はてなキーワード: ビジネスホテルとは
もちろん全員ではない。
ただ、少なくとも私はそうだった。
十五歳で負けていれば、私はたぶん助かった。
十八歳まで勝ってしまったから、負け方を知らないまま大人になった。
私はどこで間違えたのだろう。
若い頃の私は、自分が間違えることより、他人に合わせて間違えることを恐れていた。その恐れはたしかに私を東大まで連れていった。けれど同じ恐れが、私を社会から少しずつ遠ざけた。
私は今、四十七歳になる。
前の会社は、私から見れば理不尽な理由で私を遠ざけ、最後には私の居場所を消した。前の前の会社も、その前の会社も似たようなものだった。
今でも半分くらいはそう思っている。
ただ、半分はもう思っていない。
これから書くのは、その「半分」の話だ。
先日、ある雑誌に頼まれて大学新入生向けの短いエッセイを書くことになった。
私は引き受けた。
引き受けながら、ふざけるなと思っていた。
社会人として何かを成し遂げたわけでもない私に、なぜそんな依頼が来るのか。たぶん編集者は、私の経歴の一行目しか見ていなかったのだろう。
一行目だけは綺麗だ。
二行目以降は読まないほうがいい。
私は二日間、机の前に座った。
何も書けなかった。
「夢を持て」とも「努力は裏切らない」とも書けなかった。
書けば嘘になる。
私は夢を持っていなかった。
努力は私を裏切らなかったが、努力以外のすべてが私を裏切った。
これは雑誌には載らない。
たぶん誰にも届かない。
けれど、もし、たまたま、これから大学に入る誰かが読んでくれるなら、一つだけ伝えたいことがある。
素直になれ。
よりにもよって私が言うことか。
私はずっと素直ではなかった。
性格も悪かった。
懺悔だ。
懺悔は聞かなくてもいい。
ただ、もし君が今、自分の周りを少し愚かに感じているなら、その先に何が待っているかを、私という見本を通して少しだけ覗いてみてほしい。
第一部 正解者だった頃
地名は伏せておく。
妹が一人いた。
家は古かったが、貧しくはなかった。
私はわかっていた。
手を挙げた。
当てられて答えを言った。
正解だった。
先生が褒めてくれた。
私は嬉しかった。
書きながら本当にそう思う。
あの瞬間以上の幸福は、その後の私の人生にもう一度も訪れなかった。
二番のときもあったが、すぐに一番に戻った。
周りもそう扱った。
先生も、親戚も、近所のおばさんも。
中学校のとき、母が近所の人にそう言われているのを二回か三回聞いたことがある。
母は嬉しそうに笑っていた。
否定はしなかった。
私は、否定しなかった母を嫌いにはなれなかった。
中学まではまだ良かった。
授業はつまらなかったが、それは皆そうだった。
班活動もそれなりに楽しんでいた。
私はクラスで浮いていなかった。
背は普通だった。
顔は、まあ、普通だった。
私が入ったのは、県内で一番偏差値が高いとされる公立高校だった。
OBに地元選出の国会議員と県知事がいる、というのが地元の自慢だった。
今思えば、それも大した自慢ではない。
けれど当時は、その校門をくぐることに確かな誇りを持っていた。
入ってみると、勉強はやはり私が一番だった。
自分が一番ではないことが、十五歳の私には許せなかった。
期末試験で一番を取った。
決まる過程で、私は反対した。
もう新鮮味がない。
準備期間は二週間しかない。
私は別の案を提案した。
模擬店で何か食べ物を出すほうが客の回転が早く、利益も出やすい。
これは数字で示した。
前年度の各クラスの売上データを、わざわざ生徒会から借りてきていた。
却下した中心は、クラスで人気のあった明るくてうるさい男子だった。
彼は私の数字を見もせずに言った。
私は食い下がった。
「楽しさを論じているんじゃない。準備期間と利益の話をしているんだ」
誰かが小さく「うわ」と言った。
私はその「うわ」の意味が今ならわかる。
当時はわからなかった。
担任が温和な顔で言った。
「みんなで決めたんだから、それでいこう」
私は黙った。
黙ったが、心の中では「これは間違いだ」と思っていた。
当日の朝になっても暗幕が一部つけられず、外から中が見える状態のまま開店した。
客は数えるほどしか来なかった。
打ち上げの席で、誰も私に「お前の言う通りだったな」とは言わなかった。
クラスの全員が笑った。
私は笑えなかった。
笑えない、というのは笑顔の筋肉が動かないという意味ではない。
心が笑い方を覚えていない、という意味だ。
彼らは間違えたあと、間違えたまま、楽しそうに次へ進んでいた。
私は一人だけ間違えていなかった。
間違えていないのに、その輪の中にいなかった。
そして結論を出した。
人に合わせると間違える。
多数派は正しさを選ばない。
この結論は、十六歳の私にとってほとんど真理として体に入った。
そして最悪のことに、それは半分は事実だった。
これが後で書くことのすべての始まりだ。
似たような出来事はその後何度もあった。
一つだけ、もう一つ書いておく。
班員は四人。
私はすぐに気づいた。
私は班員にそれを伝えた。
「だから、別の角度で攻めたほうがいい。例えば、水質と水生昆虫の種数の相関を上流と下流で比較するとか、もう少しオリジナリティのある切り口がいる」
班員の三人は、ぼんやりと私を見ていた。
一人の女子が言った。
「先生は最低ラインの話をしているだけだ。発表会で評価されるためには、もう一段必要なんだ」
そこで私は致命的なことを言った。
今でも覚えている。
そのとき私は、自分が何かまずいことを言ったことには気づいていた。
けれど何がまずいのか、正確にはわからなかった。
今ならわかる。
ただ、四人で何かを一緒にやる時間そのものを、彼女たちなりに大切にしようとしていた。
発表会の評価は、可もなく不可もなくだった。
私はその後、班の打ち合わせにあまり出なくなった。
彼女たちも私を呼ばなくなった。
私たちは最後まで、お互いの名前をフルネームで言えるような関係にはならなかった。
その夏、私は塾の自習室にこもって一人で勉強するようになった。
そのほうが効率が良かった。
私の偏差値は上がった。
この時期に、もう一つ私の中で固まったことがある。
「言い方」という言葉が嫌いになった。
