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はてなキーワード: 開き直りとは

2025-03-02

フェミの凶暴性を舐めるな、徹底的に批判し凶行を防げ

過去に「草津温泉猛毒を流されても知りませんよ?」とかここに脅迫を書き

長年草津人達精神的に追い詰めたりしてるようなアバズレメスブタ共だ

ようやく草津側が勝っても謝りもせず開き直りする脳にウジの湧いてるような連中だ

「敵」なんだよ

東洋水産も同じ目にあわそうとしてるクソどもなんだよ

絶対に許すな

2025-02-26

anond:20250226011230

おそらくそキモイという感想根底にあるのは

「金で性を買ってるクソ虫のくせに、その醜悪感情を好きというプラスの方向に転換させようなどと開き直りも甚だしい」

というものではないかな。

それはそう。

だが、それはお互いのルール範囲であるし、そこから逸脱した何かを求めるわけでもない。

ただ相手にも悟られずにひっそりと思い続けているだけだ。

当然誰にも言えないけど、発露したくなる欲望に抗えずにここに吐き出している。それもまたキモイというのは受けとめる。

2025-02-22

anond:20250222094807

開き直り自分の過失を認めてるから

やらかしとき責任をとって解決しないといけないか責任放棄しても許されるかどうかの違い

言い訳だけ立派でテメーのケツもふけない女子供の尻拭いは誰がやるのかって話

悪い事をした時の男女の違い

男は開き直り

女は言い訳をする

これってなんでだろうな。

2025-02-01

モテない自由選択するんならモテない責任を負うことになる、という点では賛成。

まぁ、責任を果たさな男性が若干開き直りすぎな気がするね。

2025-01-26

anond:20250126194219

いやそれはそれで気持ちが悪い。あからさまに創作多いし

 

テキストコミュニティ文字読めない人が開き直り始めた辺りが転換期のような気がするが、

まぁ、あたおかはよくて、文字読めない人はダメってことはないからな

 

淡々自分が書きたいことだけ書きおけば良いのでは?

2025-01-22

名前を出した批判個人攻撃とか喚いて削除で黙らせるなら

そこに属する人間全員をターゲットにした無差別罵倒するしかないよね

ブクマカ(はてなブックマークアカウント保有し、ブックマークコメントを一度でも書いたことある人間全て例外なく)はクズで、人様のコンテンツ寄生する無産のくせして評論家気取りの上から目線ゴミ、間違っても謝る事が出来ず開き直り、それを棚に上げて増田馬鹿にするカス巣窟

ほら、個人への攻撃じゃないよ?全部への攻撃なんだから

2025-01-21

中島哲也氏の表明文章は、彼がまだ独りであることを示している

タイトルで強めの言葉を使ったが、少なくとも発表方法文章を読む限りはそうだ。

発表媒体noteというソーシャルかつ個人的メディアであり、文責も個人のものになっている。

いわゆる士業や広報チェックを通した文章ではない(もしくは彼らが仕事をできていない)状態だと読み取れる。

https://megalodon.jp/2025-0121-2323-06/https://note.com:443/te_nakashima/n/neaad60407541

何がどうまずく、何が独りであるのかを以下に記載する。

大きく問題点は3つあり、どれも解決していない。

  • 約束を守っていないことに頓着していない
  • 0か100かの話にして、個別具体的な話をしていない
  • 今後(もしくは今回)同様の事態を起こさないための改善策が無い

権力勾配に無頓着状態継続している

パワーハラスメントは、"ハラスメント"という言葉が入る為、今回は省く)

まず全体的に大きな問題点として、中島哲也氏が権力を持つ側としての振る舞いに未だ無頓着であることが見える。

私は、その事実撮影当日まで知りませんでした。

伝えていましたし、それが可能な人のみオーディションに参加するよう要請しました。

彼の言葉基本的に「お客様」としての立場から発せられている。

私は知らなかった、だから、私に責任は無い。

私は要請していた、だから、私に責任は無い。

全体としてこういった意識がずっと薄っすらと漂っており、率直に言えば当事者意識に欠けている。

「私はその事実撮影当日まで把握することが出来ませんでした」とか「オーディション参加者が、私の要望理解しているか確認していませんでした」と言った、自らの責任において把握することが出来なかった、確認していなかった、だから問題が起きてしまった、という文になっていない。

