ってあげるかあげるかあげないかみたいな自分の胸先三寸でコントロールできる領域けが助け合い」の全てだと思って必要とか不要とかワーワー言ってるけど、

そんなの枝葉末節しかないのよ。



ボランティアに関して幼稚な思い込みが多いのもそのへんの認識のズレによるんだろうね。

ハンカチ落ちましたよ的な個人的親切の範疇しか見えてなくて当然ボランティアもそこに位置すると思ってるか、

選挙とかと並置される社会参加の一方途だと心得てるか

2024-05-05

anond:20240505184139

フェミニズム本来はDEIとか働き方改革とかの背景をきちんと支える役割があって、女性中心に労働者福祉全体を向上させる社会的役割や意義もあると思うんだけどはてブ増田で延々と続いているのってそういう建設的な方向に向かわないよね。リベラル政党もその辺ちゃん理論武装できていなくて、「レズビアンとかゲイ権利!」「夫婦別姓を!」みたいな枝葉末節の水掛け論を延々とやってたり女子社員愚痴みたいなのを延々とやってたり、「闘士」のSNS晒し上げたり、炎上ヲチしたり、なんかもったいない

2024-04-15

みのミュージックさんへ。『にほんのうた』の感想です。

本人いわく刊行前に炎上し、刊行後も批判ばかりで正当な評価がされていないという、みの『にほんのうた:音曲楽器芸能にまつわる邦楽通史』。「議論きっかけに」「集合知歴史観につなげたい」と言いながら誰が何を言っても「村社会」「リンチ的」としか言わないのは正直どうなのかと思う。絡むのと晒し上げられてめんどくさいし下手をすると訴訟とか言い出しそうだから匿名自分が気になったことを書いといてあげよう。

・内容のそもそもが人の議論

これは複数人から指摘されている「どこが地の文でどこが参考文献の主張なのかわからない」問題と同じだが、歴史の設定や「音曲」というワードなど、この本の全体をつらぬく視点と前半の記述既視感しかない。上積みやひねりがあるのかと思ったら、ない。これには何も言いようがない。「数百冊」音楽書を読んだのなら、先行する言説をどう扱うかくらい身につくと思うのだが、それもまったくない。自分では十分に言及しているつもりなのだろうが、複数の人から複数回同じようなことを言われているということは文章として失敗しているということです。

知識提供してほしいのなら頼み方がある

どこの世界でも誰かになにかを教えてもらうときには礼儀も対価も発生する。「有識者の今後のご活躍を待つ状況です」じゃなくて、自分聞き手になるなり、間違えていてもいいかたたき台を作るべき。だれも「ぼくはみなさんの成果物だけかすめとります!」と宣言されたらいい気分はしない。

リスナーには毎度コメント欄で褒めちぎられ、レコード会社にはSNS向けのちょうどいいインタビュアーとして使われ、DJイベントに呼んでくれる老人から若いのに頑張ってると褒められていると妙な勘違いをしてしまうのはわかるが、もうすこし謙虚になったらどうなんだろう。わざわざ見に来ている自分リスナーが知らないだけで、世の中の人知識量を舐めないほうがいい。すでに知っている情報に人は興味を持たない。あなたより若くて物知りで頑張っているライターミュージシャンもたくさんいる(YouTuberいるかは知らない)。

この本を出して、参考文献にあげた人たちから一切言及されていないということが何を意味しているのかもう一度考えるべきでは。

象牙の塔ライターの村もない

揶揄しているようなコミュニティは残念なことに存在していない。そもそも儲かっていないか利権の取り合いもない(一部御用ライターのようなものもいるにはいるが、そういう賢い人はSNSをやっていない)。だからといってこれまでの批判貧乏からのやっかみや人気者への嫉妬のように感じているのだとしたら、性格が歪んでいるので直したほうがいい。硬直化した、一般の人を置き去りにした議論に風穴を開ける!という構図に魅力を感じるのはかまわないが、現状認識が幼稚すぎる。これは『土偶を読む』と似ている。しかそもそも数百冊の音楽書を読んでいるのならこういう考えに至らないと思うのだが…

20人で2時間しかない場所議論はできない

ついにしびれを切らして「定員20人時間2時間」という議論の場を設けたようだが(これに来ないのなら口を出すなというような姿勢も見えるが)、この設定では誰一人として十分に話ができない。議論シンポジウムというものしたことがない、見たことがないのだろうか。結局ファンミーティングになるのが目に見えているし、そりゃ誰も来ないでしょ。本当に議論したいなら自分から頼んで声をかけましょう。