正しいことを言うと、決まって誰かが「言い方がきつい」「言い方を考えろ」と言った。
私には、それが奇妙な反論に見えた。
内容が正しければ、それでいいではないか。
なぜ正しい内容を、わざわざ柔らかく包まなければならないのか。
それは内容より装飾のほうが大事だと言っているに等しい。
知性に対する侮辱ではないのか。
私はそう考えた。
内容が正しければ、いずれ理解される。
これは私の中で信仰になった。
ここで君に一つだけ言わせてほしい。
「言い方」は装飾ではない。
内容を相手に届けるための、内容の一部だ。
ただの独り言だ。
三十年遅かった。
君はこれを、十八歳のうちに知ってほしい。
東京大学の合格発表は、その時代はまだ本郷キャンパスの掲示板に紙が貼り出された。
私は二月の終わりに東京へ出て、安いビジネスホテルに泊まり、当日、本郷に向かった。
三月十日だった。
寒い日だった。
これは嘘ではない。
本当のことだ。
「やった」とは思った。
けれど、それだけだった。
模試の判定はずっとAだった。
直前の本番形式の演習でも、合格者平均より上を取り続けていた。
落ちる理由がなかった。
掲示板の前では、合格した人たちが抱き合ったり、泣いたり、家族に電話したりしていた。
私は誰にも電話しなかった。
けれど誰の声を聞きたいとも思わなかった。
私は一人で本郷の門を出て、近くの蕎麦屋に入り、かけそばを食べた。
蕎麦はぬるかった。
それでも最後まで食べた。
この四年間、誰と過ごすんだろう。
喜びではなく、空白に近い感情だった。
私はこれから、知らない街で知らない四年間を過ごす。
誰も私を「すごい」と言わない。
少しだけ怖かった。
けれど私は、その怖さをその日のうちに押し込めた。
「いや、俺はやってきた。一人でやってきた。これからも一人でやればいい」
そう自分に言い聞かせた。
これは合格した日に、十八歳の私が自分自身に与えた呪いだった。
その呪いに私は気づかなかった。
二十年以上、気づかなかった。
私は年上の男の人と遠距離恋愛をしている。そんな彼と1ヶ月ぶりのお泊まりデートをしてきた。お互い大学生のカップルということもあり、お泊まりしてやることはセックス。
相手はこちらが声を出さないとなかなか射精しないが、セックスなんてものは基本男側が射精をしないと終わらない。そんな中で少々治安の悪い繁華街でタバコの煙で鼻腔を燻された私は鼻が詰まってしまっていた。
普段お泊まりデートする時に利用するホテルは観光客もよく利用するそこそこ安価なビジネスホテル。私は周りへの配慮と、普通に聞かれたくないのもあり小さな声で喘いでいる。しかし今日は鼻が詰まっているせいでがんばって声を出さないと喘ぐことが出来なかった。仕方なく、普通の声で喘いだ。
翌日朝、2回目のセックスを終わらせてTwitterを見た。FFが少ないから、私が見るのはおすすめツイートとか言われているTL。開いた瞬間、昨日はデートで見た映画の話しかなかったそのTLはセックスの話題で埋もれていた。アルゴリズムにセックスした事がバレている…
基本的に旅行は安宿でよくて、ビジネスホテルのシングルルームや、場合によっちゃカプセルでいい。ドミトリーみたいに複数で1室ってのは苦手だが、若い頃は漫喫で寝てたこともある。今は次の日に差し支えるので、最低足を伸ばして一人で眠れるところなら文句は言わない。そんな中でなるべく安いところを探す。
札幌あたりでも探せば一泊6000円くらいのところは見つかる。しかしそれは平日の話。金曜や土曜となると、これが一気に倍以上上がる。3倍くらいになるところも。
見てると、ダイナミックプライシングって安宿のほうがきつい。最初から高いホテルは、言うてそこまで上がらない。
安宿のクオリティでその値段出すなら、もう少し乗せたらもうちょっといい宿泊まれるよ、と思う。あれはやっぱ外国人向けなのかな。
観劇とかあまりしたことないなと思って、1月に『十五少年・少女漂流記』を見に行ったよ
平田オリザという岸田國士戯曲賞をとった人が、田舎に移住してたじま児童劇団というのをやっているらしい
とりあえずなにか劇を見ようと思って調べて見つけた情報がそれだったので、行ってみることにしたんだ
兵庫県豊岡市にある江原駅には新大阪からこうのとりという特急電車で2時間半くらいかかった
あんまり何も調べずに出かけたものだから、関西の地理にも交通事情にも明るくなくて、移動時間の長さにも目的地には電車だと全席指定のこうのとりでしか行けないことにも驚きだった
夜走る電車の窓の外は暗く、山の間を走って進むものだから、街灯りもほとんどない
変わらない暗闇の中に急に白く堆積した雪が見えたときは震えたよ
あまり雪の降らない地域の人間だから、都市部を離れたら雪が積もっていて、身動きができなくなる可能性があるなんてことを考えていなかったんだ
すぐに翌日の天気を調べたら晴れで安心した
江原駅に着いた頃には腹がペコペコだったんだけど、ガンピー穀物倉庫という謎のスーパーは営業時間のはずだけど既に閉まっていた
デイリーポータルZでよくやってる旅先のスーパーで総菜買って食うみたいなやつをやりたかったけどできなくなった
地元の小さな居酒屋くらいしか開いていなくて、そこで牛丼と野菜炒めを食べた
こんなアウェイで飯バクバク食う井之頭五郎はメンタル強すぎるだろとか考えていた
その後、ビジネスホテルで一泊
翌朝、チェックアウトして、開演するまですることないなと思ったら、喫茶店が開いていた
なぜに駅前にコンビニもないところで、モーニングが食えるのだろう
人がバター塗ってくれて、焼いてくれたパンとベーコンエッグはとても美味しいし、よい朝だなとか思っちまう効果がある
昨日、開いていなかったガンピーに行ったら、穀物倉庫と言うだけあって、穀物類、パスタ類、スパイス類、オリーブオイル等が充実していたよ
他に、あんぽ柿とか、せこがにとか、ハタハタとか、串に刺さった焼きキスとか地のものがならんでいた
あらすじとしては、玄武洞でキャンプしていた中高生が洞窟に入ったら、異世界の孤島にワープしちゃって、これ脱出できるの?って感じのはじまりだよ
ちょっと未来の話だから、漂流したなかに少女型のアンドロイドがいて、彼女は知識面でみんなをサポートするけど、自分の意思はないというのが話のミソの一つになっていた