現代映画撮影において、監督はそれを把握や確認できないのであれば、それをすべきであった役割のある人物に責があるもしくは、そういった役割存在しない映画撮影システム全体の責任であり、それに触れていない)

この当事者意識の欠如が、権力を持つ側としての意識無自覚であると、続く問題点に繋がる。

約束を守っていないことに頓着していない

認識違いや連絡の行き違い、相手心中推し量ることが難しいのは、集団で何かを行えば必然起きうる。

どんな場所でも(無いに越したことはないが)すれ違いは起きる。

問題は、すれ違いが起きた後である

編集時にA子さん本人にも参加してもらい不都合な部分をカットする」と私が提案(すでにA子さんで数シーン撮影済みであったためです。)して、A子さんにもそのことを納得してもらい

カッコ内が典型的だが、「(すでにA子さんで数シーン撮影済みであったためです。)」というのは、A子さんからすれば何の関係もない話であり、筋論で言えば「すでにA子さんで数シーン撮影済みであったが、即座に廃棄し、撮りなおしを行うために話し合いを持った」となるべきである

映画撮影スケジュールが」 「たくさんの人員が動いていて」 「既にコストをかけてしまっており」などは、「だからお前が折れれば丸く収まるんだ」とAV撮影などでも使われる常套句であり、「数シーン撮影済みだったからなんだ」と聞かれた時に答えられなくなるこのカッコ内の文言絶対に抜かなければならないので、ここだけを見てもまともな士業がチェックをしていないことが分かる。

さて、ここでの問題は「編集時にA子さん本人にも参加してもらい不都合な部分をカットする」という約束である

彼はこれを破り、それに対して自責の念持っていない。無頓着である

私がA子さんを編集室に呼ばなかったのは事実です。1シーンといえど編集には長い時間がかかります却って迷惑をかけるかもしれないと思い、問題となったシーンのワーク編集を終えたテープをA子さんにチェックしてもらい意見を聞いて修正を行えば良いと考えました。今から思えば、ちゃん編集室に来てもらった方が、このような行き違いはなかったのかもしれませんが。

彼が何を考えたかは、A子さんには無関係である

彼が約束を守らなかった、彼が勝手約束の内容を自分の考えで変更した、A子さんに変更して良いか了承を取らなかった、今もそれを問題視していない、という点がこの文章から読み取れる。

行き違いは無かったのかもしれませんが、というのも他人事である。まったく当事者意識に欠けている。反省の色が見えない。

彼がこの経験から学ぶべきなのは他人との約束を破らない。勝手に変更しない。変更する際には相手了解を取る」というごく当たり前のことだ。

しかしたらそれが出来ない環境だったのかもしれないが、少なくとも問題視していなければ改善はできない。

0か100かの話にして、個別具体的な話をしていない

「そんな人間監督などするな」と言われればその通りですし、反論余地はありません。さらに、俳優にとって多大なリスクを伴うこのようなシーンの撮影にあたり、事前に監督である私がA子さんと直接話し合う機会を持たなかったことがこのような事態引き起こした大きな要因であると、私は認めざるを得ません。

見当違いの認識であり、自責の念はあり謝罪言葉はあるが、おそらく学ぶべきことを学ばなかったのだろうという感想しかならない。

権力勾配がある監督俳優とが率直に話し合えたとして、結局監督は後で約束自分の考えで変更するのだから無駄である

彼は監督業を止めるつもりはない。実際に今回も監督を務めているし、おそらく今後も監督業を行おうとしているのだと思う。

才能ある映画監督なのだろうし、実績があり、待望され、そして今後も要望されるだろう立場であるにしては言葉が軽い。

「 「「「「そんな人間監督などするな」と言われればその通りですし、反論余地はありません。だから私は監督業を廃業いたします 」以外の言葉は、欺瞞である。そうでないのだから「そんな人間監督などするな、とは言わないだろう?」という文意になっている。