歴史を書きたいという意志の持ち方

結局のところ「日本すごい」が言いたい本なのだと思うが、そこに大半の人が乗れていないように見える。ジャンル外国から規定されることへ嫌悪感があるのだとしたら、その意識自体現在音楽とりまく状況や、あなた自身の偏った認識示唆しているように思う。そこを客観的に見れないなら「歴史」を書くのは無理。筋が悪すぎて箸にも棒にもかからない。『日本国紀』じゃん。本人は枝葉末節批判されていると勘違いしているようだが(枝葉末節にこだわってる人もいるが)、根本が厳しい本だと思う。だから批判するのにもコストがかかるし、結果的無視をするようなかたちになっている、ということくらいはわかってほしい。

しかしもともと雑誌や本に書かれていた評価評論ランキングをそのまま垂れ流す動画を作っていて、どうしてこんな本を書いてみようと思ったのでしょう。なにかコンプレックスがあるようにも思えないし(あるの?)、出版社に焚きつけられたのだとしたらちょっとかわいそう。実際のところ、自分でもあんまりよくなかったんじゃないかと思い始めているでしょう?

がんばってとは思わないけれど、恥ずかしいことはしないほうがいいよ。もう少し本を読んでからがいいと思う。数百冊は読んだそうだからたぶんあと3冊くらい読めばいいんじゃないかな。

2024-04-09

anond:20240408144402

自動運転モーターの方が緻密な制御ができるっていうけど

自動運転技術障壁ってそんなトルクの緻密な制御とか一瞬のレスポンスでは全くなくないか

自動運転とは少し違うけど今の運転支援機能ICEだとEVより劣化するかっていうとそうじゃないじゃん

 

あとEVでV2Hも結構眉唾だと思ってて

自動車用のバッテリーって車としての制約からエネルギー密度や充電速度にこだわってコストかけたやつじゃん?

V2H用の蓄電池は充放電繰り返し劣化も早いからそんなコストかけて突き詰めた交換しづらい電池である必要ないし

V2H用の重たい蓄電池を車の移動に常に積載する必要性もないわけじゃん

なんか2重利用で合理的に見せてるけど実は車としても蓄電池としても中途半端なのが実態じゃない?

経済性で見ても補助金115万もらえなかったら誰も導入してないだろうし

 

なんか中国エンタメ機能の充実とかもそうだけど、

EVICEの違いとしてあげられる点ってEVにどうにか意義を見出そう!っていう強引さを感じるんだよな

 

結局EV技術革新によりライフサイクルコストICEを上回るかどうか以外の論点枝葉末節しかなくて

世界中で手厚くばらまかれた補助金がそれがすぐに実現するような幻想を生んだってのが現実な気がする

社会のモビリティのあり方を変える可能性があるのは自動運転の方なんだろうな

2024-04-05

年上の同僚の生産性

最近イラついている。

同僚の仕事のやり方がすごく合わない、と言うか破綻してる人だと思ってる。

質問しない

・誤りを認めない

概要を話さず枝葉末節から伝えようとするため、話全体がわかるまで時間がかかる

・話の末尾まで聞かずに返答を始める

嫌だなぁって思っているからより目立つんだと思うけど、プロジェクトのゴールに向かって走ってる感じがしない。

自分の手元だけ大丈夫なら後は上司が考えてくれよ、という受動的な思考放棄に見えてしまって、指導アドバイスも受け取ってくれないので関わりたくもないなって思い始めてる。