演技上手かったよ、正直全員何も気になるところが無く、ハキハキしすぎた感もなく、自然だった
『演劇I』と『演劇Ⅱ』という平田オリザの演劇を扱ったドキュメンタリーをU-NEXTで見たことがあって、そこで平田オリザは自身の劇団に秒刻みで指示していて、会話中に別の会話を他の組にさせるという手法を使っていた
中高生たちも普通に2組以上同時に会話していたよ、そんなんできるんやと思ったよ
正直、大人が書いた本で子供が劇をするって、縛りが大きいのではと予想していた
暴力描写や性描写を子供自ら書いた本ではなく、大人が書いた本で劇団という狭いコミュニティでやるのって避けるんじゃないかなとか、明確に悪役となる子供が出てくることあるのか?とか思っていた
暴力描写も性描写もなく、悪役となる子供はおらず、なんなら全員かなりの量のセリフが分配されたような話なのに面白かったよ
1時間くらいの短い話だから、ストーリーの詳しい言及はやめとくか
公演終わったあと、廊下に出たらさっきまで演劇していた子らが観客や知り合いとキャッキャと話していて驚いたよ
私と1つ年下で、マッチングアプリで出会って、1年半ほどお付き合いした。
自分と同じ業界で、自分の仕事に誇りをもって、一生懸命に仕事に励む元彼くんを「いいな」と思い、
何度かデートを重ね、元彼くんから告白を受けてお付き合いを開始した。
仕事の話で盛り上がったり、色んな所にお出かけしたり、美味しいものもいっぱい食べて、まぁ、楽しかったよね。
でも、私からお別れを切り出した。彼とずっと一緒にいる未来が想像できなかったから。
別れ際に「俺と別れたくなった要因って何だったのか、教えてほしい」と言ったよね。
お別れしてすぐにLINEはブロックしちゃったけど、そういえばと思い出してここに記すことにするよ。
ここは私と対照的だったから、付き合い始めてすぐに合わないなぁと感じた点。
私はどちらかというと前向きに物事を捉えるようにしている。物事の良い側面を見ている方が自分にとっても好転すると考えているから。
でも貴方は仕事や会社で与えられているポジションにも愚痴っぽくて、不安もあるのか後ろ向きな姿勢が多かった。
仕事上でも他人の作品に対して「俺はこういう手段は取らない」とか聞いてもないのに否定して、自分の主張を論じることが多くて
実はその度に私は隣で(また始まった…)と辟易していた。
責任重大な仕事やポジションを任されていることは、期待されていることと捉えられたら頑張れると思うけど、
面倒臭いとか押し付けられているという捉え方をすると、どうしたってしんどくなるよ。
人の考えることは千差万別なんだし、自分と異なる部分もあるよねって受け入れておけばいいものを、
逐一「自分ならこうする」と主張する姿勢は、疲れる生き方しているなぁと失礼ながら思ってしまっていた。
これは一番別れようと思ったきっかけの部分なんだけども、
デート中だろうが一緒に旅行している時だろうが、その不機嫌を露呈させることが多かった。
これは自分でも言っていたよね。上手くいかない自分にイラついてしまうって。
温泉旅行も高級お寿司屋さんも、私が楽しみにしていたイベントでは尽く態度が悪くて、
小さなことでも感謝の気持ちをお互い伝えられる関係性を私は理想としていたから、
「ありがとう」がなく与えられたことを当たり前と思っているかのような態度に疑問を感じていた。
例えば私が車で貴方の家に送迎してあげることを当たり前のように考えていて、
こっちは貴方の家に高速も使って片道40分もしていたんだよ。なのにデート前日当たり前のように
行儀のことは詳細は省くけど、それやめてねって言ったこともやめてくれなかったから、もう一度癖付いた習慣はなかなか直せないんだな~と諦めモードでした。
旅行は年に2回とかでそんなに頻繁にいかないからこそ、たまの贅沢派な私。
せめて温泉宿でも高額すぎない1泊2食付きで1人2~3万くらいの所に泊まれたなぁと思う派。
でも彼はビジネスホテル派。まさか旅行先で東横インに泊まるとは思っていなかった。
常にデート代が割り勘なのも別にいい、けど割り勘だからこそ二人で行くたまの旅行は贅沢したかったな。
…デート代が割り勘といえど、私が送迎する車のガソリン代や高速代は出してくれなかったな。
一度その分料理作ってご馳走するよ!て言ってくれた時も結局1口カレーみたいな量で、
あぁ、この人はかなりの倹約家なんだなと考えるようになった。
前項で述べたけども仕事に対しかなり愚痴っぽかったため、一度「転職したら?」と言ってみたことがあった。
業界内で既に転職を2度してステップアップを経験していた私から見たら、
彼も同様にスペック的には業界内で大手にも転職は容易だったと思う。
それだけならば別に気にも留めないのだが、そろそろ同棲しようかという話になったとき、
隣接するも異なる都道府県でお互い仕事をする私と彼で何処に住むかとしたとき、
などなど、あまりにも自分本位すぎる条件出しに、同棲を楽しみにしていた私は少しずつ気力を減らしていったのでした。
職場も住生活環境も、彼が変化を恐れているように思えて、変化は成長や楽しむものと考える私との思考の違いについても悩まされた。
これはもう今思えば笑い話でもあるんだけど、彼が行為中全く持続しなくて、
挿入未満で終わることばかり、最後までできたのは付き合っていて2回くらいだけだったかも。
彼は気にしていたけど、その割には病院に行くなどの改善策も取っていなかった。
私は将来子どもが欲しいと考えていたし、この観点からでも未来はなかった。
彼が8割型仰向けで寝転がってばかりの逆マグロな点も嫌だったかな。あと、よく行為中に足もつってたのも情けなかったな(笑)
とにもかくにも、生まれも育ちも異なる他人だから、感覚の差はあるよねとある程度許容できる私でも、
最後は会いたくなくなってしまうくらい、最初に感じた彼を「いいな」と思う気持ちがなくなったのである。
別れる直前に計画してた旅行をキャンセルしてしまったのは悪かったなぁと思うけど、
婚約指輪も買っていて、その旅行でプロポ―ズする予定だったと別れ際に聞かされたとき、心底このタイミングで別れを切り出しておいてよかったと考えたものです。