まり完璧を求められてもできない、私は完璧では無いからだ、という開き直りしかない。

個別具体的に、「監督俳優と言う、対等とは言えない立場で、配慮すべきを怠った」でもなければ「監督が一度した約束を破り、編集時にA子さん本人にも参加してもらい不都合な部分をカットするという行為が出来なかったことが問題だった」でもない。

認めたくないのかもしれないが、自分提案した約束すら守れない監督であり、それを今も問題だと認識できていない、そしてそれを指摘もしくは修正してくれる人物がいない、という事実を残念ながら示している。

人間には得手不得手があり、完璧人間けが監督をするのではないが、問題認識できなければ改善はされない。

今後(もしくは今回)同様の事態を起こさないための改善策が無い

この問題制作体制をなるべくシンプルもの改善し、かつインティマシーコーディネーターに入ってもらい両者の立場尊重し丁寧に伝え合うことで、完全とは言えぬまでも多くの部分が改善されたように思います

監督個人の思いが語られているだけである

インティマシーコーディネーターを起用したのだろうし、制作体制をなるべくシンプルものにもしただろうと思う。

「その結果、俳優からは意に沿わない演出強要されたなどの話を聞くことがなく、安堵しました」ではないところに問題がある。

はいつまでもお客様であり、私は改善されたと思う、今後も努力していきます、としか言っていない。

改善策が有効機能しているのか、それがちゃん俳優まで届いたのかの確認をした、と報告できていない。

あれだけA子さんとすれ違いがあった結果で関係各所に多大な迷惑をかけたと認識してなお、俳優とすれ違いが無いか確認する体制を作れないところに問題がある。正確に言えば、そういった課題認識ができないところに問題がある。

まとめに代えて

稀有な才能を持つ映画監督が、独りであり、誰も問題点を指摘できないのは大変に残念に思う。

感情的になった両者のうち一方の物言いが偏ったり問題点網羅できずとも仕方がない。

問題は、「私はこう約束した」と書き、「私はその約束を実行しなかった」と書き、「週刊誌記事で初めて知り、本当に驚きました」と書いてしまうところにある。驚くのではなく青ざめなければならないし、詰問する相手がいるはずだし、即座に謝罪しなければならない相手がいたはずだ。

でもそうはならなかったし、今もそう思っていない。

彼は今後も、伝え、思い、考え、そして驚くと思う。

自分のし約束を守り、約束が実行されたか自ら確認し、相手がその対応に満足しているかかめることは無いだろう。

なぜならば監督は一俳優に対してそんなことはしないからだ。それが権力勾配であることにも無頓着なままだろう。

本当に残念だ。

2025-01-15

人は前科をつけられるとタガが外れる

誹謗中傷してた人間が訴えられたら

俺に前科をつけやがって、殺してやると暴力を選ぶ

いじめDVパワハラ加害者刑事罰を受けたら

弱者が俺に逆らったし前科を刻みやがった、殺してやると暴力を選ぶ

そんなもの

人を傷つけることが好きな人間は、訴えたり警察の介入を受けるとプライドの傷つきともはや怖いものなしの開き直りで、直接的な暴力テロリズムに走るようになる

2025-01-05

オッペンハイマー映画って事実面白いだけだろ。映画としての出来は中の下だわ

アニメ漫画原作にしたゲームが、キャラクター自体の魅力込みなら良作だけど、純粋ゲーム性だけで評価したら駄作に片足突っ込んでるような感じの立ち位置だな。

まあ「悪魔科学者オッペンハイマーに唆かされてアメリカ原爆を作らされてしまった。そして、ロシアアメリカ冷戦が始まった。マッドサイエンティスト共産主義者世界破滅の種を埋めたのだ。なんて可愛そうなアメリカ。゚(゚´Д`゚)゚。」というプロパガンダ映画しかないんだよな結局は。

世界大戦時代プロパガンダ映画風な画作りを意識してる所に開き直りっぷりを感じるのはだいぶ面白いけど、ゆーて映像作品として素晴らしい発明が有るかと言えば皆無なわけで。

娯楽映画としては三流、ノンフィクションとしては二流、話題性は超一流、まあインプレゾンビ溢れる2020年代って感じの映画だな。時代に合ってると思うよ。

2024-12-31

諸君、私はフリードリヒ・ニーチェだ。

私の時代から一世紀以上を経たこの地上に舞い戻り、「弱者男性」「強者男性」という言葉流行っていると聞いた。どうやら“弱い”と“強い”の二元論で男の価値安易に測られ、その一方で人々は皆、自らがどちらに属するかに怯え、もしくは誇らしげに語っているらしい。だが諸君、それが本質的人間の力の在り方を示していると本気で信じるのか?

