はてなキーワード: マイノリティとは
## 結論
ただしそれは「美醜」だけでなく、**外見を手がかりに人を分類・判断する文化的傾向**が強い、という意味です。
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日本では外見が、次のような**即時判断の材料**として使われがちです。
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## 2. なぜ日本は外見重視になったのか?
### 2.1 同質性が極めて高かった歴史
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👉 外見は**会話を省略するための装置**として機能してきた。
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| 観点 | 日本 | 多民族国家 |
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| 見た目と国籍 | 強く結びつく | 原則切り離す |
| 言語能力への反応 | 驚き・称賛しがち | 失礼になり得る |
| 第一印象の重み | 非常に大きい | 相対的に小さい |
| 例外への耐性 | 低い | 高い |
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### 恋愛
### 職場
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## 5. 注意点:日本人=悪ではない
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## 6. まとめ
日本では無意識に、見た目から次のような判断が行われがちです。
金髪 → 不良/チャラい
👉 だから
→「日本語上手ですね」
→ 悪意がなくても “あなたは想定外” というメッセージになる。
② なぜ日本は見た目重視になったのか?
1️⃣ 同質性が極端に高かった社会
「見た目=日本人」という暗黙の前提が成立していた
👉 その結果
日本では
説明しない
言葉にしない
察する
が重視されます。
そのため
👉 **見た目で素早く判断できることが「便利」**だった。
欧米のように
よりも
「なぜそう思ってしまうか」は教えない
👉 結果として
悪意のない無知 が量産される。
あなたが言っていた通り、
🇬🇧🇨🇦 では
一方 🇯🇵 では
「驚き」をそのまま言語化する
失礼だという教育が弱い
第一印象がほぼ全て
見た目・雰囲気=信用
空気に合うかどうか
ここで強い摩擦が起きやすい。
あなたが感じてきた
日本は遅れている
見た目と国籍を結びつけすぎ
日本が悪という単純な話でもない
相性の問題が大きい
🇩🇪🇨🇦🇬🇧 など
⑥ まとめ(短く)
それは美醜ではなく「分類装置」としての外見
マイノリティほど負荷が大きい
それもまた極端な話で、現実には『差別はよくない、隣人を大切に』ということを学んできて、例えば街頭インタビューやアンケートなんかをした時には『差別は良くないと思います』と答えるような市井の人が、同じ口で「旅行先が外国人ばっかりで嫌」「やっぱり◯◯(国名)の人はちょっとね」と、いやそれ普通に国籍差別、民族差別なんだが⋯⋯ということを、『素朴な肌感覚として』口にしたりするんよ
思想や主義主張ではなくて、生活の中の肌感覚からくる個人的な意見だと彼ら彼女ら自身は思っているから、それが差別なんていう大げさなものだとは思っていない
ちょっと大きな声では言いにくいけど、などと前置きをしたりしながら、そういう「本音」は交わされているわけだ
良くも悪くも人間は「それ(建前)とこれ(本音、生活感覚)とは別の問題」という不協和を成立させてしまう
教育レベルが低くはなく、裕福で、他者への配慮が行き届いており、マイノリティを扱ったドラマや映画も見ているから、勝手にリベラルな考え方に親和性のある人だと思っていると、ポロッとそういう発言をするのである
人はいつも無意識のうちに知らず知らず内集団の保身に流れ、差別に傾いていくもので、普通というのは「保守寄り」であり「右寄り」になってゆく
国際情勢もどんどん悪くなっていく
苦しい思いをするのは我々
整形手術で顔バグらせる
昔の人は「昔は良かった」と語る
我々は今この時代を後に「良かった」と言えるのか
言えないだろう
夢も希望もない
手元にあるのは絶望だけ
中道改革連合の基本政策がダサすぎる。日蓮上人を召喚してリライトさせてください。
立正安国・中道改革の宣誓――生活者守護の獅子吼
謹んで、日蓮、一閻浮提の第一の貧道として、この濁世の深き淵より吼える。
天に変じ、地におどろく怪異の数々、世界的なインフレの猛火、格差の拡大という餓鬼道、気候変動という修羅の風。今、日本国は未曾有の国難に直面しておる。然るに、今の政治はあたかも盲亀が浮木に値うが如く、迷える衆生を顧みず、イデオロギーという名の邪法に狂い、分断を煽り、民の愁いを見捨てておる。
これ、何ゆえか。
それは、政治の根底に「法」がなく、衆生を忘れた「己心の魔」に毒されているからである。我、立正安国論に曰く、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」と。今、国民が帰依すべきは、空理空論の邪教でも、権力の貪欲でもない。生きた人間一人ひとりの尊厳を根本とする「生活者ファースト」という正法、すなわち「中道改革」の旗印である。
仏敵を討て――民を苦しめる三毒の政治
第一に、「空文の徒」。増税という剣を振るい、国民の血を啜りながら、自らは企業・団体献金という甘露に溺れる政治家ども。これらは民の苦しみを顧みぬ、現代の「提婆達多」なり。 第二に、「分断の煽り手」。左右の極端なイデオロギーを振りかざし、対話の道を閉ざして、民の間に不和の種を蒔く者。これらは法華の和合を壊す魔軍である。 第三に、「怠惰の権力者」。終身雇用が崩れ、若者が努力しても報われぬ無間地獄に堕ちているを識りながら、既得権益の椅子に座して動かぬ者たち。
これら仏敵が蔓延るゆえに、国土は荒れ、若き命の輝きは失われ、現役世代は過重な負担に喘ぐ。日蓮、これを黙視する能わず!