というかこの関係値でもうプロポーズを考えていたということにも驚愕だったし、私なりに色々「NO」を突き出していたはずなのに伝わっておらず、
「俺と別れたくなった要因って何だったのか、教えてほしい」と言ってしまう彼にまた頭を抱えたっけ。
でも私も悪いのは、彼に合わせるばかりで無理をしていて、彼に嫌なことを嫌と言い切れない部分も多々あったということだ。
この出会いで私は自分の気持ちを殺して、相手に合わせすぎても良くないということを学べたと思う。
その点では成長させてくれた彼にありがとうと言いたいし、あの1年半のお付き合いは無駄じゃなかったと考える。
今は新たに縁あって出会った現在の彼氏とお付き合いをして、半年になる。
同じく私より1つ歳下の現在の彼は、本当に人として素敵で尊敬ができて、
一緒にいていてお互いに心から素直に物事を言い合えて、笑いが絶えない日々でとても幸せだ。
結婚を見据えて年末年始にお互いの実家に挨拶を済ませ、近々同棲も始める。
元彼くんが嫌いになりすぎて、もう恋愛や結婚はいいやと考えていた時期もあったけれども、今となっては元彼くんとの経験があってこその今なので感謝したい。
アメリカで働いている。
去年勤め先の株価がAI関連銘柄とかで高騰したらしく、数年前に付与されたRSUが上がって年収が増えたところに、最近の再度の円安のせいで円換算で一億を超えていた。
一億超えたと言っても自分の住んでいる街では小金持ち程度。普段は冷凍食品やファーストフードを食い、車も日本製のガソリン車。服もアウトレットやUNIQLOの服を着ている。旅行はLCCかエコノミークラスで移動して価格比較サイトで選んだ安いビジネスホテルに泊まる。
ちょっとくらい贅沢してもいいかなとも思うが、株を売るのも面倒だし、株で上がった年収なんてそのうち下がるし、第一いつリストラされるかわからないから怖くて生活水準もあげられない。せいぜい数万円のガジェットを買うくらい。パソコンを買い替えようと思ったが、メモリーやSSDの高騰で手を出す気にならない。買う金はあるけど買えない。
最近は積み上がる資産の額を見て、アーリーリタイアメントのことばかり考えている。一年働けば税金や生活費をはらっても、日本なら5年はなにもせず暮らせそうなくらいの資産がたまる。運用を考えれば8年はいけるかもしれない。そう思うとレイオフで首になるまでなるべく金を貯めて日本に帰って安楽に暮らそうという夢が広がる。
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そうか、日本の人はRSUの仕組み知らんのか。それとも「付与」って言葉が適切でなかったのかな。
RSUってのは会社があげる(grant)っていってから実際にもらえる(vest)まで時間差があるのが普通なのよ。
だから、GrantからVestされるまでに株価があがると、実際にもらえる額が上がる。
自分がここで「年収」って言ってる額に含めたのは去年一年間でvestされた額(実際にもらった株の金額換算)。
GrantされてまだVestしてない(unvested)RSUはただの絵に描いた餅
去年の年収ブーストは昔grantされた分のRSUが過去1−2年で高騰したおかげなので、そのころのRSUがvestされつくしたら年収はだんだん下がっていく。(最近grantされたRSUは対して増えてないから)。そんなわけで自分の年収のピークは去年か今年なんじゃないかと思っている。
首都圏在住の増田なのだが、今まで気が付かなかったことがある。
東京都心部にある大学病院に日帰りの形で通っていたのだが、それが当たり前だと思っていた。
ところが私以外の患者の中には、その東京の大学病院に通うために新幹線に乗って、大学病院の近くのビジネスホテルに泊まる人がいるらしいのだ。
その患者さんは地方に住んでいるらしく、東京の大学病院に通うためにわざわざ一泊二日かけるらしい。
病院ならその地方にもあるじゃないか、と思うが、私も診てもらっている専門医の先生でなければダメなのだ。
そうなってくると、専門医も東京の大学病院に勤めていたり、東京都内で開業するケースが多い。
漫画喫茶《快活CLUB》が超進化していた「1泊3000円で清潔な空間」「カプセルホテルよりコスパ抜群!」→ビジネスホテル高騰で注目されるワケ
っていう、タイトルからしてバカが書いたんだろうなって記事があったんだけど。
※実際にウーバーイーツの記事ばっかり書いてるバカライターの記事だった
めっちゃ簡単に言うなら快活CLUBの鍵付き完全個室に泊った方がビジホ、カプホに泊るより快適じゃね?
っていう、何周遅れのライフハックなんだよって記事だったんだけどさ。
曲がりなりにも東洋経済新報社っていう出版社の公式メディアが言うのとでは話が違うと思うんだよな。
快活CLUB他、多くのネットカフェは「寝具を提供しない」の一点で「旅館法」の適用から外れようとしている。
ひざ掛けは提供してくれるが布団はダメとか大きなタオルケットはダメとか。
そして当然、宣伝でも「快適に眠れる」的な文言は厳しく禁止している。
つまり、実態として「旅館」のように使われているとしても、それを取り締まることは実現的ではなく
尚且つ、旅館法に適合する施設基準を満たすことは非常にコストがかかるため、
旅館法の抜け穴的に寝具は提供していないので宿泊施設ではないですというタテマエで動いている。
それをある程度の規模と影響力があるメディアが
「ビジホ、カプホよりネカフェに泊るほうが快適だぜ」という記事を出すことは
なんつーか、当局に目を付けられる可能性が高まるだけなんじゃねーかと思うんだよな。
これ、過去に何度もこの話は国会や地方自治体で取りざたされてるし(簡易宿泊所扱いにすべきではないか等)、
それをナニ無邪気に「快活CLUB泊キモティー!」だよ、アホなんか。
今回の記事がAOKI(快活CLUBの親会社)から金もらって書いてるのかは知らんけど、
快活CLUBってAOKIの子会社化してて~ネカフェといえばAOKIの時代なんだよね~とかウキウキで書いてるけど
東洋経済なんか元からそういうウスノロメディアだろ、本気になっちゃってどうすんの?って?