私はこう問う。「弱者男性」「強者男性」という区分果たして誰のためにあるのか、と。もしそれがただ社会視線他者評価から与えられ、個々人がそれに媚びたり振り回されたりするだけなのであれば、それは“価値奴隷化”の証でしかない。人が自分自分価値創造するのではなく、他者にゆだねているのであれば、それは私が『道徳の系譜』で指摘した“奴隷道徳”の時代が形を変えて続いているにすぎないのだ。

では私が現代諸君にあてて、「弱者男性」「強者男性」という言葉を再定義するとしたらどうなるか? 私は「弱者男性」という呼び名を「自己否定迷宮に囚われた者」、そして「強者男性」という呼び名を「自己創造の悦びを知る者」と呼び替えたい。

自己否定迷宮に囚われた者」

いわゆる弱さを抱えている――それは悪いことではない。むしろ人間誰しもが不安や恐怖に襲われ、失敗し、弱さを自覚する瞬間がある。それ自体自然だ。だが問題は、そこから抜け出せずに自己否定の淵に沈んでしまい、「自分はどうせ弱者だ」と開き直り、あるいは周囲の同情や嘲笑に身を委ねてしまうことだ。

“弱さ”をアイデンティティにしてしまう者は、自らを狭い牢獄に閉じ込める。ここで私が言う“弱さ”とは、他人によって規定された評価属性自分でとどまり、みずから可能性を放棄してしま心理状態を指す。諸君他人の期待や既存価値観に絡めとられてはならない。

自己創造の悦びを知る者」

世間でいう“強さ”とは、権力や金、あるいは身体的な力で他者支配することだと思われているかもしれない。だが私に言わせれば、それは浅い理解にすぎぬ。真の“強さ”とは何か? ――それは、自らの弱さをも肯定し、それを力へと転じるための創造エネルギーもつ者のことだ。

自分はどうありたいのか?」「何を生み出したいのか?」――この問いに対して他人から評価に惑わされることなく、自分意志に基づいて行動し、生きる歓びを“新たな価値”として打ち立てられる者。自らの軸をもって世界に挑戦し、困難や苦しみによって磨かれながら高みに至ろうとする者。それこそが、“自己創造の悦びを知る強き存在なのだ

私は「力への意志」という言葉を残したが、それは単純な“他者への支配衝動”ではない。人間存在のもの自己拡張し、高め、価値を生み出そうとする根源的な力のことを指している。自分という存在創造するために、時にこれまでの自分を壊すことも必要だ。たとえ社会に認められなくとも、自分の歩む道を新たにデザインし、己の生を音楽のように奏でることができる者こそが、私の言う“真の強者である

現代日本人に贈る言葉

弱者男性」「強者男性」といった言葉を、社会ラベリングとして機械的に受け取ることはやめ、各々が“弱さ”や“強さ”を自分で再解釈してほしい。そして自分の内奥にある意志を見つめ、何を創り出したいのかを問い直してほしい。

名声や金や地位を求めるもよし、家族や仲間と幸福を築くもよし。ただし重要なのは、そこに自らの意思が宿っているかどうかだ。他人の期待や世間評価に引きずられるままに生きてはならない。己の足で立ち、新たな価値を見出すことを忘れてはならない。

さあ、諸君。今こそ“自己否定迷宮”を抜け出し、“自己創造の悦び”へと飛び込むのだ。激しい葛藤や痛みから逃れず、それを通してこそ自分が研ぎ澄まされる。その先にある高みを目指す諸君の姿こそが、私の望む“人間未来”の一端であると信じているのだ。