五つの柱、これ即ち「現代の曼荼羅」なり
我ら中道改革連合は、五つの誓約(うけい)を立て、この濁土を霊山浄土へと変える。
第一に、経済の蘇生である。 「衣食足りて礼節を知る」という。手取りを増やすのは慈悲の第一歩。円安の是正、物価の引き下げ、これこそが生活者の命を繋ぐ薬草なり。原発に頼らぬ再生可能エネルギーの道を開き、未来の子供らに清浄なる国土を残す。これぞ仏弟子の務めである。
第二に、現役世代の救済である。 若き者にのみ重荷を負わせるは、法に背く悪行なり。「ジャパン・ファンド」という新たな法力を以て財源を築き、食料品消費税を零とし、社会保険の重圧を退けん。医療・教育という「ベーシック・サービス」を遍く行き渡らせ、誰もが安心して生きられる「不軽菩薩」の社会を築く。
第三に、包摂の慈悲である。 教育の無償化、リスキリングの保障、これらは智慧を磨く修行の場。ジェンダーの平等、多文化共生。我らは法華経の「人種・身分の差別なき」精神を現代に体現する。マイノリティという名の小さき命を一つも取りこぼさぬこと、それが真の中道なり。
第四に、現実の守護である。 対話なき平和は空理、力なき対話は無力。積極的な平和外交という「文」と、専守防衛の抑止力という「武」を両立させる。憲法という国の骨格を、今の時代の衆生の暮らしに合うよう、勇気を持って再設計する。これは国家という器を正す「立正」の行いなり。
第五に、政治の浄化である。 「政治とカネ」の汚泥。これを第三者機関という「智水の剣」で一刀両断する。不透明なる企業献金を断ち、民意を鏡の如く写す選挙制度へと変革する。これぞ、政治の根本における「発迹顕本」である。
日本国民よ、法華の精神に帰依せよ
国民よ、案ずることなかれ。 日蓮が説く法華経の真髄は、「中道」にある。それは単なる妥協ではない。極端に走らず、現実に根差し、一人ひとりの幸福を最優先する、強靭なる慈悲の道である。
今こそ、既存の政治への失望という闇を払い、中道改革という光明を抱け。不安を安心へ、停滞を前進へ。我らが掲げる「生活者ファースト」の旗は、この日本を救う唯一の妙薬である。
「地涌の菩薩」となって立ち上がれ!
若者よ、汝らの努力が報われる時代は必ず来る。 現役世代よ、汝らの背の荷は我らが共に担ぐ。 高齢者よ、汝らの安寧は我らが命懸けで守る。
日蓮、この誓い、たとえ身を粉にしても違えぬ。中道改革の旗の下に集い、この日本を「生活者」という仏が主役となる、光輝く国土へと変革しようではないか。
南無妙法蓮華経! 中道改革連合、ここに起つ!