それはそう。
叔父の葬儀に夫婦で出席することになった。場所は「どうしてこんなに遠いのか」と地図アプリに愚痴りたくなるレベルの僻地。
仕事がギリッギリまで詰まっていた私たちは「最終新幹線にすべてを賭ければ日帰りできる」という、今思えば自爆スタイルの計画を立てていた。
ところが、田舎のバスの本数と、想定外のリアル親戚トーク(エンドレス)で見事に敗北。
最終新幹線には遠く及ばず「あーこれは泊まりだな」と駅前で膝から崩れ落ちそうになった。
空いていたのはビジネスホテル。
電車に乗り遅れて夫婦でビジネスホテルという名の敗北感、分かってくれる人はいるだろうか。
部屋は無機質、照明は青白い、アメニティは「許して」という感じ。まさに「寝るためだけの箱」。
疲労と気まずさとで無言でシャワーを浴び、部屋着(ペラペラ)に着替えたところで、夫がなぜか妙に張り切りだす。
「……ほら、せっかくだし」とか言いだす。
ねえ、「……ほら、せっかくだし」それ、こういうときに使う単語じゃないから。
しかも、葬儀の余韻も抜けきってない夜に、隣は薄い壁、廊下の音はもろ聞こえ、
ベッドはギシギシ(沈む)。
この状況で性欲を発揮できる夫の生命力、地味に尊敬するけど、私の中の全てのスイッチはオフだ。
最終的に私は「明日始発だし、寝よう?」と逃走。
私も(多分)死んだ魚の眼をしながら眠りについた。
京都のビジネスホテルにある松屋は、日本庭園が見える席があることで知られていた。
この店はホテルユニゾ京都烏丸御池と同時に2020年12月17日にオープンし、一部の席から庭園が見える構造だったため、「おそらく日本で一番雅な松屋」として注目された。
しかし、近隣に住む私は庭園の存在を特に意識することはなかった。自炊が苦手な私にとって、この店は日々の食事をまかなうための場所であった。開店以来、毎日のように利用し、常にプラチナ会員を維持していた。
ホテルが2024年8月に一時休業し、11月にフォーポイント フレックス by シェラトンとして再開した後も、松屋は営業を続けていた。
ホテルが休業期間中も営業してくれたことは利用者として非常に助けになった。また、海外ブランドのホテルに変わっても松屋が撤退しなかったことに安堵した。
今回の閉店は突然の出来事だった。
「店内清掃のため店を閉めます」という内容の張り紙が、少し前から松屋の入口に貼られていた。
8月30日以降、松弁ネットに店が表示されなくなっても、本格的な清掃か改装だと推測していた。
しかし、9月に入っても営業が再開されないため、検索したところ、8月29日付の京都新聞デジタルに「京都市中京区の『日本一みやび』?な牛丼店『松屋』が閉店」という記事を見つけた。
なんとなく抱いていた嫌な予感は的中し、閉店の事実を知った。最近の店員がアルバイトではなく肩書きのある社員ばかりになっていたことも、今思えば閉店に備え補充がなかったことを示唆している。
ホテル側のじゃらんのサイトにも「レストラン『松屋』営業終了のお知らせ」という記事があり、ホテル側は閉店日を知っていたにもかかわらず朝食予約を受け付けていた。このことから、松屋側は閉店日時を過ぎるまで事実を秘匿したかったと考えられる。
松屋ヘビーユーザーとして大量のポイントを貯めていた私としては、閉店までにポイントを使い切りたかった。四条河原町まで足を伸ばせば松屋はあるが、通勤路や近所にはないため、わざわざ行くのは面倒だ。
ごろチキやうまトマやシュクメルリはもちろんのこと、松屋の期間限定メニューを食べ逃したことは一度もなく、直近のコムタム風ポークライスも気に入っていたが、怠惰な私はコンビニ弁当生活に逆戻りすることになるだろう。
松屋広報によると閉店理由は「賃貸契約の終了」だという。利用者の感覚からすると、松屋側が契約更新を望まなかったというより、ホテル側が契約更新を拒絶したか、もともと追い出す意向があったと推測される。
ホテルユニゾ京都烏丸御池が開業した当初よりインバウンドが増加しており、朝食時に周りが外国人だらけという状況は頻繁に発生していた。しかし、外国人には松屋の食事が口に合わないようで、返却口の食器には大量の食べ残しが見られた。
洋風朝食も用意されていたが、食べかけのパンやソーセージが残されているのが目についた。
ホテルの運営が海外資本に変われば、このような状況を放置しないだろうという予想はできたため、今回の松屋の撤退にはある程度の納得感がある。
当然、後には別のレストランが入るのだろうが、地元住民が日常的に利用するような店にはならないだろう。残念だが、やむを得ない。
応用情報技術者試験、高度試験及び情報処理安全確保支援士試験におけるCBT方式での実施について(公開日:2025年8月12日)
社会でのデジタル化の動向を踏まえ、このたび、受験者の負担軽減や利便性向上を目的に、応用情報技術者試験、高度試験及び情報処理安全確保支援士試験の実施方式を見直し、令和8年度(2026年度)に実施する試験からは、ペーパー方式での実施からCBT(Computer Based Testing)方式での実施に移行する予定です。
2019年頃、リスキリングのつもりで基本情報でも受験してみようかと勉強し始めた。
ちょうど今頃の季節だと思う。
一応情報工学科卒だけども異業種に就職したこともあって以降は全く勉強する機会がなくブランクあるので、半年くらい勉強して2020年4月試験を受験するつもりで準備していた。
ところが。
ご存じのとおりコロナ禍のはじまりはじまりな時勢になり試験も中止。10月試験も申し込むもそれも中止。
あの頃はコロナの出口が見えなくていつ受験できるのかがまったくわからなかった。
過去問を解く限りではギリギリではあるけど合格圏内には達していたので、思い切って応用情報技術者を目指す方向に転換。
2022年になり、コロナ対策厳戒態勢下ではあるものの、試験は実施されることになって春期試験に申し込み(ちなみにこの年から基本情報技術者試験はCBT方式に移行された)。
ところが自分が住んでいるところがあまりにも田舎すぎて、公共交通機関では本番当日の試験開始時間までに行きつく術がないことに愕然。
その受験会場には徒歩15分あたりに駐車場無料の格安ビジネスホテルがあって、前日にチェックインして当日はマイカーを試験が終わるまで置いておけてとても使い勝手がよかった。
前日の夕方5時くらいにチェックインして、ホテル周辺にある大衆チェーン飲食店で独り決起集会を開いた。
うつらうつらしながら深夜のテレ東のアニメみて、0時ごろに就寝。
合間に1時間休憩あるとはいいながら、昼休み終了20分前には着席待機という謎の儀式を強いられて実質40分あるかないかで昼飯なんてうかうか食ってられないから朝に溜め食いしてた。
たまたま母校が試験会場になってて、すごくノスタルジックな気分になりながら受験した。
そこそこ歳いってからのリスキリングだったから、終わるころには体中バッキバキ。
大学によくある、椅子と背もたれと机が一体になったアレって中年オジサンには拷問具だったんだね、若いときにはそんなこと全く思わなかった。
その後は応用情報ドットコムで受験者の悲喜こもごもを一当事者として閲覧。
落ちるたびに上記を繰り返してたんだけど、思い返せば楽しかったなぁ。
CBTなら住んでる田舎町でも受けることができる。
情報セキュリティマネジメント試験、ITパスポート試験、基本情報技術者試験はCBTで受けたからね。
だからもう、あのルーティンは来年からはする必要なくなるんだ。