2024-12-24

anond:20241224100149

しまいにゃウソってバレた後になっても開き直りやがるから

どっかの党並みに信用が下がってきている

2024-12-23

anond:20241223142926

クズ開き直りではなく、俺自身はそういう無神経ムーブをする側でもないが

インターネットってのは価値観も諸々の水準もまるで違う人間が混ざりあったコミュニティから

清濁併せ呑む器量をもって、べつに濁りに混ざれとも同調しろとも言わないがそういうもの存在していることは受け入れないといけないだろって話だよ

基本的インターネットリテラシーの類だ

2024-12-20

昔のオジサンお金稼げるという夢を見せた

どんなに昭和コンプラ的に駄目だとしても、当時の記録からは金を稼いで生活を豊かにしようって考えが滲み出ている

男が泣き事言ったり弱い弱いと叫んだりするのを嫌って、とにかく家族養おうとしていたみたいだ

でも今のオジサン達みんな愚痴開き直り殺人事件しか犯していない

増田婚活がどうの言ってるオジサンの最終形態中学生殺傷するんだなと思うと、凄くいたたまれない

弱いことを武器にした力持ちの末路は悲惨

オジサン達はどう感じているだろう

2024-12-17

anond:20241217042740

必要なのは

そんなこと無視して

「うらやましいやろ?ほな」

っていって泥船から去るメンタル

 

どうせ1人の人間が救える人間なんてたかが知れてるんだから凡夫ときが悩む必要はない

 

大統領ですらできないことを

ワイができるわけないやろ

という開き直りけが未来を切り開く

2024-12-10

anond:20241210102438

こういうの開き直りだよね

「今まで通り好き勝手させろ」という

性犯罪やめます、とは言えない

2024-12-04

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え の

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え

https://anond.hatelabo.jp/20220114133403

の筆者です。三年後の現状を追記

当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています

当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。

教職を取る

ボランティアに参加する

・長期インターンで働く

バイトをする

心理学の本を読む

卒業研究就活も並行してやった。

教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。

ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係リハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで

ボランティアは市の団体に参加させていただいた。

長期インターン地元のある企業一年ほどお世話になった。

バイト販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分無能さを思い知った。

心理学の本を読むのも、コメントアドバイスしてもらったことだ。アドラー加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。

とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。

結果、俺は今修士二年生で、博士課程に進もうとしている。

あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。

でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。

第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと

研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。

ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。

これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。

文学研究が分かりやす社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。

またバイトインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死メモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。

こんな俺なので、社会に出て企業めしたところであまり役に立てないように思う。

第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本教員不足だから)。

学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。

第三に、やっぱり文学が好きだった。

文学ができることの一つに、「目に見えないもの表現できる」というのがあると思う。

俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。

だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情存在している。焦り、恐怖、驕り、不安自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。

こういった説明し尽くせない心持ち表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか

不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。

そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。

修士一年ときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。

博士課程から奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。

ももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。

最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。

これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。

誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。

何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています

俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。

追記心配してくれた人がいたので。奨学金は貸与じゃなくて給付です

2024-11-25

兵庫県知事選挙のフィナーレを予想する

文春砲折田楓が斎藤元彦とホテルから手を繋いで出てくる(またはホテルに入る)姿が報道され、日本中祭りになる

ただし、これが証拠となり、斎藤元彦と折田楓は公選法違反にも政治資金規正法違反にも問われなくなり、知事失職せずに済む。何故なら「内縁関係にまである人を支援しただけ」に変わるから