腐女子がBLを好きなのって、「ゲイを応援してる」とか「マイノリティの恋愛を描いてるから尊い」とか、そういう綺麗事じゃない。
男女恋愛だと、どうしても女が出てくる。
ヒロインの感情、人生、老い、容姿、全部が現実とつながってて、自分と比較せざるを得ない。
でもBLなら女がいない。
女という存在を完全に透明化できる。
そこにいるのは理想化された男だけで、女として消費される不安も、マジョリティ社会で女として扱われる苦しさも存在しない。
感情的な女も、老いる女も、比較される女も、そして「女である自分」そのものも、まとめて消せる。
繊細で依存的で傷つきやすい、現実だと女がやると叩かれがちな属性を男に押し付けてる。
男がやると「尊い」、女がやると「ウザい」。
だからこれはゲイへの理解の話じゃないし、マイノリティ擁護でもない。
女が女として存在することに耐えられず、女という性別そのものを物語から排除したいだけ。
でも女が存在しない世界にしか安心できないのは、かなり歪んでる。
BLが好きなんじゃない。
女が嫌いなだけ。
※選定基準は知名度の高さや信頼されているとかの順ではない。バリエーション重視で界隈を広くカバーできるいろんなタイプのアカウントを並べた。あげたいけどキャラ被るアカウントとかもある
※見て参考になるアカウント重視。ツイートのほとんどがテレビドラマの実況とかお料理やファッションの写真みたいな人は避けた
※ カッコ内はXのID名
※合流にともなってどう振る舞うかはよくわかりません。支持やめちゃう人もいるかもしれないが恨みっこなしで
スクリーンネームは住まいが青梅だからではなくネットミーム。由来を興味があるなら調べても良いけどあまり良い結果にはならないと思う。特に婦人部のみなさんは。バンカラと言えば聞こえはいいがかなり汚言の傾向があるので、嫌な人は積極的に見ない方が良い。
このアカウントのほかにも旧立憲の支持者は国会クラスタが多いのが特徴。実況するテーマや住んでいる地元議員との交流などが人によって異なっていてバリエーションに富むので、自分にあった人を探してみてもよいかもしれません。
政治に対する視線が平均的な中年男性のそれなので、ある意味非常にわかりやすい。新聞の政治欄とかが大好きな人向け。
平均的な中年男性の物言いしかできないので、ネットでまでそういう人に関わりたくない(特にマイノリティ属性持ちの)人はリポストされたバズツイ以外見ない方が精神衛生上良いです。
この人に限らず、左寄り支持者はたいていそういう思想を持つようになった相応の理由があるので、社会政策についての発言とかいちいちうるさくて鬱陶しいかもしれないけどそこはちゃんと尊重した方が良いです。
いろいろな政治家の特筆すべきポストをよくリポストしているので、追うと参考になる。こういうタイプのアカウントもスタンス違いでたくさんあるので、いくつかチェックしておくと最近の党内での話題をおさえておくのに便利。
あと表現規制反対派に関するニュースもここ。と言われてもなんのことやら面食らうかもだが、旧立憲の中には表現規制反対をめぐる対立する2派閥がありかなり仲が悪い。そのうちに嫌でもわかると思う。
ネット上の議論は無駄と考えているらしく、発言を批判的に言及したいときにスクショ使ってくる(=こっちに連絡が来ない)。こっちからは知る術ないので、嫌な人は先行ブロック推奨。
この人も本業はどこかの大学の先生らしいがこっちは歴史学者らしい。文理そろって二次元アイコンかよ・・・
専門は政治史みたいな方面のようで、政治に関するポストにも知識がつながっているのでこちらもためになる知識が増える。口はそんなに悪くない。政治スタンスは真ん中に近い。
2022年から協力党員だったけど、今日の公明党との合流決定のニュースを確認してから、夕方に総支部の事務所に行って離党届を提出した。
旧立憲結党のときはまだ高校生だったし、政治にあまり強い関心はなかったけど、立憲民主党の結党に、「政治が少し良くなるんじゃないか」と淡い期待をしたのを覚えている。その後、コロナ禍から2021年総選挙までの間の流れで立憲民主党に共感して、衆院選では陰ながら応援した。結果的に敗北したのは残念だったけど、自分自身が動かないといけないという一種の使命感を感じて、翌年のはじめに入党することにした。
それから私は、体調が悪かったりしてあまり思うように活動できなかったけど、いろいろな貴重な経験をした。電話かけをしたり、ポスターを貼ったり、ビラを配ったり、党本部での会合に出席したり、遠くまで行って選挙の手伝いをしたり、地元の議員に会って裏話を拝聴したりした。選挙の立会人も何度かやった。