司法試験がCBTに移行するって聞いた時から、たぶんそう遠くないうちに情報処理技術者試験も全区分そうなるだろうなぁとは思っていたけど、案外すぐだった。
なんか、寂しいな。
今度の10月にデータベーススペシャリスト試験を、いつもの隣県の試験会場で受験する。
ああ、これが最後なのかぁ。
しっかりかみしめて受験してこようと思う。
正直、今まで政治なんてまともに考えたことなかった。選挙にも毎回行ってたわけじゃない。仕事が忙しかったり、日常がバタバタしてたりすると、あ、昨日が選挙だったんだ、くらいの温度感だった。前日になってちょっとニュースを見て、候補者の顔とか経歴をざっと見て、「なんとなくこの人は変じゃなさそう、自民党だし大丈夫だろ」みたいな感覚で入れてた。維新もたまに票を入れる対象だったけど、それも「マシそうだから」という程度の判断基準だった。
一方で、テレビやネットで流れてくる野党の動きには、日々辟易していた。とにかく揚げ足取りとどうでもいいスキャンダルの応酬。まともなビジネスの世界ではまず遭遇しないような粗探しや、感情的なマウンティングの応酬が、延々と繰り返される。こっちは仕事して、家庭のこともして、目の前の現実をなんとか回してるのに、政治家は何してるんだ?って気持ちになって当然だった。
そんでもって、国会ではよぼよぼのジジイたちがグダグダと訳のわからない理屈をこね回して、顔も名前も知らない議員がテレビに映っては、なにかの「語録」で炎上したり持ち上げられたり、まるでバズ狙いのTikTokと変わらない。パレードに出てきてマイク握って「金よこせ!」「差別反対!」と絶叫する政党もいて、ああ、これが日本の政治なんだな、と失望していた。
でも、ある時期から変な胸騒ぎがしてきた。ニュースを見れば見るほど、日本が明らかに壊れ始めている感覚。国のトップがアンパンマンみたいな顔でフニャフニャ喋って、「え、これが日本代表?」ってなる。給料は上がらず、物価だけが上がり、住宅価格は爆上がり。東京のビジネスホテルは1泊1万じゃ泊まれない。観光地は外国人だらけ。どこの国なんだよここは?と思うような街並み。
そんな不安の中、たまたま目に入ったのが参政党のニュースだった。ちょうど憲法案を出して叩かれていたタイミングだった。「陰謀論!」「スピリチュアル!」「反ワクチン!」「カルト!」と、とにかくネットでもメディアでも袋叩きにされていた。あぁ、あれでしょ? K-1で花束投げて炎上した人が代表のとこでしょ? って思ってスルーしようとした。
でも、あまりにも激しい叩かれ方だったから、逆に興味が湧いた。「そこまで言われるって、逆にどんなヤバさなの?」と思って公式サイトを見に行った。そしたらびっくりした。政策、めちゃくちゃ普通。いや、普通どころか、「今の日本の問題点をちゃんと見てるな」と感じた。わかりやすいし、熱意も伝わってくる。これ、本当に同じ党?って思うくらい、サイトの内容はまともだった。
スピーチや討論の動画も見た。代表の神谷さんの話、論理的で熱くて、筋が通っている。「反ワク」とか「陰謀論」っていったいどこ?と思ったけど、確かに初期の頃のYouTubeにはちょっとそういう雰囲気の人たちもいたらしいい。でもそれってどの政党でもある話じゃないか? 実家に帰れば親がちょっと怪しい話してたりすることなんて誰にでもある。そういう話に共感する人がいたからって、それだけで「カルト!排除!」って叫ぶのって、民主主義に反してるでしょ。
そして改めて考えた。「じゃあ、ワクチンの社会的な影響って、ちゃんと総括されてるのか?」って。あの時の異常な空気感、違う意見を持つこと自体が「悪」とされた空間。その中で果たして国民はちゃんと納得できたのか? 数十兆円の税金が使われたのに、結局誰も振り返らない。それって、本当に健全なの?
憲法案の件も、「なんだかんだ護憲だ改憲だと文句言うくせに、じゃあ自分たちで出してみろよ」って思う。参政党は「こうしたい」という思いを、たとえ叩かれても叩き台として出してる。それって本当にすごいことだと思った。
他にも「企業献金を一切受け取らない」と明言してて、党員の党費だけで運営してるとか、まじで革命的。今どき、どの政党も裏金、パーティ券、組織票にズブズブで、「ルールを守る」とか抜かしてるけど、それってつまり汚いことを当然としているってことでしょ? そういうの、もう限界だよ。
そこに来て、参政党。全然違う。構造が新しい。政治を「選ばれるもの」から「自分たちで作るもの」に変えていこうとしてる。草の根から始めて、勉強会で人を育てて、共感した人が党員になって、そこから候補者が生まれる。まさに近代政党のあるべき姿。
神谷さんもすごい。スーパー経営の家庭に生まれて、地方の厳しさを知り、市議からスタートし、予備自衛官としての経験もある。そして落選しても諦めずYouTubeの可能性をいち早く見抜いて、ネットで論壇を構築してきた。結党後も安直なポピュリズムに走らず草の根でネットワークを広げ、今や地方議員150名以上。この人が「にわか」なわけがない。
そして、世界情勢を見れば明らか。ヨーロッパでは移民が暴れ、フランス、ドイツ、イタリアでは極右政党が台頭。アメリカではトランプが復活。時代が大きく動いてる。なのに、日本だけが「2万配ります」「食料品の税金ちょっと下げます」とか言ってる。やばすぎる。これはもはや、政策ではなく“媚び”。
こんな時代に、参政党が現れてくれて本当に良かった。声を上げることを怖がらず、誹謗中傷に屈せず、信念を持って日本の未来を語る。私はもう無関心ではいられない。子どもに、金目当てで票を投じる親の背中を見せたくない。私は参政党に投票する。そして、私自身が変わっていく。未来を他人任せにしない、そんな人生を選ぶ。
・1977年、福井県高浜町生まれ。実家は地元密着のスーパーマーケットを経営。
・関西大学文学部で史学・地理学を学び、在学中に18か国を放浪。日本の将来に危機感を抱く。
→ 歴史的視野と国際感覚、日本の相対的位置の危うさを肌で知る
・大学卒業後、福井県内の高校で英語と世界史を教える。実家のスーパー経営にも携わるが倒産を経験。
・政治を志し、関西大学法科大学院に進学。2007年、法務博士(専門職)を取得。
→ 地方自治の構造、現場での政策形成と住民対応のリアルを経験
・2010年、志ある地方議員を全国でつなぐネットワークを構築。
・予備自衛官としても10年以上所属。国防教育と有事対応訓練を重ね、国家の安全保障に対する意識を深める。
→ 防衛・危機管理への実践的理解と、自衛官視点での国防意識の涵養
・2013年。YouTubeチャンネルを開設し、草の根の保守系言論活動を展開。
→ メディアを通じた価値観やネットワーク形成、教育と思想の発信者としての基盤を確立
・視聴者支援をもとに継続するメディア空間を構築し、歴史・教育・憲法・安全保障などを中心に延べ数千本の動画を発信。言論の自由の実践者として、ネット世代から支持を集める。
・2020年、「投票したい政党がないなら、 自分たちでゼロからつくる。」を掲げ、参政党を立ち上げに参加。党員主導・ボトムアップ型の政治を志向する全く新しい政党モデルを構築。
・2022年、参政党は全国47都道府県に支部を持つ体制を短期間で築き、比例代表で国政初進出。神谷氏自身も参議院議員として初当選を果たす。
→ 組織構築力と共感の集約、無関心層へのアプローチによる突破
・党の資金源は企業献金ではなく、党員からの月額党費。「政治の資本は民意」という理念のもと、透明性と自立性を両立した運営スタイルを貫いている。
そのどこが“反知性”なのか?