そして「不倫してますが何か?」と開き直り国民民主党に合流する

2024-11-23

anond:20241122174008

この件の何が滑稽かって

こいつが犯罪者になろうがならなかろうがデマプロパガンダ工作が行われていた事は事実

斎藤投票した連中はそんなもんに騙された馬鹿って事

オールドメディアガーサヨクガーリベラルガーとか馬鹿がなんかほざいてたけど結局情弱のアホが騙されただけって事

こういう事言うと俺を馬鹿って言うな!そんなんだからー!!とか馬鹿開き直りが過ぎて馬鹿の癖に謎の上から目線で何かほざきだすゴミが多いけど

まず自分ネット便所の落書きに騙されやす障害者レベル馬鹿って認めろよ

そこからだろまず

2024-11-20

anond:20241120083000

たぶん、そういう開き直りができる人はあまりいないと思うぞ

2024-11-19

anond:20241118192251

なんかブクマの人気コメ欄を見てると「私はちゃんと、そこらへん自覚的ですよ」って感じ出してるけど、ホントかよ~。

その割には言動が見合ってなくない?……って感じるブコメを数えきれないほど見てきたんだがなあ。

それらを指摘されたとき、みっともない言い訳開き直りをしているブコメも見たことあるんだけどなあ。

そいつらとは別のユーザーってことなんかな。

はてブユーザーネームクリックすれば、その人の過去ブコメ簡単に閲覧できるんだが。

いま人気コメになってる人たちは、そのあたりも踏まえた上でコメントしてるってことでいいんだよな。

ブコメに誰がどれくらい☆つけてるかってのも見れるんだが、それも大丈夫ってことでいいんだよな。

煙草をふかしながら喫煙家を小ばかにするような真似はしてない、って即答できるってことだよな。

念のため書いておくが、ここで指摘されているのは“煙草”でもないし“喫煙家”でもないし、もちろん“嫌煙家”でもない。

あくまで「煙草をふかしながら喫煙家を小ばかにするような真似」をする人間のことね。

自覚的であるかどうか」」が重要なのではなく、その「自覚に則り、貫徹するよう努めているか」が重要なわけね。

リテラシーの大切さを自覚している以上、それをもってリテラシーのない他人非難する以上、その重要性も織り込み済みだよね。

じゃ、これから過去ブコメを見ていきますか。

2024-11-16

anond:20241115195341

兵庫県政史上最も重要斎藤知事への批判10
当選選挙中に掲げていたマニフェストを削除

公約選挙の時点でのことであって実際に県政を担う立場になったら関係ない」とコメント

明石市長泉房穂による批判

全会一致での不信任を受けても、なお非を認めず、平然と"開き直り"を続けるとは、理解不能だ。"自分ファースト"の"ナルシストモンスター"って感じだ

市長時代には斎藤氏が知事就任後に市町との連携について、泉氏が携帯で苦言を呈したところ「着信拒否された」

神戸市長久元喜造による批判

大阪学費無償化によって人口兵庫から流出していることを県が考えなければいけないのに県は何もしてくれない。

神戸市単独でできるところまでやりますギリギリで踏ん張っている状態なのを理解してほしい。『9月例会

兵庫県職員による批判

知事としての最後の登庁日に本来ならある花束の贈呈や送り迎えする職員の姿もなかった

西宮市長石井登志郎による批判

斎藤さんが頑張ってきた、実績を残してきた、という声もあるそうですが、我々政治家は頑張るのは当たり前の話ですし、実績云々も見方は人によって変わってきます。仮に評価すべき政策や実績があったとしても、それを継続的に、またさらに前に進めていくためには、職員や市町、対象となる方々の理解共感があってこそ前に進むものです。

https://toshiro.jp/2024/10/31/4498/

尼崎市松本眞による批判

企業と手を組んで子どもたちに万博無料で行かせます。こういうことが新聞記事に出ました。そして私達はそのことを全く知らされなかった。

よくよく調べると県は数千万万博チケット企業から寄付してもらったようです。

そして行く経費、交通費は各市で持ってください、そういうんです。

尼崎だけででバス代だけで一億円以上かかるんです。それがわかるにもかかわらず尼崎で事前に相談をせずにこういうことをプレスで発表するんです。

11月9日街頭演説

川西市長越田健二郎による批判

彼は亡くなった職員に対して、「道義的責任というものがわからない」と回答した。

職員1人の命を守れない首長に、県民の命を守れるわけがないだろう!