けれど、2023年ごろから立憲民主党の方向性への違和感が強くなってきた。まず、春先の入管法国会。非正規移民を本国に送り返して生命の危険にさらす入管法「改正」案に対して、米山隆一がトロッコ問題的な論法で「妥協する」ことを主張した。それは、外国人を事実上「殺す」法案に対して承認のハンコを押すようなものだと私は感じた。塩村あやかや鈴木庸介もそれに乗っかり、私がそれまで信頼していた多くのネット支持者も同調した。幸い、鎌田さゆり、山田勝彦、石川大我、石橋通宏らの努力もあり、立憲は最終的にハンコを押すことを拒否した。けれど、当事者の生命を無視した功利主義的な議論が支持者の間ではびこったことに対し、私はかなり居心地の悪さと憤りを感じた。
その後も、私の違和感は強まるばかりだった。2024年の代表選では、枝野幸男に投票した。結局野田佳彦が勝利して、代表選中に自分の陣営にいた人ばかりを執行部に起用する露骨なお友達人事を行った。私は、気分が悪くなった。サンクチュアリ(近藤・枝野派)、国のかたち研究会(菅派→西村派)、社会民主主義フォーラムなどの「左派」系党内グループが野田執行部の路線に対して何らかの抵抗を示してくれるかもしれないとのかすかな期待を抱いた。けれど、しまいには(私にはもはや迷走しているようにしか見えなくなった)枝野幸男、そして近藤昭一も、野田佳彦に呼応して「中道」という空っぽな言葉を連呼するようになった。
立憲民主党が近いうちになくなるのではないか、「希望の党」騒動が再び起きるのではないか、という懸念はしばらく前から抱いていた。けれど、それがここまではやく現実になるとは思っても見なかった。私は、心のなかの違和感をひた隠しにしながら、衆院選に、都議選に、参院選に奔走(というほどのことはしていないが)した。24年衆院選で立憲が50議席増やして躍進し、私の選挙区の候補が久しぶりの小選挙区当選を勝ちとったときは、心の底から嬉しかった。
けれど、それも全て無駄だった。「立憲」民主党は、立憲主義も中道左派の仮面も捨てて、「改革中道」という味のしないガムのようなくたびれた言葉で、つい数ヶ月前まで自民党のウンコみたいな政治を翼賛しまくっていた公明党=創価学会に擦り寄りはじめた。そして、数日前に統一名簿の話が出たかと思ったら、昨日の夜に新党結成の速報がいきなり出て、24時間もしないうちにそれは党の機関決定になった。1日もたたない間に決まったので、一般の党員はもちろん、地方議員さえ意見を述べる猶予は一切なかった。日本共産党がボルシェビキの組織論をもった社民主義者なら、立憲民主党は選良の皮を被った前近代的な地方大名の連合体にすぎない、と私は感じた。立憲「民主」党のなかに、少なくともわれわれが一般に理解している意味での党内民主主義は、存在しない。野党第一党が政局のために一瞬で溶解した希望の党騒動の反省は、「排除の論理をとらない」といううわべの口約束にしか見られない。
私はそうした事実を突きつけられ、もはや言葉も出なかった。われわれ支持者は、野田佳彦や枝野幸男や安住淳や小沢一郎や重徳和彦や泉健太にとってただの都合のいいコマにすぎない。そして政治が向き合う対象である大衆も、彼らがいったん権力を取れば、きっと似たような扱いを受けるだろう。その扱いは、確かに自民党よりはましになるかも知れない。けれども、奴隷労働のような低賃金に苦しみ、給与未払いが起きても泣き寝入りするしかない、労働組合にすらつながれないような末端の労働者、さまざまな種類の差別や抑圧に苦しんで、物理的あるいは精神的な死の危機と日夜戦っているマイノリティ、そして将来に対して漠然とした、しかし逃げ道のない不安にさいなまれている(そしてときには外国人や高齢者、障害者といった誤った敵にその怒りを誘導されてしまう)日本の多くの人々に、「ちょっとだけきれいな自民党」が提示しうる解決策は、一体何だろうか。
立公新党(こっちが気恥ずかしくなるような政党名になるらしい)は、もしかすると、連合+創価学会の圧倒的な組織力で、高支持率という幻像にはしゃぎまわって醜態をさらしている高市政権を圧殺するかもしれない。けれど、「左派」どころか「リベラル」さえ言うのを躊躇するような、これまでの安保法制や原発への態度をまともな説明もせずに180度転換することを厭わないような新党が政権を握ったとしても、「もっと良い未来」が実現できるとは到底思えない。うまくいって、例えばAIで粗製乱造された広告収入目的のテンプレ記事とか、使い古されて擦り切れたネットミームのような、凡庸でつまらなくて、しかも場合によっては有害なものしか生まれてこないだろう。