これでよく仕事してきたなあ、と感心するが過去色んなところで同様に問題を起こしては誰かが帳尻を合わせてきたんだろう、この人以外の誰かが。

沼の澱みが気になるのは自分が沼に住む魚だから、と思っていて、違う沼に行くために自分を律するしかないなあ。

あー仕事したくない

2024-03-25

anond:20240325104732

初代ガンダムって今観ても神がかってるんだよなあ

作画とか枝葉末節にこだわる人にはお勧めできないけど、まず一話が凄い

一話の演出が、シナリオが、作りこまれた設定や世界観が、モビルスーツの巨大さを表現するアオリ構図が、

今となっては当たり前の表現がすべてここに詰め込まれているし、今になっても当たり前になってないのは、

初代ガンダム一話の無駄のなさ、まったくといっていいほど無駄がない、

これから始まるであろう作品絶対必要となる道具、登場人物世界観、設定、技術、あらゆるものが詰まってる

はっきり言って、初代ガンダム第一話は教科書に載せるべきレベル

安彦氏の描く、ぐにゃりとしなるロボットによるダイナミックな動き

父親との葛藤から、これは父殺し、少年の成長の話だと分かる

そして、青葉区での最終決戦まで話は飛ぶ

その間の話は、当然物語必要な要素も多くあるが、単なる時間稼ぎのようなくだらない話も存在する

それもこれも大人の事情というやつである

アッザムが登場する回なんて、そんなに物語必要だろうか?

そんな枝葉末節をあげつらって、ガンダムが喋ったwとか、作画崩壊wとか、くだらない話である

であるならば、作画現在レベルだと目で補完して観てほしい

というか、劇場版での安彦氏による描き直しでさえ、もうかなり今でも観ても十分耐えるどころか素晴らしいものがある

結論を急ぐと、ZやZZオチがショボい、盛り上がりに凄い欠ける

初代はアバオアクーがあった

最終激戦地という設定が、嫌でも視聴者を盛り上げた、生身でのアムロシャアとの宇宙でのフェンシング一騎打ち

そして、最後には自分にも帰れる場所があったんだ、という全面的自己肯定感で満たされる主人公

正直言って、初代ガンダム富野氏の頂点だったと自分は思ってる

まぐれも重なって、中途半端な時期に頂点を取ってしまった

まり、今度は自分で取ってしまった頂点を、更に越さなければならなくなる

自分で最強の敵を生み出してしまい、更に次でその敵を倒さなければならないのに、最強なだけに倒せないのである

ZやZZにはアバオアクーのような舞台が設定されておらず、盛り上がりに欠ける

富野自身、なんというか、もう物語全体を盛り上げることより、シャアという人物をどう描くかばかりに固執するようになっていく

初代ガンダムで実現できなかったリアルさ、未来技術の設定はZの方が格段に上であり、

ZはZで、第一話のリックディアスの地面擦れ擦れの飛行、全天候型スクリーンなど、とにかく設定は盛りだくさんであり、ディティールは格段に上がった

でも、初代ガンダムにあった、ものがたりのようなものは失われ、よくわからない政治描写に煙に巻かれたり、無意味暴力シーンがあったり、

これって単に現場の苛立ちが作品に反映されただけなんじゃないの?と思わせられるぐらいだった

Z以降には、黒い三連星だの、マチルダさんだの、そういったものがたりっぽいものが失われている

そういった、誰もが観て、共通に語れるような要素がなくなってしまっている

大人はみんな難しい顔をして、複雑な政治に奔走し、かといって、やたらに他人を殴るし、姿は大人なのに、行動は大人のやることじゃない

もちろん、そのカオスな感じが、監督女性観のようなものとか、そういったもの面白おかし作品になっているのは確かである

しかし、初代ガンダムの本当の良さは、Z以降で失われしまったのだと思う

2024-03-20

anond:20240319222408

もちろん被支援者「ありがとう」を発することに、より正確にはいちいち他人の手を借りなければならないことにストレスを感じている。

でもそのことが問題になるのは例えば災害被災者のようなケースだ。

機能回復の見込みがない身体障害者は、そういうことについてはある意味覚悟ができている。乙武洋匡の図太さとかあっけらかんとした態度を見よ。

バリアフリーにまつわる事案は、基本的に銭勘定技術マターだ。「ありがとうと言え」とか「ありがとうというのも辛いんだ」とか、そんな枝葉末節感情的要素ばかりに着目する意味がない。

なんでも善悪感情の話にしてしまう、悪しき心理化のパターン

そもそも我々みんなが現代文明技術によって生かされている。助けてあげる側・もらう側などという別は存在しない。

「誰かが騒いで闘わないと何も変わらない」とかいたわごとバカの口に膾炙しているが、化成肥料製造技術弱者のために闘って勝ち取ったものではない。軽い車椅子だってそうだ。単にニーズに応えて優れたものを作ろうとして作っただけ。

車椅子で不便したというインシデントがあったらじゃあ具体的にどうすればカイゼンできるのかなと考えるべきであって、誰かを吊るすことしか思いつかない能無し正義マンはお呼びじゃない。

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