『11月15日街頭演説

自民党の重鎮、渡海紀三朗による批判

この3年間の斎藤県政と国政との関係は、私の目から見て健全とは思えなかった。例えば、今年から始まった兵庫県大学無償化大学教育無償化否定するものではないが、今、国政の場で全ての大学対象とした学費負担軽減策を進めているさなかに、我々に何の説明もなく県立大学のみの無償化を打ち出し、他の大学国の責任実施せよと言う。

2年前の県立高校統合方針についても、我々が知ったのは記者発表後だ。国会議員への県予算説明会でも、斎藤知事が自らの言葉で語る場面は少なく、前知事自らが足を運ぶ個別要望ほとんどない。このため、我々国会議員との意思疎通が十分に図れない状況にあった。(聞くところによると、県議会議員とも、県幹部職員とも十分な協議は行われていないとのこと…。)

https://kisaburo.net/2024/11/12/%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE%E8%B3%87%E8%B3%AA/

統一教会による絶賛

統一教会による新聞世界日報」にて斎藤元彦を絶賛。

斎藤氏が県政に復帰すれば、オールドメディアが隠した事実ネットメディアが伝え、有権者投票行動を大きく変えた歴史的選挙と言われるだろう。」

https://www.worldtimes.co.jp/opinion/mediawatch/20241114-187005/

あと一つは?

兵庫県政史上最も重要斎藤知事への批判10

当選選挙中に掲げていたマニフェストを削除

公約選挙の時点でのことであって実際に県政を担う立場になったら関係ない」とコメント

明石市長泉房穂による批判

全会一致での不信任を受けても、なお非を認めず、平然と"開き直り"を続けるとは、理解不能だ。"自分ファースト"の"ナルシストモンスター"って感じだ

市長時代には斎藤氏が知事就任後に市町との連携について、泉氏が携帯で苦言を呈したところ「着信拒否された」

神戸市長久元喜造による批判

大阪学費無償化によって人口兵庫から流出していることを県が考えなければいけないのに県は何もしてくれない。

神戸市単独でできるところまでやりますギリギリで踏ん張っている状態なのを理解してほしい。『9月例会

兵庫職員による批判

知事としての最後の登庁日に本来ならある花束の贈呈や送り迎えする職員の姿もなかった

西宮市長石井登志郎による批判

斎藤さんが頑張ってきた、実績を残してきた、という声もあるそうですが、我々政治家は頑張るのは当たり前の話ですし、実績云々も見方は人によって変わってきます。仮に評価すべき政策や実績があったとしても、それを継続的に、またさらに前に進めていくためには、職員や市町、対象となる方々の理解共感があってこそ前に進むものです。

https://toshiro.jp/2024/10/31/4498/

尼崎市松本眞による批判

企業と手を組んで子どもたちに万博無料で行かせます。こういうことが新聞記事に出ました。そして私達はそのことを全く知らされなかった。

よくよく調べると県は数千万万博チケット企業から寄付してもらったようです。

そして行く経費、交通費は各市で持ってください、そういうんです。

尼崎だけででバス代だけで一億円以上かかるんです。それがわかるにもかかわらず尼崎で事前に相談をせずにこういうことをプレスで発表するんです。

11月9日街頭演説

川西市長越田健二郎による批判

彼は亡くなった職員に対して、「道義的責任というものがわからない」と回答した。

職員1人の命を守れない首長に、県民の命を守れるわけがないだろう!

『11月15日街頭演説

自民党の重鎮、渡海紀三朗による批判

この3年間の斎藤県政と国政との関係は、私の目から見て健全とは思えなかった。例えば、今年から始まった兵庫県立大学無償化大学教育無償化否定するものではないが、今、国政の場で全ての大学対象とした学費負担軽減策を進めているさなかに、我々に何の説明もなく県立大学のみの無償化を打ち出し、他の大学国の責任実施せよと言う。

2年前の県立高校統合方針についても、我々が知ったのは記者発表後だ。国会議員への県予算説明会でも、斎藤知事が自らの言葉で語る場面は少なく、前知事自らが足を運ぶ個別要望ほとんどない。このため、我々国会議員との意思疎通が十分に図れない状況にあった。(聞くところによると、県議会議員とも、県幹部職員とも十分な協議は行われていないとのこと…。)

https://kisaburo.net/2024/11/12/%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E3%81%AE%E8%B3%87%E8%B3%AA/

統一教会による絶賛

統一教会による新聞世界日報」にて斎藤元彦を絶賛。

斎藤氏が県政に復帰すれば、オールドメディアが隠した事実ネットメディアが伝え、有権者投票行動を大きく変えた歴史的選挙と言われるだろう。」

https://www.worldtimes.co.jp/opinion/mediawatch/20241114-187005/

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