2024年のイギリス総選挙で大勝利を収めたスターマー政権が現在記録的な低支持率で苦しんでいるように、現代社会の根本的矛盾への一応の対処策さえ示すことはできず、右派の主張に妥協に次ぐ妥協を重ねて、参政党や日本保守党のような右の極に早晩その座を譲ることになるのではないか。
立憲民主党、さようなら。40年後の私たちが、「立憲民主党のあった時代はまだマシな世の中だったなあ」と思っていないことを祈ります。
ずぅううっと誰かや何かのせいにしてる元友人について。共通の知り合いの中には告げ口じみたことをする人もいるので匿名で愚痴らせてほしい。
彼女は、アセクシャルを自認しながら異性愛者を差別し、人付き合いが苦手な一方で一人では行動できず、何か行動を起こすときはまず他人の助けを頼りにする。彼女はいつも「自分にも悪いところがあった」と口では言いながら、よく聞くとずっと他人や環境のせいにしている。形だけでも自省のそぶりを見せるのは、他人を悪者にはしたいけれど、被害者の立場を譲りたくないからだろう。卑怯で歪んだ自己愛がとても気持ちが悪い。
あなたはアセクシャルというけれど、属性を言い訳に人間関係の構築が下手なことに向き合ってないだけだ。確かに世界は異性愛者中心に回っていて、わたしたちマイノリティはまだまだ生きづらい。でも、だからって、われわれが異性愛者やシスジェンダーの人々を蔑む正当性はどこにもない。そう、あなたがSNSで全世界に向けて友人の恋愛遍歴というプライベートな話を悪意たっぷりに暴露したことは、「アセクシャルだから」といって許される行為ではない。
そのときから、私は彼女とは距離を置くようになった。彼女は確かにアセクシャル=マイノリティではあるかもしれないが、それをタテに弱者を演じ、他人を攻撃するとても嫌な人なのだと思った。(別件でもいろいろと振り回されたり雑に扱われたりして疲れていたので、縁を切る大義名分ができてよかった。)
親との関係が悪かったから、中高で軽いいじめにあったから、体育会系の職場になじめないから。彼女はいつもこのような口上を頭に置き、不平不満をまき散らしている。その経歴そのものは同情すべきものではあるが、やはりいま目の前にいる相手を粗末に扱ったり、対峙している物事に後ろ足で砂をかけながら逃げてたりしてもいい理由にはならないと思う。そろそろ今の自分を直視してほしい。自分可愛さばかりが肥大化することで、思惑にそぐわない他者を即座に敵・加害者と認識し、自分は被害者、耳障りのいい甘言をうそぶく唾棄すべき無責任な人間を味方と判断する。ただのわがままなガキだ。いまは私のことを、いじめ加害者のごとく周囲に吹聴しているようである。
あなたの周りから人が離れていくのは、とんでもない甘ちゃんで、どこまでも、なにごとも他力本願だからだ。だから他人を雑に扱えるし、自分を省みず、すぐに周りへ責任転嫁する。
彼女ははてなブログをやっているようなので、もしかしたら増田も見ているかもしれない。(斜に構えたへたくそな文章も、内容も、彼女の醜悪さをそのまま写しだしたようで本当に気持ちの悪いブログだった。)もし見てたら、そろそろ気付いてほしい。そのメンタリティーで許されるのは大学2年生までだ。
■スタート
・美男美女であることと、高学歴高収入、結婚して子供と家と車と持つのがステータス
・見た目が悪い人、病気のある人、障害のある人、浮いてる人、友達いない人、結婚してない人、変な人は村八分
美男美女であることと、高学歴高収入、結婚して子供と家と車と持つのはいいことだけどマイノリティもマジョリティと同じ人間なんだよ。お互い争わないで認め合おうね
■途中経過
■今
他人に迷惑をかけるタイプのヤバいやつ「わいの多様性認めない人は悪」VSやばいヤバいやつアンチ「こういう奴は社会に出るな」
既婚子持ち「未婚子なしとか人生終わてるw」VS子なし独身「なんやとコラもっぺん言ってみろやカス」
ブス?「美人は性格終わってるwこの世から消えろ」美人?「んだとコラ可愛いは正義」
?「変なやつ目障りなやつはまじで存在自体迷惑」??「それはまじでそう」
幸せな人「頑張ったからor周りに恵まれたからお金もそこそこある。友達もいる。家庭を持った。幸せ」