そのどこが“スピリチュアル”なのか?
むしろ今の日本の政界において、「現場の泥を踏んだ経験」「国家という概念への理解」「組織をゼロから創り上げた行動力」「10年以上にわたる言論活動」「国防と安全保障への知見」……これだけの厚みを備えた人物が、他に何人いる?
情熱が空回りする二十代の拙さもなく、
老獪すぎて保身に走るような年齢でもない。
「今、この国が分岐点に立っている」というこの瞬間に、
これほど「準備を終えた」状態で登場している政治家が他にいるのか?
組織をつくり、人を集め、運動を全国に浸透させる仕組みまで整えた上で、参政党というプラットフォームを提示してきた。
これを「奇跡」と呼ばずして、何と呼ぶ?
それが、神谷宗幣という男だと、私は本気で思っている。
まず初めに断っておくと私は参政党支持者ではないし、排外主義者でもない。
中国人の友人もいるし、お付き合いしていた方もいる。
どちらかといえばリベラルに近い考えを持っていたし、世代ではないけれどブルーハーツの青空のような歌詞に共鳴してよく聞いていたこともある。
それでも、はっきりと言える。
日本は決して“日本人ファーストの国”ではない。それどころか「中国人ファースト」の国になっている。
なりつつあるのではなく、既にもうなっている。
つい先日都内の住宅街を歩いていると前から酔っ払いの外国人女性が突然殴りかかってきた。
女性であることはわかるが力士のような巨漢で、支離滅裂な言動で何語かも不明だが叫んでいる。
私は逃げようとしたが殴られると同時に押し倒され、そのまま髪の毛を捕まれ、何度も頭を地面に叩きつけられた。
手に持っていたスマホは投げ飛ばされ、バリバリに割れたスマホの画面から必死で110番を押して、近くのコンビニに助けを求めた。
しかし、店員の外国人は私を無視して押し返し、酔っ払いの仲間がコンビニまで迫ってきた。
警察が到着するまでの10分ほどは本当に殺されるかと思い、恐怖で手足が震えていた。
警察に後から聞くと、どうやら相手は中国人で泥酔状態だったらしい。
警察は特にその加害者を遠ざけることもなく、血まみれの私を見ながら「こんなことで110番しないでよ」と冷静に言った。
そして、警察官はまだ何か叫んでいる女性を拘束することなく、血まみれの私に対してこう言ったのだ。
ありえない。
私はただ路上で歩いていただけで、女性に触れることもなければ会話すらしていない。
しかし、中国人女性がそう言っているということで逮捕もせず、双方取り調べになった。
警察官はしきりに「中国人だから仕方ない、中国人はこの辺多いからよくあるんだよ」と取り調べ中にめんどくさそうに言い、
「中国人だから意味ないと思うよ。あなたが何も被害を訴えなければ、このまま収めるからどうする?」
しかし、警察署の中ではじめての取調室で警察官に反論できるわけもなく、血まみれの私が加害者扱い。
そして中国人女性は拘束を受けることもなく、そのまま釈放して帰宅したとのこと。
後日、何度も警察に被害届を提出したい旨を訴えるも一向に動かなかったため、弁護士から訴えたところ、ようやく半年経って防犯カメラの解析が始まった。
もちろん防犯カメラには一方的に暴行を受け頭を叩きつけられる私、猥褻行為などあるわけはないどころか、私は一切手すら触れてない状況がそのまま映っていた。
ちなみにその後はというと相手方からは私が中国人差別したからやったなどとまた虚偽の弁明があり、示談交渉をお願いされた。
拒否するつもりだったのだが警察は女性を不自然なまでに擁護し、担当の外国人犯罪専門の女性警察官から相手が反省してると私に連絡があった。
私は身内に警察、法曹関係者もいるのだが、通常警察や検察官が示談を勧めることなどは絶対にありえないと聞いていた。
ありえないはずのことが身に起きていた。
もしかしたら、たとえば警察が書類送検した際の書類などを検察官が見て、不起訴になる可能性が高いと判断したのかもしれない。
検察官がそのような姿勢であれば不起訴の可能性が高いということで、弁護士にも強く勧められたため弁護士費用のこともあり、泣く泣く示談することとなった。
これは東京の繁華街が近くにはあるものの、普通の住宅街での出来事である。
中国人がただのなんの落ち度もない一般市民に暴行し、中国人の出鱈目な嘘で逆に冤罪加害者にされそうになり、警察も検察官も、味方である弁護士ですら事件をまともに扱わない。
・中国人に殴られ
そんなの一部だけ、たまたまだと思われるかもしれない。
外国人犯罪は減っているというデータを持ち出して反論する人もいるかもしれない。
だが、それは不起訴・放置されるからカウントされないだけではないか?