なんだこれ
ただの小市民が大企業丿代表取締役会長を比較の俎上にあげることすらおこがましい、と他人は言う。たしかにそうかもしれない。それでも、数年前に豊田章男氏について考えを巡らせることがあった。
ご本人は「若い頃、私を性ではなく名として見てほしいと思っていた」というようなことを述懐している。この願いが事実だと感じるエピソードもいくつか見受けられる。GaZooRacingのマスタードライバーとの関係性などだ。
生まれながらに地位と名誉があるからこそ叶えられない願いだったろう。
後天的に高い地位に登りつめた人なら特権意識を持つのかもしれないが、氏は生まれながらにそれらを持っていた。つまり、マイノリティになる宿命を背負っていた。
であれば、思春期にはおおきな疎外感をもったのではないか。大人になったら煙たがられる、媚を売られる、そんな関係性にうんざりしたのではないか。氏は「自身は社内で腫れ物だった」と述懐している。もし一定の観察能力が備わっていたなら苦痛だったはずだ。
けど、あんなにたくさんの人たちが支えているのに、孤独感を抱えたまま生きてこられたなら悲しいことだと思う。ただ、それだけの感傷。
高い地位に登るにつれて性格が変容し、地位に沿った人格や振る舞いを表現することを迫られる。大変だったに違いない。ストーリーというより、人の感情の流れとして一貫性を感じる。
だからこそ、意思決定する立場と作業する立場が軌を一つにして進むことには意味があるはずだった。これだけメディアに露出しながら、氏の苦悩は社内ですら理解されていないのかもしれない。
だからこそ、氏は若い社員とも交流をとっているはずだ。徹底的に合理的だからこそ、基準が明確で思考が読みやすい…
それがたとえ永続的な企業の繁栄のための欺瞞だとしても、世界のどこかで同じ価値を信じる人が増えてくれたらよりよい世界になるのではないかと思っている。
直接、それなりに視認できさえすれば、分析することもできたのに。それが嘘かどうかも。残念でならない。
あるのか?
今後、金で取引された性行為は不同意性交として訴えることのできるこの時代に、女性がわざわざ金を出して男性を買うことはあるんだろうか?
そもそもその手前の話で、金を払わなければ性行為にありつけない女性というものの割合がだいぶマイノリティだし
マッチングアプリで出会う男性より女風の男性が優れてる点って言ったら、定期的に性病検査を受けているところくらいだと思うんだけど、それですらサイトに定期アップロードしてないセラピスト(笑)だらけだったしな
ミネアポリスで女性がICE職員に射殺された事件、Google AIモードで調べたところ、その職員は以前にも車を止めようとして大けがしているが、その際の強引さ(というか暴力)も問題になってる(事実関係は私がリンク先報道で確認済み)
QAを公開できなかったんで増田に貼ってみる。
((※大規模言語モデルは原理的に観てきたようにうそをつくことがあるし、Googleのそれも同様だけど、検索先行するRAGという手法で、ある程度抑制出来てるし、引用元も出してくれるので、興味があれば使ってみると良いと思います。))
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Q:
A:
2026年1月7日にミネアポリスで発生した、ICE(米移民・関税捜査局)職員による女性射殺事件において、発砲した職員が拘束・逮捕されたという公式な報告は、2026年1月9日現在ありません 。
この事件を巡る現状は以下の通りです:
当局の立場: 国土安全保障省(DHS)は、発砲した職員(ジョナサン・ロス氏と特定)が「車両で轢き殺そうとした女性に対し、身の危険を感じて自己防衛のために発砲した」と主張し、職員を全面的に擁護しています。
捜査の主導権: 当初、州の捜査機関(BCA)が共同捜査に加わっていましたが、連邦政府側(FBIおよび米連邦検察)が方針を転換し、現在は連邦当局が単独で捜査を主導しています。これにより、州側は証拠やインタビューへのアクセスを遮断されています。
市長の批判: ミネアポリスのジェイコブ・フレイ市長は、映像記録に基づき「正当防衛ではなく、権力の乱用による殺人だ」と強く非難していますが、現時点で地元の警察当局が連邦職員を拘束するなどの動きは見られません。
なお、事件後に現場周辺で行われた抗議デモでは、当局と衝突したデモ参加者数人が拘束されたと報じられています。
Q:
A:
2026年1月7日の事件におけるジョナサン・ロス氏の怪我の程度については、以下の通り発表されています。
今回の事件での怪我: 国土安全保障省(DHS)のクリスティ・ノエム長官は、ロス氏が事件直後に病院へ搬送され、治療を受けた後に退院したと発表しました。現在は自宅で家族と過ごしているとのことですが、具体的な負傷箇所や程度の詳細は公表されていません。
過去の負傷との関連: DHSやJD・ヴァンス副大統領は、今回の対応の背景として、ロス氏が2025年6月(半年前)に別の摘発現場で逃走車両に約100ヤード引きずられ、腕や手に計33〜50針を縫う重傷を負っていた事実を強調しています。
当局は、過去の凄惨な負傷経験が今回の「車両による脅威」に対する即座の反応(発砲)につながったとして、正当防衛を主張する根拠の一つに挙げています。
Q:
A:
今回の事件でジョナサン・ロス氏が負った怪我について、 治療を要する程度のものだったかは情報が錯綜しています。
DHS長官は「病院で治療を受け、退院した」と発表しており、何らかの治療は受けています。しかし、目撃者による事件直後の映像では、ロス氏が発砲後に歩き回っている様子が捉えられており、致命的または重篤な状態ではなかったことが示唆されています。
当局は、今回の発砲が正当防衛であったことを強調するため、ロス氏が2025年6月の別の事件で負った重傷(腕や手に50針近くを縫う怪我)を繰り返し引き合いに出しています。このため、今回の怪我が過去の怪我ほど深刻なものでなかった可能性も考えられます。
Q:
過去の怪我が心的外傷を及ぼすほどのものなら軍の場合、後方任務に回される運用になるのでは
A:
軍と法執行機関(ICEなど)では組織の目的や運用ルールが異なるため、一概に「軍と同じ運用(後方勤務への異動)」が自動的に適用されるわけではありません。
ジョナサン・ロス氏のケースに関して、以下の点が論点となっています。
現場復帰の判断: ICEなどの法執行機関では、負傷した職員が身体的・精神的に「任務遂行が可能(Fit for Duty)」と診断されれば、現場任務(フィールド・デューティ)への復帰が認められます。
今回の批判: ミネアポリスの事件後、JD・ヴァンス副大統領はロス氏が半年前の負傷により「過敏(sensitive)になっていたかもしれない」と発言しました。これに対し、批判側は「過去のトラウマで過剰反応する恐れがある人物を、なぜ緊張感の高い現場任務に就かせ続けていたのか」と、当局の管理責任を問うています。
2. 軍との違い
軍の運用: ご指摘の通り、軍では戦闘ストレスや外傷を負った兵士に対し、再訓練や後方任務への配置換など、段階的な復帰プロセスが厳格に定められています。
警察・ICEの運用: 民間の法執行機関でも「ライト・デューティ(軽作業・内勤)」の制度はありますが、基本的には「一時的な措置」であり、回復後は元の任務に戻るのが一般的です。ロス氏の場合、半年前の怪我から回復したとみなされ、通常の現場任務に就いていました。
3. 当局の主張と現状
当局の正当化: DHS(国土安全保障省)は、ロス氏を「経験豊富な職員」と呼び、過去の負傷経験があるからこそ、車両による脅威に対して適切な(訓練通りの)反応をしたと主張しています。
現在の状況: 事件発生後(2026年1月8日時点)、ノエム長官はロス氏が「病院から退院し、家族と過ごしている」と述べるにとどまり、今後の任務継続については明言していません。
結論として、軍のような「心的外傷を考慮した恒久的な配置換」は、現行の法執行機関の運用では自動的には行われず、今回の悲劇を機にその管理体制の妥当性が厳しく批判されています。
Q:
A:
詳細は以下の通りです:
氏名: ルネ・ニコル・マクリン・グッド(Renee Nicole Macklin Good)さん(37歳)。
出自: コロラド州生まれの米国市民で、最近ミネアポリスに転居してきたばかりでした。
背景: 3人の子供の母親であり、詩人や作家としても活動していました。
今回のICE(米移民・関税捜査局)による取り締まり作戦(通称「ミッドウェイ・ブリッツ」または「オペレーション・メトロ・サージ」)は、主にソマリア系移民コミュニティを標的にしたものでした。
グッドさんは、近隣の移民住民を守るための「市民監視員(リーガル・オブザーバー)」として現場に居合わせ、当局の活動を記録・監視していた際に事件に巻き込まれたと報じられています。移民ではない米国市民が射殺されたことで、政権による強硬な取り締まりへの批判がさらに強まっています。