警察官は「中国人は面倒」と本音をこぼし、事案そのものを畳もうとする。
だから、警察は捜査しても無駄な事件、中国人絡みの事案は重大事件でもない限り、できるだけ穏便に済ませたい。
中国人優遇というわけではなくとも、中国人ということが判明してからはずっとめんどくさそうな態度が続いていた。
めんどうだからと言ってこんな対応をし続けるなら、日本は「中国人には逆らうな」という無言の圧力を受けているのと同義である。
もちろん韓国人や他のインバウンド客、在日外国人にも問題を起こす人間はいるし、日本人だってそうだろう。
しかし、単なる住宅街で酔っ払っただけで普通の市民に暴力を振るい、酔いが覚めて示談交渉の段階になってもなお差別だなんだと叫び徹底的に自己弁護に走る人間がいる。
それが犯罪としてデータに残ることもないし、そういう人間と共存していかなければならない。
そういうデータに残らない無数の犯罪の多くは外国籍の人物によるものであり、その大部分が中国人であるというのは現場の警察官はよく理解している。
中国人は確実に日本を侵食し、特に近年は日本の大学、企業、生活に取り入り、文化や構造自体を徐々に壊し始めている。
少し前の話であるが、私が当時在籍していた大学にいつ頃からか目に見えて中国人留学生が増えていった。
そんなに簡単に入れる大学ではなく、入試も難しく日本では指折りのブランドのある大学ではあると思う。
同じ入試を受けて入っているはずなのにどういうルートなのか留学生の中でもダントツで中国人が増えてきたのだ。
しかし、何故か一切大学側は調査を進めることはなく、学生融資団体が調査をしたところ、
某海外有名大学出身であることも、日本の難関大出身であることすら全て虚偽であったのだ。
しかし、そのことは公表されることもなく、その教授によって招聘された多数の教員、学生もそのまま在籍を続けている。
これは無名大の話ではなく、日本の国家予算がふんだんに入った国会議員や総理大臣を多数輩出する伝統ある日本の有名大学での話である。
また転職して中途入社した某外資系企業にいたときは同期入社の半分が中国人で、プロジェクトチームの同僚10人中8人が中国人であった。
彼らは日本の有名私大を卒業し、日本にある外資系の大手企業に新卒や中途で入ってくる。
当時のプロジェクトでは日本の政府系システムの業務支援を扱っていたが、こんな国家の中枢に関わる事業を外資系企業、
しかも中身はほぼ中国人で構成されたチームで行っていいのかと疑問に思ったが、
少しでも中国人や外国人に対して口を出すことはリベラルな外資系大手企業では、重罪であった。
ちなみに日本人の上司の目の前で中国人の同僚同士が中国語で上司の悪口や日本をバカにする会話を普通にしていたこともある。
お付き合いしていた中国人女性いわく中国人は中国大好きだし、本気で習近平を崇拝しているし、日本を敵視しているのが普通らしい。
中国にずっといる中国人や旅行客は特にそうで、在日中国人のことをバカにしているし、日本人には考えつかないぐらい日本に対して偏見に満ちた憎悪を抱いている。
だから日本で生まれ育った彼女のような客観的に中国を見れる人間にとっては、日本のほうがよほど居心地が良いのだという。
多くの中国人はhypothetical enemyである国の構成員に他ならない。
そんな人たちが日本にわんさか訪れて、移住を進めているのが現在の日本だ。
しかもそんな日本を敵視して習近平を崇拝している中国人もわずか来日して5年経てば帰化して晴れて法律上正真正銘の日本人となる。
ある大手マスコミ関係の企業にいた頃は何故かだいたい部署に必ず一人ぐらいの割合で金さんや李さんがいた。
どちらかといえばリベラルな価値観を当時は抱いていたのでたいして疑問には感じてなかったが、よくよく考えると、
取引先の出版社やTV局にもやたら中国や韓国に偏った考えを持った人間が多かったように思う。
ネットのよくある陰謀論の類かと信じてなかったが、実際に自分が入社するとあまりの左寄りの姿勢や在日中国人の多さに驚いたぐらいだ。
差別や偏見はよくないと教育され、グローバル化に迎合することが是とされる社会においては、
高学歴や大手企業に入るような恵まれた環境に属するようになればなるほどリベラルな考え方が多くなるように、大学でも会社でも外国人と共存し、リベラルな価値観に囲まれてきた。
特に知的でありたいとする人間やコミュニティであるほどに保守的な思想や価値観はダサいし危険というやんわりとしたレッテルを貼られ、口に出すことすら日常でタブー視される。
LGBTへの容認やグローバリズムに対する賛同などリベラルな思想はどんどん口に出すし、そのような姿勢に対する同調圧力も蔓延している。
固有名詞はあまり出したくないが東大や早慶のようなブランド大学になればなるほど、特に内部にいると中国人留学生に対して驚くほど寛容なシーン、
アファーマティブ・アクションという名の優遇を目にすることとなるし、現在一昔前に比べて異常なほどこれらの大学に中国人は多い。
大学でも企業でも今日本にいる中国人ははっきりいって逆差別と言えるぐらい優遇を受けている。
しかし、やはり日本人をバカにし、日本の文化を破壊し、日本人を見下し暴力を振るうような連中と共存なんてできるわけがないだろう。
まだ手遅れではないという政治家もいるが、私はもう手遅れではないかと思う。
もう日本にやってくる中国人は心底日本をバカにし、見下していている。
インバウンド景気などという政治家もいるが、実態として今来ている中国からの旅行客の大半は安いから来ているだけだ。
実際に高級ホテルには中国人客は皆無と言っていいほどおらず、ドンキやドラックストアに溜まり、安いビジネスホテルに大量に押し寄せている。
彼らの一人は日本人でいっぱいの満員電車を見て中国語で差別的な言葉でこう言っていた。
中には日本に対して友好的な考えを持っている一部の人間もいるが彼らがどれだけ日本人を嫌い、敵対しているか。
これは中国人と日頃から仕事やプライベートで接していればよくわかることだ。
上野や浅草には中国人専用のクラブや飲食店が多数あり、日本なのに日本人が入れない 禁足地が都内には激増している。
電車で中国人家族が叫び散らかそうとも、スーツケースを座席に山積みしようとも、めんどくさがって駅員も注意はしない。
日本の国家システムを扱う重要プロジェクトの多くが外資系企業に業務委託され、プロジェクトメンバーの大半が中国人であっても政府は気にも留めない。
日本の民法キー局や三大出版社に多数の中国人がいて重要なポジションについていても、誰も問題視はしない(既に数十年と続いた文化なので、本来注意する側も同族だったりする)
日本人が路上で暴力を振るわれても警察も検察もまともに扱わないし、不起訴になるので結果として外国人犯罪は激減している。(数字上)
リベラルがどうとかもはや関係なく、中国人に対する規制は必要だと思う。
けれど、もう手遅れだ。
日本人ファーストという普通のことを言っただけで、過剰なまでに叩かれる。(アメリカでもフランスでも海外で自国ファーストを唱える政党は与党であるし、極めて普通のことだ)
中国語を覚え、中国人とともに難関大学の受験を潜り抜け、中国人と共に学び、中国人と共に日本の国家機密を扱い、中国人と共に日本の悪口を言いながら仲良くなり、中国人とともに日本を貶めるために働き、
私はこれからも生きていくために同僚の中国人と日本人から金を搾取するゲームや日本の根幹に関わる国家システムを扱うだろう。
中国人差別なんて絶対に許さないという顔をして、たとえ路上で突然殴ら顔面を打ち付けられて殺されそうになっても、中国人店員に助けを求めて無視されても、にこやかに示談に応じるだろう。