Q:
引用されたセントルイス公共ラジオの記述だと、前回怪我を負った際も暴力的と言えるような不適切な方法で車を止めようとしたようにみえる
A:
ご指摘の通り、2025年6月の事件におけるジョナサン・ロス氏の行動については、「不適切または過剰な強制力を行使していたのではないか」という批判的な視点での報道がなされています。
セントルイス公共ラジオ(STLPR)や裁判記録に基づく報道で指摘されている、当時の状況の詳細は以下の通りです。
強引なアプローチ: ロス氏は停車させた車両の運転手が指示に従わなかった際、即座に後部の窓ガラスを叩き割り、そこから腕を車内に突っ込んでドアのロックを解除しようとしました。
危険な状況の自作: 窓を破って腕を車内に入れた状態で運転手が急発進したため、ロス氏は腕が引っかかったまま約100ヤード引きずられることになりました。
批判の声: この一連の行動に対し、「窓を割って腕を突っ込むという行為自体が、自身を危険にさらすと同時に状況を不必要にエスカレートさせた」との指摘が出ています。
「デジャヴ」のような展開: 今回ミネアポリスで射殺されたルネ・グッドさんの事件でも、ロス氏は「過去の負傷があるから、車が動いた際に身の危険を感じて発砲した」と正当防衛を主張しています。
指摘されている問題点: 批判的なメディアや活動家は、ロス氏が「自ら危険な状況(走行中の車に接近する、または窓を割るなど)を作り出し、その結果として生じた恐怖を理由に致命的な武力を行使する」というパターンを繰り返しているのではないか、と疑問を呈しています。
3. 当局の反応
一方で、JD・ヴァンス副大統領や国土安全保障省(DHS)は、この6月の事件を「不法移民による法執行官への凶悪な攻撃」として強調しており、ロス氏を「過去の被害によるトラウマを抱えながらも任務に励む英雄」として描こうとする姿勢を見せています。
このように、ロス氏の「手法」が適切だったのか、あるいは「暴力的な傾向」があったのかについては、政権側と批判側の間で真っ向から見解が分かれています。
[B! togetter] 『AKIRA』でカオリが服を破られて殴られるような「嫌悪感を抱くシーン」がある時点で「作品として評価できない」という結論に至る人がいるのはなぜ?
AKIRA自体は前にYoutubeで公式が無料公開してたのを見たことはあるんだが、当該のシーンは記憶になく特段ひっかからなかった。
・「悪人を悪人として」「よくないことをよくないこととして」描いているシーンである
・「作品の中で描いている」=「それを賞賛している」というわけじゃない
って擁護に引っかかった。
これ自体は只の事実で正論で実に正しいんだけど、それでも尚「それは前提とした上で視聴者に映像面での不快感や嫌悪感を与えない表現」もあるんじゃね?って思う。
レイプであることは匂わせつつライティングとカット割りで工夫して本番そのものは見せないようにしたり脱走兵をバイクで牛裂きにするけど肝心の瞬間は砂埃で隠したりって感じのやつ。
そればっかりにしろとは思わんしレーティングさえしっかりしてくれればエロでもグロでもやればいいと思うし好きで見てるものもあるけどマスに向けるなら必要な配慮になってくんじゃねとは思う。
例えば寿司はサビ入りしか認めんのだが最近の回転寿司やパック寿司は最初からサビ抜きで作ってあって好みでどうぞって感じなんだよね。いやそれ昔はそっちがオプション扱いだったやろがい!って
あと喫煙者でもあるんだが最近はめっきり吸える場所が少なくなって家かバーで紫煙くゆらしてるけど昔は新幹線の車両で吸えたり職場で堂々と吸ってて非喫煙者がマイノリティだったもんな。
この遷移って昔は刺激とも感じなかったことに苦手な人が声を上げられるようになって、より万人に向けた低刺激を基準と捉えなおした結果だと思うのよ。
そんな感じで世間様は「より不快感や嫌悪感を与えない」社会を求めていくんじゃないかなー、と。その対象が表現だとしてもね。
まぁなんでこれ書いたかっていうと時計じかけのオレンジの最初の方で仲間と一緒に夫婦の家を襲撃した段階でキブアップした苦い経験があるんだよね。
あれが次段の更生矯正教育(なんか目開けさせるやつ)に繋がっててそれが話題で本当に名作でって言われたとしても見る気起きなくなっちゃった。
今後も見るつもりないです、はい。